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2013年10月23日水曜日

「キンイロヨルマタ」



♪〜ゴールドフィンガー、金色の靴、金色の冷蔵庫、金色のスカート、金色の洗濯機、金色のスマートフォン、金のパスタ、金のパン、金のハンバーグステーキ、納豆金のつぶ、金の麺、金麦のビール、世の中「金」だらけ。
「金」まみれ、何かにつけて金をつければ売れ筋となっている。 

2008年のリーマンショック前の好況期に金色がはやった事がある。
三遊亭金馬などお座敷からの呼び声が多くなったという話は聞いていないが、きっと年末にかけてお座敷が増える筈だ。金太郎飴、金平糖なんかも俄然人気になるやもしれない。

金髪、金の爪、金のアイメークなども勿論はやるだろう。
金のバッグ、金の財布(例え中に金が入ってなくても)、金のシャツに金のネクタイ、金のスラックスに金のスカーフや金のマフラー、金の手袋に金の靴下、金のピアスに金のネックレス。早い話が金箔のプールにドボンと飛び込んで上がってきたら流行の先端となるのだ。

「金色夜叉」などという「尾崎紅葉」の本も売れ始めるかもしれない。
熱海の海岸で貫一に、恋人お宮が金持ちのところに嫁に行くと告げると、貫一は激怒しお宮を突き放す。貫一の足にお宮はすがりつく、貫一は言う、金に目がくらんだかと(正しくはダイヤモンドだと記憶している)。そして貫一は金貸しになって行く。
お宮が嫁いだ先は事業はかばかしくなく没落する。

♪〜熱海の海岸を散歩する、貫一お宮の二人連れ、共に歩むも今日限り、共に語るも今日限りとなり熱海の名所「お宮の松」は生まれた。
あ〜嫌だ嫌だ、金、金、金色の世界なんて。

茅ヶ崎に「鉄砲通り」という名の一直線の道がある。
軍国日本の頃、兵隊が鉄砲担いで行進したらしい。
近所に「兵金山」というのもあるからして藤沢、辻堂、茅ヶ崎近辺は兵隊が集結していたらしい。

その鉄砲通りに夫婦二人で不動産を営んでいる知人がいた。
ある年ポスターを作ろうとなりデザインし、キャッチフレーズをつけた。
「どんなお金持ちのウンコも金色ではない」出来上がりを持って行くと二人は苦笑い、私の顔がゴツイせいか二人はそのまま沈黙してしまった。
まあーいいや一度だけでも貼ってよ、費用はタダでいいからねと言ってその場はサヨウナラ、何日か経った時、自転車でフラリと寄ったら額に入れたポスターは貼ってなく、後向きにしてあった。私を見ると奥さんはカウンター越しに隠れてしまった。
ダンナといえば60歳から始めたサーフィンですっかり金色になっていた。

トホホ、トホホな顔であった。
その後、その夫婦と私の関係がどうなったかは想像にお任せする。
ちなみに中学生の頃「金色夜叉」をキンイロヨルマタと読んだ。




2013年10月22日火曜日

「九人の野球少年」


イメージです




平成二十五年五月二十七日(月)、神奈川県にある茅ケ崎一中で、ある野球の試合があった。対戦は一中野球部OBと後輩の一中野球部員であった。 
 OBたちは中学時代のレプリカのユニホームで挑んだ。

このOB の中に私が日頃お世話になっている大野俊幸(大野クリニック)先生がいた。
先生はセンター、ライトが宮治淳一さん、ファーストが大久保義雄さん、キャッチャーが小林茶舗(茶山)、ショートが帝国ホテルの倉本さん、サードが山口無線、レフトが本田材木、セカンドが荻園ふとん屋の鳥居さん、そして背番号1をつけたピッチャーは桑田佳祐であった。

その日私は大野クリニックに薬を処方してもらいに行った。十月十八日の朝である。
私は六番目だったので待合室で新聞を読んでいた。
市の老人検診中なのかお年寄りが多く来ていた。
私が年寄りである事を忘れるほどの人生の先輩たちばかりであった。

これ先生からです読んでいて下さいといって看護師さんが二枚の紙を渡してくれた。
そこには「ロックンロール・スーパーマン〜桑田佳祐の思い出〜」とタイトルがあった。
書き手は大野俊幸先生だ。
茅ケ崎医師協会報第九十六号に掲載された原稿用紙六—七枚分はあるエッセイだった。

五月二十七日、後輩たちには桑田佳祐が来るとは伝えなかったと聞いた。
もしそれを伝えていたらその話題が続々と伝わり茅ケ崎一中に一万人、いや二万人近く観客が押し寄せただろうと先生は言った。

桑田佳祐は中学時代からエースであり、かなり凄い球を放っていて相手はなかなか打ち込めなかったそうだ。先述した名前の表記は先生が書いてあった通りで、きっと先生は親しみを込めて苗字や名前のすべてを書かなかったのだろう。


エッセイが実に同級生への想いを込めたものに仕上がっているのはその名の紹介の仕方にあふれていた。
宮治淳一さんは「サザンオールスターズ」の名付け親とか、市民栄誉賞を贈る尽力をしたのが大久保義雄さんであったと書かれていた。
帝国ホテルの倉本さんはパテシェとして有名な人だ。

 診察室に入った私に先生は記念写真を見せてくれた。
奥様が水中カメラで撮った写真は見事であった。先生の趣味が水中写真と初めて知った。桑田佳祐を前列中央にOBたち、その後ろに後輩たちが五十人程、それと野球部関係者たちが楽しそうに写っていた。ちなみに試合は57で後輩の勝ちであった。
五回で終わりと決めた試合、桑田佳祐は完投をした。

先生と私の会話は検診に来ているお年寄りを待たせてしまう程弾んだ。
また来年やろうと言って別れたと聞いた。

この数カ月後桑田佳祐は茅ケ崎市営球場で帰ってきましたコンサートを五年ぶりに行った。茅ケ崎はサザン一色になり、絶叫と興奮は深夜にまで及んだ。
桑田佳祐は人に愛されるために生まれた稀な人間といえるだろう。
他には長嶋茂雄と石原裕次郎しか私は知らない。

マネージャーだけのガードで試合が行われたのは奇跡といえるだろう。
後輩たちはユニホームで来た桑田佳祐がサザンオールスターズの桑田佳祐だとずっと気が付かなかったという。冗談は本気でやると面白過ぎる事となる。

ハーイ◯◯さんと看護師さんの声、オバアサン身長を測りますよと試合ならぬ診察は始まり、先生はハイ息を大きく吸って、吐いてといつものやさしさでお年寄りの健康を守るのであった。先生は野球と同じ様にきっと守りが好きなのだろう、センターは守備力が一番の選手が守るポジションだから。
気持ち良いエッセイを読んでいたら刺し込む腹痛が治まった様だ。

2013年10月21日月曜日

「B4+B4」





「一寸先は光」この言葉を遺してアンパンマンの生みの親「やなせたかし」さんがこの世から旅立った、九十四歳であった。

アンパンマンは空腹の人にその顔を食べさせてあげた。
ご自身の悲惨な戦争体験から飢えがいかに人間を豹変させるか、その地獄絵を見て来たからなのだろう。バイキンマンは軍国日本の象徴であったのだろう。
ほぼ半世紀にわたり子どもたちの成長はアンパンマンと共にあった。

日本という国の主たちは、「漫画家」という職業に対して正当な芸術としてその評価をして来なかったといえる。
画家、書家、建築家、彫刻家、伝統芸術家、小説家たちに比べると、たかがマンガだろうと思っている。アニメというと何故だかマンガより上と評価するのだ。

私は思う、現在小説家が漫画家に比べてどれほど影響を与えているだろうか、低迷する出版界を支えているのは漫画家が放つ超絶の発想力といっても過言ではない。
ヒットする映画の原案は殆どマンガ、劇画からである。テレビも然りだ。

かつては文学青年とか文学少女なる言葉もあったが今や無い。
マンガ青年、マンガ少女なのだ。
ライフスタイルからファッション、音楽に至るまで色濃く影響を受けている。

出版社は下手な私小説なんか売れねえんだ、何かいいマンガを見つけて来いと檄を飛ばし続けている。私小説作家などは娘がそそのかされ結婚する、などと言ったら親は勿論、親族一同から猛反対された無類な職業だった。エロ、グロ、ジゴロと言われた。
文学に興味ありそうな女性に接近し、接触、接合し、タカリ、セビリ、ナカセてはそれを私小説などと語り世に出した。

いつからかそれは純文学などという分野を出版社が作り幾多の文学賞が生まれた。
漫画家の様な大胆な着想力や発想力、展開力が無いので日々のヒモ暮らし、怠惰な生活を安酒をチビチビ飲みながらシコシコ書いては(実はその姿に女性は弱かった。私が支えてあげると)何卒ご拝続をと出版社に持参したり送り続けたのだ。
その純文学もそれなりの影響力を持ったが今やその面影は無いに等しい。

人は誰でも純文学が書ける筈だ、少しばかりの文才があれば。
私は純文学になり得る題材がいくらでもあったのだが、少しばかりの文才を持ち得なかった。

ある年のある日、人気絶頂の漫画家「ジョージ秋山」さんの仕事場を訪ねる機会があった。某大手ビールメーカーの仕事を依頼するためだ。
ジョージ秋山さんの小さな仕事場にはスタッフが二人居た。
机と椅子の数は数人分あった。片隅の三角形の処にぽつんと後姿があった。

とに角狭い個所であった。
先生は「オレナニスンノ」みたいな事を言った。
で「コンナフウニ」とお願いした。「ナニニカクノ」というから、「カミニ」と言った。「オオキサワ」というから「B3デオネガイシマス」と言った。
「ソンナオオキイカミナイヨ、マンガワB4デカイテルカラ、ドッカイッテカッテキテ」と言った。

そして先生はB3B4B4をセロテープでくっつければいいじゃないのと言った。
私は原画に継ぎ目が出てしまうのでB3で描いて下さいとお願いした。
「ソンナノシュウセイデキンジャナイノ」と言った。
デキマセンと言ったら、今夜銀座に飲みに行こうよと言った。
それは正にジョージ秋山の生んだ名作「浮浪雲」の主人公そのものであった。
風まかせ雲の様に生きる達人だった。

私は絶対この人にはかなわないと思った。そして自分を恥じた。
何しろ欲というものがまるで無い人なのだから隙だらけ、無防備で無欲な人は最強といえる。

「やなせたかし」さんの訃報に接し、ジョージ秋山さんを思い出した。
その夜は「永谷園のそれいけアンパンマンのふりかけ」をごはんにふりかけた。
「さけ」「やさい」「おかか」の三種であった。

それを食しながら思った。
手塚治虫、長谷川町子、藤子・F・不二雄、赤塚不二夫、やなせたかしさんたちほど幼児から老若男女まで生活のど真ん中の食卓で国民を明るく元気にしてくれた芸術家は一人でもいるだろうか。

答えは簡単、一人もいないと断言出来る。
やなせたかしさん、二歳半の孫がアンパンマン、アンパンマンと連呼しております。本当に有難うございました。「一寸先は光」のあの世に向かって、それいけアンパンマン!です。

2013年10月18日金曜日

「雑巾がけ」


蒲田行進曲




女性が下着になる映画は数多くあるが、この映画がベストワンだと私は思っている。

ある人気役者がいる。人気役者には大部屋の役者が子分の様にいつもへばりついている。少し落ち目の人気役者、女につれなくなって行く。

子分たちは人気役者を励ますが気落ちは治まらない。
ライバルの役者が気になる。撮影所を二分する勢力が火花を散らす。

ある日人気役者は子分にこの女はお前にやると言って押し付ける。
女も人気女優、子分はずっと憧れていた雲の上の女優だ。
悲しみにくれる女はある日人気役者の部屋に行く。別れの覚悟を持って。

部屋は散らばり放題になっていた。
女は掃除を始める。そして床や廊下を雑巾がけする。
女はそれをしやすい様に黒い下着だけになる。必死で雑巾がけをする。
カメラはその姿を追う。

看板女優であった「松坂慶子」がここまでOKを出したかというアングルを許す。
カメラはカットをせず長回しだ。雑巾がけを終え、汗まみれになった松坂慶子はシャワー室に入る。

こんな女が男にとって最高なんだが。

その頃当代一の人気女優があのシーンを許したのは監督の「深作欣二」と愛人関係であったからだという。いかなる大女優も自分が愛している監督のためならその身をカメラの前に捧げるのだろう。
大島渚と小山朋子、岡田茉莉子と吉田喜重、篠田正浩と岩下志麻。
監督と女優は戦友同士として名作を生み続けた。

映画の題名は「蒲田行進曲」人気役者の「銀ちゃん」には「風間杜夫」、子分の「安」には「平田満」。何度でも見たい、格別にいい女の映画だ。

2013年10月17日木曜日

「ドライフラワー」


乾いた花




トライアンフのオープンカーに乗って猛スピードで走る若い女。
人を殺し刑務所から出て来た中年の男。

人混みの中でつぶやく。
こんなに人がたくさんいやがる、その中の一人位を殺したからってどうって事はねえじゃないかと。

ある街外れ、そこでは博打が行われている。
薄暗い灯り、白い盆茣蓙、中盆の声が低く静かに場に流れる。
さぁ〜どっちも、どっちもと。

その場にトライアンフに乗ってきた若い女がいる。
女は大きく賭ける。そこへ中年の男が現れる。
ヤクザ者たちは一札をする。兄貴、いつ出て来たんですか。
その場を開いている親分が言う、おー出て来たのか。

中年のヤクザと若い女は目と目を合わす。
それ以来二人は博打場で会う。ある夜二人は男の部屋で花札を引く。
女が男に聞く、人を殺したんでしょ、人を殺すってどんな感じ、と。
男は応える、別にどうってこたあないが刺した事、ああー俺は俺とつながってるな、そんな気がするんだと。

この映画は原作が石原慎太郎、監督が篠田正浩だ。
日本にも押し寄せたヌーベルバーグの斬新な幕開けだった。
若い女の役は「加賀まりこ」六本木族から女優に、その第一作であった。

謎に満ちた小悪魔の様な魅力が今でも目に焼き付いている。
中年のヤクザが池部良であった。兄貴と言ったヤクザが杉浦直樹、賭博場にいつも無言でいたのが藤木孝。私の選ぶベストスリーの一つだ。

題名は「乾いた花」。
生きる目的を失った花は、水を必要としないドライフラワーなのだ。

2013年10月16日水曜日

「黒いショーツ」


さらば愛しき大地




南無妙法蓮華経と二つの改名が背中に刺青されている。
男はダンプカーの運転手だった。

妻と二人の子のために無理をしてでも働き、小さな幸福を守っていた。
そんな男に悲劇は起きる。

ある日二人の子が水難事故に遭う。
男は悲嘆に暮れる。妻は子どもをしっかり監視しなかった呵責で傷んでいく。
男は酒に溺れていく。夫婦の間には再び接合しない亀裂が生じる。

ある日トラックに乗っていた男は一人の女と出会う。
男と女は互いに傷を塞ぎ合う様に体を合わせ続ける。
酒と女に身を沈めていく。

男にある日の思い出がある。海岸で子どもたちと食べた蟹だ。
食べれ、もっと食べれ、うまいだろうと。
男はすさんでいく、体に刺青を入れる。やがて男は女に出て行けという。
女を足蹴りする。

その足にしがみつき嫌だ、一緒にいてと懇願する。
女はジーンズを脱ぎすがる。黒いショーツがずり下がる。

この映画を物語る重要なシーンだ。
傷ついた男に出来る事は、何もない女にとって一つしかないのだから。

男を演じたのが「根津甚八」、女を演じたのが「秋吉久美子」であった。
この作品はベストワンとなり、二人は主演男優賞と主演女優賞を受賞した。
監督は「柳町光男」であった。秋吉久美子は切なく、哀しく、官能的であった。

根津甚八はその後、人身事故を起こしその呵責を背負い、重度の鬱病となり再起の道を閉じた。映画は時に残酷な因果をもたらす。


映画の題名は「さらば愛しき大地」であった。
「大地」を「映画」に置き換えると「さらば愛しき映画」となる。
映画の主人公は運転手であり、根津甚八を悲劇の主人公にしたのは車を運転している時だった。名優になるために生まれて来た様ないい役者であった。

2013年10月15日火曜日

「ジャックナイフ」


望郷




アルジェリア、カスバ(貧民街)、パリのギャングがここに身を隠している。

ここにはシャンゼリゼのめくるめく灯りはない。
パリのカフェテラスもパリのファッションもない。
勿論シャンソンも流れない。

男はこの地の女に心を寄せられる。
気を許せる子分はこのカスバから出たら捕まると言い続ける。

男はパリが恋しい、パリこそオレの街だと心の中で思い続ける。

ある日観光客たちがカスバを訪れる、その中にパリそのものの様な一人の女がいた。
男はひと目見て心を奪われる。子分はその心を見逃さない。
この街にいれば安心だと言い続ける。

男をずっと追う刑事が一人。砂漠でオアシスを見つけた様に男は女に近づいて行く。
パリの女はほんのアバンチュールな気分で男と接して過ごす。
そして女はパリに帰る日が来る。

男は子分が止めるのを振り切って女を追って街を出る。
女は船の上、男に気付いているのかいないのかは分からない。

街を出た男を遂に刑事は捕らえ手錠をかける。
港の金網を掴みながら男は刑事に言う。手錠を外してくれ、手を振らせてくれと。
 刑事は手錠を外す、男はポケットに手を入れナイフを持つ、そして叫ぶ「ギャビー」と。

この映画の原題は男の名「ペペルモコ」、日本では「望郷」であった。
主演は「ジャン・ギャバン」映画史上三大ラストシーンの一つだ。
他の一つは「シェーン」ともう一つは「第三の男」と語り継がれている。

2013年10月11日金曜日

「赤いモヘアニット」

パリ、テキサス





グランドキャニオン、何処から来たのか分からない一人の男。
真っ赤な目出し帽、埃まみれのピンストライプのWのスーツ。
 汚れた白いワイシャツ、ひねくれたカーキ色のネクタイ、手には白いポリタンク水は既に少ない、ブルーのキャップを回す男。

空は澄み切って青く、雲は綿みたいに止まっている。
ライ・クーダーのギターが荒野に鋭く、重く、切なく流れる。
痩せた体、削げ落ちた顔には伸び放題の髭。

男はやっと荒野の中にある小さなショップを見つける。
汚れた冷蔵庫、壁にはヌードを描いた下手な絵。
冷蔵庫を開けると中にビールが冷えているが、男はそれを飲まずに閉める。
アイスボックスを開けるとそこにはクラッシュ氷、男はそこに手を突っ込んで氷を掴み口にする。そして男はそこに倒れる。

男は消えてしまった妻を探していたのが最後に分かる。
妻はとある町のテレフォンデートクラブのボックスにいた。
ブロンドの髪、鮮血の様な赤いモヘアニットで。ミラー越しに男と女は会う。
男から女は見えるが、女かからは見えない。

この映画はいわゆるロードムービーの始まりを告げた。
全編に流れるライ・クーダーのギターは胸に刺さり、その痛さが心地よかった。
ギターは血を流さないジャックナイフであった。

この映画の主演はナスターシャ・キンスキーとあったが彼女が出るシーンは限られていた。ヴィム・ベンダース監督はギリギリまで主役の登場を許さなかった。
ブロンドヘアーのナスターシャ・キンスキーが画面に出た時、息が止まった。

あまりに美しい。探していた愛する女を見つける。その長い月日をヴィム・ベンダースは劇的に演出し成功した。カンヌ国際映画祭でグランプリを受賞した。

2013年10月10日木曜日

「繰り返し」


当時の男子マラソン




かつて十月十日は体育の日で休日であった。
東京オリンピックを開催した記念である。
十月十日は晴れの日であり、記録上雨が降った日は極めて少ない。

あの日私は代々木の喫茶店で友人たちとモダン・ジャズを聞きながらマラソンを見ていた。デイブ・ブルーベックの「テイクファイブ」、キャノンボール・アダレイの「ワーク・ソング」、ソニー・ロリンズの「モリタート」などを聴いていた。

ゴッソリ走って出て行った選手たちも40キロ近く走って帰って来た時には一人、一人、一人だった。先頭はエチオピアのアベベ。
次が円谷幸吉、その次がイギリスのヒートリーだった。

アベベは哲学者の様な威厳に満ち息も乱さず背を真っ直ぐに伸ばして凛凛しかった。
円谷は腹痛をこらえているかの様に少し前傾であった。
またここに来るまでの苦悩を全身で表すかの様に顔を斜めにし、口を歪め息を乱していた。アベベとの差は抜き様のないほど開いていた。

店の外は人、人、人であった。つぶらや〜がんばれ〜、つぶらやがんばれ〜と声を枯らした。代々木の鉄橋の下を通り私の前を円谷幸吉は走り抜けた。
短髪、白のランニングシャツ、白の短パン、汗と水とで濡れて円谷の肌にへばり付いていた。そのわずか数十メートル後にイギリスのヒートリーが来た。
アスリートとは思えないほど太目だった。白人特有の顔が赤らめていた。
日本人に負けてたまるか、イギリスのしたたかさを持ち、底意地の悪い役人が逃げる労働者から税金をとりに向かっている様でもあった。

つぶらや〜、抜かれるな〜がんばれと叫んだ。
哲人、労働者、役人の順だった。結局円谷幸吉はトラックで遂にヒートリーに抜かれた。
そして後日「もう走れません」の言葉を遺してこの世を去った。
哲人アベベは英雄となったが足を失う身となり数奇な人生を終えた。
ヒートリーがその後どうなったかは知らない。

あの頃のオリンピックはアマチュアの代表大会だった。
次のオリンピックではゴルフまで種目となった。タイガー・ウッズが出るともいう。
オリンピックオープンという訳だ。

十月五、六日深夜、体操の世界選手権を見ていると最早サーカスの如きであった。
あの日マラソンが終わった後、新しい道へ向かう事を決意した。
デイブ・ブルーベックのテイクファイブは壊れたレコードの様に同じリズムを繰り返していた。円谷の遺書もまた、食べ物おいしゅうございましたを繰り返していた。
私もそれ以来同じ事を繰り返している。

2013年10月9日水曜日

「傷害罪」


イメージです




金輪際男に体は許さない。
永遠に処女のままで生きていく、そのために全身を重装備する。
そこまでしなくたって別にいいじゃないのという物がある。

味覚の秋、ありがたくも栗を取って来たからと箱いっぱいに送ってくれる人がいた。
で、ダンボールを開けて、えーと声を発す。

その中にはトゲトゲのイガ栗がまるで機雷の群れの様に、または雲丹の群れの様に来る者を拒んでいる。ちょいと手を出せば、痛っ、と指先から血が出る。
キミはどうしてそんなに身を守るのか、元々は一体どうだったのか、父や母はそんなに厳しく躾たのか、というより恋とか愛とかを教えなかったのかと問いかける。

さあ〜大変だ軍手をはめ、ナタを持ち、トンカチを脇に置く。
栗の尊顔を拝すまでに艱難を要す。
やっとこさ栗に辿り着くとその渋皮に再び防御される。

この頃になるとかなりの憎悪が沸いて来る。
渋皮の先には更に筋張った繊維の皮がその身を防御している。
源氏物語の主人公光源氏はきっとこんな難儀をしながら女体に接したのだろう。
一枚、二枚、三枚…十二枚と。

英国王妃などが道ならぬ恋をし、心寄せる人にその身を任せようとするが、一枚、二枚、三枚と服を着ており、また身を細くするための頑丈な腹巻きやら、服を広げるためのペチコートやら、ガードルを外すために相手はヘトヘトへなってしまう。
そんなこんなしている内に時間切れとなる。

さて栗だがいいアドバイスに出会った。
栗には「ニホングリ」と「チュウゴクグリ」(小さくて天津甘栗になる→栗の火炙りの刑だ)とに大別される。
「チュウゴクグリ」は皮は剥がれやすいが、「ニホングリ」は剥がしにくい。
かつて日活映画全盛時代に「憎いあんちくしょう」という、石原裕次郎主演の映画があった。

それはさて置き人間はやはり賢い。 
2010年、果樹研究所は遂に渋皮の剥がれやすい新品種を見つけた。
外側の鬼皮(というらしい)に傷を入れて、オーブントースターや電子レンジで加熱すると、ぽろっと渋皮が剥がれる。その名を「ぽろたん」と名付けた。
ネーミングには(?)(?)(?)なのだが大発見なのだ。
渋皮の剥けやすさは「父と母」の遺伝子によって決まるとか。

更にぽろたんはいろんな品種と肉体関係を持たされ遂に「乙宗」という大スターとなったらしい。
そうか、傷つければいいのか、中々ガードを緩めない刺々しい女性は傷を付ける事をすすめる。但し間違いなく傷害罪で捕まる事を知っておいてほしい。

私はイガ栗と戦い続けた。
同じ様にガードの固い物に、栄螺、雲丹、鮑、岩牡蠣、胡桃などがあるのを記す。
それぞれ一箇所急所がありそこを攻めるとアラッカンタンとその身に出会う事が出来る。「人に急所あり」プレゼンテーションはそこを見つけたら必ず勝つ事が出来る。