一年の12分の1が終わった。
人々はそれぞれ、ラーメンライスを食べながら、かつ丼、天丼、親子丼、牛丼などをどんどん食べながら、チーズと玉子のせハンバーグや天ざる+小カレーライスを食べながら、マルゲリータピザやスパゲッティカルボナーラを食べながら、イスラム国(?)ISILのテロリストによって殺害された残酷な映像を見たのだろうか。
聞けば朝食を食べる頃にはその映像はモザイクがかかったという。
日々様々な映像をユーチューブで見ている人にとって、それはそれほどの衝撃ではないのだろう。食べながら見て気持ち悪くなって吐いちゃったよという人はいないようだ。
昨日駅の側の本屋に寄ったら、やたらと「イスラム国」関係の本が出ていた。
著者は毎日テレビ各局をハシゴしている。
自称スペシャリスト、他称中東問題の第一人者(?)たち、研究員や調査員や元ジャーナリストや大学教授たちだった。彼等にとって今度のテロ問題は格好のプロモーションになったはずだ。イスラム国(?)ISILにとっても数百億円以上のプロモーションになったはずだ。
もし世界各国がテロリストの報道を控えたとしたらどうであっただろうか。
相手のことは相手にせずという兵法がある、「人間は羊の皮を被った狼である」といったのは藝大の生みの親「岡倉天心」だ。あるマタギの名人の言葉を思い出した。何が怖いって動物でいちばん怖いのは「人間」だよといった。
人間と人間がバトルを重ねて滅びるのかもしれない。
元イスラム国(?)戦闘員の言葉がズシンと来た。
6000年前からこの戦争は始まり続いているんだと。
後藤健二さんが無惨に首を落とされた日、別府ではマラソンマンが42.195kmを走り、プロ野球はキャンプインをし、“笑点”では相変わらず座布団を取り合っていた。
早朝の首相官邸で官房長官が全力で走っているのをはじめてみた。
ま、まさかだったのだろうか。
名古屋大学の19才の女学生はずっと人を殺したいと思っていたという。
デジタルとアナログは不可解に交差し、無秩序の中で秩序となっている。
正気と狂気が一人ひとりの人間の中に確実に宿っていることがカオスの中で露出して来たのだ。
私はテレビのニュースを、(朝)クリームシチュー、(昼)カレーライス、(夜)牛肉少々、クラムチャウダースープ、焼きそば少々とプラス紅しょうが、野菜サラダ、それとガーリックライスを少々食べながら見た。
気晴らしに、石井裕也監督の「ぼくたちの家族」とデニ・ビルヌーブの「複製された男」を借りて来たのでそれを見た。気分は晴れなかった。
ただ、妻夫木聡という役者は素晴らしいことを改めて知った。
この世には自分とソックリなのが必ず一人いるという。
エドガー・アラン・ポオの小説にそんなのがあった。学校の寄宿舎にいる一人の生徒とソックリな生徒が入って来る。何もかもソックリなのだ。
さて、大文豪の結末は(?)短編の題名は確か、「ウィリアム・ウィルソン」だったと思う。あなたは今、正気、それとも…。
牡丹の木に小さな芽がそっと出て来た。今年は咲いてくれるだろうか。
二つのパンジーはかわいそうに凍死してしまった。
て、アタマの中をクールダウンして戦略と戦術プランを考えるとする。
と言っても戦争ではない、ブランドの認知拡大についてだ。まてよ、ブランドも戦争だ。幼き子を残して無念の最後を遂げた後藤健二さんに合掌。