先週金曜日にブログ「ある判決」を読んで頂いた方はテレビのニュース番組で知っているかもしれない。私が読んでいる新聞には載っていなかった(地方紙は分からない)。
17才の時祖父母を殺して八万円を奪った事件の第二審高裁の判決が出た。
第一審と同じで懲役15年であった(求刑は無期懲役)。
判決文の中で語られた少年の生まれてから事件までの人生(というにはあまりに短いが)は、裁判官をして起こした犯罪は許せないが、事情を考慮するといわねばならないほどの悲惨な物語であった。
かつてドラマの中で少女が叫んだ“同情するなら金をくれ”という決め言葉が流行った。
あれから何年経ったか記憶が定かではない。しかし時代が何も変わっていないことは確かだ。社会は更に酷いことになっている。今では同情すらしない社会になっている。
何かせねばと思っているが私にできることといえば自分の体験談をもとにアドバイスをする位でしかない。非行に走る少年少女は愛情に飢えている。寂しがっている。
だから群れたがりその結果、群れから出て行く者を許せないのだ。
私は私がもどかしくてならない。
悲しみ色に染まっている少年少女のために何もできないからだ。
家とは、親子とは、家族とは、兄弟姉妹とは、そして学校とは。
「大人は判ってくれない」そんな映画があったのを思い出した。
今夜も激しい雨が降っている、雨降って地固まることもある。
非行に走る少年少女は、無関心を装い自分たちから逃げる大人を許さない。
実は今では富裕層の子どもの方が驚くような非行を繰り返す。
それは何故かといえばすべてを金で解決しようとするからだ。
愛情の飢えは金では決して解決できないことを知らねばならない。
大人にとって時代はいつも難しい。
夏休みが終わって新学期、少年少女は大きく変化をしている。