近松門左衛門、久里洋二、五木ひろし、佐々木小次郎、福井県の出身者だ。
過日鯖江という処に行って来た。
一日目は福井市、二日目は鯖江市に行った。
鯖江は日本の眼鏡の九割近くを作っている処だ。そこにいる若いデザイナー達と会った。ある新商品のアイデアを頼みに行った。三社三様それぞれ目を輝かして話を聞いてくれた。
福井駅に降りると街も道路も大きく広い、しかし人がいない。殆ど人が見えない。若者の姿はまるでなく、会社員も居ない、OLは全く居ない、オジサン、オバサンも居ない、ホームレスも一人も居ない。店はあるがお客が居ない、タクシーに乗って運転手さんにどうしてこんなに人が居ないと聞いたら、みんな家の中にいるんです。
漆芸と眼鏡は家内工業なのでみんな外に出ないのですと言う。塗芸と眼鏡はコツコツ、コツコツとにかくコツコツなんですよと言う。一人に一車というクルマ社会の処だから人が見えないのですよ、鯖江に行くともっと人が見えないですよと言われた。
その昔は鯖街道と言われ若狭湾でとれた鯖を京都に運んで栄えた。しかし雪深く農閉期になると産業がない、そこで明治三十八年増永五左衛門という人が少ない初期投資で現金収入が得られる眼鏡枠作りに着目した。大阪や東京から職人を招いたという。
世界で始めてチタン金属を用いた眼鏡フレームの製造の確率に成功した。世界シェアの20%は鯖江という。
又、業務用の漆器の九割近くもやはり鯖江だというではないか。持ち家率86%、みんな広くて大きい。人口比率は日本で第四位に低く、それ故人が見えず眼鏡をかけても見えない。家の中に居て場所から場所へはクルマで移動するからなのだ。
始めに駅に降りた不安はどんどん視界が広く明るくなった。大きな川べりには六百本以上の桜が咲いている。橋の名はさくら橋だ。
我々六人がなんか異物混入の様に思えた。清らかな湖に外来種のブラックバスが入った様なものなのだ。普通駅前にはお土産屋さんがあるのだが殆ど無いのも珍しい。ここから佐々木小次郎が出たと聞くと何か急に弱そうに感じてしまった。きっと穏やかな性格だったのではないかと思った。
DJ OZUMAもここから出たという。あんな派手な格好もきっと穏やかな心を隠すためなのだろう。何しろ人々はみんな穏やかなのだ。欲深き心を宿した人は居ない様に思われた。
東京という業深き会社の中で日々牙を剥いて目をギラギラさせて欲望にまみれた日々を送っている六人の一行は浮きに浮いていたのだ。中国や韓国やタイやベトナムは日本製を作っていた貧しい国であった、ところが今や著しい成長を遂げている。
日本人よ、今一度コツコツ精神コツコツ魂を取り戻せと云いたい。バブリーな心を一度捨てないといけない。濡れ手でお金を稼ぐとか、よその国に安い工賃で働かせて利益を出す。そんな邪な心を捨てよう。元々日本人程コツコツが似合う国民は居ないのだから。会社が大きい事がいいことなんていう時代は終わった事に気が付かないといけない。小さくても優秀な人間が集まれば一人でも二人でも、三人か五人でもいれば十分なのだ。
この街に来て確信した。
日本再生は日本人に帰ろうという事に、老人達の知恵を生かすのだ、老人達に教わるのだ。若者よ手に職をつけよ。大学を出ても会社に入れる時代ではない、大学はどんどん淘汰されていく、驚く事に近頃は大学生の入学式に親がこぞって参列するという。一度で入りきれず一部と二部とに分けて入学式を行っている大学もあるというではないか。大学生が幼稚化してしまっている大きな原因はここにある。親の過保護が様々な問題を起こすのだ、とんでもない風景だ。日本はもっと職能学校、職人学科を充実した方がいい、つくづくそう思った二泊の旅であった。
残念ながら越前ガニはシーズンが終わり、鯖はいいのが全然取れないと言う。
連れの一人が「へしこ」という鯖を米ぬかに着けたくさやみたいな品を買った。ほぐして茶漬けにすると絶品だと言った。
鯖江に「森六」というおろしそばで有名な店に行った。小さな民家であり、いい風情の店であった。