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2011年3月8日火曜日

湘南の嵐便り 「肩書きなんて」

私が大好きな作家に若くして亡くなった「中島敦」がいる。
その中でも名作「山月記」は最高作といえる。

話を思い切り要約すると二人の優秀な若者がいた。
共に日本でいえば司法試験か国家公務員第一種(中国では科挙)に受かった人間である。しかし二人の人生は大きく変わり一人は挫折し姿を消す。

何年か経った後、エリートとなった一人が部下を連れ山の中に入る。そこには凶暴な虎が出ると言われ山の中には入るなと言われる。しかし男は山の中に分け入って行く。
と、竹林の中に虎の気配がする。それを感じ男は虎に向かい君は○▲君ではないかと尋ねる。
虎は悲しい声で「そうだ僕だ、変わり果てた僕だ」と言う。ライバルとの競争に負けた事を恥じ虎になり夜な夜な吠吠するのだという。二度と会わない事を約束し虎は竹林の中に消える。
同じような話で藤沢周平の名作「三屋清左衛門残日録」というい役職を離れた一人の武士の日記の様な物語がある。その中にとてもいい一話がある、「零落」という。
ある日雨が降る。清左衛門は雨宿りのつもりである長屋の一つに雨を凌いでいると、中から雨で大変でしょう中に入って雨を凌いでいってはと声を掛けてくる。

その武士はかつて清左衛門と甲乙付けがたいと言われた人物であった。
しかし、今はすっかり老人の様に落泊していた。お互いについた家老が主流と反主流に別れた結果だ。武士は二度と会うまいと言って別れる(かなり雑な要約である)一方は老後をのんびり豊に過ごし、一方は傘張り老人の様になり心はすさんでいる。

何故こんな事を書いたかといえば3月3日朝日新聞の夕刊に3月は不眠からくる鬱病、そして自殺が一番多いと書いてあった。その中にサラリーマンの自殺動向について左遷、リストラ、格下げが三大要因と書いてあったからだ。
人生は終わってみないと本当の勝負は分からない。
肩書きがなんだ、ポストがなんだ、肩たたきが何だといいたい。そんな事で時速200㎞の電車に飛び込んでバラバラになるといいたい。悔しいけど参ったと言わない限り勝負には負けてない、虎になる事もない、二度と来てくれるなと雨戸を閉める事もない。
何もかも愛せば必ずいい芽が出る事がある。
肩書きなんてつまらないプライドの象徴にすぎない。時が来れば必ずよくなる。

サラリーマン諸君よもっと図々しく会社を利用すべきだ。
山口瞳の「江分利満氏の優雅な生活」を読むといい。
たかだか社長だ、専務だ、常務だ、部長だ、課長だなんて命懸けのもんじゃない。
会社の命令が嫌ならケツまくって一人で社長になればいいだけだ。

「鶏口牛後」というではないか。牛の後にノコノコついていくニワトリにならなきゃいいんだ。
「志」をたてて。
アホに負けてたまるかとね・・・。
人間やれば必ず出来る。
肩書きなんて名刺屋さんに行けばいくらでも付けてくれる「代表取締役社長兼専務取締役統轄本部長兼人事部長」とかいくらでも。

2011年3月7日月曜日

湘南の嵐便り 「新しいファッション」

3月3日桃の節句、所は西武池袋線中村橋駅斜め前、店の名は強いショック或いは深い感動で忘れました。時間は午後12時30分と少し。


私と私のデスクの女性とあるレストランに入った。12時頃の事だ。
ステーキ&ハンバーグの店に、その日はメンズデーとかで生ビールの小さいのがサービスについていた。食後人と会うのでお酒はNOである。


二人ともハンバーグ&ハーフカレーを頼んだ。食後にコーヒーを。
店内には私達二人の他おじさん二人。


さてこの内の一人のおじさんに我々は人生の何もかも、過去も現在も未来も今後生きてゆく志さえも失った。私達より先に入っていたおじさん70代位、テーブルから上半身しか見えない。何かたどたどしい手つきでステーキランチ風を食べていた。

中々な柄のチェックシャツがオシャレを感じさせた。
私達が食事を半分終えた頃、おじさんは伝票を持って立ち上がり私達の目に現れた。


ギャギャギャな、なんというファッション。下半身はジーンズだが何故か赤ちゃんのオムツの様な形にカットしてあり、しかもすき間だらけ、中はノーパン。白髪がビッシリついたコブクロやイケブクロ、いやお稲荷さんが丸出しではないか。


生まれて初めて見る。上は真冬ファッション、下は真夏ファッションしかも一歩間違えれば公然わいせつに近い露出ファッション。


私の連れのデスクの子は写真を撮りながらも笑いがこらえられない。
友人にさかんに写メールを送っている。もう笑いが止まらない。ハンバーグとカレーの味の違いも分からない。お互いに思い出して笑い、もうどうしようもない。

あの辺りでもしおじさんを知っている人が居たら是非教えて下さい。
パパスの上半身にジーンズのオムツみたいなオジサンです。きっとただ者ではない筈です。心から平伏し尊敬すべきファッションセンスです。

その後練馬美術館で展覧会を観て館長のご紹介の染色家のご夫婦にお会いしてお願いしていた作品を見て大感動したのですが、どうしてもあのジーンズのオムツが頭から離れず参った一日でした。

2011年3月4日金曜日

湘南の嵐便り 「とんずら」


とんずらという言葉があります。人に黙って逃げてしまう事です。

三ヶ月前27歳の若者が面接を経て研修入社しました。
私達は三ヶ月間お茶出しから行儀作法、そして仕事を色々体験させ三ヶ月後に正社員にするかどうか本人と幹部が話し合い取り決めます。


一番大切なのは本人の意志。自分にはキツイ、シンドイ、向いていない、嫌だとなればその席で自分の意見を言えばそれでいいんです。中々いい子で、美顔でした。

毎日二つ三つ年上の彼女が作ってくれるお弁当と魔法瓶にお味噌汁を持って来ていました。なにしろお客さんの出入りが激しいのでお茶だコーヒーだ水だお菓子だと大変だったのでしょう。

婚約をしており近々入籍の予定であったとか。
ただ、3回給料が振り込まれてからとんずらはいけません。27歳にもなってメールで上司に「僕はやっていけません」ではいけません。会社に顔も出さずでは社会人として失格です。大人になりきっていないのです。



電話番号もメールアドレスも全て変更した様です。
こんな厳しい時代に新人を採用し、入社を本人の希望で一ヶ月待ってあげてからの事でした。これが草食系なのでしょうか。とても悲しい可哀相な男のです。

我々の会社は毎日深夜になってしまいます。心から仕事が好きでないとやっていけません。今どこにいるかは分かりませんが本人がもしこの一文を読んだら今のままではきっと彼女にとんずらされてしまう、又世の中の人々から社会から見捨てられてしまう。

ビシッと体に力を入れて気合いを入れ直す事だ。美顔だったので新宿二丁目の方が向いているかもと言ったら本人はまんざらでもない顔をしていました。
男を辞めて女性になれば幸せになるかもしれません。


後で知ったのですが以前は板前修業をチョットしていたとか。
当然そこからもとんずらした様です。調査不足、面接の失敗でした。


さらば若者逃亡者よ。

2011年3月3日木曜日

湘南の嵐便り 「一回忌に想う」


過日親友の一回忌を終えた



別に坊さんを呼んで特別な事はしない。
西麻布の納骨堂に私と会社の社長と行くと友人と親友の愛する人だった女性、そしてずっとアシスタントをしていた女性が二人来ていた。


本妻や息子三人は来ていない。実姉も来てはいない。
182㎝、体重85㎏あった男が20㎝位の仏像の中に入っている。
その日は二人命日らしく、白く小さなスクリーンに二人の名が出ていた。
暖かい日であった。午後十二時、お焼香をした。


つくづく人間の命とは、と思った。
誰も自分で選んでこの世に生を受けた者はいない。生も選べず死も選べない。
朝起きたら息をしていない人もいれば、何年もただ息だけをしている人もいる。

大学病院※写真はイメージです
ある高名な大学教授が言った。権力者やお金持ち程「癌」を告知すると同時に豹変しジタバタすると。検査入院として入って来た時は虚勢を張り堂々たるものであるという。
まあよろしくよろしくという具合に、ところが告知しカンファレンスで手術の説明などすると一流を集めろ、金に糸目はつけない、あの薬、あの温泉、あの、あのと大騒ぎになるそうである。

病院※写真はイメージです

命まで金で買えると思っているのだろう。駆けつけた会社の人間に八つ当たりするわ、不可能な命令をするわ、海外の病院を見つけろと言い出すわ、もう灰神楽みっともない事この上なしとなるらしい。


お金の無い人はシンプルである。先生、何とぞよろしく。
これ以上息子や娘、家族に迷惑をかけたくないのでとなる。


世は皮肉でありもう駄目と思ったお金の無い人は劇的な手術に成功し見事に治り、まあ死ぬ事はないだろうと思った大金持ちは癌があっちこっちに癒着し手術不可能、開腹して直ぐに閉じ、その後暫くして人生を終えた。

癒着しまくって生きてきた人生への戒めだったのだろうか。

私は愚妻と共に尊厳死協会に入っている。
抗癌剤治療、終末治療拒否、緩和ホスピスで誰に知るともなし静かに消えて行きたい。

幸い秋田湯沢で義兄、義姉がそんな病院をしている。秋田の象潟の海を見ながら骨と皮になって海風に吹かれて消えて行く。「海に出て、木枯らし帰るとこ無し」の心境だ。
岩盤浴※写真はイメージです

決してお金を持ってはいけない、ジタバタするから。
我が友も実に見事な終わり方だった。


一年は早いものだ。

今日は弥生一日、昨日ジャンボ飛行機の命日となった。繁栄のシンボルであった。もう一つのシンボル、鶴丸は甦った。

2011年3月2日水曜日

湘南の嵐便り 「福住楼」

週末より旅友と打合せがあり箱根塔の沢の老舗旅館「福住楼」の投宿していた。

かねてより「福住楼」には一度行ってみたかった。
かつては福沢諭吉の常宿でありその後夏目漱石、島崎藤村などの文士や坂東妻三郎も常宿にしていた箱根屈指の名門である。


が、とにかく古いのである。建物は大工の技の限りを尽くし、障子、襖、壁紙に至るまで職人の技が息づいている。文化財として登録されているので簡単には直せない。
杉の太い木を輪切りににした大丸風呂は絶品である。


仲居さんにここが一番早川の流れがよく見えるという「桜一」という部屋に通された。
十畳と四畳半の化粧部屋、細工を凝らした障子を開けると見事な太い猿滑りの木、その向こうに早川の急流が逞しい川の音を生んでいる。

小窓の前に小さな文机、そこに原稿用紙と筆記具、座椅子を置くと何やら文士の姿が浮かんでくる。部屋中に隙間風が入ってくる。暖房は力強い音と振動を生むでっかいガスファンヒーターだ。浅草出身52歳という仲居さんが丁寧の上にも丁寧に対応してくれる。部屋にトイレと内風呂はない。
文士の姿が浮かんできます
何処までも明治時代なのだ。旅友と久々に文学、政治、経済、芸術、人物、未来談議をする。何しろ博覧強記の人なのですこぶる勉強になる。


次の日は雨風強く真冬模様と天気予報、来たときは小春日和であった。


品位がない今時の温泉の様に食い倒れみたいな暴力的品数がこれでもかとは出ない。
一品一品に想いが込められている、丁度いい品数であり絶品のおつけものとご飯を食べる。お銚子は二本ずつ。温泉に浸かった体にいい温度が染み込んでいる。
真心のこもった料理※HPより

このところゆっくり風呂に入る事もなく気ばかりが急いでいたのと心身がまったりぐったりし続けていたので名物杉の輪切りの大丸風呂は正に天国であった。
大丸風呂※HPより
その日は三組のお客さんが入っているとか、最近は外人さん夫婦が一日一組は来るとか。外人にとって日本家屋の体験には何よりの処である。

入口には「福住楼を守る会」の札がある。嵐山光三郎さんたちの名が連なる。
深夜岩風呂に入りに行くと、一人の白い肌の外人が女性がしなを作るポーズでお湯に浸かっている。その一物を見て巨大な白いチキータバナナの様で恐れをなした。
翌朝仲居さんからドイツ人だと聞いた。
旅友の作家、上季一郎氏
外は豪雨でありすき間風は寒いが、何かいい朝を久し振りに迎えた。
旅友は読書をしていた。投宿以来すでに三冊目だ。

2011年3月1日火曜日

湘南の嵐便り 「人事の春」

独裁者は最後の10分まで独裁者であろうとするという。
自らの貯め込んだ金銀財宝を節分の豆まきの様に民衆に蒔けばいいと思っているのだ。
cc

スターリン、ムッソリーニ、ヒトラー、チャウシェスク、毛沢東、フセイン等々、そしてインターネット革命という指導者なき革命は燎原の火の如く世界中を走り始めた。
「逆化価値現象」という考え方を年頭に掲げた私の予想を遙かに超えた早さでそれが起きている。

「弱者が強者」を襲う、「富ある者が貧者」にひれ伏す。「形なきものが形あるもの」を壊す。
やがてこの火の海は中国、北朝鮮を焼き尽くすだろう。その早さは想像を超える。インターネット社会の凄さだ。
プラハの春の一風景
かつてプラハの春はラジオで民衆が繋がったという。
又、ベトナムではベトコンが地下道で繋がって大国アメリカに勝った。
今やボタン一つを押しただけで世界は繋がってしまう。伝書鳩や軍用犬を使い秘密文書を送っていた時代とは違う。

リビア、スーダン、サウジ、バーレーン、石油という金銀財宝を持っていた国は次々と民主化に向かうだろう。

藤原道長
かつて権勢を誇った藤原道長は欠ける事なき満月はないといい、又平清盛は平家にあらずんば人にあらずと思った。増長した人間は手に負けない者なのである。

そして必ず弱者、貧者と見下ろしていた者により滅ぼされる。
歴史上滅ばなかった王朝や帝国は一つもない。今なお生きながらえているものは象徴としてだけである。

この季節大会社では人事、人事、人事である。まさか俺があいつの下にとか、まさか俺が、まさか俺が、まさか俺がの声がアチコチで上がる。
嬉し涙、悔し涙、無念の歯ぎしりである。
小判鮫の様について離れず・・・
つくづくある大会社に勤めていた友人の言葉を思い出した。
とにかく仕事は適当にしてひたすら出世しそうな親分を捜す、その嗅覚こそが一番であると、そしてこの人と見つけたらとにかく朝な夕な小判鮫の様について離れず影の様に寄り添うのである。並はずれた才能ある人はかえって親分にとって危険人物となり一つ、二つの失敗を楯に追放されてしまう。

十を成功させても一の失敗の方が問題なのである。

毎年毎春それが繰り返される大会社とは思いの外生き地獄なのである。
ブチ切れて辞める者もいる、泣いて命乞いをする者もいる、いつか戻って見返してやるという人もいる。
楠正成
春は右往左往である。大才能、大恩人が南の国に移った。
きっと楠正成の様に再び都に戻り天下を取る事を祈らずにはいられない。

2011年2月28日月曜日

湘南の嵐便り 「原武史教授」

皇居
長い間恩人であり友人でもある人のお孫さんが慶應の幼稚舎という所に入ったという話を知った。入園するために塾に通わせたそうである。
両親は当然大喜び、ジジババちゃんも大喜びであると思う。

大人の喜びが子の喜びとイコールであるという事は約束されないがぜひ医学部に入り命を助ける医師になるとか(慶應の医学部は医者達もその研究熱心さを認める)法学部に入り堕落した検察庁を正すとか、売名主義になった弁護士達を正すとかを可能にする司法試験に挑戦して欲しい。

私は全く教育ブランドとか一貫教育とかに興味がない、徹底的な雑草主義者である。

原武史先生
先日こんな一文に出会った。原武史という鉄道オタク(鉄ちゃん)の政治学者は中・高と慶應であったが大学は早稲田に行ったという。
デコイチ
何故か慶應になじめなかった。原先生は東久留米の団地住まいであった。
友人達は田園調布とか等々力とか松濤とかの高級住宅住まい、遊びに行くと家は広いしお手伝いさんがいたりお母さんは品のいい綺麗な人、お姉さんも同じ。

滝山団地住まいの原先生はすっかりコンプレックスの塊になり大学への推薦辞退書を出した。この届けを出さないと慶應大学生になってしまう、それは恐怖であった原先生は早稲田を卒業後東大の政治学科に進んだ。
中央線は自殺者がおおいらしいです
鉄道オタクである原先生が何故中央線に自殺者が多いかについて興味ある考察をしていた。

中央線は東京と高尾を結んでいる。元々東京駅は天皇が利用する玄関駅として作られたいわば東京駅は皇居と繋がっている、天皇を中心とする「生」の世界なんですと。

それに対して高尾には武蔵陵墓地というのがあって、大正天皇・貞明皇后陵・昭和天皇・香淳皇后陵四人が葬られているいわば「死」の世界なのだと。
だから中央線は生と死の世界を結び突き進んでいるのだ。
天皇陵

(えー私はずっと中央線の荻窪に住んでいたが当時自殺者なんてあまりいなかった気がする。当時は今の高尾を浅川と言っていた。)原先生の考察が正しいとなると上りより下りの方が飛び込む人が多いという事になる。JRは何か手を打って欲しい。


友人のお孫さんがJRに将来入って偉い人になり中央線から人の命を守ってくれるといいななどと思ったりしている。なにしろ陸の王者KEIOなのだから。王たる者は民を守らねばならない。心から期待を込めてお願いをしたい。

2011年2月24日木曜日

湘南の嵐便り 「隣のお客」

このところ会社の直ぐ側のホテルでの生活が続いている。
週に2、3日は泊まる。何より最近のホテルは外人向きなので広くて安い。

ホテルオークラと同じ広さで料金は3分の1以下である。しかもほとんどの設備が付いている。目の前はコンビニがあり何でも買って来て小さな冷蔵庫に入れ置き出来る。

朝チョイト歩けば築地の魚河岸でいろんな美味い朝食が食べれる。
通勤もキツイし朝はまるで弱い。やはり体力が弱くなってきている事が大きく、疲れが抜けないのも理由だ。会社の目の前なので悪さは出来ない。
着替え、パジャマ、下着、シャツ、洗面化粧道具は会社に置いてある。

困るのは隣からAV番組のアヘアヘの声が聞こえる事だ。1000円で見放題らしい。
時に本物のやりとりも聞こえる。これが結構厄介なBGMなのだ。
特に外国人はすこぶる声がでかい。私はAVは観ない、ただうるさいだけだからだ。
フィリピン人女性※イメージです

黒い服に白いワイシャツ、黒い鞄の中年男が朝のバイキングに居る。
生玉子、納豆、のり、味噌汁、お豆腐、魚を焼いた日本風の朝食だ。
ご飯は2杯、大概シャワーを浴びていないので異様な臭いがする。脂身十分で出社だ。
きっとタイムレコーダーを押してからスーパー銭湯のサウナでも行くのだろう。


中国人女性※イメージです

フィリピン、ロシア、中国、アフガニスタン、ウズベキスタン、スロベニア、ルーマニアなどユーラシア大陸系が多い。当然洋風バイキングだ。

クロワッサンを食べてるロシア人の前で納豆をベタベタ食べてるオッサン、なんとも味気ないというか悲しい風景だ。最近この手の外人向きホテルがドンドン台頭して来ている。それ故有名ホテルの稼働率は最悪となっている。

ロシア人女性※イメージです

ロシア人は小顔でビックリする位美人が多い。オイ納豆オヤジどうだったんだなんて聞きたくなる。(俺は隣の部屋に居たんだぜ)きっと家に帰ると恐いカーチャンに粗大ゴミみたいな扱いを受けているのだろう。一度そのオカーチャンに会って取材をしてみたいものだ。

ロシア、ウズベキスタン、カザフスタン、エストニア、スロベニアなんていってもオカーチャンは中学時代の社会科の世界地図すら浮かばないかもしれない。

オトーチャンは納豆に生玉子、ネギをたっぷり入れて掻き混ぜている。外人はハム、ソーセージ、オムレツを食べながらCNNのニュースを見ながら時々バーコードヘアーのオトーチャンを見下ろしている。

カダフィ中近東アブナイアブナイ革命ダラケ、ワタシトテモキケンコワイと言っている様だ。

2011年2月23日水曜日

湘南の嵐便り 「先生の怒り」

明治記念館
過日明治記念館内のコーヒーラウンジで薬学博士であり現御茶ノ水女子大生活環境教育センター、慶應義塾大学医学部講師の先生を2時間取材させていただいた。

先生の知り合いの元総理大臣のお孫さんと私と出版社の人とデスクの女性の五人であった。
身長150㎝位、年齢は70歳位だろうかレディなので聞かなかった。
富山の薬箱※イメージです

漢方医学、薬学の大家である。その話の面白い事といったらなかった。
全くメモも見ず世界中の薬草や効能、又その組み合わせの効果やその反対の恐さを次から次へと教え語り現代医学への怒り、薬学軽視への怒りも話しまくってくれた。

立川談志の如くべらんめえの調子で日本の現状を小気味よく話してくれた。
改めて食育の大切さと何故銀座から漢方の薬局が消えてしまったか。マツモトキヨシやクリエイト、福太郎等のドラッグストアが増えたか、何故大学でかつて医学と薬学は同格だったのに今は医学がのさばっているか、直ぐ切る外科医、治る見込みのない終末医療、家族を悲しませる抗癌剤治療(10〜20%しか効かない。それもほとんど偶然性に近い)当然日進月歩をしてどんどん進んでいるが根本的な部分から大学の医学部は間違いを犯している。
これからは東洋医学と西洋医学が一体にならないといけない。


人は必ず死ぬ。ある年代に来たらその人の寿命である。
陽気で明るい人は最期までその姿を残してあげるべきだ。何で90歳近いお年寄りに管を巻き付け薬を投入し、酸素吸入で言葉を奪ってしまうのか。遺伝子医学みたいにオギャーと生まれたらこの子は何歳で何の病気になり何歳でなくなりますなんて教える必要があるのか。

人間は自然界の摂理の中でちゃんと生きる知恵を見つけて来た。
凄く賢い動物なのだ。

※イメージです

この根は何に効く、あのキノコは、あの葉は、あの土は、あの樹液は、いまアフリカの木がドンドン無くなっていっている。それはその樹液から劇的な抗癌作用がみつかったからだ。世界中の密林が同じ事になっている。
アフリカの木がどんどん伐採されているそうです
愛する父、母、兄、姉、弟、妹が皆ナンバーで呼ばれ薬の実験台にされているとしたら。
つくづく生と死について考えさせられる。

先生はあなたが生まれた昭和20年戦後の焼け跡でペンペン草も生えてなかったのに今やインターネットなんて、知る必要もない情報まで入ってくる時代。
何もあせって青森まで3時間20分で行く必要なんてないんですよ。

人間は三歳で味覚を知り、十歳までの運動量で体力が決まるんです。
子供は外でとにかく遊ばせる事なんです。60歳まで何もしないでゴルフやってカラオケ歌って定年になってスポーツジムで体力をつけるなんて愚の骨頂なんです。

ただ疲れるだけ、サウナなんて日本人の体質にまるで合ってない、北欧じゃないんだから。あの日本軍がそれなりに戦えたのはお米と梅干しを食べてたから。

もっと日本人はお米を食べないといけないんです。パンだパスタだピザだなんて外人じゃないんだから。だから体中から抗体が弱くなってアレルギーだ新種のインフルエンザなんかに負けちゃうんです。
熊の胃
「熊の胃」に勝る胃薬なんてそうはないんですよ、化学合成して「熊の胃」に近づけてるんですから。やはり「買い置き薬」はいい日本の伝統だったんです。

とまあこんな調子で先生は語り続けました。久々に楽しい出会いでした。
ケシの花について、朝鮮人参について、霊芝やサルノコシカケや蟻のフンについてやはりその頭脳の凄い事。

気が付くと先生の直ぐ頭の上になんと明治天皇直筆の教育勅語の額がドーンとありました。食育については書いてありませんでした。

私はスルメを食べます
先生曰く子供はスルメを舐めさせなさい、何よりアゴが丈夫になり唾液で体が丈夫になるからと。マックなどは劇薬だといっておりました。当然スーパーやコンビニの中にあるインスタント食品も。

日本人は一年間に石油一トン分の化合物を食べているそうです。

私は今スルメを醤油とマヨネーズで舐めながらです。唐辛子を少しまぶして。

2011年2月22日火曜日

湘南の嵐便り 「若者たち」

この世で何がいちばん羨ましいと思うのは若さだ。血気盛んな若さだ。
彼等は未来だらけであり私は行き止まりである。
彼等は夢を持ち、希望を持ち、自らの可能性を探す。

深夜打合せに来た若者たち

一文字に一枚の写真に未来を見つめる。
きっと名作となり世に残すものになるかもしれない。
若者たちが真剣に挑む世界は遠い自分の姿を見ている様で清々しい。

しかし新人やその先輩、その又先輩が一枚のポスターという物に対し苦しみ抜き、冷たいピザを夜明けに食べながら「ヤッタかも」とか「やはりだめかも」とか目を赤くして夜を徹する。こんな若者たちを育てるのが私の使命であり責務であり又危険な判断なのだ(何故なら私の感度はすでに老人ホームに入っているのだから)


アルコール占い新作のポスターです
かつて後藤新平はいった。
この世で人の上に立つ者で一番は人を残す事、二番は仕事を残す事。
もっとも下は金を残す事であると。


むかし流行ったギャグではないが定期預金に残はない。田園調布に家は建たない。
それ故私に楽しいゆとりの老後などあり得ない。
ただ一人でも多くいい若者が育ってくれればこれ以上の幸福はない。


アルコール占い新作のポスターです

この頃若者たちに真剣という姿がすっかり見えなくなった。目はウツロであり日々に流され去勢されている。しかし今私の目の前にいる若者たちは宮本武蔵であり佐々木小次郎である。坂本龍馬であり高杉晋作である。

金だけを残す気で生きて来たら小さなヨットや、小さなクルーザーの一台や、小さな別荘の一つや、ベンツのAクラスの一台を持つ事は可能だったろう。死ぬ気で働いたのだから。

しかし私には何の興味もない。今目の前にいる若者たちがいつかきっと独り立ちをし、名を出しいい作品を世に出していってくれる方が何よりも嬉しい。

金は人を卑しく、切なく、醜い物体に変えて行く。
そして誰にも愛される事なく消えてゆく。

坂本龍馬がいった「この世に生を受けたるは事を成す為に有り」と、この国は拝金主義者やバブリーな人間によってメチャクチャにされてしまった。

再起不能かも知れないが私は一人一人真剣な若者達の目に希望の明日を見つけようとしている。


ダグラス・マッカーサーは「老兵は消え去るのみ」といったが、私は銃はもう重くて持てないが短刀や短銃位は未だ持てる。
若者たちの為に指はいつもトリガーにかけている。
弱い者をイジメたり裏切った相手が挑んで来れば指を引くだけだ。