平成の次の元号は何になるか、私はきっとその新元号の中であの世に行く。ただそれだけの話だ。先日大先生から向田邦子さんの話が出たので、TSUTAYAに行きかつての人気ドラマ久世光彦のシリーズを5本借りて来て一気に見た。音楽は敬愛する小林亜星大先生だ。脚本は金子政人さん。ドラマを見ていて昭和が懐かしくなった。小学生の頃を思い出した。家には門があり、玄関がある。畳の部屋があり丸いちゃぶ台がある。小さな庭石があり、庭ではたき火などをしている。台所の床の下には、漬物の樽がある。隣近所とは会話を交わし、お味噌や醤油などが切れてしまうと、ちょっと借りに行く。お返しは入れてもらったお皿に心ばかりの品を入れて返す。ご飯はおひつに入ってあり、食事は基本的に一汁一菜におかず一品ほど。焼き芋は何よりのご馳走であり、 たき火の中に入れて作った。スルメを入れるとクルクルと丸くなり、アチアチとしながら細くして食べた。台風が来るとなれば家族みんなで、金づちで釘を戸板に打ち込んだ。ガムの代わりに麦の穂をずっと口の中で噛んだ。竹の皮に梅干しを入れそれを何時間も舐めた。竹の皮に梅の味が染み込んでいい味がずっと楽しめた。子どもたちは、面子やベーゴマ、 石けりや缶けり、かくれんぼや、だるまさんがころんだをした。女の子はゴム飛びやおはじきやお手玉をした。シンプル・イズ・ベスト。貧しさが明るかった。貧しさが楽しかった。 学校から帰ると、カツオ節をカンナで削り、煮干しを七輪で焼き(練炭は品川)お醤油にひたした。シラスやチリメンジャコ、コウナゴなどの小魚を、冷や飯の上にのせ食べるのが常だった。今でも私はこれが大好きであり、死の前の食事に何をと言われれば、これを選ぶ。荻窪の丸福があればチャーシュー・ワンタンメン。煮玉子入りが希望であった。昭和は戦争と戦後の両方があった。死と生とが交差した。早朝には納豆、納豆とおばさんが売り回り、夕方になるとお豆腐屋さんが、ラッパを吹いてお豆腐や油揚げを売って回った。夜になるとチャルメラが鳴り、どんぶりを持ってラーメンを買ってもらった。兄弟姉妹は夏になると、一つ蚊帳の中に入って寝た。私は今そんな子どもの頃を思い出している。平成の終わりに血族についてふり返っている。 結論はあの世まで出ないで、追い回される。外は雨一雨ずつ春に近づいている。小さな庭に来ている椋鳥の夫婦はもうすぐ遠くへ飛んで行くだろう。何でもある時代は、いろんなものを失っていく。恐ろしい速さで。
2019年3月8日金曜日
2019年3月7日木曜日
「雑草にも春」
一将功成って万骨枯る。一将疲れ切って万骨砕け散る。この国は土の下の、下の、下から根崩れしてしまった。何かが起きると、第三者委員会とか、有識者会議が結集される。有識者とは、学識、見識、知識などを有す、その道の権威者たちである。が権力に対しては全くの非常識者たちとなる。勉強ばかりして人に学ばず、自説を曲げず、名誉とか、肩書きとか、勲章ばかり追っているから、人間としてのあるべき姿が見えない。恥の上塗りを重ねる。恥ずべき者共となる。昨日変装して拘置所から出てきた、権力者の姿はまるでコントを見るようであった。その一方、妙に晴れ晴れとし、一句詠みながら裁判所に向かう、籠池被告夫婦の マンガチックな堂々感に笑った。国会に参考人として出席している。有識者(?)たちの見るも無残、聞くも無残な姿。一人くらいはノーベル賞受賞者のある教授のように、名刀の切れ味を発揮するのがいるのかもと思ったが、全員竹光よりも使えない。このバカバカしいやり取りの一方で、親が幼い子に凄惨なリンチを加え、命を奪っている。まい日、まい日である。国民全体は勿論。与野党共にこの一大問題に取り組まねばならない。確か故松下幸之助さんの言葉だと思うが、会社を駄目にするのは、社長が疲れたという事だ。社員は敏感に会社の将来に不安を持つ。国もまた同じである。カラ元気でも明るくふるまって、リーダーたちは夢を語らねばならない。カルロス・ゴーンの変装した姿を見て、男の美学がない一人の男の終わりを見た。がいずれ世界の企業がゴーンの才能を高く買う。これから長い長い公判が始まる。最高裁まで争えば途方もない年月がかかる。籠池被告夫婦には疲れを感じない。いま手にしているものを失いたくない人間は、弱く、恐怖心を持つ。もともと何も気にしてなく、失うものがない人間はしたたかに強い。寒さで土だけになっていた雑草を入れているお盆に、週に二度、 水をずっとさしてやっていたら、小さな緑の葉がポツポツ生まれて来た。雑草ほど好きな植物はない。雑草にも春は来る。幼い子どもたちを守る方法を論じ合おう。気づいているのに沈黙していてはいけない。(文中敬称略)
2019年3月5日火曜日
「雲水さん(?)」
銀座四丁目和光のショーウィンドウ前、地下鉄銀座駅から上がったところに、時々「雲水」の人がいる。それは真夏の太陽の下であったり、真冬の鉛色の空の下であったりする。先週和光で買い物をする用があり午後1時頃に四丁目の交差点を、三越側から渡った。春のように陽差しが強かった。私は横断歩道を歩きながら、おっ今日は雲水さんが出ているなと思った。見ていると一人の女性、70歳位だろうか、頭を雲水さんに向かって下げていた。雲水さんは手にした小さな鉄の輪みたいので、女性の頭をカシャンカシャンと打ち続けては、何やら念仏を唱えていた。その儀式は私が渡り切り、興味深く近寄ると終わっていた。女性は大きく頭を下げ、千円札を四つ折りにして、雲水さんの持つ小さな丸い木の盆の中に入れた。今度は雲水さんが頭を少し下げた。額にうっすら汗をかいていた。とても長身の雲水さんであった。一度雲水さんと交差点の側にある「鹿乃木」にでも入って、抹茶とあんみつかなんかを口にしながら、ゆっくり話したいと思っているのだが。女性は何を雲水さんに語ったのだろうか。私が雲水さんの顔を見た時、不気味な笑みを浮かべていた。それが何を意味するか分からない。私たちは今混迷の中にいる。鏡に写る自分の顔を見て、ずい分と悪い上に、さらに悪くなったと思う。山や海、川や草原から離れ、鳥たちの声を聞くこともなく、都会の渦の中でスマホに向かって語りかけ、笑いそして怒り、歌を口ずさむ。そんな人が街を行き交う。山野楽器店の前を歩きながら、この世の先きを考えた。昨夜帰ると、友人の苦境を語る手紙が来ていた。「仕事にこまっています」と書いてあった。日本の映像文化の発展のために大きな貢献をした人だ。何か恩返しをと思うのだが。持つべきものはない。自分自身の一つひとつの仕事を大切に懸命に働くしかない。人生とは四苦八苦の苦行の道である。名古屋名産の奈良漬をつまみに、いつものグラスに酒を入れた。心を清らかにしてグラスを傾けた。スコッチと奈良漬は実に相性がいい。
2019年3月4日月曜日
「一発の別れ」
花粉症が早くも攻撃して来た。ずっと以前にも書いたが女性の大嫌いな男性は、突然大声で、 ファックションと大発声をする男らしい。こんな事を書いたらきっとマズイのだろうが、本当の話なので書く。私の知人の男が女性から捨てられてしまった。その原因ははじめてSEXをしている最中に、男が突然大声でファックションをして、それを何発か続けた。女性はウットリからビックリ。せっかく結合していたモノが外に飛び出てしまった。男の目には涙が、鼻からは鼻水がたらたら。せっかくのはじまりが、別れの日となってしまった。女性はサイテーね、みたいな顔をして見下ろし、服を来て帰ってしまった。花粉症は罪深い。クシャミは一度出たら止まらない。この季節になるとこの悲しい話を思い出す。私も花粉症がはじまった。嫌なかんじで鼻がムズムズしている。自分に合った点鼻薬を見つけておいてください。オナラ一発で捨てられた男の話は、いずれの時に、爆笑ものです。
2019年3月1日金曜日
「うれしい332円」
「北原白秋」の詩集を読むことをすすめる。一昨夜、池波正太郎大先生の高弟であり、稀代の名文家、「佐藤隆介」先生とそのご子息と酒席を共にした。いろいろ教えを頂いた中で、先生がコピーライターになるには、北原白秋だ。これ以上の教本はないとおっしゃった。この女性ほどとてつもなく怖くて、凄くて、一言一向その文章をこうしたら、と思ったことのないのが、向田邦子さんだ。この人は完璧な作家だった。ギラッと睨まれると、恐かったな。私の目の前にいる先生は私にとって恐い存在なのに、その先生とご子息両方が同じ言葉で、故向田邦子さんを語った。 池波正太郎大先生もその死をとても悲しんだと。昨日深夜帰宅すると、「日音」という音楽制作会社から、ずっとむかし 作詞した曲の印税の支払通知書が届いていた。前回は333円で縁起のいい「3」のゾロ目「9」であった。今回は332円であった。私の詞はこんなものである。だがしかしうれしいのは、毎月どこかで誰かが、聞いてくれているか、歌ってくれていることだ。今日は午後からある地に行く。仕事をさせて頂いている会社の偉い方々と、ちょっと遅い「新年会」である。「北野里沙」さんのCDを持っていく。新幹線の中で北原白秋の詩集を読むと決めている。
2019年2月28日木曜日
「憧れだった人」
2月13日から27日夜まで、久々に物づくりに徹した。企画制作を一緒にしている人以外の業界人(いわゆる同業者)には会うことをしなかった、というよりできなかった。偉い人、凄い人、学究の人、文学の人、職人の人、スポーツの人、まい日違う人と会っていろんな話をして、たくさん勉強させてもらった。そんな中でずっと、ずっとむかしガキだった頃に憧れていた人を探した(?)当時私は17歳位、35・6歳のその人は荻窪駅近くの八百屋さんの2階に住んでいた。名は出せないがある組の幹部(若い者頭)だった。丸々と太った九州男児だった。若い衆を何に徹しているかを見分けて、それぞれを命じた。オマエはベシャリがマブイから(話がうまく商売に向いている)ゼニコロ(金貸し)をやれ。オマエは手先がマブイから中盆を目指せ、マブイとは“上手い”で、中盆とはバクチ場の中心になる“胴師”。オマエは根性ネエからコマシをやれ、コマシとはスケコマシ(女性を引っ掛けて金にする)オマエはガンヅケ(人相が悪い)が悪いから切り取りをやれ、切り取りとは、飲み代をずっと払わず、ホステスさんにバンス(借金)を背負わせている、その男のところに行って、金を集金する。オマエは氷、オマエはオシボリ、オマエはオツマミ、オマエは花、オマエは、どう見ても何も使えねえから、堅気かパチプロにでもなれ、オマエはバイ(物を売る)をやれと、一人ひとりに指示を出す。その筋の人間にとって、ベシャリがマブイから金貸しになれというのが、いちばんの屈辱であった。 男は口先でなく体で勝負するからだ。30人くらいの組であったが金筋だった。その人はクラシック音楽が好きで、8畳くらいのところにジュータンを敷いただけだった。猫が一匹、畳んだ布団が置いてあり、飲み食いは丸いお盆の上。部屋の中は LPレコードでいっぱいだった。いつも白い手袋をしていて、レコードをかけていた。酒は飲まず牛乳を飲んでいた。背中には肩から腰まで、「南無妙法蓮華経」と黒々とした刺青が彫ってあった。クラシックと猫と牛乳、妙な組み合わせだった。ちょっとモメ事があった時から、時々遊びに行った。 ボーヤ、男はなあアレコレ持つんじゃねえぞ、命は親分を守るためにあるんだ。ゼニを貯め込んだり、バシタ(女房)を持ったり、イロイロ物を持つと、いざと言う時にジャマになるんだ、事実ある日の深夜、西荻窪で親分が襲われた時、真っ先に駆けつけた幹部がこの人だった。間に合わず下手を打った四人の幹部は、指を詰めた。指はキャベジンとかビオフェルミンの瓶の中で、アルコール漬けとなった。さて、何故久々にこの憧れの人と会ったかと言えば、 昨日深夜この時の事を短編の映画にしたいと思いシナリオを書いていた。もしかして友達と一緒に、ボクシングの試合を見に後楽園ホールに行った時の写真があったはずだと、ガサゴソ探した。オッあった、やったであったが、何故か写っている人間の顔(自分も)にマジックが塗ってあった。過去との決別をした時に塗ったのかもしれない。その人はある事件の責任を全部背負い込み、府中刑務所に入り、転々と移監されたのち九州に帰ったと、10数年経った頃、風の便りに聞いた。ゼニに忙しい奴は信用するな、必ずガミを食う(痛い目にあう)からな、バクチ打ちは 、バクチだけしていればいいんだ、お日様がある間は堅気の人の時間。明るい内は外を歩かないのがオレたちの稼業だ。ボーヤもうケンカはやめなよと、ホントのケンカは怖いぞと、よく言っていた。あ〜、隠語ばかりの映画にしたいな〜と思っているのだが。明日から又、人、人、人と会う。
「重病的国家」
結婚したけど出戻った。大きな声でわめきあっていました。不倫してたみたい。いつも派手な服を着てました。一日中子どもさんが泣いていました。奥さんの顔がよく傷ついてました。浮気してたんです。なんだか怖そうで刺青もしてました。時々お子さんが助けてと言って逃げてきました。 奥さん、アル中なんです。学校にはほとんど行っていませんでした。お子さんが最近みるみる痩せてしまって心配でした。女性の出入りが多かった。(逆に男も)大きなクルマで何をしているかと思っていました。資産相続問題でモメてたみたいでした。大した土地じゃないのに。早く死ねよと年老いたお父さんやお母さんをよくイジメてました。店屋もんばかりとってました。お子さんが引きこもりで、 もう何年も家から出てきません。どこに行くにも、よくタクシーを使っていました。宅急便の届くのが多くていつも噂していた。一体何をしている人かと。これらは何か事件が起きた時、ご近所さんや隣人達がよくレポーターのインタビューに答えていること。人間は人間をよく観察している。でも厄介のことや面倒に巻き込まれたくないから、関わり合いをしない。言葉も交わさない。人間には「内心」というものがある。この内心を事件が起きると、待ってましたと、喋りまくる人間が必ずいる。実はこの日が来るのを知ってたんだとばかりに。幼い子はみんなで守ってあげねばならない。声をかけ、励まし、助け合ってきたのが日本人だ。今、この日本人が毎日のように身内殺しをしている。もうマヒしてしまったのか、みんなテレビを見ながらビールを飲み、食事をしている。ウチには関係ねえやと。気分がダークになってきたので、「監獄のドン」というオドロオドロシイ韓国映画を見た。ドンと呼ばれている一人の男は、刑務所の中から政治家や役人、刑務所の所長以下全員を牛耳っている。クルマに乗って街に遊びに行ったりもする。世界中にギャングやマフィアがいるが、共通しているのは、悪党のくせに神を信じている。聖書の言葉をコミュニケーションに使う。彼等悪党にとってもっとも許せないのが、組織への裏切り、仲間への裏切りである。「監獄のドン」は敵対者、裏切り者に対して、まるでスプーンでメロンやスイカを食べるように、目玉をえぐりとる。「目には目を」だと言って笑う。歯を一本一本抜く。「歯には歯を」だと言って笑う。この映画にインスパイアされて、ある人への手紙の中に、このことを書いたが、今思えば少しグロテスクすぎたと反省している。が、ギャングやマフィア、暴力団などはもっとエグいリンチをする。ものものしい中でトランプ大統領と金正恩委員長がハノイで首脳会談をする。相方バズーカ砲で撃たれても大丈夫な特殊仕様のリムジンに乗って移動する。「核には核を」でディールする。資源をよこせ、資金をよこせと。「監獄のドン」は生きることへの執着心で凝りかたまっている。人は殺しても自分は生きたい。人間はどこまでも凶暴だ。100万人を殺せば英雄と言われる。だが一人殺せば殺人犯だ。質屋のゴーツクババアを殺した男は大学始まって以来の「犯罪学」の秀才だ。スッテンテンの貧乏だが、貧しい娘のためになけなしの金を与えてあげる。“罪と罰”のテーマは永遠に私たちに問いかける。人間は凶暴で、人間はやさしい。「監獄のドン」の最後どうなったかは映画を見てください。人を裏切っている人や、目玉が心配な人にはオススメしません。
2019年2月25日月曜日
「人間の値打ち・どん底」
「どん底(原作・M・ゴーリキー)」を土曜深夜見た。日本では黒澤明監督が三船敏郎主演で制作した。私の大好きなジャン・ギャバン、そして後姿で演技すると言われた名優ルイ・ジューベが共演した。 どん底の生活をしている貧民街の人間たち、ジャン・ギャバンはコソ泥、ルイ・ジューベは博打で全ての財産を失った男爵(バロン)だ。どん底に暮らす人間にとって、どん底の人間の心配をする余裕などはない。死は眠るだけのことだと皆腹を括っている。50年ほど前のフランス映画だ。人は一度絶対に死ぬ。この世に絶対というものがあるとすれば「死」でしかない。財産を失った男爵はどん底に落ちても、悠然とした心は失っていない。父親もコソ泥で、刑務所の中で死んだ、きっと自分もそうなるだろうという。ぺぺルという。 ジャン・ギャバン。貧しさの極みの貧民宿には、不思議に悲愴感はない。何故ならもう失うものは命以外にない。イヤイヤの人間関係という厄介で、 面倒で、窮屈で、本当は逃げ出したいと言う物もない。私は10代の終わり、同じような貧民街で生活していた頃がある。2歳年上の女性と、元々は、敗戦後引き上げてきた人たちが集まり、集団生活をしていた。半分以上は、朝鮮の人であった。ヤクザ、占い師、手品師、プロの麻雀師、バクチ打ち、売れない絵描き、自称作家。売春婦、印鑑屋、釣具屋、肉屋、鉄道の模型屋、流れ者、逃亡者(凶状持ち)、ヒロポン中毒、雀荘、バクチ場、ヤクザの部屋(事務所)、雑貨屋、共同洗面所、共同便所、毎晩のように起きる、事件、人殺し、自殺、自然死、病死、子どもの衰弱死。売春婦の心中、学生男女の刺し違い。明日を考えている人間はいない。今日1日をどう生きるかだけを考えている。だがみんな明るい、涙もない。夢もない貧乏の達人たちにとって、そこは幸福の(?)場所であった。私は4畳くらいのところで自堕落を楽しんでいた。今振り返るとここでの生活が、今の生活を支えている。(人間を学んだ)私は今でも4畳間で寝ている。 この広さがいちばん性に合う。人間はなまじ持つものを持つと、ひどく卑しい人間になる。何故なら守りたいものがたくさんあるからだ。つまんないプライド、いつ崩壊するかわからない夫婦、兄弟、家族、友情、愛、などというものほど当てにならないものはない。見栄を張った生活、金を借りている人間は、金を貸してくれた人間を、アイツはただの金貸しで、情けない無感性の奴だと言い、借りた金で酒を飲んで笑う。そして又借りる。相手の弱点を知り尽くしている。人間は持ち慣れない物は、待たないほうがいい。その方が頭は冴える。明日を考えないから、今日生きる考えが、集中力を持って出てくる。これを浅知恵だという人もいる。私にとってどん底は楽しかった。女性は美しく、色気と肉感があり、生きる力に満ちていた。BARに勤めていた。夜11時に電話が入るのを待つ。◯×時に終わるから、今夜は◯×で◯△を食べようと、その後映画街に行きオールナイトで映画を見る。ほんのり明るくなった朝、二人でとか、仲間達と行きつけの店に行く。もう一度、どん底時代に戻りたいと、映画を見ながら思った。ある夜、パン、パン、痛え、誰だ、何だと改造銃で撃たれた時、腰に痛みを感じた、左足ふくらはぎにも命中した、改造銃は音は大きいが、空気銃で撃たれたほどでしかない。一週間もすれば治る。その後ギョーザと焼きソバを食べていたら、貧民街の先輩、後輩、仲間たちが集まってきて、中華店の2階は満杯になった。ソロソロ、私は金ばかりの話をする人との付き合いを切ろうと思っている。つまんない人より、面白い人と、すごい人と付き合いたい。私はもう一本やっぱり映画の夢を追う。どん底を味わった人間たちには、本当の人間の愛があり、心があり、助け合い、励まし合うやさしさがある。何故か、金がないからだ。久々に見た、ルイ・ジューベは最高だった。「北ホテル」という名作もある。ジャン・ギャバンの先生だ。この言葉を思い出した。人生には二つの不幸がある。一つは「金のない不幸」、もう一つは「金のある不幸」。
2019年2月22日金曜日
「マタギと現代人」
秋田県「島海山」の中で熊を追う。「島海マタギ」と呼ばれる人がいる。その中で一番熊を撃って来た60歳のマタギの家族と、マタギ仲間のドキュメンタリー「熊を崇め 熊を撃つ」を見た。(NHK Eテレ)都会人はまい日忙しいようだが、まい日同じことをしていると、急速に劣化して、野生を失う。生きて行く智恵とか感性を失っていく。冷暖房完備の中、気がつくと、まい日同じ人たちと会い、同じ話をし、同じ時間を失う。生きて行く智恵を金儲けばかりに集中し、過去の成功体験に落ちつく。周辺はあ〜またかとなる。クリエイティブはまい日、違った生活をした中からしか生まれない。「鳥海マタギ」は熊を“神様”と言う。代々、代々、代々、受け継がれて来た。“神様”を撃つことによって、山の神に感謝する。熊を食べるために熊を撃つ。かつては100数十人いた鳥海マタギは、今では10数人。かつては一年に3頭撃てば、一年間一家が食べていけた。熊の皮は高価に売れ、熊の肝は金と同じ価格で取り引きされるほど、貴重な薬となった。しかしその熊の肝は、政府によって販売をとめられた。鳥海マタギの家には、受け継がれて来た。秘伝書がある。数百年以上それは守られて来た。マタギとハンターは違うと名人は言う。31歳の息子は町で床屋さんをしながら、父からマタギの伝承を受ける。今はマタギだけでは生活はできない。農業や林業と兼業する。銃の手入れは欠かさない。鳥海マタギは熊を撃つために、賢い熊と智恵の出し合いをする。撃たれずに冬眠しようとする熊。それを追う一人のマタギ、猟犬は釣れていない。まるで「白鯨」のエイハブ船長が、モビーディックを、哲学的に追い続けるように、まるでE・ヘミングウェイの「老人と海」で巨大マグロと一人の老漁師が、人生を語り合うように。マタギは巨大熊を追う。それは山を守るための儀式、自分たちの先祖への儀式のようである。家?では一人のやさしいおじいちゃん、お父さん。年老いた母の息子は、銃を手に山に入ると、一人の獣物のような鋭い目、全身に動物性が充満する。一つの足跡、一つの木の傷、一つの木の葉に巨大熊があらん限りの知恵を出し、マタギから逃げているのを知る。そして少しずつ、追い詰め銃声と共に仕留める。無線で仲間に“山の神だ”と連絡する。つまり熊を仕留めたと。熊はマタギたちみんなで雪で清められる。運び込まれた小屋の中で、代々伝わる儀式をして熊を崇める。手を合わせた後、すべては解体され、集落一軒一軒に同じ量の肉が分配される。そしてすべての家で熊を食べ、生きていること、生きていくことへの感謝を熊に語りかける。超一流のクリエイターと超一流のクリエイターの闘いの後の、エールの交換である。敬意の表現である。人々は熊を撃つマタギたち、それをかわいそうと言うが、ならば牛の肉、豚の肉を育て殺すのはかわいそうでないのか。山の神と人間との命のやり取りが生む神聖なエールの交換であり、豪雪の中に村は隠れる。逃げ切った熊は、長い冬眠に入れる。“熊は賢いべえ 自分の足跡をちゃんと人に追いつかれないように するんだ。”熊の皮を買う人間はもういないと言う。神なんだ、 それを全て食べることが、山の神への礼儀なんだ。集落の人間は、 等しい量の肉をビニール袋に入れて帰り、すべての家で熊の肉が調理される。老マタギは幼い孫に言う。食べれ風邪引かねえぞ、と。息子は少しずつ父の後を継ごうと一人山に入っていく。現代人は日々を追いかける金に対して、果たして敬意を持っているだろうか。ホラ、気がつけばいつものメンバーでいつもの話をしている。体から野生はすっかり消えて、気持ちが逃げてしまう。ため息ばかりが出る。すでに精神は死んでいる。私はクリエイティブのマタギを目指す。一発で仕留めるために、日々野生を磨くのだ。銃の代わりは感性だ。
2019年2月21日木曜日
「バサラとサラバ(?)」
婆娑羅(バサラ)に生きることに憧れていた時期がある。近江の戦国大名「佐々木道誉」とか、加賀の「前田慶次郎」みたいに。バサラとは、人と違ったことをする。人は決してしないファッションを身につける。左右別々の着物柄にしたり、派手派手な色とか異色の組み合わせで着る。織田信長もバサラ的であった。傾く(カブク)はバサラであり、やがて歌舞伎となった。私はある時期スーツにアロハシャツが定番であった。今でも時々バサラになる。昨夜、やがて天下を取るであろう御方と、その軍師と食事を共にした。今はその名を伏す。9時半頃にお開きとなった。東京駅発22時30分発湘南ライナー小田原行きに乗車した。愛読している夕刊紙を広げると、気分は「バサラ大名」!?現代によみがえる闘茶を体験という記事がどーんと目に入った。(コラムは話題の焦点)「闘茶」のことは、お茶関係の仕事をしている時に調べて知っていた。(ほんの一夜漬けだが)「闘茶」は鎌倉時代から室町時代 にかけて大流行した。茶の味を飲み当てて勝敗を競う。「バサラ大名」たちは、高価な美術品、道具類、さらに土地や莫大な資産まで賭けるようになった。破産する者も現れ室町時代は禁止令を出した。その「闘茶」が現代に蘇ってきてるというのだ。記事によると、仕掛け人は現在30歳、2017年から闘茶会をはじめたとか。ところは門前仲町のとあるお寺だ。参加者20名の茶席がずらりと並んでいた。闘茶は、“四種十服”、4種類の抹茶を10回に分けて飲む。まずは、「試飲」で用意された抹茶の順番に飲んでいく。ここで味と香りを覚えたら「勝負」となる。10杯の茶がランダムに出され、参加者は、どれがどの茶か推理する。(詳細はネットで調べてください)抹茶はカフェインの含有率が非常に高い。1g に32mg。 コーヒー豆は6mgだから5倍以上も高い。これを何杯も何杯も飲み続けると、興奮気味になる。「バサラ大名」たちは、負けてなるかと、この品、あの品、あの土地、あの城と賭けて、しまいにはブッ倒れてしまう。(NHKのスクープハンターでやっていた)若い頃徹夜麻雀を11日間ぶっ続けで打ったことがある。二抜けといって二位の人間が次の人間と交代する、2位になった者は眠ることができる。勝ち続けると眠ることができず、いかに二位になるかも考えて打たねば死んでしまう。久々にバサラな気分がよみがえった。近々ジーンズに学生服風、中にはブルーのアロハシャツでバサラってみようと思っている。昨日アロハな季節を感じた。春雨が気持ちよかった。辻堂駅に着いたらタクシー乗り場が行列だった。よし春雨じゃ濡れていこう、と月形半平太の気分になり、歩いて一杯飲みに向かった。バサラとサラバをしに。
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