朝日新聞より |
坂田栄一郎氏 朝日新聞より |
10月20日は新聞広告の日だった。
しかしこれといった新聞広告は影も形もない。どうしたんだといいたい。
かつて新聞広告は歌舞伎座座であり、帝国劇場であり、京都南座であり、鈴本であり、末広亭で有り続けた。檜舞台だったのだ。
広告の作り手をカタカナでいうとクリエイター。
長崎円山、京都祇園、東京赤坂、柳橋でいえば花形芸者、職業的にいえば職人、農業的にいえば小作人、工業的にいえばシステムエンジニア。
自分の持っているあらゆる感性や習性や野性や理性や本気や冗談を総動員して新聞広告の舞台に載るのだった。拍手もあれば帰れ、下がれコールもあったり、座布団一枚いや二枚をもらったりする。
私の大尊敬する写真家の坂田栄一郎さんが今は朝起きて新聞広告を見る楽しみがなくなったとインタビューに応えていた。
私の尊愛する仲畑貴志氏と井上嗣也氏との作品が載っていたいい新聞広告だ。
広告界を代表してきた秋山晶氏とJR東日本の「その先の日本へ」を作った。
山形新幹線デビューの広告だった。その新幹線は今、被災地を走っている。
何か暗示的ではないか。その先の日本へ、その先の新聞広告。