私は「結局」である。世の中は手を洗え、顔を洗え、人が触れる物を消毒せよとなっている。私結局はある賢人から先日教えられた。この世で一番汚いのは、お金だよ。国内は勿論各国の紙幣、硬貨だよと。いくら手を洗っても、人から人へ渡って来た紙幣は洗えない。硬貨もだ。誰も触っていない、“お金”は、ない。悪業をして稼いだ金を、正業をして稼いだ金の如くするのを、「マネーロンダリング」という。例えは悪いが今、新型コロナウイルスから身を守るために、あるいわ人に感染させないためには、日本国にいる人間全部が、持ち金を洗浄(マネーロンダリング)しなければならない。ずっと前からあちこちに知恵をしぼって、隠し持っているのはきっと大丈夫だろう。まい日紙幣や硬貨を使用する度に、アルコールで消毒する生活が必要だ。かつては大人たちから、紙幣や硬貨を触れると手が汚れるから洗いなさい、なんていわれた。最も手を洗うほど手にはして来なかった。私結局は鎌倉の八幡様の近くにある。“銭洗い弁天”を思い出した。むかしから銭は不浄だったのだろう。敬愛する漫画家さんの作品に、“銭ゲバ”というのがある。以前ある会社の仕事をお願いに行った。大先生は狭い部屋の三角地帯みたいな所で、シコシコと仕事をしていた。数多くの大ヒット作を生んでいたので、さぞかしスゴイ仕事場だろうと想像していたが、全く違った。数人のお弟子さんが、無言でいた。大先生は後姿からふり返りながら、私結局と広告代理店の人に、早く銀座に行って飲もうよ、さ、行こ行こと言った。私結局がB3サイズの紙に描いてくださいと言うと、そんな大きな紙持ってないよ、文房具屋さんに行って買って来てと言った。そ、そうかB4の紙をセロテープで貼ればいいかと言った。私結局はこの瞬間、大先生の大ファンになった。で、夜銀座に行きその後ホステスさんたちをタクシーにギューギュー詰めにして、六本木の店に連れて行ってもらった。大先生は、大型クルーザーも持っていて、今度一緒にどお、なんて言った。金はやだね、持っていたくないね、そんなことを言っていた。私結局は、天が教えているのではと思う。結局お金こそが汚れている代表で、消毒すべきモノなのだよと。人間は一人ひとりの中に、“銭洗い弁天”を持たねばならないのだろう。「シンドラーのリスト」という名作映画がある。アウシュヴィッツの収容所から、多くのユダヤ人を救った人である。その原作の中に、こんな言葉があった。「金は汚く稼いでもいい、それをきれいに使えば」私結局は、結局シコシコと働くことしかできない。大先生はお元気だろうか。同じ仕事をもう一人の大先生に頼んだが、意外にもその大先生は超のつく銭ゲバで、金の話(ギャラ)ばかりをして崇高な人格者である、広告代理店の人を激怒させた。“人は見かけによらない”ものなのだ。さあ、皆さん持っている紙幣や硬貨をシコシコと、プシュプシューと消毒を。世界人口の中の30億人が、手を洗う生活ができていない。つまり発展途上国の人々だ。インドや、アラブなど多くの民が、日常生活の中の食事を、素手で行なっている。私結局は天命に従うしかないと思っている。但し人に迷惑をかけてはならない、とも思っている。“お金をもうけてはいけないんですか”“悪いことなんですか”。そんなことを言い放った嫌な男の言葉を思い出した。(文中敬称略)
2020年3月17日火曜日
2020年3月16日月曜日
第37話「私は三学」
私は「三学」である。と言っても三つの学問を学んだなどと大それたものではない。若かりし頃、(一)漁業民、(二)農業民、(三)森林民に少しばかり触れて学んだことを言う。新型コロナウイルスの対応に対して、一国のリーダーが記者会見で話した内容を見聞して、民俗学を全く学んでないと思った。空虚な精神論でしかない。“私を信じ、私について来てほしい”責任は全て私がとる。その上で、ああする、こうする。で、しばしあるいわ半永久的に、耐え忍び、我慢し、かくなるものを共に実行して行こう。資源なき島国の宿命、大戦に敗北した米国従属国としての運命に、立ち向って行かねばならないと。私三学は思った。国のリーダーになる者は、国を支える民を肌身で知らねばならないと。私三学は、二十代~三十代漁船用エンジンのPR誌を、大先輩から引き継いだ。北は稚内から、南は沖縄まで、いろんな漁港に行き、早朝より船に同船してあらゆる伝統漁法を取材する。漁師さんと一緒に乗り、漁の写真を撮り、夜にはみんなに集まってもらって、エンジンの調子とか、漁業の現状とか、漁法について、とりたての魚を食べながら、共に酒を飲みながら取材する。(一)漁師は板子(イタコ)一枚で死ぬか生きるかである。大時化になった中での漁は地獄である。早く逃げ帰らねばならない。エンジンの性能は、人間の心臓と同じである。生か死か。漁師と港の女は連帯している。取材に対し正直である。(二)農民に対しては、不整地走行車の仕事をさせてもらった。やはりレポートが主体となる。その土地独特の土地の個性がある。デコボコの荒地、ヌルヌルの沼地、ビッシリ草の根が張りめぐたされた土地、不整地走行車は、その地に対して立ち向かって行く。農民は漁師とは違う。漁師が海なら、農民は大地だ。雨、風も味方になる。土地を育て養う。こうすればこうなるからと、耐え忍ぶ、取材に対しては、正直に応えない。お代官からの年貢をかくすことが習性となっている。作物は隠す。(三)森林民はある仕事で、あちこちの山の民と接触した。山の民は極めて閉鎖的である。と同時に宗教的である。秘密の民と言ってもいい。ここは夜になると獣道になる。その山には、こんな風の道がある。だから一見すばらし木も伐採する。いわば若者を育てるために、老木を切り倒す。長い間おつかれさんだったなと。私三学は学んだ。三つの民は、10年先、30年先、50年、100年先の、海、大地、山を見ていた。自然を知る本能と、ずっと先きを見るビジョンがあったのだ。漁師は博徒のようであり、農民は忍徒のようであり、森林の民は、宗徒であった。日本という国は世界に稀れな、三つの民が対等に共存して来た。そこに入って来たのが、欧米的資本主義である。国際的ユダヤ資本主義である。彼等は戦争こそが最大のビジネスであり、地球規模のマッチポンプであった。新型コロナウイルスで、世界は株式大乱高下、だがこれを演出しているのが、国際ユダヤ資本だ。そして今ではそれ以上の力を持ちつつある。中国資本だ。気がつけば、新型コロナを発染させた国が、世界を救済するみたいな行動をする。WHOは中国資本が握り、IOCは国際ユダヤ資本が握っている。オリンピック、延期も中止もこの二つが握っている。私三学は思う、これから国のリーダーとなる人間は、この島国の民の特異性を徹底的に学ばねばならないと。“一神教”と“ヤオヨロズの神”の違いを肌で知るべきだ。漁船に暮らし、農家に暮らし、山の番屋で暮らしてこそリーダーとなれる。私三学は、いま思う少なからず、三つの仕事をさせていただいたありがたさを。美辞零句、主語のない文章を読んでいる我が国のリーダーを見て、荒波の中の漁に連れ出したいと思った。いつ止むこのないような雨の中で、耐えることをさせたいと思った。何が出るか分からないような、深遠な山の中で、何日間もビバークさせ、恐ろしい風の音を聞かせたいと思った。私三学はこの国が主体性を持つには、“民俗学”の復活しかないと。
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2020年3月13日金曜日
第36話「私は2輪」
私は「2輪」である。五輪は平和の祭典だが、今では商業五輪(オリンピック)になっている。私2輪は自転車である。オートバイのように力強いスピード感はない。私2輪はひたすらペダルをこいでないと倒れてしまう。人はそれを自転車操業という。私2輪は半世紀ペダルをこいで来た。おしりはずっとサドルの上にのせていたので、きっと人よりは固いはずだ。私2輪はハイコロとか、チャリンコなどといわれて来た。少年の頃は自転車が持てなくて、貸し自転車に乗っていた。ちくしょう、いつかピカピカのチャリンコを買ってやると思っていた。貸し自転車はタイヤの大きさで値段が違った。一時間とか二時間借りて乗った。10円とか30円、長くて50円位だった。ブレーキがついてないので、こいでないとフラフラとして転倒する。つまり少年の頃から自転車操業をしていたのだ。当時小坂一也とワゴンマスターズというバンドに人気があった。原田実がバンドマスターであったが、小坂一也の人気は絶頂だった。故小坂一也は人気女優の永遠の恋人と言われた。♪~ サイクリング サイクリング ヤッホー ヤッホー なんて歌ってサイクリングブームを呼んだ。「青い山脈」という戦後を代表する青春映画には、♪~ 若くあかるい 歌声に 雪崩は消える 花も咲く 青い山脈 雪割桜 などと若い男女が美しい山並みを見ながら、丘の上を自転車で走る。青春の先には、明るい未来と四苦八苦がある。それを乗り越えるんだと暗示した。戦争が終った空には爆撃機も、戦闘機も飛んでなく。青い空、白い雲たちが意気高く歌っていた。貸し自転車に乗った、私2輪少年は暗示されてた通りの茨の道を進む。十代の頃は「日月火木金土」と競輪場に通った。水曜日は休みなので、川崎競馬や多摩川、平和島の競艇に行った。未成年だったのに、お化粧をした年上の女性と一緒だった。独特の人間たちの中に、マブイ(美しい)女性はキラキラしていた。ランチはアジフライとか、クジラのカツ。揚げたてにブルドックソースとか、イカリソースをかける。ジュワーと音がする。それを食べながら、差せとか逃げろとか、まくれとか声を出す。かませ、かませと声を出す。夜ふとんに入ると頭の中に、京王閣、松戸、西武園、立川、競輪場の打鐘(ジャン)の音が、ジャンジャン鳴る。競艇場のエンジンの音や、川口のオートレース場のバイク音が唸りを上げる。学校からの呼び出しを持って母が来る。ガバッと起きて、我に返る。ハイナシだ。“ハイナシ”とは金が無いという事だ。ハイナシの人生を経験し、私2輪は自転車操業をして来た。だが天は味方をしてくれた。私2輪は競輪、競馬、パチンコ、麻雀。花札。チンチロリン、オートに競艇、スマートボールにラッキーボール。トータルするとかなりプラスであった。たくさんの後輩たちを面倒見て来れた。だが会ったら土下座して、お詫びをしなければならない人も多い。二十代になって殆ど止めた。会社経営(プレゼンテーションに勝つか負けるか)がバクチと同じであった。この世とあの世がくっつき出した歳になった今、世界は株価大暴落、大不況へのジャンの音が鳴りはじめた。アメリカのトランプが、守りに滅法弱いことを証明した。カジノ経営を失敗した男が、アメリカの経営の失敗を世界にさらけ出した。私2輪にまた、また、また、また……。大不況の波が押し寄せて来た。サイクリング サイクリング ヤッホー ヤッホーとは行かないだろう。なだれは消えなく、花も咲かないかも知れない。土壇場は修羅場になるだろう。私2輪はジャンの音をBGMに(耳鳴りが酷い)勝負に出る。勝負は最後に生き残った者の勝ちだ。攻撃は最大の防御だ。私2輪には長い間苦楽を共にして来た。仲間たちがいっぱいいる。この日が来るのを数年前から読んで、手を打って来た。皆で支え合い、励まし合い、助け合って行く。仲間は宝だ。アジフライと、クジラのカツを食べて。私2輪にブレーキはついてない。グチをこぼした者は負ける。アベノミクスは見る影もない。私2輪は人生を土壇場と、修羅場の中の人間から学んだ。教科書には人生がない。正しいか、間違いか。その間がない。本当の正解はそこにある。人の心は難解な問題だ。
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2020年3月12日木曜日
第35話「私は今日」
私は「今日」である。昨日でも明日でもない。その今日は残りあと12分16秒だ。このまま生きていれば、明日がもうすぐ来る。なんていうと少し宗教的か、哲学的になる。私今日にそんなことを書く“学”はない。学がないことは自慢にならないが、物事を簡単に考えるので、如何なる逆境に置かれても、がんばれば何とかなるで片付けられる。だがしかしそれは自分だけの話で、愛する人々、愛する家族のこととなると、簡単にはいかない。故遠藤周作先生は小説「沈黙」の中で、“神よあなたは何故いつでも沈黙していらっしゃるのか”、と書いた。神は人に試練を与えつづける存在なのだろう。私今日は「荒野の誘惑」という映画を見ながらこれを書いている。イエス・キリストが広大な砂漠の中で、40日間の断食をする。(受難節)断食の中なのに痩せてないのが気になる。イエス・キリスト関係の映画は、たくさん見てきたが、この作品は失敗作だ。英語が砂漠の風景に合わない。私今日は何か得るものがあるやも知れないと思ったが、イエスはノーであった。砂漠に言葉は必要ない。一人の老人と一人の少年、それと一人の女性と出会い、“探し物はなんですか”と井上陽水の歌みたいな会話をする。ヴィム・ベンダースの「パリ、テキサス」(カンヌ映画祭受賞作品)では、赤い野球帽にヨレたスーツにネクタイの一人の男が、ひたすら荒野と砂漠を歩き続ける。ライ・クーダーのギターが体中に響いて、心が張り裂ける。パリ、テキサスとは荒野にある町の名だ。ひたすら歩く求道者のような男の目的は、小さな男の子を置いて、逃げた女房を探すためだった。「一節太郎」の名曲にこんなのがあった。♪~逃げた女房にゃ 未練はないが お乳ほしがる この子がかわい 子守唄など苦手な俺だが……(浪曲子守唄)“ヒトフシタロー”は、この一曲で一生食べている大ヒット曲だ。パリ、テキサスの男がやっと見つけた女房は、町の場末にある“テレフォン喫茶(?)”にいた。ガラス越しに電話でSEXをするような仕組みだ。お互いに顔は見えない。真っ赤なドレスを着た、ナスターシャ・キンスキーは、まるでマリア様、美しすぎる官能。全身が視覚言語(ボデイランゲジー)であった。神は何故二人を切り離したのか、長い沈黙のあと、電話でのやりとりでそれが明かされる。荒野、風の音、砂漠、空の音。ライ・クーダーのギター。100点満点の映画にしたのは、感情の静けさと、沈黙の熟情だ。私今日は、昨日深夜に見た、映画に監督の力量の差を見た。ロドリゴ・ガルシア監督、カメラワークも音楽も、メイクアップも、コスチュームもダメ子ちゃんだった。私今日は新型コロナウイルスの、人類への攻撃から愛するものを守る策を考えねばならない。とはいえ神は沈黙する。私今日にできることは、雑草魂をふるいたたせるしかない。“負けてたまるか”。新型コロナウイルスを退治するのは、きっと太陽(コロナ)にあるはずだ。現在世界中の防疫機関が、新しいワクチンの開発に全力を投じているだろう。スパイ大作戦のように。日本国は1944年(12月)と1945年(1月)にあった。東南海大地震と三河大地震を軍の命令で、新聞各社に一切報道させずに、隠ぺいをした。アメリカ軍は大地震による大被害を全て知っていた。東海地方は日本の一大軍事工場地帯であった。そしてB-29がそこを集中的に空爆して破壊した。日本の新薬開発能力は、世界に誇れる英知がある。但し情報がどこからかダダモレするらしい。私今日は、もう一本の映画「ガーンジー島の読書会の秘密」を見た。その後午前四時04分WHOが遂にパンデミック宣言を出した。ポストに音がした。朝刊を取りに行く。森雅子というとんでもない法務大臣を辞めさせないと、もっと大きな何かが起きるのではと思う。死刑を命令する法の番人が滅茶苦茶だ。中村文則氏という若手作家が、ある新聞にこの内閣は出来てはいけないものだったと書いていた。私今日も同感だ。(文中敬称略)
2020年3月11日水曜日
第34話「私は服薬」
私は「服薬」である。生涯何も薬を服用しなかった人は、現代社会が生じた頃から誰もいないだろう。人それぞれに体質があり、各器官、各臓器の性能が違い、遺伝子が違う。頭痛、腹痛、鼻炎、歯痛、尿モレ、便秘、下痢、喉、扁排線、咳、アレルギーなど、人間がかかる病は分かっているだけでも、ぶ厚い家庭の医学の本になる。お医者さんに行くと、それらに適した薬を処方してくれる。かつては病院内で薬をもらったが、現在は調剤薬局に行って薬をもらう。その時に、私服薬が発生して、“お薬手帳”をもらう。○△さんお薬ですよ、ファイハイとオバアチャン、イヤになっちゃうねマッタク、こんなに薬を飲まなけりゃイケナイなんて、私服薬はたくさんの袋に入れられる。オバアちゃんお薬手帳は、ファイハイありますよ、こんなにたくさん。そんなに全部を持って来なくてもいいんですよ、嫁が持たせてくれたバッグの中に入ってますよ。え~と、え~と、よく分からないけど、あっ、それそれですよ、アラそうみんな同じだけど。今度も朝、昼、夜、就寝前に分けてあげますからね。アラそういつもと同じね。私服薬は小さな四角いビニール袋に入れられる。そこには、朝とか昼とスタンプがされている。オバアちゃん、これはヒンニョウ、これは血圧、これは便秘、これは腰痛、これは尿酸、これは血糖、これは偏頭痛、これは……これは……。マッタクこんなに薬を飲んだらおなかがいっぱいになっちゃうわ、ダハハハ……。私服薬は治験を経て、許可されたもののみに服用が許される。ハイこれはウイルス用ですよと出される薬はない。人類の歴史は、ウイルスとの闘いの歴史でもある。文明の進歩が新たなウイルスを生む。お薬手帳にペタッとシールを貼るには、途方もない時間がかかる。人間は戦争で何千万人を殺すが、ある人間の思いもよらぬ発見と発想から、何千万人もの命を守って来た。私服薬はアイデアの証である。中国五千年の歴史は、漢方の歴史だ。その調合は奇跡に近い。昨夜「コンテイジョン」という映画を見た。現在の新型コロナウイルスを予言していたような映画であった。スティーブン・ソダーバーグ監督、マット・デイモン主演。世界は突然発生したウイルスに攻撃される。はじめは咳と喉の痛みと頭痛、そして発熱であった。生魚から(?)生肉から(?)生ゴミ、あるいわ人体から、現代社会は新しいウイルスを生む宝庫だ。私服薬が出番となる日は遠い。人とヒトはパニックを起こす。愛しているわ、なんて言いながら抱き合い、Kissをしようと思った時、ゴホン、ゴホンと相手が咳込んだら、その瞬間に愛は終る。離れて、離れてと。世界保健機構は感染者の致死率は20%という。世界人口が70億か80億人とすると、15・6億が死んでしまう。人類を救う物は何か、カビからペニシリンができたように。生き物を救うのは動物か植物からでしかない。パンデミックはネズミ算のように増え続ける。ネット上にはデマが乱れ飛ぶ。過去のワクチンにヒントはないか。映画では人間の12人の内の一人が致死すると予想する。世界中はマスク、マスク、マスク。アメリカ合衆国は250万人が致死する。私服薬は出番が来ない。かつて戦争用にあるあらゆる細菌兵器が研究された。その研究ストックは、どの国にも秘密のまま隠されている。人類を救う大発見は、“一木一草”とその周囲にある。地の中の虫にもある。オバアちゃんのお薬手帳に貼られるまでには、世界中で数千万人が死ぬ。誰のせいだといえば、文明の進化のせいだ。新薬のワクチンは当然のように、夥しい数の人体実験(治験)が行なわれる。私服薬は一日も早く、お薬手帳にペタッと貼ってほしいと願う。最早オリンピックなどは、夢のまた夢だ。人が集まる所はウイルスが集まる所。映画では……。今と同じだからぜひ見てもらいたい。映画ではコウモリが落とした、フンを食べた豚たちから、私服薬は生まれた。SARSのワクチンである。何! とんかつが食べたいだと。
2020年3月10日火曜日
第33話「私は悲鳴」
私は「悲鳴」である。キャーとか、ギャーとか、ガチョンとか、ヒメーエの言葉はたくさんある。ウヒョーとか、ダメダダメダァーと叫ぶ者も多い。昨日夜十一時頃帰宅して、思わず目を疑った。ガビーンとアメリカの株価が1500円近く値を下げていた。当然日本の株価もチンチロリンのカックンと値を下げている。ヨカッタァ~貧しき者故、株の売り買いなどには一切関係ない。不労所得で金を儲けているヒトの顔が見たい。最も金持ケンカせずと言って、右往左往をしていないかも知れない。右往左往するのはハシタの金を動かしている人間なのだろう。過日投資ジャーナルを率いていた、中江 滋樹という男がアパートの一室で焼死していた。全盛期は3000人近い人間を動かし、兜町の風雲児と言われた。毎晩500万、1000万を銀座に落とした。だが悪銭は身につかぬと言う。65、6才になった男は生活保護を受け、命をつないだ。夕刊紙に自分の人生を連載をしている間に焼け死んだ。煙草の不始末というが不明な点があるらしい。ものすごく熱く絶叫したことだろう。今度の乱高下で何人かの命が飛ぶだろう。投資家の末路は哀れだ。博打は資金を持っている人間が最後は勝つ。ウロタエタ人間は沈む。バカヤローな記事があった。静岡県焼津市選出の諸田洋之県議が、マスクを転売して888万円の荒稼ぎをした。こんなヤローは私悲鳴が、ヒメーエが出ないほどイタブッテやりたい。昨夜お客さまを招待して食事会をした。私悲鳴は声を失った。ガビーン、20組がキャンセルで私悲鳴たち三人だけであった。週末の結婚式も飛んでしまったとか。会社員にとって今は人事の季節だ。テレワークで仕事をしろと言われた知人は、やばいんだよなあ~、このまま来なくていいよ言われそうで。朝の通勤ラッシュは3割減。会社の人事情報は廊下トンビというのがいて、作り話、盛った話、聞いて来たようなガセの話をバラマイて飛び回る。気がつくとアレレーと自分が島送りになったりしている。関西外語大の特別入試で、18才の女性がなんと“金魚すくい”の得技で入学、小学校四年の時から猛練習したとか。374人中18位(小・中の部)なんと一回で56匹をすくったとか。オヒョーと私悲鳴は“ブッタマゲル。”お伊勢さんと言えば“赤福”、それにヤクザ界の名門の代紋を入れとかで懲役一年。私悲鳴は考える。オリヤーオドレ、ウチの代紋焼酎に入れんかい。そうスゴマれたら、誰でもきっと悲鳴を上げたことだろう。新型コロナウイルスは、年内には解決しないと、第一人者たちが言っている。(何故か第一人者はたくさんいる)こうなかったら開き直るしかない。歴史上悪運が長く続いたことはない。いつか尽きるのである。遂にというか、遅かれしと言うか。安倍晋三内閣の命脈は尽きはじめた。私悲鳴にはよく聞こえる。モーヤダヤダヤッテラレナイ。内部抗争の悲鳴が。悪いヤローは都鳥(ミヤコドリ)というが、最側近の首相補佐官が100叩きの悲鳴をあげるだろう。足利尊氏に執権“高師直”というのがいたが、その最後は無残であった。当時武士は悪党と呼ばれた。ご主人様はいざとなったら冷酷なものである。私悲鳴のように失うものを持っていない人間は、したたかに強いものだ。ネバーギブアップと海岸に出て絶叫した。思えば長い間ずっと悲鳴を上げながら今日まで来た。一日たりと心休まる日などない。無い者ほど強いのだ。長屋のハッつあん、熊さんのように。私が憧れる一人のフリーのライター(構成作家でもある)は、人生の達人のようである。私悲鳴のように愚かではない。欲の皮というのが存在しないのだ。昨日深夜、ラッセル・クロウのビューティフル・マインドという映画を見た。ノーベル賞受賞の天才的経済学者の実話だ。暗号の解読者でもある。天才であるが故に精神病院に入れられる。ここから出してくれ、私悲鳴にはその声が聞こえる。あ~バカでよかった。あ~何も持ってなくてよかった。夫婦愛を確かめ合うには、“ビューティフル・マインド”を。アカデミー4部門受賞作だ。
2020年3月6日金曜日
第32話「私は未来」
私は「未来」である。反意語は“過去”である。私未来は絶えず過去につきまとわれ、追われている。私未来は過去からの逃亡者でもある。“未来”この2文字ほど人を裏切るものはない。が、人は未来に向かって行かねばならない。一時期“ファジー”という言葉が流行った。“曖昧”(アイマイ)という意味だ。さほど長続きはしなかったが、何かにつけてそれってファジーだなとか、この問題はすこぶるファジーだなんて言った。ファジーな飲料なんかも多く売り出された。昨日帝国ホテルのカフェラウンジで、出版社の女性編集とそのスタッフ、そして一人のシンガー・ソング・ライターのヒトと、実にファジーな打ち合わせをした。いつもは東京駅みたいに混んでいるロビーに、人は少ない。いつもは席が空くのを待たされるのに、空席ばかり。入り口のアチコチにアルコール中毒液。珈琲カップを持つ手からアルコールの臭いがする、ファジーな打ち合わせとは、すべてが新型コロナウイルス姿第だから、話の結論が“アイマイ”となる。やろう、やれたら、やるならば、やれるまで待とうかとなる。タクシーに乗ったら、お客さんが5割から7割も減ったとか。私未来は、未来が暗いトンネルの中にいるように見える。未来は切り拓くものだから、と思うのだが、スコップもハンマーも、ドリルもダイナマイトも見えない。長いトンネルを抜けると、そこはもっと長いトンネルだった。そんな気分になる。だがリングの上では、ネバーギブアップで闘っていかなければならない。タクシーの中で新聞を広げたら、ある本の広告が載っていた。そこに一行、こう書いてあった。「創業した会社を潰したのは、創業者である」と。1100円を払ってタクシーを降りた。外は風が強くファジーでなかった。なんだか気分が重い、映画でも見るかと思ったが、ガランガランのはずだから止めた。早目に帰宅しようと思った。午後九時二十八分〇二秒、家に着いて時計を見た。手を洗え、手を洗えと言うから、ウルサイ分かっていると言った。会話はそんなものである。午前一時頃から映画を見た。「マリッジ・ストーリー」アカデミー作品賞候補作であった。離婚を決意している男と女のファジーなストーリーだ。離婚調停を引き受けている弁護士は、三度離婚していた。離婚の最大の犠牲者は、幼い子どもである。幼年期でいちばん大きなトラウマは、親の離婚だという。映画は延々と男と女の煮え切らない会話を見せる。途中で止めて、「フェイク」を見た。アルパチーノがマフィアか、潜入捜査官か。フェイク(ダマシ)役を演じていたが、すこぶるつまないので、又、「マリッジ・ストーリー」を見出した。午前三時やっぱりグダグダやっているので、映画は止めにして、大好きなお笑い芸人。「中川家の寄席」を見た。これが実に面白い。主婦になった中川弟の細部にわたる人間の観察眼には、いつもながら舌を巻く。次にレディー・ガガのプロモーションビデオを五本見た。一本製作するのに数億をかけているのだから、見応え十分。圧倒的なアイディアに気分が晴れる。ハリウッドのスタッフワークは驚異的だ。特に編集が抜群だ。おでんの残り、コンニャク、シラタキ、チクワ、大根、玉子、昆布を温めて食べた。カラシをつけすぎて、目から涙がツーンと出た。コンニャクにカラシをつける時は要注意だ。あっそうだ私未来は、未来を語らねばならない。男と女は一緒に暮らし始めたその日から、離婚を考える。あとは我慢比べと諦念と観念と、ファジーだ。そう、結婚とは“アイマイ”の月日なのだ。長く続けるにはそれがいちばんなのだ。“忍耐と我慢との違いを見つける月日でもあるのだ。ファジーはこれからのコンセプトとして、復活させられるかも知れない。過日名古屋駅で食べた熱くない“カレーそば”なんかはファジーであった。私未来に、未来が浮かんだ。メンタルクリニックの医師の悩みは、自分のメンタルを相談する、いい医者がいないことだと聞いた。(ビッグアイデアのヒントだ)
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2020年3月5日木曜日
第31話「私は無力」
私は「無力」である。つくづく何もできない。新型コロナウイルスの影響で、広告界、映画界、演劇界、音楽界、イベント界、出版界、ワイン界、野球界、旅行界、相撲界などいろんな界の人々から多数電話が入る。主役の子が新幹線がダメで、ロケ中止、映画館はガラガラ(でも広告では大ヒット上映中)なんと無観客でのオペラ撮影。ライブコンサートがドタキャン。出版のサイン会をやれず、私無力の出身地の力士がゴメンナサイと。新しいワインの試飲会は、ヤケ飲みの会に。プロモーションイベントなんか、みんなブッ飛び、広告界の最大手の人からは、もうオリンピックどころではなく、社内人事拡争、責任のなすり合いとか。一人芝居の舞台は、無観客で本当の一人芝居に。もうヤバイ、もうアブナイ、もうイケナイ。と、相談されても私無力は何もできない。今度ばかりは、相手がウイルス菌なので、どうしようもない。私無力も、先が見えない。何のアドバイスもできない。無力感でいっぱいだ。やたらに腹が痛い原因が、ほぼ分かった。三日間苦痛に耐えていた。温ソーメンと、うどんばかり食べていたので、私無力の体はスルスルとズルズルになった。今日からは何でもOKだと思う。マスクだらけの人間がフツーに見えてきた。列車内で花粉によるクシャミをすると、嫌な顔をされる。結局このウイルス問題で、最後に勝つのは中国だろう。人口は国力というから米国も相手にならない。米国は約4億人、中国は約14億人。中国が仮りに10億人減っても米国と同じだ。(その時米国はゼロ)日本は約1.2億人全く勝負にならない。今度のウイルスは、若い人から年寄りに感染して、体力のない年寄りがアウトになるらしい。私無力の兄弟分で、いつも酒を飲まずに、朝まで矢沢永吉を歌うのが、昨夜電話で実に文明学的、かつ人類学的発言をした。オヨヨと思った。「今度のウイルスはさあ、若い奴が生き残って行くために、年寄りべらしを始めたのだ。人間という生き物が、生き残るための動物的本能だよ。」オヨヨさすが日本の最大手の広告代理店で、若くして部長やってきただけのことはある。人口とは、人の口の数から生まれた言葉。若者たちは年寄りの年金や医療費を背負って行けない。養うために食べ物を供給するには、あまりの格差社会だ。私無力は実に納得させられた。私無力は十分年寄りだから、若者たちに迷惑をかけてしまうのだろう。出生率は減少するばかりだ。新型コロナウイルスから、学ぶこと大なのだ。それにしても米国の年寄りは、肉をたっぷり食べてきているからなのか元気がある。トランプは73才。バイデン77才、サンダース78才、ブルームバーク78才。一年間広大な米国大陸を演説して回る。そのエネルギーからパワーをもらう。私無力はゴッツイ肉でも食べて、若者から感染させられても、やられてたまるかだ。最早誰れが悪いの、手遅れだのと犯人探しをしている場合じゃない。今のような国会をやっていると、若い政治家からウイルスを感染させられて、無国会議員の国会審議になるだろう。これは決してジョーダンではない。明日起きるかもしれない。みんなで支え合い、励まし合い、助け合って行かねばならない。私無力は腹に力を込めた。ある店で隣りのオジサンたちが、ウーロンハイと、ハイボールと、梅サワーを飲みながら、ブータレてた。あの加藤勝信とかいう厚労大臣は、笑い顔でえらい損をしてるよな、立ったり、座ったり、一人押っけられてるけど、笑ってんだよな顔がさ。お前人の顔のこと言えないだろ、ともう一人のオジサン、梅サワーをちょっと濃くしてとオーダー、あん肝はやっぱり旨いな、オレにもう一つともう一人、やっぱり唐辛子かけたほうがいい。ホタルイカの沖漬けも旨いな、などと会話が弾んでいた。私無力は一言居士なので、一言いいました。オジサンたち平和でいいねアタマ使ってると。そ、そうなの平和なの、飲んで、食べて、あとは寝るだけだ。アタマは使わないの、ギャハハハ。聞けば私無力よりずっと年が下だった。あん肝を食べない、と言われ断ったら、連れがオレ食べると言った。この国は平和なのだろうか。
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2020年3月3日火曜日
第30話「私は万一」
私は「万一」である。万が一に起きることを表す。三月一日日曜日、外国から日本に帰って来る女優さんのインタビューがあった。銀座一丁目オルハショップで、プレゼントにと羽毛製品をいくつか購入していたのを受け取りに行った。お世話になっている東洋羽毛さんの人たちと、ある場所で待ち合わせていた。広告代理店の人とカメラマンと、ウェブデザイナーの人も一緒であった。著名人とどこで会ったかは、書くことは許されない。銀座は東京マラソンが終わった後だった。そこはまるで廃墟のように人がいない。SFの映画のシーンのようであった。私万一(マンイチ)は思った。銀座四丁目の二階にある珈琲店である。少し時間があった。総理大臣の権力とはいかに強大か。鶴の一声で全国の小・中・高を一斉に休校させられる。これがもし憲法を改悪させられていたら、もし自衛隊が戦争に突入することを許されたら、鶴の一声で若者たちが軍隊に招集させられるのだろうと。これは決して、万一ではないのだと、私万一は背筋が寒くなった。国家の三権を独占したら誰も止められない。私万一は、愛する孫たちが戦場にいる、悪夢を見た。私万一は更に思った。新型コロナウイルスで、莫大な利益を追っている人間たちがいることを。かつて「陸軍登戸研究所」というのがあった。そこはニセ札とか、あらゆる軍事目的で薬の開発などを研究していた。日本軍「七三一部隊」も影響を与えていたという。今、テレビに出ている疫学の専門家たち、政府から招集された人の中には、「七三一部隊」の流れの中にいる人たちがいるという。米国や中国、それにスイスなどは、新薬開発のトップランナーであって、常に新しいワクチンを開発している。新型コロナウイルス対策で特別予算が3000億近く投入される。その中には疫学研究に対する膨大な予算が入っている。大恩人が闘っているパーキンソン病が治るかもしれないと期待している、山中伸弥教授のiPS細胞研究費は、大幅にカットされているのに。私万一は、万一を思っていたら、やたらに胃が痛くなり、ドラッグストアで「ブスコパン」を一箱買ってそれを服用した。テレビで見た通り、マスクや消毒液、トイレットペーパーなどの棚は空っぽだった。私万一はその夜帰宅した後、陸軍登戸研究所のドキュメンタリー映画を見た。今は明治大学になっている。国家権力とは途方もなく恐ろしいものであり、人間という生き物は、途方もなく変形する。そこに利権があれば。万一に起きる可能性は宝くじに当たるより、確率は高いと私万一は思った。悪魔は微笑しながらやって来るという。子どもたちを新型コロナウイルスと戦争から守らねばならない。いつの間にか香港のデモのニュースがなくなっている。
2020年2月29日土曜日
第29話「私は中止」
私は「中止」である。鈴木北海道知事に先を越されて焦ったのか、あるいわ“桜を見る会”の問題で追い込まれて気が滅入ったのか、又は検事長の人事でゴリ押しをして、集中砲火を浴びて思考回路が乱れたのか、自らの側近の補佐官があろうことかこの大切な時に立食パーティを開いて支持者と乾杯に頭に来たのか、愛妻が呼んではいけない世界の人を呼んでいたことが、三月一日付の赤旗日曜版に実名入りの記事で出ることが分かって狼狽したのか、味方だと思っていた産経新聞の世論調査で、支持率が36%位で、不支持率が47%位と発表され、これまた頭に血が上った(?)、やはり味方として手なづけていた、海坊主のような作家、百田尚樹がツイッターで、何をやってんだ国のリーダーは、みたいな批判的メッセージを発信したらしい。このままだと側近も味方も、機を見て敏となり離れて行く。オリンピックもアブナイ。私中止にはイライラが頂点に達しているこの国のリーダーが、もう仕事を中止したいと思っているように見える。使えない側近たちや、食えない味方(?)風の連中を見たくもないからと。私中止の業界も新型コロナショックに、困惑している。プロモーション活動やイベントと名の付くものは中止、セミナーも中止、プレゼンテーションも中止、お世話になった方々の送別会なども中止、長い間お疲れさんでしたの、停年の会も中止。私中止のまわりは中止の渦。突然小・中・高を休校宣言しても、全くの無計画だから中止をしない県や市も出る。大学や専門学校は、進学塾や習い事は、狭い所にギューギュー詰めの、学童は、全く使えない文部科学大臣はコロナ対策会議を欠席して、支持者と新年会(?)で乾杯をしていた。法務大臣も同じことをしていた。さすがの一強内閣もガッタガタ。大実力者の菅官房長官が、ついに見放したのだろうか、ダッチロールとなって日本国は大中止大国となった。内閣は機能停止、リーダーの最側近だけで決めた。非常事態宣言の無い、“非常事態”となった。ドストエフスキーは、「罪と罰」の中でこう書いている。「いまなお自分こそが『正しい』というウイルスが蔓延している。人の心に宿る自尊心や虚栄心は、自己を真理の唯一の者として絶対視する。傲岸不遜、他者への蔑視と憎悪を生む。その解決策には豊かな人間性と知性、教養、謙虚さ、庶民感覚が必要なのだ。(東京新聞・コラム大波小波より一部引用)人間はその器以上のことを求めてはいけないという。一国のリーダーより、県知事や市長の中に人物がいることを知った。この機にしっかりと次のリーダーを見つけよう。誰がどんな言を発し、どんな行動をしたか。私中止は週末はしっかり人物を見定める。沈黙は金なりとも言う。(文中敬称略)
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