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2014年6月4日水曜日

「乳房の味」




脳梗塞で倒れた父親は全身麻痺なのだが、男の機能は薬の副作用で日々高揚する。
死ぬ程の唸り声を鎮めるために、母親と娘は日々交代で身を捧げる。
貧困を極める狭い家、やり場のない性の声が小部屋に充満する。

子は親を選ぶことは出来ない。
与えられた運命と宿命に従って生きなければならない。

函館といえば夜景で有名だが、この函館を舞台にした映画「そこのみにて光輝く」には闇しかない。救いようのない人間は、光なき深海でかろうじて生きているかもしれない生き物を探す様に、闇色の息をする。

ずっしり重いローキーな映像が観る者の心を暗く沈めて行く。
仮釈放中で無職の弟、父親の薬代と無力化した母親と弟の生活費を稼ぐために体を売る娘。この娘を小柄だが肉感的な池脇千鶴が好演する。
暗闇の中で大きく盛り上がった乳房、起立する乳首にすがりつき、赤子のように吸い付く男は綾野剛だ。自分の不用意なひと言で仲間を殺してしまい、自らの生き場を失った男にとって、その乳房は母の味なのだろうか。

この映画には「神」の存在は無い。
否、もしかしたら娘はマリアであり、男はその子イエスであったかもしれない。
迷い子を救う愛の味。

ラストシーン、波打ち際に立つ男と女に朝陽(夕陽かもしれない)があたる、だがその光は薄ぼんやりとして力は無い。確かに光は男と女にだけ射し込んでいる。

原作は佐藤泰志、監督は呉美保、プロデューサーは私がリスペクトする星野秀樹さんだ。弟役の管田将暉、また善良な社長だが実は肩に刺青を入れた倒錯者に高橋和也。
それぞれ出色の演技であった。モントリオール映画祭のノミネート作品、ぜひ受賞してもらいたい。その時は星野秀樹さんと乾杯だ。

「♪こうとしか生きようのない人生がある」確か小椋佳作詞の曲があった。
堀内孝雄が唄っていた。乾杯の時にこれを聞きたいな、ふとそう思った。
私もこうとしか生きようがない人生だったからだ。

テアトル新宿を出た後、新宿駅へ向かって歩きながら何故か十代の頃の自分を思い出した。マリア様の乳房の味を思い出していた。

「海で夕陽を」






心の病の名称や用語について日本精神神経学会が新しい指針を作り二十八日公表した。
こんな表現に。

アルコール依存症→アルコール使用障害、性同一性障害→性別違和、神経性無欲症(拒食症)→神経性やせ症、解離性同一性障害(多重人格)→解離性同一症、注意欠如・多動性障害(ADHD)→注意欠如・多動症、アスペルガー症候群・自閉症→自閉スペクトラム症、言語障害→言語症。

新しい病気、カフェイン使用障害、インターネットゲーム障害。
偉い先生方が集って変えたり、加えたりしたのだろうが、どうにも代わり映えしない。


日本にはTCC(東京コピーライターズクラブ)という集団がある。
優秀なプロフェッショナルの人々に一度頼むといいと思う。
きっとすばらしい表現が生まれる筈だ。難しい、固い、ややこしいのが学会表現だ。

時代は日々新しい表現を待っている。
私は、アルコール中毒でもないし、アルコール依存症でもないらしい。
でも毎日飲む。で、自分なりに表現すると「お酒大好き」という感じ。
それと眠れないから「クスリの恋人」クスリといっても睡眠導入剤レンドルミンのこと。
武者小路実篤風に言えば、「仲良き ことは ありがたき哉」二十年ずっとこれでやって来た。

お酒とくすりは悪魔の組み合わせというが、悪魔もまた良き友なのだ。
中野裕之監督が、海へ行って夕陽が落ちるまで二時間くらい海を見ているときっと眠れるよと、優しいアドバイスをしてくれた。
一度やってみようかと思っている。

2014年6月2日月曜日

「年上の味」






お相手は32歳年下のセクシー美女。明石家さんま密会。
いいじゃないですか。独身さんまの恋愛、ウラヤマシイではないですか。
銚子駅構内のセブンイレブンの中に置いてある雑誌の表紙に書いてあった。

私といえば銚子名物「ぬれ煎餅」と、銚子名産「さんまの日干し」を手にしながらルーツ・コーヒーブラック缶を買っていた。
銚子電鉄倒産の危機から生まれた奇跡の煎餅とパッケージに書かれている。
銚子にはヤマサ醤油とかヒゲタ醤油という名門がある。
その味を活かす方法は無いかと知恵を出した結果、名物は生まれた。

歌舞伎揚げを2.5倍位にした大きな煎餅を一度揚げたのを醤油につけるという、煎餅界の常識と掟と食感を全て変えてしまった。ポリポリとかバリバリとかパリパリは一切なし。
二つに割る時パキッという音はしない。音無しの構えだ。グニャと割れる。
恐る恐る一口噛むと、グニョーとする。長い間の煎餅界との付き合いがここで絶たれる。なんだかな〜これってと思いながらグニョグニョ食べ進むと、じわぁーと焼け焦げたような香りと共にお醤油の味がしみ込んで来る。一度知ったら別れられない奥深い味だ。

若い時初めて知った年上女性の濃厚かつへばりつく味だ。
ああ、これはなんだ、なんなんだと列車の中で二枚も食べた。
明石家さんまは歯並びのいい出っ歯で美味なるものを齧ったのか。

一度仕事をした時、撮影に二時間当然の様に送れて来た。
ある通信会社の社長たちが花束を持って待っていた。“エライスイマセン”(謝るという概念はハナから持っていない)、ドコドコで撮りハルの、ヤロ、ヤロ、ハヨ、ヤロと言ってメイク室へ。

それでもさすがにプロ、遅れた二時間分をキッチリ埋め合わせして一年分を撮り切った。凄腕のプロデューサー立花守満氏が見事に仕切った(約束は確か十時間だった)。
スタジオ丸ごと借り切って、第一から第二へ、第二から第三へ、そして二階へ。
頭の回転力、お笑いのプロとしてのサービス精神、言葉の発信力、女性にモテるオーラの全てを持っていた。

キャッチフレーズは「日本一しゃべる男の。」であった。
達人、岩崎俊一氏が書いた。明石家さんまは、バリバリ食べるといい味の煎餅。
銚子の「ぬれ煎餅」はその真逆。逆もまた、真なりというから、銚子電鉄を救った逆転の発想、その土地を生かした商品開発に乾杯であった(お酒の友としてもいい味)。
知らずにいた私が恥ずかしいのだ。

2014年5月30日金曜日

「ローリングさざ波」






会うが別れの始めという。
645年大化の改新以来、千数百年に渡り権力を求めて集合離散、裏切り、寝返り、宙返りを繰り返して来た。

アロンアルファで、強力ボンドで、ガムテープで、セロテープで、セメダインでくっつけても人間という生き物は集合離散する。これは人間の本性だから。

国家権力というものを持った人間は例え、××でも、××でも、人事権を握った強さは計り知れない。君には××を、君には××をとささやかれた瞬間に全身に漲っていた反抗心はグラグラ、フニャフニャ、メロメロになってしまう。
それが不渡り手形だと知るまで期待に胸を踊らす。
人間=人事と置き換えても過言ではない。人事=人の事なのだから。

民主党、日本維新の会、みんなの党、結いの党、生活の党、その全部を足しても支持率は10%位でしかない。ある調査によると権力政党自民党は37%。
ここで100引く47をすると、残りは53%、この中に公明党がいて共産党がいて社民党がいる。これらを足すと8%ほど、53引く845。これが支持政党なし。
ほぼ45%位が無党派という事になる。強大な国家権力に立ち向かえるのはこの人たちなのだ。

歴史も日本史も教える。
全ての王朝、帝国、独裁国を倒したのは弱き民たちだ。
この民たちが怒りを爆発させた時、人事、人事、人事、ポスト、ポスト、ポスト、週刊ポストみたいにポストを売って来た権力は弱体化し必ず滅びる。
それを恐れる権力者は、利権、利権、利権、理研のワカメちゃんみたいに黒いヒラヒラをちらつかす。黒いヒラヒラ=お金と思えば分かり易いはずだ。
残念ながら、人事→利権がガッチリ手を組むと、 CURE556をもってしても離れない。

犬吠埼観光ホテルの一室、午前四時二十四分日の出を狙って待機中、天気予報は曇のち晴れ、窓の前は押し寄せる波、私はずっと起きている。頼む、お天道様出て下さい。
十時十八分の特急で絶対東京に帰らなくてはならないんです。絶対の晴れ男でロケの予備日を使って来なかった。銚子には日本でここだけという。

地球はまるく見える丘公園がある。その中心に立つとほぼ360度グルリと地球が丸い事を見る事が出来る。そこは円を描くコンパスの中心点だ。

さて、この地球は丸く治まって行くのだろうか。
窓際にあるマッサージ機の全身回復ボタンを押した。もみ上げ、もみ下げ。ローリングさざ波という表示が出た。頼むぞさざ波よ。全身岩よりガチガチに固いんだから。
生きているのが不思議な位に。機器の名はrelax solution

2014年5月29日木曜日

「はっとして…」




自分に足りないのは雑談力と表現力。
こんなサラリーマンが多いという調査結果が注目されている。

VSN」が2040代の会社員600人を対象に行った、「ビジネスパーソン意識調査」だ。それによると、自分に不足しているスキルとして一番多かった答えは「雑談力」の29.2%、二位が「表現力」で27.2%だった。

雑談力は世間の幅広い情報を得て、社員同士などで分け合う能力。
表現力はそうした話をきちんと分かりやすく伝える力。
顧客とのビジネス会話に重要なのだと。メールに依存していると他人との雑談する習慣を身につけることができないという。世間の事象に関心が薄い、新聞おろかテレビも見ない、世の中の事を知らないから、黙って人の話を聞くしかないのだと。
大切なのはテレビのコメンテーターになったつもりで話を展開していく表現力、お笑い芸人の気の利いたジョークの使い方に学べだと。

人事コンサルタント(菅野宏三氏)曰く、日本のビジネス会話は商談は4割で後は雑談でいい。現代では会話が面白くない人は仕事ができません、なんだと。本当かなと思うけど。

何しろ私は雑談が多過ぎてブーイングだらけだ。
 10の内、9は雑談と、ホラとハッタリだから。講釈師、見てきたようなウソを付く。
そんな言葉がピッタリなんだもんな。

最も司馬遼太郎の本を読むと殆ど講釈師に近い。
坂本龍馬が立ち小便をしている横に居たみたいに書いているからな(先生はヒーローしか小説にしないからエッセイの方がずんといい)。
まあ歴史小説は本当の事を誰も証明できないから好き勝手に雑談書き放題だ。

 2020年東京オリンピック招致成功の影の立役者、ある外国人プレゼンテーションコンサルタントがこんな成功談をのたまわっていた。
プレゼンテーションの70%はプロジェクトの自信を語り、30%は感情を表現するんだと。法外なギャラをとっている割にはつまらない外国人だった。
「お・も・て・な・し」を振り付けた。「た・い・し・た・こ・と・な・し」

プレゼンはヨーイドンと始まった時、最初のコンセプトフレーズ、中盤の熱意と自信、ラストの大声だと思っている。後は雑談かな(?)大声の中身が勝負を決める。
キーマンを見定めたらずーっと目を見続ける事だと思っている。
これからの時代をつくって行くのは、これからの人材だ。

ガンバレ!“これから”だから。殺気を含んだガンを飛ばす。
キーマンから逆にガンを飛ばされて横を向いたり、下を見たらそこでオシマイ。なんてエラソーな事を言ってしまった。ここまで書いたのは、雑談と思って下さい。
ブーイングはお許しを。何しろ不眠症なもんで。

いちばんプレゼン力を高める曲がある。
確か田原俊彦が唄ったかな(?)それは「ハッとして!Good」キーマンにそう思わせたらオシマイにならない。

2014年5月28日水曜日

「中野裕之監督の最新作」




鳥肌×鳥肌×鳥肌を延々と続けると、人間は全身総毛立つ。
頭から足の先、そして五臓の隅々まで総毛立つ。

ONE OK ROCKというハードロック四人組のドキュメンタリー映画を観た。
1時間43分、渋谷パルコPART3、8Fシネクイント。
五月二十七日午後613分から8時まで。

中野裕之監督が若いハードロックバンドの世界ツアーをずっと撮影し(二ヶ月間全て手持ちで)編集して作り上げた(通常の映画八本分を撮影)。

フランス→ドイツ→イギリス→オランダ→韓国→香港→タイ→シンガポール→マレーシア→台湾。チケットは即完売。世界11カ国のツアーだ。
当然の事だが、宗教も、言葉も、風習も、ファッションも、建築も、食事も、音楽も、歴史も全て違う人々がこのバンドの存在をネットを通じて続々と集まる。
肌の色の違う人、人、人の大行列、何日も前から並ぶ若者たち。
そのライブはかつて見た事のない極烈、強烈、激烈なものであった。

約数千人の観客でビッシリと埋まる。人と人の隙間は無い。
絶叫と熱狂が建物をブチ壊し、大地を破壊するほどステップし、全員がジャンプする。ロックは世界を一つに出来る唯一無二の平和への武器なのかもしれない。

2005年にバンドを結成し、武道館、横浜アリーナで大成功させたそのライブパフォーマンスが若者に熱狂的支持を得ている。
ボーカルTaka、ギターToru、ドラムスTomoya、ベースRyota
ユーチューブではすでに2000万回以上再生されている。
日本にこれほどのハードロッカーがいたとは知らなかった。

最高にリスペクトしている中野裕之監督と日本で一番早い夜明けのシーンを撮りに二十八日から犬吠埼に行く、その前に絶対に観ておかなければならないと思い渋谷シネクイントに行った。

中野裕之さんは、また一つの伝説のドキュメンタリー映画を生んだ。
ボーカルのTaka26歳、なんとあの森進一と森昌子の間に生まれた子だ。
「港町ブルース」の父と「哀しみ本線日本海」の母が、最高の化学反応をして、最高のハードロッカーを生んだのだ。

人間はなんて素晴らしいんだろうか。
身長160センチほどのTakaがまるで数メートルの巨人の様に見えた。
料金は一律2200円。これを観ずしてロックは語れない。
FOOL COOL ROCK!! エンドロールに世界11カ国の膨大な制作スタッフの名が出た。
私は思わず拍手をした。みんなロックバカな奴なのだ。
いつもながら中野裕之さんのタイトルデザインが素敵だった。

2014年5月27日火曜日

「せちがらい世の中に」

イメージです


とかく人の話には尾ヒレがつくものです。
話半分位で読んで下さい。

ある喫茶店兼ランチ店の主人の話。
私の店の人気メニューはスパゲッティナポリタン。
一人のお客さん(中年男子会社員)は、チーズを全部かけるのです。
ナポリタンの上が真っ白になるのです。そこにタバスコを全部かけるのです。
大損害なので、そのお客様には特別に3分の1以下しか入っていないチーズとタバスコを用意しているのです。このお客は時々バックレてスポーツ新聞を持って帰ります。
特に金曜日、週末競馬があるからでしょう。

あるお蕎麦屋の主人の話、そのお客さんは、ほぼ毎日一人でくるのですが一度もお蕎麦を食べた事がありません。ビールセットというのがあります。
小生ビールに板わさが三切れついているのです。それだけを頼んで一番稼ぎ時の午後十一時半から一時半迄四人掛けの椅子に座り続けるのです。
四人で来たお客さんが来てもどいてくれないのです。
フリーペーパーをずっと読んでいます。店員たちが嫌がらせではと言うのですが心当たりはないのです。半年位前に引っ越しをして来た様です(七十歳位の男性とか)。

あるラーメン店の若主人の話、そのおばさんのアダ名は“パックオバサン”バイトの店員さんが付けました。自称六十八歳独身とか。週に二、三度来ます。夕方五時半頃に。
野菜炒めとか、レバニラ炒め、焼きそばとかザーサイチャーハンが好きなのです。
ショットグラスに老酒を三杯、グビッ、グイ、フーという具合に飲みます。
つま味は決まってシナチクにネギのせです。で、必ず持って来たパックにほんの少しでも食べ残した物を全て入れて輪ゴムで止めて帰ります。
この間、隣で食べていた人の残り物をパックに入れようとしたので、すみませんやめて下さいと言ってしまいました。私は悪かったのでしょうか。

こんな話がアチコチで聞こえてくるのも高齢化社会のせいでしょうか。
政府は年金支給を七十五歳からにしては、なんて画策しています。
国民が納めた年金130兆円を株に投資しろ、なんてオドシ始めました。

人の話に尾ヒレはつきものですが、有識者といういい加減な者たちの話は、街の占い師よりあてになりません。
近々、喫茶店にあるチーズや、タバスコが有料になるという話もある様です。
まさかと思っているのですが。皆さんかけ過ぎには十分注意して下さい。
世の中かなり“せちがらく”なって来ているのです。

2014年5月26日月曜日

「感激と観劇」






かつて映画界では、役者になったら一度は演じたいという役があった。
清水の次郎長、国定忠治、大石内蔵助、織田信長、それと江戸の侠客、幡随院長兵衛だ。河竹黙阿弥作である。

戦社会でなくなりヒマと刀を持て余し遊興と喧嘩に明け暮れる旗本たち、そのリーダーが水野十郎左衛門だ。一方旗本の喧嘩相手、町奴の親分が幡随院長兵衛だ。
やがて相方引くに引けない状況になって行く。

水野は幡随院長兵衛を殺す事によって解決するしかないと決断する。
日頃の事を酒を飲みながら水に流そうと幡随院を家敷に招く。
妻や子や子分たちは、行けば必ず殺されると言って止めるが、幡随院は自分の死をもって、江戸の町から旗本と町奴の喧嘩を無くそうと決意し身を正し、水野十郎左衛門の家敷に一人で行く。

水野は幡随院長兵衛の侠客としての器量を高く買っているのだが、争いをまとめるには誰かがその命を捨てねばならない。
家来が幡随院に酒を注ぐのだがわざと着物の上にこぼす。
濡れていては気持ちが悪かろうと、水野は風呂に入る事をすすめる。
そのうちに着物も乾くだろうと。

幡随院は剣術の達人である事を知っている。
風呂に刀は持って行く事は許されない。水野が自分以外の死人を出さずに自慢の槍で殺すであろう事を知って風呂場に入る。
許せ幡随院長兵衛、馬鹿な旗本共はこの水野がお主の命と引き換えに、江戸市中で暴れる事をさせない。お主ほどの人物を殺さなければならない我が身を悔やむ。

家敷の外には子分たちが棺桶を持って待っている。
親分、幡随院長兵衛の命令であった。オレが殺されたらその生命を無駄にするな、二度と旗本たちと喧嘩をしてはならないのだと。



と、むかしはこんな侠客がきっと居たのだろう。
男と男が立場は違うが意地は通さねばならない。
いつの世もリーダーは命をかけて守るべきものは守らねばならない。

五月二十四日(土)歌舞伎座二階席で夜の部を観た。
幡随院長兵衛が市川海老蔵、水野十郎左衛門は尾上菊五郎であった。
愚妻と一緒だった。終わると、ラストが「少し物足りないわね」と言った。
バカ者め!だがしかし確かにもう少し男泣きする終わりの筈であったのだ。

 この日は、社会的に弱い立場の人たちの就労活動を支援するチャリティ「マラソン」ではなく、未来に向かって走る「ミラソン」の日であった。
午前八時から午後二時まで、お台場の会場は「ミラソン」一色であった。

名付け親としては、その参加数の多さと、出店の多さと、ボランティアスタッフの多さと、ミュージシャンの素敵なステージ、様々なアトラクション、玉川大学の美女たちのダンス、ゆるキャラたちに感激であった。

弱い人のために走る親子2km、個人は5km10km、老若男女、少年少女(最高齢は何と80歳)たちの走る姿のなんと美しい事か。
人は人を守るために生きねばならないと、心を新たにしたのであった。

1300人以上のランナーが「ミラソン」に参加してくれたのだ。
「天気晴朗にて涙多し」拍手、拍手で手が膨れ上がってしまった。
優勝者のタイムは10km33分と少し、殆ど短距離走の速さで猛然と走り切った。

私のお世話になっている会社の女性(トライアスロンをやっている)は10km走で女子では9位、美人の奥さんと来た男性は目標の一時間を切る58分と少し、ヤッターであった。
上司の方もわざわざ応援に来てくれた。
もう一人の女性、男性社員の親子も完走してくれた。

 後輩のアートディレクターが手伝いに来てくれた。スゴイ!速いと拍手し続けていた。
このチャリティに参加させてくれた友人は、海外出張から帰ってそのままカエルの帽子をかぶって汗びっしょり10kmを完走した。
他にショートケーキ風、オサカナちゃん風、ちょんまげ町人風、ガンダム風、サザエさんのお父さん波平さん風とか仮装も様々であった。一つの会社から50人も参加していた。

そんな感動をした後に、幡随院長兵衛を観たのであった。
帰宅してからは午前三時半〜午前七時少し前まで、サッカーのヨーロッパ選手権決勝をライブ中継で見た。

つまり五月二十四日〜二十五日まで一睡もしないで感激と観劇、そして飛びきりの興奮をしていた事になる。


2014年5月23日金曜日

「田中凛太郎さん」




銀座の仕事場。
「もしもし、○△だけど今何やってんの」
「今ね、仕事しながら大相撲を見てんの」
「時間があったら飲みに来ない、以前話をした電通出身でさあ(新聞雑誌局にいた)ロサンゼルスで写真撮っているカメラマンと一緒なの、紹介するから来ない」
「えっ、あの革ジャンとアロハシャツの写真集を撮って自分で出版した人?」
「そう田中凛太郎君」
「会いたい、会いたい、仕事片付けたら行くから」
「明日朝から出張だからなるべく早くね」
「はい、分かりました」

お世話になっている広告代理店の社長からの電話であった。
大相撲が好きなので仕事中はテレビを付けっ放しにしている事が多い。

人に会うのが私の仕事、それもぜひ会いたいと思っていた写真家がロスから来ている。
行かないでなんとすると地図を持って茅場町へ。

おっ、こんな所にこんないい店があったのかと思う気の利いた和風料理店、○△さんはと一階で言うと、お店の女性にお二階ですよと案内された。
畳の上にテーブルと椅子席(四人掛)が確か四つあった。
他にお客はいなかった(後で三人来た)。

入り口の席に社長さんと田中凛太郎さん。
タイ人とベトナム人とフィリピン人を合わせた様な感じ、年は四十三歳とか。
陽灼けした顔、長い髪、ムエタイのチャンピオンの様だ。
体は普通の日本人の体型であった。

この人は凄い、ありとあらゆる革ジャンを集めて一大写真集に。
またありとあらゆるアロハシャツを集めて一大写真集に。
それも自費出版、ゴッツイ厚さである。日本の出版界で今、写真集といえば30005000部売れたら大ヒットだ。田中さんは初版15000部位を売ってしまったのだ。

自分で集めて、自分で撮影して、自分で出版するという奇跡的な人。
アロハ大好きな私にとってアロハ写真集を初めて見せてもらった時は鳥肌がチキンチキンに立った。どれも素敵なアロハばかりであった。

で、田中さんはというと、実に気がつく人で、グラスに氷を入れてくれるわ、水を入れてくれるわ、料理をあれこれお皿に乗せてくれるわでびっくりしてしまった。
慶応大学を出て電通に入社したのだが、四年で辞めて写真家への道を進んだのだと。
いいねえこういう人は。お母さんが心臓の手術をした後「うつ」ぽいというので「うつ」専門家的私はいろいろ話をした。

初鰹、コンニャクイモ、山菜、煮干しみたいな小魚の焼き物、野菜の煮物を三人で分け合い食べ合った。どれも旨かった。

話はやはり次の写真集の話に。
田中さんはコールマンのランプの灯りを集めて夕方から夜にかけて自然光で様々なシーンを撮っているのだとか。目は少年の様にキラキラ輝き続けた。
今日金曜日にロスへ帰る。住まいが横浜というので一緒に東海道線に乗った。
社長さんとは茅場町でお別れした。じゃあね〜また来週と言ってサヨナラした。

その二日後夜遅く帰宅すると、愚妻がなんだか重たい物が届いて来てるわよと小荷物を指した。伝票を見ると田中凛太郎の名前、もしや、もしやと荷物を開けて見ると、ジャーン、ジーンズ地のオシャレなかばんの中に二冊の写真集が入っていた。
深夜であったが携帯に電話をしたら留守電だったので御礼を残した
朝九時頃電話が入った。写真集ありがとう、また会いましょう、写真集頑張ってと言って電話を終えたのだ。

五月二十二日の事である。
http://myfreedamn.com/ 是非調べてください感動指数100%です。

2014年5月22日木曜日

「横浜線にてゴツンとグスン」




私は田中将大投手の大ファンである。
実のところ早く一敗しないかと心を込めて祈っていた。
日本通算34連勝、今度のシカゴ・カブス戦に勝つと途方も無い35連勝だ。
いくらなんでも勝ち過ぎる。好事魔多しという言葉がある。
早く一敗しないと何かとんでもない事が起きるやもしれないと心配していたのだ。

20日カブス戦、雨降りしきる中、34回に各1点、6回に2失点、7回の打席で代打を送られて敗け投手となった事を夕刊で知った。
あ〜良かった、これで心配の種が一つ無くなった。
次の登板から35連勝を目指してほしいと願うのであった。

将棋の名人戦で羽生善治(三冠)、挑戦者が森内俊之名人に4連勝して名人位を奪った。
どこまで強いのかこの人は。
無敗の全勝横綱白鵬が豪栄道にアララの敗けを喫した。これでいいのだ。
大飯原発再稼働はマカリナランと地裁が原告を勝訴にした。
厚木基地上空騒音問題で自衛隊は飛んだらイカンという事になった。

勝負の世界や裁判に、勝ち敗けはつきものだ。敗けて学べの格言もある。
常勝は必ず大きな不幸を呼ぶと歴史は教える。
独裁政権がグラグラしはじめた。

昨日午後三時頃私は淵野辺駅から横浜駅に向かう横浜線に乗車していた。
乗車口側の三人掛けに座っていた。隣に256歳の女性が座っていた。
その隣には大学生とおぼしき若い男が座っていた。
女性の前に身長180センチ位のすこぶるいい男が立っていた。

淵野辺駅を出てしばらくすると、女性がグスングスン泣き出した。
男は少し低い姿勢となって膝頭で女性の膝頭をゴツンゴツンとやる。
黒くて長いつけまつげの下のちんこい目からゴツンゴツンとされるそのたびに涙がポツンとたまりスーッと落ちる。

私は政財界情報誌を読んでいた。
電車が東神奈川に着こうかという時、男がはじめて言葉を口にした。
40分間位二人はゴツンゴツン、グスングスンだけだったのだ。

「敗けたよ、泣くなよ」とポツリ言った。
私の目の前に車額ポスターがあった。竹野内豊が缶コーヒーを持っていた。
キャッチフレーズは甘い香りと大きくノサバッテいた。
若い男女に甘い香りが湧き上がる事を願った。
喧嘩するほど仲がいい、嫌なら喧嘩をするもんかという小林旭の歌がある。

ポール・マッカトニーが体調不良で全ての公演をキャンセル、この間行っておいて良かった。主催者はトホホのホだな。雑誌には嘘か真か面白い記事が書いてあった。
オバマ大統領は「すきやばし次郎」で“赤身”は口にしなかった。ホ
テルに帰って“白身”の寿司を食べたとか。
おまかせは口に合わなかったのか、それとも話し相手が口に合わなかったのかもしれない。