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2015年8月10日月曜日

「いい夏休みを」




皆様、暑中御見舞い申し上げます。
「かろうじて」という言葉がありますが、正にかろうじて熱暑の中を歩いております。
重い鞄を持ち銀座松屋の前を歩いていたら老婆に追い越された。
ヤバイ俺は相当にヨタヨタ、トボトボと歩いているのだと思い、老婆を追い越しにかかった。だがしかし、ことの他老婆は速くというか私の足が重く追い越すのにやっとの思いだった。

昼、金沢料理の店の和食弁当を食べるのに箸が重く進まず、お茶碗のごはんを半分かろうじて食べた。少しのおかずで腹一杯。
外に出ると熱風が全身を襲いなんだこりゃあと声を発し遅歩、遅歩(こんな言葉はない)と重ね仕事場に向かった。あっという間に汗びっしょりとなった。

歩道橋を渡る時、大きく息を吸い込みヨシ気合だと階段を登った。
見た目20代の建築職人さんが二人缶コーヒーを飲みながら、階段をひとっ飛びしながら追い越して行った。さすがに職人さんを追い越す気合はなく、かろうじて大股で一段ずつ飛ばして登った。二段に挑戦しようと思ったがやっぱ止めとこと思いマイペースにした。

400字のリングは八月十七日まで休みとします。
十七日はサントリーホールで読響のコンサートを聴いて気合を入れます。
「運命」と「未完成交響曲」です。愚妻と共になのでなんとなく運命を感じ、未完成を感じるのです。皆様どうかいい夏休みをお過ごし下さい。

決してひとっ飛びなどしないで一歩一歩ゆっくりとを心掛けて下さい。
“かろうじて生きる”というのは生き方の極意だとどこぞの高僧がおっしゃってました。
ほどほどがよいということなのでしょう。

湘南の地に来ることがあればお電話下さい。
旨い鳥仁の焼鳥を食べながら冷えたビールでも共にしましょう。

海岸に行くと早トンボちゃんが気持ちよさげに風の中にいます。
夕陽は赤く大きくすでに秋を呼んでいます。小林旭の「赤い夕陽の渡り鳥」など口ずさみながら自転車を走らせています。

八月八日はもう暦の上では「立秋」です。

2015年8月6日木曜日

「一戸広臣さんのスイカ」




暑い、暑い、もの凄く暑いという飛び切りのぜいたくを毎日味わっています。
ガリガリ君をガリガリ一日一本、青いカキ氷を四日に一個、ソフトクリームを週に一本、冷やし中華を月に三回、冷麦、ソーメンをほぼ毎日交互に。

赤いスイカをあるまで少しずつ。
と思っていたら青森の陶芸家、一戸広臣さんからどーんとでっかいスイカが二個送られて来た。津軽亀ヶ岡焼きで有名な陶芸作家さんだ。
これでこの夏はスイカを買い求めないですむ。

一戸広臣さんのお宅の庭には竪穴住居がある。
アトリエ&ギャラリーに来た人をここで歓待してくれるのだ。目の前は広大な畑だ。
その畑で生まれた数あるスイカの中から選ばれた二個が、私の目の前にでーんとある。
何か運命的出会いを感じる。

縄文人はスイカを食べていたのだろうか。
今でも3000坪を100万か200万で買えるのだろうか。
はじめてお宅に行った時、30分以上車で走って一軒の家もなかったと記憶している。
畑買って住みませんかと一戸広臣さんはいった。
巨体から出る言葉はこれ以上なくやさしい。

人間らしい人に会いたいと思ったらぜひ訪ねて下さい。
きっと竪穴住居で鮎やイワナなどを焼きながら旨い酒を自慢の器で出してくれます。
とてもステキなご夫婦です。

「ラ・ベットラの側」




午後四時十分三十六秒、銀座二丁目20番と表示されている電信柱がある。
そこにはスタンド式の灰皿が置いてある。つまり喫煙所なのだがどうにもシマらない。

男三人、女性二人が口から、鼻から煙を出していた。
五人共に汗びっしょり、オバさんは手に買い物袋を持っていた。 
大根とネギと枝豆が入っていた。

若いOL風は左手にスマホを持ち器用に手を動かす。
突然笑い出したので隣にいた中年会社員風の男がビックリする。

ビックリした男の隣にいたのは目の前の機械屋の主人だ。
暑いなあ〜と声をかけると、晴れ晴れするほど暑いな、夏はこうでなきゃといって煙草を旨そうに喫い込み大きく煙を出した。

自転車の前カゴに黒く重そうな鞄を入れた金融関係風の若い男は電信柱に 〉の字になって寄りかかり大きくため息をついて頭を左右前後に振った。
口から出た白い煙も不規則に動いた。みんな揃ってマッタリとしグッタリしていた。

ほんの十秒の間に銀座二丁目20番地の盛夏があった。
夏の煙草はあまり旨そうじゃないなと思った。
直ぐ側にある予約の取れないイタリアンレストラン「ラ・ベットラ」に女性が四人、店の外の木の椅子に座っていた。食べる気満々の感じであった。

2015年8月4日火曜日

「野火を観よ」




動物、植物、魚類、貝類、雑草、樹木、昆虫、鳥類、それに人類など。
大きな本屋の図鑑コーナーに行くと、えっ、こんな図鑑もあるのと驚く。
人間の歴史はこの図鑑に載っている物をすべて食べて来た歴史なのです。
はやい話人間は空腹に耐えられず、飢餓はいかなる人間も克服できなかったのです。

私が生まれた戦後は慢性的な食糧不足であった。
私たちはツバメの子がエサを求めるようにピーピー鳴きながら、親がエサをとって来てくれるのを待った。
都会に住む人々は、買い出しのために窓から身を出し、こぼれ落ちるほどのすし詰め列車に乗り、地方の農家へ向かった。
そして頭を下げて回り、ダイヤモンドと米を交換し、絹織物とジャガイモ、加賀友禅とダイコン、ニンジンなどと交換しては、大きなリュックサックを背負い帰って来た。
宝石類や時計にカメラ。刀剣や鎧兜、書画骨董類も胃袋に入っていったのです。
ハシッコイ者たちは、農家を回り、国宝級の名品を安値で手に入れて莫大な財を築いたのです。
何しろ元手はタダ同然だから。
今でも農家のどこかに名品はガラクタとしてあるはずだ。

鎌倉や銀座、青山の骨董屋に時々ブラリと入る。(買ったことはない)
その店の主人たちに共通している目付きがある。刑事の目である。
店に入ると必ず上から下へ、下から上へと人間をそっと値踏みするのだ。
一度ある店の主人に、骨董商なんて戦後の空腹が生んだんだぜ、ドロボーの上前ハネて生まれたんだぜといったら、こりゃまたダンナずい分とキツイことを、なんてヘラヘラ抜かした。
そこにある50万の壷なんてきっとどこぞの殿様のタン壷だったんだよ。などと悪タレをついてやった。
目付きのいい骨董屋さんに会ったことは殆どない。

今、渋谷ユーロスペースで戦記小説の名作「大岡 昇平の『野火』」を上映している塚本晋也監督・主演だ。
この作品を戦争法案賛成の全員に見せるべきだと思う。(食前でも食後でも)
人間が図鑑と名のつくすべてを食べて生き抜こうとした悲惨と無惨と執念が分かるはずだ。

2015年8月3日月曜日

「白昼夢」



虚無的な中年ヤクザが何年振りかで娑婆に帰って来る。
人を殺して刑務所に入っていたのだ。
駅から出てあふれんばかりの人混みを見て、男はつぶやく。
「こんなにたくさんの人間がいる、その中のどうしようもない人間を一人位殺してもどうってことはねえじゃないかと。」
正確に憶えていないがこんな出だしの映画だった。猛暑の頃になるとこの映画のことを書きたくなる。
原作/石原慎太郎、監督/篠田正浩、主演/池部良/加賀まりこ、であった。
映画の題名は「乾いた花」である。

水分を失ったドライフラワー。生きる目的を失った中年のヤクザはドライフラワーであった。
そこに現れた不思議な若い女、男にとって束の間の水分であった。少しだけでも生きる目的を持った。
篠田正浩の映画ではこれがNO.1だと思っている。

なんで人を殺したんだといわれ、「ただ太陽がまぶしかったから」と応えたのは、
確か小説「異邦人」の主人公の男だった。
映画ではマルチェロ・マストロヤンニがその役を演じたと思う。

猛暑は人間から、理性も知性も蒸発させてしまう。又、汗として体から流れ出す。
そして思考回路は停止してしまう。
熱に刺された人は正気を失い、狂気は玉のような汗をかき続ける。
その存在に生温かい殺気を感じる。何だろうこの人たちの殺気は、だらしなく大きく広げた足。
何かをクチャクチャと噛んでは道路にペッとはきすてる。
何人も道路脇に座り込んでいる。首にタオルを巻いた太った他国の男たち。

太陽がまぶしかった私は、異邦人の主人公のようにピストルを持ってなくてよかったと思った。
私は白昼夢を見ていたのかも知れない。

2015年7月31日金曜日

「アキマ変」




人生とは勝負、勝負の連続作業だ。
もう駄目だと思ったら負の連鎖、負の渦へと巻き込まれる。

勝負には運とツキがどう動くかがポイントとなる。
運とツキは法則化されていないから自分で読むしかない、その他に“ケチ”が付くという厄介な事もある。大金を払っても、いかなる権力や地位を利用しても、決して買い求められない、手に入らないのが“運とツキ”それと“ケチ”だ。

2020年東京オリンピックにケチがいろいろと付き始めた。
プロの博打場ではこんな時は、場がクスブルとか腐るという。
場がブシイ(渋い)ともいう。厄(ヤク)な場ともいう。
厄とは文字通り“イイコトナイ”という事だ。厄払いに行く人も多い。

何もかもやりたい放題であった安倍一強政権が運を使い果たし、ツキに見放され、ケチが付き始めメロメロとなって来た。新国立競技場のザハ案はシナ(ナシ)の話に。
安保法案は“戦争法案”にとネーミングされ、憲法学者の99%に違憲といわれグダグダに。最側近の人間は、法的安定性なんて関係ないなどと口走り(実は本音)運の尽きはいよいよ加速する。仕方ないからわずか15分だけ国会で詫びを入れさせることに。
沖縄の新聞社は潰せとか、マスコミ殺すには広告を止めさせろなどと広言しては、大厄を生む。こういうのを「ヤクな奴」という。

一強だと思っていたのが「早く質問しろよ」のひと言で、一気に場を腐れさせた。
こうなるともうイケマセン街道を全力に走り出す。“アキマ変”となる。
過去に学ばない者は、今が見えない、という。
権力を滅ぼすのは権力者がバカにしていた大衆と、権力者がかわいがっている側近、お友だち、そしてヤクな奴なのだ。

以前にも書いたが、本物の勝負師は運を使いきらず残しておく。これを遠慮という。
何しろ運とツキは気まぐれだから最大限の敬意が必要なのだ。
麻雀をやった人なら分かるはずだ。
ポンだチーだと食いまくりガツガツ勝ちにこだわる人間は、最後の勝負が終わったら“ハコテン”になっている。
ハコテンとはスッカラカンの事(またはハイナシともいう)。

今、運もツキもない、ケチが付いてばかりだと思って悲観している人がいたとしたら、決してメゲず、アキらめずに一生懸命自分を励まして下さい。
きっと運とツキが回って来ます(私もそれを信じているのです)。
人を裏切ることさえしてなければ。それとヤクな奴とは付き合わないように。
“アキマ変”になりますから。

法的安定性のない国を一般常識では“独裁国家”という。
私が知るところでは東大法学部で勉強ばかりしていた人間は、ヤクな奴がとても多いのです。

2015年7月30日木曜日

「誰か物理的に」






昨日午前一時三十分〜二時、NHKで大好きな番組、タイムスクープハンター「戦火の女たち」の再放送を観た。戦国時代の話である。時代考証、キャスティング。
この番組に勝るものはない。

かねがね思っている疑問がある。
どの歴史作家も、歴史家も、学校の社会科の先生も私の問いに応えてくれない。
東京ドーム球場が超満員になっても45,000人位だ。
試合が終わって水道橋の駅まで延々と人、人、人が続く。

新幹線で関ヶ原を通る度に、あの関ヶ原の合戦は話半分、その半分、そのまた半分位ではと思う。東軍10万、西軍10万はあの狭いところに入らない。
鎧兜を身につけた武士、重装備で馬に乗る武士、鉄砲に刀、槍、弓に矢、馬のエサと水は、軍備は多い。

当時の平均身長は155158センチ位。
鍛え抜かれた化け物みたいな武士でも重い長太刀はそうそう振り回せない(まして片手では)。10万人と10万人がおにぎり一個ずつで20万個、たくあん一切れで20万切れ、水一杯ずつで20万杯。鉄砲で撃たれ、刀で斬られ、槍で刺されても即死は少ない。
手を失い、目をつぶされ、足もやられ、傷つき血だらけの武士や雑兵たちはどこへ行ったのか。あっちこっちに逃げ込んだ雑兵たちは何をしたのか。
戦争という狂気の中で何が起こったのか。10万の兵と10万の兵が本当に戦ったのか。
午前中小早川秀秋の裏切りがあり、東軍の勝利でハイ終わり。
後は落武者狩り。私の知る限り、10人と10人が素手で喧嘩しただけでも大変だ。

真説関ヶ原の合戦を“物理的に”考察してほしいと願う。
残念ながら無学の徒である私にはできない。生きている内にぜひ知りたいと思うのだ。
20万人がどう集まり、何を食べ、どう排泄して、どの道具で、どう殺し合い、傷つけ合い、どう逃げ回り、何をしたのかを。

誰か教えて下さい。誰か書いて下さい。誰か話を聞かせて下さい。
刀一本で人間一人斬り殺すのが如何に大変かは刀を持ってみれば分かる。
何しろ重いのだ。馬に乗って刀で斬り合うなんて一分か二分もすれば相方ヘトヘトだ。

私が長い間に観た戦国合戦映画シーンで一番リアリティがあったのは、木下恵介監督の「笛吹川」だ。時代考証も随一であった。
大ファンである黒澤明は「七人の侍」がNo.1だが、野武士たちとの戦いだ。
「乱」も「影武者」も動く絵コンテであった。

私は木下恵介が関ヶ原の合戦を監督したらどうであったかと思いをめぐらす。
撮影は勿論、楠田浩之。皆さん想像して下さい、20万人の人間が移動してどこかに集まり、石ころの投げっこをしたら、チャンバラごっこをしたら、槍の突き合いをしたら(長槍なんかとんでもなく重い)私の疑問は解決しない。
あの頃の鉄砲では急所に当たらない限り何発当たってもすぐには死なない。“講釈師見て来たような嘘をつき”こんな表現もある。歴史小説は嘘をついても許される。
老人、女性、子ども等はあの合戦の日、何をしていたのだろうか。
断末魔と化した武士や雑兵たちを前に。

仕方ないので今年の夏は真説関ヶ原の合戦を追ってみようと思っている。
まずタイムスクープハンターの監督、中尾浩之さんに会いたいと願う。
天才中野裕之監督が確か時代劇を手がけるといっていたのを思い出した。
ぜひ実現してほしい。名作サムライフィクションは斬新であった。(文中敬称略)


2015年7月29日水曜日

「蜩」






鼻を洗濯バサミでつまんで、猛暑の中を歩くとどうなるか。
酸欠で呼吸が苦しい金魚みたいだなと思い、小さな庭の小さな池にいる金魚の命が心配になった。

昨夜十一時ちょい前に帰宅し、すぐに懐中電灯で金魚たちが生存しているかを見た。
一匹、二匹、三匹…全員(全魚)生きていた。
十二匹がチョロチョロと出してある水のところに集まりパクパクしていた。

ここでキミたちかわいそうにと水をジャブジャブ出すと、水温が一気に下がり金魚たちは、金魚の国へと旅立ってしまう。
かつて愛情過多、水入れ過多で大失敗、一夜にして金魚の命すべてを奪ってしまった。
庭の片隅に埋めてあげ、木片に金魚の墓と書きお線香を手向けた。

仕事で海外に行くと電話して池に水を出しすぎんなよと、愚妻に指令を出した。
そんなことで電話をしないでよといわれた。
犬をしっかりつないでおけよともいった(かなり狂暴であった。飼い主に似るなどといわれた)。家の前が公園で子どもたちが遊ぶ、そこに乱入したらと思うとゾッとしたのだ。
長旅に出ると、犬と金魚が心配の種だった。

今、犬はいないので関心は赤い金魚なのだ。テレビをつけるとスポーツニュースでシンクロナイズドスイミングで銅メダルと報じていた。
鼻に洗濯バサミみたいなのをつけて、イチ、ニ、サン、シと歩き、ビタッと立ち止まり、水面にドボン、ドボンと入り、水中にそして水面にドバァーと顔を出し、ビックリしたような目になり、口をパクパクしている姿を見て、オッ金魚ではないかと思った。
水着が赤いせいかソックリであった。
ここまでやるのという程の厚化粧、新宿二丁目に多い化粧だなと思った。

うだるような暑さの中、街を行き交う人々も酸欠の金魚みたいになっている。
今年は家の近所で蝉の声がない。まったくといっていい程聞いていない。
仕方ないので左耳の耳鳴りを蝉のかわりにしている。
右耳の酷い耳鳴りは、医師がアッサリとってくれた。
雑木林がなくなったせいなのか蝉はいない。蝶たちも来ない。

友人から頂いた茶碗ほどの盆栽に水をかけた。
無言であるが、あー気持ちいいといっている様であった。
ダ、ダ、ダンナ、人間年を食って盆栽をいじるようにな、な、なったらおしまいだよ、といった庭師のおじさんのことを思い出した。

シジミ蝶→モンシロチ蝶→アゲハ蝶。アブラゼミ→ツクツクボウシ(オーシンツクツク)→ミンミンゼミの図式はなくなった。
夕立の後の、虫の調べ→蜩(ヒグラシ)、こんな字を生んだ中国人はやっぱり国語の先生なのだよと、カナカナ、カナカナと蜩は鳴くだろうか。



2015年7月28日火曜日

「仮名について」




週刊誌を読んでいると不思議なことに気がつく。
仮名といいつつ名前が書かれることだ。

例えば、高校の卒業生だった佐山昇さん(当時48歳・仮名)とか、ようやく見つけた女性の姿に釘付けになった。片野梨絵さん(48歳・仮名)とか。

どの週刊誌も同じだ。せめてNSさんとか、RKさんと書くべきでだと思う。
あるいはA氏とB子さんとか。
仮名といいながら使われた名前と同じ人がたくさんいるはずだ。

世の中にはいいことをして、名を伏せてほしいという善意の人もいるだろう。
例えば学校に行けない子どもたちのために、親の遺産を全額寄付した匿名希望の方とか。が、殺人犯や不義密通の果ての事件、放火や強盗、詐欺、脱税などの犯人と同じ名の仮名にされたらたまったもんじゃない。
書き手が好き勝手に作っているのだろうが止めた方がいいと思うのだ。

先に書いた佐山昇さん(仮名)と片野梨絵さん(仮名)は三十年振りの同窓会で再会して燃えるような夜を過ごす。なんて作り話が(多分)書いてあった。
ネタ切れの週刊誌がよくやる話なのだが、同姓同名の人が読んでいたら今の世の中、ネットなんかで本当に繋がってしまうかもしれない。
そして不倫、そして殺人へ。なんてことになるやもしれないのだ。
男の方が高級官僚、女性の方が利権がらみの会社の社長夫人。
松本清張はこんな題材を書いてはベストセラーとした。

先日屋久島で秘密保護法に関係する高級官僚が事故死(?)か、という記事があった。(?)の意味するものは何かと思ったりする。
松本清張ならこの記事を読んだら一夜にして小説にしたことだろう。
新聞の死亡を知らすベタ記事と週刊誌の三文記事はフィクション作家たちの発想を促す宝庫なのだ。

おーいなにかテキトーな名はないのか、電話帳をパラパラめくり鉛筆を立てて倒す、そこにある名が仮名となったりする。テキトーといえば高田純次さんだったりするのだ。
ちなみに“銀行太郎”とか“郵便花子”が仮名に使われた例はない。

2015年7月27日月曜日

「文豪も書けない一行の言葉」






広告が社会的メッセージを発した作品があった。
当時電通にいた藤岡和賀夫さんが手がけた富士ゼロックスの広告だった。

一人の男が白い紙にメッセージを書いたものを持ち、銀座の街を歩く。そこには「ビューティフル」と書かれていた。Na(ナレーション)が入る。
「ビューティフル、開放、ビューティフル、尊厳、ビューティフル、健康、ビューティフル、希望、ビューティフル、人間」。

四十五年前モーレツに働く社会に「モーレツからビューティフル」にとメッセージを送った。富士ゼロックスの広告はアメリカ的であり、挑戦的であった。
私は大きな影響を受けた。いつか超えてやると思ったが名作の足元にも及ばなかった。
先日八十七歳で亡くなった、と記事で知った。

街の中を歩いていた男はフォーク・クルセダーズのメンバーだった天才、加藤和彦さんであった。加藤和彦さんは自ら命を断った。
天才であるが故に苦悩も凡人とは違ったものだったのであろう。

広告の本場アメリカとかイギリスにはメッセージアド(意見広告)とかチャレンジアド(挑戦的広告)、コンパリゾンアド(比較広告)とか、その広告の役目を明快にした作品が多い。今、藤岡和賀夫さんならどんなメッセージアドを発したであろうか。

中原中也が書き出しに使った言葉、「汚れちまった悲しみに 今日も……」
私たちは今日も「……」のことばかり考えている。
それはビューティフルではない。「……」の部分に何を書き入れるかは人それぞれだ。
わずか15秒、30秒、長くて60秒のCMの中で、いかなる文豪たちも到達できなかった作品があった。

天才仲畑貴志氏は、ソニーのビデオカセットテープのCMでこんな名コピーを書いた。
高校野球を応援するチアガールたち。そこにNaが入る。
「黄色い歓声の黄色ってどんな黄色だろう」「真っ赤な情熱の真っ赤って、どんな真っ赤だろう」わずか15秒の中で目に見えない色をあざやかに言葉で見せてくれた。

夏の高校野球の予選が最終戦になって来た。
決勝を勝ち抜いた高校が続々と名乗りを上げれば、あと一試合だという高校もある。
一球に笑い、一球に泣く。勝利の女神は何を基準に決めているのだろうか。
血と汗と涙の結晶である青春の青とはどんな青色なのだろうか。

俳句の巨人、金子兜太さんが書いた「アベ政治を許すな」のプラカードを持った人々の輪がモーレツに広がっている。それはまるで現代アートを見ているようであり、ビューティフルだ。「汚れちまった……」がジワジワと追い詰められて来た。
坂道を転げはじめた石が止まったことは歴史上ない。メッセージの時代が来たのだ。