百歳まで生きるわといっていたという女優、原節子さんが九十五歳の天寿を全うした。
その死を伝えるTVのニュースに街角のインタビューがあった。
えっホント知らなかった美しかったわね、私に比べたら雲の上の人よ、とでっかい口を開けて笑う、もと少女、もと乙女、もと女性らしき人。もともとどんな顔だったか知る由もなし、ガハハと笑う顔、買い物袋を持つ姿に美的面影は一片の欠片もない。
ステキでモダンでほんとに気品があってオホホと話す女性は、昔日の姿はどうであったかと興味を持つ。濃い化粧はこの女性の変化を語る。
どんな少女時代、どんな女性時代、そして今に至る人生はを思う。
この女性は実は男性だった。
原節子さんといえば小津安二郎監督となる。
師弟だったのか、男と女だったのか、プラトニックだったのか分からない。
巨匠小津安二郎にとって原節子は大女優であり、映画評論家にとっては大根役者であった。その存在が戦後日本の女性の在るべき姿、気品ある日本女性の姿の象徴であったという人も多い。
美しい司葉子、新珠三千代、そして原節子のなつかしい映像をバッグにどこかの商店街でインタビューを受けるオバサンたち。この人たちに恥じらいなどは皆無だ。
男よりも女性の変化は激しい。細くさわやかな少女は太く短くなり大口を開けて金歯を見せる。
原節子さんは、四十二歳で芸能界から去り、スクリーンに一切姿を見せなくなった。一人の男性に生涯の心を捧げたのか、あるいは体に異変があったのかは分からない。
自分の出演した映画は決して観ない、また映画の話も決してしなかったという。
小津安二郎と原節子さんが組んだ映画に於いては、他の俳優さんは全て脇役であった。
日本女性はかくあるべしを「東京物語」の映画の中で演じた。
ちなみにこの映画は、外国人映画ジャーナリストが選んだ日本映画NO.1である。
黒澤明は女性を描く映画はつくらなかった。
それらしきは、原節子さんが出演した「我が青春に悔いなし」と「白痴」であった。
行き交う街角で原節子を語るもと女性たちを見ていると、この国に日本女性が少なくなったことを改めて知る。
今、映画の中、ドラマの中の女性は強く、逞しく、激しく、怖ろしい。
原節子さんと真逆の方向にいる。老婆原節子を見てみたかったと思う。
本当は映画が大嫌いだったのかもしれない。本当は誰より不幸だったのかもしれない。
美の行く先は醜であるからだ。
私が原節子主演の映画でいちばん好きなのは「めし」である。
監督は成瀬巳喜男。
宮城まり子さんが、九十歳近い今でも身体障がい者の施設「ねむの木学園」で子どもらと語る姿は高々しく美しい。クリクリとした目で宮城まり子さんと分かるが、それ以外はきっと誰も分からないだろう。
銀座一のモテ男だった作家故吉行淳之介が終生宮城まり子さんを愛し続けたのは、その生き方の崇高さに 心から尊敬の念を持ったからだろう。
小津安二郎と原節子さん、宮城まり子さんと吉行淳之介。
真実の愛とは何か考えさせられた。(文中敬称略)
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