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2019年4月16日火曜日

「お札の顔」

いい芝居には、いい脇役が必ずいる。主役はその脇に固められてこそ、その存在が際立つ。恋愛の世界では、愛されなくなったことより、嫌われるようになったことより、いちばんつらいのは、「忘れられる」ことだと言う。紙幣界の芝居の主役が変わると発表された。人にいちばん愛されたのは1万円札であることは言うまでもない。次に5千円札。その次に1000円札、おや、待てよと思った。2千円札があったではないか。その2千円札は変更しないと言う。その理由を財務大臣は、流通枚数が極めて少ないため、と言った。紙幣を一新するならすべてやるべきと思う。うがった見方すると、2千円札は沖縄の守礼門がメインビジュアルであるから手をつけないほうがいいと判断したのでは。沖縄に冷たい日本国政府は2千円札の扱いも冷たく、その流通を推進させなかった。2千円札は脇役にもなれなかった。紙幣界の芝居のメンバーだったのに、役がつかなかった。そしてすっかり忘れられた存在となった。沖縄サミットや辺野古への移設を進める、当時の日本国政府の〝ゴキゲントリ〟だった。2千円札は実に不遇であった。ちょっとした御祝いや、お年玉やお小遣いを奮発する時、2千円札は丁度いい額だった。5千円では多い、1000円では少ない、3000円も少し多い。いっそ2500円札があればベストだった。2千円札の上手な使い方読本とか、2千円札の効果効能とかの、雑誌特集とか、便利読本が沖縄とタイアップしたり、いろんなコラボレーションをすすめてきら、これほど忘れられなかっただろう。いずれにしても守礼門がメインの2千円札に、手をつけたら嫌がれると腰が引けたのは確かだ。いっそジュゴンとかマンタとかをメインビジュアルにするとか、沖縄が生んだ巨人「瀬長亀次郎」さんを起用すればよかったと思う。下手を打ち続けている麻生太郎財務大臣の器量では、そこまで考えられない。沖縄が生んだ、最強にして最高のヤクザ、通称「スター」と呼ばれた、空手の達人なんかもいいのではなんて思う。その「スター」を殺した、通称「ミンタマー」と呼ばれた強烈な人もいるが、きっとまだ生きているのではお札にはできない。2千円札も沖縄をコンセプトに一新しなければ、極めて片手落ちである。あの岩倉具視なんか一歩間違えれば極道者よりはるかに悪党のくすぶった公家であった。







2019年4月15日月曜日

「タイガー・ウッズに泣いた」

本日午前三時二十九分十一秒。ついに、ついに、ついに「タイガー・ウッズ」が、メジャー中のメジャーである、マスターズゴルフトーナメントにおいて逆転優勝した。世界中のゴルフファンは勿論、スポーツを愛する人々に感動の嵐を呼んだ。絶対王者だったタイガー・ウッズが、腰痛の手術を、膝の手術を何回も何回も繰り返し、一時は走行すら困難であった。その間数多くの女性とスキャンダル、痛み止めの薬などの飲み過ぎにおける醜態では、ABCすらまともに言えなかった。その深夜の職務質問のシーンは、世界中に配信され、タイガー・ウッズは終わったと言われた。だが少年時代からゴルフを愛し続けたタイガー・ウッズは、決してゴルフを諦めなかった。ネバーギブアップである。4日間72ホール・288ホールを戦って、2位との差は1打差であった。並み居る世界の強豪たち、次の時代を担う若いスーパースターたち、一時は世界ランク674位まで落ちていたタイガー・ウッズは、昨年奇跡的な一勝を勝ち取り、このマスターズトーナメントでの勝利を目指し、練習を重ねた。ゴルフボールの進化、ゴルフ道具の進化は、飛躍的に飛距離を増し、かつて圧倒的飛距離を誇っていたタイガー・ウッズを若手は超えていった。そのことをタイガー・ウッズは、しっかり受け入れ、若手たちより先に第2打を打ち続けた。ライバルであったフィルミケルソンは、もう一度強いタイガー・ウッズと優勝争いをしたいと、傷ついたタイガー・ウッズを励まし続けた。天はすべてに苦悩し、激痛と闘うために努力を重ねたタイガー・ウッズを応援した。勝利の一瞬、ギャラリー(パトロンたち)は絶叫し、ゴルフ場を破壊する如く歓喜の声を上げた。ついにアメリカのヒーローはオーガスタのゴルフコースを揺るがした。私は努力して諦めず、誇りを捨てずに闘う男を支持する。日本のゴルフ界の絶対王者だった「ジャンボ尾崎」はすでに七十歳となった。やはり腰痛の手術を何度か受け歩くのもままならないが、レギュラーの試合に出場し続ける。昨年は一年間で賞金ゼロである。私はジャンボ尾崎のライバルであった青木功のファンであり、もう一人の天才中嶋常幸とは、ある飲料メーカーのTVCMの仕事で一緒していたので声援を送り続けた。中嶋常幸は若い頃、サイボーグと言われた。父親と猛練習を重ねた。「AONの時代」である。口の利き方も知らず、挨拶もできないと言われた中嶋常幸は、クリスチャンである一人の女性と出会い、洗礼を受け劇的に人間が変わっていった。父親との縁を切ったという。その中嶋常幸がマスターズゴルフトーナメントの解説である。冷静かつ謙虚、正確にして愛情溢れる解説が際立っていた。「A」の青木功はゴルフトーナメント協会の会長となりゴルフ界に尽くしている。「O」のジャンボ尾崎は後進の指導をしてその中からトッププロが何人も出ている。「K」の中嶋常幸はシニアトーナメントで活躍している。私は4日間マスターズトーナメントを見続けた。そして288ホール目タイガー・ウッズが勝利のパットを入れた時、涙がとめどなく流れた。一人で大拍手をした。81勝目をあげたタイガー・ウッズは最多勝のサム・スニードまであと確か1勝。ジャック・ニクラウスのメジャータイトル最多勝まであと3勝だ。ナイキの白いマークの入った、赤いシャツ、黒の帽子が最終日の定番、黒いスラックス。神がかったオーラを発する姿に他のライバルたちも、勝利を祝った。努力した者にしか勝利の神は微笑まない。昨日千葉の「八柱墓地」に恩師の納骨に行った。帰宅すると、小さな庭の牡丹の木に3つの大輪の花が一気に咲いていた。あと一本にも花芽がある。6年目の奇跡だ。もう二度と咲かないと言われていた。アメリカという国の良いところは、何度失敗しても挑戦する者を応援する。日本は一度でも失敗したらずっと痛め続ける。今日は大事なプレゼンテーションがある。努力は重ねた。(文中敬称略)

2019年4月12日金曜日

「グラッチェ、アミーゴ!」

大、大、大好きな芸人「ケーシー高峰」さんが死んでしまった。享年85歳。
お医者さんの服を着て白板(ホワイトボード)とチョークを持って舞台に立つ、首には聴診器が定番スタイルだった。グラッチェ、アミーゴ!と言って出てくる。医学ネタを漫談にする。私の好きなのは、「病気の予防はあるか、ないんです。予防に勝る治療なしと言うけど。だから病気にならないための予防としては、死ぬことなのです。」グラッチェ!とか、「どういうおっぱいがいいかは乳房の大きさではなく、乳首で決まる。ピョンと出て、触るとイヤンと感度がいい。これをピョンイヤンと言う」アミーゴ!もう一つ「ある美人がいて大名に見初められた。3人の大名がその美人を犯してしまった。これを『3キン交代』と言う」グラッチェ!医学ネタしている自分自身は、椎間板ヘルニア、腰部脊柱管狭窄症の手術。05年に舌がんが見つかり手術。そして復活した。顔面は月面のクレーターのようであったが、実に可愛かった。私の寄席芸人大好き度ランキングでは、ベストスリーに入る。「南州太郎」さん「松鶴家千とせ」さんと共に。白衣の芸人はもう絶対に病気にはならない。死んであの世に逝ってしまったから。ケーシー高峰さん長い間楽しませてくれてありがとう。心からご冥福を祈る。グラッチェ・アミーゴ!グッドパイパイ。何を言っても許される、天性の芸人なのであった





2019年4月9日火曜日

「サイコンタンに学ぶ」

裏社会では逃げ出すことを〝トンコ〟すると言う。トンズラから生じた言葉だ。逃げて隠れることを〝フケ〟ると言う。この語源は分からない。カルロス・ゴーンの美人妻がトンコ&フケてしまった。どこへと言えばフランスへ。数カ国のビザを持っていたのを検察は知らなかったとしたらかなりのドジである。中国の処世訓「薬根譚」(サイコンタン)は、「多く蔵する者は、厚くうしなう」と言っている。たくさんのものを持てば、悩みごともたくさんになる」持てるがゆえの苦脳があって、失う時にそれだけ強く痛むのだと、古人は説いている。私は映画をレンタルしてきてよく見るが、海外の連続ドラマシリーズは、ほとんど見ない。週末TSUTAYAに映画を借りに行くと、海外ドラマシリーズ「メディア王・華麗な一族」NO1NO5が目に入った。DVD1枚約120だからNO5まで一気に見ると、約600分、つまり10時間弱となる。連続物は見出すと一気に見ないとモヤモヤして気が済まない。このドラマのモデルは、テレビ・新聞・雑誌、映画、音楽、書籍、インターネットなどアメリカのメディアを占領した、ルパート・マードックだと思う。アメリカの大統領もその巨大王国に多大な影響を受ける。宮殿に暮らすメディア王一族には養子の長男、養女の娘、実の弟がいる。それらの妻や、結婚した者や、結婚を予定している男がいる。それにメディア王の兄や親者が深い闇を持つ人間関係を形成する。すべては王国の主が病気で倒れたことから権力闘争が始まる。長男たちが不信任動議を提案する、ところがもうダメだと思った主執念で復活する。王国を支配しようとする長男は、闘争に敗れる。マリファナ、コカイン、ケタミンなどの薬物に頼る。結婚相手が決まっているのに、男遊びがやめられない娘 IQが低いからダメだと烙印を押されている。ダメなセックスマニアの弟、王国の権利に群がるハイエナやハゲタカ。大統領まで絡みEUや世界の株式市場もその動向に影響を受ける。親と、兄と弟、兄と妹、妹と弟がドロドロに絡みつく。メディア王はこう言う。アメリカという国は世界から集まる汚い金を洗浄(マネーロンダリング)する国なんだよと。自分たちが所有するグループ各社は、いつでも売り買いする商品にすぎない。王国を乗っ取る作戦に負けた、長男はストレスに耐えられずコカインを求めてクルマを運転し、川に転落して九死に一生を得る。その時同乗していた若者は死んでしまう。が、長男はトンコ&フケを決め込むのだが、父である王国の主はそれを見逃さない。莫大な借金を隠しながら王国を支配していたしたたかな父は、ピンチをチャンスに変えようとする。カルフォルニアのレーズン野郎と言われた大統領はロナルド・レーガンがモデルだろうか。あるいはピーナッツ畑の主から大統領になったジミー・カーターかも知れない。アメリカという国は原住民の皆殺しから始まった国なんだ。メディア王の兄は言う。独立宣言から243年しか経っていない国の今の主は、ドナルド・トランプである。取引を上手くするには手段を選ばないだろう。トランプに八百長はつきものだ。骨を抜かれたメディアは、ジョーカーの役を果たす。だがアメリカという国は、司法だけは十分に機能する。何しろジャスティス(正義)というワードが大好きである。一族経営は堅固な団結がなければ、必ずその一族の主の乱脈経営か、内部の裏切りから始まる。10時間近く一気に見て、つくづく人間という生き物は、罪深い、オスとメスだと思った。シェークスピア曰く、「すべての出来事は序章にすぎない」一代で築いた会社は、最良の番頭や城代家老がいないと一代で滅びる。戦国大名と同じだ。(文中敬称略)

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2019年4月5日金曜日

「マスコミとマスゴミ」

マスコミはいつから「マスゴミ」になったのだろうか。一つの事が起きると、テレビ、新聞、雑誌等マスコミは、一斉に同じことを取り上げ、これでもかというほどにワンパターンの報道をする。そこには各局、各紙、各誌の オリジナリティやクリエイティビティもない。そもそもテレビ局の朝の番組は各新聞社の記事の紹介から始まる。そうか“みのもんた”がやたらに新聞記事をテレビでバリバリ剥し取っていたのを思い出す。そうか“みのもんた”が昼の番組で、タマネギダイエットとか、キャベツダイエットとかを放送すると、一斉に昆虫になったみたいに、タマネギやキャベツの山に食いついていた。トマトやバナナもあった。政府の失政や政治家の悪事について、かつては一言居士がいたが、今はほぼ全員スポイルされた。「マスコミ」として少しは意地と根性を出して、マスコミを敵に回すと痛い目にあうぞとの矜持を発揮するかと思うが去勢された生き物のように、さらにマスゴミ化してきた。“みのもんた”も因果応報自分自身が晒し者となった。プライドを捨てたプロは、プロとは言えない。ヌルイ「フロ」みたいな存在となる。間違いなくこの国は安倍一強体制により亡国へと進んでいる。「ピエール瀧」が大麻や薬物をしていたのは悪事である。彼は法によって裁かれていく。その「ピエール瀧」にも女房・子どもがいる。保釈されてくる姿をマスゴミが何十人もカメラを設置して、“どんな服装、どんな顔をして出てくるのでしょうか”と狙う。10秒、20秒、30秒頭を下げ続けましたと追う。本来保釈はそっと出してやったのが武士の情だった。出所は早朝が刑務所の決まりだった。(映画の見過ぎかも)人の不幸は蜜の味とは今のマスゴミに言える。毎日バカ面してワイドショーに出演している、弁護士や学者や医者たちに最大級の「ケーベツ」を与える。この現象は三浦和義のロス疑惑事件が始まりだったかもしれない。故内田裕也の「コミック雑誌なんていらない」という映画は秀作であった。新元号の有識者のメンバーの中心はNHK 関係、日テレ関係、読売関係であった。なぜ山中教授か、林真理子か、宮崎緑か、なぜ元経団連会長なのか、マスコミはその意を追わない。かつての日本人にはこの件はお断りをしたいという骨を持っていた。 IPSの山中伸弥教授なんかはそういう人かと思っていたが、研究費に目がくらんだのだろうか。昨日撮影の為に朝早く家を出た。7時10分テレビのニュースにカルロス・ゴーン再逮捕と流れていた。ゴーンだかコーンだかどうでもいいが、公私混同の額はでかいがやっていることがせこい。クルーザーの名を「シャチョー」としていたのには笑った。この国はコケにされているのだ。麻生太郎副総理兼財務大臣の子分が忖度しましたと大放言。麻生太郎の元秘書だから親分命。できた親分なら子分の不始末は親の不始末と、腹を切るだろう。 だが出来はすこぶる悪い。権力にしがみつく少し与太った小心者でしかない。ガンバレマスコミよマスゴミから脱せよ。“ペンは銃よりも強い”のだぞ。(文中敬称略)


2019年4月3日水曜日

「シナイはずがシナイへ」

作家五木寛之氏は私にとって苦手な作家の一人である。が、昨日私が愛読する夕刊紙の名物コラム(連載回数10625回目)を読んで、新元号「令和」について、浅学な私と同じことを書いていて、おっ五木先生もそうですかと、敬意を持った。そこで一部抜粋だが原文のママを記す。「令和」と年号が変わって、マスコミも国民も大騒ぎである。号外を奪い合って転倒する姿までニュースで報道された。「あ、そう」と、冷淡な国民など一人もいないような印象だが、私の周辺では格別な興奮はない。日本の古典から始めて引用された、とテレビでは繰り返し伝えているが、はたしてそうか。画面に写っているのは漢文で、用いられるのも漢字である。なるほど日本の古典というのも漢字文化によって成り立っているのかとあらためて認識させられたことだった。中国文化の決定的な影響の上に築かれた文化と認めることを私たちは避けてはならない。戦後の新憲法にしてもそうだ。外来文化の深い関わりを否定するのなら、年号は「ひかり」とか「のぞみ」とか和風に徹するしかないだろう。それでもなお、ひらがなそのものが漢字の草書体から工夫されたものだと考えると、外来文化を大胆に取り入れて、それを日本風に消化していくというのが日本文化の優れたところだと考えることもできる。今回の万葉集からの選定について、それを国風振興の流れととるのは間違いだろう。どこから採用したところで元号そのものは漢字ではないか。狭い意味でのナショナリズムの視点から、何か立場が変わったように考えるべきではない。とコラムは更に続いた。「令和」フィーバーの中で、私が心配したとおり、自衛隊員がシナイ半島に派遣されることが決まった。防衛大臣はあくまで今後のための学習です、みたいなことを記者会見でシラッと語った。今後とは何か、シナイはずをするのが戦争のはじまりである。このことは世界史、日本史の中で証明されている。何にもシナイからと、シナイ半島の戦地へ行く実績が生まれる。昨夜仕事仲間と夕食を共にした。行きつけの中華店(菊鳳)である。4人でシュウマイ、エビチリ、カニ玉、スブタ、チャーハン、ワンタンをシェアした。料金は4人分11000円ほど(酒代込)世界中旅した人が教えてくれたことがある。 旅先で何を食べるか迷ったら、チャイナタウンに行くべしと。当たり外れはあまりなく、どの国にもチャイナタウンは大なり小なり必ずあって安く食べることができる。但し中国人の悪口は絶対禁物だ。直感的に彼らは分かり、何を入れられるか分からない。中華料理は基本的に焼いたり、炒めたり、揚げて作る。入れたものの原形はなくなる。日本文化は中国文化を先生として敬意を持たねばならない。4月1日から仕事仲間になった「孫宇」君は雲南省出身。聞けば雲南省だけで日本の国土の広さがあると言う。野球帽をかぶり初出社、とてもチャーミングな清々しい若者だ。ニーハオ、ニーハオだ。私は若い才能を育てることに尽くして行く。


2019年4月2日火曜日

「雅(みやび)とは」

昨日新元号が「令和」と決定した。中国古典(漢籍)を出典としなかった。新聞の記事に年号に用いる“漢字”を使用せず、日本古典万葉集より云々とあった。私は無学の徒で学者さんの学識とか有識者さんの見識もない。ただ漢字を使っているのだから、いくら嫌中国の面々が、この元号にしてサヨナラ中国古典と言っても、常識的には漢字は中国から日本に入って来たものである。それ故サヨナラとは行かない。漢字を生んだのは中国である。“令話”の2文字を見て直感的に「命令」の2文字と戦争の時代「昭和」を感じた。そして日本人は何かの事変があり、いざ戦争となれば、国家の命令には絶対服従するだろうと思った。今上天皇は護憲であり、国家のリーダーは改憲が使命、悲願、自らのレガシー作りだと各メディアで論じられている。その事に私は論を持たない。ただ私は原爆を2度投下した国により、2発投下された、世界で唯一の国が、再び戦争に巻き込まれる悪夢を見る。戦争は最大の公共事業(?)であり、最大の不況対策(?)である。 現在の財閥、大企業は「朝鮮戦争」でボロ儲けをして大成長した。世界中が不安定でキナ臭い。東西冷戦時代と同じ位危険な状態にある。日本の防衛予算は5兆円を超えた。「令和」が万葉集を詠んだ雅(みやび)の時代のようになるであろうか。私たちは春夏秋冬を知る余裕もなく、一句を読む心情もない。お世話になった広告会社が次々と外資系になっている。そしてリストラとコストカット。テレビ番組で新しい時代に就職したら、給料は何に使いますかとの問いに、貯金しますが一番だった。高校生や中学生にお小遣いは何に使っていますかの問いに、貯金しますがやはり一番だった。その理由は将来が不安だから。欲しいモノがない。スマホがあれば十分だからだった。4月1日日経新聞が私の家に来ていたその夕刊一面には、大見出しで「新元号を決定へ」(日経はこの時点では新元号名を知らずにいた)他紙はドッカーンと新元号名。日経はもう一つ見出しで「景況感大幅に悪化」「大企業製造業2四半期ぶり」「3月日銀短観」日経には新元号と共に来る、日本経済の明日を案じていた。不眠症でも悪夢は見る。きっと少しは眠っているのだろう。帰宅して見た、テレビのニュースに有識者林真理子先生の顔がド・アップで出ていた。「雅」とは(?)。

2019年3月29日金曜日

「異様な世界」

春は転勤の季節である。私が一年の内に一度くらいは頼む「なんでも屋さん」の会社がある。現在引越しの季節で大忙しだ。引越し業は人手不足で、価格はうなぎ上り。「なんでも屋さん」は、そこに住んでいた住民の習慣や習性をよく知っている。若いヒトのほとんどはゴミ屋敷的であり、異様な異臭の中に住んでいる。つまり掃除のできないヒトたちなのだ。彼氏と会う時は猫なで声で、趣味はお掃除です。なんてばっくれて言う。「なんでも屋」さんが言うには、若いヒトの部屋はもう「夢の島」だ。バスタブには使い切った化粧品やゴミを処分したビニール袋がビッシリと入っている。キッチンにはレトルト食品を食べた後の山、黒いビニール袋が部屋の半分以上を占拠している。あるテレビ番組を見てビックリした。デートの時は趣味はお料理ですなんて平気で言う。近頃の若いヒトは、何より図々しいんです。少しオマケしてばかり言うんです。掃除をしない女性で、結婚生活を長く続けられたのはあまりいない。しかしダンナかキレイ好きだと長続きをする。「なんでも屋さん」に、本の出版をすすめた。若い男子が50%以上女性関係、とりわけ結婚に興味がないと言うのは、きっと異様な世界と、異臭を知っているからだろう。そこでラブホテルだけは大繁盛する。その中が盗撮されていると言う。よって私は監視カメラや盗撮のない大自然の中で、思う存分にをススメる。虫さされに合うので、キンカンを忘れずに。



2019年3月28日木曜日

「廊下トンビ」

春が春の仕事をしにやってきた。南から北へ桜を連れて。そして花冷えと春の嵐も連れて。午前3時43分31秒、雨戸が強風でガタガタと音を立てている。実のところ、春はあまり好きではない。なぜかといえば、お付き合いをしている会社の中に人事と言う風が吹く。好い話もあれば、辛くシンドイ話もある。えっあの人が飛んで行ったのとか、あの人が、あの人による仕掛けで、あの人の下になったとか、勇ましいこともある。あの人が、あの人にアタマに来て、アゴの骨を殴って砕いたとか(これは本当にあった話)春は廊下トンビというどの会社にもいる、会社の人事話大好きな人間が、ガセネタをアチコチに流していく。私はそんなトンビを何羽も知っている。真っ先に私に連絡してくるトンビもいる。娘や子ども、それも幼子を持つ人や、年老いた父母のいる男にとって、春を好まぬ会社員は仕事が手につかない。アノヤローブチ倒してやるとか言って、やけ酒をガンガン飲んで、カラオケ屋で大暴発する。私はそんな男たちを観察する。そこに人間性が見えるからだ。ザマーミロあの人ついに島送りだ。と言って田端義夫の「島娘」なんかを歌う。逆に「帰り船」なんかを歌って我が身を慰める男。長渕剛の「とんぼ」も歌う。東京のバカヤローとかいうフレーズに力が入る。お前どこへと聞けば北海道稚内のアザラシの缶詰工場(トドもある)行きだと、手足をバタバタさせ奇声をあげる。思わぬ大出世をした者なんかは故北原謙二のボクにはボクの夢があり、君には君の夢がある。なんて余裕を見せる。正論、苦言を発する者は、リストラ部屋に入れられ辞表を出すのを期待される。机一つ、椅子一つ、仕事なし、そんな人がズラーと閉じ込められている。妻子や家族のために男は耐えて生きる。オカアチャンはホテルでランチバイキングなんかで騒いでいる。近親憎悪の人事はやがて「八つ墓村」みたいになる。午前4時35分38秒時代は荒れている。楽しい兄弟会を過ごした後これを記した。

2019年3月27日水曜日

「インターンに学ぶ」

昨夜「マイ・インターン」というロバート・デ・ニーロとアン・ハサウェイ主演の映画を見た。アメリカ映画の伝統的軽コメディである。が、一夜にして歴史が変わる現代社会をしっかりと描いていた。世界的に起業家は20代から30代である。「プラダを着た悪魔」でファッション雑誌社に入った。新入社員アン・ハサウェイがメリル・ストリープの演じる凄腕編集長に鍛えられていった映画のパロディでもある。70歳で電話帳印刷会社の営業部長を定年になったロバート・デ・ニーロが妻に先立たれて一人暮らし、人材登録会社に仕事をしたいと登録する。そして採用になったのが、主婦からネットによるファッション販売(ゾゾタウンみたいなもの)が大ヒット、わずか1年半くらいで220人の社員を持つ会社になる。妻は何しろ忙しい。一人娘の世話や家事は夫がする。妻はあっという間に会社のボスに、まい日分刻みのスケジュールで眠る間も無く働く。ロバート・デ・ニーロはアナログ人間で、パソコンも使えない、初歩から学ぶが経験豊富で、グッドなアドバイスをボスであるアン・ハサウェイにする。マイ・インターンとは社長付見習いの仕事であった。広いオープンオフィスの中を自転車に乗って、アチコチ移動するボス。じっくりと落ち着いて出来立ての会社の悪いところを、経験を生かして治すインターン。子どもと大人の違いがその経験の差にある。当然アン・ハサウェイの演じるボスは信頼して行く。私にも現在、経験豊富な元広告代理店にいて、クリエイティブディレクターとしてお世話になった人が、定年後来てくれている。その姿、その声、その存在感に心がほっとする。最高の相談相手になってくれている。期待の新人女性もこの一年で飛躍的に成長した。何よりうれしい。会社は人と人が入り交じる間、つまり人間的であればいいと思っている。喜怒哀楽が共に享受できればいいのだ。年配者の経験、若者の感性、若い時は老人と交わり、老いては若者と交わる。これを「忘年の交わり」という。