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2014年4月9日水曜日

「ミル貝と今でしょ!」


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行きつけの寿司屋さんに行って寿司ネタをガラス越しに見ていた。
そこにミル貝がまだ活きていて口を尖らしてパクパク私に何かを語りかけている様であった。

ミル貝にお前誰かに似ているなと声をかけた。
あっ、似ている!今売り出し中の林修(東進ハイスクールの先生)だ。
「今でしょ!」のひと言でブームとなって今や池上彰を超えて来た。
私はいつまで人気が続くでしょうかと聞いている様だったので、秋まででしょ!と応えてやった。ミル貝は少し泡を吹きながら尖った口を閉じてしまった。

ついこの間まで“あの人は今”だった掃除機の様な坂上忍という異常キレイ好き人間がテレビに出まくっている。
かつて「電波少年」で猿岩石として世界の果てを歩かされその後消えてしまった、有吉弘行は売れっ子中の売れっ子となっている。
マツコ・デラックスという超怪人やミッツ・マングローブという女装男たちに人気が集まるのは、毒舌家であり、歯に衣着せぬ物言いで言いたい放題である事だ。
日頃言いたい事を言えぬ人々の代弁者として支持されるのだろう。

 
キワモノ芸人は売れている時がいちばん悪夢を見るという。
今売れているからといって明日売れているとは限らない過酷な競争社会だからだ。
「今でしょ!」が「もう終わりでしょ!」になる日は必ず来るのでその恐怖は計り知れない。

私は一発芸人が大好きなのだ。
ただ一つのポーズや、ただひと言でメシを食って行く人間に心から敬意を持っている。
その中にいかなるコピーライターも書き得ないキャッチフレーズがあり、時代を鋭く切っていたのだ。
古くはトリオ・ザ・パンチの「ハードボイルドだど」、トリオ・スカイラインの「なつくな!」、セントルイスの「田園調布に家が建つ」「定期預金に残はない」、てんぷくトリオ三波伸介の「ビックリしたなもう」、人生幸朗の「責任者出て来い」なんて今の時代にピッタリではないか。

今日小保方晴子さんが反論するという。
理研の責任者は誰なんだ、みんな名ばかりではないのか。一人位私が責任を持って小保方晴子さんと対決しますとは言わないのか。

とても残念だったのは、ips細胞の山中伸弥教授だ。
国会で三十代のヒヨコには無理だみたいな事を言った。
私は山中伸弥教授が未熟なところがあるが小保方晴子さんには無限の可能性がある、ぜひ私のところに来ていただいて一緒に研究を重ねてほしい。
人類の未来のために、難病で苦しんでいる人たちのためにその才能を生かしてほしいと思う。私がキッチリ見守り教育していくからと。
若い才能の芽を踏みつぶさないで頂きたいと言ってほしかった。

ノーベル賞を受けた偉大な学者のひと言はきっと若い研究者たち、難病で苦しむ人々に夢と希望と勇気を与えただろうと思う。
理研の顔色の暗い人々の責任者たちと、みんなの党の責任者である渡辺喜美氏のだらしない寝癖のついた髪型、油汗がにじみ出た顔がダブってしまった。
芸人たちはひと言に命をかけ、生活をかけて生きている。

山中伸弥さんいまからでも遅くない、私が小保方晴子を引き受け人類のために一緒に研究をする、と言ってほしいと重ねて願う。
ミル貝の尖った口先もそうだ、そうだと言っている気がした。プシュっとまた泡を吹いた。「今でしょ!」だって。

2014年4月8日火曜日

「ザ・コツ」




世の中にはいろんな「コツ」がある。
天ぷらを揚げるコツ。おそばやパスタを茹でるコツ。
漬物を作るコツ。人に取り入るコツ。
プレゼンテーションを勝ち抜くコツ。
女性を口説くコツや別れるコツ。文章をパクるコツとか、人から金を騙しとるコツ。
人間一人ひとりに何かしら一つや二つコツを持っている筈だ。

ゴマスリのコツが上手な人間が出世を重ね、その逆の正直者が降格されたりするのが世の常だ。早い話、コツコツ働いている良い人間ほど、悪い奴の悪いコツの餌食になってしまうのだ。

私は何ら自慢するコツは持ち得てないのだが、慢性的なコツを一つ持っている。
「坐骨」ザ・コツだ。
右腰から仙骨(むかし尾っぽがあったところらしい)周辺、オシリから太モモを通り足の先までズキズキ、ズンズン痛く、ジンジン痺れるのだ。

この“ザ・コツ”とは長い付き合いなのだが、この頃重い資料を持ち歩いていたせいか、かなり「麻痺なスターズ」(和田弘とマヒナスターズです)ぽく酷い状態となってしまった。
椅子に座る姿勢が悪いせいもあるらしいのだが、いちばんの原因は老いのせいだろう。
若い頃バットや木刀で何度も何回も腰を攻撃された古傷が今になってズキッズキッと出て来たらしい。

人間アチコチ痛いのは生きている証といえるから生きている限りは“ザ・コツ”とは付き合っていかねばならない。
武田鉄矢が「ビリビリ、ジンジン、チクチク」は神経障害性疼痛かもしれないからお医者さんへとCMで言っているが、そんな人は山ほどいるだろう。
四十代、五十代を過ぎてどこも痛くないという人に会った事はない。

人生とは痛い事の歴史なんだと思っている。
セコイ、ズルイ、コスカライ、ケチンボ、タカリ上手な人間たちには人の痛さが分からないだろう。お天道様はちゃんと見ているから、悪いコツを数多く持った人間には「キツイ、オシオキ」をするのだ。

私もオシオキを受けているのかもしれない。
職業柄数多くのコツを使い分けているのだから。

平塚のハリとお灸の名人が時間を問わず来てくれている。
この人は、人を治すコツを知っている特別いい人だ。

2014年4月7日月曜日

「神の子」


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ある年、飲酒の席でジョークの名人だった亡き友が、フランス語で妊娠の事を何ていうか知っているかと言った。
日本語すらよく分かってないんだから、分からないと私が言った。
一緒に飲んでいた人間も分からないと言った。


ただ、どうせいつものジョークだろうと分かってはいた。
「シャセジュセ」って言うんだよと言った。
へえーそんなんだ、で、ジョークの種を明かしてと言った。
“シャセジュセ”=射精して受精するからだと得意気に笑って友は言った。
上手い!座布団一枚だねと私は言った。

こんなジョークを次々に飛ばす親友は今はあの世だ。
チクショウもう少し生きていれば病気はきっと治ったのにと思わせるテレビ番組を見た。NHKスペシャルのミクロの世界シリーズだ。
CGが目ざましく発達したので人間の中の仕組みが全て見れる。
それは得体の知れぬ神の領域であり、誰も描く事が出来ないアートの世界だ。

人間の全ての細胞は、シャセジュセ→受精卵から生まれる事を知った。
たった一つの細胞の誕生は男(オス)と女(メス)との動物的行為から生まれる。
オタマジャクシみたいな無数の精子がチョロチョロしながらやっとこさ一個の卵子に出会い、くっついた瞬間に一つの生命は誕生し数十兆もの細胞が作られていく。

人間の中に出来た細胞の中に、あらゆる病原体をやっつけてくれる免疫細胞がある。
ところが最近この免疫細胞が暴走して自己の免疫細胞を攻撃してしまう事が分かってきたのだ。これにより今まで不明だった様々な病気の原因とその進み方が分かってきたのだ。難病の原因とその治療法が見えてきたのだ。
あと一歩のところまできているので決して諦めないでほしいと思う。

シャセジュセで生まれた免疫細胞は思春期の頃に消えて無くなるらしい。
神は人間が100歳近く生きる事を考えていなかったのかもしれない。
思春期を過ぎた人間の免疫は色々やりくりして病気から守ってきてくれていたのだ。
遺伝子医学はこの免疫細胞を作ってくれるらしい。
受精卵という途方も無い奇跡的なものを再生すると、人間は死ななくなるかもしれないのだ。難病は近いうちにきっと治っていくはずだ。
人間の卵子は神の子だ。

街には社会人の卵たちが黒スーツを着てウヨウヨ酔っ払っている。
歓送迎会の後にシャセジュセになる事が多い。いよいよ春は盛んになって来た。

「オレがむかし神の子だった頃、オヤジは精子でオフクロは卵子だった。
兄貴はタダの子で妹は玉子だった。イエーイ!ワカルカナ、ワカンネーダローナ」(松鶴家千とせ風)実のところNHKスペシャルを見ていてよくワカンネーなのだが大きな期待が膨らんだ。

2014年4月4日金曜日

「イカした男」



朝日新聞より


芸術なんてものは実のところこんな物かもしれない。
雨に降られてかなり濡れて帰宅した。

夕刊を広げたら痛快な記事があった。
イタリア捜査当局が2日、盗まれたポール・ゴーギャンの静物画をシチリア島で発見したと発表した。

所有していたのは元工場労働者の男性、同時に盗まれたピエール・ボナールの作品とともに、75年に競売で45千リラ(約3千円)で購入し、台所に長年飾っていたという。
当局はゴーギャンの作品だけでも少なくとも1千万ユーロ(約14億円)の価値があるという。2作品は盗難直後イタリア、トリノの列車内で発見され、価値に気付かれぬまま保管された後、競売にかけられたのだ。

男性は当時自動車大手フィアットの工場に勤務。
自宅のテーブルに合うと考え、絵を買った。
引退後男性の息子が絵画の目録で似た作品を見つけ、鑑定を依頼していた。
で、きっと息子は内臓が全部口の中から飛び出るほどびっくりして、ブッ倒れて気を失ったかもしれない(ひょっとしてあの世に行ったかも?)。

芸術的価値とは作られるものだから、本人が3千円でも高えよといえばそんなもんであり、偉い先生や鑑定士や画商たちがこれは13億円だといえば、へえーそうなのとなるものである。つまり買いたいという美術館や画商や収集家、金の使い道に困っているが競り合えば値はグングン上がって行く。
それが証拠に芸術家は生前は殆どビンボーで無名であり、死んでから値がつくのだ。
そして有名になっていく。

ある高名な美術評論家によると日本の美術館にある絵の80%は偽物、有名骨董品屋にあるものは殆ど偽物だという。なにしろ鑑定士そのものが偽物ばかりで、その偽物たちが本物を手にするのは、宝くじに当たるみたいなものらしい。
まてよ、本物だと鑑定出来る鑑定士がいないのかもしれない。

「フーテンの寅」にこんなシーンがある。
ある旅先で寅さんは老陶芸家に会う。陶芸家は寅さんが気に入って、お皿の様な物を一枚あげる。ある時陶芸家の弟子が、先生の展覧会があるのでしばし返してほしいと寅さんに頼む。あーあれか、あれはタコにくれてやったよ。

タコとは「とらや」の隣で小さな工場を経営している社長のアダ名だ。
タコ社長はその皿を灰皿代わりに使っていた。
人間国宝の陶芸家の弟子は、オラッ返すよと投げつけられた皿を地上スレスレでキャッチして気を失う。寅さん、タコ社長にとって人間国宝の作品もただのお皿なのだ。
権威主義への山田洋次の痛烈な風刺だ。

3千円のゴーギャンを台所に飾り、パンをかじりながらパスタを丸め、スープを飲んでいたなんてイカした男ではないか。

2014年4月3日木曜日

「赤坂一ツ木通り」






かしましいと、やかましいとの差はどう違うのかよく分からない。
だがウルセイならよく分かる。

とにかくウルセイ連中が直ぐ側で酔っ払っていると話がビリヤードの玉みたいにアッチコッチにぶつかり合い、話の内容もゴロンゴロンになってしまう。
つまるところ話の先の行き場が決まっていないのだ。

「中山美穂が離婚するんだってヨォー」
「龍谷大平安が優勝だ仏教関係が多いよな」
「小保方さん理研にケツまくるってよ」
「楽天の松井勝てなかったな」
「消費税が上がったのでお小遣いが上がるかと思ったが下げられそうでマイッタよ」
「東京湾でもダイオウイカが捕れたんだってよ」
「タモリはすごいよな30年以上休まずなんだから」
「黒柳徹子はもっと長いってよ」
「見たかよ京都の岬近くでイルカの大群がビュンビュン飛んでいたのを」
「クジラの肉が食えなくなるんじゃねえの」
「ヤクザ者たちがゴルフを出来なくなるってよ、どうやって見分けんのかな」

などなど男二人、女性一人の三人組が一度に口に出すのだ。
お互いの話はあまり聞いていない。自分の話も別に聞いてもらうつもりもなさそうだ。
自分の頼んだドリンクを飲んで。

自分の話を一方的に喋って終わり、友人と待ち合わせをした場所のところに少し早く着いたので今流行のスタンドバーでハイボールを一杯飲んだのだ。
人と人の声は雑音でしかないのだが、少しずつ拾い聞きした十五分ほどだった。
赤坂一ツ木通りはいつからか立ち飲み通りと客引き通りになっていた。

「それにしてもヨォ、さんまはしゃべりすぎだったよな一人で一時間位だぜ」
「爆笑問題の太田が田中康夫を首投げしたのは笑ったな」
「どうでもいいけどこのお肉なに(?)固くない」
「クジラじゃないの」
「俺のイタリアンや俺のフレンチ、俺をつけりゃいいってもんじゃないよな」
「君さあ俺の女にならない」
「ジョーダンじゃないわよ」
(こんな言葉へ進んでいったかもしれません)。

2014年4月2日水曜日

「素粒子」


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四月一日エイプリルフール。
いつも嘘八百なのにこの日帰宅し、ふと思うとウソをついていなかった事に気づいた。
正直者だったのだ。

大増税の日、この筆者の文章には消費税はかからない。
朝日新聞夕刊の名物コラム(?)というよりは、与太話、酔っ払いの戯言。
おそらく現在の日本において最も高い文章といえるだろう。
決して質が高い訳でも、格調が高い訳ではない。

コラムの名を「素粒子」という。
宇宙の中のチリのようなものだが、一日わずか150文字位(句読点含)で年収ン千万を得ているという。このコラムと「天声人語」、それに「社説」を担当することが朝日新聞の記者の頂点だという人もいる。

で、消費税が上がる。武器輸出三原則が破られる。STAP細胞の問題を小保方さん一人に背負わす理化学研究所のノーベル賞受賞者(理事長)や調査委員会の無責任な面々の記者会見。みんなの党の渡辺喜美代表の八億円熊手問題などなど重要なテーマがあるにかかわらず、こんな与太話を書いていた。

読んでない人のために書いておく事とする。
「素粒子」□大きなものには、みなその名をつけた。宝くじもプロゴルファーも。そんな時代を運び。ジャンボ機最後の離陸。
☆□時流は世界に広がりCO2は噴き出し。温暖化の後戻りも難しく。生物は絶え食料が不足し、どうなる沖ノ鳥島。
☆□後戻り出来ぬ増税の時世。きょう新生活を始めた若者の気分やいかに。いいさ、ジャンボ時代はもう来なくても。

以上である(大切なテーマもあるのに)、さてこれをシラフで書いたのだろうか。
丸谷才一氏の「女ざかり」や元朝日新聞記者の「たかが朝日、されど朝日」を読んでいただければ堕落を極める論説委員だか解説委員だかの実態が分かるはずだ。
日本国からジャーナリストやジャーナリズムが消えて久しく全く期待していないが私は特にこの素粒子だけは許しがたいと思っている。

昼ごろ出社、一流ホテルで高級ランチ(女性と一緒)高級ワイン。
ちょいと出社しチロチロ書いて退社→高級料亭や高級寿司店、高級レストランへ。
その後高級BARでホラ話をし、次に高級クラブで得意の与太話、その後ハイヤーでご帰宅か高級ホテルにしけ込むのが定番メニューなのだとか。

ザケンジャネエってんだよと日々怒っているのだが、一応情報ネタも朝日新聞にはあるので購読しているのだが一考せねばならない。
他の新聞も等しく一考せねばならないのだが渡世の義理もあるので購読を続けなければならない新聞もある。
勿論朝日新聞に有能かつ正義感ある人も多い事は分かっている。

ちなみにこのブログは四月一日エイプリルフール内の午後十一時四十六分二十二秒に書き終えた。一日の最後に一つウソをついたかもしれない。
テレビのニュースでみんなの党の渡辺喜美代表が“声が出なくなった”ので顔を出せないとの事であった。この政治家は完全に終わるしかない。
これは“ウソ”に決まっている(エイプリルフールだからかな…(?))。

必ず来る増税不況の中、どうやって私たちは生き残っていけるか、与太話を相手にしている場合ではない事に気づいた。あらゆる世界が重大な時代になった事を真剣に考える事とする。

いつものグラスに酒を注いだ。夜明けまで時間はある。
冷やしたトマトを四分割して塩をかけた。

2014年4月1日火曜日

「トドメの桜」




風流な人とは実は天邪鬼であったのだろう。
花見と言えばみんな上を見てウァーキレイ、ウワァーサクラダなんて至極単純に喜ぶ。
風流人といえば、散る桜の方が好きだから下を向いて花見をするなあんて言うのだ。

桜満開の季節は大嫌いだというのは、大きな会社の人事部長や人事課長たちだろう。
花に嵐にたとえもあるさ、さよならだけが人生だなんて、人事で冷や飯を食わされ遠くへ飛ばされた人たちが、桜を見ながら「恨み酒」を飲む。

あの人事課長めオレの事色々告げ口しやがってオボエテヤガレとか、アノ人事部長め盆暮色々贈ってたのにオレの事ヒデエー査定しやがってオボエテヤガレとか、大声で叫んではウルトラ悪酔いをする。

こういう人たちは風流な人とは程遠い人たちで、桜の花などを見ずしてひたすら絡み続けて遂には警察に保護されたりする。
留置場に泊められても悪態を晒し、何がさよならだけが人生だ、フザケンなと暴れた後一気に眠りに入り猛烈なイビキをかき、他の留置人たちから質の悪いサラリーマン野郎だ静かにしろなんて叱られるのだが、本人は朝までゴーゴーと眠る。

朝、看守から起床の掛け声を浴びせられてここはどこですか、私はどうしたんですか、なんでここにいるんですかと泣き声になる。
桜の木を何本も折りやがって、会社クビになるぞクビに、と脅されて塩を掛けられたナメクジみたいに縮こまってしまうのだ。
上野や千鳥ヶ淵、青山墓地や新宿御苑などの桜の名所付近の警察のトラ箱は満杯状態となるのだ。

私は夜桜の花見が大の苦手だ。
何度かやったことがあるが風流な思い出や、いい思い出はなかった。
ブラブラ歩きながら、オッこんなところに桜の木があったのか、オッこんなところに小さな桜の木だけどいい感じだな〜、オッあんなところにキレイな花筏が流れているではないか。そんな発見をするのがこの季節の楽しみだ。
花見はキョロキョロするものと思っている。

私の知っているある風流人は(?)花見を一度だけするらしい。
桜前線の最終章、東京から北海道の果て稚内に行き、これより先に桜を見る場所はなしという所にポツネンと咲く一本の桜を見てワンカップ大関をグイと呑む。
つまみは名物トドの缶詰で、これぞトドの詰まりだとか、トドメの桜だなどといって悦に入るのだという。ウソかマコトか見た事は一度もない。
一緒に行ったという人もいない。だが本当だとすると風流の極みではないだろうか。
稚内→ワッカナイ→ワカンナイ…。

2014年3月28日金曜日

「冗談じゃない話」


野口哲哉 Rocket Man 2007年


想像を絶する人の、想像を絶する作品に出会うと、私の様な浅学非才の人間にはその驚きをどう表現したらいいのか全く言葉が見つからない。

三月二十七日午後五時、元サントリーの宣伝部長であったワカチョーさんこと、若林覚さんが館長をしている練馬区立美術館に行った。
元電通のキャスティング部長でサントリーを二十数年担当していた現イー・ユニット社長の江原立太氏と、サントリーの広告で名作を数多く手がけたアートディレクターの井上嗣也氏と三人で「野口哲哉展—野口哲哉の武者分類図鑑—」展を見るためであった。 

1980年香川県高松市生まれ、広島市立大学芸術学部油絵科入学、同大学大学院卒。
三十五歳という若さである事を知り三人共言葉を失った。
博覧強記の若林覚さんから説明をしていただき、驚きは強烈な驚きに変わっていった。

とにかく何とその驚きを表現したらいいのか分からないのだ。
超絶天才、細密天才、功微天才、巧妙天才、冗談天才、平面立体天才と思いつく言葉は全て天才につけられる。

わずか10センチとか15センチの武者たちがまるで生き返ったかの様に作られている。
顔の表情、手の動き、足の指の動き、鎧兜は徹底的に精密に作られている。
髪の毛一本の動きも信じられないテクニックで作製されている。
武者絵については同時に展示されている国宝級の絵をはるかに凌ぐほどだ。
木に、紙に、何百年の月日を経て来たかの様に描かれている。
一つ一つの立体、一枚一枚の絵にはユーモアのセンスが満開だ。

国内外での評価は並みいる大家より高い。勿論大きな作品もある。
大きい程お驚きは当然大きくなる。
何だか世の中つまんねえな、何かびっくりしたいな。こんな人は是非観に行って下さい。ウソ、ホントかよと笑っちゃう、何だこの作者は空想世界から来た宇宙人ではないかと思うこと100%保証付です。

冗談は本気でやらねばならない事を真正面から見る事が出来ます。
何やってんだよ、冗談は髪型と顔付きとにしておいてくれ。

口先ばかりのアジェンダ男、渡辺喜美(みんなの党代表)が土下座して8億円も借りて自分の都合のいいように使いました。
酉の市の熊手を買いましたなんて記者会見で喋っていた。
こんな冗談がまかり通ったらこの国は本当にお終いだ。
みんなの党は渡辺喜美の“女房の党”になっちまっている。
有能な浅尾慶一郎さん、どうしようもない男の代表の代表を断捨離した方が仲間たちみんなのためだ。

せっかく野口哲哉展で久々高級な冗談にあったのに、低級な熊手買い話で言葉を失ってしまった。野口哲哉展は四月六日までです。
現在友人のテキ屋に8億円で酉の市の熊手がいくつ買えるか計算してもらっています(冗談)。

2014年3月27日木曜日

「消費税増税寸前」


ポストに入っていたチラシたち


白いマスクをしたオジサン、オバサンがデパートやスーパーに雪崩をうって入り、目を血走らせて消費税増税前のセールに殺到する。
怒声と叫声と歓喜の声が飛びかかっている。

その光景を見ると恐怖すら感じる。
意地でもそんな事はオリャーしねえぞと覚悟を決めているのだが、郵便ポストに毎日の様に小さな一色刷りのチラシが入っている、当然消費税増税前への誘惑だ。

ドライクリーニング、ドライ品全品10%割引。特選牛肉に限り三日間半額。
スポーツジム入会金割引。庭の手入れお早めに。ペットのトリミング割引。有機野菜いきいき割引。等々なのだがやっぱり気になってくるではないか。

クリーニング冬物早めに出すかとか、週末牛肉買ってくるかとか、相変わらず意志が弱い自分にガックリするのだ。
この手の話には普段全く無頓着なのにやはり歳のせいだろうか。

どこへ行っても消費税、消費税の文字が踊る。
オレも白いマスクをしてサケ缶、牛肉大和煮缶、サバ水煮缶、コンビーフ、オイルサーディン、イカ丸煮缶、鯨肉缶を買い漁るか。まるでキャンプに行く前みたいに。
 
デパートやスーパーに殺到しているのは戦後の貧しさを味わった経験がある年代が多い。
私もそうだが何より飢餓に対する恐怖心が身に染み込んでいるのだ。
小学生から中学生になった時、二泊三日の夏休み林間学校なんていう時に、決められた額の中で友だちと買い物に行った。缶詰はキャンプの王様の味だった。
飯盒で炊いたご飯に缶詰は生涯忘れられない。

きっとオジサン、オバサンたちはその味を求めてぎゃー押さないで、ヤメロイテエじゃねえか、ソレワタシの取らないで、何すんだバカヤローなんて争っているのだ。
やっぱり白いマスクは止めにして騒ぎが収まるのを待つこととしよう。
意地でもと思いながら、冬物のジャンパーや、カーディガンや、マフラー類を大きな紙袋に入れている。

ピンポーン、誰(?)塗装屋ですが外から見ると壁がかなり変色してます、今なら消費税込みでキレイにしますよとオジサンは言った。
いいんだよ、ワビサビなんだから、古くなって行くのを楽しんでんだよと言ったら、(?)(?)の顔をしてそんじゃまたと去って行った。
もしかしてシロアリ退治も来るなと思った。

一円でも無駄に使いたくないという天下騒乱の中でこの国では、まだ食べれるのに破棄される「食品ロス」が500800万トンというではないか。
食品業界では賞味期限までの期間の三分の一を過ぎると小売店に納品せず廃棄するのだ。大量の食品が店頭に届かないまま無駄となっている。
この際在庫一斉セールを行ったらどうだろうか、消費税ゼロ、まだまだ美味しく食べれる期間切れ寸前セールを。

ワタシなんか賞味期限なんて見た事もなく食べているが腹を壊した事なんか一度もない。自分の嗅覚を信じている。
この国は実のところ融通の利かない食品無駄捨て大国なんだ。
この間買ってきた「おはぎ」は少し固くなっていたがどうしてなかなかいい味だった。我々世代を「ガッツキ世代」という。

2014年3月26日水曜日

「少年と少女を守る者」




ある年、私は横浜少年鑑別所にいた。
といっても私が入っていたのではありません。

高校時代の友人が日本テレビの報道番組のプロデューサーをしていた「聞け非行少年の声」という政府提供の番組のレポーターとしてお前やってくれというから、俺でよけりゃと引き受け、二日間起床から就寝までレポートした。

ある少年はただひとつの物を盗んだだけで少年院送りとなった。
ションベン刑といえる小さな犯罪であった。
身元引受人がいれば保護観察処分であったがその人間がいなかった。
少年は四国から出て来ていて両親はおらず、親戚は知らない身であった。

ある少女はわずかなお金を盗んだ。二度三度と捕まっていたので少年院送りとなった。
親がそれを求めた。お金持ちの家の子であった。
少年院で治してやって下さいと審判官の前で頼んだという。

少女にインタビューすると、あのクソババア出て来たらぶっ殺してやると言った。
学歴を自慢し、気取っている父と母を困らせてやりたかったから友達のお金を盗んだのだ。

三月二十五日夜帰宅しテレビのニュースを見ると、今や過去の人となった前東京都知事の猪瀬直樹が、地検の取調べで五千万円は本当は選挙の資金で借りました。
嘘ついてごめんなさい、だからブタ箱にはいれないでと全面降伏し、結局在宅略式起訴となるというではないか。

なんだったんだあの大騒動は、法の下では平等に裁きを受けなければならないのに、これにて一件落着となった。
このニュースを見ていて、鑑別所で会った少年少女たちを思いだした。
千円、二千円で少年院に行く子たちと余りに違う大人たちの行いではないか。

謝って済むなら警察はいらねえんだよ、なんて少年少女をパクッた警察官は吠える。
前知事がどうやって謝ったかは知ることは出来ないがきっと取調べをした検事たちは、ザマーミロと溜飲を下げていることだろう。

それともチクショウ、ブタ箱入れたかったが上からまた押さえ込まれてしまった。
虎ノ門の一杯飲み屋でヤケ酒とタコおでんで悔しい一夜を過ごしたやもしれない。
法の下に正義なんてネエーんだよなんて悪酔いしているやもしれない。

最近行かないが虎ノ門に「升本」というタコおでんが評判の店があった。
そこには“やけ”に法の番人たちが来て“ヤケ”酒を飲んでいた。

一人の人間がヤケッパチになって密告しなければ、五千万は何事もなく前知事のポッポに入り、オイラの天下だ、ガッポリ行くぞ東京オリンピックへとなっていただろう。
せめて「老年鑑別所」位へは入れないと少年少女たちへ申し訳ないだろう。

ところでとんと名が出ないが舛添要一都知事は何してんだろうか、きっと自民・公民のいいなりなのだろう。八万だか十万だかの養育費を払わないので訴えられていたのだが(当選したから払う事にしたのかも)前妻が生んだ我が子は障害を抱えているというのに、ケチな野郎だぜというより、語るに足らずの男だ。
警視庁はこの男の権力下に在る。

親たちに告ぐ、少年院に送って非行が治ったという話は殆ど聞かない。
こんな事件を起こしたのは、私たち親が悪かったのです。
少年院だけはご勘弁をと親が審判官の前で土下座したら一度は送られないで済む。
子を救うのは親の愛でしかない。権力やお金では絶対に解決はしない。