銀座四丁目和光のショーウィンドウ前、地下鉄銀座駅から上がったところに、時々「雲水」の人がいる。それは真夏の太陽の下であったり、真冬の鉛色の空の下であったりする。先週和光で買い物をする用があり午後1時頃に四丁目の交差点を、三越側から渡った。春のように陽差しが強かった。私は横断歩道を歩きながら、おっ今日は雲水さんが出ているなと思った。見ていると一人の女性、70歳位だろうか、頭を雲水さんに向かって下げていた。雲水さんは手にした小さな鉄の輪みたいので、女性の頭をカシャンカシャンと打ち続けては、何やら念仏を唱えていた。その儀式は私が渡り切り、興味深く近寄ると終わっていた。女性は大きく頭を下げ、千円札を四つ折りにして、雲水さんの持つ小さな丸い木の盆の中に入れた。今度は雲水さんが頭を少し下げた。額にうっすら汗をかいていた。とても長身の雲水さんであった。一度雲水さんと交差点の側にある「鹿乃木」にでも入って、抹茶とあんみつかなんかを口にしながら、ゆっくり話したいと思っているのだが。女性は何を雲水さんに語ったのだろうか。私が雲水さんの顔を見た時、不気味な笑みを浮かべていた。それが何を意味するか分からない。私たちは今混迷の中にいる。鏡に写る自分の顔を見て、ずい分と悪い上に、さらに悪くなったと思う。山や海、川や草原から離れ、鳥たちの声を聞くこともなく、都会の渦の中でスマホに向かって語りかけ、笑いそして怒り、歌を口ずさむ。そんな人が街を行き交う。山野楽器店の前を歩きながら、この世の先きを考えた。昨夜帰ると、友人の苦境を語る手紙が来ていた。「仕事にこまっています」と書いてあった。日本の映像文化の発展のために大きな貢献をした人だ。何か恩返しをと思うのだが。持つべきものはない。自分自身の一つひとつの仕事を大切に懸命に働くしかない。人生とは四苦八苦の苦行の道である。名古屋名産の奈良漬をつまみに、いつものグラスに酒を入れた。心を清らかにしてグラスを傾けた。スコッチと奈良漬は実に相性がいい。
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