過日下半期の芥川賞と直木賞が発表された。
芥川賞は赤染晶子さん(35)新潮社「乙女の密告」、直木賞は中島京子さん(46)文芸春秋社「小さいおうち」だ。
毎回築地の料亭、新喜楽で選考される。
確か一階が芥川賞、二階が直木賞の筈。選考委員は芥川賞五人、直木賞は八人(昔十人)だと思う。選考委員一人の予算は五万円位と聞いた。
候補になった人は携帯(昔は電話)での知らせをひたすら待つ。
もしもし、日本文学振興会ですがと言って来たら受賞で万歳。もしもし○×出版ですがと言って来たらアウト、ガックリらしい。
だがこの頃は芥川、直木賞といっても売れる訳ではない。
どっさり本屋に平積みされている。そもそも芥川賞、直木賞は景気対策であった。
文藝春秋の創立者、菊池寛が二・八(にっぱち)対策として何か話題づくりをと考えて創設したものだ。芥川賞は純文学から、直木賞は娯楽小説からと決めた。
オイ、どっかに若手のいい奴はいないのかと号令をかけ、編集者があちこちの文藝雑誌に書かせその中から選んだのだ。それ故受賞作の約七割近くは文芸春秋からと決まっている。
文學界とか群像とかが芥川賞のメインである。
直木賞は直木三十五(さんじゅうご)は歳と共に数字が変わって来た直木二十九とか直木三十一とか超ユニークな作家である。
こちらは世の中に出ている本の中から選ぶ中・長篇作品である。
もちろん文藝春秋社が仕切る。まあ一種の談合によって決まっていくらしい。
かつては芥川賞作家といえば大変な権威であった。太宰治がどうしても欲しいからお願いしますと手紙を大先生に書き送った。しかし取れずであった。
井伏先生は悪い人だなんて恩人にもブータレたものだ。芥川賞作家になればヒモみたいな生活から脱出できたのだ。
本当の意味での新人作家は「限りなく透明に近いブルー」の村上龍までだろうか。ちなみに同じ村上でも村上春樹は両賞とも受賞していない。今は受賞するものでなく出版社が受賞させたい賞になってしまった。
かつては敏腕編集者がいて人材を発見、発掘し、叱咤激励し、又は脅し、スカシ、おだてて書かせた。若手作家が編集者のところに原稿を持って行くとその原稿は朱で染まった。本人が書いた作品は跡形もなくなっていたという。悔し悲しく涙を流す。
しかし受賞し大先生となり銀座のクラブで飲み始めると、すっかり悔し涙は忘れてしまい夜な夜な銀座の女を食べまくる。
日本中にコツコツ書いている作家がいて芥川・直木賞作家よりはるかに良い作品を物にしているが、この頃の出版不況で編集者も金詰まりで身動き出来ない。タクシー券もお偉い人以外は使えない状態だ。勿論銀座のクラブ活動もままならない。新人発掘も手頃な情報を元にして候補作を決めて行く。
今回受賞した人は関係はないと思う(読んでないので)
出版社は全国で約四千社近くあるというが黒字の出版社は十社から二十社と云われている。今はネット社会、映画も本も見た人、読んだ人がつまんないとか下手くそなんて書き込まれるとまるで客は入らず本は売れない。
死んでもベストセラーなんていう作家は池波正太郎とか夏目漱石だ。むしろ芥川・直木賞を受賞していない人の方が多い。私が一番上手いと思う山本周五郎なんて直木賞受賞をそんなもんいらないと断った位だ。
出版不況脱出は編集者にしこたま金を渡し、好きなだけ遊ばせないと行けない。
銀座でバンバン飲ませ情報を集めさせ地方出張もケチケチしないでドンドン行かせる。そして良い人材を発掘させるしかない。そして面白い本、いい本を出す。それが売れる事で更にいい人材を発掘できるこのスパイラルしかない。上げ底作家の本なんて最初の一行から二十行読めば判る。こりゃアカンばかりである。
ちなみに現在判っているだけで日本中に三百もの文学賞がある。判っていないのを入れると千位あるという説もある。