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2017年8月1日火曜日

「サヨナラ勝ちと、コールド敗け」

七月三十日(日)午後二時三十八分、ゲームセット野球場の時計はデジタルで秒針がない。

淵野辺といえば大変お世話になっている東洋羽毛工業(株)の本社と工場があるところだ。だがこの日私は淵野辺公園側、弥栄町にある相模原野球場に朝からいた。


中(三)の孫の野球の応援に家族総出で。
前週の日曜日横須賀スタジアムで公式戦第一回戦があった。

負ければ引退となり受験勉強に入る。

試合は11対10で7回裏サヨナラ勝ちであった。
三番サードの孫は反撃の口火を切るレフトオーバーの二塁打を打った。
あとはショートライナー、左中間をライナーで抜けたと思ったがファインプレイでアウト。
打たれて、打ってを繰り返した。
最後に二年生のキャッチャーが満塁から弾丸ライナーでレフトオーバーを打ちサヨナラとなった。

船橋から娘家族とチワワ一匹も応援に来た。
愚妻は大声でガンバレー、負けるなぁーと普段と別人となった。
そしてみんなヤッタ、ヤッタと泣いていた。

サヨナラ安打を打ったキャッチャーのお父さんは、奥さんと離婚して男手一つで二人の子を育てて来たとか。
度の強いメガネの奥に涙がたまっていた。
みんなから祝福されていた。


で、相模原野球場は11時試合開始予定、私はずっと起きていて、六時から時事放談を見て、七時から朝刊を読んでいたら八時になりサンデーモーニングを見始めたら、そろそろみんなが迎えに来るというので、すぐにシャワーを浴びた。
そしてレッツゴー、お嫁さんは当番なのでもっと早く球場に行っていた。
淵野辺はその日の朝から激しい雨、でも私が着いた十時半頃は小降りとなっていた。

公式戦を三試合組んでいるので流せない。グランドのスタッフ六人と各チームがビニールシートを外し砂を入れ、トンボという道具で整える。
熱心さに頭が下がる。
一時間ほどかけて整え終り、そこに白い線が入る。
ホームから外野へ、バッターボックス左右二ヵ所が出来、キャッチャーボックス、ホーム全体を半円で囲む。私の少年の頃と同じやり方だ。
文明が発達しても白い線をカタコトとやる方法は変わらない。

試合開始は大幅に遅れて第一試合が十一時三十九分プレーボール。
そして我々は一時四十分に試合開始、いきなりボカスカ打たれた。
五回までに七点差がついたらコールド負け。
孫は第一打席初球をライナーでレフト前ヒットを打った。
その後相手の「藤沢シニア」に打たれまっくて五回で終り、0対8であった。
ただ一死満塁の時に打者のボールがサード深くレフト近くのファールゾーンにフライが上がった。
孫はそれを必死に追い斜め逆シングルで捕った。
深いので相手のランナーはタッチアップでホームへ。
孫はすぐ振り返り早いワンバウンドをキャッチャーへ。
見事アウトにした、ダブルプレイになった。
両軍から拍手が起きた。
同じようなファインプレイもした。
私は最高のプレイが見れて本当に嬉しかった。

帰りのバスの中で一気に眠りに入った。

2017年7月31日月曜日

「背中に消しゴム」

「男は父の背中を見て育つ」というが父の背中を見ない、見たくない、見せるな、と育った男がいる。

その男の父は長袖のシャツを着てプールに入った。
Why何故か、それは背中一面に“鯉の滝登り”の立派な刺青が入っていたからだ。
私の友人の父親である。

友人は夏になると嫌でしょうがなかったという。
父親とその子分たちと阿佐ヶ谷にあった50メートルプールに連れて行かれるのだ。
プールの入り口には刺青の方はプールに入れませんと貼り紙がしてあった。
小学生だった友人を連れてプールに行くのだが長袖のシャツは脱がなかった。
お風呂の中でよく見ていたので友人は、鯉の滝登りの絵(?)が好きだったが、中学生に入ってからは見たくもなかった。
あんまりにも暑い夏、父はシャツのままプールに入った。
シャツは水をたっぷりと含み背中の刺青がうつし出された。
背中の鯉は久々に本物の水を得てイキイキとした(?)。
友人は恥ずかしかった。同じ学校の女子生徒たちも来ていた。
子分たちもTシャツのままプールに飛び込んだ。みんな刺青が大なり小なり入っていた。
友人はプールから出て先に家に帰った。
あとから帰って来た父親は刺青が入っていることを友人に謝った。
お前はお父さんみたいなヤクザ者になるなよと言った。

友人は成績優秀で中高一貫校からそのまま大学へ進んだ。
“陸の王者”が応援歌の大学である。友人は応援団に入り、やがて団長にまでなった。

卒業して外資系の大手広告代理店に入った。
その会社のロビーで何年か振りで会った時、父親の刺青の話になった。
その時すでに亡くなっていた。
オヤジの背中見るのが嫌だったよ。
阿佐ヶ谷のプールに行った時、大好きだった女の子がプールサイドにいたんだよ、恥ずかしかった。
そんな話をしたことを思い出した。

幼い頃友人は消しゴムで父親の背中をこすったと言って笑った。

昨日家の近くの海へ向う親子がいた。
タンクトップから出ている太い腕に刺青があり、その右腕の中に小さな白い犬がいた。
犬がどう育つかは分からない。
左手に三才位の男の子がつながっていた。

空はどんよりとして霧雨が降っていた。

2017年7月28日金曜日

「ありがとう」

本日、七月二十八日夜、八年間プロフェッショナルの仕事とはを共に追い求めて来た、私の右腕の送別会である。

教えきれないストレスに猛烈に応えてくれた。

今後のために私は自分自身を総括しなければならない。
広告制作、出版、イベントプロモーション、映画制作、ボランティア活動、各種販促、ブランド出店、チャリティ活動、いわば私の“狂人日記”をプロデューサー&デスクとして支えてくれた。
今は「ありがとう」この一秒の言葉以上の言葉が見つからない。
今夜は「しあわせに」この一秒の言葉を心を込めておくりたい。


笑顔がとても似合う有能な女史を知っているみなさんに、この場をかりてご報告をする。

すてきなご主人がいて、映画が大好き、ワイン通で食通、特にタンタン麺、インドカレーが大好きです。そしてどこよりも香港が大好きです。
プロ意識の高いもの凄い女史です。今後共ヨロシクお付き合いをしてあげてください!

2017年7月27日木曜日

「砂の女」

女性は怖ろしいと思った映画がある。
日本映画史上に残る名作である。
勅使河原宏監督の「砂の女」だ。

学校教師の男が昆虫採集で、ある村を訪れる。
家族と死に別れた女のところに宿泊する。
女は家の周りの砂をかき集め、村人が砂を引き上げる。
家は砂の壁に囲まれた谷底にあるため縄はしごがないと外に出れない。
朝、男は出ていこうとするが縄はしごはない。
男は女にとらわれたと気づく。
男は女に逆らいながらも砂かきを手伝う。
ロープを使って外に出るが、村人によって連れ戻される。帰りたいけど帰れない。
女は黙々と働き、男は逃げたがる。
男は罠にはまったことを感じる。
人が砂に支配されている。女の家がつぶれれば隣りの家も埋もれる。
だから砂をかき出す。
アリ地獄の中に落ちた生き物が決してそこから出れず、アリに食われるように、男は女の餌食となる。
男は女の肉体に犯され続ける。
やがてアリ地獄を脱出に成功する。
そこで砂に埋めた樽に水が湧くことに気づく。
桶水の実験をしだした男は、もう逃げ出すことを忘れる。
自由を奪われて新たな研究に没頭する。女の肉体はアリ地獄のように男を逃がさない。

安部公房原作は不条理の世界へ観るものを誘う。
音も映像も素晴らしい。さて、「砂の女」に何を学ぶかだ。
私たちは人生というアリ地獄の中にいるのかも知れない。
何もかも逆転してみると分かる。幸は不幸へ向い、不幸は幸に向う。悪は善であり、善は悪となる。希望の愛は絶望となり、絶望の愛は希望となる。
「砂の女」の男はアリ地獄の中に生き甲斐を見つける。
だから私たちも…(?)何!ヒアリが恐いからアリ地獄に落ちたくないだと。
いつものグラスにジンを入れると砂の女がグラスの底に見えて来た。

2017年7月26日水曜日

「小津安二郎的」

昨日家に早く帰る必要があり新橋発平塚行に乗車した。
午後五時二十分を二分遅れで入線して来た。列車はすでに満員状態であった。
ムシ暑くベタベタする日だった。

ほほえましい光景を見た。

八十代と思われる老夫婦が私と同時にグリーン車に乗った。
空いている席は前から二列目の二つだけであった。
買い物をした私は大きな袋を持っていた。
暑い中銀座二丁目から新橋まで歩いたので汗びしょであった。

君が座りなさい。いいえ貴方が座りなさいよと、老夫婦は1つの席をゆずり合った。
小津安二郎の映画のシーンのようであった。

私は窓側の一つに座っていた。列車が遅れたので混む。
特別にグリーン車代を980円払っているので席をどうぞと言う人はいない。
私もその一人であった。
ご主人と思われる品のいい人はパナマ帽をかぶり杖を持っていた。
濃い青色のツーピースのご夫人は、私はいいわよと言いながらも座った。

私の心の中はどこか窮屈になっていた。

席を立ってゆずるべきだったかと、列車が品川駅に着き停車した時、杖を持ったご主人の体がガックンと動いて座席の背の部分をつかんだ。
大丈夫とご主人は言った。
隣りの二人掛けにはバタバタと新聞をめくる四十代の男と、二十代の終り近い女性がスマホをしきりに使っていた。
車内放送では、宇都宮駅で安全確認をしていたので二分遅れたことを何度も謝っていた。
私は立っているご主人が気になって仕方なかった。
列車が動き出した時、あなたパンフレットを見せてと言った。
カーキ色の半袖シャツにエビ茶の蝶ネクタイのご主人はショルダーバックから七月大歌舞伎と書かれたものを渡した。きっと歌舞伎を観に行って来たのだ。
表紙に白い髪も鮮やかな市川海老蔵の獅子がいた。
私が持っていた夕刊紙にでっかい文字で海老蔵に再婚話という大見出しがあった。

まい日夏休みとなり孫の世話をしている愚妻を歌舞伎に連れて行ってやろうと思った。
海老蔵のファンである。

スマホをいじっていた女性が気がつくとキリン氷結ロング缶を飲み始めていた。
いい舞台だったねとご主人は上から言い、そう、とても良かったと下からご夫人は言った。

本当に小津安二郎的になっていた。
こんなシーンは大好きなのであった。

スマホの女性は画面を見てクスクス笑っていた。

信号が停止信号を出しましたのでしばらくお待ち下さいと車内放送が始まった。


2017年7月25日火曜日

「成功とは(?)」

頂点とは転げ落ちる始まりの場所のこと。

青菜に塩とは、すっかりへんなりしてしまうこと。

昨日支持率急落で心身共にへたってしまった、安倍総理が、国会の審議に出席した、今までと別人のごとくであった。
大人しくというより、野党にイジメられている弱者を演じていた。
権力者で頂点を極めるには、芝居上手でないとつまらない。
が頂点からウソを抱えたまま、ゴロゴロと転がり始めたことを全国民(テレビを見ていた人たち)に強く印象づけてしまった。
振付師が役不足であった。

ある哲人曰く「成功するまでは、どんな人でもうぬぼれを持つ権利がある」成功とは何かは一人ひとりによって違う。
昨日の演出はうぬぼれしか知らない人間の浅知恵でしかない。
苦労を知らず、挫折も知らず、まして人の痛みなどを知らないエリート官僚上がりは、自分こそが完全と思い込んでいるからだ。

五代将軍徳川綱吉の側で権勢をふるった柳沢吉保と同じだ。
なんと人間より犬を大切にしろという命を出した。(加計学園獣医学部問題みたい)

「史記」の中にこんな教えがある。
「成功の下、久しく居るべからず」いつまでも成功にひたっていてはダメだよと。

私は成功を目指すことなく、ひたすらリスクを背負って行く。


2017年7月24日月曜日

「食べる、食べない」

バックバク食べたい物を食べ、体を動かすことなく、ブックブクに太ったマツコデラックスさんと、昆虫みたいに野菜ばかりを食べて、早く歩く、長く走る、重いダンベルを持ち上げる。
そして腹筋を何十回もし、逆立ちをする。
早朝から筋肉美人を目指す女性たち。
どっちが幸せそうかと言うと、私にはなんでもおいしそうに食べる、マツコデラックスさんの方が幸せそうに見える。


女性たちは何故にたくさんのお金をかけて、そこまでして筋肉美をつくり上げるのか、昨夜「情熱大陸」を見てそう思った。
カリスマトレーナを取材していたが、その生活は劇画的であった。
トレーナーのカチンコチンに鍛えられた筋肉美を見て、役作りをする女優さんや肉体美を売りにするタレントさんたちがコーチをしてもらいに来る。

人間等しく年を取り、等しく筋肉は衰えて行く。
ちゃんとしたコーチにつかず自己流でジムに通い詰め、今は病院に通い詰めている人間も多い。

フツーの人間が突然オリンピック強化選手みたいな生活をしたらどうなるか、答えは明らかだ。

女性トレーナーはそれを職業としているから、大好きな甘い物も計画通りにしか食べない。外国女性の筋肉美をみて憧れて、自らもそれを目指したという。
一緒に焼肉を食べる両親は、上京して来て心配そうに言う、いつもおなかを出して冷えないかと。


オカマのマツコデラックスさんは、女性の筋肉美には興味はないだろう。

ニューハーフの男(?)が言った言葉を思い出す。
水泳の世界大会でさぁ、ハンカチをたたんだみたいな小さな海水パンツ一丁のスイマーたちを見ていたら、みんな食べたくなっちゃうわよ、あのヒトたちきっとその気ありありよ。


ストイックに野菜生活もよし、野放図に雑食生活もよし。

2017年7月21日金曜日

「ポイレットのポスターと、あ〜嫌だ嫌だの三人」

~今日の仕事はつらかったあとは焼酎をあおるだけ。
フォークソングの神様岡林信康の歌の気分で書いている。
現在午前二時四十九分〇二秒である。

この三人の顔をテレビで見ると不快指数が300%になる。

第一の100%は稲田朋美というすこぶる不快な防衛大臣だ。
本当に司法試験に受かったのかと思わずにはいられない。
ウソにウソを重ねた人間である。

第二の100%は松居一代というすこぶるオカルトチックで不快な人間だ。
現在の職業は分からない。
夫婦のモメ事で商売をするという珍種だ。
悪女の深情けというが、この珍種には生き恥という言葉すらふさわしくない。
仕事柄テレビをつけ放しにしているが完全に壊れてると言うしかない。

第三の100%は石破茂というすこぶる不気味な話し方をする政治家だ。
男のくせして正面切って喧嘩をしない卑怯者だ。犬の遠吠えのようにいつも離れたところからもっともらしい話しをする。
この政治家が総理大臣になることは、太陽が西から上がるよりもありえない。
勝負する時は堂々としろと言いたい。

以上三人を足すと不快指数は300%となる。

気分を変えるためにポスター2種を制作した。
来週月曜日から一週間地下鉄銀座駅に掲出する。
お世話になっている広告代理店の社長さんたちが、世のため人のためにと開発した商品だ。
人間は食べた物は出る。
飲んだものは出る。
この絶対的なものに応えるすぐれものだ。
使い方はヒトそれぞれ。

私が愛する後輩が(赤城廣治君という)かつて公明党のテレビCMで「そうはイカンザキ」というコピーを書いた。
ずっとこのコピーを超えられなかったが、このポスターはいい勝負ができたと思っている。
(文中敬称略)



2017年7月20日木曜日

「オヒョー」

昨日夜二日振りに家に帰った。
遊んでいた訳ではない。
ずーと働いていた。
ア・ハード・ディズ・ナイトであった。

午後十一時少し前、ピンポーンを押す。
愚妻が開ける。
すごかったわよ。
屋根が壊れるかと思ったわ。
昨日猛烈に降った雹の話である。

宿泊先のホテルでテレビをつけたら江ノ島がまっ白になっていた。
ニュースではオンザロックに使う氷のような大きさの雹が、オヒョーと絶句するほど降ったと知らせていた。
家に電話をするともの凄かったと言う。

ずっと前家の一部を1メートル×1.5メートルほど改築して小庭に突き出した。
その時雨ドイをつけなかった。雨が降るとガラスの屋根にバシャバシャあたりテレビの音も聞こえなくなる。
ましてバカでかい雹となるとさぞかし凄い音であったはずだ。

雨ドイをつけないと屋根が割れると言った。
大丈夫だよ壊れやしないよ、強い雨音なんかちょっとした風情だよと言った。
あ~このバカと話をしても仕方ないと思ったのか気がつくと二階へ上っていた。

郵便物や二日分の新聞を読んだりして時計を見たら午前一時五十一分三秒であった。

昨日午後四時半~五時過ぎまで渋谷のセルリアンタワーのカフェでトランスフォーマーという映画配給会社の社長石毛栄典さんと会っていた。
日曜日にTSUTAYAで映画をレンタルして来た中に、ヴィム・ヴェンダース監督の「誰のせいでもない」と「パイロマニアック」というのをレンタルしていた。
給元がトランスフォーマーだった。
石毛さんは今年度のカンヌの最高賞パルムドールの「スクエア」を買いつけていた。
映画界で食べて行くのは不可能ですよと言って笑った。

その後午後七時~九時半過ぎまで永田町の「黒澤」(黒澤明の息子が経営)で先日の出版パーティの御礼だと言って、著者田中珍彦さんがごちそうしてくれた。
写真家の永石勝さんと上原女史そして私の四人。
大先輩はボーダーのシャツにパナマ帽、コットンのパンツにデッキシューズ、いつみてもお洒落である。
日本国は絵描きで食えない、陶芸も彫刻も小説も写真もいわんや映画でなんて、という話となり盛り上がった。
途中涙のシーンがあったがそれは後日に。

現在午前三時四十分、大相撲全取組が始まる。
憎っくき白鵬を我らが御嶽海が黒星をつけた。
それを見て睡眠へと向うのだ。

みなさんぜひ木楽舎刊・「珍しい日記」をご注文あれ。
アマゾンでよし、渋谷ジュンク堂、大盛堂、八重洲ブックセンター、新宿紀伊國屋書店など。
何卒よろしく。


2017年7月19日水曜日

「お母さんの涙」

昨日「母原病」について書いたら、そんなバカなことはない、それじゃ父親には何んの責任もないわけ、変よ全然変よ片手落ちよと知人の奥さんから言われた。
実にまったくその通りなのだが(?)。

幼児期から多感期というよりオギャーと生まれてからずっと子どもは母親の愛を必要とし、愛を求めそれを追う。
残念ながら父親はとりあえず元気に働いて、月々のお金を稼いでくれればいい。
あとはガミガミコマゴマガタガタお説教したり、エラソーにイバリまくらないでほしい。
とこうなる。

母親の体内から出て来た子どもにとって、圧倒的に母親の影響力は強い。
子どもを叱ったり、躾けるのは親の大事な役目であることは言うまでもない。
「子は育てたように育つ」という。私は何人も非行少年、非行少女という烙印を押された子どもたちに会って来た。
子の親から相談を受けて来た。
よく反抗期のないまま育った子は将来が心配だという。少年のころケンカをしたり、親にかくれてお化粧をしたり、喫茶店や神社かなんかに集まって、学校や教師への不満、親兄弟への不満(ブータレル)を言い合うのは自然的行為だ。
それを見つけて、停学とか退学処分にして子どもの将来を奪ってしまう。

ある年ある二日間私は友人の日本テレビのプロデュサーの依頼で横浜の少年鑑別所を早朝(起床)から夜(就寝)まで取材をした。
一つのケースを紹介する。

十四歳の少女は器用に毛糸の編み物をしていた。
それは赤ちゃん用のかわいい靴下だった。少女は妊娠していたのだ。
事件内容はたび重なる非行行為であった。少女は言った。
今度は絶対“年少(ネンショ)”つまり少年院行きだと、又、審判の日お母さんが来てくれて泣いて頼んでくれたらいいんだけど。少女の母親はグータラの亭主をかかえ、昼はパート(アルバイト)で働き、夜は着飾り化粧をし夜の仕事をしていた。少女はお母さん時間ないからなぁ~とさびしく言った。
後日聞いた話によると、審判の日お母さんは家庭裁判所に来て、私が悪かったんです。
きっと私が更生させます。
私の生んだ子ですから、娘のおなかの中の赤ちゃんも娘と一緒にちゃんと育てますと、号泣したという。

少年少女の審判にとって親の涙、とりわけ母親の涙は情状を生む。

少女は保護観察処分となった。取材が終わった日、所長さんは、どっちに行くにも子どもはお母さんなんだよなぁ~と言った。

知人の奥さんとは近々茅ヶ崎の“鳥仁”で話し合うことにした。