望遠鏡を普通に見れば遠くのものが大きく近く見える。が、その逆は目の前のものも遠く小さく見える。齢を食ったせいか、ヤキが回ったのか、それとも人生の終わりに近づいたせいか、遠い、遠い過去のことばかり思い出す。それはきっと今よりずっと、その頃の方が楽しかったのだろう。いい友やいい仲間、いい先輩や憧れた男の人たち、初恋の子、腐れ縁になったが美しく魅力的だった女。かわいい後輩たち、大嫌いだった勉強、大好きだった喧嘩。そして殴り合った後に認め合った友。一生お互いに忘れないようにと同じ箇所をナイフで切って流れる血をすすり合った。世話になった女にも受けた恩は大人になっても忘れないからなと、ナイフで切った傷。あたしも忘れないわと、同じように自分の体にナイフで傷をつけた女。生きていれば老婆となっているだろうが、傷は消えてないはずだ。施設に入所などしていれば、おばあちゃんなんで太モモに こんなに大きな傷があるのと問われたはずだ。望遠鏡を逆にして見ると遠い過去が映画のシーンのように思い出す。この頃、 深夜になると血と涙と友情と、未だ仲良かった、兄弟姉妹たちとのことを思い出している。「黒い傷あとのブルース」という曲があったが、そんな気分だ。過日少年時代を過ごしたところを、ロケハンをかねてクルマで通った。広いと思っていた道はこんなに狭かったと思った。広々とした畑だったところには、家が立ち並んでいた。やさしい母と過ごしたところには小さな家が建っていた。喧嘩ばかりしていた神社は思い出よりずっと小さかった。体に残した傷を見て、男らしかった奴、根性があった奴、しぶとかった奴、手強かった奴、勝負がつかなかった奴、その男たちの顔を鮮明に思い出した。みんな生きてるのかい。同じ場所につけた傷を見てオレを思い出してるかい。この頃はスヤイ(安い)奴が多い。あの頃はまい日がこれ以上なく楽しかったな。何もなかったけど、友情と愛情はあったからな。オレには今、飲み分けの兄弟が二人いる。天才的根性者と洒落者だ。今一本の映画のシナリオを書いている。望遠鏡を逆さまにした日々をテーマに。失ったものを手に、石川啄木じゃないが、 "これを仕上げて死なんとぞ思う”こんなブンキ(気分)だ。 天才中野裕之監督とやりたいんだよ。
0 件のコメント:
コメントを投稿