銀座の仕事場。
「もしもし、○△だけど今何やってんの」
「今ね、仕事しながら大相撲を見てんの」
「時間があったら飲みに来ない、以前話をした電通出身でさあ(新聞雑誌局にいた)ロサンゼルスで写真撮っているカメラマンと一緒なの、紹介するから来ない」
「えっ、あの革ジャンとアロハシャツの写真集を撮って自分で出版した人?」
「そう田中凛太郎君」
「会いたい、会いたい、仕事片付けたら行くから」
「明日朝から出張だからなるべく早くね」
「はい、分かりました」
お世話になっている広告代理店の社長からの電話であった。
大相撲が好きなので仕事中はテレビを付けっ放しにしている事が多い。
人に会うのが私の仕事、それもぜひ会いたいと思っていた写真家がロスから来ている。
行かないでなんとすると地図を持って茅場町へ。
おっ、こんな所にこんないい店があったのかと思う気の利いた和風料理店、○△さんはと一階で言うと、お店の女性にお二階ですよと案内された。
畳の上にテーブルと椅子席(四人掛)が確か四つあった。
他にお客はいなかった(後で三人来た)。
入り口の席に社長さんと田中凛太郎さん。
タイ人とベトナム人とフィリピン人を合わせた様な感じ、年は四十三歳とか。
陽灼けした顔、長い髪、ムエタイのチャンピオンの様だ。
体は普通の日本人の体型であった。
この人は凄い、ありとあらゆる革ジャンを集めて一大写真集に。
またありとあらゆるアロハシャツを集めて一大写真集に。
それも自費出版、ゴッツイ厚さである。日本の出版界で今、写真集といえば3000〜5000部売れたら大ヒットだ。田中さんは初版15000部位を売ってしまったのだ。
自分で集めて、自分で撮影して、自分で出版するという奇跡的な人。
アロハ大好きな私にとってアロハ写真集を初めて見せてもらった時は鳥肌がチキンチキンに立った。どれも素敵なアロハばかりであった。
で、田中さんはというと、実に気がつく人で、グラスに氷を入れてくれるわ、水を入れてくれるわ、料理をあれこれお皿に乗せてくれるわでびっくりしてしまった。
慶応大学を出て電通に入社したのだが、四年で辞めて写真家への道を進んだのだと。
いいねえこういう人は。お母さんが心臓の手術をした後「うつ」ぽいというので「うつ」専門家的私はいろいろ話をした。
初鰹、コンニャクイモ、山菜、煮干しみたいな小魚の焼き物、野菜の煮物を三人で分け合い食べ合った。どれも旨かった。
話はやはり次の写真集の話に。
田中さんはコールマンのランプの灯りを集めて夕方から夜にかけて自然光で様々なシーンを撮っているのだとか。目は少年の様にキラキラ輝き続けた。
今日金曜日にロスへ帰る。住まいが横浜というので一緒に東海道線に乗った。
社長さんとは茅場町でお別れした。じゃあね〜また来週と言ってサヨナラした。
その二日後夜遅く帰宅すると、愚妻がなんだか重たい物が届いて来てるわよと小荷物を指した。伝票を見ると田中凛太郎の名前、もしや、もしやと荷物を開けて見ると、ジャーン、ジーンズ地のオシャレなかばんの中に二冊の写真集が入っていた。
深夜であったが携帯に電話をしたら留守電だったので御礼を残した。
朝九時頃電話が入った。写真集ありがとう、また会いましょう、写真集頑張ってと言って電話を終えたのだ。
五月二十二日の事である。