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2014年8月20日水曜日

「隣人を愛せか」



誰が創ったか人間を。
それを科学的に証明は出来ない。
人間が違う言語を持ち、違う皮膚の色を持ち、違う宗教を持った。
人間と人間は永遠に戦う宿命を与えられた。
地球という縄張りを取り合う仁義なき戦いだ。

相手のトップの首を取るのが正しいやくざ者の戦いだが、今世界中で様々な人間の首を取り合っている。政治家の首、軍人の首、スパイの首、ギャングの首、商人の首、金貸しの首、守銭奴の首、性欲者の首、そしてか弱き者の首、若い娘の首までが切り取られる。

文明の発達は人間の退化へと進んできた。
もし創造主というのがいるのならこの主はきっと残忍なのだ。人間を実験しているのだ。今日ある命が明日ある保証はない。
 J・オッペンハイムは「人間はこの宇宙の不良少年である」と言った。

アフリカで発生したエボラ出血熱は、創造主の最終的実験なのかもしれない。
もしこのウィルスが戦争に使用されたら、そう思うとゾッとする。
人間よ隣人を愛せなのだ。

私といえば東京駅から帰宅列車に乗ったところ実に運が悪く、隣に暑苦しい男が座って来た。週刊ポストのヌードグラビアを脂ぎった指でバラバラめくっていた。
当然いきなり缶チューハイをゴクゴク飲み、グリンピースをボリボリやっていた。
首筋に汗がたっぷり浮き出ていた。こんな隣人を愛す事なんて絶対できねーのだ。

幸いにも新橋で斜め前が空いた。私は慌ててその席に座った。
どっと人が入って来た。
「ナイフで切ったように夏が終わった」パルコのコピーが頭に浮かんだ。



2014年8月18日月曜日

「八月十五日に思う」




マジ戦争なんて起きるわけないじゃん。
ウソーヤダヤダ戦争で死ぬなんて、絶対行かねえよ。
えっ、原爆(?)だって、このヒロシマの街今こんなにキレイだしわかんない。
自衛隊っていろんな免許取れるところでしょ。カッコいいじゃん。
あんた行けば、ヤダよ、オレ朝まるで弱いし。……(?)(?)(?)

八月十五日、六十九回目の終戦記念日、正しくは敗戦記念日。
なんでそんなに有名な記念日なのに休日になんねえーの。
十代の若者たちは街でこんな事を口にしていた。
キミに赤紙が来て嫌でも戦争に行かされるかも知れないよ、そんなの無視、ムシ、虫、虫コロコロキンチョールみたいで全くキンチョー感なし。

 ある自衛隊の基地、列車の車両のような中でじっと息をのんでいる隊士、スクランブル、スクランブル、脱兎のごとく駆け出し格納庫へ。
五分後戦闘機は発進。二十二歳の若者、自分は命令に従いそれをするだけ、難しい事は一切考えない様にしています。
希望する所へ就職できなかったので自衛隊に一度入りました。
本物の鉄砲を初めて撃った時、あまりの衝撃に肩を痛めました。と語るあどけない若者。


なんだかんだって言ったって、平和だし、合コン楽しいし、学校まだずっと夏休みだし、でもさあーアベちゃんケッコーキケンじゃないの、チョビヒゲをつけるとヒトラーそっくりだし、な、な、な、カンパイ!ヤッホー!こんな若者ばかりでない事を切に願ったのであった。次の時代をよろしくたのんまっせ。

2014年8月8日金曜日

「いい夏休みを」



ついこの間箱根駅伝を見ていた。
ついこの間梅の花を見ていた。
ついこの間桜の花を見ていた。
ついこの間五月の空を見ていた。
ついこの間ついこの間と思っている八月八日。

400字のリングは八月十八日まで休筆します。
みなさんいい夏休みを。いい思い出を。

2014年8月7日木曜日

「金魚だって焼き魚」




小さな庭にある、小さな池、その中に三匹の赤い金魚がいるのだがあまりの暑さに酸欠を起こし口をパクパクしていた。

このままでは金魚が焼き魚になってしまうと考えた。
何しろ金魚の言葉が聞こえたのだ。アヂー、アヂーと。

で、金魚に詳しい人に相談した。
(一)日影をつくる。
(二)水をチョロチョロ落ちるように出す。
(三)空調の室外機から出る熱風を遮断する。
(四)エサを余りやりすぎない。

小さな金魚も三年経つと立派な鯉のように見える。
賢いことにこれ以上大きくなると生きていけないと小さな池に合わせた大きさにしか成長しないらしい。

東海道線の列車の中に巨大、肥満化した大男が乗って来て私の横にどすんと座った。
黒いズボン、白いワイシャツは汗でぐっしょり。このヤロー随分暑苦しいなと思う。
腹がどこんと突き出てボタンが弾け飛びそうだ。カバンからマンガを出して読み始める。メガネが曇っているがお構いなしでひたすらマンガを読んで、ケッ、ケッ、ケッと笑う。体を揺さぶりだすと私は随分とキュークツになる。

100キロから110キロはあるであろう三十代中頃の男に私の全神経は奪われてしまった。
ブルルルル、男はガンマンのホルダーの様なところから携帯を出した。
このヤローこれで大きな声で話だしたら××にしてやると思った。左手にマンガを見開き。右手でメールを打っていた。すこぶる器用な男だった。ケッ、ケッ、ケッとまた笑った。

小さな池の中の金魚は教えに従って手当をしたので、すこぶる快適になったようだ。
夜、家に帰り懐中電灯で照らしたら赤い血の塊が気持よく泳いでいる様だった。

2014年8月6日水曜日

「助けてあげて下さい」




あなたの側に、疲れた。眠れない。
この言葉を日々口にする人がいたら、みんなで助けてあげて下さい。
しっかりしろ、がんばれ、たるんでる場合じゃない、こんな発言は禁句です。
「うつ状態」にある人は必ず、疲れた、眠れないを知らず知らず口にするのです。

私もこれを一度経験しました。
幸い良き仲間、良き友、理解ある人々、そして家族に支えられ今日があります。

理研の笹井芳樹・副センター長(52)が自殺したというニュースに接し、きっと「うつ状態」だったと思いました。
やはり、ずっと疲れた、眠れないを口にしていたといいます。
入院し薬も服用していたのです。それなのに周囲の人間は助け合わなかったのです。

すっかり精神的に参り、会議をしていても会話が成立しなかった、などと理研の人間は言い放す。全く鬼の様な人間たちだ。

先日NHKスペシャルで笹井芳樹氏を予算をとって来る天才であった、というような報道をした。それに相当なショックを受けた様であり、自殺への引き金になった事は間違いない。私はNHKの悪意に満ちた番組作りに見ていて腹が立った。

現在小保方氏がSTAP細胞ありやなしやを行っている最中にNHKは、男の声、女の声を使い、笹井氏と小保方氏の会話のやりとりを下世話に再現していたのだ。
また関係者を何人も出し、いかに笹井氏が論文作成の天才であったという言葉を引き出していた。勿論それは捏造的論文作成を指しているのはいうまでもない。

理研→利権、怖ろしい闇の中に一体何が起きているのだろうか。
それを正しく報道する機関はこの国には残念ながら無い。
小保方氏の命も危ないといえる。気持ち悪い利権のリーダーが「もう少しがんばってほしかった」とテレビのインタビューにシラジラと応えていた。
疲れた、眠れないを口にする人がいたら、何しろゆっくり休んでもらい、ちゃんとした治療やカウンセリングを受けさせてあげて下さい。

2014年8月5日火曜日

「ガタが来てる夜」



上を向いたらキリがない。
下を向いたらアトがない。
後ずさりしたらガケがある。
今いるところが丁度いい。

毎日八畳間で寝ていた人間が六畳間に寝る生活になった時、オレはずい分落ち目になったとショゲた。
毎日三畳間で寝ていた人間が、四畳半で寝る生活になった時、あまりに広く感じるんだな一畳半の違いはと胸を張った。
猛暑と猛雨、日本列島は大自然の感情の起伏の激しさに言葉を失っている。

四畳間に寝る私にとって、室内温度が丁度いいことはない。
かなりガタがきているダイキンエアコンの感情の起伏も相当に激しい。

リモコン操作に夜は疲れ切る。
28度暑い、27度やや暑い、26度やけに“寒い”。
で、又、27度へ、28度へ。なんだかベタベタする。
で、ドライにする。+2効果なし。+1大差なし。
いっそ-1に、と突然年老いたダイキンは唸り声をあげて叫び出す。部屋中が“冷たく”なる。
で、又冷房に、おやすみにセットしてもその機能は役に立たない。
快眠冷房、健康冷房も全く機能停止。
このバカヤローと言ってリモコンを操作する。これを何度も繰り返す。

ず~とむかしに買って、二度の引っ越しを経験してきたダイキンだ、人間ならとっくに停年退職だ。六畳~八畳間用だから、四畳間という半端なスペースとダイキンの中の頭脳部分(組み込まれているらしい)が上手にやりとりできないらしい(電気屋店主談)。

私の辞書に「快眠」という2文字はない。

上を向いたら細く短い五本の内の二本の蛍光灯が、もうすぐお終いの合図を送り出している。
両端が黒ずんで来て灯りが不規則になっている。
バカヤローパナソニックめ、この間取り換えたばかりなのに。

こんな状況こそ私にふさわしい居場所なのだ。ぜいたくを言ったらキリはない。

午前二時二十八分四十九秒。
いつものグラスにビールを注いだ。
どこから入って来たのかカナブンが壁にへばりついていた。

2014年8月4日月曜日

「一回は十戒」



過去に一回観た「十戒」を500円で買って来て観た。
他に100円で、ヒッチコックの名作「汚名」オットー・プレミンジャーの代表作「黄金の腕」だ。
「十戒」は一九五六年パラマウント映画製作の大巨編229分監督はセシル・B・デミル。
今から58年も前、CGも全てない時代に、よくぞまぁこんな巨大な学芸会を作ったもんだと改めて感心した。

一九五六年は日本の文化史にとって極めて重要な年であった。
若き石原慎太郎の「太陽の季節」が芥川賞を受賞する。
やがて太陽族ブームが起き、そして石原裕次郎という大スターが出現する。

アメリカではエルビス・プレスリーが登場しロックンロールが大流行となり、不良がスタイルとなる。
この頃から東京の新宿辺りで、アングラブームが起きサブカルチャーと呼ばれていたものが地下から地上へ、ニューと顔を出した。
寺山修司、唐十郎の登場だ。
街頭テレビには数万人の人間と人間がへばりつき、力道山に熱狂しはじめた。
若者たちが不良こそ最良だぜとなった。

日本の文化史にとって特筆すべき年に皮肉にもモーゼの「十戒」はつくられた。
そしてモーゼの時代と同じ今なお中東アラブ、イスラエル・パレスチナは終りなき戦争の中にある。
この戦いに終りがある訳がない。四百年しか歴史のないアメリカが三千年以上戦っている民を説得できるはずはない。
映画「十戒」の主役モーゼには、チャールトン・ヘストン。エジプトの王ラメスには、ユル・プリンナーであった。

「十戒」は一回は観てもいいのだが、話の内容は古事記とか日本書紀の様なもので、あくまでも途方もなくお金をかけた、学芸会をみるつもりでがいいと思います。
(文中敬称略)

2014年8月1日金曜日

「震えるオジサン」



オジサンの手はガタガタ震えていた。
新橋駅前ビル二階にあるジーンズショップ。
7200円の黒いジーンズを一本買うことにしたのだが出て来た七十歳位のオジサンは朝イチのお客がすこぶる人相の悪い私だったせいか、私の腰回りを計る手がブルブルしていた。

つまりは正確に計れなかった。
オジサン脱法ハーブでもやってんじゃないのと言ったら、メッソウもないといった。
私の買い物は即断即決だから、朝十時三十分オープン、三十四分に私がこれくれ、サイズ合うか計ってくれまで約二分。

オジサンはとっても私が怖かった様でパニクったらしい。
聞けば留守番だった。オジサンがサイズは3031323334と迷っている時に店主が来た。うらなりヒョータンみたいでジーンズショップの主人とは全く縁遠い感じだった。

聞けばわずか二坪ほどのショップを14年やっているのだとか、隣も二、三坪のジーンズ&アロハショップ。その店の前は足裏マッサージ、すでに男の足だけが六本見えていた(すごくシュールで気持ち悪い)。

で、結局A店でジーンズを買い、B店で長袖のアロハを一枚買った。
A店で買ったジーンズの丈はB店の主人がミシンで詰めてくれた。
その間わずか十五分ほどであった。お隣同士仲が良いのだ。

安いジーンズを買いたい人はA店、「ジーンズサンショウ」で。
ヴィンテージアロハを買いたい人は「ブロンクス」に。

但しA店のオジサンはかなりブルって震えるので心して行って下さい。
「ブロンクス」の店主は相当なプロフェッショナルです。いいアロハが揃っています。

2014年7月31日木曜日

「トンでもない話」






今村昌平監督の代表作に「豚と軍艦」というのがあります。
上映した年のベストワンになった映画です。ヤクザ者が養豚業を営んでいるのです。

丹羽哲郎や加藤武、小沢昭一が兄貴分で、チンピラ役が若い長門裕之でした。
吉村実子がその彼女役、映画初主演だったはずです。
初々しさが映画を際立たせました。

強いヤクザに憧れたチンピラが養豚をすることに対して反抗するのです。
最後は“トン”でもない事になります。
暴対法によりシノギが苦しくなったヤクザ者が養豚業を始めているというから、今村昌平はさすがに凄い監督です。何十年も前に今日を読んでいたのだから。

ジョージ・オーウェルの小説に「動物農場」というのがあります。
人間に支配されていた動物たちが反乱をし逆に人間たちを支配する話です。
そのリーダーが豚のナポレオンでした。

ある人はいいます。
動物園に行って動物を見て笑っている人間たちを逆に動物たちが見てきっと笑っているはずだと。動物農場では支配者となった豚のナポレオンがやがて“トン”でもない事になってしまいます。作者は権力と支配と独裁者の姿を豚に変えて反抗したのです。
私でも読めた寓話です。

値上げ値上げのラッシュの中で豚肉が高騰中というニュースを見ました。
その時顔に浮かんだのが「豚と軍艦」と「動物農場」の豚のナポレオンです。
それと“とんかつ”、“トンカツ”、“豚カツレツ”です。

ある年ビーフカツというのにハマったのですが、“トンカツ”の相手ではありませんでした。ビーフカツサンドもやはりトンカツサンドには全く歯が立ちませんでした。
沖縄でフォールムスという画期的ホテルをつくった友人のところで食べた“アグー豚”のしゃぶしゃぶは“トン”でもないほど美味しかったです。
生まれてこの方“トン”でもないほど美味しい牛肉は食べた事はありません。
豚肉の値上げ大反対!

「赤紙」






「もしもし」
「ハイハイ」
「もしもしこちら茅ヶ崎市の納税課の者ですが」
「ハイそれが何か」
「あの〜ですね固定資産税の納付がされていません、通知が届いているはずですが」
「何か来てたなねずみ色の細長い封筒だろ」
「ハイそうですそれです、二期分が滞納になっています、納税をしてもらわないと差し押さえになります」
「いいよ差し押さえに来てよ二万四千円分を差し押さえるのを見てみたいから」
「もしもし差し押さえですよ」
「ぜひ来てよ何を差し押さえるか知りたいから」
「…」
「もしもしどうしたの」
「…すいません少々お待ち下さい」
「今からでもいいよ待ってるから」
「そう言われても…重加算税がかかりますよ」
「いいよどうぞかけて下さい」
「もしもし◯×さんご本人ですか」
「ハイご本人さんだよ」

こんなやりとりは必ず休日に起きます。
平日はご本人が留守だと思っているので休日に電話して来るのです。
追加の差し押さえ通知が来るまでいつも放っておきます。
本当に来てほしいと思うのですが、時々愚妻が振込に行っているようです。
小さな家の名義が二人だからきっと愚妻にも何度か電話が入っているのでしょう。
二万四千円の差し押さえなんか来るわけないわよ、などと言っているのですが。

ガキの頃家に帰ったら、机やタンスや傘立てや長椅子や柱時計に赤い短冊の様な紙がベタベタ貼ってありました。もう一度その光景を見てみたいのです。
今度電話があったら迎えに行こうと思っているのです。
赤紙は何枚貼られてもいいが、孫たちが赤紙一枚で戦争に行かされる時代は断固として反対しなければなりません。