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2014年5月28日水曜日

「中野裕之監督の最新作」




鳥肌×鳥肌×鳥肌を延々と続けると、人間は全身総毛立つ。
頭から足の先、そして五臓の隅々まで総毛立つ。

ONE OK ROCKというハードロック四人組のドキュメンタリー映画を観た。
1時間43分、渋谷パルコPART3、8Fシネクイント。
五月二十七日午後613分から8時まで。

中野裕之監督が若いハードロックバンドの世界ツアーをずっと撮影し(二ヶ月間全て手持ちで)編集して作り上げた(通常の映画八本分を撮影)。

フランス→ドイツ→イギリス→オランダ→韓国→香港→タイ→シンガポール→マレーシア→台湾。チケットは即完売。世界11カ国のツアーだ。
当然の事だが、宗教も、言葉も、風習も、ファッションも、建築も、食事も、音楽も、歴史も全て違う人々がこのバンドの存在をネットを通じて続々と集まる。
肌の色の違う人、人、人の大行列、何日も前から並ぶ若者たち。
そのライブはかつて見た事のない極烈、強烈、激烈なものであった。

約数千人の観客でビッシリと埋まる。人と人の隙間は無い。
絶叫と熱狂が建物をブチ壊し、大地を破壊するほどステップし、全員がジャンプする。ロックは世界を一つに出来る唯一無二の平和への武器なのかもしれない。

2005年にバンドを結成し、武道館、横浜アリーナで大成功させたそのライブパフォーマンスが若者に熱狂的支持を得ている。
ボーカルTaka、ギターToru、ドラムスTomoya、ベースRyota
ユーチューブではすでに2000万回以上再生されている。
日本にこれほどのハードロッカーがいたとは知らなかった。

最高にリスペクトしている中野裕之監督と日本で一番早い夜明けのシーンを撮りに二十八日から犬吠埼に行く、その前に絶対に観ておかなければならないと思い渋谷シネクイントに行った。

中野裕之さんは、また一つの伝説のドキュメンタリー映画を生んだ。
ボーカルのTaka26歳、なんとあの森進一と森昌子の間に生まれた子だ。
「港町ブルース」の父と「哀しみ本線日本海」の母が、最高の化学反応をして、最高のハードロッカーを生んだのだ。

人間はなんて素晴らしいんだろうか。
身長160センチほどのTakaがまるで数メートルの巨人の様に見えた。
料金は一律2200円。これを観ずしてロックは語れない。
FOOL COOL ROCK!! エンドロールに世界11カ国の膨大な制作スタッフの名が出た。
私は思わず拍手をした。みんなロックバカな奴なのだ。
いつもながら中野裕之さんのタイトルデザインが素敵だった。

2014年5月27日火曜日

「せちがらい世の中に」

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とかく人の話には尾ヒレがつくものです。
話半分位で読んで下さい。

ある喫茶店兼ランチ店の主人の話。
私の店の人気メニューはスパゲッティナポリタン。
一人のお客さん(中年男子会社員)は、チーズを全部かけるのです。
ナポリタンの上が真っ白になるのです。そこにタバスコを全部かけるのです。
大損害なので、そのお客様には特別に3分の1以下しか入っていないチーズとタバスコを用意しているのです。このお客は時々バックレてスポーツ新聞を持って帰ります。
特に金曜日、週末競馬があるからでしょう。

あるお蕎麦屋の主人の話、そのお客さんは、ほぼ毎日一人でくるのですが一度もお蕎麦を食べた事がありません。ビールセットというのがあります。
小生ビールに板わさが三切れついているのです。それだけを頼んで一番稼ぎ時の午後十一時半から一時半迄四人掛けの椅子に座り続けるのです。
四人で来たお客さんが来てもどいてくれないのです。
フリーペーパーをずっと読んでいます。店員たちが嫌がらせではと言うのですが心当たりはないのです。半年位前に引っ越しをして来た様です(七十歳位の男性とか)。

あるラーメン店の若主人の話、そのおばさんのアダ名は“パックオバサン”バイトの店員さんが付けました。自称六十八歳独身とか。週に二、三度来ます。夕方五時半頃に。
野菜炒めとか、レバニラ炒め、焼きそばとかザーサイチャーハンが好きなのです。
ショットグラスに老酒を三杯、グビッ、グイ、フーという具合に飲みます。
つま味は決まってシナチクにネギのせです。で、必ず持って来たパックにほんの少しでも食べ残した物を全て入れて輪ゴムで止めて帰ります。
この間、隣で食べていた人の残り物をパックに入れようとしたので、すみませんやめて下さいと言ってしまいました。私は悪かったのでしょうか。

こんな話がアチコチで聞こえてくるのも高齢化社会のせいでしょうか。
政府は年金支給を七十五歳からにしては、なんて画策しています。
国民が納めた年金130兆円を株に投資しろ、なんてオドシ始めました。

人の話に尾ヒレはつきものですが、有識者といういい加減な者たちの話は、街の占い師よりあてになりません。
近々、喫茶店にあるチーズや、タバスコが有料になるという話もある様です。
まさかと思っているのですが。皆さんかけ過ぎには十分注意して下さい。
世の中かなり“せちがらく”なって来ているのです。

2014年5月26日月曜日

「感激と観劇」






かつて映画界では、役者になったら一度は演じたいという役があった。
清水の次郎長、国定忠治、大石内蔵助、織田信長、それと江戸の侠客、幡随院長兵衛だ。河竹黙阿弥作である。

戦社会でなくなりヒマと刀を持て余し遊興と喧嘩に明け暮れる旗本たち、そのリーダーが水野十郎左衛門だ。一方旗本の喧嘩相手、町奴の親分が幡随院長兵衛だ。
やがて相方引くに引けない状況になって行く。

水野は幡随院長兵衛を殺す事によって解決するしかないと決断する。
日頃の事を酒を飲みながら水に流そうと幡随院を家敷に招く。
妻や子や子分たちは、行けば必ず殺されると言って止めるが、幡随院は自分の死をもって、江戸の町から旗本と町奴の喧嘩を無くそうと決意し身を正し、水野十郎左衛門の家敷に一人で行く。

水野は幡随院長兵衛の侠客としての器量を高く買っているのだが、争いをまとめるには誰かがその命を捨てねばならない。
家来が幡随院に酒を注ぐのだがわざと着物の上にこぼす。
濡れていては気持ちが悪かろうと、水野は風呂に入る事をすすめる。
そのうちに着物も乾くだろうと。

幡随院は剣術の達人である事を知っている。
風呂に刀は持って行く事は許されない。水野が自分以外の死人を出さずに自慢の槍で殺すであろう事を知って風呂場に入る。
許せ幡随院長兵衛、馬鹿な旗本共はこの水野がお主の命と引き換えに、江戸市中で暴れる事をさせない。お主ほどの人物を殺さなければならない我が身を悔やむ。

家敷の外には子分たちが棺桶を持って待っている。
親分、幡随院長兵衛の命令であった。オレが殺されたらその生命を無駄にするな、二度と旗本たちと喧嘩をしてはならないのだと。



と、むかしはこんな侠客がきっと居たのだろう。
男と男が立場は違うが意地は通さねばならない。
いつの世もリーダーは命をかけて守るべきものは守らねばならない。

五月二十四日(土)歌舞伎座二階席で夜の部を観た。
幡随院長兵衛が市川海老蔵、水野十郎左衛門は尾上菊五郎であった。
愚妻と一緒だった。終わると、ラストが「少し物足りないわね」と言った。
バカ者め!だがしかし確かにもう少し男泣きする終わりの筈であったのだ。

 この日は、社会的に弱い立場の人たちの就労活動を支援するチャリティ「マラソン」ではなく、未来に向かって走る「ミラソン」の日であった。
午前八時から午後二時まで、お台場の会場は「ミラソン」一色であった。

名付け親としては、その参加数の多さと、出店の多さと、ボランティアスタッフの多さと、ミュージシャンの素敵なステージ、様々なアトラクション、玉川大学の美女たちのダンス、ゆるキャラたちに感激であった。

弱い人のために走る親子2km、個人は5km10km、老若男女、少年少女(最高齢は何と80歳)たちの走る姿のなんと美しい事か。
人は人を守るために生きねばならないと、心を新たにしたのであった。

1300人以上のランナーが「ミラソン」に参加してくれたのだ。
「天気晴朗にて涙多し」拍手、拍手で手が膨れ上がってしまった。
優勝者のタイムは10km33分と少し、殆ど短距離走の速さで猛然と走り切った。

私のお世話になっている会社の女性(トライアスロンをやっている)は10km走で女子では9位、美人の奥さんと来た男性は目標の一時間を切る58分と少し、ヤッターであった。
上司の方もわざわざ応援に来てくれた。
もう一人の女性、男性社員の親子も完走してくれた。

 後輩のアートディレクターが手伝いに来てくれた。スゴイ!速いと拍手し続けていた。
このチャリティに参加させてくれた友人は、海外出張から帰ってそのままカエルの帽子をかぶって汗びっしょり10kmを完走した。
他にショートケーキ風、オサカナちゃん風、ちょんまげ町人風、ガンダム風、サザエさんのお父さん波平さん風とか仮装も様々であった。一つの会社から50人も参加していた。

そんな感動をした後に、幡随院長兵衛を観たのであった。
帰宅してからは午前三時半〜午前七時少し前まで、サッカーのヨーロッパ選手権決勝をライブ中継で見た。

つまり五月二十四日〜二十五日まで一睡もしないで感激と観劇、そして飛びきりの興奮をしていた事になる。


2014年5月23日金曜日

「田中凛太郎さん」




銀座の仕事場。
「もしもし、○△だけど今何やってんの」
「今ね、仕事しながら大相撲を見てんの」
「時間があったら飲みに来ない、以前話をした電通出身でさあ(新聞雑誌局にいた)ロサンゼルスで写真撮っているカメラマンと一緒なの、紹介するから来ない」
「えっ、あの革ジャンとアロハシャツの写真集を撮って自分で出版した人?」
「そう田中凛太郎君」
「会いたい、会いたい、仕事片付けたら行くから」
「明日朝から出張だからなるべく早くね」
「はい、分かりました」

お世話になっている広告代理店の社長からの電話であった。
大相撲が好きなので仕事中はテレビを付けっ放しにしている事が多い。

人に会うのが私の仕事、それもぜひ会いたいと思っていた写真家がロスから来ている。
行かないでなんとすると地図を持って茅場町へ。

おっ、こんな所にこんないい店があったのかと思う気の利いた和風料理店、○△さんはと一階で言うと、お店の女性にお二階ですよと案内された。
畳の上にテーブルと椅子席(四人掛)が確か四つあった。
他にお客はいなかった(後で三人来た)。

入り口の席に社長さんと田中凛太郎さん。
タイ人とベトナム人とフィリピン人を合わせた様な感じ、年は四十三歳とか。
陽灼けした顔、長い髪、ムエタイのチャンピオンの様だ。
体は普通の日本人の体型であった。

この人は凄い、ありとあらゆる革ジャンを集めて一大写真集に。
またありとあらゆるアロハシャツを集めて一大写真集に。
それも自費出版、ゴッツイ厚さである。日本の出版界で今、写真集といえば30005000部売れたら大ヒットだ。田中さんは初版15000部位を売ってしまったのだ。

自分で集めて、自分で撮影して、自分で出版するという奇跡的な人。
アロハ大好きな私にとってアロハ写真集を初めて見せてもらった時は鳥肌がチキンチキンに立った。どれも素敵なアロハばかりであった。

で、田中さんはというと、実に気がつく人で、グラスに氷を入れてくれるわ、水を入れてくれるわ、料理をあれこれお皿に乗せてくれるわでびっくりしてしまった。
慶応大学を出て電通に入社したのだが、四年で辞めて写真家への道を進んだのだと。
いいねえこういう人は。お母さんが心臓の手術をした後「うつ」ぽいというので「うつ」専門家的私はいろいろ話をした。

初鰹、コンニャクイモ、山菜、煮干しみたいな小魚の焼き物、野菜の煮物を三人で分け合い食べ合った。どれも旨かった。

話はやはり次の写真集の話に。
田中さんはコールマンのランプの灯りを集めて夕方から夜にかけて自然光で様々なシーンを撮っているのだとか。目は少年の様にキラキラ輝き続けた。
今日金曜日にロスへ帰る。住まいが横浜というので一緒に東海道線に乗った。
社長さんとは茅場町でお別れした。じゃあね〜また来週と言ってサヨナラした。

その二日後夜遅く帰宅すると、愚妻がなんだか重たい物が届いて来てるわよと小荷物を指した。伝票を見ると田中凛太郎の名前、もしや、もしやと荷物を開けて見ると、ジャーン、ジーンズ地のオシャレなかばんの中に二冊の写真集が入っていた。
深夜であったが携帯に電話をしたら留守電だったので御礼を残した
朝九時頃電話が入った。写真集ありがとう、また会いましょう、写真集頑張ってと言って電話を終えたのだ。

五月二十二日の事である。
http://myfreedamn.com/ 是非調べてください感動指数100%です。

2014年5月22日木曜日

「横浜線にてゴツンとグスン」




私は田中将大投手の大ファンである。
実のところ早く一敗しないかと心を込めて祈っていた。
日本通算34連勝、今度のシカゴ・カブス戦に勝つと途方も無い35連勝だ。
いくらなんでも勝ち過ぎる。好事魔多しという言葉がある。
早く一敗しないと何かとんでもない事が起きるやもしれないと心配していたのだ。

20日カブス戦、雨降りしきる中、34回に各1点、6回に2失点、7回の打席で代打を送られて敗け投手となった事を夕刊で知った。
あ〜良かった、これで心配の種が一つ無くなった。
次の登板から35連勝を目指してほしいと願うのであった。

将棋の名人戦で羽生善治(三冠)、挑戦者が森内俊之名人に4連勝して名人位を奪った。
どこまで強いのかこの人は。
無敗の全勝横綱白鵬が豪栄道にアララの敗けを喫した。これでいいのだ。
大飯原発再稼働はマカリナランと地裁が原告を勝訴にした。
厚木基地上空騒音問題で自衛隊は飛んだらイカンという事になった。

勝負の世界や裁判に、勝ち敗けはつきものだ。敗けて学べの格言もある。
常勝は必ず大きな不幸を呼ぶと歴史は教える。
独裁政権がグラグラしはじめた。

昨日午後三時頃私は淵野辺駅から横浜駅に向かう横浜線に乗車していた。
乗車口側の三人掛けに座っていた。隣に256歳の女性が座っていた。
その隣には大学生とおぼしき若い男が座っていた。
女性の前に身長180センチ位のすこぶるいい男が立っていた。

淵野辺駅を出てしばらくすると、女性がグスングスン泣き出した。
男は少し低い姿勢となって膝頭で女性の膝頭をゴツンゴツンとやる。
黒くて長いつけまつげの下のちんこい目からゴツンゴツンとされるそのたびに涙がポツンとたまりスーッと落ちる。

私は政財界情報誌を読んでいた。
電車が東神奈川に着こうかという時、男がはじめて言葉を口にした。
40分間位二人はゴツンゴツン、グスングスンだけだったのだ。

「敗けたよ、泣くなよ」とポツリ言った。
私の目の前に車額ポスターがあった。竹野内豊が缶コーヒーを持っていた。
キャッチフレーズは甘い香りと大きくノサバッテいた。
若い男女に甘い香りが湧き上がる事を願った。
喧嘩するほど仲がいい、嫌なら喧嘩をするもんかという小林旭の歌がある。

ポール・マッカトニーが体調不良で全ての公演をキャンセル、この間行っておいて良かった。主催者はトホホのホだな。雑誌には嘘か真か面白い記事が書いてあった。
オバマ大統領は「すきやばし次郎」で“赤身”は口にしなかった。ホ
テルに帰って“白身”の寿司を食べたとか。
おまかせは口に合わなかったのか、それとも話し相手が口に合わなかったのかもしれない。

2014年5月21日水曜日

「北村道子さん」






レイモンド・チャンドラーの代表作を日本風にアレンジしたドラマ、その名も「ロング・グッドバイ」毎週土曜日夜NHK総合、五週連続の放映であった。五月十七日で終わった。

どうせたいした作品ではないだろう。
日本人にはフィリップ・マーロウ(私立探偵)を演じだす事は無理だろうと思ったからだ。

まあ見てみるか、第一回を見た事、スタッフのクレジットにスタイリスト「北村道子」の名が出た。オッオッオー北村さんとは若い頃一緒に仕事をさせて頂いた。
日本の広告界、映像界で北村道子を知らなければモグリといえる。
美しさと可愛さと、鋭さと怖さが独特のオーラを放っていた。
凄い読書家で勉強家、名文家でもある。

第一回〜第五回全て見た(深夜の放映も含めて)ドラマの内容より、北村道子のスタイリングの素晴らしさに久々に驚嘆した。
ドラマは東京オリンピックを間近に控えた昭和三十年代が舞台だ。
探偵→浅野忠信、人気俳優→綾野剛、売れっ子の小説家→古田新太、その妻→小雪、政治家→柄本明、その娘→冨永愛、刑事→遠藤憲一、他に雑誌記者、娼婦、ヤクザ等など。

さすがに予算のあるNHKは北村道子のスタイリングに全面OKだったのだろう。
一人ひとりの役者たちに絶妙なスタイリングをしていた。

アンニュイ、デカダンス、耽美とエロス。
オーバーコート、スーツ、Yシャツ、ネクタイ、ワンピース、マフラー、ショール、インナー、ソックスに靴、フォーマル、パーティドレス、時計、カフスボタン、ブローチ、一話一話でスタイリングは変わる、そのどれもがパーフェクトだ。
素材選びは秀逸だ。

浅野忠信はこの作品でハマリ役を生んだ。
リーゼントがスーツによく似合い実に良かった。

北村道子は世界で通用する唯一無二のスタイリストといっても過言ではないだろう。
ヒラペッタイ顔の小雪のファッションが一つ一つ憎い程良かった。

ファッションに関心のある人は、いつか再放映されるだろうからその時は決して見逃さないで下さい。スタイリングの教科書です。
長い間お会いしてないのですが、心より敬意を表すのです。(敬称略)

2014年5月20日火曜日

「トンネル」


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誰だか忘れたが手帳をパラパラとめくっていたらこんな一行が書いてあった。
「運命は性格の中にある」芥川龍之介だったかもしれない。
博学の徒なら分かるはずだから気がついたら教えていただきたい。
グサッと刺さる言葉だ。

何か上手くいかない、何だかツキが回って来ない、何もかも面白くない。
そんな時、親のせい、兄弟姉妹のせい、会社のせい、上司のせい、気に入らない同僚のせい、クライアントのせい、あの野郎のせい、自分が持って生まれたDNAのせい。
要するに全ては自分以外のせいで片付けている人には、運命は複雑に動くのだろう。

私も運命にため息をついた時、あっちこっちのせいにしては「せいせい」させていた。
人間は運命線の上を走っているのだから長いトンネルに入ったり、落石にあったり、脱線したりする。
そんな時は乗っていた列車を降りて道路の上を歩くといいと分かったのは、実はつい最近だ。この事に気がついたらずっと見えていなかった自分が見えて来た。


時すでに遅しの感がするのだが、その見えて来た法に従って行こうと心を決めた。
私の性根と性格の悪さは治るはずがない。ならば、何故今日これまで生きて来られたかを振り返ってみる。

午前一時四十七分四十一秒。
いつものグラスにジンビームを入れた。ストレートで一杯。
喉から食道を通り胃袋に熱い液体が通過した。トンネルの中を列車が通過する様に。

2014年5月19日月曜日

「人間はやさしい」


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五月十七日(土)快晴なれど風強し、船橋市立夏見台小学校の広い運動場には万国旗がXに交差し、風に吹かれて音を立てているのを見ると、子どもたちを応援している様であった。紅勝て、白勝てと。

この日は私の愛する娘の子、二人の孫の大運動会であった。
五年生の女の子、二年生の男の子。前の日から泊まり込みであった。
全校生徒は700人位とか、オジイチャン、オバアチャン、お父さんにお母さん、兄弟や姉妹がいればその人たちも応援に来ている。

一人の子に4人から6人位の応援の数だから約3000人近くが来ていた事になる。
「リレーに出るから見に来てね」「組体操の上に乗るから見に来てね」の連絡があった。勿論運動会には必ず行く。

友人の奥さんが62歳で亡くなり幡ヶ谷でお通夜があった。
このところ若くして亡くなる人が多く辛い。
会社の人間4人と出席し、幡ヶ谷のお寿司屋さんで献杯をした。
それを終え船橋に向かった。

運動場の子どもたちはみんな明るく、元気であった。
この子たちの未来が平和である事をつくづく思った。
私の側で何人かの女性が大声を出して最終種目のリレーを応援していた。
紅・白各三人ずつ、五年生と六年生は一周150メートルだった。

キャー、ギャー、ガンバレ!キャー抜いた抜いた、勝ったぁ〜良かった〜とメガネをかけた女性が絶叫し、泣きまくった。六年生で一人とんでもなく速い子が走った、そのお母さんだったのだろう。

負けていた白がリレーで逆転した。白の勝ちとなった。
孫の女の子は紅で悔しいとなり、男の子は白が勝ったと大喜びだ。
今、世界はあちこちで戦争の火種を生んでいる。

小学校の万国旗は、日本も、中国も、ロシアも、韓国も、米国も、ベトナムも、タイも仲良く等しい間を保って子どもたちを見守っていた。

おにぎり、玉子焼き、ウインナー、鶏の唐揚げなど四段重ねのお重箱には運動会定番のメニューが入っている。これ以上旨いものはない。
大人たちもこの日ばかりは喧嘩したりはしない。

一人の男の子が不自由な体ながら一歩一歩進み、トラック半周をちゃんとゴールした。
運動場全体がその子を見守り続けゴールと同時に全員が拍手を送った。
心から感動した。人間はみんなやさしいんだ。

2014年5月16日金曜日

「無力こそ」




老人たちは祈り続ける、神様お願いします、お願いします。
土に頭をつけてどうかクジラが来ます様に。

インドネシアの小さな島にある小さな集落。
そこには4050人ほどしか住んでいない。木製の船が海岸の直ぐ側に10隻ほどある。
遠い昔の生活がそのままある。

漁師を父親に持つ11歳の少年は、銛を刺す名人の父親に憧れている。
この島では物々交換だ。漁師が獲って来た魚や、漁師の妻たちが作る塩と、山の民が作る野菜や果物やトウモロコシや米と交換する。

船には10数人の漁師が乗る。
マグロ、マンタ、シャチなどを手漕ぎで追い、一本の長い木の先につけた銛で体ごと飛び込み突き刺すのだ。

彼等にとって何よりの獲物はクジラだ。
一頭のクジラで集落のみんなが長い間生きていけるのだ。
かつては一年に数十頭近く獲れた年もあるというが、近頃は二、三頭なのだという。
クジラは捨てるところは一切ない。一番いい部位ははじめにクジラを見つけた者に、次には銛の射手に、後はそれぞれ公平に分配されていく。

少年には二人の妹、一人の弟がいる。
父の様になりたいと海に浮かべた丸太を目がけ、岩の上から自分で作った銛を体ごと刺す練習をする。海が荒れ漁が出来ない日が続くと、妻はずっと大切にとっておいたクジラの乾かした肉を小分けにして山の民の村に向かい、食料のバナナやトウモロコシと交換する。

全てが原始的なのだが現代社会が失ってしまった大切な文化がある。
公平、平等、質素、夫婦の役割に対する尊敬、それと平和だ。
時に何袋もの塩を両手に持ち頭の上に乗せ何時間も歩き市場に行く。

少年は運動靴が欲しいと母親にいうが、今日は妹の靴だけよと言われる。
少年は朝早く起きて学校に行く。父親から漁網の作り方を教わる。
妹たちは母親から塩の作り方を教わる。現代人が失った底抜けに明るい笑顔が並ぶ。

神様に祈ってもクジラはずっと、ずっと現れない。
男たちは黙々と船を修繕し、銛を研ぎ、クジラを待つ。

私はこんな人たちに憧れるのだが、私は何も出来ない。
全く何も出来ないのだ。能書きだけで生きて来た男なので、ターザンとかロビンソン・クルーソーとか、小野田寛郎さん、植村直己さんみたいな人には心底敬意を表すのです。海の民、山の民、畑の民、縄文人と弥生人は仲良かったのです。

先夜あるドキュメンタリーフィルムを、いつものグラスに氷を入れ、ジンビーム+ウィルキンソンでハイボールを作り、ゴクリと飲みながら観たのです。
そして大好きな縄文人に思いを馳せたのです。
何でも有るより、何も無い方が人間らしいのです。
「無力」という極意です。

忘れてならないのがグアム島で生き続けた日本兵、横井庄一さん。
帰還後に「耐乏評論家」という仕事を生み出しました。今こそ横井さんの生きる知恵が必要なのです。耐乏論が“待望”されるはずです。




2014年5月15日木曜日

「ガジル」




裏社会では、人の物を奪い取るとか、脅し取る事を「ガジル」といいます。
あいつは人の物をガジってばかりいる、マッタク嫌な奴だぜ、特に先輩風を吹かせて後輩からガジル、権力の力を借りて弱い者からガジル、そんな奴が多くいます。

今、国家権力が国民からバンバン、ガジリ始めています。
消費税増税、老人医療の事実上値上げ、大学病院などの初診診療の値上げ(紹介状なしの人に)、電気代、ガソリン代、インフラへのガジリ、相続税への増税(タンス預金をガジル)ありとあらゆる物への増税、そしていよいよ年金の支給を75歳になどという究極のガジリだ。

92歳まで生き抜かないと、60歳から年金を受給している人と並ばない。
92歳までに増税、増税でゼイ、ゼイして呼吸困難で死んでしまう。

表の社会でガジリが公然化して来た。
残業代なし、いつでもリストラOK、イカサマの地域限定正規社員、遂には憲法までガジリ出して立憲主義を丸ガジリへ。憲法のインチキ拡大解釈へ。

戦争へ一直線、ここに来て中小企業は悲鳴を上げる。
生き抜けない、逃げるしかないと追い詰められている。
大企業や銀行たちは軒並み最高益を発表、預金者の金をガジリまくっている。

虎ノ子の年金基金も権力にオドシをかけられ、株を買えとなって来た。
ドーンと下がったら、バーンと130兆円近い年金はパァーになって行く。
実質賃金は下がり続ける。中小企業は厳しいのだ。
貿易収支は日銀の予想を裏切り大赤字。

ガジル奴らを許してはならない。無関心は絶対にいけない行為だ。
私たちの出来る事は、日々誰が何をガジったかしっかりチェックしておく事なのだ。