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2017年4月6日木曜日

「余禄」




ゴミ山の中から4320万円が出て来た。それを昨夜のニュースで知った。
ゴミは宝の山だったのだ。

私の知人が解体業をやっている。
この頃はどうか知らないが何度か酒を飲んで話をした時こう言った。
“解体は三日やったらやめられない”と。なぜかと言えば余禄がワンサカあるという。
酒が入ったのでかなり話は盛られていたと思うが、家、屋敷をユンボかなんかでガッタンガタン、ボッコンボコン、バリンバリンにぶっ壊す。建築の真逆の行為だ。
ストレスの解消もしつつ、おっ壁の中から茶封筒が、開けてみるとヘソクリが、あるいわ隠し金が。人間は忘れる生き物である。

バキッバキと壊した地下から壺に入ったビニール袋、その中から宝石やら現金が、安物の下手な絵などが壁にへばりついている。その絵の下にべったりとガムテープで貼られたヘソクリ(?)が。人間は何度もいうが忘れる生き物である。

正直に申告するか、バックレて何日か様子を見て何も言って来なかったら余録にする。
他にも株券とか、公社債券とか、借用証書とかエロ写真とかもあるという。
人間は隠したがる生き物で、何故か地下、壁、天井裏を選ぶ習性がある。
更にこんなの一文にもならないと捨てていった物の中に“なんでも鑑定団”に出品したら、えーっとビックリするような“物”もあるらしい。

たかがたん壺だと思っていたのが、中国の有名な景徳鎮の壺だったり、なんだこりゃ木の破片みたいな物に仏様みたいなのが彫ってあるぜと思ったら、実は円空作だったり(円空は鉛筆位の大きさの木片にも彫った)。
家とかもとは庄屋さんの家なんかの解体は余禄が多いとか。

戦後は食糧不足の超インフレ。
買い出しと言ってお米二十キロ、イモ二袋とダイヤモンドの指輪を交換していた。
空腹を満たすために都会人はリュックサックを背負って農家を訪ねた。
多分いまでも日本中の農家の納屋や蔵には国宝みたいなものがあるはずだ。

もう一度言うが人間は忘れる生き物だ。自分のした事を忘れないでチョーダイ。
解体は一見ただぶっ壊しているようだが、イロイロと難問もあるらしい。

知人は息子さんに後を継がしてすでにこの世を去った。
どこまでホントかどうかは分からない。ダンプの荷台にユンボを乗せて、チワースと手を振る息子と一度話をしてみよう。なんかオモシロイ余禄話はないかと。

何しろ日本には数百兆のタンス預金がある。
4320万は持ち主が三ヶ月中に出てこないと回収業者の入金(?)あるいは売り上げ(?)に計上される。いや落とし物扱いかもしれない。
4320万円あれば映画が作れるんだがと思った。

昨日は椿山荘で将棋の名人戦前夜祭パーティーがあり、友人の写真家から誘われていたが残念ながら間に合わなかった。佐藤天彦名人、人はその姿から“貴族”と言う。

2017年4月5日水曜日

「金平糖と大乱闘」




昨夜十時半ちょい三秒前、銀座の仕事場に戻った。
男私ひとり、女子三人との焼肉を食べる会が終わった後であった。
酔い覚ましをかねて歩いて戻った。
ビール小生とハイボールわずか二杯で少しばかり酔った。

仕事場には15分位で着いた。冷蔵庫を開けてミネラルウォーターでもと思った。
卵入れの穴に何やら先が尖ったものが入った小さな白い紙袋があった。
何だろうと思いそれを見ると「金平糖」であった。
そうか、ずい分前に頂いたのが残っていたのだ。

創業弘化4(1847)年京都でただ一軒、伝統を守り続けた本当の味。
ポルトガルから来た金平糖。
日本でただ一軒、金平糖の専門店「緑寿庵清水」のものであった。
1546年ポルトガル人宣教師が持ってきた。

時は織田信長絶頂時代、新しいもの好きの信長は“コンフェイト”と言ったとか。
同じものをつくれと命じたがいかなる菓子職人たちもつくれなかった。
日本で金平糖がちゃんとつくれるようになったのは信長死後三百年近く経ってからなのだ。

金平糖にはレシピがなく、砂糖の金平糖がつくれる様になるには二十年はかかるという。皇室の引出物は金平糖であるとか。金平糖の物語はなんとも色鮮やかである。
だがなんでトゲトゲしているのかは分からない。

半円形の熱を持った大きな鉄釜の上でイラ粉を核にしグラニュー糖を溶かした蜜を少しずつ振りかけては転がし乾燥させる。熟練の職人が何度もこの工程を繰り返す。
約三日目になるとトゲトゲのイガが出始める。
約八日目にほぼ均一のイガが出揃い、約十四日目に完成すると小さくたたんだ紙に書いてある。

緑寿庵清水は砂糖は結晶しないという常識をくつがえして多種多彩な金平糖をつくるのに成功した。梅、苺、桃、桜、さくらんぼ、トマト、ブルーベリー、涼竹糖、ルビーにマンゴー、すいかにココナッツ、焼栗、丹波黒などなど50種近くの金平糖がある。
和菓子職人は芸術家以上だとつくづく思う。

焼肉を食した後の金平糖はスッキリ爽やか、口の中でイガイガを転がして楽しむ、少しずつ溶けて小さくなった金平糖を舌の先にのっけてさらば金平糖よと飲み込む。
信長は金平糖づくりを命じてつくれなかった家来や菓子職人たちを、ボッコボコにしたらしい。

仕事場の小さなテレビをつけると、復興大臣が新聞記者の質問にアタマに来て、出て行け二度と来るなと怒っていた。
昨年ある式典で名刺を交換したが、すこぶる穏やかな佐賀県出身の人であった。
スポーツコーナーとなるとヤクルトと阪神の選手がグランド上で大乱闘をしていた。

2017年4月4日火曜日

「替え玉とかえ玉」


「替え玉」といって思い浮かぶのは、ヤクザ者の抗争かなんかで相手をブチのめしたり、殺したりした兄貴分のために替え玉となって、自分が殺りましたと自首して出る。
替え玉として刑に服し、男だなオメエはとなり将来を約束される。

警察もよく分かっていて、オメエみてえな男があれほどの事件を起こす訳はネエ、よく根性出して自首して来た、オレたちに厄介をかけずによくやった。
といって特別に“面倒身”といういい待遇をさせてもらう。

兄貴分のために体を替え玉にした美談(?)は、検事の心証もいい、二、三割は刑がスヤくなる(軽くなる)。さらに刑務所に赤落ち(服役する、囚人服は赤かった)すると、全国から服役する極悪人や、極道者もヤクザ者の見本、男の見本だと一目を置いてくれる。この頃は抗争で相手のヤクザ者一人位の殺しでも、下手すりゃ無期懲役とか20年近く刑を打たれる。
かつてはヤクザ者一人の命は1015年位であった。それ故替え玉が出て来ない。
抗争事件の犯人を捕まえられない。そして警察の点数は下がる。


“ヘイ!かえ玉一つどーぞ”なんてラーメンを食べている極太(100キロか92キロ位)の男に、一つ、二つとかえ玉が来る。辻堂駅の前の金太郎ラーメン店だ。
白いスープ、細い刻みネギ、細い麺が人気でよく行列が出来ている。

かえ玉いっちょー、ハイ!いっちょよし、どうぞいっちょうと、三段階に復唱されて、極太男(スポニチを読んでいる)のスープのみになった丼ぶりにかえ玉が投入される。
私は醤油ラーメン派なので日曜日に入ったのが初めてであった。

極太男は麺をズルンズルンとすすりながら、チャーシュー丼というのを追加した。
丼ぶりの中のごはんが見えない位にチャーシューが10枚近くのっている。
その上にしこたまニンニクをのっけてガバガバと食う。
競馬大阪杯の本命キタサンブラック(北島三郎さんの持ち馬)のバカでっかい文字。

ボクもかえ玉と子どもの声、オッ少し席の離れたところにいた、極細の女性と10才位の少年は、極太男の妻子だったのだ。お父さんボク二つだよと言った。
極細の女性はビールの中瓶を飲み餃子を恐い顔をして食べていた。
私の中にある替え玉→任侠の男→義理堅き弟分のイメージがつゆと消えた。
荻窪のラーメン、丸福のかえ玉が見つからない。

2017年4月3日月曜日

「天津甘栗」




年度末三月三十一日金曜日、天気予報は当たり午後から雨、夕方から冷たく強くなる。
傘を持たない主義の私のオーバーコートは、雨に濡れて重くなっていた。
カバンの中にはイロイロ入っていてこれも重い。

午後九時四十二分、小田原行きに間に合ったが、新橋駅ホームは人でギッシリ、あと10分位待てば平塚行きが来るのでそれを待つことにする。
せっかく買ったグリーン券だから座って帰りたい。
そこに構内放送、神田駅線路に人が入っていますので列車が遅れますと。
人とヒトは続々と増える。チキショウツイテネエなと思う。

シネマート新宿の最終回で観て来た韓国映画「哭声」の狂気の二時間半近くが頭に浮かぶ。映画館のフライヤーの棚の中から新作のものを10枚ほどカバンに入れていたので、それを出して読むが頭には入らない。駅のホームは不気味な日本人の顔ばかり。

十数分遅れて平塚行きがずっしりと入って来た。すでにグリーン車内は満杯であった。
座っていても座れなくても、等しくグリーン車代はとられる。
私は左ドア口と右ドア口の真ん中に寄りかかって、フライヤーを読んだ。

ギューギューの横に小太りの男32、3才。
両手に指先の出る手袋、灰色に白ヌキでadidasの文字、髪の毛が多く脂ぎっている。
武田鉄矢さんを丸くしたような男。
TUMIの黒いカバンを下に置き、両足でそれをはさんでカバンから出したのが“天津甘栗”の大きな袋。

斜め目前に役所の係長風51、2才の男、笑うと八重歯の大きな27、8才の女性。
バカヤローな二人は盛んにチュッチュとキスをしている(かなり酔っている)。
メガネの男が黒い傘を手にしていたのだが、それが斜めになって私の足先に触れる。

混んでいる所で天津甘栗をプチッ、プチッと爪で割って口に入れる男、割ったら欠片が下に落ちる。
はじめはいい香りだった天津甘栗も一つ、二つ、三つとプチッ、プチッと続くとイライラして来る。武田鉄矢さん風が私の顔を見た。気のせいか笑って見えた。
足先には傘の先、全然美人じゃない部下(多分)と全然冴えない男。
頭の中には韓国映画のオドロシイ農村のシーンが浮かぶ。

何個入ってんだ天津甘栗は、十、十一、十二、チキショウなんてこったと思いジッと我慢していると、列車がブレーキをかけた。足の先に触っていた傘の先が強く触れた。
それを足で蹴り上げた。何やってんだよと低く恐い声で言った。
ついでに、いつまで食ってんだよ、食べかすちゃんと拾えともっと恐い声で言った。
そのスペースには七人いて下の階段に二人いた。

東海道線のグリーン車はニ階建てで、一階入り口には八人座れるところがある。
列車はかなり徐行運転だった。これでも相当にやさしくなった私だった。
乗客は黙して語らずだ。列車はやっと川崎に。

役所の上司と部下風はズルズルと押し出され、天津甘栗男はカバンの中に天津甘栗をしまいこんだ。川崎駅ホームで待っていた乗客がグイグイ入って来てギューギューとなった。役所の上司と部下風がところ天を押し入れるようにまた乗って来た。
男は黒い傘を胸に抱いていた。

私が足を動かしたら足の下に天津甘栗の欠片があってそれを踏んだ、ガリッと音がして欠片は粉々になった。むかし荻窪駅北口前で天津甘栗を炒めていた後輩を思い出した。
私は実のところ、天津甘栗は嫌いじゃない。
上手に割る方法を後輩から教えてもらっている。

やっとこさ家に帰り、深夜から朝まで新作「SCOOP」と「ミュージアム」「聖の青春」の三本を見た(新作レンタルは二泊三日)。それについては後日。

2017年3月31日金曜日

「原宿ロール」




「原宿ロール」がいいんじゃないですか、と教えてくれたのはタクシーの運転手さんだった。仕事をさせてもらっている代田橋の会社まで向かっていた。

青山通りから表参道に入った時、お土産を買ってないなと思った。
運転手さん悪いけどなんかお菓子屋さんかなんかあったら止めてよと言ったら、ゴッツイ顔からやさしい声で原宿ロールを教えられたのだ。
で、着いた店は「コロンバン」であった。店内は若い女性で満員であった。
午後四時三十分頃である。

私の前に三人組と二人組の若い女性がお菓子ケースの前に並んでいた。
ケースの下段に宮内庁御用達原宿ロールとPOPがあった。
独特のハチミツと生クリームが人気らしい。
直径8センチ位、長さ12センチ位が一本1080円であった。それを四本買った。
一本ずつ白い箱に入れてくれた。
そしてその箱の上に保冷剤を長く切ったセロテープで貼り付けてくれた。

私は辛党なので生クリーム系は年に11回しか食べない、それも少々。
10回は家族の誕生日、後一回はクリスマスだ。
運転手さんありがとよ、かなり旨そうだよ。原宿ロールは人気なんですよと言った。

二時間位アレコレみんなと打ち合わせ後、社長さんと食事でもと思っていたが、原宿ロールを太く切って食べたのでおなかが一杯となった。
社員の方々が旨かった、美味しかったと言ってくれた。男女共に人気であった。
ちょっと珈琲でもとなり、社長さんと小一時間話をして四ツ谷駅へ。
四谷から東京→辻堂と乗り継いで帰った。

八時四十五分頃に着くと腹が減っていた。
駅のホームからおでんの赤ちょうちんをよく見ていた。
線路ぞいの店でいつか入りたいと思っていたので店に向かった。
アタマの中は日本酒とおでんになっていた。
初めて入るのでかなり古くなったスライド式の扉をゆっくり開けた。
おっ小さい、おっおでんだ、おっ満員だであった。
五人位しか入れないカウンターだけの店だった。残念ながら常連さん風ばかりだった。
仕方ない帰るかとなった。
家に帰りブリの塩焼きと、ハンバーグ、しらすおろしを食べた。


東京新聞の夕刊に好きなコラム「大波小波」というのがある。
お茶を飲みながら読んだ。村上春樹の新作がらみのことをちゃんと書いていたので原文のママ書く。
「発売日の発行部数が百三十万部。待ちに待たれた『騎士団長殺し』は、社会現象になるほどの反響かと思っていたら、どこの書店へ行っても店頭に売れ残りが高く積まれている。予約部数の多さからして当然ベストセラーにはなったものの、読者のツイッターや各紙に出た批評家たちのコメントには、さほどの熱がない。
主人公が山の家に籠もって絵を描くばかりで、行動範囲が極端に狭い今回の作品は、いかにも村上春樹らしいと言えばそうだが、どこか昔の作風に逆戻りしたようで、大胆さや新鮮さには乏しい。東北の港町や東日本大震災は書かれるが、原発事故への記述が全くない。期待が大きすぎただけに、肩透かし感が残る。
出版社頼みの綱のハルキ特需も、ぼちぼち限界なのではなかろうか。今回の発行部数は読者の熱意よりもスマホでの宣伝まで駆使したセールス主導のバブリーな数字である。
呆れて背を向ける人口が逆に増えた気がする。あとに残るのが返本の山にならなければいいのだが。金の卵を産むガチョウも不死身ではない。いっそ商業的に失敗し、お祭り騒ぎから開放され、誠実な読者だけを相手に書けるようになればいい、と作者は望んでいるのではないか。穏やかな老後を送らせてあげたい。(イデア)」
コラムのキャッチフレーズは“ハルキ特需は限界?”であった。

セックスレス夫婦には受けているらしい。何!ヤッテルってか、ならば買うことはないかも。ラストシーンが衝撃的映像の「草原の実験」を又借りて来ていたので午前二時二十分五十八秒から見始めた。セリフは一切ない。
映画を志す人は必ず見てほしい。天才中野裕之監督も絶賛している。いい週末を。

2017年3月30日木曜日

「マタギの教え」




「マタギ奇談」工藤隆雄著、山と渓谷社。
「天は我を見捨てた」と北大路欣也が猛吹雪の中で叫んだ。
大ヒット作「八甲田山」のシーンだ。

私はマタギの話や、柳田国男の山の話とか、折口信夫の本とかをホンノ少しばかり読む。マタギ奇談にはこんな話が書いてある。

1902年(明治35年)歩兵青森第五連隊2010人が青森市南方にそびえる八甲田山に入り、199人が凍死した大事件だ。
当時、日本は日清戦争が終わり、近い将来ロシアとの戦争を始めようと目論んでいた。そのために雪中行司軍の訓練を各隊がしていた。
マタギたちはこんなときに八甲田山に入るのは危険だ、中止すべきと言ったが、なんのこれしきの雪、我々は雪と戦っているのではない、ロシアと戦っているのだと言って、無謀な行軍を進めた。

マタギの指示を聞き入れ生き残るための方策をした弘前隊は助かり、マタギの意見を聞き入れなかった青森隊は強行をし全滅した。軍はこのことを秘密にする様にした。
マタギたち案内人に八甲田山中のことをしゃべったら牢獄行きだと口止めした。
生き残ったマタギたちは凍傷で手と足の指を落とした。が村や国の補償はなかった。
凍傷が原因で廃人になったり、若くして死んだ。

北大路欣也は青森隊、高倉健が弘前隊であった。
この事件を後年時事新報社の記者であった、小笠原孤酒(本名広治)が丹念に調べ自費出版をした。1970年である。「八甲田連峰吹雪の惨劇」全五巻。
それを読んだ新田次郎が更に調べ1971年「八甲田山死の彷徨」という小説にしてしまってベストセラーとなった。小笠原孤酒はこのことに愕然とした。

高校生たちが雪崩に遭って多数死んでしまった。実に悲惨だ。
マタギたちを指導者の中に入れておいたら助かっただろうにと思った。
高校生の雪山の訓練は絶対に止めなければならない。山は恐いのだ。
インタビューを受けていた教育者には危機感が全くなかった。

2017年3月29日水曜日

「便利の先」




待つ時間のない時代。便利といえば確かに便利である。
朝アマゾンというのに本を頼んでもらうと早ければ夜に、遅くとも次の朝には届く。
書店に行って取り寄せを頼んで、本が入りましたの電話が4、5日後あって、ハイありがとう取りに行きますがフツーであった。
川上書店に行って本に出会って、近所の喫茶店かなんかに入って、珈琲でも飲みながらパラパラとめくる。一つの楽しみであった。

フィルム使用のカメラでパチパチと花やら海やら、孫たちを撮ってカメラのキタムラに行く。かつては二日後に出来上がるのでそれを取りに行くのが楽しみだった。
ママチャリに乗ってリンリンさせながら何度も何度も通ったが、カメラのキタムラは閉店した。デジタルカメラ時代、フィルム利用がなくなったのが主なる原因(?)で不採算店は整理された。

もしもし魚昌ですが、いい干物が2日後に入りますと電話が入る。
あっ、そういいね、取りに行くからと大好物のアジやサンマやカマスの干物の夢を見て、徒歩約10分位のところに取りに行ったもんだが、魚昌は店を閉めた。
お取り寄せ便に電話をすると次の日に届く。
白いアツアツのご飯の前にジュウジュウするアジの干物の夢を見る間もない。
何しろなんでも早いのだ。

もしもしハイ今出ますと電話の声、だが料理は未だ出来ていない。
中華料理店の出前だ。すぐ着きますと言ってすぐ着かず、十五分、三十分待つのをそば屋の出前と言った。腹がペコペコになった人間はイライラする。
ヤサイイタメとギョーザとライスとかを頼んで仕事をしていると、頭の中はギョーザライスになってしまう。
頼んだ上司は部下にオイ電話しろ、どうせそば屋の出前だから未だ作ってないんだろう、早くしろ、早く!なんてことになる。

私の好きな銀座菊凰は今でも出前をしている。私がいる間何本か電話が入る。
ハーイ今出ましたと応える。そして厨房に向かって出来たと聞く。
相変わらずだねと言えば、出前はねえ仕方ないの、待って頂くほど美味しいんだもんねえ、二人の女性は顔を合わせる。
もしもしハイハイ、マーボー丼にチャーハン、レバニラライスにギョーザ三人前ですね、すぐ行きまーす、となり昼の菊凰は忙しいのだ。

デートとは待つことなりと言ったのは、女性にモテる男だった。
約束の時間より小一時間早く行って待つ時間を楽しむんだと言った。
どんな服着て来るかなとか、どんな靴とか、どんなヘアースタイルとかをイメージする。マメな男がモテると言うがとにかくマメな男であった。
デートに遅刻は禁物らしい。私にはデートしたという感覚的記憶がない。
全然マメでなかったのだ。動物的行動をした記憶はある。便利の先には何もない。
アイルランドの若者は映画の中でそう言った。

2017年3月28日火曜日

「トレイン・スポッティングとアジフライ」




ヘロインとSEX、SEXとヘロイン。
幻覚、興奮、禁断、脱糞、絶叫、誘惑、暴力、サウンドの洪水、死への恐怖、狂気と生気との格闘、1000倍気持ちいいというSEXに溺れる若い男、男、若い女、女、エイズとゲイ。

無気力と無目的、検査への恐怖、夫が麻薬をしだすと妻も使用する。
逆に妻が麻薬をしだすと夫もする
何故か、1000倍気持ちいいというSEXができるからだという。
終わりなき快楽、あくなき性欲は人間の本性でもある。

私は一度も経験ないが、麻薬で死んだ男女、別れた夫婦、共に刑務所に入った夫婦を知っている。
かつて何度も相談を受けたが、麻薬(ヘロイン、シャブ、マリファナ、古くはヒロポンなど)で人生を台無しにした人間を何人も知っている。
それでも強い精神力で立ち直った人間も多い。

麻薬は1000倍気持ちいいというSEXを知った女性の要求のほうが多いという。
カラダが忘れられなくなってしまうからだ。
日本の売人は高級マンションや団地妻のお客が多いという。
主婦売春が多いのもそのためだろう。デリヘルの多くは主婦である。
それに気づき攻め立てた夫もやがて麻薬を知ってしまい人生を破滅させる。
妻にデリヘルをさせてしまう。

イギリスのユアン・マクレガー監督の「トレイン・スポッティング」は世界中の若者に影響を与えた。日本の若者のバイブルにもなった。
トレイン・スポッティング以後、以前とも言われる青春ヘロイン映画だ。

企画書を20数枚書いた後、昨日深夜もう何度目かになるが気分直しに見た。
人間が凸と凹の関係である以上快楽を求める。先日数百キロの麻薬が発見された。
時価数百億だ。今年に入って二度目の大量発見だ。密告があったはずだ。

北朝鮮と中国で精製されたのを台湾マフィアが運ぶらしい。
地下水脈では生産地ラオス、カンボジアなどと繋がっている。
中国のいう“一帯一路”とは麻薬ルートのことと言ってもいいだろう、国家予算の相当部分を麻薬が占めている。警察にパクられた売人たちは言う。
この世に主婦がいる限りシャブ(麻薬)は売れる。
売人たちは言う、シャブは売るものでヤルものじゃないと。

見てない人には一度オススメの映画が「トレイン・スポッティング」だ。
注射だけではない座薬も塗り薬もある。
目がトロンとして肌がパサパサ、妙に痩せだしたらご注意を。
それとやけに寒がりだったりするらしい。
映画のラストに仲間を裏切った男は大金を手にしてこういう、これでカタギになるんだ、みんなと同じ楽しみ、出世、家族、大型テレビ、洗濯機、車、CDプレイヤー、健康、低コレステロール、住宅ローン、マイホーム、オシャレ、スーツとベスト、日曜大工、クイズ番組、公園の散歩、会社、ゴルフ、洗車、家族でクリスマス、年金、税金控除、平穏に暮らす。寿命を勘定にして。

午前三時〇三分四十六秒、いつものグラスにタカラカンチューハイ。
つま味は夕食の残り物、トンカツ少々とアジフライ、いただき物のカキの佃煮。

2017年3月27日月曜日

「三月二十四日のこと」




先週金曜日は心ならずもブログを休載してしまった。
そのことに気がついた時はすでに土曜日となっていた。

アメリカ、スペイン、ドイツ、海外ロケを一緒にしていた写真家と久々に会い話が弾んだ。ごく一部の人気写真家以外は写真家不況である。
そんな中で四谷に80坪近くあるスタジオを二つ持ち、スタッフも10人位揃えている。
そのスタジオに見学に行く事になっていたので、アレコレ仕事やら資料整理、何本かの連絡を取り合っていたら思いの外時間がかかってしまった。

凄まじい早さで私のブログを打ってくれる敏腕女史が私の代わりに「ひろしま さとやま未来博」(25日より開始)で広島に出張しているのも要因であった。
代打をしてくれる人には急ぎの仕事を頼んでいた。

写真家の友人と行きつけの店に行き、男三人でお互いに大好きな将棋の話、囲碁の話、大相撲の話、籠池証人喚問の話。歴史の話は大化の改新から中世、戦国時代、関ヶ原から明治維新そして近代まで話は弾んだ。
一緒にロケに行った時はいつも飛行機の中で小さな将棋盤で時間をつぶした。
写真家はとても強く、勝つことはできなかった。
将棋雑誌の表紙の写真をずっと撮っていた。
ワイン通で有名なのだが私はワイン不通である。で、ワインを語ってくれた。
なかなかに奥深い話であった。

被写体としての籠池泰典氏の話になった。写真家の目は鋭い。
籠池氏は覚悟を決めたのか、やけにすっきり爽やかであった。
未だ勝負手を何枚か持っているのか余裕が出ていた。
ひとまず世間を巻き込むことに成功した。“追われる者は人民の海へ入れ”という。
近々一緒に仕事をする事を約束して別れた。

このブログを書いている今現在は、三月二十六日(日)午前四時二十三分四十秒である。写真家と別れ帰宅した土曜日午前二時すぎから、借りてきた映画をアレコレしながら見ている。
テレビドラマを超えられないと思ってずっと見てなかった「64(ロクヨン)前後篇」約5時間、「オマールの壁」98分、もう何度目かの「トレイン・スポッティング」126分、「家族はつらいよ」108分、「モディリアーニ・真実の愛」127分、「夢二・愛のほとばしり」108分、途中に食事をしながら、椅子に座り、床に横になり、(立ち上がり)ボクシングのシャドーをする。
右手にリモコンを持って、朝刊、夕刊を読みながら見る。

昼、天丼(エビ・イカ・キス・カボチャ・ナス・シシトウ)を食す。
夜、握り寿司を一人前食す。他にホッキ貝と赤貝、ミル貝の刺身を食す。
日本酒二合。

昼寝らしきものは鍼灸の達人の治療を受けながら。
平塚の達人にはホントは三倍払わないといけない程、私の体はガチンガチンになっている。達人は治療でなく工事ですと言う。
その後「裏関ヶ原」吉川永青著を100ページほど読む。

佐藤浩市という役者はなんで声高かに叫ぶ芝居ばかりするようになってしまったのだろうか。新人の時は虚無感があってよかった。
「64(ロクヨン)」で日本アカデミーの主演男優賞を受賞したが、私にはワンパターンの演技であった。一人だけ浮いてしまう。
テレビドラマで同じ役を演じたピエール瀧に及んでいない。
刑事から広報官に格下げ(?)された男の耐える姿が出てない。
何しろ長過ぎるのであきれてしまった。
奥田瑛二は相変わらずスーツの着こなしがすばらしい。

原作者横山秀夫は上毛新聞の記者出身、映画は地方紙と警察内部の話だが、本庁(警察では本店という桜田門)の記者クラブより多人数なのでかえってリアリティがなかった。
「オマールの壁」はいい映画であった。パレスチナの今が見える。
数十メートルの壁を超えると恋人がいる、秘密警察がいる。拷問とリンチが待っている。仲間との愛。
山田洋次監督の「家族はつらいよ」は、フーテンの寅さんを失った山田洋次さんのつらい気持ちが出ている喜劇であった。

現在五時〇二分三十六秒、思い切りつまんない「夢二」を見ている。
絵を描かず女性を抱きまくるだけ。六時からTBSで時事放談があるのでそれを見る。
外は雨がシトシトピッチャンと降りはじめた。過去に見ている他作はいずれ後日に。
やっぱり映画は脚本が第一である。そして何より監督。
いつものグラスにバカルティラムを入れた。(文中敬称略)

2017年3月23日木曜日

「幸福考と抗菌」




私たち日本人はどこの国にも負けず働いている。
世界一勤勉と言っても過言ではないだろう。
みんな税金をこれでもかという程払っている。

だがしかし、二十日「国際幸福デー」においての国連の発表によると、日本の幸福度は調査対象155カ国中、51位だというではないか。前回は53位だった
第1位はノルウェー、2位デンマーク、3位アイスランドなど北欧諸国が上位を占める。
米国は14位、韓国が56位、中国は79位だった。

社会福祉や自由度、一人当たりの国民総生産(GDP)や社会支援の在り方などを基準に算定しランク付けをした。北欧諸国は昼間の時間が短い、つまり夜が長い。
夜が長いので若者たちは恋をし、愛を楽しむ。
勿論中年、老人も同じだ。フリーセックスの国もある。

人間という生き物は不思議なもので、好きなだけ、好きなことをやってもいいよと言われると自制心が生まれる。きちんと相手を選ぶようになり、ホントの愛を求める。
遊びと本気がきちんと区分けされる。人間は愛なくしては行きて行けない。
親子の愛、友愛、仕事への愛、仲間への愛、師弟愛、夫婦愛。
近頃ではペットへの愛などは人への愛を超える。
働くご主人のランチ代より高いペットフードを食べさせる。
幸福でないかといえば幸福なような気もする。

若い女性たちが電車の吊り革が汚いのでつかまりたくないなどと言って抗菌グッズが売れているとか。日々働く男たちの手は神聖なのだ。
働く女性に至っては更に神聖なのだが、抗菌グッズを買う人間は男女を問わない。
小・中・高生の3~4割が他人の握ったおにぎりに抵抗感があるという。
コンビニのおにぎりを買う習慣が定着しているからだろう。
図書館の本に消毒液を吹きかける人間もいる。
だが千円札、五千円札、一万円札にいちいち消毒液をかけている人間は聞いたことはない。

世界ではどうだろうか。幸福度は一人ひとり違う。
国それぞれ違うが、勤勉な日本人が51位というのはやはり国家百年の計がなく、さまざまな権力闘争の結果だろう。次のリーダーを選ぶリトマス試験紙はここにある。
着眼大局、着手小局(まず大きな絵が描けて、細やかなところまで手が打てる)を持つリーダーが出現してほしいと願う。私には期待する人がいる。
今日国会で籠池氏という人間の証人喚問があった。
抗菌グッズが必要な人の名前が次々と出た。

ワイドショーには相変わらず、時事通信の田崎史郎他のメンバーが雁首を揃えていた。
しっかり本業をしろと言いたい。この人間たちに消毒液を吹きかけたいと思った。
幸福度を上げるには全く不必要なバカ者たちだ。私は私に消毒液をかける。
(文中敬称略)