日比谷公園の中に「松本楼」という洋食レストランの草分けがある。
その入り口に古いピアノがある。孫文が弾いたというようなことがプレートに書いてあったと思う。
孫文は「辛亥革命」によって中国王朝に終止符をうった。
最後の皇帝溥儀を引っ張り出して、満州国皇帝にしたのが日本政府、中でも中国を占領下に置いてしまおうと企図したのが、関東軍参謀たちである。
「天下為公」この四文字は、孫文が遺した言葉である。
天下は国民の為にある。昨日は真冬のような寒さであった。
氷雨が降り続いた。
仕分けした三日分の新聞を再読すると、暗然たる思いになった。
日本国は孫たちが大きくなった頃、五年先、十年先、どうなっているのだろうかと思った。
孫という字と孫文がアタマの中で重なった。
そしてふと松本楼のピアノと、「天下為公」の文字が浮かんだ。
世には利用する者と、利用される者の役割が決まっている。
井戸を見つける人、井戸を掘る人、その井戸の水を飲む人の役目も決まっている。
籠に乗る人、籠を担ぐ人、その人の草履を作る人の役目も決まっている。
ある運命占いのオバサンがそう言っていたのを思い出す。私は人の保証人になると失敗するから気をつけなさいと言われた。
バブル時代赤坂一ツ木通りに出ていた占い師だった。
私は運命論者だから、きっとオバサンの言う通りになるはずだ。
私は利用される者になりたく、井戸を見つける人になりたく、草履を作る人になりたいと思ってきた。将棋界伝説の第四代名人であった、升田幸三が遺した言葉が何かに迷った時、元気をくれる。
それは「新手一生」と言う四文字だ。
誰も考えてなかった一手、常識を超える一手、歴史上なかった一手。升田幸三はそれを打ち続けた。
苦敗あり、大敗あり、惨敗ありだったが、新手を生んだ。
1991年七十三歳で没したが、現在日本将棋連盟が新しい戦法、新手を編み出した棋士に贈る「升田幸三賞」がある。他の世界にも類いのない賞を生んだ唯一の勝負師である。
新手に勝つ保証はない。むしろ敗ける確率の方が多いに決まっている。
一日中家の中に閉じこもっていたせいかパッと明るい気にならず、二つの四文字を思い出していた。
「天下為公」孫文の草命を支えたのは、渋沢栄一たち日本の経済人の軍資金だった。「新手一生」に渋沢栄一たちは賭けたのかも知れない。
あるいは革命を利用したのかも知れない。
日比谷松本楼は一年に一度(確か)100円のカレーを出すことで有名である。
人を見る目は、歴史の先きを見る目でもある。
渋沢栄一は150センチ足らずであったが、スケールの大きさは壮大であった。日本史上並ぶ人間は一人もいない。武士からの身分で新手一生をあらゆる分野に打った。
自分の運命に逆らわずに、自分の道を行くしかない。
寒椿はその役を終えて、バサッ、バサッと落ちている。
桜咲く頃の雨、風、青嵐は、それぞれの役目を演じているのである。