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2014年5月23日金曜日

「田中凛太郎さん」




銀座の仕事場。
「もしもし、○△だけど今何やってんの」
「今ね、仕事しながら大相撲を見てんの」
「時間があったら飲みに来ない、以前話をした電通出身でさあ(新聞雑誌局にいた)ロサンゼルスで写真撮っているカメラマンと一緒なの、紹介するから来ない」
「えっ、あの革ジャンとアロハシャツの写真集を撮って自分で出版した人?」
「そう田中凛太郎君」
「会いたい、会いたい、仕事片付けたら行くから」
「明日朝から出張だからなるべく早くね」
「はい、分かりました」

お世話になっている広告代理店の社長からの電話であった。
大相撲が好きなので仕事中はテレビを付けっ放しにしている事が多い。

人に会うのが私の仕事、それもぜひ会いたいと思っていた写真家がロスから来ている。
行かないでなんとすると地図を持って茅場町へ。

おっ、こんな所にこんないい店があったのかと思う気の利いた和風料理店、○△さんはと一階で言うと、お店の女性にお二階ですよと案内された。
畳の上にテーブルと椅子席(四人掛)が確か四つあった。
他にお客はいなかった(後で三人来た)。

入り口の席に社長さんと田中凛太郎さん。
タイ人とベトナム人とフィリピン人を合わせた様な感じ、年は四十三歳とか。
陽灼けした顔、長い髪、ムエタイのチャンピオンの様だ。
体は普通の日本人の体型であった。

この人は凄い、ありとあらゆる革ジャンを集めて一大写真集に。
またありとあらゆるアロハシャツを集めて一大写真集に。
それも自費出版、ゴッツイ厚さである。日本の出版界で今、写真集といえば30005000部売れたら大ヒットだ。田中さんは初版15000部位を売ってしまったのだ。

自分で集めて、自分で撮影して、自分で出版するという奇跡的な人。
アロハ大好きな私にとってアロハ写真集を初めて見せてもらった時は鳥肌がチキンチキンに立った。どれも素敵なアロハばかりであった。

で、田中さんはというと、実に気がつく人で、グラスに氷を入れてくれるわ、水を入れてくれるわ、料理をあれこれお皿に乗せてくれるわでびっくりしてしまった。
慶応大学を出て電通に入社したのだが、四年で辞めて写真家への道を進んだのだと。
いいねえこういう人は。お母さんが心臓の手術をした後「うつ」ぽいというので「うつ」専門家的私はいろいろ話をした。

初鰹、コンニャクイモ、山菜、煮干しみたいな小魚の焼き物、野菜の煮物を三人で分け合い食べ合った。どれも旨かった。

話はやはり次の写真集の話に。
田中さんはコールマンのランプの灯りを集めて夕方から夜にかけて自然光で様々なシーンを撮っているのだとか。目は少年の様にキラキラ輝き続けた。
今日金曜日にロスへ帰る。住まいが横浜というので一緒に東海道線に乗った。
社長さんとは茅場町でお別れした。じゃあね〜また来週と言ってサヨナラした。

その二日後夜遅く帰宅すると、愚妻がなんだか重たい物が届いて来てるわよと小荷物を指した。伝票を見ると田中凛太郎の名前、もしや、もしやと荷物を開けて見ると、ジャーン、ジーンズ地のオシャレなかばんの中に二冊の写真集が入っていた。
深夜であったが携帯に電話をしたら留守電だったので御礼を残した
朝九時頃電話が入った。写真集ありがとう、また会いましょう、写真集頑張ってと言って電話を終えたのだ。

五月二十二日の事である。
http://myfreedamn.com/ 是非調べてください感動指数100%です。

2014年5月22日木曜日

「横浜線にてゴツンとグスン」




私は田中将大投手の大ファンである。
実のところ早く一敗しないかと心を込めて祈っていた。
日本通算34連勝、今度のシカゴ・カブス戦に勝つと途方も無い35連勝だ。
いくらなんでも勝ち過ぎる。好事魔多しという言葉がある。
早く一敗しないと何かとんでもない事が起きるやもしれないと心配していたのだ。

20日カブス戦、雨降りしきる中、34回に各1点、6回に2失点、7回の打席で代打を送られて敗け投手となった事を夕刊で知った。
あ〜良かった、これで心配の種が一つ無くなった。
次の登板から35連勝を目指してほしいと願うのであった。

将棋の名人戦で羽生善治(三冠)、挑戦者が森内俊之名人に4連勝して名人位を奪った。
どこまで強いのかこの人は。
無敗の全勝横綱白鵬が豪栄道にアララの敗けを喫した。これでいいのだ。
大飯原発再稼働はマカリナランと地裁が原告を勝訴にした。
厚木基地上空騒音問題で自衛隊は飛んだらイカンという事になった。

勝負の世界や裁判に、勝ち敗けはつきものだ。敗けて学べの格言もある。
常勝は必ず大きな不幸を呼ぶと歴史は教える。
独裁政権がグラグラしはじめた。

昨日午後三時頃私は淵野辺駅から横浜駅に向かう横浜線に乗車していた。
乗車口側の三人掛けに座っていた。隣に256歳の女性が座っていた。
その隣には大学生とおぼしき若い男が座っていた。
女性の前に身長180センチ位のすこぶるいい男が立っていた。

淵野辺駅を出てしばらくすると、女性がグスングスン泣き出した。
男は少し低い姿勢となって膝頭で女性の膝頭をゴツンゴツンとやる。
黒くて長いつけまつげの下のちんこい目からゴツンゴツンとされるそのたびに涙がポツンとたまりスーッと落ちる。

私は政財界情報誌を読んでいた。
電車が東神奈川に着こうかという時、男がはじめて言葉を口にした。
40分間位二人はゴツンゴツン、グスングスンだけだったのだ。

「敗けたよ、泣くなよ」とポツリ言った。
私の目の前に車額ポスターがあった。竹野内豊が缶コーヒーを持っていた。
キャッチフレーズは甘い香りと大きくノサバッテいた。
若い男女に甘い香りが湧き上がる事を願った。
喧嘩するほど仲がいい、嫌なら喧嘩をするもんかという小林旭の歌がある。

ポール・マッカトニーが体調不良で全ての公演をキャンセル、この間行っておいて良かった。主催者はトホホのホだな。雑誌には嘘か真か面白い記事が書いてあった。
オバマ大統領は「すきやばし次郎」で“赤身”は口にしなかった。ホ
テルに帰って“白身”の寿司を食べたとか。
おまかせは口に合わなかったのか、それとも話し相手が口に合わなかったのかもしれない。

2014年5月21日水曜日

「北村道子さん」






レイモンド・チャンドラーの代表作を日本風にアレンジしたドラマ、その名も「ロング・グッドバイ」毎週土曜日夜NHK総合、五週連続の放映であった。五月十七日で終わった。

どうせたいした作品ではないだろう。
日本人にはフィリップ・マーロウ(私立探偵)を演じだす事は無理だろうと思ったからだ。

まあ見てみるか、第一回を見た事、スタッフのクレジットにスタイリスト「北村道子」の名が出た。オッオッオー北村さんとは若い頃一緒に仕事をさせて頂いた。
日本の広告界、映像界で北村道子を知らなければモグリといえる。
美しさと可愛さと、鋭さと怖さが独特のオーラを放っていた。
凄い読書家で勉強家、名文家でもある。

第一回〜第五回全て見た(深夜の放映も含めて)ドラマの内容より、北村道子のスタイリングの素晴らしさに久々に驚嘆した。
ドラマは東京オリンピックを間近に控えた昭和三十年代が舞台だ。
探偵→浅野忠信、人気俳優→綾野剛、売れっ子の小説家→古田新太、その妻→小雪、政治家→柄本明、その娘→冨永愛、刑事→遠藤憲一、他に雑誌記者、娼婦、ヤクザ等など。

さすがに予算のあるNHKは北村道子のスタイリングに全面OKだったのだろう。
一人ひとりの役者たちに絶妙なスタイリングをしていた。

アンニュイ、デカダンス、耽美とエロス。
オーバーコート、スーツ、Yシャツ、ネクタイ、ワンピース、マフラー、ショール、インナー、ソックスに靴、フォーマル、パーティドレス、時計、カフスボタン、ブローチ、一話一話でスタイリングは変わる、そのどれもがパーフェクトだ。
素材選びは秀逸だ。

浅野忠信はこの作品でハマリ役を生んだ。
リーゼントがスーツによく似合い実に良かった。

北村道子は世界で通用する唯一無二のスタイリストといっても過言ではないだろう。
ヒラペッタイ顔の小雪のファッションが一つ一つ憎い程良かった。

ファッションに関心のある人は、いつか再放映されるだろうからその時は決して見逃さないで下さい。スタイリングの教科書です。
長い間お会いしてないのですが、心より敬意を表すのです。(敬称略)

2014年5月20日火曜日

「トンネル」


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誰だか忘れたが手帳をパラパラとめくっていたらこんな一行が書いてあった。
「運命は性格の中にある」芥川龍之介だったかもしれない。
博学の徒なら分かるはずだから気がついたら教えていただきたい。
グサッと刺さる言葉だ。

何か上手くいかない、何だかツキが回って来ない、何もかも面白くない。
そんな時、親のせい、兄弟姉妹のせい、会社のせい、上司のせい、気に入らない同僚のせい、クライアントのせい、あの野郎のせい、自分が持って生まれたDNAのせい。
要するに全ては自分以外のせいで片付けている人には、運命は複雑に動くのだろう。

私も運命にため息をついた時、あっちこっちのせいにしては「せいせい」させていた。
人間は運命線の上を走っているのだから長いトンネルに入ったり、落石にあったり、脱線したりする。
そんな時は乗っていた列車を降りて道路の上を歩くといいと分かったのは、実はつい最近だ。この事に気がついたらずっと見えていなかった自分が見えて来た。


時すでに遅しの感がするのだが、その見えて来た法に従って行こうと心を決めた。
私の性根と性格の悪さは治るはずがない。ならば、何故今日これまで生きて来られたかを振り返ってみる。

午前一時四十七分四十一秒。
いつものグラスにジンビームを入れた。ストレートで一杯。
喉から食道を通り胃袋に熱い液体が通過した。トンネルの中を列車が通過する様に。

2014年5月19日月曜日

「人間はやさしい」


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五月十七日(土)快晴なれど風強し、船橋市立夏見台小学校の広い運動場には万国旗がXに交差し、風に吹かれて音を立てているのを見ると、子どもたちを応援している様であった。紅勝て、白勝てと。

この日は私の愛する娘の子、二人の孫の大運動会であった。
五年生の女の子、二年生の男の子。前の日から泊まり込みであった。
全校生徒は700人位とか、オジイチャン、オバアチャン、お父さんにお母さん、兄弟や姉妹がいればその人たちも応援に来ている。

一人の子に4人から6人位の応援の数だから約3000人近くが来ていた事になる。
「リレーに出るから見に来てね」「組体操の上に乗るから見に来てね」の連絡があった。勿論運動会には必ず行く。

友人の奥さんが62歳で亡くなり幡ヶ谷でお通夜があった。
このところ若くして亡くなる人が多く辛い。
会社の人間4人と出席し、幡ヶ谷のお寿司屋さんで献杯をした。
それを終え船橋に向かった。

運動場の子どもたちはみんな明るく、元気であった。
この子たちの未来が平和である事をつくづく思った。
私の側で何人かの女性が大声を出して最終種目のリレーを応援していた。
紅・白各三人ずつ、五年生と六年生は一周150メートルだった。

キャー、ギャー、ガンバレ!キャー抜いた抜いた、勝ったぁ〜良かった〜とメガネをかけた女性が絶叫し、泣きまくった。六年生で一人とんでもなく速い子が走った、そのお母さんだったのだろう。

負けていた白がリレーで逆転した。白の勝ちとなった。
孫の女の子は紅で悔しいとなり、男の子は白が勝ったと大喜びだ。
今、世界はあちこちで戦争の火種を生んでいる。

小学校の万国旗は、日本も、中国も、ロシアも、韓国も、米国も、ベトナムも、タイも仲良く等しい間を保って子どもたちを見守っていた。

おにぎり、玉子焼き、ウインナー、鶏の唐揚げなど四段重ねのお重箱には運動会定番のメニューが入っている。これ以上旨いものはない。
大人たちもこの日ばかりは喧嘩したりはしない。

一人の男の子が不自由な体ながら一歩一歩進み、トラック半周をちゃんとゴールした。
運動場全体がその子を見守り続けゴールと同時に全員が拍手を送った。
心から感動した。人間はみんなやさしいんだ。

2014年5月16日金曜日

「無力こそ」




老人たちは祈り続ける、神様お願いします、お願いします。
土に頭をつけてどうかクジラが来ます様に。

インドネシアの小さな島にある小さな集落。
そこには4050人ほどしか住んでいない。木製の船が海岸の直ぐ側に10隻ほどある。
遠い昔の生活がそのままある。

漁師を父親に持つ11歳の少年は、銛を刺す名人の父親に憧れている。
この島では物々交換だ。漁師が獲って来た魚や、漁師の妻たちが作る塩と、山の民が作る野菜や果物やトウモロコシや米と交換する。

船には10数人の漁師が乗る。
マグロ、マンタ、シャチなどを手漕ぎで追い、一本の長い木の先につけた銛で体ごと飛び込み突き刺すのだ。

彼等にとって何よりの獲物はクジラだ。
一頭のクジラで集落のみんなが長い間生きていけるのだ。
かつては一年に数十頭近く獲れた年もあるというが、近頃は二、三頭なのだという。
クジラは捨てるところは一切ない。一番いい部位ははじめにクジラを見つけた者に、次には銛の射手に、後はそれぞれ公平に分配されていく。

少年には二人の妹、一人の弟がいる。
父の様になりたいと海に浮かべた丸太を目がけ、岩の上から自分で作った銛を体ごと刺す練習をする。海が荒れ漁が出来ない日が続くと、妻はずっと大切にとっておいたクジラの乾かした肉を小分けにして山の民の村に向かい、食料のバナナやトウモロコシと交換する。

全てが原始的なのだが現代社会が失ってしまった大切な文化がある。
公平、平等、質素、夫婦の役割に対する尊敬、それと平和だ。
時に何袋もの塩を両手に持ち頭の上に乗せ何時間も歩き市場に行く。

少年は運動靴が欲しいと母親にいうが、今日は妹の靴だけよと言われる。
少年は朝早く起きて学校に行く。父親から漁網の作り方を教わる。
妹たちは母親から塩の作り方を教わる。現代人が失った底抜けに明るい笑顔が並ぶ。

神様に祈ってもクジラはずっと、ずっと現れない。
男たちは黙々と船を修繕し、銛を研ぎ、クジラを待つ。

私はこんな人たちに憧れるのだが、私は何も出来ない。
全く何も出来ないのだ。能書きだけで生きて来た男なので、ターザンとかロビンソン・クルーソーとか、小野田寛郎さん、植村直己さんみたいな人には心底敬意を表すのです。海の民、山の民、畑の民、縄文人と弥生人は仲良かったのです。

先夜あるドキュメンタリーフィルムを、いつものグラスに氷を入れ、ジンビーム+ウィルキンソンでハイボールを作り、ゴクリと飲みながら観たのです。
そして大好きな縄文人に思いを馳せたのです。
何でも有るより、何も無い方が人間らしいのです。
「無力」という極意です。

忘れてならないのがグアム島で生き続けた日本兵、横井庄一さん。
帰還後に「耐乏評論家」という仕事を生み出しました。今こそ横井さんの生きる知恵が必要なのです。耐乏論が“待望”されるはずです。




2014年5月15日木曜日

「ガジル」




裏社会では、人の物を奪い取るとか、脅し取る事を「ガジル」といいます。
あいつは人の物をガジってばかりいる、マッタク嫌な奴だぜ、特に先輩風を吹かせて後輩からガジル、権力の力を借りて弱い者からガジル、そんな奴が多くいます。

今、国家権力が国民からバンバン、ガジリ始めています。
消費税増税、老人医療の事実上値上げ、大学病院などの初診診療の値上げ(紹介状なしの人に)、電気代、ガソリン代、インフラへのガジリ、相続税への増税(タンス預金をガジル)ありとあらゆる物への増税、そしていよいよ年金の支給を75歳になどという究極のガジリだ。

92歳まで生き抜かないと、60歳から年金を受給している人と並ばない。
92歳までに増税、増税でゼイ、ゼイして呼吸困難で死んでしまう。

表の社会でガジリが公然化して来た。
残業代なし、いつでもリストラOK、イカサマの地域限定正規社員、遂には憲法までガジリ出して立憲主義を丸ガジリへ。憲法のインチキ拡大解釈へ。

戦争へ一直線、ここに来て中小企業は悲鳴を上げる。
生き抜けない、逃げるしかないと追い詰められている。
大企業や銀行たちは軒並み最高益を発表、預金者の金をガジリまくっている。

虎ノ子の年金基金も権力にオドシをかけられ、株を買えとなって来た。
ドーンと下がったら、バーンと130兆円近い年金はパァーになって行く。
実質賃金は下がり続ける。中小企業は厳しいのだ。
貿易収支は日銀の予想を裏切り大赤字。

ガジル奴らを許してはならない。無関心は絶対にいけない行為だ。
私たちの出来る事は、日々誰が何をガジったかしっかりチェックしておく事なのだ。


2014年5月14日水曜日

「開かないがま口」




あいつは使える、器量がある、きっといい親分になるだろう。
そういわれる男に共通している事がある。それは金の切れがいい事だ。

渡世人の世界では、自分より上の人間や、下の人間には身銭を切って尽くし、身銭を切って愛情をかける。これが器量だ、同じ座布団位置の人間(同格の人間)とは行って来いで貸し借りを決して作らない。

相手が50万使ってくれたら、次は50万使って返す。10万なら10万、5万なら5万と。
一度でもその関係を崩すと、あのヤローは銭にブシイ(渋い)奴だぜ、あいつには気をつけろ、必ず銭の方に顔を向けるからなと、安い男に見られてしまう。
また、銭のためならどんな仲間や先輩、後輩の事もチンコロ(密告)する。
男と男は命と命をやりとりするから、相手が何より金にキレイか、銭に汚いかを見抜かねばならない(幸い私の周りには使える人間ばかりです)

これは一般社会でも同じだ。いつも人のふんどしで相撲を取る奴、人のフトコロでメシを食い、酒を飲む奴にはろくな人間はいない。先輩に心置きなくお金を出してもらったら、後輩には少しばかり見栄を張っても旨い物、旨い酒、面白い遊びを教えてあげる事だ。

この頃は上司や先輩と酒を飲むのが嫌だとかいう若者が増えているという。
男と男は馬鹿を見せ合ってこそ心が通う仲となる。銭離れの悪い人間はいつも自分の自慢話、昔話をする。その人間には過去しかないからだ。
大恩ある人や先輩や未来ある後輩のためには、借金もいとわない、そんな人間がすっかり少なくなった。

勘定精算の時、いつもシカトをしている人間には絶対人はついていかない。
ウソでも今日は私が、今日はオレが、今日は自分がと言える人間になってほしい。
とにかく、遊べ、遊べ、遊べだ。先輩にたかればいんだから。

夜の世界は人や会社の金で飲み食いし、自分の金の切れの悪い人間を腹の底から馬鹿にしてこう言うのだ。あの人はズック(クズ)だからとか、野次馬(ヒトダカリ)だからとか。開かないがま口とか。

私はそんなレベルの高い表現は出来ないので、ただみっともねえ奴と呼んでいる。
新入社員も少しずつ会社の風景や人間が見えて来ただろう。
より深く知るには、やはり夜の海に出よだ。私と一緒に海に出たければいつでもご連絡を。心よりお待ちしております。勿論勘定は私が払います。
あまり高いところはダメだけど。



2014年5月13日火曜日

「1円の価値」






CNNのテレビ電子版などの報道によると、約720億円かけて造られた空母サラトガ(56000トン)がテキサスの解体業者にわずか1セント(約1円)で売却されると発表した。

19651994年まで現役だった。航空機90機を運搬出来る。
ベトナム戦争や湾岸戦争などに出動した。過去にも同様のケースがあったとか。

歴戦の強者も時代遅れとなり、お役御免となった様だ。
維持費も掛かり過ぎる、廃棄費用も数億以上かかる。退役空母は無用の長物なのだ。


こんな記事に触れると、我と我が身も同じに思えて来る。
かつては若く、全身を凶器の如く鍛え続け、怖い者なしの乱暴狼譜者であった。
いかなる敵にも臆する事なく戦うだけの気力、体力、馬力が漲っていた。
だがしかし今は“ふりしぼる”そう何もかもを“ふりしぼる”事に専念している。

今流行中のディズニーの映画(アナと雪の女王)の主題歌の一節「Let it go」「ありのままで」をモットーに。ありのままの姿をさらけ出す。
そして誰も作らなかった作品を世に出し、ドーンと風穴を空けてやるんだと“ふりしぼる”のだ。残りわずかとなったマヨネーズを絞る様に。

私に1セントの価値有りと思ってくれる人のために全力をふりしぼる。
1 円を笑う者は、1円に泣くという。価値ある1円になりたい。






2014年5月12日月曜日

「ウィスキー・ボーイ」




吉村喜彦、有美子さんという素敵な夫婦がいる。
ハートビートのロックンローラのパッションと、ファンキーなサウンドを身にまとった実に仲良い夫婦である。

吉村喜彦さんは京都大学を出てサントリーの宣伝部に入った。
3200倍の超狭き門であったとか。
人気の宣伝部には吉村喜彦さん一人しか配属されなかった。

現在は奥さんがプロデューサーで、吉村喜彦さんが小説家だ。
既に何冊も出版している。
また現在NHK FMで「音楽遊覧飛行〜食と音楽でめぐる地球の旅〜」の構成・選曲・ナビゲーターをつとめている。 

17年間サントリーにいて退社後、17年間小説家を営んでいる。
サントリー時代には幾多の名作CMや名作広告を世に出し、あらゆる広告賞を得た。
そんな吉村喜彦さんがサントリーウイスキー作りの「ウソ」を許しがたき、愛する会社のためならずと、世に放出し、広島支社のビール販売に放出される。
だが、持ち前のガッツと正義感と酒を飲み乱れまくる事を味方にし、営業成績をあげる。

そして再び不可能といわれた宣伝部復帰を果たす。
お前帰って来いという良き先輩上司がいたのだ。

そのエピソードなどを、フィクション仕立てにして201458日「ウィスキー・ボーイ」をPHP文芸文庫から出した。初版が16000部というから人気なのだ。
前作に「ビア・ボーイ」がある。サントリーオールドは単一ブランドで世界一であった。

最盛期には1300万ケース位を売っていた。だが今はその10分の1位ではないだろうか。
なぜそうなったかの話が「ウィスキー・ボーイ」の中に書いてある。

勿論フィクションなので名前は違う。登場人物も違う。
サントリー関係者ならあの人だ、あいつだ、あのヤローだと想像はつくはずだ。 
59日サントリーに縁の深い巨匠や、友人と京橋の焼鳥店で出版祝いをした。
オレついにサントリー全社員、全OBたちを敵に回しましたよと吉村喜彦さんは言った。
どうやら奥さんも筋金入りの戦友だ。

通称“ヨシヤン”は現在60歳。
いただいた本には「衆妙の門は玄なり」とサインしてあった。
その意味は、宇宙の中心は暗黒なのです。そうしてウィスキーは闇の子どもたち。
その闇は鮮やかな生命をもつ、光輝く闇なのです。と、まあそういうことであった。

この「ウィスキー・ボーイ」の一冊の中には会社という入れ物、その中で生きる麦芽の一粒一粒、トウモロコシの一粒一粒のような人間たちの生き様がある。
ウィスキーは元々ビールから生まれた。
アイルランドのケルト人たちは税金逃れのためにそれを木の樽に入れて隠した。
それが月日を経て開けてびっくり、琥珀色のウィスキーとなっていた。

夫婦で正義のためにケツをまくる方策を練るところは実に爽快であった。
サントリーはそのおかげか、現在「山崎」とか「響」とか「白州」というウィスキーの名品を世に送り出している。

歴史の影には必ず「闇」があるものなのだ。