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2016年12月8日木曜日

「望遠鏡とカラムーチョ」


十二月は嫌いだ。知人が逝去したことを知らせる葉書きが来るから。
望遠鏡をそのまま見ると遠くのものが近く大きく見える。
逆にして見ると遠くのものは、もっと遠く小さく見える。
過去とはそんなものである。
嫌なものが大きく見えて、楽しかったことが遠くに見える。

来年私は年男、つまり酉年生まれだ。1945年に生まれた。
敗戦後の10月に。思えば長く生きたものだ。
二十歳になった時、なんとか四十歳までは生きてみようと思った。
何度死んだか分からない十四、十五、十六、十七、十八、十九であった。
楽しい思い出、仲間と一緒に戦った思い出、青春がゴチャゴチャになった思い出、マブイ女(美しいイイ女)との思い出、体中にある傷の思い出。

いきなり顔を殴り逃げた三人の野郎、中野の天野、花小金井の手島、吉祥寺の武藤、その名は今でも忘れない。何しろ殴り逃げだから借りを返さなければならない。
人間は殴ったことは忘れるが、殴り逃げは絶対忘れない。
正々堂々と勝負ができない奴等だった。

一人は天沼の自宅の側、一人は花小金井の定食屋の前、一人は荻窪駅西口映画館側だ。
私は絶対に忘れていない。心当たりがある人は教えてほしい。
どこへでも行って一発殴り返さねばならない。

花札、パチンコ、スマートボール、ラッキーボール、競輪、競馬、競艇、オート、チンチロリン、バッタ、手本引き、ポーカー、ブラックジャック、バカラ、ルーレット、スイチそして麻雀。一年中何かをやっていた。二十歳になってやめた(時々麻雀はした)。

望遠鏡を逆さまに見ているから、それらの思い出は遠く小さく見える。
仲間たちは殆ど死んでしまった。かわいがってくれた金筋の親分も、若頭も先輩も、かわいい舎弟たちもみんな死んでしまった。

why、何故か。一番先に死ぬはずの私は今も生きている。
四十六年間会社経営という、最も先の読めないバクチをして来た。
今私の頭の中には、五つ六つのテーマが動いている。やらねばならないテーマが。

ボブ・ディランは“友よ答えは風の中に舞っている”と書いたから、過日海岸に出て寒風の中に立ったが答えはなかった。烏帽子岩がしなびた男根に見えた。
逆光に黒ずんでいた。陽はつるべ落としで大山連峰に消えた。
赤く染まった空の上にスイカを八分割に切ったような三日月が白く輝いていた。
サーファーたちの黒いシルエットが次に来る波を待っていた。

家に帰ると、知人のご逝去を伝える喪中葉書きがポストの中にあった。十二月、31枚目であった。また、その人の歳では死ぬに等しい“解雇”されましたの文字が入った言っつの葉書きも来ていた。やっぱり十二月は嫌いだ。


午前二時からタルコフスキーの「ノルスタジア」を見始めた。
今年三度見ている。カンヌのグランプリ受賞作品だ。
タルコフスキーは難解を極めるが、何度も見るとバカな私にも分かるようになる。
旧約聖書の世界だ。いつものグラスに氷とジンを入れた。
つま味は湖池屋のカラムーチョを少々。ヒーヒーオバサンのCMは大好きだった。



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