先週金曜日二子玉川にて、作家吉村喜彦氏、奥様でプロデューサーの有美子さん、グラフィックデザイン界の巨匠井上嗣也氏、それとキャスティングの大御所江原立太氏と吉村さんオススメのビストロで会食する予定であった。前日、前々日と少々ハードな日であった。朝起きようとすると体が重く動けない。どどっと疲れが出てしまった。大丈夫なようで大丈夫でない。(金)(土)(日)と三日間何も食べずにいたら、73、5Kから70Kに体重が減っていた。マッタクミットモない、男が約束をキャンセルしてもらうなんて。
御三方一夫人には大きな借りができてしまった。何も食べずにいたが、チビチビとウィスキーを飲んでいたようで、トイレに立ち上がると足もとがフラフラであった。
(土)午後二時~四時平塚から鍼灸の達人が来てくれたが、殆んど記憶にない。ブッ飛んでしまったのである。疲れがピークを超えた時、年に一度こんなことが起きる。
日曜日午後十一時、「情熱大陸」を見ながら溜まった新聞を見始める。茶碗に一飯だけ食したが食欲はゼロだ。十二時から一時十分まで新聞を整理した。十一時十分毎週見ている日テレのドキュメンタリー番組を見る。北朝鮮のミサイルと密漁の特集であった。石川県小木港イカ漁が盛んなところである。
大和堆(たい)は日本海でも有数な漁港である。船凍イカはいい商売となる。ある時は軍人が、ある時は農民が、又ある時は工員らの北朝鮮人が一攫千金を狙って大和堆を目指す。小木港にはかつて100艘以上のイカ漁の漁船があったが、後継者不足で現在は13艘しかない。
「ほしがりません勝つまでは」富国強兵、鍋も釜も軍需物資に、麦などはいいほうで、アワやヒエを食べていた。雑草に近いものしかオカユには入ってなかった。
白いご飯は銀シャリと呼んでいたが庶民には食べれない。今の北朝鮮を見ていると1940年代の日本を見ているようだ。ということは何かを仕出かすことになる。
かつてイカ漁の船に取材のために乗船したことがある。
カメラで漁師さんの顔を絶対写しては駄目であった。
真っ当な漁師さんの中に、不法入国者、凶状持ち(警察に追われている)たちがまぎれ込んでいるからだ。私はたくさんの海の男たちを取材したが、日本海の荒波に出る漁師さんは、男の中の男たちだ。コラッーボケ、なに突っ立ってんだ海に落ちたらオシャカだぞ、バカヤロー船底に入ってろ。
とドヤされた。でも皆んなやさしくて、魚をごっそりとれば底抜けの笑顔となる。
大時化の時、船は七・八メートルも上下し大揺れだった。船底ではタフ漁師もオエオエとなっていたが、私は文庫本を読んでいた。ニイチャン時化に強いな、大したもんだと言われた時は、かなりうれしかった。
食欲がない今日は大切なパーティーが二つあるのだが。まるで酷い船酔いみたいである。