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2015年11月16日月曜日

「パリの空の下」




11月15日(日)朝刊より。
「天声人語」「憎しみ」という感情の、手に負えぬ底深さを、ポーランドのノーベル賞詩人、シンボルスカの記よりの書き出し。

「春秋」パフューム、スキャンダル、きゃりーぱみゅぱみゅいずれも若者を中心に人気の高い女性歌手や音楽グループだ。
何だいこの書き出しはと思い読み進めると、13日パリで起きた大規模テロ攻撃を受けたパリバタクラン劇場でコンサートを開いたとあった。

筆洗」「ああ、巴里の黄昏!其の美しさ、其の賑やかさ、其の趣きある景色は、一度巴里に足を入れたものの長く忘れ得ぬ、色彩と物音の混乱である」これは作家永井荷風の「巴里のわかれ」からの引用だ。

書き手の人たちはテロのあまりの凄惨さにジャーナリストとしての視点を見失い、言葉を失い、批評家のような論説となった。グサッとささるペンの刃がない。
情緒的過ぎであった。
各紙の代表的記者は、きっと何をどう書いていいか分からず、まず資料室かなんかに連絡をし、ネタを物色してつなぎ合わせたのだろう。
今更憎しみの感情について書いても仕方ないだろうと思いながら、毛沢東の言葉を思い出した。

“人民の海に潜む”これはゲリラ戦、テロリストたちの教本となった。
どの戦争でも大国はゲリラ戦に勝てなかった。
何故ならば敵が見えない、相手が分からない、地の利、人の利を使い、突如として現れる。私は兵隊ですという姿ではない。

今後日本が狙われるのは分かっていても、手の打ちようといえば疑わしき人間を監視、観察するしかない。外人天国の日本に既に潜んでいるのだろう。
ネットで繋がったISやテロリストたちは、東京という水族館の中で悠々と泳いでいる。
私たちは命令が下されないことを願うしかない。
すでに大国(有志連合)への協力を声高々に宣言している。

昨日午前11時〜1時頃まで江ノ島水族館にいた。ここは親子の王国だ。
これだけ子どもがいれば日本の将来は大丈夫だと思うほどぎっしりと親子がいた。
大好きなクラゲを見た、妖し気で透明であり、淫靡である。
なまめかしく人誘う動きは何より美しい。

大きな水槽の中は正に水族の集まりだ。
イワシの大群、アジの大群、イサキの大群、皆同じ姿だ。
この群れのように人民という海の中にテロリスト族はいるのかと思うと暗黙とする。
いっそサメとかエイのように分かりやすくあればと思う。
底にはベタッと張り付くように。ヒラメやカレイやらがいる。
岩陰や穴の中にはウツボやウナギが不気味に笑っている。

大喚声が上がった。イルカのショーが始まった。
どこかの国ではイルカやシャチのショーは動物虐待で止めるとか。
思えば私たちも仕事というエサをもらうために、必死に芸をしている。
朝どしゃ降りだった雨は、午後すっかり上がり晴天となった。
パリの空の下は血の海であった。

2015年11月13日金曜日

「百貨店大嫌い」



私は二十歳から百貨店の仕事に関わってきた。
その時から私は百貨店はいずれ五〇貨店、三〇貨店みたいにならないと生き残れないと言ってきた。

主に呉服店から始まった百貨店では外商を除いて(一)高級呉服+和装小物、(二)高級家具+寝装寝具、(三)高級紳士服・高級婦人婦、(四)高級貴金属、(五)ベビー服・子供服・おもちゃ、(六)紳士靴・婦人靴、(七)皮革製品、(八)化粧品、(九)地下食品売場、こんな順が出世コースであった。

上司は部下に君ねえ、こんなに成績上げないと地下室行きだよ(地下食品売場)白菜とかタクアン売り場にするぞなどと叱責した。またミスばかりしていると催し場(バーゲン売り場)やデポに飛ばすぞと脅した(デポとは荷物の集荷発送所)。
百貨店=デパートメントには何でもあることが求められていた。
各メーカーから大量のマネキンという出向の人が来ていた(いわば人質である)。
私はそんな百貨店を観ていてその終わりを感じていた。

現在どうだろうか、高級呉服、高級家具、高級寝具、高級仕立服・婦人服などオーダーメイドは姿を消した。あっても目立つことはない。
いわゆる吊るしという出来上がり服(イージーオーダー)だ。
百貨店はブランド品を取り揃えるテナントショップになっている。
パルコがその先駆けである。先見の明はパルコにあった。

今、出世コースは稼ぎ頭の地下食品売場であり、高級時計や貴金属や美術品(主に外商が取り扱う)であり、化粧品やアクセサリー、ブランドを取り扱う婦人服、婦人靴、バッグ類など一階フロア商品担当などが出世コースであるはずだ。

ネット社会、特にeコマースが劇的に流通業界を変えてしまった。
百貨店が百貨店である必要性がなくなった。
ネット上では千貨店、万貨店のように世界中のあらゆる商品が検索され、すばやく手に入れることができる。

1111日中国では独身の日(一人ぼっちの日)自分へのご褒美にeコマースで爆買いする。アリババは値引きを仕掛け一日でなんと18千億を売り上げた。
中国人、台湾人、インドネシア人、タイ人、ベトナム人、中でも中国人の爆買いがなければ東京の百貨店の全部が大ダメージを受けるだろう。

地下食品酒類売り場だけが爆買いに頼っていない。
君ね、全然やる気ないじゃないか、しっかりしろい、そうでないと呉服売り場か家具売り場行きだぞとなる。百貨店は売り場面積で売上目標が決められる。
売り場と売り場は戦いをさせられる。数字、数字でヘトヘトになるまで闘う。
分刻みで売上が管理される。文具や書籍売り場などの担当にされるとガックリとなる。
オムツ売り場に行かされると、オツムがいかれる。
一流品や高級品は各専門メーカーが一等地に次々と出店をする。
百貨店はそれら強敵とも戦わねばならない。
中国人はeコマースで年間50兆円以上も買っている。
すぐに100兆円に近づくだろう。

昨夜家に帰ると百貨店時代の友人から電話があった。30分近く長話をした。私もその友人も百貨店が大嫌いである。出入りの業者さんをここまでイジメるかという体質は変わっているはずはない。休憩室や社員食堂でのおぞましい女性たちの姿も。
そんな女性の姿を追う男たちの目も。まるでデタラメな値段設定も。
そして見るも無残残酷な出世争いも。

10時オープン、いらっしゃいませと深々と頭を下げている姿を見ると、私はいつもプッと笑ってしまうのだ。
但し何人かはこれぞプロフェッショナルという人がいることを付け加える。

昨日の日経新聞朝刊で、三越伊勢丹HD社長大西洋氏は百貨店頼みからの脱却。
今後はデジタル戦略なくして生きていけないと危機感を語っていた。
海外を見つめる視野の広い人材が何より大事だと。

正解です、ずーっと続けて来たビジネスモデルは最早後退はあっても前進はしないのです。ちなみにアリババが何故強いかというと「雑談力」、eコマース上のお客さんは話をしたがるとか、それに対応出来ないと売りに結びつかない。
1111日、本日のeコマースが売り上げたのは168億円であった。

2015年11月12日木曜日

「道」

※市川市東山魁夷記念館より転載



昨日午後一時〜尊敬する坂田栄一郎さんの個展を銀座のギャラリーで観た。
仕事仲間のプロデューサーと。私は二度目だった。
病魔と戦い続け、生と死を行ったり来たりした坂田栄一郎さんのファイトする心は健在だった。

一羽のニワトリ、一羽の蜂、一枚の花びら、死んだ大地から芽を出す草花、白い十字架のような雲、巨木の根に宿した苔たちの輝き、生に対する坂田栄一郎さんの慈悲の目と、慈愛の心が息づいている。十二月六日まで個展は開催されている。

その後一人で東京・竹橋の東京近代美術館に行った。
MOMATコレクション」展を観に。
好きな画家藤田嗣治をオダギリジョーの主演で映画が作られた。
監督は名作「泥の河」「死の棘」の小栗康平だ。
その映画を観る前に、藤田嗣治を観ておきたかった。

白い裸婦や猫の絵も目的の一つであったが最大の目的は、藤田嗣治の戦争画だ。
14点が一堂に公開されるのは初めてだ。65歳以上は入場料が無料であった。
戦時中に描いた画家たちの戦争画は、軍の命令による戦意高揚のためであるが、戦争の悲惨さを残す記録画でもあった。
藤田嗣治の戦争画は、ヨーロッパの名画の群衆表現を戦争画の中に取り入れた藤田嗣治の実験画のようでもあった。

藤田嗣治はパリで評判を呼んで帰国したが、日本の画壇は徹底的に藤田嗣治を叩いた。「麦と兵隊」や「花と竜」を書いた芥川賞作家、火野葦平も同じように日本の文壇で叩かれた。火野葦平の戦争文学は体制的なものだと。
火野葦平はやがて精神を病んだのか「死にます、芥川之介とはうかもしれないが、或る漠然とした不安のために・・・」という遺書を遺して自死した。
一方藤田嗣治は日本を捨てて再びパリに向かい二度と日本の地を踏むことはなかった。

数メートルもある藤田嗣治の戦争画は暗褐色であり、人間と人間が地獄の中で殺し合う。極致を超えた描写力に気分が当然悪くなり、うつ、うつとしたものとなった。
靉光、速水御舟、加山又造など大作家の名画コーナーもあった。

なかでも東山魁夷の「道」を観て救われた。
今まで何度も観ていたが、私の興味の的ではなかった。
日本画自体にあまり心が動かなかった。
花鳥風月に生と死や、人間の業や狂気を感じなかったからだ。

だが昨日は「道」の前に立ち尽くした。緑の中にあるただ一本の道。
戦後初期の作品である。藤田嗣治の濃密な肉弾戦、人間残酷画を観た後だからだ。
東山魁夷はこの道に日本の明日を求めたのだろうか、この道の先に希望があると。
日本画に心が動くようになったのは、やはり年をとったせいかもしれないと思った(入場料は無料だったし)。

だが昨日の朝東京へ向かう列車の中で、隣の四十代の男がフライドチキンをムシャムシャ、ベタベタ食べていた。脂っこい臭いにうんざりした。
五本の指に油がつきまくっていた。私は新聞を読んでいたのだが、大船を過ぎたところでオイ、ベタベタ食うなといってしまった。
マズイ未だ老人になりきれていないのだ。男はチキンを手にポッカーンとした顔をした。
♪〜行きてゆこうよ 希望に燃えて 愛の口笛 高らかに この人生の 並木路…。
東山魁夷の「道」とディック・ミネが唄った「人生の並木路」が重なり合った。
「道」といえば、アンソニー・クインとジュリエッタ・マシーナの名画があった。
今週末に借りて来て観ることにする。

2015年11月11日水曜日

「ウィスキーで」




いかん【遺憾】①残念。「−ながら…。」②気のどく。

カタカナではイカンです。
この言葉ほど便利かつ多様に使われている言葉はない。
まことにイカンです。心からイカンの意を表します。まい日イカンばかりだ。

日大の法学部名誉教授が暴力団の元大幹部から2千万借りたままでイカンです。
巨人軍の選手が賭博まみれでイカンです。
下着ドロボーをしていたという復興大臣はビョー的でイカンです(本人はバックレている)。
東芝の歴代社長三人が粉飾決済を命じていた、救いがたきイカンです。
大手不動産メーカーたちが基礎工事の偽装を繰り返す、家がグラグラするほどイカンです。
小学6年生が大麻を吸っていた、なんたるイカンです。
某大学教授(友人がいる大学なので校名は伏します)が女生徒にワイセツ行為、スケベはイカンです。
ロシアの陸上選手たちが国ぐるみでドーピング、イカンです。
原子炉もんじゅに一兆円使ったがまるでムダ使いであった(文珠の知恵が出なかった)バカバカしくイカンです。
群馬大学で何人も腹腔鏡による手術ミスで命を奪った、おそろしくイカンです。
警察署内でパワハラ、若い警官三人が不気味な自殺、イカンです。
沖縄に東京の機動隊(鬼の4機)を投入、老人たちに乱暴する、イカンです。このままだと三里塚闘争と同じになる。
女装した男が女性のお風呂に入っていた、カマユデのイカンです。
マンホールみたいなところに男はずっと潜り込んでいて上を歩く女性のスカートの中を見ていた、モグリはイカンです。
国家の運命を左右する重要な局面なのに国会は二日間のみ、逃げたらイカンです。

朝から晩までイカンだらけ、イカンまみれ。まことに遺憾です。
遺憾の意を表します、でハイオシマイで終わる。
イカン、いかん、イカン、いかん、こりゃマッコトイカンゼヨと坂本龍馬なら怒鳴りとばし、許すことはできんでごわすと西郷さんなら叱りつけることだろう。

高速道路を走る車に向かって500個以上の生卵を投げつけた兄弟はもうなにもかもイカンだ。
銀座、赤坂、六本木、西麻布、渋谷、新宿、池袋、名古屋、大阪、博多、札幌、およそ繁華街と名のつくところでは、夜毎プロスポーツ選手があやしい人たちと遊んでいる(VIPルームで)。
本気で調べたら、プロスポーツ選手の80%はイカン事になるだろう。

なんだか遺憾とイカンの使い方がイケンことになってしまった。
違憲だという法案が成立する国だから、もうイカン慣れしてしまった。
今日はどんな遺憾に会うだろう。

私のノドのイカンは百日咳と気管支炎とのことであった。
まるでガキのごときである。いつものグラス、ずっと控えていたウィスキーでうがいすれば治るだろう、えっ、それはゼッタイイカンだと。