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2015年11月2日月曜日

「棟方志功と萬鉄五郎」




何のことない日本の作品は主要部門の受賞作なし、つまりゼロであった。
28回東京国際映画祭が31日閉幕した。

最高賞はブラジルのホベルト・ベリネール監督の「ニーゼ」精神疾患の患者を非人道的に扱う病院で、芸術を使った作業療法を導入した実在の女性精神科医の挑戦を描いた作品であった(残念ながら観ていない)。

故北杜夫の作品で「夜と霧の隅で」という小説がある。
北杜夫はこの小説で芥川賞を受賞した。
第二次大戦末期、ナチスは不治の精神病者に安死術を施すことを決定する。
その指令に抵抗して、不治の宣告から患者を救おうとあらゆる治療を試み、ついに絶望的な脳手術まで行う精神科医たちの苦悩を描いた。
極限状況における人間の不安、矛盾を追及した。

この文庫本は断捨離せずにとっておいた。
何故なら病的人間に支配されてしまっている現在の日本人は、正常であることが異常に思えてしまうような社会となっている。
昭和三十八年に初版を発行した、この故北杜夫の小説が現代社会の病理の予見をしていると思ったからだ。そしてその通りになって来ている。
子どもから100歳に近い老人までが殺意の中にいる。
東京国際映画祭の記事を読んで再読しようと思っている。

やめときゃいいのに「新宿スワン」という園子温監督の映画を借りて来て観た。
この監督は初期の頃はすばらしかったが、高名になるにつれて映画がハチャメチャになって来た。同様に三谷幸喜監督もメチャクチャになって来た。
低予算でつくっている時はいかにお金をかけずにいい作品にするかに集中していたが、高名となると予算は考えず、好き勝手にできるからすべてが散漫となる。
ビートたけし監督も同様だ。
若い衆をたべさせていかねばならないので、せっかくの才能を放逐させる。
「アキレスと亀」が大好きだった。
持たざる者が、持ちなれない物を持ってしまって自分を見失うのと同じだ。

小栗康平監督が久々に映画をつくった。
画家藤田嗣治(レオナール・フジタ)を描く、楽しみだ。
近々国立近代美術館に行って「藤田嗣治展」を観賞する。オダギリジョーがフジタを演じる。藤田嗣治は日本の保守的な画壇にこういってオサラバした。
画壇の人々よ、西洋に近づきなさいと。二度と日本に帰って来ることはなかった。

1920年代のパリで藤田嗣治はFouFouといわれた。
お調子者という意味らしい、が藤田嗣治は毎夜行われる狂乱の宴のあと、必ず絵筆を握っていたという。お調子者を演じていたのだろう。

東京国際映画祭のスプラッシュ作品賞に「ケンとカズ」の小路紘史監督が選ばれていた。今後注目したい。才能ある人がいるのに映画がつくれない。
芸術に理解あるパトロンがいないからだ。

「新宿スワン」も原作がマンガであると観た後に知った。
映画はマンガを超えられない。だからマンガが超えられない映画を才能ある人につくってほしいと願う。

先週茅ケ崎市立美術館に行って「棟方志功と萬鉄五郎展」をいつもお世話になっている。タクシーの運転手さんと観た。これは最高であった。
体調がイマイチだったので運転手さんに連れて行ってもらった。

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