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2018年11月15日木曜日

「岩波文庫と食事」

バーバリーのコート、黒のスラックス、短髪に黒縁のメガネ、手には岩波文庫。東京発→熱海行に同席した27・28才の女性は、絵に描いたような文学少女風で今どき珍しいと思った。みんなスマホばかりだからだ。列車が新橋、品川、川崎となった時、文学少女が抱きかかえたトートバッグの中から、 まず黒々とした大きなおにぎりを出した。次におーいお茶のペットボトルを出した。読んでいた本はバックの中にしまっていた。ここまではとても文学少女的(?)であったのだが、次に出したのはガビーンと魚肉ソーセージであった。これが結構臭いがキツイ。魚肉ソーセージのアタマの部分は金具でしっかり止まっている。女性はそれを歯でかじり切った。そして包んであるビニール部分も歯でツーと下まで取り除いた。プーンと臭って、魚肉ソーセージのピンク色の肉体があらわに現れた。ガブッというよりも、チョボチョボと食べて、おにぎりも食べた。おーいお茶を飲んだ。ずっと下を向いたままだった。横顔が岸本加世子にそっくりだった。その食事は藤沢駅まで続いた。午後8時過ぎ、車内放送で、線路の安全点検をしますので、しばらくお待ちください、誠に申し訳ありません、と何度も何度も言った。結局25分程度列車は停止した。魚肉ソーセージは臭気を出しながら、女性の紙袋の中に、完食のあとかたが消えた。少年の頃、魚肉ソーセージは最高のゴチソウだった。丸く切って油で炒めると、少しばかりそり返る。ご飯にバターをのせ、そり返ったソーセージを加えて醤油をかけると、もう絶品であった。大洋漁業のマルハの ソーセージが一等賞だった。



2018年11月14日水曜日

「カラダは正直」

先週金曜夜、長い間手掛けていた仕事の「打ち上げ」みたいな会があった。 招待客は六人、 記念品、お土産、帰りの車の手配、店との細かい打ち合わせ、ワイン好き、日本酒好き、ウイスキー好き、相手の好みを調べておく、画龍点睛を欠くというから、初めから終わりまでしっかりしてなければならない。事前に女子スタッフに頼んで協力してもらって、いろいろ運びこんでいた。徹底的にやるのが私の流儀なのだが、先々週タクシーに乗っていて、事故にあった。大したことじゃないが、顔と足の甲を傷つけた。少年が自転車でいきなり無点灯で飛び込んできた。タクシーの運転手さんにミスはない。が、足の甲の部分の損傷が思いの外深く、特に足を曲げる時にそこを使うので、やたらに痛い。タクシー会社には黙っていた。で、ずっと片足を靴から出している。まるで痛風の人のようになって歩いていた。大事な会は楽しく、終わってみんな満足してくれた。(?)が、やはり若くはない、体は正直であった。で、次の日に平塚の鍼灸の達人に来てもらった。あ〜これぞ天国だ。鍼千本でも、一万本でもブスブス刺してよと思った。それからど、ど、どっと疲れが出て華厳の滝に落ちたみたいに、ふとんの中に撃沈した。気がつくと13日(火)となっていた。この日はある映画監督と、一人の画家を埼玉県飯能のアトリエで撮影する日だ。しかし起きようにも、起き上がれない。体に力が入らない。ヤバイ、ヤバイ、と思うが動かない。プロとしていちばんやってはいけない、過ちを犯してしまった。"生きてたの 死んだのかと思ったわよ。ずーっと眠りっ放しよ”その声が頭にかぶさって来た。結局カメラマンに今日はすまない、もう間に合わないのでヨロシクとなり、監督にも謝った。人間記憶を失うというほど、不気味なことはない。長い文章を書いたなと断片的には思い出すのだが、まるで夢の中のようである。大反省している。ということで400字のリングは休筆していた。

2018年11月9日金曜日

「いい週だった」

今週ステキな出会いがあった。そうして嬉しい電話。ステキな出会いその一人は、映画監督の「前田晢」さんを、お世話になっている、会社のオーナーに紹介されたことだ。二人でわざわざ私の仕事場に来てくれた。前田晢さんは、「ブタのいた教室」とか「極道めし」「王様とボク」をはじめすばらしい作品を作っている。12月28日松竹から封切られる正月映画「こんな夜更けにバナナかよ」を作った。 私を訪ねてきてくれたのは、ある画家のドキュメンタリー映画のポスターを作らせてくれるためだ。会社のオーナーに一度ぜひ会ってみてよ、すごくいい人だからと聞いていた。長回しで有名な故相米順二監督や滝田洋二郎監督や崔洋一監督たち巨匠に鍛えられた人だ。東北芸大で准教授もしてると言った。
映画少年がそのまま目の前にいるという感じであった。当然話は映画で盛り上がった。ある画家については、ポスターができてからご紹介する。ものすごく明るい人で、ものすごく悲しい人だ。映画の題名は「ぼくの好きな先生」故忌野清志郎のヒット曲だ。先生の描く絵には、必ずRUNNERの文字が入る。それが悲しいのだ。来週13日撮影する。ステキな出会い、もう一人は、ブラジル・リオオリンピックで有名になった、ユニークな流面形の公式卓球台をデザインした、プロダクトデザイナー「澄川伸一」さんだ。やはりお世話になっている会社のオーナーから依頼された仕事の打ち合わせで会った。澄川伸一先生の自宅兼アトリエは東小金井駅の近くであった。千葉工業大学を出てソニーに入社、いきなりウォークマンをデザインした伝説の人だ。駅まで迎えに来てくれた。 BMWで約5分アトリエに着いた。私がイメージしていたものが、すでに模型として作られていた。アトリエの中には、いろんな流面形の作品があった。ジャコメッティが好きな人ですかと聞いた。人間をギリギリまでつきつめたジャコメッティの彫刻は、私も大好きであったからだ。ええ大好きですと言った。アトリエ内にジャコメッティ風のオブジェがたくさんあった。実はこの打ち合わせの後、電話を忘れたと大騒ぎになり、ご夫婦に大迷惑をおかけした。結局東小金井駅の切符売り場に忘れていて、駅員さんにもしかしてと聞いたら、親切な人が届けてくれていた。凄腕の女史がいなくなってから、 とにかく新人をはじめみんなに、迷惑ばかりかけまくっている。澄川伸一さんも大阪芸大で月に何回か教えていると聞いた。大阪芸大から有能な人材が、次々と出ている秘密を知った。教える人をしっかり選んでいるのだ。会社のオーナーの期待に応える作品が生まれたら、 日本の一つの文化が変わる。嬉しい電話は、友人の映画プロデューサー星野秀樹さんが参加している、上映中の映画「スマホを落としただけなのに」がヒットしていますと知らせてくれたことだ。北川景子主演である。みんな頑張っているなと思った。映画で生きていくという人間は、悪徳プロデューサー以外は、みんな、みんな映画少年だ。いい人と会った日は、私も少年の心になれるのだ。天才中野裕之監督の「PEACE NIPPON」の外国語版は、どうなっているだろうか。世界中の人に見てもらいたい作品だ。週末はぜひ映画館へ。


2018年11月7日水曜日

「しあわせの絵の具」

“正しい結婚”というのがあるとしたら、この映画の主人公二人だろう。実話を題材にした「しあわせの絵の具」という映画だ。借金だらけの兄がいて、意地悪な叔母と住んでいる女性がいる。やせていて、背中は丸くなっている。体はリウマチで、歩くのが苦手だ。歳はすでに40歳位になる。兄は住んでいる家を借金返済のために売り払い、体の不自由な妹を追い払う。叔母も賛成する。女性は家を出て一枚の募集のメモを見る。そこには“家政婦”募集掃除道具を持ってくることと手書きで書いてある。不自由な体ではやく歩くこともままならない女性は、足を引きずり、トボトボと長い道のりを歩き、広い畑の片隅にある、小屋みたいな家に着く。そこには街を嫌い、人を嫌う偏屈な荒々しい男がいた。男はオンボロ車とリアカーに積んだ、割った薪を売ったり、釣った(とった)魚を行商して日銭を稼いでいた。犬が二匹、ニワトリが数羽、電気はなくランプで生活をしている。ガスもないので薪で料理(とても固いパンと冷めたスープ位だ)女性は家政婦に雇ってくれと頼む。男は断る。何度か頼み、屋根裏で暮らすことと、週給25セントならと住み込ませる。小屋の中は汚い。空気も汚い。(網戸がないので閉めきっている。開けるとハエが入るから。)リウマチで指が不自由な女性にはひとつだけ、幼い頃から好きなことがあった。それは絵を描くことだ。女性は毎日男に叱られながら働く合間に、ペンキの缶の中に、持ってきた絵筆を入れて、壁や、ガラス戸や、いろんなところに絵を描く。働いて得たお金で絵の具を買う。(街には長い長い距離10キロを歩いて行く)汚かった小屋に花とか、鳥とか、緑の樹々とか、いろんなものを、絵本のようなタッチで描く。猛烈に雪が降る冬が、一度、二度と訪れる。女性はその風景を粗末な板に描く。小さな板にも描く。屋根裏で一緒に雑魚寝している男は、抱くこともしない。ある日、一人の女性が大きな車から降りてきて、ガラス戸とか扉に描いてある絵を見て、これを買いたいと言う。絵書きサイズ一枚をなんと5ドルで。男はこんな下手な子供のよう絵が、5ドルで売れたことに驚く、と言っても相変わらず荒々しい言葉で接する。ある日一羽のニワトリを締めて、温かいチキンスープを女性がつくる。男の中に少しずつ変化が起き始める。大きな車の女性は何度か来ては、絵を買って行く。そしてその絵のことが新聞で紹介される。当時副大統領だったニクソンが気に入ったと。小屋の前には、テレビ局や新聞社などが連日取材に来る。人が嫌な男は苦々しい日を送る。 そして何年か経ったある夜、男と女性は結ばれる、屋根裏の古いベッドの中で。二人は牧師一人、友人夫婦一組に祝福されて教会らしきところで式を挙げる。月日は経ち、女性の症状は悪化して肺の病となる。オンボロ車に、妻を抱きかかえて、男は街の病院に行く。そしてベッドの脇で初老となった男は息も絶え絶えの妻に、そっと「俺にとっていい妻だった」と言う。その言葉を聞き、永遠の眠りにつく。一つの希望の思い出を残して。昨日深夜から四時少し前まで、この映画を見た。夫婦はどちらか死んだ時、どちらかが何を言うかで、その結婚が正しかったかどうかが分かる。とてもいい映画なのでぜひ見てほしい。さて、私の場合はと考えた時、きっと地獄だったわよと言われるかも知れない。私は人に好かれようとすることが大嫌いである。それ故誤解を生むが、思いのまま、ありのままに行く。相手が分からなければ、それだけのこと。やけに絵が描きたくなった。週末久々に藤沢の画材屋さんに行って50号のキャンバスを5枚買うことにした。来年はきっと個展と、新作映画の短編を発表する。そのためにひたすら働き、ひたすら映画を見るのである。ルノワールも大恩のある大巨匠も、リウマチで体が不自由だが、執念で固まった指に絵筆を持って、日々創作している。

2018年11月6日火曜日

「競売と画廊」

毎月15日は“競売の日”むかしからの決まりが変わっていなければ、今も行われているのだろう。この日は政府公認(?)の土地や建物、ビルやマンションのバッタ市であった。(ずい分日にちが経っているので、今はどうかわからない)つまり夜逃げしたり、倒産したり、怖い人たちに追い込みをかけられた人々が、物件を競売に出す。談合と同じようにこれを仕切る人間がいる。当然人相のいいのはいない。取材のためにそっと入った私も人相が悪いので、全く誤解なくどこぞの若い衆だろうと思われた。××建設、××組、××会 、××商事、そして地面師集団などが集まり、あっとオドロクタメゴローのような、安い価格で競り落とす。当然、当番みたいなのが仕切って、なんらモメることなく競売の日はシャンシャンと終わる。 全てが終わった頃に、役人みたいな人が来て、本日はオツカレさまでしたと終わる。が、ひとたび話がモメると、何人かが東京湾に浮き、何人かが山の中に埋まり、何人かが行方不明となる。これらを動かしているのが、誰かは想像がつくだろう。昨夜「ビジランテ」という映画を見た。脚本・監督入江悠。東映ビデオ製作だった。父親がなまじ広い土地を遺産に遺したために、三人の男兄弟が血で血を洗うことになっていく。秀作の映画である。この映画を見てずっとずっと昔に見た“競売の日”の光景を思い出した。人間の人相は職業によって変わる。「男の顔は履歴書」と言った大親分がいた。金を追う人間は独特の顔に変化する。私は動物的臭いを感じとる。その人間の未来がほぼ見える。そしてほぼその通りになって来ている。ある画壇の大先生から電話があった。銀座の○×画廊で個展をやっている。キミの分を取っておいたよと言った。お菓子を持って行ったが、大先生の顔は悲しい位貧しくなっていた。しかし作品はすばらしかった。絵を買うような人間がすっかりいなくなってしまったのだ。芸術後進国のこの国は終わるなと思った。


2018年11月5日月曜日

「評論家を評論する」

世にはその膨大な蔵書を写真公開するバカな作家や、評論家たちがいる。本のために家を別に持っていたり、家を堅牢にして、建築用のクレーンで本を上げたり、下げたりする。どこに何があるのかわからない。この人たちが、世の貧しい人々のために、何かをしたという話は聞いたことがない。私は読書家は信用するが、蔵書家は信用しない。
もう全て読まなくなった本を、未練がましくずっと置いて何になる。否、買ったけど殆ど読まずに、インテリアの代わりに置いている。あるいは古書店に売る。そんでもって酒など入ると、読みかじりの話をする。評論家という仕事をする人間に多い。決してその評論の責任はとらない。世にはとにかく評論家と言うバカ者が多い。(小林秀雄という評論の神様(?)がいた)あろうことか広告評論家などという救いがたき者もいる。自分でつくってみろと言いたい。教育、文芸、映画、料理、庭園、植物、動物、落語、演劇、など電話帳に載っている職業の数だけ評論家がいる。一部には高尚な評論の方々もいるが、総じて心がけが貧しい。ギャラさえもらえばいかようにも書く。蔵書はいわばヤクザ者の代紋みたいなもので、相手を身じろぎさせる道具に使う。政治評論家などというバカ者たちは、レッキとした主義主張もなく、あっちこっちの政党の議員のパーティーに顔を出して、ジャッキを入れる(空気を入れること、つまりモメるようにする野次馬)映画館をハシゴして、チョイとだけ見て、星三つとか、二つ半とかヒマならいう映画評論家たちのおかげで、苦労してつくった作品の入りに少なからず影響する。音楽評論家というのも、いい加減だ(吉田秀和なんて凄い人もいたが)もうかなり耳が遠くなっているのに、ある演奏会の評論を書いて、不出来だったみたいに書いてその存在を知らしめる。実は聞いてなかった。これらの人間のポートレート写真のバックには、これでもかと本棚に本がある。過日とある著名評論家の蔵書の大移動の映像を見た。クレーン車が出動していた。この頃すっかりその存在感はない。その逆にこんな映像を見た。一人の文豪の家に取材カメラが入ると、蔵書なし本棚も一つもなし。あったのは小さな文机の上に、原稿用紙と文鎮と、万年筆とインク壺、それとある辞書が一冊のみ。そして座布団一枚。そうだなもう何年も本というのを一冊も読んでないなと、言った。かなり芝居がかって見えたが、かくあるべしと思った。先夜ある評論家と食事を共にした。人のことは言えないが、そのオソマツな人間性に呆れ果てた。自宅以外に蔵書を置いている家を持っているとか。 ただ酒をよく飲み、よく食べやがった。ご友人・知人に高尚な評論家がいる方には、お許しを。(文中敬称略)

2018年11月2日金曜日

「セールス、広告お断り」


先夜かねてよりこんなヤクザな私とお会いしたいと言う、私立大学の教授(マスコミ情報学(?)を教えている)と、そのお弟子さんの二人と、焼き鳥店で会った。21世紀の広告について、とか現状についてとか言った。バカバカしい時間だった。 教授、かつてはセールスや広告お断りと貼り紙されていたヤクザ業界ですよと言った。そもそも堅気じゃない世界ですから、十分に気をつけて本を出版された方がいいですよと言った。私は場末の芸者、されど高級クラブなどで、出版社にたかりただ酒を飲む小説家風情には決して負けませんよと言った。二流の小説家、特に歴史小説とかは、神田古書店をまわり、資料という名の“アンチョコ”を探す。著の後ろにこれでもかと、 資料として利用した本の名をズラズラと書く。最近人気の“新進歴史学者(?)”が、幼い頃から古文書に親しみ、歴史に残る古文を読み解き、いろんなテレビ番組で能書きを言う。そもそも歴史の古文書なんざは、勝者たちが都合よく書き換えたものである。きっといい奴なのだろうが、鼻につくので(つまり古文書を読める、自分の意見こそが正しいと)きっといつの日かギャフン、ギャフンにしてやろうと思っている。ウソ八百は私だが、ウソ八千みたいに骨董を評価する地面師みたいな、古物商たちがいる。一度その仲間同士のセリを見ていて、言葉を失った。2000円とか、3000円で競り落とされたのがん十万円となり、のショーケースに、骨董品として展示される。(旧大名、旧華族たちの品だ)私は思う、骨董屋は地面師みたいな悪党ではと告界におけるCD(クリエイティブディレクター)の役目とは、なんて言うから、CDなんて記号は、中日ドラゴンズのマークですよと言った。ぼんじりとか、皮とか、厚揚げとか、ギンナンを食べていた女学生は、私の言い放った、ギャグがわからず、メモをとっていた。ところで君は広告屋さんになると聞いたら、全然違います、バイオを研究しているのですと言った。なんで一流大に入り、広告研究なんかしているのと聞いたら、ここがいちばん入りやすかったんです、と言って笑った。あっそう。ここの親子丼最高だよ、食べると言ったら、ウレシイーと大声を出した。いけません、ここの料金は大学の研究費で支払いますと言った。随分つまんないことに金を使うのですねと言ったら、実は今、僕のゼミは人気なんですよと言った。歳はもうすぐ定年だろう。広告なんてものには、何ら定義も法則もない。上下巻1000ページの歴史小説より、わずかな数文字のほうがはるかに、人の心に届き、人の心を動かす。小説は誰でも書ける。(上手、下手は別として)が、社運をかけた、数文字、数行は絶対に書けない。

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2018年11月1日木曜日

「まともな男」

「最善の敵は、善である。」ある偉い人の言葉である。自分流に解釈すると、情は人為ならずとか、人の為によかれとか思い過ぎて、やったことがかえって、大間違いになる。昨夜帰宅した後、スイス(だと思う)映画「まともな男」というのを見た。善意の塊のような男が次々と災難に巻き込まれて行く。男はとある会社の PR 関係の仕事を10年近くしている。美しい妻は小説を書いている。15歳になる娘が一人。休日を利用して上司の娘をスキーに誘う。自分の娘と同じ15歳の美少女。自分の娘はそれほど美人ではない。男は酒が好きであった。過去に酔って大嫌いな同僚の車に、自分の車をぶつけてしまう。その頃、妻ともしっくりいってなくイライラしていた。と、セラピストの女医に言う。事故を起こした原因を知るために、セラピーを受けさせられていた。この事は妻に内緒であった。で、男は禁酒中であった。上司の娘と家族四人で、別荘(小さなヒュッテ)に着くと、電気がつかない。管理を頼んでいた友人のところに行く。そりゃすまん、息子にすぐ行かせるとなる。息子は17・8歳の未成年であった。さあ〜電気がついた。息子は週末にパーティーがあると言った。思春期の娘二人は、パーティーへの参加を両親にせがんだ。そしてパーティーの夜、上司の娘は友人の息子にレイプをされる。(そのシーンは見せない)上司の娘にとっては、初めての経験であった。自分の娘にあのアバズレが、とそのことを聞かされる。男は、友人宅に行ってレイプの事を言う。娘が警察に行ったら友人の息子の人生は台無しになる。上司の娘は薬局に行って、アフターピルを買うと店内に入るが、16歳未満は売ってくれない。病院へ行くように言われて車に帰ってくる。男は仕方ない自分が父親になって頼んで薬を買う。しかし処女を失い傷ついた上司の娘は、レイプは許さない、警察に行くと言う。私はキスをするのは許したが、SEXは断ったと言う。もし警察に訴えられたら、自分はクビになると思う。が、正義感のある男は友人宅に行き、 息子に上司の娘に謝罪しろと迫る。ふざけんな尻軽娘とは合意だったと、友人の息子は言う。夜、別荘のベランダでそのことを上司の娘に言うと、娘は、泣いて後ずさりして階下に落ちてしまう。男は病院に運ぶが意識不明、上司の男とその妻が病院に来る。男は未成年の少年の将来、上司の娘の将来を考え、どうしてもレイプの件が話せない。妻はそんな男を見て、もはや内緒にしておけないと言う。怒る友人、合意の上だと言い張る息子。二人は車で街に向かう。雪の中男は禁酒していた酒をゴクッゴクッと飲んで追いかける。何としても問題を大きくしないで少年少女を守りたい。怒った男は生意気な息子をビンで殴ってしまっていた。最善の友だった仲は、最悪の仲となる。息子の傷を医者に診せるために街に向かう車を追う男。 一気に飲んだ酒が効いてきて、スピードを出しすぎハンドルを切り損ねて、友人の車に追突する。車は雪の中、崖の下に落ちてしまう。男はもう心身ともにヘトヘトになって別荘に帰ってくる。ずっとスキ間風が吹いていた夫婦が抱き合う。一人で抱えていてはダメよと。映画の題名「まともな男」の果てしないアクシデントの行き先は(?)映画はそれを知らせずに終わる。セックスレス、ケンタイ期の夫婦、思春期の子を持つ人は是非見てほしい秀作である。人間とはどんなに善意ある行動をとってあげても、相手それただの善意と思、 次の善意に関心は移る。「最善の敵は、善」なのである。文豪夏目漱石は終生、知人、友人、身内親類の金の問題に悩まされ、ストレスで胃潰瘍になり早死にした。まともな男は、貧乏くじを引く。世の中はまともではない。


2018年10月30日火曜日

「母と子のドラフト」

長い人生の中、プロ野球選手たちとの交流は多く、今でも続いている。元選手たちはコーチになったり、二軍監督になったり、スカウトになったり、選手の首を切ったりしている。プロ野球の選手とは、すでにベンチに入っているだけで天才である。大敵なのが怪我と気持ちの弱さである。選手寿命は短い。セリーグで優勝した広島カープの新井貴浩選手でも41歳だ。(今年で引退する)天才野球少年たちの人生は、ドラフトというくじ引きで決まる。仮に18才でプロ入りして、41歳まで活躍しても、実働23年である。まるで鉄の固まりのような、ボールを投げて打つ。当然体中のアチコチを痛める。入団してもわずかで、野球生活を終える選手の方が断然多い。全国から集まった天才野球少年たちを待つのは、過酷な大人社会だ。このガキが活躍したら、自分の出番はなくなる。イジメ、イヤガラセ、軍隊のような寮生活が待っている。(この頃はパワハラとなるのでかなりやさしいらしい)
母子家庭で育った一人の高校野球少年がいる。母は朝も、昼も、夜も働き、息子のプロ入りを夢見る。息子はプロに入って母に「家」を建ててあげたいと、まい日朝4時から練習する。それを手伝うのは一人の老監督だ。朝からバッティングピッチャーをして教える。引退間近の監督は、一球一球愛情を込めて投げる。野球少年は、今年ドラフトで選ばれなかったらプロを断念する決意をしていた。ドラフトで1位に選ばれた選手が、期待通りに活躍するケースはそう多くない。むしろ少ない。夢の甲子園に行くまでに、肉体がボロボロになっているのだ。大学に進んでも、全国から集まった猛者の前では、ただの一年生でしかない。徹底的に成長の芽をつぶされる。(何故なら頭角を現したら、それだけ自分の道が狭くなる)そんな中、数少ない人間がスターとなる。 そのスターの座も、絶えず追われている。幸い母子家庭で育った野球少年は、ドラフトで選ばれた。お世話になった母に「家」を建てますと力強く言った。ガンバレ応援しているぞ。入団したチームはDNA横浜ベイスターズ。選手の名はあえて伏す。


2018年10月26日金曜日

「東京は遠かった」

♪〜ち、ち、ち、ち、ち、ち、ちち。僕の恋人 東京へ行っちち 僕の気持ち(心だったかな)を知りながら なんで なんで なんで どうして どうして どうして そんなに東京がいいんだろ 僕は泣いちっち 横向いて 泣いちっち 淋しい夜はいやだよ 僕も行こう あの娘の住んでる東京へ・・・。その昔三人ひろしという人気歌手がいた。「守屋浩」、「かまやつひろし」、「井上ひろし」だ。このやたらに、ち、ち、ち、が出てくるのは、守屋浩の大、大ヒット曲「僕は泣いちっち」だ。ホリプロダクションという、大手芸能プロダクションがあるが、その基礎は「守屋浩」が築いたと言っても過言ではないだろう。ホリプロ初代社長の堀威夫は、守屋浩の恩を忘ればずっと役員にしていたと聞いた。今、なぜこんなことを書くかと言うと、過日乗った列車の中で、70代中頃のオジサンが車窓を眺めながら、その歌を口ずさんでいたのだ。私の胸はトキメイた。話しかけるべきか否か悩んだ。おじさんはなかなかいいスーツを着ていて、靴がよく磨かれていた。持っている茶色の鞄もかなりの代物に見えた。列車が平塚橋を渡るころ、鞄の中から小田原名物鯛めし弁当を出した。その間もち、ち、ち、ちち、僕の恋人 東京へ行っちちを口ずさんでいる。小田原の鯛めしといえば、うす桃色の鯛おぼろが大半を占める。オジサンがゴフォンとせきをしたら、鯛おぼろが少々飛んだ。私は思い切って、スイマセンなんで守屋浩なのと聞いたら、詳しくは言えない。いろいろあったんだと言った。十代の時はじめて東京に来た時、本当に東京は遠かった、と言った。東京って何なんですかね、私は嫌いなんですと言って。鯛おぼろを口にした。口周りに鯛おぼろがついた。“井上ひろし”の「夜に咲く花」もよかった。♪〜及ばぬ恋とあきらめました。だけど恋しいあの女性よ ままになるなら もう一度 一夜だけでも・・・。こんな歌が生まれない時代になってしまった。“かまやつひろし”の歌は、♪〜下駄を鳴らして奴が来る 腰に手ぬぐいぶら下げて・・・。確かそんな歌がヒットした。昨日深夜一枚のFAXが届いた。高校一年の時の同級生からだった。なんでも野球部の同窓会があって、そこに一人の先輩が来た。その先輩と私が縁浅からぬ仲だったと知ってビックリした。で近々会おうぜと書いてあった。あの頃、「僕は泣いちっち」が流行っていた。(文中敬称略)