「山が嫌いだと、海が嫌いだと、都会が嫌いだと、勝手にしやがれ」
今から半世紀ほど前フランス映画全盛期の頃、ヌーベルバーグ(新しい波)という激しいクリエイティブの動きが始まった。既成の概念を打ち破るものであった。
監督ジャン=リュック・ゴダールは「勝手にしやがれ」、「気狂いピエロ」などで一躍ヌーベルバーグの旗手となり、その斬新な映画手法は世界中に伝播した。
はじめに書いた言葉は、いとも簡単に人を殺し、車を盗み、煙草をバカバカ喫い、運転しながら主人公が口にしたセリフである。
カメラは手持ちなので揺れ動く。
人を殺すことをまるでファッションの一部位にしか思っていない若者。
ファンキーなジャズがその生き方にまるで正義を与えるように被り続ける。
主演はジャン=ポール・ベルモンド、ジーン・セバーグである。
フランスの若者とアメリカの若い女性が、チューインガムを噛むように気安く知り合い抱き合い、無目的な時間を共有し、何の未練も無き命の行方も共有する。
そこには一切の感情はない。かつてのフランス映画の恋愛の表現はない。
運命的出会い、芽生える愛情、血脈や家柄により引き裂かれる宿命もない。
ジーン・セバーグのショートカットは大流行となった。
ボーイッシュなスタイルが旧態的恋愛劇を全面的に否定した。
ヌーベルバーグは旧文脈への破壊行為であった。
モラルなどクソ食らえ、権力や法律などクソくらえ、文句あるか、上等だよ“勝手にしやがれ”なのであった。
ゴダールに影響を受けた大島渚、篠田正浩、吉田喜重など当時松竹映画にいた若き才能たちは日本のヌーベルバーグの旗手となり、小津安二郎や木下恵介に代表される監督たちに、自分たちの作りたい映画手法により挑戦状を突きつけた。
何故こんなことを書くかといえば、自爆するテロリストとゴダールの作品に出てくる若者とが重なったからだ。改めてゴダールの映画を借りて来て観た。
当時衝撃的ラストシーンといわれた映画「気狂いピエロ」で通称ピエロといわれたファンキーな主人公は、やりたい放題やって体中にダイナマイトを巻きつけて自爆する。
本来なら自殺なのだがそれとは違う。
死ぬ意味すら深く考えない一つの虚無的行動なのだ。
ゴダールは今でも実験的作品を作っている。
今から半世紀ほど前にゴダールは現在の人間状況を見越していたのだろう。
松竹の三人の監督は大好きであったが気に入らないことがある。
大島渚は小山明子、篠田正浩は岩下志麻、吉田喜重は岡田茉莉子という松竹の三大スター女優を手に入れてしまった事だ。監督ほど女優にモテる仕事はない。
時間があったらぜひ、ジャン=リュック・ゴダールを借りて観て下さい。
無分別なテロリズムの原点が見えるはずです。三枚で450円位です。
ヌーベルバーグを基点にして日本の若者たちは、銀座みゆき族、六本木野獣会などを生みファンキーでファッショナブルな行動を起こして行く。
テロリストは観ているのかもしれない「気狂いピエロ」を。
この頃あまりにファンキーな犯罪が多い。老若男女その全てに。
人間関係がギシギシと音をたてるストレス社会では誰もが一瞬にして犯罪者になる可能性を持っている。
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