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2015年2月23日月曜日

「ヒマとマヒ」




昨日とても嬉しい郵便物が届いた。
大きな封筒の中を開けると、拙書を送ったことへの御礼と共に、「映画人生“再起動”の心意気」が書いてあった。朝日新聞の別刷「定年時代」にであった。

送ってくれた友人の名は「増田久雄(67)」さんだ。
私の周辺では“チャーボー”と呼ばれ愛されている。
石原裕次郎さんに誘われて映画の道に入った。早稲田大学入学時代から石原プロで企画制作に携わった。そして自ら「プルミエインターナショナル」という会社を立ち上げた。

独立プロは10年続けば凄いという日本の映画界の中で40年にわたって作品を生み出している。三谷幸喜の映画監督初作品「ラヂオの時間」や矢沢永吉の30年を追った音楽ドキュメンタリー「E.YAZAWA ROCK」も世に送り出した。
「竜二」という映画で伝説の映画人となった故「金子正次」の遺した「チ・ン・ピ・ラ」というシナリオを川島透監督で作り大ヒットさせた。
主演柴田恭兵、ジョニー大倉であった。

今では当たり前のテレビ局とタイアップした初の作品だった。
私は増田久雄さんと川島透がどうしても映画化したいといって来たので、金子正次は自分で制作費を出してやっと「竜二」を作品化、そして封切りの日に胃癌で死んだ。
35才の若さで。そのことに強く胸を打たれたので制作費の四分の一を制作協力として出した「チ・ン・ピ・ラ」は大ヒットしたので出したものは返って来た。

増田久雄さんとはそれ以来の仲であった。
ヨットマンの友人の仲間でもあった。
とにかく永遠の映画青年で故石原裕次郎さんや仲間に愛された。

「再起動」はパソコン用語で“リブート”というらしい。
増田久雄さんは昨年12/1625、東京芸術劇場シアターイーストで五周年記念として「クランク・イン」を上演した。主演は別所哲也さんと新妻聖子さんであった。
別所哲也さんは日本の短編映画を育ててくれる貴重な映画人だ60才から益々活躍する増田久雄さんは、青春時代に聞いた映画音楽を聞いて、青春時代の感動を取り戻し、明日への活力を生んでもらうキッカケになればと語っていた。

上質な名作映画、その音楽の魅力、生の歌声と演奏と映像。
第六回もきっと今年中に上演するだろうから、ぜひ青春時代を思い出しに行って下さい。才人増田久雄さんは60才から、大・再起動をしている。

ヒマだ、ヒマ、ヒマ今日は何すんべえかな〜などといって定年後をブラブラ過ごしている方がいたとしたら、ぜひ再起動のプランを考え行動して下さい。
ゲームでゴルフしたり、釣りをしたり、囲碁や将棋やサッカーや野球をしてませんか。
再起動ですよ、再起動。人間は“動物”です、動く物なのです。
静物になっていませんか。

えっ、夕方家の回りを散歩してるってか、えっ、買い物の手伝いをしてるってか、えっ、ヒマつぶしをどうするか毎日考えているってか。“ヒマ”に“マヒ”しているのだろう。(文中敬称略)

2015年2月20日金曜日

「小谷中清さん」




昨日は新橋→西日暮里(京浜東北線)→馬橋(千代田線)約一時間半。
鉄のアーティスト小谷中清さんが軽トラックで迎えに来てくれた。
そこから小谷中さんのアトリエまで約40分。

アトリエは千葉県柏市の畑の中にあった。
180坪を知人と二分割にして借りているとか。借賃はビックリするほど安い。
ビニールの屋根、倉庫のようなアトリエの中は、まるで廃品回収業の人が集めて来たような鉄、鉄、鉄の山、勿論アトリエの外も鉄、鉄、鉄。
何しろ鉄のアーティストだからそれで当たり前だった。

冬は仕事中に寒風にさらされ鼻水がポタポタ落ちるとか。
鉄の山の中にどーんと「祈りの塔」が立っていた。浅葉克己さんのトンパ文字「祈」をシンボルマークにして小谷中清さんに鉄のアートをお願いした。
 その最終チェックと追加のアイデアを確認した。約4メートルの塔は行き場を探してアチコチに行った。そしてやっと岩手県に行き先が決まった。
三月中に大型トラックで運び設営する。四月十二日にはイベントが予定されている。

3.11東日本大震災は急速に風化されている。
「祈りの塔」は、風化をさせてはならないとの願いを込めて作った。
NPOの人たちが協力してくれた。常堅寺の後藤泰彦住職をはじめみなさんがご協力してくれた。詳細はいずれご紹介する。

小谷中清さんは二年前愛妻を亡くされた。アトリエからご自宅に行った。
鉄で作った台に大きく厚い一枚板が取り付けられ、笑顔の遺影と小谷中清さんのアートで作ったモダンな祭壇があった。ローソクに火をつけお線香を立てた。

初めてご自宅に伺った時は暑い日であった。
千葉名産の冷えた梨と冷たい麦茶をだしてくれたのを思い出し合掌した。
小谷中清さんがコーヒーとヨーグルトのようなものに、アトリエのある畑で取れたブルーベリーを沢山のせて出してくれた。奥さんがいろんなレシピを書き残してくれたのに従って作ったという、ヨーグルトみたいで甘酸っぱい味だった。
とてもコーヒーと合って美味しかった。

小谷中清さんにいよいよだねといった。直ぐに帰るつもりが話が弾んだ。
軽トラックで馬橋駅まで送ってもらった。

夜、家に帰り朝日新聞の夕刊を見ていると、一面に大きく「NPOに『出張』します」の見出しがあった。
 その記事の中に今、一緒に進めているNPOの名があった。
「チャンス・フォー・チルドレン」貧困で教育向上にすすめない子どもたちを支援する公益社団法人だ。私は代表理事の今井悠介さんに電話を入れた。
今井悠介さんの声は弾んでいた。
私たちの考えがきっと新しい文化を生むと確信している。
三菱UFJリサーチ&コンサルティングが支援に動き始めたと記事にあった。


愚妻が鉄鍋でたらちりを作っていた。
早く食べないと煮立ってしまうわよといった。冷えたビールをグラスに注いだ。
ヒヨドリに餌をやっていると、セメントみたいなフンをして取れなくなるってよといった。大丈夫だよ、リンゴのフンになるからといった。
久し振りの長い会話だった。

2015年2月19日木曜日

「紅しょうがはタダ」




並ばない、守らない、譲らない、道路にツバを吐く、モノを捨てる、喚く、騒ぐ、殺到する。

銀座四丁目交差点、中央通り、昭和通り、有楽町近辺には大型バスがズラリと勢揃い、そこから続々と中国人観光客が降りて来る。
そして群れをなし四方八方に買い物を漁りに来る。 
10万、20万は当たり前、100万、200万、500万と現金で買い漁りに回る。
自分の国の品物は偽物ばかり、日本のトップブランド、海外のスーパーブランドをバッカ、バッカに買うのだ。消費低迷日本の救世主なのだ。
格安ホテルに泊まり、バスで移動する、銀座→秋葉原→浅草へと。

私の知っている中国人の人は日本に長く滞在しているので実にいいマナーを持っている。あくまで想像だが、「陳さん何買ったの、ガス炊飯器とパソコンとロレックス買ったよ、胡さんは何買ったの、シャネルのバッグとエルメスのスカーフとヴィトンのサイフ買ったよ。除さんは何買ったの、マンション2つ、一億八千万円で買ったあるよ」こんな会話が交わされているのだろう。

強烈な権力闘争をしている共産党国家の国民とは(?)私は非常に混乱する。
銀座和光のウィンドウの前にペタリと座り込んで木村屋のアンパンを食べている中国人親子たちは幸せそうである。

だが彼等にルールは無きに等しい。何しろ好き勝手なのだ。
思えば我々日本文化は全て中国から学んだのだ。実に複雑な気持ちになる。

あ、危ない、信号が青になっていないのに何人も飛び出した。
店頭で焼きたてのワッフルを売る店には並ばない人たちが集っていた。
デパートのエスカレーターには譲らない人が重なるようにいた。
ガムをクチャクチャ、飴をペロペロ。

いらっしゃいませ、デパートの女性店員は規則通りに頭を下げ続ける。
心の中では☓△☓□☓だろう(?)銀座はしばらく春節に沸く。
“共産資本主義”中国は日本を買い漁って行く。

何故か中華料理店には殆ど入らず、ラーメン屋の前は素通りだ(当たり前だな)、吉野家の牛丼は満員で外まで中国人だらけだった。
珍さんは特盛りをたのむことよといい、紅しょうがを全部のせて食べてしまったはずだ(?)紅しょうがはタダだから。一人二人凄いのがいた。
この寒いのにTシャツだけであった。勿論中国人が重労働して作ったユニクロだろう。
本屋の前を通ったらユニクロの柳井正社長の顔があって“ブラック企業ではない”という記事が載っている雑誌の広告があった。


2015年2月18日水曜日

「酔心」




ネバーギブアップ→諦めない男たちに私は感動する。
また男として、プロとして、夫として、父親として家庭を守る男に落涙する。
実に誇り高く美しい姿だ。

背番221プロ野球打撃投手「藤井秀悟」(37)は昨年限りで現役引退した。
ヤクルト時代に最多勝、最優秀投手、ベストナインにも選ばれた、日本ハム、巨人軍でも活躍した。最後の球団はDeNAであった。
そして現在巨人軍の打撃投手(バッティングピッチャー)である。

試合用の選手ではなく、練習用の選手である。打者が打ちやすいように投げ続ける。
背番221が何を意味するかは私には分からない。
一流のプロだった男が誇りとプライドを捨て黙々と投げる。だが誇りに満ちている。

巨人軍の用具係に「入来祐作」という元エース級のピッチャーだった男がいる。
一度は大リーグにも挑戦した。今は汚れたボールを磨き、バットやグローブやユニホームなど野球に関する用具の世話をする。プライドも誇りも一つ一つの用具に与え続ける。

大相撲に「栃ノ心」という前頭の男がいる。怪我に泣き十両から幕下まで落ちた。
外国人(グルジア)であるが日本人の何倍も日本の国技を愛する。
幕下になると給料は出ない。十両とは天と地ほどの差がある。

だが栃ノ心は引退をせず黙々と稽古に励み怪我と戦い、自己と戦い十両にあがり、全勝優勝を重ねついに前頭の上位に復帰し大関、横綱と戦っている。
体はボロボロだが男の意地はピカピカなのだ。

「やせ蛙まけるな一茶これにあり」と「小林一茶」は詠んだ。
一度地獄を見た男たちが生きる姿ほど美しいものはない。その顔、その目、その汗、その泥、その傷、全てがプライドと誇りに満ちている。

私は、小作人であり続けたい。バカであり続けたい。
藤井秀悟投手の夢は、もし東京五輪で野球が復活したら「オリンピックの打撃投手に選ばれたい」であった。挫折もせず、敗北感も味あわず、身の丈以上のプライドを持っている人間に負ける訳にはいかない。

昨日私が心身を痛めている時に熱心に指圧をし続けてくれた先生が仕事場に来てくれた。バブルが弾けた時、弟夫婦が経営する料理屋の連帯保証人になっていて一家一族夜逃げして万歳した。
かれこれ30年近い付き合いだ。私と同じ年、先生もいろいろあったなとソファーに横になって話した。先生は久し振りにと私のツボを次々に押した。
痛、痛、痛えよぉ〜先生と、のたうち回った。いろいろあったね、相変わらずアチコチ、ゴチゴチだねといって先生は笑った。

その後先生と一杯飲んだ。まずお新香五点盛りをつま味にした。
酒は広島の銘酒「酔心」であった。弟夫婦は生活保護を受けている、そして弟は糖尿病が悪化し、人工透析を続けている、奥さんも病身だといった。
日本画が上手だった。おかみさんは九十二歳になった。

先生は後期高齢者がもらえるという無料のバスの話をした。
いや1000円で乗り放題だったかもしれない。世の中の90%はやせ蛙なのだ。
チクショー負けてたまるか。

2015年2月17日火曜日

「怪物に乾杯、つまみはから揚げ」





「ジャージーボーイズ」というハリウッド映画が昨年日本で上映された外国映画のNo1となった。
残念ながら映画館には行けなかった。
2月11日そのDVDを買ってもらっていたのでそれを見た。
監督は八十四歳になる巨匠「クリント・イーストウッド」だ。
この人は怪物である。
年を重ねるごとに作品が若々しくなる。
ジャージーボーイズは友人たちが揃って絶賛していた。
ニュージャージーで育った4人の若者が60年代を代表するヒット曲を連発し成功するも、グループはお決まりの様に仲間割れして行く青春映画だ。
全米No1になった「シェリー」「恋はやせがまん」「恋のハリキリ・ボーイ」「悲しき朝焼け」「悲しきラグドール」「バイ・バイ・ベビー・グッドバイ」など4人グループ“フォー・シーズンズ”が唄う。
ミュージカルをクリント・イーストウッドが映画化した。
リードボーカルの声は裏声とヨーデルが重なった様な不思議な高温の声で、私は少年時代友人みんなとノドを引き絞って真似をした。

クリント・イーストウッドは早撮りで有名な監督。
2月21日からは「アメリカンスナイパー」というアカデミー賞の候補作も上映が始まる。
監督と製作を一人でやって成功したのはこの人とオーソン・ウェルズしかいない。
3,790円で2時間30分何度も何度も楽しめる。
何かに向かっている人は老いる事はない。
夢を追っている人はいつも青春時代だ。
クリント・イーストウッドはそう教えてくれる。

♪シェリー シェリーベイビー シェーリー
と気分よく口ずさみながら昨日夕刊を読んでいると「とりのから揚げ」の事を中国語の発音では「ジャージー」ということを知った。
中国では「ジャージー・ボーイズ」は「とりのから揚げ少年」となってしまうのだ。何だかガックリとした。
週末に又、見る事にする。

60年代は音楽の宝庫であった。
ペラペラのソノシートで聴いた「悲しき街角」「悲しき雨音」であった。
少年の恋は悲しいのだった。
クリント・イーストウッドは何度も結婚し、何度も離婚し、何度も自分を生まれ変わらせてきた。
彼はきっと100歳になっても青春の真ん中にいるだろう。

怪物に乾杯だ!つまみは勿論とりのから揚げだ。

2015年2月16日月曜日

「朝です」




このブログを書いているのは、二月十六日(月)午前五時十七分五十一秒だ。

テレビではニュースが流れている。
テロあり、殺人あり、鍋焼きうどんに針混入あり、安倍内閣の支持率が50%を越えたとか、北アルプスで遭難、山スキーをしていたとか。やったらダメですというのをやってしまう山スキーヤーのなんと多いことか。札幌のカニ屋で落下物がありケガ人が出たとか。森三中の大島さんが妊娠六ヶ月とか。

七時間原稿用紙に向っていたら愛用のボールペンの芯が残りわずかになってしまった。
バレンタインデーにいただいた「あげもち」と「チョコレート」で一杯飲んで眠るとする。

いつものグラスに日本酒を注ぎ入れた。どこか旅に行きてえなと思った。
沖縄の友のホテルに行こうと予定している。フォールーム。四部屋しかないがアジアンテーストのステキなホテルだ。おっとその前に友人が元箱根の日帰り温泉に行こうと誘ってくれている。

五時三十三分〇三秒、ウクライナ東部で停戦発効、その後も双方で攻撃中。小田急線経堂駅側ビルで火災、周囲騒然。
ヤバイこんなこと書き続けていたら眠れなくなってしまう。クーラー設置で何故住民投票(?)。
それではおやすみなさい。十時には起きますので。
小学五年生を殺した男が、日常的にバカにされたから殺したと供述をしたとか。

小さな庭にヒヨドリが来るようになった。
昨日、梅の花がポツンポツンと五つ咲いた。

2015年2月13日金曜日

「一羽でもニワトリ」




我が子を育てるように酪農家や養鶏業の人々は、牛、豚、鶏を育てる。
オイお前食欲はあるか、少し元気がないぞ、オイお前風邪でも引いたんじゃないか鳴き声が枯れてるぞ、オイお前腹の調子でも悪いんじゃないか便がゆるいぞ。

牛はモーモーと応え、豚はブーブーと応え、鶏はコッココッコと応える。
子牛から大人の牛へ、子豚から大人の豚へ、ヒヨコから大人の鶏へ。
それはそれは丹精を込めて育てる。なんて人間はやさしいんだと思う映像のあとに。

牛肉がグツグツと音を立てて白滝や春菊やネギやお麩と共に鉄鍋の中で「スキヤキ」となっていく。鉄板の上でステーキとなっていく(まるで火炙りのごとく)。
豚肉は切られ、包丁で傷を入れられ、衣をつけられ熱油の中にジューと入れられ「トンカツ」となっていく(火炙りのごとく)。
鶏は逆さ吊りにされ、毛をむしられ首を切り落とされ切り刻まれた。その上串刺しにされ炭火で焼かれ「ヤキトリ」となっていく(まるで火炙りのよう)。

心暖まる酪農家の人たち、養鶏業の人たちの映像と、火炙りになり人間たちの口に入る“料理”の映像を見るとガクッ、ガクッ、ガクンときて目の前の肉類を食べたくなかった。
筋肉隆々、ゴハンをモリモリ食べていた牛たちが四角いダンボールの箱に入って出荷されていく。
若い女性たちがステーキを食べて、キャーこれおいしい“本当の牛肉”みたい(?)とハシャギまくった。

「六道輪廻」生き物を食べた者は一度地獄へ落とされ(畜生に)生まれ変えられると「僧源信」は「往生要集」に書き残している。
それから逃れるには、生き物を食べた以上の善行を重ねるしかない。

こら!そこのオヤジ、ヤキトリ何本食ってんだよ、未だ、皮、ボンジリ、レバー、つくね、シロ、ハツ、タン、カシラ、セセリしか食べてないだと、地獄へ行くぞ、今度生まれて来るときは養鶏場の中のニワトリだぞ。一羽でもニワトリとはこれ如何にだな。

2015年2月12日木曜日

「鼾」




小説の神様といわれた「志賀直哉」の小説に「剃刀『カミソリ』」というのがある。
剃刀を使わせたら名人といわれた床屋さんの主人がいた。女房と若い者が一人いた。

その日主人は風邪を引き熱を出していた。
一人の男の客が来た。髭を剃ってくれという。
女房はあんた今日は体の具合が悪いのだから若い者にまかせなさいなといった。
主人は大丈夫だ俺がやるといった。客の男に温かな布を当て髭を剃り易くする。
温めている間、愛用の剃刀を細長い革の上で返し返しをしながら切り味をよくしていく。

主人は客の髭を剃り始める、いつしか客の男は大きな鼾(イビキ)をかき始める。
職人気質の高い店の主人は心が乱れる。熱が出て体の調子が悪いのに、俺が剃ってやっているのに鼾なんかかきやがって。
そうとは知らぬ客の男は高鼾だ、そして店の主人のイライラは頂点に達し、剃刀で客の男の喉笛をスパッと切ってしまう。
とまあ大筋こんな小説であったと記憶している。

あるとき、私が敬愛する監督にこの小説を短編映画化したいですね、と話した。
監督はぜひやりましょうといってくれたが、それは実現できなかった。

昨日午後四時半頃、私は床屋さんで大鼾をかいていた。
早朝まで起きていて二時間半ほど寝て起きた。朝八時半に連絡をしなければならないことがあった。二度寝をしようとしたがそのまま起きた。
休日であったが、平塚からハリ・灸の達人が十時に来てくれるといってくれたからだ。
頭を刈ってくれたのは店のご主人であった。起きてシャワーで洗ったので、頭は洗わないでよかった。

途中記憶がなくて目を覚ますと、ご主人のお母さんが剃刀を当ててくれていた。
自分で鼾をかいていたことを感じていた。
何か夢を見た気がしたがどんな夢であったかは分からない。
私は、お母さんにいや〜夢を見ちゃった、ずい分鼾をかいたでしょといった。
時計の針は五時に近づいていた。
お母さんが大きなマッサージ器を使ってくれようとしたが、いいです、いいですよといって断った。

千円札を四枚出してお釣りをもらった。
家に帰りながら「志賀直哉」の小説を思い出していた。
小説の神様もきっと床屋さんに行って大きな鼾をかいたのだろうと思った。

2015年2月10日火曜日

「初恋の結果は」




そういえばこの頃笑ってないな。
腹を抱えて大声出して笑っていない。
バラエティ番組を見て笑うのは、笑わせられているのだ。
この国にお笑い芸人たちがいなかったら、すこぶる暗い日々となるだろう。

ただ度を越した番組や、死に直面するような番組も多い。
深夜になるともうやりたい放題無法状態である。
作る方も作られる方もSMのような関係となっている。

私は江頭250とか出川哲朗とか上島竜兵とか坂田利夫の大ファンである。
笑うことが欲しくなった時は、彼等の出演しそうな番組を探してそれを見る。
それほど多くはないがその余りのバカバカしさに救われるのだ。

お笑いの人たちは「明石家さんま」を除いて、殆どの人が番組外では無口である。
冷静であり寡黙に徹するという。そして、もし売れなくなったらどうしようと不安神経症的になる。落語家は高座を終えると人を笑わすようなことは話さない。
金にならない笑いは取らないのだ。


7日の土曜日BSジャパンで「フーテンの寅」の初期の作品を見た。
マドンナは「長山藍子」であり、おじちゃんは「森川信」だった。
おばちゃんの「三崎千恵子」やタコ社長の「太宰久雄」は若かった。
「佐藤蛾次郎」も若かった。

純情な寅さんはいつも失恋する。
恋する寅さんを見ておじちゃんは、“バカだね〜”と溜息をもらす。
妹のさくら「倍賞千恵子」はどこまでもお兄ちゃんの寅さんにやさしい。
小さな会社に勤める労働者の「前田吟」は汗にまみれ黙々と働く。
“労働者諸君!今日もお仕事おつかれさん!”と寅さんは声をかける。

この映画のシーンには多くの笑いがある。
大きな幸福を望まない人々が日々の生活の中で手にする上質の笑いがある。
労働と笑いは親しい関係でなければならないことを教えてくれる。

ある調査によると、初恋は4人に3人が実らずほろ苦い思い出になったという。
初恋の相手は「同級生」が最多で80.9%、幼なじみが7.4%、学校の先輩が5.4%であった。初恋の年齢は612歳が55.6%、9割以上が15歳までに初恋を経験していると回答していた。

寅さんは初恋ばかりして、失恋ばかりする少年であった。
フーテンの寅さんを演じた「渥美清」さんは、「躁と鬱」を繰り返す難しい人であったという。山田洋次監督はその調子をよく見ながら、今日はやめとこうとか、今日は回すといったと何かで読んだ。

ヨーイスタート、カチンコが鳴った瞬間に、渥美清さんは寅さんになり、満員のお客さんを笑わせた。プロの芸人としてヨーイスタート、さあ日本人よ笑いを思い出そう。
皆さん毎日寒いけど笑顔で行きましょう。労働の後の休日を楽しんで下さい。
そういえばスマイルバッヂはどこにいったのだろうか。(文中敬称略)

2015年2月9日月曜日

「ズキ」




「星はなんでも知っている」なんて歌を唄ったのは平尾昌晃さんだ。
鳥は何でも食べていると思っていたのは私だ。
リンゴを細かく切って小さな庭に放り投げてやると鳥たちが集ってくる。そ
れを見ていて止められなくなり、深夜リンゴを切り刻んでいる。

節分のまめが袋に入っていたのでそれを鬼は外、鬼は外とはいわずに無言で投げた。
朝カーテンを開けて見ると、リンゴはすっかりなくなっていたが豆はほとんど残っていた。うーむ、おかしいなと思った。ぜいたくになってしまったのかなと思った。
一週間リンゴを食べさせたせいかもしれない。鳥は本当に用心深いことを知った。

日曜の午後に行った果物屋さんには、傷もののリンゴとか他の果物も安く売っている。
食べりゃ同じなんですがねと中年のオヤジはいう。
人間と同じで見た目で判断しちゃいけないんですよね、店の前を毎日通る見栄えのいい娘さんは何故か独身ばかりですよといった(?)見栄えと性格は違うからなと私は応えた。

家に帰り、ノートを開いて「女の愛」についてを探し出した。
イタリアの女性は気性で愛す。
スペインの女性は快楽で、ドイツの女性は官能で、ロシアの女性は堕落して、東洋の女性は習慣で、フィンランドの女性は義務で、イギリスの女性は本能で、アメリカの女性は打算で、フランスの女性は心で愛す、とメモ書きしてあった。

女性の傷を愛す国はいない。女性の心の傷は美しい。
見た目は小鳥のようだが、小鳥のようには用心深くなく、まさかのことを経験してしまう。最も最近では男の方が用心深くなりすぎというか、フラレたくない、傷つきたくないと消極的らしい。
♪〜星はなんでも知っている ゆうべあの娘が泣いたのも…。

二月五日(木)NHK「地球いちばん」に私の大好きな「ルー大柴」さんがアラスカのオーロラを見る旅人になっていたのでそれを見た。
星とトゥギャザーしたいといっていた。スタッフから今の気分を「五・七・五」で表現して下さいなんていわれたら、「やぶからスティックじゃないの」といった。天には、星、星、星の海、息を飲み込んだままあの世にいってしまいそうな、オーロラ、オーロラ、オーローラーだ。
星の数ほどあの娘が泣いた訳を知っているのだろう。
オーロラは地球上で傷ついた女性の心が集ってできたのかもしれない。

先週末、傷ついた人が身の上の相談に来た。
メソメソすんなこの本でも読めといって、私の書いた本を渡した。
パラパラとめくりながらまた来ますといって帰っていった。
多分私の本では何の役にも立たないだろう。オ〜イ、友だちに本を買ってもらってくれな、と声をかけた。結局“セコ”なのであった。買うことはない、売るほど持っているから。

二月十六日〜二十三日までの一週間、本のポスター三点を渋谷駅南口に貼り出す。
後輩二人がいいデザインといいコピーを書いてくれた。
新良太さんがいい写真を撮ってくれた。
キービジュアルは、世界チャンピオンの中のチャンピオン「内山高志」さん、赤坂のサロンの「ママ」さん、それとオーロラとトゥギャザーした「ルー大柴」さんだ。

お世話になった広告代理店の社長やみなさんのご協力に感謝御礼なのです。
ちなみにヤクザ者は“傷”をつけることを、“ズキ”を入れるという。または“ハスル”という。