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2018年5月24日木曜日

「雨音を聞きながら」

大、大的に宣伝をした「孤狼の血」が不入りだと言うので、先日それを確かめに丸の内東映に観に行った。午後一時三十分の回であった。現在ピカイチの活躍をしている「白石和彌」監督の作品だからだ。「狂悪」「牝猫」「彼女がまだ名前を知らない鳥たち」いずれも意欲的であり、強烈な個性を発揮していた。「孤狼の血」は深作欣二監督の名作「仁義なき戦い」を意識したのか、あるいはしすぎたのか。デンゼルワシントン主役でアカデミー賞を受賞した「トレーニングデー」の影響がありすぎていた。又、故今村昌平監督の上映時ナンバーワンになった名作「豚と軍艦」の影響もありすぎていた。ダイワハウスのCMで人工知能AIは、愛だとウエスタン調にハミングしていた名優役所広司がいくら気張っても、目がやさしすぎて超ワル刑事に見えない。(本人がいい人すぎるからだろう)CMでビールを飲んで、ウマイ!なんて言っている江口洋介がいくらスゴンでもヤクザ者の目にはなれない。あなたは本当は狭いところが好き。なんて言うハウジングの CM に出ている、竹野内豊が思い切りスゴンでもヤクザ者の目になれない。二人とも対立する組の若頭役だがミスキャストと言っていいだろう。石橋蓮司の親分役はいつもの芝居の域を出ていない。広島弁が「仁義なき戦い」のように、イキイキとしてない。タドタドシイのだ。CMのイメージはやはり強い。

「仁義なき戦い」のリアリティはやはり脚本がいい。 主役からセリフのない若い衆まで一人一人が深作欣二監督のとてつもないしつこい演出で躍動する。人間の持つズルさを徹底的に追求した。そして人間の持つ弱さを表現した。残念ながら、「孤狼の血」には主題が見えなかった。何かみんなマネッコしていた。「トレーニングデー」のデンゼルワシントンと新入りの刑事の間には、哲学的、文学的言葉が激しく飛んでいた。超ワルの上を行くウルトラ超ワルの恐怖があった。で、私は「トレーニングデー」をレンタルして来て見直した。白石和彌監督の次作に期待する。俳優さんたちには心からおつかれさまでしたと言う。本物のヤクザは CM に出まくっていてはまず演じられない。大スター小林旭は「仁義なき戦い」で最高の存在感だった。千葉真一が特筆もの。二人は 当時CM に出ていなかった。昨日朝早く神田のあるエージェントに入って版権の難問に取り組み、次につくばエクスプレスに乗って、ロケハンを五時から八時過ぎまで、カメラマン、アートディレクター、スタイリストのヒトたちと。腹ペコになったが外人さんのオーディションをするために恵比寿へ。長髪がシンボルのスタイリストとモデルさんの寸法を計る。フランス人の男性と女性。雨がシトシト降っていた。十一時頃の恵比寿は酔客でいっぱいだった。電車に乗るとトイメン(目の前)の男が夕刊紙を広げていた。そこには「哀しみのコンチェルト」秋元順子、五月九日発売。「別れの港」佐々木新一、五月二十三日発売。「ぼたん雪」西方裕之、五月二十三日発売。「日豊本線」池田輝郎、五月二十三日発売。「よされ恋唄」なでしこ姉妹、五月二十三日発売。こんな広告ががあった。売れたらいいなと思った。レコードの裏面表記もあったが、省略する。午前一時少し前辻堂は雨が激しくなっていた。哀しみのコンチェルトな気分となっていた。このブログを書き終わったのは午前二時四十二分十一秒。 NHK テレビでは"あの日、あのとき、あの番組"という番組をやっていた。「孤狼の血」の関係者にご無礼があったらお許しを願いたい。どこまでも私見である。最高におもしろかったという人も多くいることを加筆する。未だ観てない人はぜひ観てください。そして映画談義をしましょう。酒代は私が持ちます。(文中敬称略)

2018年5月21日月曜日

「滅亡と必死」

先日名古屋に行った。現在手掛けているプロジェクトの建築現場を見に行くことと、 大きな屋外広告を制作したので、それが掲出されている金山駅へ見に行った。 ウェブデザイナーのパートナーと共に。"名古屋は独立国" と言うが、行くたびに本当にそうだなと思う。街は活気があり若者たちが多い。東京の若者たちと違って、皆大きな声で話し合い、大声で笑う。街行く人々は上を向いて歩いている。スマホばかり見ている東京では見かけない元気な姿がある。建築家黒川紀章氏(故人)の弟さんが設計したと言う、モード学園の巨大なネジのような変形体 のビルも違和感がない。人口230万人以上の大都会の繁栄を支えているのは、トヨタである。何しろトヨタ一社で売上高29兆円以上を越す。国家予算の三分の一近くを、トヨタは売上げる。一円でも円高になると繁華街のお客は減ると言う。名古屋では、地場産業と一族経営の会社が多い。東京の一族経営と違って結束力が抜群に強く、代々家訓を守り続ける。


何が会社を繁栄させ、何が滅ぼすかを徹底的に学んで来た。100年200年、300年、400年と。京都もある意味、”特別国”である。何しろ御所があり、天皇家の歴史がある。日々"カイゼン"をしないでいると、代々続く老舗も、大なる会社も、小なる会社も必然的に滅亡する。ダイエー、西武、シャープ、サンヨー、ソニー、PARCO、日産、三菱自動車などいくらでもあり、気がつけば外資系になっている。「一人一国」の気構えがあれば他人に占拠されることはない。学べ、学べ、学べと私は言う。酒に学び、女性に学び、芸術に学び、食に学ぶ。その上で、人間に学ぶ。そして遊べ、遊べと言う。

名古屋で私は今たくさん学ばしてもらっている。信長、秀吉、家康を生んだ必然が見えてくる。中国の教えに、「成功の下に久しく居るべからず」というのがある。一度成功したのがずっと続くことはないぞ、だから常に危機感を持って次に備えねばならない。29兆円のトヨタの社長会見に笑顔はなく、これから更に「カイゼン」を進めなければならないと言った。むかし銭湯で飲む定番のコーヒー牛乳は、「名糖牛乳」であった。そうです名古屋だったのです。一生に一度しかない人生を切り拓くために。四苦八苦して行くことがあることほど有り難いことはない。必死に生きるとは、必ず死ぬから悔いを残すなということだと私は思っている。売り上げ29兆円の会社も、売り上げ10万円の会社も社長は一人だ。

2018年5月18日金曜日

「新しいヒロイン像」

大事件が起きると警察にまず最初に疑われるのが、第一発見者。次に身内や親類縁者、その次が出入りの人たち。宅急便や郵便配達の人。その次が隣人、周辺の人。その次が元警察官やガードマンさんたち。これは知人だった元刑事に聞いた嫌な話。刑事たちは猟犬のように追い回す。連休中に見た映画、「エルELLE」を昨日思い出した。新潟で起きたあまりに酷い事件の犯人逮捕をニュースで知ってからだ。その映画の主人公はゲーム会社の女社長。日々スタッフと超エログロなゲームソフトを開発している。つくり出すアニメーションは異常なレイプものが多い。
過激なシーンが生み出されると、スタッフ一同が歓声をあげて、拍手また拍手、ヤッホーとばかりパーティで盛り上がる。この女社長を演じるのが、フランスの名女優イザベル・ユベール。映画は官能的サイコスリラーとしてカテゴライズされている。アラフォーになっているであろうこの女社長が、仕事を終えて、夜帰宅すると、突然窓を破って侵入して来た黒い覆面の男に殴られまくってレイプされる。自分の会社で開発したゲームソフトのように。女社長は一人住まい、別居中(?)の男がいる。友人たちと会食しながらレイプされたと言う。が決して警察には訴えない。自分の手でレイプ魔を捕まえたいからだ。そして又、レイプされる夜が来る。犯人は殴りまくらないと欲情しない。バチンバチンのボッコボコ。服や下着は破られる。顔面からは赤い血が、それでも警察には訴えず、平然と出社して、さらに異常なレイプゲームを開発しつづける。そして又、黒い覆面の男が現れる。さあ~どうぞ好き勝手にという態度を見せると、犯人の男は殴らないと犯せないと言う。とその時女社長は猛然と犯人に襲いかかる。たじろぐ犯人の男が分かる。それは、目の前に住むよくパーティなどで出会う、三十代位の男だった。監督は「氷の微笑」のポール・ヴァーホーヴェン。このエグい表現をする監督は、フランスのブルジョワ的スノビズムと背徳性や偽善を洗練されたタッチで表現する。犯人以上に異常な驚くべきゲーム会社の女社長。悪女映画の歴史を塗りかえるヒロイン像である。
何度も言うが、男は絶対に女性にはかなわない。


2018年5月17日木曜日

「チャップリンは」

「マヒ」している。と言っても和田弘とマヒナスターズの歌を聴いている訳ではない。漢字で書くと「麻痺」である。近所の子を殺す。自分の妹の子を殺す。当たり前のように他人を殺す。七十一歳の菅主が女性問題でいわば破門にされる。日大のフットボールでは、信じられない殺人タックル。世界各国ではテロリストによる殺人の連鎖。トランプ大統領によるイスラエル大使館移転問題は、政治的、地政学的殺人行為。混乱と殺人は終わらない。我が日本国は、野党が死にもの狂いでない。つまり必死でない。嘘八百の人間を追い込むには、決定的証拠が絶対要素だ。将棋的には、完全に「王」は詰んでいるのに。ホンボシ(真犯人)を追う刑事のような執念がなければならない。でかいオデキを治すには、膿だけ出してもダメ。オデキの芯を出さねばならない。さてその芯とは(?)。

現代人は、人が死のうが生きようが、どんな殺され方をしようが、テレビを見ながらパソコンやアイフォンやアイパッドなどを見ながら、ハンバーガーを食べ、ラーメンをすすり込み、コーヒーにケーキを楽しみ、とんかつやアジフライを食べている。ゲーム世代に育った人間たちにとっては、現実に起きている事なんか「へ」みたいなものである。グレープフルーツハイやワインやビールを飲みながら、もっと絶対的な悪を求め絶対的な悪やエロを求め続ける。ゲームを開発する天才プログラマーたちは、人間の想像を超える。
マヒにマヒを重ね、さらにマヒやマヒを抱えた“ヒマ”人は、すでに病的人間であり、それらがどっと世の中にいる。ネットカフェや漫画喫茶で生活する人間たちは、自己表現することができなく、書き込みなどという行為で炎上を楽しむという。

そういう私もおぞましい事件を見ながら、読みながら食事をしている。やはり和田弘とマヒナスターズの歌などを聴くしかない。いや待てよ、“マヒ”と言えば。“ヒマ”がコインの裏表、五月みどりの“おひまなら来てよね わたしさびしいの お願い・・・!”で一週間に十日来いとなる。現代社会は一週間に十日分以上のオドロオドロシイ事が起きている。国家のトップがルールを持たないと、国民全体も当然ルールなどを持たない。“ジコアイとセツナテキ”生き方となる。恩だ義理は死語となる。♪好きだった 好きだった 嘘じゃなかった 好きだった ほんのひとことあの時に言えばよかったあ…。チャップリンの名画に「殺人狂時代」というのがある。天才はずっとむかしに現代社会を予言していた。「独裁者」というのもある。人は人を愛することで救い、救われるしかない。

2018年5月14日月曜日

「親分と子分」

首相秘書官柳瀬唯夫の国会でのバックレ(しらばっくれる)た答弁を聞いていて、ふと十代の頃を思い出した。その頃私はいつも荻窪駅南口(阿佐ヶ谷寄り)にある「富士」という純喫茶に昼ごろまでいた。(つまり学校はサボッテ)その1階はスマートボールとラッキーボールの店であった。当然損はなし。朝そこに行き、景品を受け取り、路地裏にある景品買いの小屋(人間一人しか入れない)に景品を持って行く。ヤクザ者が二人(九州出身)がいて、景品買いをやっていた。午前中にひと稼ぎして昼に二階の富士で珈琲を飲んで、新聞を読むのが習慣であり、そこを終えると北口の「ポルテニア」という美人喫茶に行った。店のオーナーが特別に四人掛けを提供してくれていた。さて、富士には、階段上に赤電話があった。十一時四十五分になるとヤクザ者はその赤電話を占拠する。何故なら12時キッカリに親分から電話が入る(住吉会系佐野組組長)私たちはサノをもじってノサの親分と言っていた。12時になるとピッタリ赤電話に親分から電話が入る。一分一秒でも遅れる事は許されない。受話器が鳴った瞬間、パットそれをつかみ、昨日あった出来事をすべて報告する。ヤクザ者にとって波風モメ事がない日は、殆どない。直立不動でハイ、ハイと応える。そして景品の売り上げ、イタズラ(小さな賭場)の上がりを報告する。又、あいつがこう言っていた。あのヤローがこんなことをなどを、全て報告する。つまり後になって報告を忘れていましたなどは許されない。秘書官にとって総理大臣は親分である。万が一にもその事は忘れてました。報告を忘れましたと言う事は、絶対にありえなはずなのだ。総理の大親友の案件を報告してないなんて事は、太陽が西から上ってもありえない。全く質問力がないどーすることもアイ・キャン・ノットの野党の連中は、自分たちが労を尽くして絶対的証拠をつかむ努力をしていないから、手も足もでない。久々にスマートボールがしたいと思った。ちなみにノサの親分は、府中刑務所で自殺した。脱走途中でという説もある。今日又、国会でむなしい野党の質問大会がある。東京新聞の朝刊では、国民民主党の支持率はわずかに1.1%であった。

2018年5月10日木曜日

「連休の三日間」



五月三、四、五日と連休をした。混雑、行列、集団が苦手なので借りて来た映画を見た。新作、準新作、旧作十七本、目標二十本には届かなかった。「質屋」、「密偵」、「彼女がその名を知らない鳥たち」、「アウトレイジ・最終章」、「エクザイル・絆」、「エル」、「狂気の夜」、「鞄を持った女」、「ポルト」、「光」、「全員死刑」、「ドリーム」、「ゲットアウト」、「セザンヌと過ごした時間」、「新世紀・パリオペラ座」以上である。「質屋」はホロコーストの生き残りのユダヤ人がアメリカの下町で質屋を営んでいる。帰る国のない人間(ユダヤ人)にとって頼れるのは金でしかない。この言葉は現代の世界経済から情報化社会の中で生き続けている。「密偵」は日本が韓国をほぼ統治下に置いていた時のスパイ物、期待外れ。「彼女は、、、」は阿部サダオの演技が凄い。SEXをしない夫婦(?)に愛を奉仕をする男。蒼井優も凄い。一人の女に惚れ込んだ男の一途な愛は、当然狂気を呼ぶ。「アウトレイジ」は、バカヤロー、バカヤローを相変わらず連発するだけ。大杉漣が親分役であった。そして大杉漣は本当に死んでしまった。合掌。「マスター」全然期待外れ。「エクザイル」も同じ、香港映画がこの頃よくない。私を支えてくれていた凄腕の女史は香港映画の大ファンで連休に香港に行くと言っていた。いい作品に出会えただろうか。ジョニー・トーよがんばれ。「僕の村は戦場だった」タルコフスキーの名作、言うことなし。「エル」女性は男を支配する。中々よかった。「狂気の夜」ずっとむかしのイタリア。若い男女のファンキーな日々。「鞄を持った女」クラウディアカルデナールの若々しき作品。大好きな女優であった。名作「刑事」のラストシーンは最高である。近々借りて来て又見ることにしている。アモーレ、アモーレ、アモレミーオ、主題曲は忘れられない。「ポルト」これはいい短篇小説を読んだ後みたいな作品。26才の若者と32才(?)の女性と運命的な出会い。ポルトガル(?)の駅ポルトが舞台。”恋人たちの嘘は、やがて真実になる。”プルーストの言葉がよかった。恋と愛は偶然の産物だ。「光」実の兄の妻を抱く弟。破滅的な世界。井浦新が静かな狂気を演じる。橋本ナオミが満たされない人妻をよく演じていた。「全員死刑」実話をネタにした若手作家の作品。ヤクザな両親とヤクザな兄弟。「ドリーム」アメリカがソ連に遅れをとっていた宇宙開発、成功に導いたのは、三人の黒人女性、一人は大天才。NASA宇宙開発研究所は当時人種差別が酷かった。91才でこの世を去った大天才の数式が宇宙への第一歩に導いた。現在もこの女性の名を冠した研究施設があり、最高の栄誉賞を受ける。大統領はJFケネディだ。大成功した後、上司の所長がこう言う、「この研究所のトイレで流す小便の色は、同じなのだ」差別する表示板を所長はハンマーで壊して回る。「ゲットアウト」オカルト物でつまんなかった。「セザンヌと過ごした時代」、象徴派の巨匠の若き日々、貧しき日々、悲しき日々、友人ゾラとの日々。”愛人でも長く付き合えばいい妻となる。”このフレーズがよかった。画家はモデル次第のところがある。「新世紀・パリオペラ座」私の尊敬する大先輩である、元東急文化な社長、田中珍彦(ウズヒコ)さんが、ワーグナーのバイロイトを文化村の柿落としとして招いた。総勢約300人、改めてその凄さを知った。オペラを成功させるためにパリオペラ座は闘う、オーケストラ、美術、衣豪、バレエダンサー、オーディション、一年間かけてのゲネプロ(練習)の厳しさ。予算がない。芸術を生むという事は、正に生死をかけた闘いの日々。人間はなんてすばらしいんだと、早朝見終わり拍手をした。ちょっと書く順番を間違えたが、三日間で17本を早送りなしで見た。あ~映画がつくりたい。


2018年5月2日水曜日

「ぼっこうきょうてい」

四月二十七日は思い出深い日一日となった。
小社社長と期待の新人と私の三人で、私の故里岡山に日帰り弾丸出張をした。
期待の新人は一泊して岡山研究をした。新横浜→岡山までは「のぞみ」で約三時間二十分程だ。目的はかつて小社にてデザイナーをしていた、土佐出身の女性が、岡山の男性と結婚して岡山市内にある広告代理店にディレクターとして入社して、私たちとつないでくれたのだ。
「ビザビ」さんという広告代理店は、昭和九年創業という歴史ある会社、現在三代目社長であった。ビザビさんは100周年を前に、実に若々しく、活気があり、私たちと会ってくれた七人は、とても目が澄んでいた。社長さんは四十代。
社員数は120人余りの総合代理店であった。メディア局、クリエイティブ局プロモーションの人などが、それぞれオシャレなファッションで対応してくれた。
ビックリしたのは出版物であった。100万都市岡山市は広く、美しく、若い人が多く、まるで銀座のように有名ブランド、スーパーブランドのショップが勢揃いしていた。
岡山は日本一ハレの日が多いことで有名だ。二十七日も見事なハレの日であった。
ビザビさんが発行している月刊紙「おかやま」は、販売部数なんと56,000部で、女性に大人気であった。内容は実に豊富で充実しており、編集、撮影、記事もすばらしい。東京で人気の女性誌と比較しても全く見劣りしない。大人のための情報誌「オセラ」は20,000部を発行していた。
これだけの雑誌を出すのは毎日大変でしょう、と言ったら、遅くとも夜八時頃までには皆退社するとか。私の知っている限り月刊誌の発行はハンパではないほど大変なはずであった。
「ビザビ」とはフランス語で、「お互いが顔を向け合い、見つめ合うこと」であるとか。
365日ビューティフルであることを目指している。大いに感動し、感激した。岡山と言えばジーンズで有名。みなさんいいジーンズを身につけていた。小社にいた女性は一人の若い(と言っても一児のパパ)デザイナーも紹介してくれた。月に二週間は東京に来て仕事をしているとか。ビザビさんはクリエイティブの仕事を東京のスタッフと組んでいる、ネット社会に距離はない。自社ビルを持ち質の高い仕事の数々、イベントからショップ販売まで、すっかり勉強させてもらった。
何かの縁だと思うので大切にしたい出会いであった。
四月二十七日、金正恩と文在寅が38度線を共に超えるという歴史的出会いをした。
これほど用意周到に事を運ぶには相当の日数と下打合せが必要である。が、日本国政府はその情報を知らず、知らされずであった。まさに蚊帳の外、世界はすでに現在の日本政権を見限っているのだろう。CIAというスパイ機関のトップを国務長官にするというトランプ大統領。
日本で言えば陸軍中野学校の校長が外務大臣になるようなものだ。まだ春なのに真夏の夢(悪夢)のような話が持ち上がっている。
トランプ大統領+金正恩+文在寅の三人がノーベル平和賞の筆頭候補だと。一人殺せば殺人犯だが、100万人殺せば英雄だと言う。岡山でビューティフルな気分になったのに、新幹線の中で見る電光掲示のニュースに、ア然、ボー然とした。
それにしてもこの情報化社会の中で、日本政府の情報入手能力の無力さは世界の恥であろう。岡山弁で言えばさしずめこんな風である。
「ぼっこうきょうてい金正恩」金正恩は父、金正日よりはるかに残忍であり、政略家、謀略家である。“ぼっこうきょうてい”は、“ものすごくおそろしい”のことである。岡山駅で大好物の「ままかり」を買って帰った。このコハダのような小さな魚は、今は亡き祖母と母の味である。一箱680円、酢漬けと照り焼きである。嘘で固めたこの国の経済は、“ぼっこうきょうてい”事になっている。
日銀は物価高目標2%の数字を削除した。大借金大国を立て直す人物の出現を待つ。
米、中、露、は勿論、南北朝鮮、アジア諸国、中東、中南米、あらゆる国が日本をシカトしている。
金配り外交は世界中の物笑いなのだ。くれるものは、いただきますと。400字のリングは五月十日まで休業します。みなさんいい連休を。



2018年4月27日金曜日


本日は岡山へ日帰り弾丸で、ブログはお休み。みなさんいい休日を。

2018年4月25日水曜日

「お赤飯のおにぎり」




昨日朝辻堂駅、列車は確か高崎行(眠気があり記憶が定かではない)七時ちょっと過ぎ(少し遅れて来た)当然満員に近い。
(グリーン車も満員)ラッシュの時間、2-3分遅れただけでも混み方が大違い。
どうしても書いて渡さなければならない原稿があり、満員列車に乗車した。
きっと藤沢で学生さんたちが降りると思い前の方へ向った。
辻堂駅は何んの取り柄もないが、ホームの長さは相当なものらしい、かなり長い、本当に長い。前から三両目に乗った。満員の中に入った。大船で横須賀線に乗り換えるかと思った。
わざといちばん後から乗ってドア側に立つことにした。やれやれと思っていると、体の小さなおばあちゃんが、グイグイと私を押しながら乗って来た。
大きなズタ袋みたいなバッグを肩から斜め掛けにし、手にはたっぷり物が入っていた麻のトートバッグ。
下を向いているので顔が見えない。ドアが閉まると同時にトートバッグの中からゴソゴソっと物を出した。それはお赤飯のおにぎりと、ポカリスウェットのペットボトル。狭い中でおにぎりを包んでいたビニールを取り、ガブリと口に入れた。列車が揺れる中誰に遠慮することなく丸いお赤飯を食べる。
列車がスピードアップすると、食べ方は逆にゆっくりとなる。眠気の覚めない私は悪い夢を見ている様にじっと事の成りゆきを見る。辻堂→藤沢間は4分位だと思うが、10分以上に感じる。藤沢駅に着くと、どっと人が降りる。当然私も降りて人が降り切るのをホームの上で待つ。おばあさんは残り少なくなったお赤飯のおにぎりをホームの上で食べては、ポカリスウェットを飲む。さて又乗車、私の後におばあさんがくっついて乗って来た。やはり満員状態、やっぱり次の大船で降りようと思った。と、その時おばあさんは二つめのおにぎりを出した。濃い茶色をしていた。やはり円形である。列車がスピードアップするとおばあさんは私にへばりついたようになって来た。しかし正体不明の濃い茶色のおにぎりを食べては、ポカリスウェットを飲んでいる。かなり器用なのだ。藤沢→大船間は短い、おばあさんの顔を見たいが見ることができない。濃い茶色のおにぎりは何かを知りたいが、混雑から抜け出したい。戸塚まで行けばドア・ツー・ドアで乗り換えられる。迷う私、食べては飲むおばあさん。大船だと階段を上って下りてホームチェンジが必要だ。迷う私なのであった。実はこのおばあさんと戸塚駅のホーム上で会話を交わすこととなった。この話は後日に。私にはいろんなドラマがついて回る。否ドラマに近づき過ぎるのだ。 

2018年4月23日月曜日

「映画少年と映画少女」



「人間発電所」が死んだ。フツーの人なら、えっ電力会社の人がダムかなんかで死んだの(?)と思うのが常識である。だがプロレスリング全盛時代を知っている人なら、えっあのブルーノ・サンマルチノが死んだのと思う。あるいわあの人間発電所はまだ生きていたんだと思う。私はその両方であった。途方もない怪力であったネツクハンキング(首を絞めながら持ち上げてドスンと落とす。)ベアハッグ(胴絞め(サバ折り)が得意技。この二つだけで、ニューヨークのマジリンスクエアガーデン(格闘のスポーツの本場)で187回チケット完売の記録をつくった。
身長178センチ、体重115キロ(全盛期)ボディビルで鍛え上げた肉体は、筋肉の塊りだった。
イタリア移民の子でもあった。がプロレスは少年をスーパースターWWWF世界チャンピオンにした。プロレスは純粋スポーツか、それともショーか、という意見があった。
私は両方だと思っている。サンマルチノは、首、アゴ、鎖骨、肋骨、腕にヒザ、アチコチ折れたり、外れてたりしたという。単なるショーならこんなリスクは迫わない。
その一方でプロレス界でいわれるブック(シナリオ)がなければ、死人の山となるだろう。この頃のプロレスはサーカスのように空中を100キロ以上のレスラーが飛ぶ。
鍛え続けていないとボクシング同様命を落とす。ブルーノ・サンマルチノはその怪力から人間発電所と呼ばれ、プロレスファンを熱狂させた。
イタリア降伏後、ナチス突撃隊の占領から逃れていた少年は、アメリカンドリームの体現者であった。82歳であった。四月二十日、午後七時~十時銀座に、人間映画発電所っみたいな人間が約30人集った。四万十映画祭で最優秀を受賞したことを祝うパーティーであった。大阪や愛知からも来てくれた。映画大好き人間が、まるで仲良かった中学時代のクラス会みたいに集った。表彰状とトロフィ、賞金10万円、監督、プロデューサー、アートディレクター、コピーライター、撮影、照明、編集、スタイリスト、キャスティング、主役、脇役、音楽の男たち。そして女性たち。店のオーナーは高級クラブも経営しているので、人気の女性も呼んでいてくれた。一人ひとりトロフィーを持ってハイチーズ、そして乾杯、あとは飲み放題、みんなこんなによろこんでくれたのかと言う程、宝物を見つけた少年少女のような笑顔の渦。四万十市の人から祝い酒も送っていただき一同感謝、プロデューサーが編集してくれた、4/23、24、25日の授賞式のドキュメンタルフィルムにみんな大感激であった。私はパーティー後オーナーにお礼に行って帰ったが、あとは、二次会、三次会、ついには数人で四次会まで行ったとか。
楽しかった。久々にイラだっていた気分が納まった。大好きな映画の男たちと女性たちを見ていてつくづく思った。みんな本当にいい顔だ。照明のボスは八田直哉さん、握手したら、プロレスラーの手のように、分厚く強かった。きっとブルーノ・サンマルチノの手も八田直哉さんみたいだったのだろう。ヨーシ次は○△だ、と又、大風宮敦を広げてしまった。私の悪いビョーキなのだ。ダンボール箱いっぱいブック(シナリオ)は書いてあるのだが。「映画」という2文字は、人間に熱気を呼び、そしてそれぞれの才能を発電する魔力がある。