「暴力は最後の理性である」こう言った賢人は誰だったか忘れてしまった。否いなかったか、インテリヤクザの親分だったかも知れない。過日アメリカのアカデミー賞授賞式で、主演男優賞を見事受賞した、ウィル・スミスが自分の妻の脱毛症に対する侮辱だとして、司会者のコメディアンを平手打ちした。映画“G.I.ジェーン”に引っかけてジョークを飛ばした。脱毛したウィル・スミスの妻のヘアースタイルをGIカット(軍人のヘアー)みたいだねと言ったのだ。私は思う、私だったらきっと頭突き一発、パンチ数発、蹴り二発位は入れただろう。そして受賞を返上して、一年程留置所入りだ。決して許されないのが暴力行為だが、一家一族、一門の人間、まして親や兄弟姉妹、女房子どもが大衆の面前で笑いの種にされたら、へらへらしている場合ではない。世が世でもし武士社会の日本であったら、果し合いを申し込んで恥を晴らすか、その場で斬り殺して、腹を切っただろう。もしそうしなかったら、恥辱を晴らさない弱腰として、閉門蟄居の上一族断絶とされただろう。私は思う。いつからかこの国は、何もかもがヘラヘラ社会となってしまった。例えば自分の上司が、部下が取引き先から、バカだアホだと言われても、泣く子とスポンサーにはかなわないと、ヘラヘラ笑って帰る。例えば自分の子がコケにされ、親の顔が見たい、お里がしれるなんて言われて帰って来ても、仕方ない我慢だ、あの家の方が学歴が高く、一流会社の役員だ、ウチは安月給のペーペーだからなと。私は武士道を札讃しているのではない。友人、知人、先輩、後輩、あるいは自分の会社の社員が、いかにスポンサー、クライアントだろうと、そこまで言われることはないという場合は、怒りを表現して恥をかかせたことへの対価を払わせねばならないと思い、ずっとそうして来た。怒らない人間にはヘラヘラ歯を出して笑ってんじゃないと怒った。私の後輩の女性に自慢の男がいた。長身で美男、空手をやっていた。一緒に歩いていれば人もうらやむ二人だった。が、ある夜、会社の飲み会があり、二次会へと向かった。夜の新宿である。美男美女のカップルに、不良たちが声をかけ、女性の手を一人の男が引っぱった。会社の仲間も七人いた。引っぱられた女性は自慢の彼氏の名を呼んだ。だがその彼氏がとった行動は、仲間にヤバイよ、警察を呼ぼうよであった。ズルズル逃げ腰だった。やめろよと言って、不良の手から女性を守ったのは、飲み会の中みんなから、いちばんモテない男と言われていた小柄な男だった。不良たちはその男の殺気に気負されて、その場から去った。結婚間近といわれていた。美男と美女は、一緒にならなかった。女性の方から弱虫の男はサイテーとなったのだ。空手は使ってはいけないんだと言い訳をしたそうだが、お坊ちゃんの黒帯だったのだ。空手を使わなくても、体を張って守る気力を女性は感じたかったのだ。その姿勢を見せた、小柄な男の株はグンと上がったのはいうまでもない、カッコいい人になったのだ。この話と同じような事はいくらでもある。ウィル・スミスをアカデミー協会は脱会させるとか言っているらしい。本人は暴力はいけなかったと謝罪している。ハリウッドに暴力はいらない! なんて会員たちは言っているが、ハリウッド映画の殆どは暴力肯定の映画だ。この矛盾に対して論議しなければならない。ジョークを飛ばしたコメディアンのセンスに対してもだ。大衆の面前で、オイハゲ、イエ~イ、次もいいハゲの役待ってるぜ、ユーのワイフに円型のハゲがある、これ以上悩ますなよ。イエ~イ。なんて言われたら、ヘラヘラ笑ってられないはずだ。日本のサラリーマンよもっと理不尽に対して怒れよと言いたい。朝、昼、夕方までは、何を言われてもナメクジみたいにちぢまっている人間に限って、夜、酒が入る程に元気一杯となる。俺はよ、やるときはやる、言う時は言うぜ、知ってんだろ、ウィッ、ヒクッとしながら、あいつなんて目じゃないよ、俺はよォ、ウィッ、ヒクッとでかい声を出す。そしてカラオケに行くと、もう絶好調だ。次の日の朝、あいつと言っていた上司に、又酒臭いな、キミは本当に使えないね。なんて言われて青菜に塩みたいになって夜を待つのだ。アナタ、昨夜どこで寝たの、帰って来ないなら電話してよ、まさか公園のベンチかなんかじゃないでしょうね。ち、ち、違うよ、◯╳君が深酒しちゃって、仕方ないからカプセルホテルに泊ったんだよ。なんて電話で人のせいにするのだ。私は、ウィル・スミスの平手打ちに大賛成、謝罪には大反対。女房をオチョクラれて黙っていられるか。アバヨアカデミーが正解だな。30、31日奥多摩に取材に行って来た。花粉症は最高潮で、鼻はグズグズ、目はショボショボ、クシャミを連発しながらも、いろんな人と会って来た。長い長い石段の上の神社に行った。ヤマトタケルノミコトは、この御嶽の山の中で狼に命をたすけられたという伝説がある。男は女性を守る狼でなくてはならない。(文中敬称略)
2022年4月2日土曜日
2022年3月26日土曜日
つれづれ雑草「天敵ブタ草」
2022年3月19日土曜日
2022年3月12日土曜日
つれづれ雑草「人の心の中……」
総体重からマイナス40k減量したその人は、現在90kだった。長い人生をやって来て、これほどいい人は世の中にいるだろうか、という人は、正直それほど多くはいない。人間には表と裏があるのが、実は正しい。すごくいい人だと思っていたのに、とか。裏表のない偉い人だと思っていたのに、とか。自分の都合と合わなくなったり、自分の要求に応えてくれなくなったりとかすると、評価を一変させるのが、人間という自分都合主義の生き物である。あれだけやってあげたのに、これだけしかしてくれないと見返りを求める。小さな親切、大きな迷惑という言葉は、こんな人間の心を表わしている。淋しい心の持ち主は、それを癒すために親切をするのだが、何かしらの反応がないと(例えば御礼の品とか、礼状とか、この頃ではメールとか)いい人だと思った人は、恐い人に変わる。130kあったいい人がマイナス40kになっても、いい人の心はもとの130kと同じで、やっぱりいい人のままであった。週末前日、私は多摩市の聖蹟桜ヶ丘というところに行った。130kあった人に会うために。何年ぶりかでお会いすると、炭水化物を徹底的に食べないようにしたら、みるみる減量に成功していると言った。私が糖尿病になったのと聞くと、決してそうではなく、ある手術をしたのを機会に一大決心をして、減量作戦を立て、数年かけて現在90kになっていた。鉄道関係のその人に、相談することがあった。体をユッサユッサしていた130kの頃と違って、フットワークは軽やかだった。うれしいほど相変わらず親切で、いい人であり、繊細で、細心で、斬新であった。たくさんの提案をいただいた。あと20k減量をするんだとか言って笑った。学習院大学卒で、私とはエライ違いの、偉い人の家筋である。話すほど私のこころが狭いことに気付いて、反省しきりであった。昨日3月11日は、11年前の悪夢の日であった。原発の恐怖を全国民が知ったのに、再稼働とか新設せよとかの声が大になっている。過日40年近くおつき合いをさせていただいている、風力発電関係の会長さんとお会いした。この方はフライ級位の体を、毎日ジムに行って保っている。闘志の人、戦う人、“ファイティング原田”みたいな人である。国家を相手に闘っている。私にとっては雲の上の人。でも実に心やさしい。敬虔なクリスチャンでもあるので、私ごとき者でもお会いしてくれる。日本は風力発電を必要として、原発は必要としない。島国イギリスは、風力発電に全力をかけている。島国日本もそうでなくてはならない。初めてお会いした時は、近寄りがたき人であったが、夢とロマン、国家百年の計を持っていた。今も火の玉のように熱い心を持っている。大事業の成功を祈るのだ。ウラジミール、ウラジミールと、オフェリア、オフェリアみたいに言い寄ったのは、安倍晋三元総理だが、そのウラジミール・プーチンは、あろうことか原発に向って攻撃を命じている。国民が一致団結してゲリラ化したら、いかなる大国もそれを制することはできない。今、ロシア兵は俺たちは何のために侵略しているのか、と思っているはずだ。“大義なき戦い”だからだ。有名な広島のヤクザ戦争、“仁義なき戦い”にも、全国制覇を狙う、大組織を広島には入れない、という大義があった。ロシアは自国の兵士を多数殺すと、国内が統治できなくなるので、シリアなどからの傭兵を投入すると作戦変更している。私は織田信長を殺した張本人は、豊臣秀吉であって、それを裏で動かしていたのは、堺の商人や博多の商人だと思っている。明智光秀はうまいことのせられてしまったのだろう。プーチンの目が泳いでいるのは、身の危険を感じているからだろう。ロシアにいる大富豪たちは、もう次を考えているはずだ。それにしても日本の政治家たちは、どこで何をしているのだろう。全くその存在を感じない。とりわけ野党は、何の運動も発信もしていない。世界とつながっていないのだ。韓国の大統領選の投票率は70%以上、その理由は投票日を休日にしているのだ。それも連休がとれない水曜日と決めている。日本も国政選挙の投票日を水曜日にして休日にすればいい。選挙の年は無くてもいい旗日を一つ減らせばいいのだ。この国はアタマを使わない国なのだと思う。14日は誰が決めたかホワイトデーだ。バレンタインデーでウキウキさせてもらった人は、キッチリお返しをしないと、ブラックマンデーになってしまう。女性の心は決して寛大ではない。義理を欠いては生きてはいけない。チョコとしたミスが、命取りになる。それほど女性は恐ろしいのだ。“女はそれを許さない”そんな映画があった気がする。“板チョコ”が“痛チョコ”にならないように。
2022年3月5日土曜日
つれづれ雑草「いないかね俠客」
2022年2月26日土曜日
つれづれ雑草「情念の女性」
2022年2月19日土曜日
つれづれ雑草「わかるかなあ~」
先年亡くなったロシアの大巨匠に「アンドレイ・タルコフスキー」という人がいる。大作家トルストイやドストエフスキーに並び称される人だ。その監督の遺作に「ノスタルジア」という作品がある。タルコフスキーは難解を極める監督で有名であり、水の表現をする。カンヌ国際映画祭の受賞常連者で、「ノスタルジア」もこの作品の創造における審査員特別大賞を受賞している。“ノスタルジア”とは帰りたくても帰れない故郷(タルコフスキーは亡命していた)であり、“病んでいる国”と同意義でもある。つまりタルコフスキーの帰りたい故郷ロシアは、病んでいて帰れないのだ。この長編の映画のラストは息をするのも忘れるほど、圧倒的なメッセージ性に満ちている。現在ロシア vs NATO=アメリカの一触即発の戦争状態、又、その先が見えない人類に対して、一人の敬けんなクリスチャンは、民衆に向って大演説をする。そして全身にガソリンをかけて焼身する。つれづれなるままにその演説を、映画を見ながら、止めては書き、止めては書いたのでそれを書く。「語りかけるのは誰か、私の頭脳と肉体は、同時に生きられない。だから一個の人格にはなりえない。私は同時に無限のものを感じることができる。我々の時代の不幸は、偉大な人間になれないことだ。我々の心は影に覆われている。無意味と思えることにも耳を傾けよう。例えば排水溝のことや、学校の壁や、アスファルト、奉仕活動に忙しい人や、虫の声にも耳を貸そう。我々の視覚と聴覚、そのすべてで感じることが、我々の大いなる夢の始まりなのだ。だれかが叫ぶべきだ。ピラミッドを作ろうではないか。重要なのは完成ではない。願いを持続することなのだ。我々はあらゆる意味で、魂を広げるべきだ。まるで無限に広がるシーツのように。もし君たちが進歩を望むなら、一つに混じり合うことだ。健全な人も、病む人も、手を取り合うのだ。健全な人よ、あなたの健全が何になる。人類はすべてが崖っぷちに立っている。転落する運命にある。それを直視し、ともに食べ、眠る勇気がないなら、我々にとって、自由は何の役にも立てない。いわゆる健全な人が世界を動かし、破滅に直面する。人間よ! 従うのだ! 君の中の火に、そして灰に、灰の中の骨に、骨と灰に。私はどこに存在するのだろう。現実にも空想にも存在しない。太陽が夜中に昇り、夏に雪が降れば、強者が滅びて、弱者が生き延びるだろう。混とんとした世界を統一するのだ。自然を観察すれば、人生は単純だとわかる。母よ、母よ、風は軽いものだ。私がほほえめば、風はそっと動く。原点に戻ろうではないか、単純な原点に。道を間違えた場所まで戻るのだ。愚かな人間よ、君たちがさげすむ、愚か者から、恥を知れとののしられる。さあ、ここで音楽を、巨大な像の横に組み立てられた演説台の上で、男は頭からガソリンをかけ、ライターで火をつけ、火だるまとなる」難解なタルコフスキーの、黙示録だ。わかるかな~、わかんねえだろうなあ。私は何度か見る内に少しわかって来た気がする。現在のウクライナ情勢、世界的なコロナウイルス禍、健全な人をプーチンなどの権力者に置きかえてみる。世界を動かしている、資本家に置きかえてみるのだ。「わかるかなあ~、わかんねえだろうなあ」で大人気を得た“松鶴家千とせ”師匠が亡くなった。八十四歳であった。CMに出演してもらったり、私の主催のパーティに、南州太郎師匠とともに出演してもらった。出演を依頼しにとある団地の公園に行った。アフロヘアーの中にちっちゃな目をパチクリして、何んで俺なの、わかんねえなと言った。俺が英語だった頃、弟は単語だった。妹は英文法で、母親はグラマーだった。わかるかなあ、わかんねぇだろうなあ……(?)。マアこんなかんじでと頼んだ。南州太郎さんは、私にとって神に近く、ただひとこと、“おじゃまします”でいいですと頼んだ。大巨匠タルコフスキーも、大師匠松鶴家千とせさんも、その存在は地球の財産だった。心より合掌する。死は分かりやすい。もう起きることはないのだ。“無”となるだけだ。但し国の死は、そう簡単ではない。思考せよ、徹底的に思考せよ。オリンピックの裏で進んでいる世界情勢を。カーリングで床掃除をするのを見ながらでもいい。戦争と平和は、コインの裏表なのだ。
2022年2月12日土曜日
つれづれ雑草「道、物語り」
そうして、こうして、こうなったと、雨音を聞きながら思った。家の前を通る子どもたち、幼稚園児、小・中・高校生(すぐ隣りにアレセイアという学校がある)みんな、みんな、みんなマスクをしている。自分がガキだった頃を思い出した。朝になると、と~ふ、と~ふ、納豆、納豆の声と共に、ラッパの音がした。末っ子の私はお鍋を持って、おとうふ三つと納豆を六つ買う役であった。新聞配達のおじさんが、新聞をいっぱいたすきがけにして持って、一軒一軒新聞を配達する。その足音は強かった。同時刻には牛乳配達のお兄さんが、自転車に白い牛乳瓶をたくさん積んで、一軒一軒牛乳箱に入れていく。その音はガラスとガラスがぶつかり合うので、ガチャン、ガチャンと騒がしかった。家の前の一本の道。そして朝が始まった。一本の道は運動する場であり、遊び場であった。缶けり、面子、ベーゴマ、キャッチボール、馬とび、コマ回し、女の子はゴム飛びや、石けりをしていた。みんなでダルマさんが転んだをした。夏には金魚売りの人が荷車を引いて、金魚え~金魚と、大きな声を出して歩いた。風鈴売りのおじさんは、色鮮やかな風鈴を鳴らしながら、荷車を引いていた。冬にはたき火をして、イモやクリ、ドングリを焼いて食べた。ご近所の家で畳替えがあると、一本の道に畳屋さんが来て、太い針を太い腕で畳に刺していた。ヒジでギューギュー太い糸をしぼり上げた。布団の打ち直しの季節になると、布団屋さんが、うすい茶色い紙で打ち直した布団の綿を、いくつも包んで運んでいた。新築や改築をする家があると、大工さんたちが来て、長い木材をカンナで削っていた。木の香りはいい香りだ。カンナくずをもらって、たき火に使った。電線工事があると、赤線が切り落とされる。ずっと、ずっと工事について行って、道路に落ちた赤線を集めて、くず屋さんに売りに行った。10円は大金でコロッケが三つ買えた。魚を売る人がいろんな魚を持って売り歩き、包丁を使って、刺し身や切り身にしていた。一本の道は、ご近所同士が顔を合わせ、声をかけ合う場所であった。今、一本の道にはマスクの人間が通るだけだ。文明が発達しすぎて、大きなものを失って来た。便利すぎて逆に不自由になった。監視カメラがそこら中にあって見張っている。竹馬の友という言葉があったが、それは一本の道で友だちと、竹馬の高さを競い合った仲だ。現代社会ではスマホの友であろうか。私は現代文明を好まない。徹底的に嫌悪している。当然多くの人に多大な迷惑をかけまくっている。私はいくつになっても、少年の風を愛す。一本の道が生む物語りの方を愛すのだ。文明を拒否している種族がうらやましいと思ったりしている。私は縄文時代がいちばん、この国が幸せだったのではないかと思っている。故岡本太郎画伯は一度お会いした時、縄文時代のままでよかったんだよと言った。有名な太陽の塔は、縄文そのものだ。こんな思いを強くしているのは、きっとコロナ禍の中で、多くの人を失ったからだろうか。人間がどんどん言葉を失っている。仕事柄一日中テレビをつけていて、多くのCMを見る。心に響く言葉、心に刺さる言葉、言い得て妙な言葉、心を揺らす言葉がない。たった一行、たったひと言で、大作家たちから、ワシらには絶対書けないと言わせた言葉がない。いい言葉のない広告は、いい商品ではない。10年前ある広告団体の50周年記念イベントで、選ばれたプロフェッショナルと一般の人々が、この50年でいちばんいい、と思った広告の言葉として選んだのは、ダントツで、仲畑貴志氏が書いた“チョコラBB”のものだった。それは、“桃井かおり”さんが河辺にしゃがんでつぶやいた。「世の中バカが多くてつかれません?」であった。このエーザイのCMはすぐにクレームがついて流せなくなった。と、バカをおりこうさんに変えて流した。「世の中おりこうが多くてつかれません?」書き手にとってどっちにしても、疲れる世の中を書いた。変更して流すことを許した。スポンサーは偉いと思った。あれから10年今どんな言葉が選ばれているのだろうか。一本のCMで世の中を斬ってほしい。もうすぐバレンタインデーだ。昨年ゴディバというチョコレートの名門ブランドが、新聞全ページ広告で、“日本は、義理チョコをやめよう。”こんなキャッチフレーズの広告を出した。その通り、愛のない変てこな義理チョコはやめよう。マスクなしの子どもたちが、家の前の道を歩ける日はいつ来るのだろうか。アメリカのワクチンメーカーの売り上げが超、超倍増して5兆円近い。これからも期待できるだと、つい本音を言って喜んでいる。アメリカの薬品マフィアは何んでも有りだ。おそらくウイルスの犯人はこの国だろう。国会では、おバカと、おりこうさんぶっている人間が、二年以上同じ問答をして、三年目に入っている。臭い匂いは元からたたないとダメという格言がある。それにしてもガキの頃の一本の道の物語りがなつかしい。その頃は東京都杉並区天沼三丁目六〇〇番地である。そうして、こうして、今日も朝が来た。昨日金曜日は、「嫌国記念日」であった。梅の花がポッ、ポッと咲きはじめた。私たちはワクチンの治験者になっている。数年後きっと驚くような副反応の結果が出てくるだろう。「無」はありえない。そしてこれから、アフリカの最貧国からコロナは広がり始めるのだ。ウイルスに国境はない。一本の道にチンドン屋さんが来て、チラシを配りながら、お店の開店を告げて回った。その後をずっとついて行った。広告屋人生の始まりだった。私はチンドン屋でありたい。