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2015年11月6日金曜日

「杉並区天沼三丁目」




猫の名は“ベーコン”であった。
私が小・中学生の頃、家には二頭のヤギ、四羽のニワトリ、小さな野菜畑、柿とイチヂクとビワの木、数十羽の伝書鳩、一頭の雑種犬(名はハチ)、養蜂もしていた。
自給自足である(鳩は食べない)。

そして真っ白い猫の名が“ベーコン”であった。
子どもの頃はその名の意味がわからなかった。
食べ物のベーコンはその頃一般的日本人の食生活には出ない。
長じた時、父親が哲学者ベーコンからとってつけたと聞いた。

私はベーコンを見ると猫の名を思い出した。
伝書鳩を何羽も襲ったので仲が悪かったが、ベーコンが病気になってからは仲良くなった。アイルランドにフランシス・ベーコンという画家がいた(19091992)。
十九世紀最大の画家という美術評論家も多い。

そのベーコンの一日の日課をある本で知って「不眠症」の私は親近感を持った。
ベーコンは同性愛者であった。そこには親近感を持たない。
ベーコンは眠りにつくために睡眠薬にたより、ベッドに入る前にはリラックスするために、古い料理本を繰り返し呼んだ。一晩に二、三時間しか眠れない。
にもかかわらず体は健康(?)であった。

運動はカンバスの前をウロウロするのみ、ニンニク入りのサプリメントを大量に飲み、卵黄とデザートとコーヒーは控えた。その一方で一日にワイン六本、レストランで豪華な食事を二回以上の暴飲暴食を続けた。頭がボケることもなかった。
二日酔いになることもあまりなく、むしろ二日酔いの時の方がエネルギーが満ちて、思考が冴え渡ったという(メイソン・カリー著「天才たちの日課」より抜粋)。
天才たちは規則正しく不規則を繰り返す。殆どが不眠に苦しむ。
薬と酒に頼る。煙草と紅茶とコーヒーを多量に喫い込み、飲み干す。

愛する後輩が書いた高級羽毛ふとんメーカーのコピーを思い出す。
「ぐっすりが、いちばんのくすりです」
早いもので銀座一丁目キラリトギンザ3階、上質睡眠専門店oluhaオルハショップが一周年を迎えた。

国民の五人に一人は不眠症、もしくはいい眠り、いい目覚めをしていないという。
世にいる天才たちよ、いい作品を生み出すために、本物の羽毛ふとんでぐっすりと眠って下さい。安い羽毛ふとんは、ホコリとダニを吸いながら眠っているのと同じ。

“ベーコン”という名には東京都杉並区天沼三丁目での白い猫との思い出があるのです。
カリカリのベーコンをキッチリ作れるようになれば一人前のシェフといわれる。
あるホテルに名人がいた。未だにその名人を超えるカリカリのベーコンには出会っていない(オムレツも名人であった)。

2015年11月5日木曜日

「開き物」



1960年は安保闘争で国会議事堂周辺はデモ隊と警察が衝突し、樺美智子さんという学生が死んだ年だ。嵐のような安保闘争の中で法案成立、総理大臣岸信介は退陣した。
脱力感で無重力状態となった学生たちは西田佐知子の唄う「アカシアの雨がやむとき」の中に敗北を重ね合わせた。
♪〜アカシアの雨にうたれて このまま死んでしまいたい 夜が明ける 日がのぼる 朝の光のその中で 冷たくなった私を見つけて あのひとは 涙を流して くれるでしょうか。

つまり闘争の死を重ね合わせた。

そこにダミ声の総理大臣池田勇人が登場した。所得倍増計画をひっさげて。
“貧乏人は麦を食え”なんて言葉を放った。また“私は嘘は申しません”なんどと真顔でいった。“みなさん働きましょう”となった。
働くというのは傍(はた)のこと、隣の人のこと。
働いて傍の人と共に楽になりましょう。

以来日本人は働いて、働いて、働きまくった。
そして10年間でGNP4倍となった。所得は倍増した。世界の奇跡といわれた。
所得は増えたが失うものも多かった。
(一)人間性を失った。
(二)隣人愛を失った。
(三)情緒的感性を失った。
(四)故里の美しさを失った。
この四つを失ったことにより現代社会の原型が生まれた。
さらに一つ加えると敬老の精神を失った。

「下流老人」などという本が今ベストセラーになっている。
アカシアの雨にうたれて老人が死んでいても、涙をながす者はいない。
一日一個のカップ麺と二個のおにぎりだけで生きている老人の姿を見ると、我と我が身の罰当たりな姿に暗然とする。

サンマの開きとカキフライ二個、ポテトコロッケ一個と、とんかつ三切れ、ネギとお豆腐の味噌汁にごはん1.5杯。
113日文化の日の夕食であったが、老人と比べるとかなり贅沢といえる。
「あなたは何を食べているか教えて下さい。それを知ればあなたが分かるから」そんなことをいったフランスの美食家がいた。

一日の食費200300円で生きる老人の食べているものを知ったら、何を知り何が分かったかだろうか。私は何を食べたらいいのでしょう。私もそれなりに働いて来た。
食べたい物が食べたくて。あっ忘れていた。113日小アジの南蛮漬けを6匹食べた。

シワシワの手でおにぎりを食べようとする老人。家族はいない。
手を差し出す人もいない。私の食欲は果てしない。湘南フィッシュセンターで買って来た一枚なんと490円のアジの開きに思いを馳せている。
納豆に海苔、アサリの味噌汁があれば十分だ。ハムエッグがあればいうことなし。
エボダイやカマスの開き、ホッケの開きも売っていた。

私は開き物が大好物なのを公開する。
否、贅沢なことを後悔する。
2015年一億総掛りで活躍→働かなければならないのか。

2015年11月4日水曜日

「腕力文化」




昨日は文化の日であった。
小学生に文化って何のことと聞かれて、うーむそれはいろいろあるといった。
いろいろって何色と聞かれて、うーむそれも色々なんだよと汗をかいてしまった。

で、ここに辞典があるだろう、どこでもいいからパッと開いてそこに出てくる文字に文化というのをくっつければ、そこに文化が生まれるんだよ。
ホラッといって辞典をパッと開くとそこは「新修広辞典・集英社刊」の九八頁“か行”であった(私は英語はコンサイスと日本語はこの辞典しか持っていない)。

頁のアタマから順に追い、それに文化を足して書くと“かいかい”から始まった。
開会文化、海外文化、外海文化、外界文化、皚皚文化、甲斐甲斐しい文化、改革文化、外郭文化、買い方文化、快活文化、概括文化、買い被る文化、貝殻文化、会館文化、怪漢文化、快感文化、開館文化、開巻文化、海岸文化、外患文化、概観文化、回忌文化、開基文化、会期文化、怪奇文化…と続き次に会議となった。

「かいぎ」【会議】会合して評議すること。
また、その評議・機関。カタカナでカンファランス、英語でConferenceとあった。

人間社会は会議文化である。
ヒトが少しずつ群れを成し、リーダーが生まれた頃から会議文化は始まったのだろう。
ある会社の社長は58歳、転職歴11社、現在あるデータシステム会社社長(マザーズ上場成功?)社員数120人位、この会社は会議に原価をつける。
時間あたりの人的コスト、会議室のコスト、照明や空調のコスト、資料のコスト、社長は会議は本当は全部なくしたいという。
会議に出ても何も話さない者、アイデアを持って来ない者、つまりその会議に必要のない者は出すな、呼ぶなという訳だ。

会議を仕切る者はこんな発生から会議を始める。
今日の◯×会議に出席する人は◯△人、誰と誰と誰。
会議コストは◯×万円、会議時間は一時間、延長なしとまあこんな感じである。
これは推測だが当然会議室にスマホや携帯は持ち込めないはずだ。
この会社はこのシステムというか、会議文化?を生んでから右肩上がりの成長をしている。日本で一番無駄な会議が有識者会議、一番恐いのが軍法会議であった。

文化の日の話が恐い話に近づいてしまった。
NHKの軍法会議で来年3月をもって「クローズアップ現代」を打ち切りにすると決めたらしい。社会派、硬派の番組でNHKの聖域ともいわれたが、国家権力にとって国谷裕子は目障りな存在なのだろう。

永田町では軍法会議?が夜な夜な行われている。
次は「報道ステーション」古舘伊知郎だ。
日本語辞典にある言葉に文化という文字を足してみるといろんな文化が見えて来る。
ちなみにオーラス(いちばん最後)八二九頁は“わ行”の「わんりょく」【腕力】①うでの力②うでずく。力ずく。であった。“腕力文化”の中に私たちはいる。

2015年11月2日月曜日

「棟方志功と萬鉄五郎」




何のことない日本の作品は主要部門の受賞作なし、つまりゼロであった。
28回東京国際映画祭が31日閉幕した。

最高賞はブラジルのホベルト・ベリネール監督の「ニーゼ」精神疾患の患者を非人道的に扱う病院で、芸術を使った作業療法を導入した実在の女性精神科医の挑戦を描いた作品であった(残念ながら観ていない)。

故北杜夫の作品で「夜と霧の隅で」という小説がある。
北杜夫はこの小説で芥川賞を受賞した。
第二次大戦末期、ナチスは不治の精神病者に安死術を施すことを決定する。
その指令に抵抗して、不治の宣告から患者を救おうとあらゆる治療を試み、ついに絶望的な脳手術まで行う精神科医たちの苦悩を描いた。
極限状況における人間の不安、矛盾を追及した。

この文庫本は断捨離せずにとっておいた。
何故なら病的人間に支配されてしまっている現在の日本人は、正常であることが異常に思えてしまうような社会となっている。
昭和三十八年に初版を発行した、この故北杜夫の小説が現代社会の病理の予見をしていると思ったからだ。そしてその通りになって来ている。
子どもから100歳に近い老人までが殺意の中にいる。
東京国際映画祭の記事を読んで再読しようと思っている。

やめときゃいいのに「新宿スワン」という園子温監督の映画を借りて来て観た。
この監督は初期の頃はすばらしかったが、高名になるにつれて映画がハチャメチャになって来た。同様に三谷幸喜監督もメチャクチャになって来た。
低予算でつくっている時はいかにお金をかけずにいい作品にするかに集中していたが、高名となると予算は考えず、好き勝手にできるからすべてが散漫となる。
ビートたけし監督も同様だ。
若い衆をたべさせていかねばならないので、せっかくの才能を放逐させる。
「アキレスと亀」が大好きだった。
持たざる者が、持ちなれない物を持ってしまって自分を見失うのと同じだ。

小栗康平監督が久々に映画をつくった。
画家藤田嗣治(レオナール・フジタ)を描く、楽しみだ。
近々国立近代美術館に行って「藤田嗣治展」を観賞する。オダギリジョーがフジタを演じる。藤田嗣治は日本の保守的な画壇にこういってオサラバした。
画壇の人々よ、西洋に近づきなさいと。二度と日本に帰って来ることはなかった。

1920年代のパリで藤田嗣治はFouFouといわれた。
お調子者という意味らしい、が藤田嗣治は毎夜行われる狂乱の宴のあと、必ず絵筆を握っていたという。お調子者を演じていたのだろう。

東京国際映画祭のスプラッシュ作品賞に「ケンとカズ」の小路紘史監督が選ばれていた。今後注目したい。才能ある人がいるのに映画がつくれない。
芸術に理解あるパトロンがいないからだ。

「新宿スワン」も原作がマンガであると観た後に知った。
映画はマンガを超えられない。だからマンガが超えられない映画を才能ある人につくってほしいと願う。

先週茅ケ崎市立美術館に行って「棟方志功と萬鉄五郎展」をいつもお世話になっている。タクシーの運転手さんと観た。これは最高であった。
体調がイマイチだったので運転手さんに連れて行ってもらった。