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2025年3月1日土曜日

400字のリング 「老人と山/悪党の山」

「悪党」故新藤兼人監督の映画だ。足利尊氏の第一の側近に“高 師直(コウノモロナオ)”という男がいた。室町幕府ができた頃、武士という呼び名はなく、悪党といわれていた。高 師直は好色な男で、部下の妻に横恋慕する。ある夜その女性が入浴しているところを、デバ亀のようにノゾキ見をする。女性の夫は地位が高く、正義感が強い。塩谷判官(エンヤハンガン)というから法を守る仕事をしていた。自分の妻がしつこくつきまとわれていると知った塩谷判官は激怒して、権勢第一の悪党をこのバカスケベヤローとこらしめる。が、しかしいつの世も善人は悪人のチカラにイジメ抜かれる。塩谷判官は地方に飛ばされる。だが権勢はつづかない。やがて首が胴体とオサラバする。ずっと昔の映画なので記憶は定かでない。悪党を「小沢栄太郎」塩谷判官を「木村 功」その妻は「岸田今日子」だった。映画は実によくできた作品で、さすが新藤兼人監督であった。で、悪党だが永田町に行くと群れをなしている。悪臭を放ちながら。高等教育を受けた人間たちは、悪党になるために学問をススメていたのだろうか。辻堂↔︎東京↔︎京都↔︎奈良↔︎木津川に行って来た。ある産業を復活させるための工場見学だ。俺たちは三人、大手不動産会社の偉い方と女性一人、群馬から社長さんたち二人であった。みんな善い人ばかりであった。帰りの新幹線の中で、朝刊を読んだ。英・仏・米・露・中国という悪党大国、それに振り回されるのが核を持たない国々だ。(といっても核は大反対)気色悪い“石破 茂”、暗闇の牛のような“森山 裕”、格下げになってもしがみつく恥を知らない“麻生太郎”、深酒つづきの“岸田文雄”、嫌われ度No1の“茂木敏充”たち。不倫しておいてヘラヘラ笑っている“玉木雄一郎”、裏切り寝返り渡り鳥の“前原誠司”、永田町の泥水にたっぷり浸って、悪党だらけ、極めつけはNHKをブッ壊すのオッサン“立花孝志”だ。だが映画の主役を張れるような顔はいない。やはり小沢栄太郎は名優だ。少子化が加速して、一年間で和歌山一県分(約90万人)が減少した。胸がハチ切れるような恋をしない。愛に溺れない。まして結婚なんてという若者が増えつづけている。悪党を退治する人間はSEXをしないと生まれない。(イエス・キリストは例外)このままではこの国は確実に滅びる。野性を取り戻し、理性を生み落とせ。しかし今の世は、みんな“高 師直”のように、スマホでノゾキ見している。新幹線の中の乗客は不気味なほど無言であった。外国人はこの無言が信じられないらしい。あと、ごはん“おかわり”とか、ごはん“半分”とか、ほんの“ちょっと”とか日本語の繊細な表現が分からない。悪党たちは、おこぼれおかわりとか、おこぼれ半分とか、おこぼれほんのちょっとでもと利権を漁りまくっているのだ。俺もすっかり悪党顔になって生きている。ちっちゃな頃から 悪ガキで 15で不良と呼ばれたよ……チェッカーズのこの歌が気に入っていた。もう一曲ある。北海道の伝説の悪党(ヤクザ者・荏原哲夫)の歌、ヤクザ者なら知らない者はいない。曲の名は「484のブルース」♪~ 義理や人情に あこがれた 十九 はたちが 花だった……「484」とは札幌刑務所の旧住所である。悪い事をするとここに入れてもらえる。永田町の権力者たちは、実のところ有能な官僚の手のひらの上で踊っている悪党の山なのだ。
(文中敬称略)



 
 


2025年2月20日木曜日

400字のリング 「老人と山/生と山」

俺は高尚な文学は読んだことはない。大学で哲学を学んだという友人がこんな話をしてくれた。“太陽がまぶしかったから”ということで人を殺してしまった「異邦人」という話だ。(映画は見ている)書いた作家は、アルベール・カミュという。40代でノーベル文学賞を受賞して、40代で交通事故で死んだ。劇的な人生の作家だ。ギリシャ神話をモチーフにした「シーシュポスの神話」というエッセイも書いている。俺はむずかしい話は苦手だから、ざっと教えてと言って頼んだ。人間はそもそも不条理であって、なんで生まれて自分自身になっているのか分かんない。人間は生まれてから一日一日死に近づいて行く。長じて大人になり働くようになると、日々刑務所の囚人のように同じことを繰り返している。朝起きる。顔を洗う。歯などを磨く。服を着て牛乳飲んだり、ジュースやコーヒーなどを飲み朝食をとる。アジの開きに、海苔や納豆、お新香に味ソ汁系もある。犬や猫のエサのようなシリアル系もある。で、衣服を着て外に出て、歩いたり、バスに乗ったり、自転車などで駅に行く。そこから列車や地下鉄に乗る。ギューギューの満員電車に乗り、口臭異臭、体臭に耐えて苦痛と共に目的地で降りる。そしていつもの会社に行くと、いつもの人々がいる。そしていつもの仕事をする。昼12時になると、今日は何にすっか、焼き魚定食か豚ショーガ焼き定食、中華へ行ってマーボ豆腐定食かなんかを食べる。半ラーメン、半チャーハン定食もいい。食後安いコーヒーを飲む。で、又会社に戻り、同じ仕事をつづける。下手に話でもすると、パワハラだ、セクハラと言われるので口にチャックをする。今日もつまんなくて長いなと思いつつ夕方になる。少し元気が出てくる。オッ、五時半か、ソロソロ帰るべとなる。で、いつもの奴といつもの店に行き、チューハイとかハイボール、日本酒などを飲む。で、ヤキトリやおでん、鍋などで腹を満たす。かなり気持ちよくなって来た。ヨシ、いつもの店でカラオケだ。いきなり長渕剛の“とんぼ”かなんか歌ったりして、ヒンシュクを買う。バーロ、課長がなんだ、部長がなんだとボルテージが上がる。ワイワイ、ギャーギャー、男と女が飲んで歌って、騒いでもう帰らなきゃと外に出る。何組かはラブホテルへ行ってしまう。一人終電に向ってヨタ走りする。したたか酔っ払い、時々つんのめって倒れることもある。チクショウ、バカ女房のところへ帰るかと、ゴッタ返しの駅の中に消える。通勤電車はアウシュビッツの囚人列車と同じだ。な、なんだ、俺はまい日、まい日同じじゃねえか、一体何のために俺は生きてんだ。女房、子どものためか、ウィッとしゃくりをしながら、満員列車に突入して行く。20代から60代もしくは70代、入社から定年まで、ほぼずっと同じことを繰り返す。カミュという偉い人はそれが不条理であり、自分で選ぶことのできないのが、人生なんだ。だから死ぬまでは生きなさい、死だけは間違いなくやって来ると教えて“わかるかな、わかんねえだろうな”と、故松鶴家千とせ師匠的になる。“オレがむかし夕やけだった頃、弟はこやけだった。イェイェ~、父さんは胸やけで、母さんはしもやけだった。わかるかな、わかんねえだろうな”この師匠はこれ一曲で大金持ちになり、中金持ちになり、小金持ちになり、無金持ちになって旅立った。イエ~イ、ズビダバ、人間のいいところは“必死”といって、必ず死ねる。これほどの極楽はない。カミュが書いたギリシャ神話の「シーシュポスの神話」という本に“死”はないのだ。永遠に大きな岩を持って頂上に登っては、元に戻らされ、又大きな岩を持って頂上に登っては、元に戻らされ、又大きな岩を持って登って行かねばならない。「死よ、よく来てくれた」といった哲人もいる。地獄には死がない。わかるかな、わかんねえだろうな、人生は不条理なのだ。シュビダバ、イェ~イ。故石原慎太郎が書いた映画「乾いた花」のファーストシーンは、人を殺し刑務所を出たヤクザが駅に降り、人の波をあとに、こんなに人がいやがる。この中の一人位殺したからって、どうってことはないだろう、なんてつぶやく。わかるかな、わかんねえだろうな、イェ~イ。(文中敬称略) 









                    

2025年2月14日金曜日

400字のリング 「老人と山/無言の山」

バンザイ、バンザイみんなバンザイ。旧日本陸軍が戦争でバンザイを叫びながら玉砕した話ではない。二月十三日の夜八時頃の東海道線内の話だ。この日、強風の影響でダイヤが乱れに乱れていた。朝、辻堂から東京へ向った時は、今日はやけに風が強いな位であった。鞄を持たずオーバーコートのポケットに入れられる物を入れていた。この日は手帳や資料が必要なかった。“世界は人間なしで始まった。世界は人間なしで終るだろう”ある学者がそう書いていた。が、俺が乗った列車内は、ギュー、ギュー詰めの、人、人、人。東京駅に行くとホームは会社帰りの人であふれんばかりであった。グリーン車もフツー車も人の列車詰めであった。さして急ぐこともないのだが、愚妻の好きな駅弁を買っていたので、それを持ってウロウロできない。仕方ネエな乗るかと人の列につながった。「全員死刑」という映画があったが、「全員無言」である。アウシュビッツの収容所みたいだ。列車が来た。ウォォォ~ン満員でないかい。ドアが開くと降りる者はいない。もう乗れないんじゃないと、心をざわめかせていると、人が入って行く、入って行く。後からズイズイ押されて俺も入って行く。駅弁を頭の上に上げながら。でもってギューギューの中へ。ふとある映画を思い出した。周防正行監督のヒット作「それでもボクはやってない」実話を基にした映画だ。一人の若者が列車の中で、この人痴漢ですと訴えられ、警察に連行された。若者は一貫して僕はやってませんと調書を取らせない。こうなると日本国の警察は意地でも外に出さない。結局、若者は拘置所に一年近く入れられた。裁判官は事件現場を映画のセットのように再現させることにした。勿論監視カメラも同じように取りつける。乗客も監視カメラに写っていたように、老若男女を配置した。結果、訴えた女性のようにはどうしてもならない。事件は女性の訴えた通りではなかった。そして無罪放免となった若者は怒ることすら忘れたようになっていた。(ずい分昔の映画なので正確ではない)確か“加瀬 亮”が演じていた。女性には男と違い、たわわな乳房があり、ハチ切れんばかりのヒップがある。超満員の列車内でこれらに触れないようにするには、バンザイ、バンザイしっかないすよ、と列車慣れした後輩に聞いたことがある。冗談じゃないっすよ、オバサンにチンポまさぐられたことがある。でも男は訴えることはできないっすからね。とにかくバンザイ、バンザイしかないっすよ満員電車の中では。俺は耐えに耐えたが、大船駅でなんとか降りた。パニック障害みたいになっていて、金魚みたいにパクパク息を吸った。みんなまい日こうして働いているんだ。それなのにこの国では大企業だけが儲って、物は値上げ値上げ。中小・零細はバンザイ、バンザイなのだ。今は亡き「人生幸朗師匠」じゃないが、「責任者出てこい!」だ。アメリカ通に聞いた話ではトランプは日本国の責任者“石破 茂”と記者会見が終った後、顔を見ずにプイッとすぐ去った。すでに石破 茂の名前を忘れていたとか。ちなみに東京周辺でいちばん痴漢が多い列車は、埼京線と武蔵野線らしい。諸兄気をつけるべし。
(文中敬称略) 


 
 
 





2025年2月6日木曜日

400字のリング 「老人と山/恥の山」

香港映画の名作に「男たちの挽歌」というのがあった。ジョン・ウー監督だ。その映画のキャッチフレーズは、“恥じて生きるより熱く死ね!”だった。そのフレーズをずっと自分に言い聞かせている。だが悲しいかな人間は生きている以上日々老いて行く。別に若さがうらやましいということではないが、デパートのショーウィンドウに写る我が身を見ると、現実が見える。街を歩いている俺をスイスイと人が追い越して行く。それがフェンディやディオール、シャネル、ルイ・ヴィトンなどのウィンドウに写り込む。春節で銀座の街は中国人、中国人、中国人の群れだ。超高級のブランドショップは中国人の行列だ。俺がニーハオ、ニーハオと声をかけると、行列はキョトンとした。資生堂パーラーで人と会いランチをした後、側にあるロレックスやエルメスの時計を売る店のウィンドウを見た。そこには一個一千万円以上する時計がディスプレイされている。中国人たちはいともたやすく超高級時計を買うと聞いた。ティファニーの超高級時計は、一億~四億もするのがあった。それも買って帰る。俺はそんな腕時計をしている奴の腕を、片っ端から日本刀で斬り落としているシーンをイメージした。日本国は衰退の一途で、インバウンドがなければ、デパートは勿論、ブランドショップでもクローズ、つまり終りとなる。高級レストランも、あらゆる高級店はギブアップとなる。日本という国は、恥じて生きているのだ。熱く死ぬなどという根性はない。俺は長生きしすぎたな、死に時を見誤ったなと思った。トボトボと思った。シミジミ思った。こうなりゃ、あのヤローにケジメをつけてと思っている。韓国映画の中にいいフレーズがあった。“復讐は最高の健康法”だと。やられたらやり返す。裏切った奴は許さない。それが心身を鍛える。俺は動かずに一発で仕止める術と技を自己流で習得している。愛する友、愛する者を守るために。そして映画的ラストシーンを生むのだ。「男たちの挽歌」で、チョウ・ユンファは、スーパースターになった。恥をかかされたケジメをつける。さて、石破 茂は、トランプ大統領と、どこまで闘えるか。菅 義偉が総理大臣の時、初めてアメリカの大統領に会いに行った。その時、用意されていたランチは確か白い皿に一つのハンバーガーであった(かわいそうに)。中国の習 近平にはこれ以上ない、オ・モ・テ・ナ・シであった。勝 海舟曰く外交とは、気合いと“術”である。(文中敬称略) 
 










2025年2月1日土曜日

400字のリング 「老人と山/骨の山」

土曜日の早朝、俺は紙パックの菊正宗の角をハサミで切り落としいつものグラスに注いだ。つま味は前夜の残り物、“タイの粗煮”だ。しっかり“粗”で金を取る店は“かぶと煮”という。物はいいようである。かつて東京都杉並区天沼三丁目に住んでいた頃、俺は六人兄姉の末っ子のガキだった。魚藤という魚屋さんがあった。母親から魚のアラを買ってくるようにいわれてバケツを持ってよく行った。魚屋さんのオヤジは体が大きく筋肉がモリモリしていた。魚をテキパキ包丁で切っては刺身にしたり、煮物用に内臓を取り出しては、大きなまな板から次々と落としていた。タイの頭はアラと言っていちばん安かった。俺はそれをバケツに入れてもらって帰った。母親は煮物にしたり、アラ汁にしたり、塩焼きにした。俺は今でもタイの“アラ”は大好きだ。愚妻はよく買ってくる。早朝どんぶりにネギとアラを入れた“アラ汁”をつま味に映画を見た。1960年代日活の映画であった。アラを食べるにはとことんアラ探しをする。大きな目玉が俺を見ている。かなり大きめのアラであったので身がかなりある。箸で丹念にアラ探しをする。大きめの身が取れるとやったなとよろこぶ。タイの骨は恐竜の“ハクセイ”のように太くて鋭い。気をつけないとノドに突き刺さり死に至ることもある。骨についた身を根気よく取る。目ん玉を食べてしまう奴もいるが俺は食べない。日活の映画は刑事ものだから犯人を探す。俺はそれを見ながらタイの身を探す。まだある、まだある、オッこんなにある、目ん玉の側には大きな身がある。旨い! 菊正宗も旨い! “鬼ころし”より少し高いだけあって格調がある。どんぶりの中はタイの骨ばかりになるのだが、まだあるのではと箸を動かす。母親はすっかり食べて残った骨を茶碗に入れて、お茶をかけて完全に食べ尽くしていた。1960年代にまさか“コロナ”があったとは、殺人犯を追っている刑事が地取り捜査の時に“コロナが流行してますから”という言葉を使った。意外であった。監督牛原陽一、脚本は古川卓巳であった。1960年代俺は映画ばかり見ていた。二谷英明とか、若き郷 鍈治とか、名優織田政雄とか、小高雄二とか今は亡き役者が次々と出てくる。タイの身も出てくる。突き刺し、ほじくる。こんな時間が俺には至福の時間である。今の世はアラばかり、バカヤロー令和の時代に米一揆かと思う。悪党たちが米を買い占めて値を上げているのだ。アラを探して突き刺してやらねばならない。どんぶりの中はいつしか骨の山となっている。故城 卓矢が歌った「骨まで愛して」を口ずさんでいた。 フジサンケイグループのボス、日枝久は往生際が悪い。早くこの世とオサラバしないと、フジテレビは骨の山になるだろう。フジのアラはまだまだある。不治の病なのだ。(文中敬称略) 



 






2025年1月24日金曜日

400字のリング 「老人と山/中島らも」

快人、怪人、文人、才人、歌人、広告人、酔人、廃人、そして死人へ。生きていれば73歳程だと思う。俺は「中島らも(1952-2004)」の大ファンであった。兵庫県尼崎市、名門灘中を八位で入学した。地元では神童といわれていたという。本名は「中島裕之」(なかじまゆうし)天才と狂人は紙一重というが、この人ほど人に愛された天才は少ない。高校時代に酒の味を知り、大学生、社会人となりやがて酒の肴は睡眠薬、又、覚醒剤の元となるぜんそくの薬(エフェドリン)をシロップで飲んだ。他にマリファナもやった。警察に捕まったこともある。灘高出身者の殆んどは、東大か京大であるが、“中島らも”は成績がガタ落ち、大阪芸大へと進んだ。無類のギター好きであり、世界各国の弦楽楽器を家中に置いて、ほんのスキ間で生活をしていた。話術にも優れていた。愛妻家であり、ロックンローラーでもあった。文才には特に恵まれ、直木賞の候補にも二度なった。人気作家になり、人気エッセイストになり、人気人生相談者にもなった。仕事は山盛りとなった。朝起きたらすぐにウイスキー、そして次の朝まで、飲んでは書き、飲んでは書きをつづけた。医者から希有な内臓といわれた程酒に強かった。俺の知る限り多種多彩数多くの人に愛され、リスペクトされたのは、故原田芳雄さんと、故中島らもの二人だろう。各界の人々が二人を愛した。故中上健次、松田優作、内田裕也、崔洋一、安岡力也、飲んだら大暴れする武闘派も二人の存在で事を納めた。かつて四谷に「ホワイト」というBarが地下にあった。俺は一度行ったが、業界人の溜り場でここで飲んだら、きっと大きな事件を生むと思いご遠慮した。マスコミ関係、出版関係、広告人や芸術家、文人墨客、芸能人たちが集まっていた。新宿二丁目ゴールデン街に「前田(まえだ)」という有名なBar、「アイララ」というBar、故赤塚不二夫や当時のタモリが珍芸を行なっていた。「どん底」というBarも同様で、ラリパッパ(酔っ払い)が常連であった。俺は今「中島らも」という山を見上げている。ラリパッパ界のスーパースターだ。酒癖が悪いことはない。分別をわきまえていた。残念なことに怪我をして死人となった。当時階段から落ちたと聞いた。俺は今「中島らも」の落語を見ている。最近破天荒な人間が出てこない。みんなこじんまりしている。命がけで酒を飲む人間もいない。胃が突き刺ささるように痛い。ヨシヨシと、“ブスコパン”を酒で飲んでやると、すっかり治まる。だが「中島らも」という山は、とんでもない山なのだ。(文中敬称略) 



 






2025年1月15日水曜日

400字のリング 「老人と山/孫 家邦という山」

 小柄だが大きな山は「リトルモア社」という会社を経営している人だ。ひと言で表現すれば、孫 正義(ソフトバンク会長)より凄いのが、孫 家邦という人だ。小さな巨人である。孫 正義は天才的起業家で、天才的投資家である。二人の孫さんの違いは、孫 正義は野心と野望を追う大天狗だ。一方孫 家邦は、映画製作、本や写真集などを通して人材を発掘する。私がもの凄いと思う人は数少ない。孫 家邦はベストワンに選ばれた映画のヒット作を何本も手がけたと思えば、期待作が大ゴケしてどでかい傷を負っても、平然としてすぐに次作に取り組む。又、若者たちの映画の配給を支援する。かつて主婦がケータイで撮った写真の良さを発見して、写真集にして出版、最高権威の賞を受賞させた。主婦は一流の写真家に育った。一人だけではない。グラフィックデザイン界の巨匠の本を出版する。この巨匠は並大抵の人では信頼を得ることができない。フツーの人は怖がって近づかない。その名を井上嗣也という。リトルモアの孫 家邦の新作映画の試写会に、井上氏とその高弟稲垣氏、親愛なる友と明日16日に行く。渋谷の映画学校の試写会だ。きっと入り口で小さな体の孫 家邦が、ニコニコしながら受付の所にいるだろう。顔は笑っていても、決して眼は笑わない。「葉隠、武士道とは死ぬことと見つけたり」体がそう言っている。俺は孫 正義などに興味はない。大天才の彼は金を育てるが、市井の民の中から人を発掘し育てない。だが100年先の世の中が見えているという。新作の題名は「片思い世界」主演は“広瀬すず”“杉咲花”“清原果耶”脚本/坂元裕二、監督は、「花束みたいな恋をした」の土井裕泰。キャッチフレーズは「3人で、ずっとずっと片思い」。4月から全国ロードショー。又、孫 家邦は、巨匠井上嗣也の700ページ近くになる大作品集を、プロデュースしている。俺には巨大な山に見えるのが、孫 家邦だ。後藤新平の遺した有名な言葉がある。人生において、(一)金を残したるは下なり、(一)事を残したるは中なり、(一)人を残したるは上なり。つまり、孫 正義は下であって、孫 家邦は特上の人物である。やるつもり。行くつもり。読むつもり。何かにつけて、つもりつもりの人間で大成した者はいない。幕末の風雲児「高杉晋作」の師は“死んでもやらねばと思へば死すべし”“生きてやらねばと思えば生きるべし”。こう教えたと言う。孫 家邦は、高杉晋作に近い。「おもしろき こともなき世を おもしろく」。文人であり、粋人であり革命家でもあった。そして若くして死んだ。やるべき事をやって。ちなみに“リトルモア”とは、「もうちょっと」という意味らしい。(文中敬称略)








2025年1月9日木曜日

400字のリング 俺は「老人と山」

E・ヘミングウェイは「老人と海」で自分自身の魂の歴史を語り、やがて猟銃の引き金を自ら引いて、男としての人生を終えた。俺の家の中には、E・ヘミングウェイが巨大カジキマグロを釣った後、漁港で記念写真を撮った写真がある。床から天井までの大きいパネルだ。俺は日々それを見てきた。俺はどう自分の人生の落とし前をつけるかを考えながら、ずっと生きてきている。憧れのE・ヘミングウェイが、「老人と海」なら、俺は「老人と山」だと決めた。今年の年賀状の一枚は、「両忘(りょうぼう)」に決めた。「生を忘れ、死を忘れる」。中国の賢人の言葉だ。今までは「私」という言葉で自分を気取ってきたが、コソバユイので今後は「俺」で行く。これからヒデー腰痛を抱えながら、標高何メートルの山を登れるだろうか。登山ではない。これはやってやるぞという目標の山の高さだ。人生は不条理との闘い。長い裁判生活ともいえる。自分自身との闘いである。いまさら過去に未練はない。今日生きてていても、明日は死刑かも知れない。人生は喧嘩と同じなので、マイッタ、負けましたと頭を下げない限り、勝負はつづく。地の果てまで探してケジメをつけなければならない奴もいる。(もうあの世かも知れないが、あの世でカタをつける)近頃の世の中は堅気の人間が、やたらに人を刺す。物騒この上ない。若い頃、喧嘩をする相手が刃物を使うと調べたら、腰に少年マガジンとか、少年ジャンプを巻き、両腕には週刊朝日とか、サンデー毎日とかの週刊誌をつけた。紙の束はピストルのタマも、刃物も寄せつけない。今の世はこんな装着が必要なほど人は狂っている。令和七年は世界中が大混乱する。何が起きても不思議ではない。日本国はかつて一人の指導者が「美しい国づくり」なんて言ったが、夢も希望もない、金、金、金の拝金国家となってしまった。「汚い国」に成り下がったのだ。石破 茂という国の指導者に、何ができるのか、関税マニアのトランプの米国からすれば、鴨がネギを背負って来るのを、舌なめずりして待っている。アレやれコレやれ、アレ買え、コレ買え。あ~しろ、こうしろ、三白眼がただの白眼になってしまうだろう。目を白黒させられる、世界の政治情況を間近に体感している内に、黒目が無くなってしまうはずだ。野党も、与党も、ゆ党も世界が全く見えていない。チンケな公約ばかりだ。霞ヶ関の官僚に立ち向える政治家は少ない。日本は完全なる官僚国家となる。日本の一人あたりのGDPは、OECD加盟38ヵ国中21番目の韓国以下になった。韓国語でもうおしまい、という事を「オプソ」という。日本は完全にオプソとなる。世界はトランプによって、ビビンバ(かきまぜる)だ。中国は100年単位で国をつくる。気がつけば地球の殆どは中国が支配している。あるいは金を貸している。世界一速い新幹線が完成、時速500km以上だ。新年早々嫌な気分だ。だがあの山を登らればならない目標がある。正月駅伝の選手の速さを見ると、ああ無情脚力はガタ落ちだが、「老人と山」で行く。そこに山があるかぎり一歩づつだ。今年400字のリングは、ブンキ(気分)次第です。生原稿をテキスト化するため、人の手を借りないとイケナイのです。そして頼りはガタがきているFAX。時々どん詰まりになる。送り役の愚妻のごきげんもある。(文中敬称略)



 




2024年12月10日火曜日

ばかな話その(12)「バカなオーナー」

ギャ~、ギャ~。地下一階食品売り場に外国人の声が広がった。辻堂駅北口にテラスモールという、ショッピングモールがある。これができていないと辻堂駅北口は何もない。一つ葬儀場があっただけだ。地下一階エスカレーター下に、タコ焼きの出店がある。人気があっていつも何人かが並んでいる。その中に50代の白人(アメリカ人だと思う)夫婦が、タコ焼きを手際よくつくるのに見とれている。ソースとカツオ節のいい香りが、強い熱によってつくられる。20代らしき女性が、丸型に凹んだ中でフツフツ焼き上がるタコ焼きを、長くて太い楊子で、刺しては引っくり返すを繰り返す。そして見事出来上がると、舟形の薄い竹の入れ物に入れ、ソースを塗りその上にカツオ節、粉状の海苔をまぶす。(これが決め手)その工程を見ているだけで、並んでいた人々は満足する。縁日のソース焼きそばや、広島焼き、ヤキトリなどと同じで、工程を見て味あうものは老若男女に愛されつづける。外国人夫婦はすっかり見とれながら、出来上がったアツアツのタコ焼きを、用意されている短い割り箸で、ブスッと刺し、ガバッとそのまま口の中に投入した。日本人の誰かがタコ焼きを食べる時は、こうしてフーフーしながら、丸い球を割って、又、フーフーしながら食べないと、ヒデェ~事になると教えてあげなければイケナイ。何も知らない外国人夫婦は、二人揃ってその熱さにオドロキ絶叫をした。おそらく口の中に入ったタコちゃんがノドチンコあたりに止まり、飲むことも、噛むこともできず、ウア~、と叫び、目から涙を流し、ウォーター、ウォーターと大騒ぎとなった。その少し前、私はタコ焼き店の兄ちゃんと、この頃タコがマグロより高いらしいな、などと話をしていた。そうなんでやんすよ、だから小さ目に切って、入れる数も減らして対応しているんでやんすよなどと。泣き叫ぶ外国人夫婦に子ども連れの奥さんが。ミネラルウォーターを飲ましてあげた。今度はその事がうれしかったのか、外国人夫婦の奥さんが、泣きながらサンキュー、サンキューと、若い奥さんを抱きしめた。かなりの人だかりができていたが、あ~よかった、あ~面白かった。外国人用に食べ方を書いた方がいいよな、などいいながらバラけていった。タコ焼き店には新しい人が並んでいた。外国人夫婦は、フーフーしながらタコ焼きを食べていた。日本で食べているタコの殆どは、モロッコ産である。近海ものは一般大衆の口に入ることはない。アッチコチにお正月のおせち料理受付けのポスターやチラシが貼ってある。実のところおせちは超一流店もコンビニ物も、真夏の8月位に作り終えて、冷凍されている。やっぱり広告ってウソばかりと言われそうだが、ウソばかりなんです。「ユダヤの商法」というベストセラー本がある。ビジネスの成功は、“女と口を狙え”と書かれている。日本マクドナルドの創業者藤田 田(フジタデン)がこれだ! と読み大成功。それを知ったソフトバンクの孫 正義とか、ユニクロの柳井 正も、藤田 田の門を叩いたという有名な話があるらしい。女(性)は男より金を使う。そして次から次へと食べるチカラを持っている。タコ焼きで絶叫した外国人夫婦のご夫人も、きっと帰国したら、タコヤキサイコーと自慢するだろう。フーフーの仕草をしながら。私は地下食品街に、食べ物を買いに行った訳ではない。時代の空気を見に行ったのだ。食品を探して、見て、決めるまでの必死な過程に、その人の物語を見る。食品街はアイデアの宝庫である。銀座の一流ブランド店などはガードが厳しくて入店できない。特に私のような見た目がヤバイ系の人間は、イケナイ目にあってしまう。今年も残り一ヶ月を切った。やっとこさ冬らしくなった日本だが、世界はタコ焼きのように沸騰している。シリアの独裁者アサドは亡命、イスラエルvsハマスは終りが見えない。フランスでは内閣が崩壊、ウクライナvsロシアは泥沼に、アジアも欧米も中南米も熱い。韓国では44年ぶりに戒厳令。超高級ブランド品を持つ美人妻に、国民は怒り爆発、大統領の国外出国を禁止。ロシアと北朝鮮は兄弟盃を交わしている。アメリカのトランプ政権の閣僚のメンバーは、もう目茶苦茶。日本の国家予算の半分近く(約53兆円)を企業評価額として持つ、イーロン・マスクが、ハイな状態になっている。そんな中で我が国JAPANは、冷えたタコ焼き状態だ。政治、経済に対して不満を充満させないために、マスコミは大谷、大谷、大谷だらけだ。この国のプロ野球のオーナーに人物はいない。マー君、神の子といわれ日本のプロ野球界に大貢献した。楽天(退団)の田中将大選手をどこも入団させようとしない。一シーズン24勝0敗という途方もないヒーローは、現在197勝あと3勝で名球会に入ることができる。楽天のバカなオーナーの、毎夜のバカ高い飲み代の一部を気前よく出せば、済む話だった。ヤクルトはエライ! 現在186勝、44歳の石川雅規選手と契約した。楽天のバカヤロー、ヤクルト以外のバカヤロー、日本中を熱狂させたヒーローに恩返しをしろと言いたい。大谷、大谷を見るたびに、私は全身がタコ焼き状態になるのだ。ある会社の若いオーナーが、マイルーム紹介なんていうのをやっている。このソファー5億、この灰皿1億、その絵は250億だよと言い回っていた。地獄へ堕ちろこの馬鹿者め。オッと忘れていた。手にしていたワインは一本150万円だった。日本人よもっと怒れ、タコ焼きになれ。私は一箱98円の紙パックの酒“鬼ころし”を飲む。マー君あきらめるなよと。
(文中敬称略)


 

2024年11月18日月曜日

ばかな話その(11)「下半身バカ」

 下半身のことは武士の情けと言って、そのコトは許された。そんな時代もあったとか(?) ある小説の中に、妻が自分以外の男ばかりに体をユルしてしまう。そんな妻に、君が悪いのではない。君の下半身が悪いのだ。人間の下半身は別人格なんだと言う。国語の授業で、「で・で・づ・づる・づれ・でよ」とか「け・け・く・くる・くれ・けよ」とかチンプンカンプンの下なんとか活用を習った気がする。「人間の壁」「ベルリンの壁」「10秒の壁」「バカの壁」ピンク・フロイドの「ザ・ウォール」というPVの映像はスバラシイ。人間の歴史は「壁」との闘いであった。今年生誕100年の作家「安部公房」の初期作品に「壁」というのがある。鎌倉の神奈川近代文学館で特別展が開催されている。12月8日まで。さしたる秩序も脈略もなく、思いつくままに物語の設定や文章が書き連ねられる。多くの作品に共通する、常軌を逸したとっぴな発想がある。「砂の女」「他人の顔」は自ら脚本を書き映画化され、社会現象を起こした。勅使河原宏監督とのコンビで創られた映画は、日本の映画界の金字塔といえる。カフカに影響を受けているのか、常に不条理が主題となる。最近の日本映画には、文学性がない作品が多い。作家の発想が、マンガ家の発想を超えていない。さて、「103万円の壁」をブチ破るを公約にして、七人の政党である国民民主党の代表玉木雄一郎が、今回の選挙で4倍増の28人の政党の代表となり、乱立する政党の中で、キャスティングボートを握った。敗れた自民の石破 茂は、すでに死に体である。そもそも20人弱の派閥のリーダーがつとまらない人間に、国の政治はできるはずがない。三白眼の異様な目つきは、ヒトに向う時、ヒトの目線から離れている時と、別人格になる。他人の顔を買うという安部公房の「他人の顔」の如く、ペルソナ(仮面)を使い分ける。玉木雄一郎の顔はいわゆる笑い顔であって、人から見るとすこぶる、あかるい、たのしい、いいヒトである。が、人間の下半身は別人格である。笑い顔は実はペルソナ(仮面)であった。いわゆる高学歴者の政治家、キャリア官僚、教授や博士たち学究の徒は、小・中・大学・大学院、研究所で勉強ばかりして、貴重な月日で下半身の鍛錬を怠っていた。これが時としてアンビリーバブルな不祥事を起こす。トイレでの盗撮、学生たちへのセクハラ、SM趣味、幼児趣味、コスプレ、赤ちゃんプレイや、動物との性行為。東大法学部卒とかの人種は、試験問題にしか取り組んでこなかった。それ故、夜の世界の引力の怖さを知らない。世阿弥は絶世の美男子で、足利将軍義満の寵愛を受けた。“あそびをせんとうまれけむ”にも通じる風姿花伝を残した。やがて佐渡島に島流しにされるが、雅(みやび)に生き抜いた。さて、玉木雄一郎だが、残念ながら雅(みやび)でない。妻と子に謝ったとか言っていたが、醜悪なその姿に103万円の壁(貧しき民の願い)が、あんたには超えてほしくないと言っている。NO2の榛葉幹事長の罪も深い。自分の趣味は、玉木雄一郎なんて、誤解を呼ぶ表現をしているが、玉木雄一郎の下半身の出来事を知らないはずはなかった。ずっと前から知っていたはずだ。ならばNO2はブザマな姿を見せないための手を打っておくべきだった。日本維新の会もメロメロ化し、プチブルになった共産党に反省の言葉なし。この先この国はどうなるのだろうか。アメリカではトランプが勝利、やりたい放題で世界中を混乱させるだろう。ヘトヘト、ヘロヘロ顔になった、石破 茂総理はすでに慢性疲労症候群の有り様だ。その先はまっ暗闇だ。日本の政治そのものが、まっ暗闇なのだがメシアは出てこない。夜帰宅すると、台所に愚妻がボー然と立っている。ついに台所のシンクの水が流れなくなったわ、今水のトラブルを呼んだのと言う。で、一人の男が来る。アレコレ話をしている。そこに息子が来た。息子は建築関係なので、水のトラブル専門の会社を知っている。愚妻が呼んだ人に、あ~ですから、こうですからと言ってお引き取りを願う。で、駄目だよあ~ゆうところはとんでもない見積りを出してくるんだからと叱る。でも流れないだもん、私は全く役に立たないのを知っている。で、息子が知り合いに電話をしてくれた。次の日の午後一時半、やって来ましたタンク付ワゴン車、社名は「水のパイプ病院」いいネーミングだ。で、出てきた社長兼院長は、アタマに消しゴムのついたエンピツのように細い。メガネに白いマスク、60歳位だろうか。いざ仕事となると、凄いのなんの、えっ、こんなことになってたのということを次々と発見。原因はここだと、台所とは全く違う場所、玄関脇の木の下だと発見した。そこには猫柳の木が成長して、下水の源の栓をかくしてしまっていた。社長兼院長は大きなハサミでバッサバッサと切り落とした。オオ~、そこには丸い大きな蓋があった。老朽化した家のアチコチが壊れはじめた。約3時間社長兼院長は水路を開放してくれて、7900円ですと言った。えっ、いいんですかと言えば、悪い業者さんもいるから気をつけて、と小さな声でアドバイスをくれた。一万円を出して、これで結構ですと言った。そうですかどうもありがとうございました。では、又不具合があったらと領収書と名刺をくれた。白いタンク車は去っていった。ありがとうございました。私の体も老朽化している。生きているのが不思議だと言った。お医者さんの言葉を思い出した。玉木雄一郎はいつ、どういう形で辞めるのだろうか。政権交代前夜であるが、役者がいない。私は今、田中角栄のドキュメンタリー映画を見ながら書いている。田中角栄は高学歴でないから、下半身の怖さをしっかり学んでいる。女性の心を知り尽くしている。キミねオカアチャンだけじゃダメだよ、べんきょうだよ、べんきょう。上手にベンキョウスンダヨ、月謝は高いがね、ワッハハハハ。左団扇をバタバタさせながら。田中角栄ならば、103万の壁は、財務省への電話一本で片付けただろうと思った。武士の情けを知った“性事家”でもあった。(文中敬称略)