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2015年9月7日月曜日

「大人は判っているか?」




先週金曜日にブログ「ある判決」を読んで頂いた方はテレビのニュース番組で知っているかもしれない。私が読んでいる新聞には載っていなかった(地方紙は分からない)。

17才の時祖父母を殺して八万円を奪った事件の第二審高裁の判決が出た。
第一審と同じで懲役15年であった(求刑は無期懲役)。
判決文の中で語られた少年の生まれてから事件までの人生(というにはあまりに短いが)は、裁判官をして起こした犯罪は許せないが、事情を考慮するといわねばならないほどの悲惨な物語であった。

かつてドラマの中で少女が叫んだ“同情するなら金をくれ”という決め言葉が流行った。
あれから何年経ったか記憶が定かではない。しかし時代が何も変わっていないことは確かだ。社会は更に酷いことになっている。今では同情すらしない社会になっている。

何かせねばと思っているが私にできることといえば自分の体験談をもとにアドバイスをする位でしかない。非行に走る少年少女は愛情に飢えている。寂しがっている。
だから群れたがりその結果、群れから出て行く者を許せないのだ。

私は私がもどかしくてならない。
悲しみ色に染まっている少年少女のために何もできないからだ。
家とは、親子とは、家族とは、兄弟姉妹とは、そして学校とは。

「大人は判ってくれない」そんな映画があったのを思い出した。
今夜も激しい雨が降っている、雨降って地固まることもある。
非行に走る少年少女は、無関心を装い自分たちから逃げる大人を許さない。

実は今では富裕層の子どもの方が驚くような非行を繰り返す。
それは何故かといえばすべてを金で解決しようとするからだ。
愛情の飢えは金では決して解決できないことを知らねばならない。
大人にとって時代はいつも難しい。
夏休みが終わって新学期、少年少女は大きく変化をしている。

2015年9月4日金曜日

「ある判決」




殺してでもお金をとって来い。少年に母は命令した。
少年は祖父母を殺して八万円を奪った。

少年の犯罪までの過程は劣悪を極める。
幼少期に両親は離婚、母親は男遊びを繰り返す。
少年は小学校を4年までしか行けない。
公園での生活、路上生活、母親と施設に入るが母親はこんな小屋みたいな生活は嫌だと施設を出る。
再び公園や路上生活、母親は夜の仕事をしながら男をつくり女児を生む。だが子育てはしない。
少年は妹を必死に育てる。牛乳を盗んだりしながら。
そんな少年を社会は放逐する。
とても礼儀正しい少年でいつも女の児を抱いたりしていたとだけいう。
何か手を差し出したりはしない。
少年はそんな中でも母を愛し続ける。
そして母は少年に命令を下す。
少年はお金だけが母とつながることができるものだったという。
今日その高裁判決が出る。

行き場を失った少年少女が叫びをあげる力さえ失っている。
孫に殺された祖父母はあの世で何を望んでいるだろうか。
私たちは何が出来るだろうか。

2015年9月3日木曜日

「いない方がいい人」




世の中には、この人がいてくれて本当によかったと思う人と、この人さえいなければいいのにと思われる人がいる。
私などは勿論後者なのだが、この人ほど世間に迷惑をかけてはいない。


森喜朗(78)という存在が世のため人のために何かをやり遂げたという話はない。
利権がらみで地元石川県には貢献しているのだろうが。
不幸にして愛息を亡くし政界から引退をし余生は墓守に徹するだろうと思っていたが、モグラ叩きのモグラの様に、あっちこっちに顔を出しては、ああ、この人さえいなければと思われる。
知力、胆力、思案力、展開力などはない。ただ調整力のみで生き残っている。
古い政治家の見本、化石の如くである。

本来なら日銀の総裁になったと思われる、武藤敏郎は見ていられない、というより問題意識が全く分かっていない。何しろ国家の行く末を考えていたのが、デザインだ、タイポグラフィだ、エンブレムだ、なんていったって分からない。
政治家とゼネコンとの駆け引きやコントロールだって専門外。
ただ行き場を失った大物が名誉職についただけだからだ。

2020年オリンピック開催への異常事態、この状態を打破できる人物は日本には残念ながらいない。不幸は更に不幸を呼ぶだろう。デザイナーの家族の心労は生き地獄だと思う。
勿論当人も同様のはずだ。今はただ我が身と命を守れといいたい。
家族を守れといいたい。どこでどうなったかは考えないことだ。

人を憎んでも解決にならない。まず眠れ、そして食べる。
むかしのいい映画でも観ることだ。楽しかった頃を思い出すんだ。
森喜朗よ、故郷石川に帰り愛息のお墓を守ることにしよう。
きっとみんなが大喜びするはずだから。(文中敬称略)

2015年9月2日水曜日

「花の木」







ある一冊の写真集を買い求めて、ある一軒の珈琲店に行くことを決めていた。
著者-コロナ・ブックス編集部/発行所-株式会社平凡社。
題名は「作家の珈琲」である。

1,600円で作家たちがこよなく愛し通った珈琲店や珈琲のある生活をかいま見ることができる。私の目的は京都、烏丸紫明(からすましめい)にある喫茶店「花の木」である。

祇園で行っている「フェルメール 光の王国展」に、大変お世話になっている羽毛ふとんの老舗メーカー東洋羽毛工業(株)さんが、新ブランドoluha(オルハ)の敷ふとんと枕で寝ながらフェルメールを観る、ネルメールというような大胆な企画に出品しており、31日の最終日前に撤収の打合せに行くことにしていたので、スケジュールの中に「花の木」に行く予定を入れてもらっていた。

何故かといえば私が大ファンであった故高倉健さんが大の珈琲ファン、そして大の「花の木」ファン、そして店内には高倉健さんが大ファンだったというフランスの名優ジャン・ギャバンの大きな写真(私もジャン・ギャバンの大ファン)、つまりファン、ファン、ファンがこの店にあるからだ。

開店して49年、マスターはアルバイト時代からこの店一筋。
「花の木」には高倉健さんの大ファンのピラニア軍団が集まり高倉健さんと映画談義をいつまでも楽しんでいたとか。ちなみにピラニア軍団とは、京都東映全盛時代の大部屋の俳優たちの集まり。今では名優の一人である小林稔侍さんもピラニアの一人だった。
故室田日出男、故川谷拓三、八名信夫、志賀貢などなどが珈琲を飲みながら映画への想いを語り合ったのだ。

そう思いながらそれほど広くない店内を見た。
49年の時間がたっぷりと染みこむ店内はぜひ一度行って味わってもらうしかない。
えっ、こんな静かなところに「花の木」はポツンとある。
高倉健さんは撮影所からタクシーで通ったという。静かなところで、大好きな映画バカたちと子どものようにワイワイガヤガヤ映画作りを語ったのだ。

私は860円のカレーライスとアイス珈琲を、一緒に行ったプロデューサーは860円のハヤシライスと珈琲を頼んだ。実に旨いだろ、ジャン・ギャバンが声をかけていた。
いうことないほど旨い。
この席でね、健さんがよく錦さん(萬屋錦之介)にお説教をしてましたよといってマスターは笑った。

2015年9月1日火曜日

「ぜひ義務教育に」




本日九月一日といえば防災の日と決まっているのだが、旗日ではない。
私はこの日は休日にしていいのではと思っている。
一家一族勢揃いをして徹底的に事前防災を点検するのだ。

乾電池は使えるかテスターで調べる。
ロウソクは、マッチは、ライターは、ラジオは、非常食や水は、連絡網は、毛布や寝袋は、ご近所に一人暮らしの老人は、一軒家やマンションやアパートなら、何をどうしておくかを点検するのだ。何しろ日本列島は災害列島なのだから。

私は常々義務教育の中に「防災学」の教科を入れるべきだと思っている。
この国にとって一番大切なのは防災なのだ。
小学生の頃からこの国の災害の歴史を学ぶのは何より大切な学問といえる。
人間が助かるための術とは、究極の技とは。

私なんかロープの結び方一つ知らない。
雨の中でどう火をつけるのかも分からない。
人工呼吸法はもちろん、AEDの使い方だって殆どの人は知っていないはずだ。

災害はある、ある、あることばかりの国なのに、防災は知らない、知らない、知らないことばかりだ。ご老人たちを特別教師にして先人の知恵を教え込んでほしい。

私はこうした結果学んだ才能を「防才」ということにした。
これからの時代に必要なのは、天才や秀才の理論も大切だが、いますぐ役立つ「防才」だと思うのだ。
いざという時に、サイン、コサイン、タンジェントとか、微分積分よりロープの結び方の方が生きるために役立つからだ。

あなたは何種類知っていますか、ロープの結び方を。私は固結びしか知らない。
私の友人のヨットマンはいろんな結び方を知っています。
もし超高層のエレベーターに二時間近く閉じ込められたらトイレはどうする(?)、もし走っていた列車が停電で動かなくなったら。

やはり九月一日は休日として家族みんなで学びましょう。
知らないことは知っている人に教えてもらう。義務教育に「防災科目」をつくる。
時々やる防災訓練も大切だが“防災学”の義務教育化を。

「お父さんはお子様ランチ」



お子様ランチを大人が頼むとどうなるか、駅前のファミレスの女店員は首を傾けて厨房に消えた。

私といえば、それを頼んだ人の隣の席でビールの小を頼み新聞を読んでいた。
商店街で原稿用紙とセロテープを買った後であった。雨がシトシト日曜日であった。

午後一時二十分頃。
体重85キロ位のお父さんと、70キロ位の奥さんと、四歳位の三人連れであった。
メニューをバラバラとめくり、奥さんはビール中とフライドポテトとチーズハンバーグ&ライスを頼み、子どもはお子様ランチなのだが、あんたがこれよといってお子様ランチにされた。で、子どもはお子様オムライスを頼んだ。

お父さんはお母さんにビール小飲みたいといえば、ダメといわれてクシュンとなった。
お子様ランチはいろんな型に分割されたプレートに日本の国旗とアメリカの国旗が二つの山型のライスの上に突き刺さっていた。
小さな鳥の唐揚げ二個、小さなハンバーグが二分割されている。
小さなウィンナーソーセージが二本、フライドポテト10本位、ホウレン草少しとコーンの粒々が30個位。そのプレートがでっかい男(40才位)位の前に置かれたのだ。

ハンバーグは半分だけよと、奥さんがフォークでグサッと刺し口にパクッ、ポテトは子どもに、鳥の唐揚げは一個だけ。
ライスの山に黄色いふりかけをパラパラとかけたお父さんは、ビールをうまそうにグビッ、グビッと飲む奥さんを上目づかいで見ている。
そこへ玉子たっぷり、トマトケチャップグルグルのオムライス。

お父さんは無言でお子様ランチを大人用のフォークで黙々と食べている。
お母さんにはジュージューのハンバーグの上にチーズがトロトロ、お父さんのハンバーグはお子様用なのでほぼ冷たそう。
お母さんはあと20分位で塾が終わるから早く食べて迎えに行ってよ、雨降ってんだからといいながらスマホを見ている。

(もう一人塾に通う子どもがいるらしい)きっとダイエットをさせられてるんだなと思った。お母さんはとってもお父さん思いなのだ。

狂ったように暑かった夏は、突然冷たいハンバーグのように終了。

これからスポーツの秋だ。
ファミレスのお父さんもしっかり運動してダイエットをすれば、きっとお母さんからご褒美にサーロインステーキを食べさせてもらえるだろう。
勿論ライスもついているはずだ。