七月三十日(日)午後二時三十八分、ゲームセット野球場の時計はデジタルで秒針がない。
淵野辺といえば大変お世話になっている東洋羽毛工業(株)の本社と工場があるところだ。だがこの日私は淵野辺公園側、弥栄町にある相模原野球場に朝からいた。
中(三)の孫の野球の応援に家族総出で。
前週の日曜日横須賀スタジアムで公式戦第一回戦があった。
負ければ引退となり受験勉強に入る。
試合は11対10で7回裏サヨナラ勝ちであった。
三番サードの孫は反撃の口火を切るレフトオーバーの二塁打を打った。
あとはショートライナー、左中間をライナーで抜けたと思ったがファインプレイでアウト。
打たれて、打ってを繰り返した。
最後に二年生のキャッチャーが満塁から弾丸ライナーでレフトオーバーを打ちサヨナラとなった。
船橋から娘家族とチワワ一匹も応援に来た。
愚妻は大声でガンバレー、負けるなぁーと普段と別人となった。
そしてみんなヤッタ、ヤッタと泣いていた。
サヨナラ安打を打ったキャッチャーのお父さんは、奥さんと離婚して男手一つで二人の子を育てて来たとか。
度の強いメガネの奥に涙がたまっていた。
みんなから祝福されていた。
で、相模原野球場は11時試合開始予定、私はずっと起きていて、六時から時事放談を見て、七時から朝刊を読んでいたら八時になりサンデーモーニングを見始めたら、そろそろみんなが迎えに来るというので、すぐにシャワーを浴びた。
そしてレッツゴー、お嫁さんは当番なのでもっと早く球場に行っていた。
淵野辺はその日の朝から激しい雨、でも私が着いた十時半頃は小降りとなっていた。
公式戦を三試合組んでいるので流せない。グランドのスタッフ六人と各チームがビニールシートを外し砂を入れ、トンボという道具で整える。
熱心さに頭が下がる。
一時間ほどかけて整え終り、そこに白い線が入る。
ホームから外野へ、バッターボックス左右二ヵ所が出来、キャッチャーボックス、ホーム全体を半円で囲む。私の少年の頃と同じやり方だ。
文明が発達しても白い線をカタコトとやる方法は変わらない。
試合開始は大幅に遅れて第一試合が十一時三十九分プレーボール。
そして我々は一時四十分に試合開始、いきなりボカスカ打たれた。
五回までに七点差がついたらコールド負け。
孫は第一打席初球をライナーでレフト前ヒットを打った。
その後相手の「藤沢シニア」に打たれまっくて五回で終り、0対8であった。
ただ一死満塁の時に打者のボールがサード深くレフト近くのファールゾーンにフライが上がった。
孫はそれを必死に追い斜め逆シングルで捕った。
深いので相手のランナーはタッチアップでホームへ。
孫はすぐ振り返り早いワンバウンドをキャッチャーへ。
見事アウトにした、ダブルプレイになった。
両軍から拍手が起きた。
同じようなファインプレイもした。
私は最高のプレイが見れて本当に嬉しかった。
帰りのバスの中で一気に眠りに入った。