城卓矢という歌手をご存知の方はかなりの歌謡曲通か、現在60代の年代の人だろう。
この歌手には大ヒット曲が一つあった。その題名は「骨まで愛して」だ。
♪〜生きている限りは 今もなお探し続ける恋ねぐら 傷つき敗れた私でもぉ〜骨まで 骨まで愛してほしいのよぉ〜、確かこんな歌詞だった。
女性を骨までしゃぶる悪いヒモのよな男も多いが、骨まで愛する男とはどんな男だろうか、私は今もなお分からずにいる。
日本の古典小説にこんなのがあった(宇治拾遺物物語だったと思う?)。
一人の青年が絶世の美女に恋をする、その想いは淡く、清く、深い。
だが美女は死んでしまう、青年は美しい顔、姿が毎夜頭に浮かぶ、会いたい、もう一度会いたい、そう長い間想い続ける。そしてある年、絶世の美女の墓を掘る。
そして掘って見つけたのは骸骨となった姿であった。
その後青年は僧門に入り終生供養を続ける。
骨まで愛すると言うのはこれ位の思いが必要なのだ。
昨日かねてより進めていた東日本大震災を風化させないという思いを込めて作った「祈りの塔」の打ち合わせに石巻から常堅寺後藤ご住職夫妻が上京された。
清々しく素晴らしい夫婦であった。その打ち合わせの中で樹木葬の話をされた。
人間の魂は山の土の下で安らかに眠り、やがて輪廻する。
つまり一度土に帰り再び生きかえるということだ。
坂口安吾は小説「桜の森満開の下」で桜の木の下には人間の魂というか命がある、というように書いた。後藤ご住職たちはすでに600本近い山桜の木を植えている。
ご住職はいった、この頃はこんなケースが多いんですよ、そのケースとはお骨離婚のような事だ。夫婦だったが死後その骨は別々に埋葬してほしい。
その願いは女性に多いというか女性ばかりだという。
夫は死んだ、散骨とか、土葬、あるいはお骨をそのまま家に置いている。
で、自分が死んだらぜひああしてほしい、こうしてほしいと願う。
要は夫とは別にしてほしいと。
うーむ現代骨事情に聞き入ってしまった。
骨まで愛してくれる女性がどんどん減っているのだろう。
人間一度は必ず骨になると決まっている。
さあ〜どうする、今からでも遅くない、通販で買った安いふとんで寝ているあなたの奥さんに最高級の羽毛ふとんでもプレゼントして、お前には苦労かけたぐっすり眠れよとそっと言葉をかけてはどうだろう。えっ、なんで羽毛ふとんなのかって、それはゆっくり眠って考えます。
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