午前二時十分から、いつも脳内がOh! NOと停止した時、見る映画を見始めた。トコロテンを押し出すように、アイデアを出していた。もう何度も見ている作品だ。「ALWAYS 三丁目の夕日」だ。「男はつらいよ」とこの作品には、悪い人、いわゆる悪人は出てこない。みんないい人なのだ。私たちは今コロナ禍の中で、文明の進化によって得た物質文明が、実は大きなものをすべて失う文明であったことを知る。得たものが大きいほど、失うものも大きい。私の愛する東海道線には週に二、三回乗る。食べていくためには働かなければならない。受けた仕事は期待以上にプロとして応えねばならない。人間観察をしていた東海道線の列車内は、すっかりつまらない。みんなマスク、マスクだから、缶チューハイを飲む人も、第三のビール缶を飲む人も、ハイボールロング缶を飲む人もいない。柿ピーやサキイカ、ホタテのくんせい、タコ焼きやヤキトリを食べる人もいない。日本人はルールを守る国民なのだ。咳ばらいを二度位すると、思わずまわりの人たちを気にする。マスク大嫌いな私も出かけに愚妻から、マスクを渡されちゃんとしてよと言われる。常識よ、ルールよ、ウルサイナ、ワカッテルよと言って家を出る。で、「ALWAYS 三丁目の夕日」だが、東京タワーがつくられている時代、マスクをしている人は一人もいない。車は少なく二酸化炭素も少ない。ウイルスもいない。大声で笑い、大声で泣き、大声で叫び、大声で飲み合う。はじめてモノクロテレビが入ると、その家にご近所みんなが集まり、力道山の空手チョップに大拍手する。裸電球、ちゃぶ台、氷の冷蔵庫、扇風機がのんびり回っている。夏はランニングシャツでOKだ。集団就職で出て来た娘は、シュークリームが古くなっていても食べてしまう。私がガキの頃テレビがある家は、ごくわずかであった。プロレスを見せてもらうために、見せてください、おねがいしますと言ってその家に行った。大人から子どもまでご近所のテレビ無し家族が、その家に集まった。大人たちはお世辞を言った。お金持ちはウラヤマシイですよ、なんて。プロレスは日本テレビ、提供は三菱電機であり、試合前は、リングの上を掃除機でキレイにした。そして大歓声の中力道山が黒いタイツ姿で現われる。何故か61分一本勝負だった。1分の意味は大人になるまで分からなかった。その頃、マスクマンと言えばコロナではなく、悪役ミスターXだった。顔をかくして目と口だけが出ているのだ。“ザ・デストロイヤー”という“四の字固め”のマスクマンがその後出現する。銭湯に行って電気屋さんの前に行くと、プロレス中継を見る人でいっぱいだった。意地悪なババアが白いカーテンを閉めて見えなくした。ナショナルの店でそれ以来ナショナルは嫌いになった。松下電器という看板が今でも目に浮かぶ。♪~「しあわせってなんだっけ」明石家さんまさんがCMソングを歌ったのが確かあった。何のCMかが思い出せないのだが、「ALWAYS 三丁目の夕日」を見るたびに、「しあわせってなんだっけ」と思う。何も無い時代には、いろんなものがあった。人情があふれるほどあった。人の親切がつながるようにあった。サンタクロースがいると信じる子どもたちがいた。今日はコロッケよとお母さんが言うと、ヤッタァーと喜ぶ子どもがいた。はじめてコカコーラを飲む人に、なんだそのしょうゆみたいのはと言った。アメリカ文化が音をたてて入って来た。日本人の思想を破壊せよ、アメリカ文化は進駐軍と共に、確実に日本人から奪うべきものを、奪って行った。「ALWAYS 三丁目の夕日」は一人の男のロマンから生まれた名作だ。その男は大手広告代理店のすばらしいクリエイターだった。嫌いな奴の下で働きたくないと言った。決然と会社をやめて映画界に入った。鉄道大好きであった。大ヒット作を多く手がけ、立ち上げた会社は世界的に有名となり、でっかくなった。男は映画界のレジェンドとなった。多くの人材を世に出し、アカデミー賞も受賞した。私は大尊敬している。今では遠い遠い存在となっている。コロナで“すごもり”している人に、今ぜひおススメだ。何度見てもいい作品だ。特に第一作目がいい。人間は本当はみんないい人なんだ。さて、「しあわせってなんだっけ」。
2021年1月16日土曜日
2021年1月9日土曜日
つれづれ雑草「演歌の夜」
寒い、やけに寒い。寒椿の赤いつぼみがポツポツと見える。秋田に義姉家族がいるので大雪の凄さを見るにつけ自然の恐ろしさ知る。正月が明けるも冨士山の雪は極めて少ない。ある地質学者によると、地下のマグマが熱気盛んとなり、 休火山である冨士山を活火山にしはじめ雪を溶かしているのでは(?) これは大地震の前触れかもと言う。不気味な黒冨士を寒風の中で見ていると、実にくだらない言葉ばかりが浮かんだ。ある世界ではもう駄目だパンクだを、もう“クンパ”だとか、どうにも苦しいを、“シークル”だ。一銭も無い状態をもう“ハイナシ”だよとか言う。又、持ち金がないことを“ハコテン”(麻雀などで負けが込む)だと言う。コロナ、コロナで、一部の金持ち(不労所得で儲ける富裕層という悪徳者たち)以外は、皆、クンパ、シークル、ハイナシ、ハコテン状態となっている。国難ともいえる国家最大のコロナ危機に対応しているのが、役不足の見本のような軽量大臣たち。そのボスである総理大臣が、史上最も役不足とも言える暗い人。「政治とは言葉だ」とも言われるが、悲しいかな自分の言葉がハイナシだ。裏舞台を仕切っていた番頭が、表舞台、大店の主にはなれない。コインの裏はずっと裏であってこそ役を演じる。ボスのボスは更に裏舞台を仕切っていた。稼業人だ。ローマ帝国を仕切っていたのは元老院で、あのシーザー(カリサス)でさえ元老院にオプソ(終り)にされた。英国王政のドロドロの人間劇を知っているシェークスピアは、それを劇にした。今のすべては次の悲劇への“序章”であると。私の尊敬するクリエーターが、一月六日、七日、朝日新聞に見開き30段で四本の新聞広告を発した。ある出版社の広告だ。毎年話題作を出し多くの賞を得るが、今年の作品もやはりすばらしかった。おそらくこれを超える作品は今年中は出ないと思う。私は負けられないぞと思った。その中に「暴力は失敗する」というキャッチフレーズの作品があった。又、「君たちは腹が立たないのか」というのもあった。この作品と時を同じくして、アメリカの議事堂にトランプ支持者が、殴り込んで、民主主義の国(?) アメリカの民主主義を破壊した。政治経験のない博打屋トランプを大統領にした、アメリカの無惨な姿であった。「空樽の音は大きい」と言う。(私も空樽だ)トランプのハッタリも、何んとか大統領恩赦を勝ち取りたいの一心であったはずだ。身内、側近から見放され一気にトーンダウンして、従順にルールに従う罪人となった。いずれ多くの疑惑で公聴会に引っぱり出されるだろう。トランプはクンパ、ハコテン、シークルとなった。暴力を扇動したが、暴力は失敗した。我が国のボスを選んだボスもマサカこれほどの能力しかなかったのかと、キャスティングミスに気づいた。四月二十五日の補欠選挙で二つ負けたら、元老院は次のボスを決めて行くだろう。我々下々はコロナ、コロナの中でシタタカに生き残る知恵と勇気を出して、戦い続けねばならない。あるドキュメンタリーを見ていた。新橋で流しの歌手をしている人だが、二十代の初めに北国から出て来て五十余年ギターを片手に一人駅ビルの中の店を回っては歌う。持ち歌はなんと一万曲。正に人間レコード店だ。ごひいきさんたちが、割り箸に千円、二千円、三千円とはさんで胸ポケットに差し込む。そして酒場から客が消えた後、カプセルホテルの狭いカプセルに入って眠る。「ちあきなおみ」が歌う、船村徹作曲の名曲「紅とんぼ」を思い出す。♪~ 空にしてって 酒も肴も 今日でおしまい 店仕舞 五年ありがとう 楽しかったわ いろいろお世話になりました しんみりしないでよ ケンさん 新宿駅裏“紅とんぼ” 想い出してね 時々は ~♪ 作詞は吉田旺だ。もう一曲「新宿情話」というのがこれ又名曲だ。二曲とも店を閉める歌だ。私のところに長い間通った店から、もう駄目みたい、もう終り、もう故郷にも帰れないとかの電話が入る。私は言う。諦めるな戦え、ファイトだ。そして新橋の流しの話をした。カプセルホテルに入ったって恥ずかしくはないんだ。一人ぼっちでも戦っていけば必らず人はついて来てくれるからと。深夜からずっと久々に演歌を聞いている。徳久広司「北へ帰ろう」北原ミレイ「石狩挽歌」長山洋子「じょんから女節」いい歌だ。人は何故か傷つき破れると、北へ帰る。きっと人の温度があたたかいのだ。南へ帰る歌はない。小林旭の「北帰行」を聞きながら想う。負けるな人間、負けるな北国の人たちよ。悲しいかなすでに天才「なかにし礼」の話をする人はいない。しかし名曲は永遠に歌いつがれる。人は生きていればこそなのだ。“死は一睡の夢”恐れるなかれだが、コロナは強敵だ。死ねば一日で忘れ去られる。それにしても、田崎史郎という間抜け顔の政権のポチ。(政治ジャーナリストとか)八代英輝という馬鹿者(国際弁護士とか)東国原英夫、その他多勢のコメンテーターたちの顔にうんざりする。熊谷亮丸(経済アナリスト)などという、競馬の予想屋より当らない予想をする恥知らずの厚顔人間たち、無責任な阿呆たちへ、画面から消えて、終列車に乗って国へ帰れと言いたい。午前二時、春日八郎の「赤いランプの終列車」を聞く。最後に井沢八郎の「あゝ上野駅」を聞きウルウルした。上野は心の駅だったのだ。新政権は始発してすぐに終列車のようだ。(文中敬称略)
2020年12月30日水曜日
「年の終りに」
12月30日久々に400字のリングに上がる。観客はいない。朝、風があり雨が静かに降っていた。海へ行くと鉛色の重い雲が、海の上にどんよりどっさりと広がっていた。天気予報では昼からは晴れるとか。波はなく惰性のように来ては返すを繰り返す。傘は持っていない。海辺に人は誰もいない。年の終り富士山に雪は無く、ずっと黒富士だ。今年思いもよらない新型コロナというウイルスが400字のリング上に現われた。相手が見える闘いならば打つ手が探せるが、ウイルスという相手は何も見えない。人類が過度に文明を進化させていったために、地球上の自然が破壊され、地球温暖化を生み生態系が狂ってしまった。人間が食べる牛肉、豚肉、鶏肉などを生むためには水と牧草が大量に必要となり、エサを作るために、地球は破壊をつづける。弱肉強食の世界のいちばんの強者は、言うまでもなく人類、つまり人間という凶暴な生き物だ。シラスのような小魚からシロナガスクジラまですべて食べていく。かつて敗走に敗走を重ねた日本軍の軍人は、餓死から逃れるために、動く物は何でも食べ尽くした。最後に何を食べたかは想像がつくだろう。原一男監督がそれをベストワンとなった映画「ゆきゆきて、神軍」で描いた。又、結城昌治の原作による「軍旗はためく下に」もある。ぜひ正月休み中に見てほしい名作だ。私が食を得る業界は、正に不要不急の業界だから、ウイルスが放ったパンチは、まともにアゴに、レバーに、チンに、テンプルにと急所にあたった。ウィービング、ダッキング、ショルダーブロック、アームブロックでと防御するもウイルスのパンチは不気味に強い。400字のリングはすでに原稿用紙8000枚以上書いてきた。雑文の極みであった。ソロソロやめるべしと思っていたところにウイルス禍となり、サバイバルゲームとなった。原稿用紙4枚を書くのに、約2時間、ライターの方にテキスト化してもらい、それをFAXで読んで、直してもらったり、書き加えたり、削除したりする時間に一時間以上を要する。頼みの綱であるライターの方が体調不良となり、これを機にウイルスと共に休筆した。その間この国の政治リーダーは、嘘八百の人間から、ガースーなどという愚相へと変った。まい日東京都知事の顔を見て、ヘドが出る。恥を知らぬコメンテーターたちは無能をさらけ出す。それを見てバカヤローがと言っている自分にうんざりする。私は批評家でなくアイデアを具現化するのが仕事なので、それをつづけることで精神の安定を計る。おかげでいい仕事を生むことができた。アイデアが出すぎるくらいに出た一年だった。だが悲しいかな資金がないという重大なテーマがあり、具現化できないもののほうが多い。マイク・タイソンが50代を過ぎ60代に近づきながら、40キロも減量をしてエキジビションながら(2R×8回)リングに上がり、バッチバチ殴り合った。人間は闘争心を失っては美しくない。マイク・タイソンは美しかった。ボクシングはすばらしい。コロナで大不況なのに、嘘八百の片棒を担っている日銀が市場の株を買い漁り、バブル期以来の株高となっている。格差社会の異様な姿だ。(株価27568円)実体の株価は12000~16000円位のはずだ。やがてドーンと落下する。日銀が正常に戻すには、100年かかると12月30日の新聞に書いてあった。不条理だ! 118回も国会で嘘をつきまくった人間が不起訴となり、500万円受け取った政治家は返すつもりだったと入院した。物を盗んでパクられて、返すつもりだったと言っても、一般社会では通らない。1966年に静岡で起きた味噌商殺人事件の容疑者「袴田巌」さんは50年近く投獄され、死刑囚となり恐怖の中で無罪(確定されていない)となり釈放の身分となった。お姉さんの執念であった。検察のメンツを保つだけのために、一人の人間が犯人にさせられた、元ボクサーという差別的見解を持たれて。「阿久悠」さんと並ぶ天才が逝った。作詞家「なかにし礼」さんだ。くしくも細川たかしさんが歌った「北酒場」でレコード大賞を受賞した作曲家「中村泰士」さんも時を同じくして逝った。なかにし礼さんが書いた本の腰巻だが、宣伝用のコピーにこう書いてあった。“兄貴たのむから死んでくれ”ニシンで財を成した実家を、ニシンへの過剰投資で没落させた実兄を恨む言葉だった。人間は親を選ぶことはできない。又、兄弟姉妹も選ぶことはできない。金を追う者は、金に殺されるのが世の常だ。グチとノーガキの多い人間は、もう会社は必要としない社会となる。こんな人間に限り、実は働いていない。一日中パソコンの前にへばりついて、仕事をしていると錯覚する。プライド山という山にしがみついて、他の山を登る勇気を持たない。今年も残り一・五日となった。2021年は今年より更に、想像もつかない世となるだろう。私はマイク・タイソンのようにリングの上に立ち、誰もやらなかった作品を一つでも多くつくりたいと思っている。攻撃は最大の防御である。守りに入った人間には、つきも運も回って来ない。キャリアを十分に積んだリーダーがこの国には必要だ。総選挙が必ずある、天下は激動する。D・トランプは大統領恩赦を得るために、無惨な怯えをつづける。共和党内、身内からも見放されはじめている。一月二十日以降さまざまな公聴会に引きずり出される。敗者の美学なき者、命ごいをする者は哀れを極める。権力者に味方はいない。これが定めなのだ。検温、消毒、マスクの時代はつづく。みなさん決して諦めずに、決して油断せずに、そして闘う心を失わずに佳いお年を迎えてください。ボクシングでは100分の1秒で逆転があるのです。看護師さん、医療従事者の方々に感謝の心を。2021年、400字のリングは未定です。新年、おススメの映画を一本「花束みたいな恋をした」尊敬するリトルモアの孫家邦さんのプロデュースによる作品です。ステキな映像日記です。
2020年8月6日木曜日
第84話「私は距離」
私は「距離」である。私距離は現在ソーシャルディスタンスなどと言われている。人間とは文字通り、“人と人との間”である。それが今、人間間間間人位に離れないといけない。麻雀をやっている人なら、千鳥(チドリ)という用語を知っているはずだ。(千鳥格子模様から)例えば麻雀牌(パイ)を上下17づつ積む時、|中| |中| |中|と飛び飛びの間をとる。現在人間関係はこの千鳥となった。列車の中、会社の中、レストラン、飲食店、映画館など人が集まるところは座席に╳印がついている。コロナウイルス狩りなどというのが始まった。米国で吹き荒れた赤狩り(マッカーシー施風)と同じだ。コロナに感染すると魔女狩りが始まるだろうと以前書いたが、やはりその通りとなった。家のご近所とか、学校とか、飲食店でコロナ感染者が出ると、陰湿なイジメがSNSによって一斉に行なわれる。いずれ“八つ墓村事件”みたいな惨劇が生まれるだろう。格差社会で人と人との関係、友人と友人、親と子、夫と妻さまざまな関係が、すでに千鳥となっている。家庭内感染が増えたから、いよいよ家庭内は千鳥となる。地方では“村八分”などという言葉が復活しているとか。内緒の話は“あのねのね”と言うが、人の顔を遠くで見ている人が、本当は今晩のおかずは、コロッケと魚の煮付、ヒジキに冷奴なんて話をしているのだが、コロナ感染で疑いを持たれた人は、アノヤローたちいつか見ていろ、人の噂ばかりしくさってとなる。大阪府知事の吉村さんがイソジンみたいな、うがい消毒液がコロナ感染に効く、そんなことを記者会見で話したら、近所にあるドラッグストア 「クリエイト」から、あっという間にうがい薬は消えたとか。その内イソジンのオンザロックみたいのを飲む人間が出るだろう。犯罪史に残る無残な事件は、小さな噂話から始まっている。又は、あの家の人は感染しないのに、なんでウチの人がとの嫉妬心である。人類史上初の殺人事件という、カインとアベルも兄弟間の嫉妬みたいのから生まれた。神々の世界も又、嫉妬の世界なのだ。私距離は人と人とがどんどん離れ離れになって行くこの世を嫌う。ちなみに「千鳥格子」という名称は、その模様が飛んでいる千鳥が連なって見えるところから来ている。(英国ではツィードとも言う)さらにちなみに、麻雀のプロたちは千鳥というツメ込みで八百長をやる。私たち貧しき者は必死に働いているのに、総理大臣は十月まで長い休みをとるのだとか。指揮官のいないコロナ戦争に終わりは見えない。政権はすでに千鳥足となっている。400字のリングはしばし休筆する。
2020年8月4日火曜日
第83話「私は逆境」
2020年8月3日月曜日
第82話「私は応援」
2020年7月28日火曜日
閑話休題「ご報告」
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2020年7月15日水曜日
「訂正と休筆」
2020年7月14日火曜日
第81話「私は淡淡」
2020年7月10日金曜日
第80話「私は雲呑」
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