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2015年7月24日金曜日

「え〜、願いましては」




「めのこ」という言葉をご存知の人は、仕事上値段の駆け引きをしているはずだ。

あれをこうしてさ、そこはこうして、あっちは捨ててしまって、こっちは削ってこんなかんじで。
で、「めのこ」でいいんだけどどれくらい?そうですね、あっちの会社は◯◯億位と思うのですが、私の方は「めのこ」で××億位でしょうか。
うーむ、ちょい出てるな。君、歳いくつ、41歳です。君は、39歳です。
そうそんな数字あたりがいいとこじゃないの、いっておくけど「めのこ」だよ。

それに足されるのが、アノ人、アノ人、アノ人、アノ人、アノ人の分へと、数字はグイグイ上がり最終的には「めのこ」の3倍、4倍となって行く。 
1000兆円以上も借金のある国が、ある人の90分インタビューの中で最終的には2兆円位かかるんじゃないの、となった。

何度も書くが3.11東日本大震災の復興が全然できてない国が、オリンピック(パラリンピックは別にかかるらしい)に野放図な予算計画を立てている。

きっとはじまりは「めのこ」だった筈だ。
「めのこ」を英語でいうと、「アバウト」とかになるのだろうか。

私の使っている辞典にこんなのは載ってないだろうと思いながら引いてみると、おや、あるではないですか。

「めのこざん→目の子算」ざっと見て概算すること、目の子勘定。
とあった。2020年に向かってあっちこっちで目の子算が進んでいる。
え〜願いましては、◯◯円也、◯◯円也、と頭の中でバンバン算盤は弾かれる。
え〜願いましては…。

2015年7月23日木曜日

「浅丘ルリ子さんの人生」




Te,le-vi-sion(テレビジョン)コンサイス英語辞典を引くと、
テレビ受像機;テレビ放送、〜テレビを見る。〜テレビで(劇)を見るとわずか四行、この言葉と共に大衆文化は花開いた。

日経新聞朝刊の最終面に名物コラムがある。
「私の履歴書」という。各界の著名人が自らの人生を書き残す。
七月二十二日は浅丘ルリ子さんの第21回であった。
浅丘ルリ子さんは数多の名演出家と名作ドラマを生んだ。
和田勉、久世光彦、石井ふく子、石橋冠など日本を代表する人たちであった。

そんな多才な人の中で最も敬愛したのが鶴橋康夫だったという。
鶴橋康夫は「テレビとはギリシャ語とラテン語の合成語で遠くのものを見るという意味」が口癖だったという。世の中で最も遠いものは人の心。この心の闇を解き明かすのがテレビの役割なんだー。

浅丘ルリ子さんと鶴橋康夫のコンビで計20本の作品を生んだ。私が憶えているのは、84年放映の「魔性」正しく記憶していないので浅丘ルリ子さんの原文のママを書く。
「『魔性』は群を抜いて壮絶な作品だった。私は近親相姦を経験したレズビアン。若い愛人を殺害し、死体をバラバラにして食べて死刑囚となる。独房では自慰行為にふけり、最後は絞首刑に処されて失禁する(テレビでここまで放映していいのかしら?)。台本を読んで私は鳥肌が立った」

おそらく実際にあった事件をモデルにした作品だと思う。 
30年以上前のテレビには骨太な社会派のドラマが多くあった。
才能と才能がぶつかり合った。そして互いに認めあった。
テレビの内容はすっかり変わったが、世の中に起きている事件の裏にある人の心の闇は変わっていない。

あの頃は各局の看板演出家が我こそはと競い合った。
芸術祭参加作品という勝負の舞台があった。
現代社会の闇に蠢く者共を、故萬屋錦之介が演じた「破れ傘刀舟」の決めゼリフ、確かこんな感じであったと思う。“お前たちは人間じゃねえ、叩き斬ってやる”と正義の刀で骨太のドラマを生んでもらいたいと願うのだ。

浅丘ルリ子さんの第1回〜第21回、赤裸々な人生の履歴が私の青春時代を思い出させた。
一年中通った映画館が“荻窪日活パルサス”。
石原裕次郎、小林旭、赤木圭一郎、そして宍戸錠。
浅丘ルリ子、芦川いづみ、笹森礼子、そして北原三枝。

♪〜君も覚えているだろ 別れ口笛 わかれ船…と石原裕次郎さんの歌を口ずさみ。
♪〜夜がまた来る 思い出つれて おれを泣かせに 足音もなく…と小林旭を口ずさみながらこれを書いているのだ。

浅丘ルリ子さんは、極貧の中で育ったと書いてあった。学校すらいけなかったと。
次は第22回となる。タフガイとマイトガイ。この頃の作品はモンダイガイ。(文中敬称略)

2015年7月22日水曜日

「私は黒星」


写真はイメージです


昨日、深夜から朝にかけて夜空を三度見上げた。
いつもより星が多く、大きな星の輝きがダイヤモンドみたいだと思った(私の住んでいる茅ヶ崎市辺りで)。

一枚のハガキを手にして家の前の公園に出た。
近所のコンビニにあるポストに投函するために。
私が七月十三日に書いたブログ「ペルソナ」の中の“類犯”は“累犯”の間違いでは、とのご指摘のハガキが来ていてそれを帰宅して読んだ、服を脱ぐことを後にしてすぐに返事を書いた。同じ犯罪を繰り返すことはご指摘通り“累犯”が正しい。私のミスであった。
ポストに向かい今後もご指摘をといいながら投函した。

公園にたちつくし夜空を見ながらふと新橋駅側の靴磨きの老女を思い出した。
新潟県佐渡の出身であった。
あるテレビ番組で「私はずっと下ばかり見て来ました。夫に先立たれ子どもを育てることに必死でした。靴磨きは下ばかり、空を見上げるなんてことは忘れてました。先日ね義姉が亡くなって佐渡に帰ったんです。とてもよくしてくれた義姉でしたから。葬儀も終わってほっとして空を見上げたら、星がたくさん出ていて初めて佐渡の夜空の美しさを知ったんですよ」
 ずっとむかしに観たそのテレビ番組を私は忘れることができなかった。

昨日新橋駅に老女の姿はなかった。
ずっと、ずっとその姿はなく、老女の使っていた靴磨きのお店のセットは布がかぶせてあり、紐でしっかり縛られていた。
一回500円、一度1000円を出してお釣りはいいですよといったら、私はおもらいじゃありませんと、ビシッといわれ恐れ入って謝った。
その時も靴だけを見ていて顔は上げなかった。

このブログを書き終えたのは午前二時十六分三十五秒。
その後窓を開け夜空を見上げた。星はめっきり少なくなっていた。
“星はなんでも知っている”という歌があった。
老女がどうしているか教えて欲しいと思った。
ミスを書いた私は黒星であった。

2015年7月21日火曜日

「夜の風鈴」


写真はイメージです




“ハイニョー”と書くと“ハイヨー”みたいなお手軽気分だが、“排尿”と書くと急に病院的になる。

六月十六日(木)に歯医者さんで治療を受けるに当たり、前の前の日から抗生物質を2錠ずつ服用してうた。つまり4錠。

十五日(水)にかねてより銀座oluhaショップに来店を誘っていた、お世話になっている代理店社長の友人二人と、ショップ内で六時半に待ち合わせをしていた。
一人は美しいモデルさん、一人は現役の美男子ボクサーであった。以前何度か会っている。

暑い一日であった。
ショップ内を案内した後、すぐ側にある中華の名店、銀座アスターに行った。
頭がボアボアした後ズキッズキとしていた。一杯飲めば治るかと思った。
私とボクサーはグラスビールを頼み、モデルさんはジュースを頼んだ。
シュウマイ二個ずつ、春巻き一本ずつ、チンゲン菜の炒めたものを三分割、酢豚を三分割した。いつもならガッツリ食べるが、酢豚を半分以上残した。

耳がかなり痛くなり食欲がなくなっていたが、話はすこぶる楽しく弾んだ。
モデルさんはボクシングジムに通っているとか、ボクサーは九月五日に引退をかけた試合をするとか、週が明けたら減量をはじめるとかを穏やかに話す。
シメにチャーハンを三分割となったが二分割にしてもらった。
モデルさんとボクサーが旨い、美味しいと食べてくれた。
一分割分位残ったのをモデルさんが持って帰ればとボクサーにいってお店の人に頼んだ、袋に入れて持って来てくれた少々のチャーハンを、ボクサーは大切そうに持って帰った。

当たり前のようにそんなことをした二人にとても心動かされた。
私は茶碗一杯ほどのチャーハンはヒト目を気にして持って帰ることは出来ないからだ。
気が付くとまた、頭がズキッズキとしていた。
外は暑いのに体は寒く、やけに耳が痛く触るとなんだか膨らんでいた。
結局酒はコップ一杯分のビールと紹興酒のロック半分だけだった。
私にとっては飲んだ内に入らない量だ。

1040分ころ家に着くと耳の痛さはピークに達していた。
鏡で見ると耳が異常に赤く膨らんでいる。
前の日に耳かきをやり過ぎたせいだろうと思い、熱さまシートを貼ったり、氷を入れたビニール袋を当てた。次の日耳鼻科に行くと決めた、が次の日の木曜日は耳鼻科は休診日だった。かかりつけ医も休診日、電話をして今日歯の治療をするんですが、と聞くと止めておいたほうがいいというので、歯医者さんにまたまたキャンセルで申し訳ありませんと日を改めてもらった。

まあ一日我慢するかと決め込んだ。
耳はドンドン膨らんだ。愚妻は何!それ!市立病院の救急へ行けばといったが、明日耳鼻科に行ってからでいいんだよ、耳かきのしすぎだからといった。
で、次の日耳鼻科に行くと、あっ、これすぐに市立病院へ行って点滴を受けて下さい。
直ぐ紹介状を書きますとなり、すぐに行った。

女医さんが見てくれてウイルスかも、もしかして帯状疱疹かもとつぶやき姿を消し、部長と呼ばれる男性と共に再び姿を表した。うーん、かなり炎症がうーん入院してもらってはという。なんだい耳かきしただけだよと思った。まずは点滴となった。

で、その日から五日間通院し、点滴と一日三回の抗生物質服用となった。
長い話になってしまったが、排尿のたびにすこぶる嫌な抗生物質の臭いがするのだ。

詳細は二十二日(水)午後十二時に判別するらしい。
痛みはなくなり、膨らみも消えつつある。鏡でじっくり自分の耳を見た。
江ノ島の土産屋で売っている売れ残りの貝殻みたいだった。

真暗闇で聴力検査というのをはじめてやった。
音が聞こえたら手許に渡されたボタンを押す。大、中、小、微小と。
マイクで起きてますかといわれた、少々眠ってしまったようであった。暑苦しい夜、いつものグラスで一杯。
抗生物質をつまみに飲むのも一興かも(?)どこからか風鈴の音がする。

2015年7月17日金曜日

「元ハト派」




根性なし二人。元総理大臣が、現総理大臣にひれ伏している。
麻生太郎という与太った政治家だ。
戦争法案が強行採決された。

自分の派閥かなんかの会合でマイクを持ち、口をへの字にひん曲げて、こん中によぉ法案に対する電話をもらった奴は、手を上げろや、何!2本、えっ全部で120本位、ホラそんなもんだろ、新聞の世論調査の数字なんてそんなもんだよ、てな感じで与太話をしていた。
この男実は元ハト派宏池会系。

自転車の落車で怪我した位しかニュース性の無い、泣き虫で有名な男、元自民党総裁をやった男が、現自民党総裁にひれ伏している。
谷垣禎一、今は自民党幹事長だが、その存在の余りの軽さが存在感となっている(早い話官邸から無視されているのと同じ)。
インタビューに応じ、60年安保の時のデモに比べたら平穏じゃないんですかと。
この男元ハト派宏池会系。

使いパシリの外務大臣岸田文雄、もう少し根性者かと思ったが、全くの無力だ。
全然ダメ、この男元ハト派宏池会系。
採決のベルを押す衆議院議長大島理森。この男も元ハト派宏池会系だ。

こう書いて行くとあることに気づく。
ウルトラライト(タカ派)の安倍晋三総理総裁は、戦争法案のパシリ、露払い、太刀打ちを大嫌いなハト派宏池会系にやらせたのだ。こういうネチネチ感を100%持っている。
反対する野党の迫力のないことこの上なし。

民主党岡田克也の演説力、言語感覚まるでなし。
維新の党松野頼久全く役不足、ホストクラブのオーナーみたいだ。
共産党志位和夫いつものワンパターンだが、この党は第二次世界大戦に対して唯一反対を貫いた。学力、理論力はあるのだからもっとファンキーな感じがほしい。

建築界の文化勲章とノーベル賞といわれるプリツカー賞をどうやってもらったかは知らないが、記者会見でいい訳ばかりの男安藤忠雄。あんたそれでも元ボクサーかといいたい。私はデザインを決めただけで建築費のことはよう分からん。
2520億って聞いて何やそれって思ったわなんて感じだった。

元ボクサーらしくちゃんとリングの上で戦え。
ワシこんな大きなもんやったことないんやんだとよ。
この男これにて建築界から退場だ。 

CMのプロデューサーは、一枚の絵コンテの紙を見れば、即見積り額が頭に浮かぶ、それがプロである。映画プロデューサーはシナリオを読めば即制作費が浮かぶ。
総裁選の時にはオドオドし、党員票は二位、地方議員票も二位だった男が、この国の立憲主義を壊して戦争へと向かわせる。
権力とは実に握った者勝ちでやりたい放題となる。

追加の怒りをもう一つ、又吉直樹が「火花」で芥川賞受賞。
文学の神がいたら怒髪天を突いて怒るだろう。もう役目の終わった芥川賞なんてやめにせい!と。前回の受賞者の名が浮かびますか、そんなもんです。(文中敬称略)

2015年7月16日木曜日

「耳の痛い話」




先っぽに白いタンポポのついた耳かきで、コチョコチョ耳そうじをした。
ずっと奥にあるのを取ってやると、深夜映画を観ながらやっていた。

入り口部分をコリコリしていると気持ちいい。だが何事もやりすぎはいけない。
朝になり左耳がズキンズキンしはじめた。
仕事場に出てゴソゴソ仕事をしていたら耳たぶがやけに熱くなった。

夜になり知人たちと中華料理を食べ家に帰ると、左耳は正常の二倍近くになり、耳の下のリンパ腺がゴルフボール位に膨らんでいた。アタマがズキズキする。
木曜は耳鼻咽喉科は休診日。

で明日まで熱さまシートにお世話になっている。
が、この熱さまシートがへなへなしていて(こんにゃくみたい)すぐとれてしまう。
そんじゃとビニール袋に氷を入れて冷やして見たが、これは冷たすぎてアタマが更にズキズキする。耳たぶは赤く腫れて大黒様みたいにパンパンだ。

昨日エレベーターの中で一緒だった友人の会社のデスクの女性が「耳が痛いと宝くじが当たる」って知ってますといわれた。へぇ〜そうなのといった。

美人のひざ枕にアタマを乗せて、耳そうじをしてもらう。
アラッこんな大きいのが、といって差し出す手のひらに耳アカ(耳クソともいう)がのせられる。むかし観た映画にこんなシーンがあった。

惚れてしまえばアバタもエクボというから耳アカだって大きさと形次第では、愛しいのだ。その逆も多い。どんなに惚れた相手でも耳アカのたまっているのを見たり、鼻毛が出てたりすると、あー嫌だ嫌だとなる。

男だって、女だって愛はデリケートだから。
愚妻があんまりハレがヒドイので、写真を撮るわといってカシャカシャと撮った。

2015年7月15日水曜日

「的屋の敵や」




夏といえば夏祭りと縁日、といえば楽しい、美味しい、いろんな露店だ。
その露店を出さない夏祭りが増えているという。
その原因は若者たちのケンカや酔っ払っての大暴れとか、公共物や各種の器物破損らしい。露店の出ない祭りは、抜けた水の入っていないプールみたいだ。

露店を楽しみにしている老若男女はがっかりするし、露店でメシを食べている人々もガックリだ。
この人たちを「的屋」とか「香具師(やし)」とかいう、元々は「野師」または「矢師」ともいった。ここで少々的屋の用語を書く、何の役にも立たないが暑さで頭がボアボアしているのでこんな事を書く。

露店に出すときは的屋の土地の親分に庭(縄張り)を借りるあいさつをする。
親分は「張元」と呼ばれる。中に入って仕切る人を「世話人」という。
あいさつのことを「ネタツケ」という。店を出すところは「高市(たかまち)」または「高町」という。
商売のしやすい場所は「テンショバ」といい、そうでない場所を「ガリショバ」という。大勢の人を集める者は「大ジメ師」、客を半円形に集める者を「中ジメ師」という。
お客さんのことを「キャー」という。
投げ売りは「ヤセリ」、植木屋は「ハボク」、易者は「ロクマ」、飴や風船を売るのを「コミセ」、手品師などは「スマ師」という。
こんなことを書いても仕方ないのでお終いにする。実に業界言葉とは面白い(どんな業界にもある)。

若者よ露店が出せないようなことをしては男にはなれない。
私は露店大好きなのでガキの頃、的屋さんに憧れた。
いろんなイカサマにあったが楽しかった。同じお客同士と思ったのが実はサクラの人たちであった。サクラのことを「コツ」という。あっ、いけねえまた書いてしまった。

一度詰将棋をやってとんでもない額を請求され、台をひっくり返したことがあった。
私と一緒にやった先輩以外の数人の見物客はみんなサクラであった。
だます「コツ」を知っているのだ。

夏祭りに行く機会が増えるのでくれぐれも気をつけて下さい。
詰将棋が35手か50手詰めというとんでもないほど難しいので。
最後にイカサマを見抜いてそのまま乗るのを「横揚げ」という。
これができれば的屋の“敵や”となる。プ
ロの将棋指しはこれでお小遣いを稼いだと何かの本で読んだ。
プロの上には超プロがいる。

※参考文献「ヤクザとシノギ」高田燿山著・双葉社刊

2015年7月14日火曜日

「二つの京都案内」








京都で開催中の「フェルメール光の王国展」は八月三十一日まで祇園甲部歌舞練場で行っています。 






oluha(オルハ)の敷ふとんに横になりながらフェルメールを鑑賞出来ます。
ブログにてご案内します。
祇園祭を見たあとにフェルメールを観るのもいいかと思います。
訳ありの人とそっと京都で落ち会うなんていうのも文学的ではないですか。





この会場のすぐ裏手に縁切り神社で有名な「安井金比羅宮」があります。
あの男と別れたい、あの女と別れたいなどと思っている人はぜひ行って下さい。

悪縁を切る碑をくぐると…


“悪縁を切ってこそ良縁が結ばれる”と神社の入り口に書いてあります。
それもご案内致します。



プロデューサー&デスクの上原女史が両方を撮影して来ました。
チャンチキチン、チャンチキチン。京都にお越しやす。

2015年7月13日月曜日

「仮面(ペルソナ)」






盗撮、風呂のぞき、覚せい剤、道交法、銃刀法、コカイン、覚せい剤、そしてまた盗撮。過去に計7年服役。

法律の世界ではこのように同じ犯ちを繰り返すことを、「累犯」という。
ほとんどビョーキといえるのだが本人はそのことが分からない。

田代まさしのことなんだがこの男はれっきとしたミュージシャンであった。
ビーバップを唄うシャネルズのメンバーの一人であった。盗みと性犯罪は類犯が多い。
死んでも治らない不治の病である。

田代まさしが顔に黒人風メイクアップをしている時は別人になれていた。
ずっとメイクアップしていたらと思うのだ。素顔になると別人となる人たちは多い。
例えば教授や裁判官、検事や弁護士、医師や公認会計士や高級官僚たち。
大会社の経営者や芸能人も多い(伝聞です)。

友人の写真家が、過日「緊縛ショー」の写真撮影を依頼された。
当然“内緒でショー”であった。その日ある所に来ていたのは、日々仮面をかぶっている人たちであった。ビックリするほど美しい女性が全裸となり、縄で縛られ天井から吊るされる。その姿を恍惚の表情で見続けていたという。
友人の写真家は初めてその世界を撮りながら自分も興奮してしまったといった。
縛られている女性の目が涙で潤んでいるのを見た時、それが快感の涙であることが分かったという。

人間は生まれた時から病人であるという。
ある精神科医は誰の中にも“田代まさし的要素”があるといった。

私は思う、今一度田代まさしの顔に黒人風のメイクアップをし、仲間と共にビーバップを唄わせてやったらと音楽こそがいちばんの薬なんだと思うのだ。
治らないが止めることは出来る。

何!彼氏が東急ハンズでロープを買って来たってか、何!ご主人が停電でもないのにロウソクの火をつけただと。うーむ、それはきっと防災の備えだろう。
愛の形はそれぞれだ。
盗癖と性癖は決して治らないから、子どもの頃から周りが気をつけなければならない。

2015年7月10日金曜日

「骨抜き」





神田明神下に、「左々舎(ささや)」という店がひっそりとある。
余り人に教えたくないのだが一昨日の夜に会社の女性二人を誘って行った。

この季節は「鱧(ハモ)しゃぶ」である。春は「鯛しゃぶ」、冬は「河豚鍋」である。

さてその夜は雨模様であったせいかいつもよりお客さんは少ない。
風情十分のこの店はかつて芸者さんが住んでいた所を工夫しお店にしたと聞いた。
食通だった亡き友に連れて来てもらって以来通っている。

作家の故山口瞳さんも通った店で、山口さんが書いた味わい深き書が、その季節に応じて飾られている。山口瞳さんも食通であった。
文人、編集者、イラストレーター、音楽家、女優、画家、書家、俳人など、その世界でその名を知られている人が来る。

ミシュランなどの目には絶対触れさせることはない。
みんなでそうならないようにしている。
ひっそりとした路地にポツンと河豚の提灯がぶら下がっている。
これ以上は説明できない。有名にしない掟がある。と私は思っている。
顔見知りと会っても近づいてくることはないし、こちらから近づくこともない。

その夜美味しい鱧料理を食べた後帰りがけに、「骨はなかったでしょ」と店主がいった。
えっと私はいった。

鱧一本の中には細い骨がビッシリとあるのは知っている、聞けば今日の鱧は完璧に骨を抜き取ったのだとか、一日に一本位しか完璧な骨抜きはできないのだと。
いや~、それとは知らずいつものように食べたがいわれてみると本当に骨を感じていなかった。
小首をかしげていたずらっぽく話す店主が、雨ばかりで時間があったので、予約した私たちのために完璧に抜いてくれたと、泣けるようなことをいわれた。
私のように人相というか、魚相の悪い鱧は、その鋭い歯以外はすべて料理されて出た。
皮、心臓、肝、浮き袋、そして極上の中味。
名人芸は神田にあり。

緋毛氈が敷かれた小さな長椅子の上に交通事故で亡くなった愛猫の写真がある。
20年の生涯であった。
生ある頃は、そこに座りニャーといって迎えてくれていた。