幡州赤穂浪士四十七人が、大石内蔵助の山鹿流陣太鼓と共に、吉良邸に打入ったのが昨日十二月十四日であった。とてもお目出たい事があり、その席をつくった。
お客様三人をご招待、座敷には雪見窓があり坪庭には木々が自然を生かし雑然のように熟練の庭師が手入れをしてある。今日、雪でも降れば打入りの日と同じですねと会は始まった。
お相手の父君と娘さんは由緒ある大名の血筋で、年末の競馬界の有馬記念を生んだ有馬家の血筋である。もう一人はもう三十六・七年の付き合いで元総理大臣の血筋である。
全く由緒のない私には身に余る代々のおつき合いだ。六時から九時、むかしから伝わる大名様たちの生活の話は、とにかく面白く、目黒の秋刀魚どころではない。朝から絶食していたが一週間ぶりに白いご飯を食べた。(酒はまだNG)御三方で日本酒を徳利二本。話題はつきることなく続いた。
やがてお開きとなりそれぞれお土産交換をした。
そこで頂いたのが、かの有名な京和菓子の「萬年堂の御目出糖」あの王貞治さんで有名なお菓子のホームラン王・亀屋萬年堂のナボナとは違う。元禄というから一五五八年から家伝として伝わるもの、かつては亀屋和泉を名乗り、京都寺町三条にて創業、御所所司代等に納めていた。現在本店は銀座五丁目にある。当代は十三代目。何か御目出たい時にこの品を贈れば喜ばれる、ことは間違いない。
禁酒、絶食をすると、その中に含まれている糖分が体に入らなくなり、普段は縁遠い甘い物が異常に食べたくなる。山などで遭難した人がビバークしながら板チョコ一片を食べながら何日も生きていられたのは糖分のせいである。又カカオが体にいい。
家に帰り早速上品な包み紙を取り、緑色の細紐を外しこれ又上品なデザインの小箱を開けると三つが二列に入っていた。濃い茶色に粒々が少々、秘伝の色に秘伝の形と厚み、そして秘伝の味を、ガッツイて二つ半も食べた。渋茶との味合いが絶妙であった。
京都出身の天才コピーライターが、ある広告で「東京カツぺね」と書いたが、やはり京都というのは奥深い。中でも洛中の京都人となると、江戸や東京は下々でしかない。久々にご飯を食べ、京菓子を食べていると、糖分が体中にジワジワ入り、あきらかに頭が動き始めるのが分かる。
ついでと言っては失礼だが果実王国山形の人から頂いたラフランスも食べ、静岡のミカンまで食べてしまった。昨日銀座の仕事場に行くと、四十年以上付き合っている信用金庫の人が二人来ていた。
いきなりガッガーンとハッタリをかました。結局担保を出さなければ金を貸す訳ないのに、ぜひ融資をと言う、私の大切な番頭がていねいに応対していたが、今後ナメられないようにドテカマシをした。
その時は体中に糖分が入っていなかった。当分効果があったかも知れない(?)が所詮金貸しだから、エレベーターの中で薄笑いをしていただろう。
近々人事移動ですぐ担当は変わってしまう。現在午前四時七分二十一秒、おはよん(4)が始まった。
今年はやるべき仕事がきっと三十一日迄ある。人生は終るまで始まりである。受けた恩は返す。
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