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2012年2月22日水曜日

「穴のあるポッケ」




お金落ちましたよ、えっ俺?そうです私でした。

ジーンズのポッケに穴が開いて先ず一円玉、次に百円玉、その次に五十円玉と落としていったのです。銀座松屋のルイヴィトンのウィンドウの直ぐ横でした。

粋がって歩いていてとんだヘマであった。
小銭入れを持たず、いつもズボンのポッケが財布&カード入れであった。

私の知人に凄い男がいるのです。
いつも高価な札入れに五十万の札束がゴソッと入っているのです。
使った分だけ足していくのです。いつも五十万持っていないと落ち着かない、又、仕事柄(ヤクザではありませんが一見それ風です)現金を持っていないと仕切れないのです。夜の銀座はツケか現金が男の掟なのです。カード等は許されないのです(どうしてもの場合以外は)カードを切っているヤクザ者なんて見た事ないのです(いるかもな)。

私は五十万あれば短編映画を作ってしまいますから。
又、そんな大金を持っていません。
ポッケの中には現在五百円一ヶ、百円玉三ヶ、十円玉四ヶ、五円玉二ヶ、一円玉六ヶ、それとお札で一万六千円だけ。

2012年2月21日火曜日

「味のある一文字」



苺を贈っていただいた。
ピッタリ形が揃っている。近頃の温室栽培のものとは違うのだろう。大きく無骨で不揃いの苺である。
いかにも自然と共に生き抜いた苺だけが持つ誇りに満ちている。一口、二口、三口位要さないと食べきれない(四個分が一つになった大きさ)。極上の旨さである。

「長崎さちのか」と書いてある。
一パックに十個堂々として入っており食べる者にしっかり心して食べよと語りかける。

「苺」という文字を見る度に亡き母を思いだす。
「草冠に母」と書くからだろうか。雑草の逞しさと優しさに満ちていた母の愛を感じるのだ。
子供の頃、苺を食べる時、ガラスの中鉢の中に苺を五〜六個入れてスプーンの裏でよくつぶし牛乳を入れる、そして又よくつぶす。牛乳がうすい桃色になるとまずその桃色をすする。
そして形のなくなった苺と共にひと匙、ふた匙と食べる。兄弟六人であったから一人五個とすると六十個は必要だったわけだ。

苺は今は高級果実だがあの頃はそれ程でもなかった。
が、しかし貧乏な家庭には飛び切りのデザートであった。人間は漢字と言うのを本当に上手にこさえて来たと思う。
一文字を見ただけで楽しかった過去と会えるのだ。「苺」なんともいい文字でありませんか。一度苺を牛乳に浸してスプーンの裏でつぶしていたら何をしてるのかと不思議な目で見られたのです。久々に食べ応えのある苺に出会い嬉しかったのである。

2012年2月20日月曜日

「沈む朝日」

※写真はイメージです


仕方なく、全く嫌、嫌ながら朝日新聞、読売新聞、毎日新聞、日経新聞を日々読んでいる。
 世の中の出来事や国の政治や経済を新聞人はどう書いているかをチェックするためである。

朝日の天声人語、社説、素粒子等は記者として一番書きたがるところだ。
1日原稿用紙にして一枚から十枚位書いて年収二、三千万を得るという。

かつて、朝日インテリ、読売ヤクザ、毎日ノンポリ、産経右翼、日経株屋といわれた。
論説委員、編集委員、解説委員等は昼頃に出社、当然社用車かハイヤー、ランチは美人と高級料亭、高級フレンチ、イタリアン等。そして一本うん万円、うん十万円の高級ワイン、時としてそのままホテルかどこぞの場所へ(ホテルの部屋でのランチも多いらしい)。
 夕方チョコチョコと資料室と相談して引用ネタを探し文章にする。
書いた文章ではなく“創作”した文章だ。夜は政治家や官邸筋と会食づくし、お土産は色々どっさりだ。そして社説では○×をしろとか、△□にせよとか、××を目指せ、とか命令調の見出しをつける。

アホ、バカ、くそっ朝日といいたい。
紙面作りや特集記事、取材ものは読売に完全に負けている。自分達が特権階級と思い上がっているのだ。

政治部の記者はかつて政治家への道でもあったが今や一人も出て来ない。
最も政治家の質の低下は目を覆うばかりだが。
大阪の橋下徹あたりがガナリたてて、クソ文春、クソ新潮といえばシュンとなってしまった。
新聞人たちより少しはましな週刊誌のトップ屋たちも上から抑えられて記事はみんなボツだ。

で、みんなヒーヒーしている。貧乏の経験もないエリートぶった新聞人が最低年金や消費税や年金問題を真っ当に論じれる訳がない。自分達はゴッソリ退職金や企業年金が貰えるのだから。
この国を戦争に導きバブルをあおり、借金1000兆円にしてきたのは大マスコミ、中でも大新聞社だ。

毎日新聞などは創価学会に食べさせて貰っている。聖教新聞印刷会社と成り下がってしまった。
日経はドロドロの社内抗争を年中行事にしている。

読売がこの頃一番真っ当だ。特に取材記事や取材写真は群を抜いている(お金があるから)。
朝日は創業者一族と社内派閥との戦いで記事どこではない。
いい記事を書く記者は「お前なあ、そんな真っ当な記事を書いていると、テレビ朝日に飛ばすぞ」とか「アエラに飛ばすぞ」とか、グローブに、週刊朝日に、地方支局にとオドシまくるのだ。それ故朝日新聞以外の方がいい記事が多いのだ。

2月12日(日)の朝日の朝刊の社説に「民主と年金」“頭を冷やして出直しては”というのがあった。
民主党はもはやバラバラのジグソーパズルだ。が朝日はそれより更にヒドイ新聞となってしまった。
いっそ大魔王読売のナベツネを社外取締役に入れたらどうかと思う。理屈ばかり、特権意識ばかりのインテリ程この世を悪くするのはいない。

何故か橋下市長の特集を組んでいた。タイトルは「覚悟を求める政治」だと。
笑わせるぜマッタク。ハシッコイインテリがこれからの権力者は橋下かもと思ってにじり寄り始めたのだ。小
沢一郎に対しても、もし無罪になったらと思いすっかり記事は尻込みし始めた。アホなインテリたちにつける薬はないのである。

ピンポーン、おっ、もしかして朝日の集金のアンチャンかもしれない。
アンチャンには何の罪もない。朝日は天気が良ければ必ず登るが、朝日新聞は天候に関係無く沈んでいく。

2012年2月17日金曜日

「生よく死を制す」




茨城県水戸に日蓮宗のお坊さんで井上日昭という人がいた。
行動右翼のシンボルとしてその名を残している。
「一人一殺」というのが心定であった。
五・一五事件で政府要人を襲撃した若者達の教祖でもあった。

時の総理大臣犬養毅は豪胆であった。
拳銃で撃たれた時、有名な言葉を発した。「話せば分かる」と。
それに対し若者たちは「問答無用」といって止めを撃った。
若者の中に四元義隆という東大出がいた。
つい最近死ぬまでは時の権力者の思想的黒幕であった。

 井上日昭は「一死多生」とも遺したという。私はこの言葉が好きである。
一死をもって一人でも多くの人に尽くしたいと願うからだ。地獄に堕ちるのが当然の事ばかりしてきたので少しでも罪滅ぼしをと思っている私なのだ。

たった一度の人生、たった一度の死、ならば世の中の為にならない奴等を道連れになどと思うのだがそれに値する様な人間がいない程悪党も小者になってしまった。

この頃あの大嫌いな五木寛之ではないが、法然や親鸞や日蓮や蓮如などの本を読んでいる。
又きっと行くであろう地獄の関係書を呼んでいる、何故だろうか。

3.11以後自分の命に対して敏感になっている様だ。
どう生きるかより、何を遺し、どう死ぬかを考える。
自分の命でかけがえのない命を救えるなら望むところなのだ。
「死よ驕る勿れ」イギリスの詩人ジョン・ダンの言葉を、詩人の田村隆一が訳した。
正に死よあんまり威張るなよといいたい。「生は強いぞ」

2012年2月16日木曜日

「0点」


読売新聞夕刊より

読売新聞夕刊より


東京ゲートブリッジ開通。
誰が設計したのか極めて不細工な形だ。

2月13日(月)読売の夕刊を見るとその開通した斜めの右下にGDP年率2.3%減の折れ線グラフが載っている。よく見るとまるでゲートブリッジと同じ様だ。
左右対称にこの折れ線グラフを配すとそれは決定的な程似ているではないか。

全く縁起の悪い不景気の象徴の様な橋の開通である。
きっと名ばかりのコンペティションを行い筋書き通り発注を決めたのであろう。
写真には富士山がクッキリ写っている。日本のシンボルが見届ける落ち目な橋の形なのだ。

日本の橋は造る度にお粗末な形となって来た。
曲線を取り入れると予算がかかるのか、みなおしなべて直線的でギスギスとしている。
橋の設計家の心もきっとギザギザハートなのだろうか。

折角富士山を望む事が出来るのならその富士山と一体となったまるで絵の様な美しいラインを生んでほしかったのだ。葛飾北斎ならどんなゲートブリッジを生み出したであろうか。
私の採点ではほぼ0点の作品だ。

2012年2月15日水曜日

「佐渡と靴」


※写真はイメージです


佐渡島といえばまず金山を思い出すはずだ。
次には流刑、島送りだ。そして美空ひばりの名曲「佐渡情話」だ。

深夜一人で聞くと体中に人を恋する想いが寄せては返す、波の様に伝わって来る。
つい一杯、又、一杯となる。酒は旨い、ひばりはもっと上手い。

その佐渡に震度5強の地震が来た。
小さなホテルの一室、手を伸ばせば何もかも操作出来る部屋に泊まり込んでいた。
部屋に入りTVのスイッチを探す。どか雪が降り注ぐ中、地面が揺れた様だ。

その瞬間私はある女性を思い出した。
その女性は新橋の靴磨きの人、SLのある場外馬券場の側でずっと昔から来る日も来る日も(休曜日以外は)ひたすら人の差し出す靴を磨いている。
隣には言葉がよく喋れない中年の男性がいる。バックスキンの靴はこの男性に磨いてもらう。

女性は一度NHKでドキュメント取材された。
夫を早くに亡くし靴を磨いて子供達を育て上げた。
一度義姉の葬儀(法事かもしれない)に佐渡に帰った時、佐渡の夜空はこんなにも美しかったかと初めて思ったといっていた。ずっと靴ばかり見ていて空を見上げる事がなかったと。
東京の空は見るに値しないと。

今日もおばさんはずっと靴を磨いている。
トキドキお世話になる。話をすると凄いインテリでユーモアがあり話が上手であった。
1回五百円。恐れ多い女性だ。年の頃は7578位だろうか。


2012年2月14日火曜日

「岩波大嫌い」




それをいったら終わりだよ」といったのはフーテンの寅さんだった。

我が社はコネのある人しか入社させません。
と、予め宣言した企業が出版界の名門岩波書店だ。
確かに大手から中小企業迄コネクションは有力な採用基準になる。
始めから入社させる事のない真剣な若者と面接するのは苦痛以外何物でもないだろう、だがしかしそれをいったら終わりなのだ。

「あーもしもし頭取かね、いや〜いつもすまんが知人の娘さんでね、とてもいい娘なんですよ」と電話口で喋っているのはある大物代議士だ。初めてその個人事務所に打合せに行くとことさら熱心に話を続ける。
そして、いや〜いろいろ大変でねなんていってコンビニのサンドイッチかなんかムシャムシャ食べる。

後でその代議士の知人に聞くと、あれはいつもの手なんだよ、初めてくる人間に自分を大きく見せる為に演じるんだ。
相手は頭取、会長、社長、教授、先生と使い分けるんだとか?どうりでクサイ芝居に見えた訳だ。
だがしかし何人かは本当に入れているはずだ。

岩波書店の言い草を聞くときっと文部科学省とかのコネで新入社員が決まっている訳だ。
バカヤロー、学生さんをナメんなよといいたい。出版人の矜持は何処へ捨てたかといいたい。
もう岩波は読まない。(元々難しいから読んでネェーけんど)

2012年2月13日月曜日

「行為のススメ」




1192年鎌倉幕府成立、この頃の人口は約760万人。 
1603年江戸幕府成立の頃約1200万人。 
1868年明治維新が起きた頃、約3400万人、そして2000年には約13000万人。
130年で9000万人以上増加した事になる。

が、2004年をピークに日本の人口は減り始めた。
出生年率を1.26とすると2100年頃には約4800万人位になってしまう。 
1.06とするとなんと約3800万人。その内約40%が65歳以上の高齢者となっているのだ。

この数字が何を意味するのかは明白だ。全ての産業がお終いになってしまうのだ。
どこもかしこもガーラガラ、スッカラカンになっているのだ。元々日本の人口は国土に比べて多すぎたのだ。
戦争ばかりやっていたので子孫を残すためにひたすら子供作りをした結果なのだ。
戦争状態になると人間の動物本能が働き子孫を残すために女性の卵子はバンバン生まれ、又、男の精子は生死をかけて健気な受精の旅をするらしい。

国を守るためには若者達が行動しないといけない。どんどん結婚をしないといけない。更に行為をしないといけない。
そして元気な赤ちゃんを頑張って産まないといけない。古来より1人では食えないが2人になれば食えるというではないか。結婚こそあらゆる産業を守ってくれるのだ。

こらーそこの若いの、1人で何をやってんだ、この意気地無し。

2012年2月10日金曜日

「猫と脱腸」


※写真はイメージです


猫は何で走るのか、本来猫はお皿の上の魚をパクッとクワえて走り去る時位しか走らない。
美人の膝の上にのんびりと座り、我が輩は猫であるとイバッテいるのだ。

ところが「猫ひろし」は大きな夢、ロンドンオリンピックに向かって走る、走る、走るのだニャー。2時間31分を切ればオリンピックへ行けるかもという。
カンボジアに国籍を移し遂に2時間3026秒でクリアした。
なんとも頼もしい猫であった。金メダルも夢ではない。

かつてキャットフードのCMを制作した事がある。
袋入りのドライタイプと缶詰だ。今と違ってCGのない時代、スタジオの中でジーッとお猫様が美味しそうに食べるのを待つ。一日、二日、三日。
とにかく大の大人が固唾を飲んでお猫様を見続ける。

なかなか上手くいかないのだ。
オッ食べたと思えばドライタイプの山がボロボロ崩れてNG。
オッヤッターと思えばウェットタイプの缶詰に口を入れすぎでNGとなる。

ともかく撮影で一番手こずるのは、猫や犬や鳥などの生き物と赤ちゃんだ。
赤ちゃんは三人位をスタンバイしてスタッフ全員がサツエイデチュヨ、タノンマチュヨ、コンヤモカエレナイデチューと赤ちゃん言葉になるのだ。

と、ここまで列車の中で書きながらひと休み、夕刊紙をパラパラと見ると何!あの玉置浩二がダチョーンと脱腸(鼠径ヘルニア)の手術をしていたとか。
レコーディング中、気合いを入れ過ぎて腸が飛び出てしまったらしい。
精力絶倫を語るミュージシャンとしては何とも絞らない話ではと、玉置浩二支持者としてはダチョーンなのであった。(当然日刊ゲンダイ)

2012年2月9日木曜日

「鴨と鴨」




私の仕事場の直ぐ側に長寿庵というお蕎麦屋がある。
そこの「鴨せいろ」は大人気、ウルトラ人気で昼はいつも満杯。それを楽しむためによく行く。

「鴨」といえば「鴨長明」といえば「方丈記」だ。
有名な「ゆく河の流れは絶えずして、しかももとの水にあらず・・・」原稿用紙にしてわずか25枚ほどの中に今我々がどう生きるかの心があると、福島県三春町にある福聚寺の第三十五世住職にして芥川賞作家の「玄侑宗久」さんが方丈記を訳し、「無常という力」という本にして新潮社から出版した。
方丈記とは五畳程の広さ、天上まで2メートルほどの住まいの中で書いた日本三大随筆の一つ。他に「徒然草」「枕草子」だ。

最上の味の鴨せいろをすするが如く、名言が河の流れの様に一行一行極上の味で入ってくる。
故あってその玄侑宗久さんに会いたいと願い新作二作を読んだのだ。

この全長123頁の言葉の河には大学一個分以上のいい教えが書いてある。
重大な危険から身を守るには住む場所は小さい方がいいのだ。
ヤドカリでいいのだ。魚は水に飽きず、鳥は林に飽きずとか。なるほどザ・ワールドなのだ。

是非ご一読をオススメしたい。(1100円)