「かくばかり憂き世の中を忍びても待つべきことの末にあるかは」(千載集)、
こんなにもつらいこの世を耐え忍んだとして、期待して待つほどのよい事が将来、わが身に起こるだろうか、起こりそうもない。
希代の数奇人、登蓮法師の述懐歌という。
今の世も王朝の歌人たちが生きた世も、人は耐え忍んで生きていた。
人間として生まれた宿命である。
できちゃった婚でなく淡い恋、熱い恋、燃える恋をして晴れて夫婦となったその日から、親兄弟、親族、姑、小姑、見事に期待を裏切ってくれた夫への悪口、不平不満が露出する。
「妻をめとらば才たけて、みめうるわしくなさけあり」そんな賢妻、良妻はまずいない。私はあなたやあなたのバカ親、バカ兄姉、アホな弟や妹、グチグチ能書き説教をたれるクソッタレ親戚たちに、ジッと我慢をして尽くしているのに、ボケなあなたはまったく乳離れ、親離れが出来ていない。
何すんのお乳に触らないでよ、離れてよ、もっとずっと、何、その顔ヘラヘラしないでよ、サイテー、あなたはスペシャルサイテーよ。
なんであなたの家族がせっせとこさえた借金を、安月給のあたしたちが払わなければならないの、なんで私に内緒で保証人なんかになってたの、あ~嫌だ嫌だ、そのヘラ顔見てるとゾッとするわ。
何よ、やめてよ近づいて来ないでよ。
これで刺すわよ、年の瀬ともなるとこんなシーンがアチコチの夫婦に見られることになる。耐え忍んだ妻が逆上したら、あなたに新年は来ない。
あけましておめでとうも、お雑煮も磯辺焼きもない。
そぼふる雨の新橋、夜九時過ぎ、忘年会の一次会が終わったのか、黒いスーツを着た20人近い会社員集団が、奇声を発し合っていた。
若者、初老、中老、そして大老も“銀だこ”を楊枝で刺しながらグラングラン、ヨロンヨロンしている。
私の大、大、大嫌いな汚らしい酔払いだ。
男の美学を持っていない奴には嫌悪する。
家に帰ると恐い奥方が楊枝よりももっと刺す力のあるのを持って待っている。
あ~嫌だもう耐えられない、年は越せないと。
なぁ~んてことを勝手に想像した。
仏教では愛憎違順(あいぞういじゅん)愛が強いほど憎しみは深くなる、愛情と憎悪はコインの表裏と説く。この恐い宿命は、結婚初夜から始まり、一緒にいる限り続く。
成田離婚、熟年離婚が多いのはそのためなのだ。諸兄よゆめゆめ忘れてはならない。