その地には、決して無くならないものがある。例えば北海道なら“阿寒湖”これがないとアカン。青森“三内丸山遺跡”、秋田“きりたんぽ”、岩手“一関常堅寺”(ご住職夫婦がいい)、山形“さくらんぼ園”、宮城“松島”、福島“鶴ヶ城”、新潟“魚沼コシヒカリ”、栃木“那須高原”、茨城“日光国立公園”、群馬“下仁田ネギ”、千葉“銚子港”、埼玉“佐野ラーメン”、長野“千曲川”、山梨“ぶどう園”、神奈川“とんかつ大関と紅がらのそば”(地元なので二つ)、富山“ホタルイカ”、静岡“富士山”(山梨にも有)、石川“兼六園”、愛知“名古屋城”、福井“越前ガニ”、岐阜“郡上八幡”、滋賀“琵琶湖”、三重“志摩半島”、奈良“奈良漬”、和歌山“紀の川”、京都“嵐山”、大阪“通天閣”、兵庫“神戸牛コロッケ”、鳥取“砂丘”、島根“出雲大社”、岡山“林源十郎商店”(社長が熱い)、広島“原爆ドーム”、山口“松下村塾”、香川“さぬきうどん”、徳島“室戸岬”、愛媛“道後温泉”、高知“明神のカツオ”、福岡“屋台村”、大分“宇佐神社”、熊本“熊本城”、宮崎“日南海岸”、佐賀“嬉野茶”、長崎“ちゃんぽん”、鹿児島“桜島”、沖縄“ホテル・フォールームス”(親友が経営している)。私は仕事のおかげで日本全県に行っている。そのおかげで全県に一人は知り合いがいる。マグロの漁師、トド漁の射撃名人、お寺のご住職、陶芸家、考古学者、染職作家、和紙づくりの達人、メガネ職人、左官の天才、切り絵の名人、木工づくりの変人、マタギの頭領などなど多種多様の人たちと交流している。さて、東京の話だが、東京といえば神田の“岩波ホール”だ。神田は日本中の探究の徒とか、学究の徒が古書店に来る。知の倉庫の街だ。一月十四日の新聞に「岩波ホールが七月に閉館する」という記事があった。その背景は、観客層が高齢化して、若者たちがパソコンやスマホで映画を見るようになり、これ以上経営が成り立たない。岩波ホールのようなミニシアターは良質な作品、小さな国の作品、政治的に揺れていてやっと作れた作品、文学、哲学、反戦、宗教や性についてとかを追った作品。非暴力や人間の暴力性を、徹底的に追求した骨太の映画を世に問う場所であった。あなたが肉マンを買いにいって買ったら、肉が入っていなかった。ラーメンを食べに行ったら、チャーシューが入っていなかった。おでん屋さんに行ったら、カラシがなかった。吉野家の牛丼を食べに行ったら、紅しょうがなかった。その時はあなたはきっと心を乱すだろう。私ならきっとオリヤー何してんだと怒るだろう。カレーライスに福神漬(赤いのがいい)は、絶対の関係なのと同じだ。東京・神田神保町・岩波ホール。1968年に開館した岩波ホールは、日本のミニシアターの巨星だった。良心の館であったのだ。私の密かな理想の死に方は、岩波ホールで映画を見ながらであった。一人ポツンいちばん前の席で。バカヤローなこの文化後進国は、韓国の10分の1しか文化予算を使わずに、どうでもいいことに莫大な金を使う。神田“神保町”とは、文字通り、さまざまな神の意志を保つところなのだ。文部大臣の顔が浮かばない、文化庁の長官は見たこともない。それ位軽量な扱いをしているのが、この国の政治文化なのだ。7月までに未だ時間がある。閉館反対! 俺がパトロンになる。そんな経済人を見てみたい。例えば渋沢敬三のような人物を。日本の民俗学者たちのパトロンになって、柳田国男や宮本常一を育てた。渋沢敬三は第一等の人物だ。神田には、古書店、岩波ホール、そしてカレーライス、これはいわば“日本国憲法”なのだ。責任者を呼んで来い! だ。私から映画を取ったらタンメンから野菜を抜いたスープメンみたいな、人間になってしまう。新作映画にトライしているのだが、イメージがふくらみすぎて、ふくらんだ夢が破裂しそうだ。コロナ禍の正確な情報が分からない。“聞く力”を言う総理大臣は、このところ美食三昧だ。誰の話を聞いてんのだ。しっかりしろ! といいたい。ネットフリックス配信の“新聞記者”を昨夜から今朝まで一気に見た。第一話から第六話まで(約六時間)、米倉涼子が実によかった。ハイヒールを履いていない、ファッションは地味、顔もそれなりのメイクであった。日本の資金ではとても作れない、鋭く深く内閣官房の闇を追っていた。政治はオドロオドロだ。私たちは監視されている。本日の朝七時〇三分、お雑煮を作ってもらった。でも、オモチは抜いてもらった。つまりトリ肉野菜汁だ。これから身内の納骨のために出発する。コーヒーを一杯、そういえば、“クリープを入れないコーヒーなんて”そんなCMがあった。岩波ホールのない神田なんて。立ち上がれ江戸っ子よ。(文中敬称略)
2022年1月15日土曜日
2022年1月7日金曜日
つれづれ雑草「寅年」
令和四年400字のリングが鳴った。年末年始はひたすら修行僧の如く映画を見た。私の心情は葉隠と同じで、“一日一死”朝起きたらそこに死有りの気持ちでやって来た。“俺たちに明日はない”という映画があったが、俺には明日はない。だから今日やることは今日やるのだ。明日という字は、明るい日と書くのね、なんてヒット曲があったが、世の中にすっかり明るい日はなくなってしまった。大晦日の楽しみであった、総合格闘技の試合も強い外国人がコロナ禍で来日できずマッチメイクがメタメタになった。現役の日本人vs引退していた日本人の試合などで、中継時間が一時間以上も残ってしまった。会場に行った人は、金返せであったろう。現在世界のプロスポーツのマネーランキングのトップは、総合格闘家UFCのチャンピオンだ。全盛期のタイガー・ウッズをも超える。年収約197億円。人間は残酷を好む動物で、人と人がボコボコ殴り合い、ビシバシ蹴り合い、ギューギュー首や関節を絞め合い、血みどろになるのを見て興奮する。いっそどちらかが死んでしまったら大拍手なのだ。一人のスターは、少年院を出て、喧嘩番長となり格闘家になった。そして人気ユーチューバーにもなり、登録者数は200万人以上となり、年収10億円を稼いでいると言う。会社も8社やっているとか。路上で殴り合い、蹴り合いをすれば、暴行傷害で少年院か刑務所送りだが、リングの上ではすべてが許され(ルールはある)勝ち続ければ大金が入るのだ。年末に行なわれた紅白歌合戦などという、時代外れのNHKの看板番組の視聴率が、34%位だったとか。かつては80%を超え、70%台を普通にとっていたが、この頃は40%台をウロウロ、結果、大惨敗といえる。おそらくNHKをはじめ外注先の何人かが、どこぞに飛ばされるか、閑職に追われ座敷牢生活となるだろう。私はいつ見たか思いだせないほど見ていないが、ある映画のシーンの中で見た。倉本聡脚本、故降旗康男監督、木村大作撮影という名コンビ、故高倉健主役である。何度も見たのだが、年をまたいで映画監督を志す18歳の若者に見せた。舞台は真冬の北海道だ。倉本聡は冬が得意だ。それと手紙だ。北海道警の刑事である高倉健が、増毛駅前にある“桐子”と書かれた赤提灯の店に入る。雪は深く静かだ。客はいない、カウンターだけの客。座ると左奥に小さなテレビがあり、そこに紅白歌合戦が流れている。桐子という和服の女が、お銚子の酒をつぎながら言う。私この歌大好きなの、♪~ お酒はぬるめの 燗がいい 肴はあぶった イカでいい 女は無口な ひとがいい……。故阿久悠の作詞による、名曲「舟唄」と、倉本聡の言葉とがしみじみと行き交う。女はポツンと言う。年の瀬になると、札幌ススキノのホステスさんの自殺が増えるのを知っている(?) どんな男もこの頃になると、自分の家に帰ってしまうからね。と、まあこんなやりとりが交わされる。この映画「駅 STATION」が上映された頃の紅白歌合戦は視聴率は74.9%だった。645年は大化の改新と中学時代に教った。2022年は“退化の怪新”の年となるだろう。文明は進化し、人間は退化する。コミュ症人間が大繁殖し、人と人の間は、人______間位に広がる。あいさつもできない。ハガキ一枚が書けない関係となる。進化論のダーウィンもまったくついていけないほど人類が退化する。つまるところマスクをした類人猿に帰って行くのだ。北朝鮮が冬の花火のようにミサイルを発射した。でもって私は確信した。目の前に映る金正恩は影武者であると。よく見ると、ビミョーに違うところがある。激太りした糖尿病の人間が、顔色ツヤツヤに激ヤセしたという例は、皆無に等しい。おそらく妹とその一派が実権を持ったのだろう。人間のクローン化などは、カップラーメンをつくる位にカンタンらしい。2日と3日箱根駅伝のランナーに声援を送った。監督が乗っている大きなボックスカーから、いいぞ、いいぞ、ここでお前は男になるんだ、ここでお前は神になれるんだ。そんな大声が聞こえた。コロナ禍の第六波がやはり来た。経済団体の賀詞交歓のパーティのニュースを見た。企業名は知っていても、大将の名は知らぬ人ばかりだ。天下国家を語る人間は一人もいない。今年は寅年。“フーテンの寅さん”の年だ。寅さんは旅先から葉書を出す名人であった。昨年、私は身内、恩人、身内、師匠、友人、身内と、春先きから年末まで不幸の連続だった。そのため、喪中の葉書が間に合わなかった。年賀状をいただいた方々に、心よりお詫びを申し上げる。この場をかりて、皆々様にとって幸多き年でありますようにとお祈りする。体調専一に。労働者諸君、今日も元気に働いているかい。寅さんの声がする。あ~嫌だ嫌だ、初代おいちゃんの声もある。私は最終ラウンドまでファイティングポーズをとりつづける。場末の芸人としてもっと芸を磨いて行く。人生の勝負はマイッタといったらそれで敗けとなる。虎は死んで皮を残す。“人は一代、名は末代”という。一日一日この言葉を大切に生きる。時には鬼にもなり、時には仏になって行く。(文中敬称略)
2021年12月25日土曜日
つれづれ雑草「良いお年を」
400字のリングは、2021年の最終ラウンドとなる。今年あなたの目は何を記憶しているだろうか。あなたの耳は何を記憶しているだろうか。あなたの口は何を記憶しているだろうか。あなたの体は何を記憶しているだろうか。権力、腐敗、隠蔽、堕落、絶望、失望、不信、不況、不安、虚言、暴言、消毒、疫病、感染、監視、殺人、狂気、成長、歓喜、憤怨、富裕、貧困、格差、混乱、幸福、底辺、権利、欲望、閉店、自粛、未練、怨念、謀略、選挙、勝利、敗北、不正、正義、発明、発見、天才、恋愛、賛美、醜悪、放火、道連、自殺、親子、兄弟、姉妹、別離、絶縁、借金、地獄、快楽、倒産、解消、不倫、大食、飲酒、肥満、卑怯、密告、悲哀、運命、宿命、寿命、宗教、奇蹟、人間。書き始めたら終りなき、この身に出会った二文字の群れだ。一年365日、一日24時間がもうすぐ終わり、丑から寅へと干支が変わる。アンソニー・ホプキンス主演の映画ではないが、日本人は怒りを忘れた“羊たちの沈黙”となっている。自浄装置が壊れてしまった国家はどこへ行くのだろう。世界一高給取りの日本の政治家は、世界一働く政治家になってくれるだろうか。権力の走狗となっている経済人たちは、少しは存在感を出してくれるだろうか。パンドラの箱の中に残っていた“希望”の二文字を持たねばならない。地球上の生き物で希望が持てるのは人間だけなのだ。夢が見れるのは、人間だけなのだ。今年見た映画の中でいちばんいいと思った作品を記す。台湾映画の「ひとつの太陽」だ。一人の不良少年が犯罪を犯して少年院に入る。悪ガキたちに激しい暴力を受けながらも、少年は黙々と耐えつづける。そして戦う時は、戦う。ある日食堂で食事をしているとき、院内放送で少年に退院する準備をと放送される。刑務官に見張られながら食事をしていた悪ガキたちが、ある歌を歌いだす。一人二人三人と歌は広がる。その歌は沖縄のミュージシャン喜納昌吉が歌った「花~すべての人の心に花を~」だった。詞は台湾バージョンになっている。♪~ 花の心は蕊(しべ)に隠れ 盛りを逃す 君の心は季節を忘れ 扉を閉ざす 私と手を取り合い 太陽と月の歌を 共に聞こう 昼夜は巡る 昼夜は巡る 人生の喜びは あとどれほどか 春は過ぎ また訪れる 花は枯れ また咲き誇る 君が望むなら 君が望むなら 心の海に 夢の船を浮かべよう……。小さな体の少年の根性は、いつしか悪ガキたちからリスペクトされていたのだ。ある人は言う。この地球で平等なのは一つだけだ。それは“ひとつの太陽だ”と。少年を見捨てたと思っていた父親は、究極の決断をして少年の更生を支える。無言の愛だ。年が終り、年が来る。ひとつの太陽が、きっとみんなに陽を当ててくれるだろう。沈黙する羊は、戦う寅となるだろうか。地球が氷河期になった時、地の底で生きつづけたのは、逞しい植物たちだった。ひとつの太陽は平等だ。花は咲き誇る。その日がきっと来る。みなさんよいお年を迎えてください。友よ答えは風の中を舞っている。メリークリスマス。
2021年12月18日土曜日
つれづれ雑草「12という数字」
12月は一年の内で最も嫌いな月である。少年の頃、亡き母が一生懸命働いて稼いだお金を卓袱台の上に出して、これはお米屋さん、これは魚屋さん、酒屋さん、布団屋さん、肉屋さんと、たまっていた支払い金を封筒に入れて行く。無尽とかいってご近所さんから借りていた金を入れる。目の前のお金がどんどん消えて行った。嫌な月なんだと思った。それを引きずっている。気がつけば私自身も長い長い間、12月は支払いに追われつづけてきた。給与と賞与を支払いつづけてきた。一人二人だった頃の会社がなつかしい。ガボッと揃えることもなかった。チョコットだった。一人で始めたら一人に帰る。これが芸人の掟と思っている。鮭は川を上り産卵する。奇跡的な旅をしたあと、生まれた川に帰ってくる。そこで産卵する。その死骸は分解され、海洋で得た栄養分を運ぶことで、川や陸地の栄養分となる。産卵前に熊やキツネ、鳥たちに食べられた鮭も、排泄物が森のなかで木々の栄養分となり、その木々は落ち葉となり大地を育む。森から生まれる水は集まり川となり、水生昆虫やエビなどの小動物を育てる。産卵から生まれた鮭の子たちは、それらを食べて生まれた川を出て奇跡の旅に向う。そして母なる川に帰ってくる。一つ一つの命が大自然を育てるのだ。人間はこの営みを忘れてはいけない。自らを生んでくれた母を大地や川と思いつづけねばならない。母とは命なのだ。それじゃぁ父はとなるが、これは存外役に立つものでない。“射精は小さな花”と書いた人がいたが、そんなものである。“長澤まさみ”が主演女優賞を受賞した「MOTHER マザー」という映画を見ると、幼い兄妹がどうしようもない母親だが、決して離れない姿に涙する。少年の頃見た映画に「日本の母」というのがあった。終戦して何年か経った頃の物語だ。現代社会に置き換えられる。年老いた母を三人の子たちは、たらい回しのようにして面倒から逃れようとする。息子、娘、嫁たちは自分たちの生活が大切だから。ある雪の夜、老母は老人保護施設の前で倒れてしまい施設に救われる。やがてシベリアの捕虜生活から、やっと日本に帰ってきた末っ子の男が、母を見捨てた兄や姉をなじり倒す。そして施設にいた老母を見つける。お母さんもう心配ないですよ、僕がしっかり守りますよと言う。今の世はちっとも豊かになってはいない。むしろ精神構造は貧しくなっている。一度立ち止まり、富のことばかりで生きてないかを考えねばいけない。アマゾンの原住民たちの方が、全然心が豊かなのだ。鮭に学べよ人間たち。12という数字には興味ある。Zodiac(ゾディアック)は12宮、太陽と月とおもな惑星の中を運行する獣帯(星座の何なっている)。カレンダーは何故12月まで、時計は何故12時から始まるのか、干支は何故12種か、キリストの使徒は何故12人か、一ダースはなぜ12個か、考えるといろいろある。花札も12月までだ。探せばきっとまだまだある。嫌な12月も残り少なくなってきた。“ザ・ヘビー”の“セイムオー”を聞きながらこれを書いている。私の親愛なる友が、19日矢沢永吉さんのライブコンサートに行くと聞いた。人生はロックンロールだ。石は転がって丸くなったり、砕けてしまうが、転落こそ生なのだ。人の心をゆさぶる生きた言葉はそこから生まれるのだ。鮭の人生はロックそのものなのだ。つまんない名誉を追ったりしている人間は、遠くから見ると実にむなしく、富ばかり追っている人間は実にかなしい。とはいえ12月はまったなしなのだ。ソフトバンクの孫正義さんの顔つきが、すっかり変わってしまって見える。亡き母を苦しめた金貸しの顔だ。気分を変えるために、“ちあきなおみ”の「紅とんぼ」を聞く。♪~ 新宿駅裏 赤とんぼ 想い出してね 時々は……。いい歌だよこの曲は。人間の本当の愛、やさしさがある。五年間やっていた小さな飲み屋を閉める歌だ。本当にお世話になりました、ツケなんて忘れていいのよ、今夜はみんなで歌ってねと。誰ももらってくれる人がいないから、故里に帰るのよと歌う。美空ひばりと並ぶ天才。“ちあきなおみ”は、愛する男、“郷鍈治”を病気で失ったあと、歌うことも、顔を出すことも一切芸能活動をやめた。見事と言うしかない、男と女の愛だった。広尾駅の側で郷鍈治が喫茶店“COREDO”をやっている時に、時々店に行った。日活のスターだった宍戸錠の弟“郷鍈治”はスターにはなれなかったが、大歌手の心を手にした。ゴッツイ顔であった。いい顔とはこんな顔である。肺がんにより五十五歳没であった。午前三時を過ぎた。若者たちの間では静かな昭和ブームだ。私は演歌が流れる時代をと思っている。いい演歌は、いい文学である。で、故船村徹がギター片手に歌った名曲「別れの一本杉」を聞く。♪~ 泣けた 泣けた こらえ切れずに 泣けたっけ……。もうすぐ12月とお別れだ。(文中敬称略)
2021年12月11日土曜日
つれづれ雑草「メン食い」
「悪女の深情け」という言葉がある。離れたくても離れられない。別れたくてもどこまでもついて来るのだ。これと同じような食べ物がある。ひとたびこの食べ物をつくると、三日三晩家中がその“魔性のような”香り、臭いが漂いつづける。その名を「ペヤングソースやきそば」という。人間はタレ物の香り(ウナギ、ヤキトリ、磯辺焼き)などにひとたび出会うと、その香りに引きずり込まれる。と、同じようなソースやきそばとか、たこ焼きなどのソース系の香りから逃げられない。この女はヤバイ、マズイ、イケナイと思いつつもジャンクな味を思い出す。美人は三日で飽るというが、悪女とか性悪女はその逆で、すこぶるデブと思っていたのが、湯上がりにゾクッとするほど色気があったり、顔中にマスクをしとけばと思っていたのが、スッピンになり日本酒を一杯二杯とやっている内に、「黒田清輝」の描く美人画みたいになる。ゆかたの間から豊かな乳房の谷間を見せていたりしつつ、今日は暑いわね、などと言いながら団扇かなんかでソヨソヨ風を起こされると、身の危険を感じるはずだ。ペヤングソースやきそばは、実にそんな食べ物なのだ。東海道線の車中かなんかでこの食べ物を食べている豪傑がいたが、コロナ禍となりそんな豪の者は消えた。ケンタッキーフライドチキンと、吉野家の牛丼(つゆだく、紅しょうが大盛り)そしてペヤングソースやきそばは、ある日ある時突然食べたくなる。昨日朝千葉県の蘇我という所で葬儀に出席し、午後二時出棺、二時三十三分の久里浜行の横須賀線に乗る。快速で約二時間だ。鎌倉で親愛なる友人と、グラフィックデザイン界の巨匠井上嗣也さん、高弟の稲垣純さんと待ち合わせをしていた。「今道子」さんという空前絶後、説明不可能の写真家の展覧会を美術館で開催しているのを観て、その後に食事をすることになっていた。私は葬儀出席があり展覧会は一緒に観れなかった。一月三十日まで開催しているので近々観に行く。会場には丁度今道子先生がいらしたとか。鎌倉小町通りに古くからある、“卯月”という炉端焼きの店を予約しておいた。カウンターの目の前にはいろんな食材がある。こはだの酢の物、きぬかつぎ、ヤキトリ、ナスの煮物、揚げ豆腐、ブリの照焼き、サンマの開き、ギンナン、などをみんなで食し、三人は釜めしで仕上げた。私は前日に千葉に泊るために移動、ビジネスホテルの小部屋に泊まって十一時からの葬儀へ。そして鎌倉へだったので、電車に乗りくたびれて釜めしがうらめしいが食べられなかった。久々に巨匠にお会いして、数々の受賞のお祝いを言った。御三人は満腹だとなりお茶を飲んでいざ帰宅、大船駅で別れて私は東海道線へ。さてさて家に着くと、突然ペヤングソースやきそばを食べたくなった。確か一個あったはずだと思った。近所に住む息子が大好きなので立ち寄った時に食す。で愚妻が買い置きしているのだ。腹が減ったのでペヤングをつくってと言った。えっ鎌倉で食べてきたんじゃないのと言った。きぬかつぎとヤキトリ四本を食べたが主食は食べなかったんだよと言った。着替えている内にプーンと臭ってきた。魔性の臭いが。そして一気にペヤング・ザ・ワールド全開だ。ちりちりのメンにヘナヘナのキャベツ、ふりかけの中の少しばかりの紅しょうが、(あまり紅くない)気持ちだけのキザミノリ、これが絶妙なのだ。あえて割り箸で食べるのがコツ。白い長方形のカップの中のメンをグルグル、グルグルかき回す。たまんない香りとなり心が踊る。縁日でヤキソバに行列ができるのはこれと同じ。ジャンクな気分が疲れをとってくれる。スーパーやコンビニに行くと、でか盛りみたいなでっかいのもある。いつか挑戦してみたい。ニュースを見ると日大の学長が、ドンである田中理事長と永久に決別する、なんて今頃スットコドッコイのことを言っている。ドンは現在クサイメシ食っている。かなり泣きが入っているようだ。私はペヤングソースやきそばとは決別しない。毒マンジュウをゴッソリもらっている役人や政治家たちは、落ち目のドンにバックレる。故松尾和子に“誰よりも君を愛す”なんて歌があったが、誰よりもペヤングを愛すだ。但し年に二、三回でしかない。性悪女とはバンタビ(度々)会ってはいけない。という法律がある(無いか)。私はその手の話はずっと昔に卒業したが、世の中には蟻地獄に入って出るに出られない者もいる。やきそばのメンと違って、面食いという不勉強者がいる。見た目重視なので、きっとメン食らう。化粧ばかりしていて、家のことは何もできない。おにぎりなんて絶対にぎれない。おいなりさんなんか作り方も分かんない。街角インタビューかなんかで若い男に、どんな女性と結婚したいですか(?)なんて聞くと、そうですね、やっぱ肉じゃがを作れるヒトとか、お弁当を作ってくれるヒトなんて応える。中にはオフクロみたいにヒジキとかキンピラゴボウが作れるヒトなんて応える。見た目いいヒトはまず期待できない。ペヤングソースやきそばを自分で作って食べてよで終り、とまあそんなことを思いながらペヤングソースやきそばを食した。今度鎌倉へ行ったら、釜めしを食べるのだ。「フィリア―今道子 philia ―KON Michiko」神奈川県立近代美術館別館で大開催中。一度観たら一生忘れられない。日大のドンにソースやきそばを差し入れしたら、きっとその香りで東京拘置所は大混乱となるはずだ。
(文中敬称略)
(文中敬称略)
2021年12月4日土曜日
つれづれ雑草「さらば鬼平」
無学の徒を自認している私にとって読書は友ではない。映画ならオシリにタコができるほど見れるが、本は苦手で読むことを必要とされる場合は、一日50ページがやっとこさである。歌舞伎界の宝、人間国宝「中村吉右衛門」さんが七十七歳でご逝去した。私にとっては池波正太郎原作の人気シリーズで「鬼平犯科帳」の主人公である、火付盗賊改方長谷川平蔵の死である。盗っ人たちは“鬼平”と言って恐れた。2011年人間国宝となった。その芝居、その演技力は、実兄松本幸四郎(当時)を凌ぎ認められた。この兄弟は犬猿より仲が悪いので有名であった。俗に言う口もきかない仲であったとか。私は長旅に出る時はいつも、池波正太郎の本と、向田邦子の本を持って出た。過日ご逝去した私の師匠(亡き親友の師匠であり、食通にして名文家で私が親友の後釜となった)その師匠は約8年池波正太郎先生の内弟子をしていた。(ちなみに東大出身である)親友が健在の頃三人で「忘憂会」というのを年に三、四回行なった。中国では酒を飲むことを忘憂という。池波正太郎の文章は私のようなバカにも読みやすい。その師匠にある日親友と共に忘憂会をしながら、先生はこの国でこの人がいちばんと思う作家は誰でしょうかと聞いたら、それは向田邦子だよ、オイラは(鬼平調になり)あの女史ほど、オソロシイ人は、ついぞ会わなかったよ、池波正太郎もそう言っていた。どんなにいい本も読めば、いくつか気になる下手なところがあるものだが、向田邦子はついに1箇所もなかったな、恐いほど上手い作家だった。私は砂漠の中で“鬼平犯科帳”を読み、ローマの広場で“父の詫び状”などを読んだ。二人の本は旅の必需品で、これさえあれば、待ち時間やホテル生活もまったく苦にならなかった。鬼平は初代松本幸四郎や萬屋錦之介、丹波哲郎などが演じたが、やはり中村吉右衛門が私にとって、いちばんの長谷川平蔵であった。歌舞伎の“俊寛”は鬼気迫る圧巻の芝居であった。今、この日本国に必要なのは、鬼平こと長谷川平蔵だ。悪がはびこっているからだ。日大のボス田中英寿は検察がずっと追っていたが、安倍政権はパクル(捕まえる)のを抑えていた。が岸田政権へと変った。そして検察に逮捕OKを出した。これは弱々しいといわれていた岸田文雄が、安倍晋三一派に対して、ガタガタいうと、モリ・カケ・桜問題へもOKを出しますぜのサインだった。一度握った権力は強いことを、安倍晋三本人がいちばん知っている。そしてごあいさつだと言って、先日安倍晋三は官邸に表敬訪問(?)をした。一寸先は闇の世界だから、いつ、何が起きるか分からない。政治家はコツコツと心を込めて、日常活動をしていることが何より大切だ。鬼平がいたならば、安倍晋三一派はおそらく、とうのむかしに島流しになっていただろう。勿論女房である安倍夫人も、島流しの女になりそこで差し入れの大好物のワイン漬けとなる。愛妻家(?)である安倍晋三はそれをいちばん恐れている。勝てば官軍とはよく言ったものである。「テンモウカイカイソニシテモラサズ」なのだ。コロナ分科会の尾身会長一派は、鬼平的にいえば、急ぎ働きで138億円もの資金をせしめ、すっかり姿が見えなくなった。次に出て来た新型コロナウイルスの名が「オミクロン」とは笑うしかない。新潟県知事であった、泉田裕彦が先きの衆議院選挙で、県議会のボスから、2000万~3000万位用意しなきゃダメだよ、ジョーシキだよ、みたいなオドシ(?)を受けていたのを録音していた。(約30分)鬼平がいたら、このオッサンはやはり島流しだろう。生々しい二人のやりとりは、もはやマンガである。テレビに橋下徹が出まくっている。子だくさんだから養育費もかかるのだろうが、無節操を極める。自分が生んだ維新の会に、帰る場所はもうない。台湾映画の名作を一本紹介する。「ひとつの太陽」という名画だ。たくさんの賞を受賞している。“この世に平等なのは一つしかない。それは太陽だ”太陽は地球上に住む人々一人ひとりに平等にある。悪友にさそわれちょっとしたことで少年院に送られ、出所した少年に待っていたものは。この映画で特筆すべきものは、その圧倒的映像だ。デジタルな現代の映像時代に、日本映画全盛時代の映像美がある。照明がすばらしい。おそらく監督は、徹底的に日本映画を学んだはずだ。文化大革命でフランスに体をかわしていた、中国の巨匠張芸謀(チャン・イーモウ)は、文革以後中国に帰り、一日中日本映画を見まくっていたと言っていた。かつて第三国人と言って、中国、韓国、台湾の人々を敵視した。戦勝国であったからだ。チャンコロとか、チョンコウ、と言っていた。今、こんなこと言ったら大変だ。中国、韓国はエンタメを国家戦略として育てている。日本はわずか3000億程度の映画市場。対して中国、韓国は3兆円市場だ。ちなみに世界を代表する映画監督たちが選んだ、世界の30作の中で、第一位は、小津安二郎監督の代表作「東京物語」であった。私たちの中にはすぐれた映画屋のDNAがあるのだ。昨夜久々終電で帰ってきて一本の映画を見た。ニコール・キッドマンが夫とベットでするべきことをする前に、洗面所で歯間ブラシで汚れを取り、うがい薬でガラガラと口の中を洗い、口から放出する。ニコール・キッドマンの乳房は大きくなく、手の中に丁度よく入るほどの大きさですこぶる形がよかった。(文中敬称略)
2021年11月27日土曜日
つれづれ雑草「ドドンパ」
私、失敗しないので! この決め言葉を発するのは、米倉涼子演じる外科医大門未知子、別の名をドクターXと言う。一昨日ある新聞に“失敗しない人生は、大失敗”と、古老の言葉として載っていた。いいことを言うな、ならば失敗は何回位していいのだろうか。プロ野球の一流バッターを3割打者というが、10回の内7回は打ち損じ、つまり失敗しているということになる。ドクターXは一度も失敗していないが、他のドクターたちは失敗ばかりだ。病院の手術室に赤いランプがついている間、手術室は密室となる。そこで何が起きようと部外者には分からない。手術中に亡くなりましたが、実は手術に失敗して亡くなりました、この可能性はきっと数多くあるのだろう。信じるものは救われるというが、信じたいがために生き地獄ということも多い。二度と不倫はいたしませんと、誓約書を書いた男と、その相手の女とが、何年かぶりに出会ってしまった。偶然の一致、ある夏のある日、そのバスにさえ乗らなかったら。そして男と女は大失敗へと向う。つまらないメロドラマを昼に流すのを欧米ではソープオペラという。主婦が洗濯(ソープ)を終え一服しながら見るからだ。日本では一時昼メロといって流行った。男と女が奈落の底に落ちていく先には、失楽園がある。私に人生相談(?)をしに来た人に向って、これを書いている。必らず読むと言っていたから。口で言っても地獄への話は伝わらない。人間の下半身は別人格と言う。(どんな聖人も)そこで物言うのが自制心なのだが、不倫を重ねる男と女は、ビョーキと私は診断する。動物なら去勢をするのだが、人間という動物には、つける薬もない。私は行くところまでトコトン行けと無責任に言う。後は死んでも命がありますようにと祈れだ。バイアグラの逆のインポグラみたいな薬が出るといいのだが。あるところでラブホテルを経営している後輩がいるのだが、コロナ禍で商売大繁盛だと言う。多くは本物の夫婦(子どもたちがずっと家にいるから)とおぼしき人々らしい。そして当然イケナイ関係の人々だ。私に相談に来た者は、実はノロケてたのかも知れない。私はいままで何作か短編映画を作ったが、斬ったり、刺したりが多い。一度不倫をテーマにした作品を作りたいと思っている。そこで国内外のその手の作品を見ている。太宰治原作はよくみると、実は殺人犯ではと思う。無理心中で死んだのは、きっと大失敗だったのだと思う。不倫している人、どうか私に話を聞かせてください。どんな相談(?)でも来てください。ある外国映画では中年の銀行の社長(CEO)が、SMマニアで全裸になり縄で体中グルグル巻きにされ、夜な夜な女王様にムチで打たれ、足で踏みつけられる。家にはステキな奥さんがいるのに。そしていたぶられて女王様に犯される。新宿の歌舞伎町に行くと、こんな人はたくさんいる。代表的なのが大学教授、弁護士、医師だという。あとは変態たちだ。大金持ちの女性もSMマニアは多いらしい。昼と夜の顔は、別人となるのだ。一生懸命働いているオトーチャンを大切に、オカーチャンにはしっかりサービスをだ。それしかないのだから。日本の作品は、ワンパターンでいま一つつまんない。ラブホテル経営者の男に一度入り口(受付)をさせてくれと言ったら、それは駄目とピシャッと断わられた。今、日本版の「昼顔」を見ているのだが、つまんない作品だ。“さよならはダンスの後に”とか、矢吹健の“うしろ姿”とか、“あなたのブルース”。“風の盆恋歌”を聞いているのだ。長引くコロナ禍はさまざまなドラマを生み落としている。午前四時四十一分三十七秒、沖縄のミュージシャン喜納昌吉の、♪~ 泣きなさい 笑いなさい……花を咲かそうよを聞いている。ロールパンとチーズを食べている。♪~ 河は流れてどこまで行くの 人も流れてどこまで行くの……名曲である。仲宗根美樹の「川は流れる」はいい。最高だ。♪~ 思い出の 橋のたもとに 錆びついた 夢のかずかず……。失敗の病葉(ワクラバ)だ。ざんげの値打ちもないけれど、十四で恋をし十九でナイフで男を刺し刑務所へ。それでも刑務所の窓から初めての男を想いつづけるのだ。北原ミレイは実にいい。阿久悠は大天才、なかにし礼も大天才だ。今、若者の間で昭和が静かなブームである。レトロが新しい。制服にルーズソックス、ひょっとして、ペチコートを広げた女の子が出るかも知れない。ドドンパが流行するかも知れない。昭和はいい。私ももう一度昭和に帰りたい。昭和は不倫といわず“ヨロメキ”と言った。黒木憲「霧にむせぶ夜」を聞き、朝刊を読んで眠ることにする。私は失敗ばかりだ。新作の映画は昭和のタッチで行く。きっと大失敗だと思うが、大成功を目指す。♪~ 好きになったら 忘れられない……ドドンパ、ドドンパ。私の恋人は映画と歌なのだ。(文中敬称略)
2021年11月20日土曜日
つれづれ雑草「映画談義はおいしい」
「芸術は爆発だ!」と目玉を光らせ言ったのは、故岡本太郎先生だ。「トイレが爆発したわよ」と言ったのは愚妻である。昨夜11時過ぎ久々に親愛なる友人二人と、映画談義を銀座で楽しんだ。ジョルジオアルマーニ銀座館内において、左官のカリスマ、土のソムリエ、天才の上を行く超天才、挾土秀平さんの作品が、展示発表されている。予約制で入場者は制限されている。午後五時三十分私たちは一階入り口に立ち、中に入り検温、消毒をしていた。と、40歳位の長身の男が、オ、オ、オ、〇〇さんと、私の友人に飛びついてきた。二人はその人が六本木店長をしている時からの知り合いであった。私の友人は服はアルマーニかヴェルサーチ、時計はフランクミュラー、ウブロと決まっている。大手広告代理店にいて大物タレント(海外も)を起用する時の交渉の最前線の役なので、青山とか、コナカとかを着る事は両メーカーには残念だができない。ファッションはその人間を表現しているので、靴からネクタイまでシッカリチェックされる。何しろ相手は大物スターや大物ミュージシャン、大物タレントさんだ。で、いや~お久しぶりとばかり、挾土秀平さんの作品を展示する階へエレベーターに。挾土さんはいらしてますよと言った。銀座店には教育に来ていて、アート部門をまかせられている女性が、10年位前に挾土秀平さんの作品を見て感動して、今回コラボレーションとなったと友人に話していた。エレベーターを出て受付へ。まず記帳をしていると、そこにはNHKの大河ドラマ“真田丸”の演出者クレジットの背景になった作品がある。スバラシイ。マスクをして会場内に入ると、斜め前に長身の挾土秀平さんがマスクしてこっちを見ている。私がマスクを外して、ドーモ久しぶりと言うと、ビックリギョーテン・キーポッポ。エッ、オッ、イヤ~どうもと近づいて来て、名古屋で2年ほど前、仕事をお願いして以来の再会となった。久々に見る作品は、見事アルマーニとコラボレーションしていた。新作を見ると、言葉を失った。鏝(コテ)を使って神の目の世界を表現している。ピカソも、岡本太郎も、いわんや現在の画壇の人間も、到達できなかった作品があった。絵筆と違って、土や砂や、木の特性を使った作品には、絶妙の凹凸があり心を震わせる。一時間ほど挾土さんと語り合い、再会を約束し会場を後にした。詩人でもある挾土さんの作品への想いを書いた詩集をもらった。それとアルマーニのチョコレートを。日々挑戦する人間は輝いているなと思った。もちろんアルマーニのスタッフたちは、上客の友人を最後までエスコートしてくれた。一階に香水コーナーがあった。手のひらに入る位の小さな香水が目に入った。瓶の色がさすがアルマーニと思わせるものであった。女性にこれいくら(?)と聞くと、八万円ですと言った。あっそういいねと言ってビックリした。イナカ者なのであった。その後焼き肉で食事をしながら、私の新作映画の物語りについて話した。友人はいいシナリオならクラウドファンディングで資金を集めると言う。私は熱く語った。肉を焼く火よりも熱く、ずっと作品化したかったシナリオを。いいね、いいね、と私の話にのってくれた。ぜひ作ろうよとなった。目指すぞカンヌ国際映画祭。コロナが発生してから夜の銀座には行っていない。久々に赤い灯、青い灯、資生堂のクリスマスツリーのキラキラ、ピカピカを見ると、血が騒いだ。やっぱりいいな銀座はと三人で歩いた。で、話は“トイレが爆発したわよ”である。ピンポーンと押し、玄関(小さな)の扉が開くと同時に、愚妻がいきなり言ったのだ。トイレを掃除していたら水が詰ってタンクがいっぱいになって、バァーと爆発して、洪水状態になったのよ。へえ~、見たかったなと言うと、バカ言ってんじゃないわよ、セコムを呼ぼうかと思ったが、ポストに入っていた名刺みたいなシールを思い出したの、そこに電話したらすぐに来てくれて、この機器はもう古いし今はありません、今度爆発したらオシマイと言われたわとコーフンしていた。名刺サイズのブルーのシールを見ると、24時間365日対応! ご家族の水道修理、0120-811-995水道局指定店、出張費・見積り無料! このカードで5000円OFF! Tポイントが使えるとかが書いてある。カード各種OKとも。「水ライフ住宅設備」何かあったらご利用してください。見積書には、1Fl・2F3200円と書いてあった。冷蔵庫は古くなり夜な夜なむせび泣いる。洗濯機は使用するたびに強烈に唸っている。テレビの色は劣化している。私も古くなったが、同時に電化製品や生活用品も古くなった。私はこんな状態が好きで、むせび泣きや、唸り音や赤味が強くなった画面を楽しんでいる。愚妻が友人からトースターをもらって来た。これがいろんな機能がありすぎて使いにくい。カンタンなのがよかったのにと思っている。電子レンジは一度大失敗して以来使えない。冷凍ラザニアが炎上したのだ。人間は日々古くなる。そして日々新しくもなる。夢を追わねばならない。夢は心のエンジンなのだ。
2021年11月13日土曜日
つれづれ雑草「誰もいない海」
戦い済んで日が暮れて、誰もいない海辺で灰色の冨士山を見ていた。10月31日衆議院選挙が終り、数多くのドラマが生まれた。サーファーに見捨てられたように高波はない。マスクをしたランナーたちが、サイクリングロードを走っている。私から向って右方向は茅ヶ崎へ、左方向は藤沢、江の島へ。マスクまでして走っているのを見ていると、なんだか変てこりんな気持ちになる。指名手配されている人間が、追われ追われて逃げているように見える。昨夜尊敬する老政治家の先生と食を共にした。さて選挙でヨコシマな血が騒いだ人間は誰かとなった。それは竹中平蔵だ。慶応大学名誉教授にして、人材派遣会社パソナグループ取締役会長だ。日本をアメリカに売る男であり、議席を増やした、日本維新の会の影の主役(?)である。小泉純一郎と共に日本郵政を民営化してアメリカに売った。分割された郵政はガタガタにされた。権力闘争の戦略も戦術も未熟な、立憲民主党や、共産党、社民党は、マスコミの情報操作により、大躍進を期待した。それが証拠に敗北するとは夢にも思っていなかったと、福山哲郎立憲民主党幹事長は言った。それはスイーツのように甘い。百戦錬磨で権力を守るためなら、悪魔とでも手を組むと言う自民党から見ると、野党共闘で勝ったつもりの相手は、角砂糖で積み上げられた城を落とすほど楽であった。もし野党が“政策協力だけ”と言って共闘していたら、相当なダメージを受けたはずだ。共闘で大物議員たちを撃破し、勝てなかったところで勝った。共闘してなければ、もっとボロ負けだったと思う。何故、選挙寸前に北朝鮮はミサイルを発射したのか。何故コロナウイルスは選挙寸前に激減したのか。何故菅義偉総理(当時)を退陣に追い込んだか。マスコミの予想に調子に乗った野党たち(立憲民主党+共産党+国民民主党+社民党)は、 “政権交代”とか、閣外協力とかを声高に叫びはじめた。アメリカのCIAは自国の利益追求のためになら何んでも有りの存在だ。北朝鮮に何かしらの約束をすれば、ミサイルという打ち上げ花火はきっと上げる。コロナの感染者数にマジックをと命じれば、日本は何んでもやる。選挙の顔として菅義偉は好ましくないと命じれば何んでもやる。河野太郎は親中なのでNGを出す。アメリカのパシリのような竹中平蔵は、何もかも見切っていただろう。サントリーの新浪 剛史社長に、45歳定年制というアドバルーンを上げさせて波風を起こした。やがて日本はこの道を行くだろう。人材派遣会社には追い風となる。企業は良い人材のみ必要とするからだ。日本維新の会は、IR推進(カジノ誘致)でアメリカの命じに応える。カジノに人が送り込めれば、人材派遣会社にはベリーグッドだ。さらに大阪万博がある。人がたくさん必要でベリー、ベリーグッドだ。パソナグループの本社はすでに、東京から四国に移転している。アメリカは占領国日本を徹底的に食い尽くす。竹中平蔵もナイフとフォークを持って日本を食い尽くす。歴史には絶えず、why何故とか、ifもしもがある。八方美人の玉木雄一郎国民民主党代表は、野党共闘の戦が終ってすぐに、日本維新の会に猫なで声で接近した。公明党は維新の躍進により、自公連立の価値が下がった。10万円一律給付も年収条件付で手を打った。自民党に別れ話を出されたくないからだ。我々国民は税金をゴッソリ納めている。低所得者に10万円を恵んでやる、みたいな気分はすこぶるよくない。誰が格差社会を生んだのかと言いたい。無駄使いの典型のように、アメリカのポンコツ兵器を買いつづけている。(させられている)自民党は安倍晋三が最大派閥の長となった。かつていた闇将軍のようになる。権力者となったお公家集団(宏池会)に対して憲法改正の刃を向けるだろう。日本維新の会、国民民主党はそれを支える。党内抗争が起きるはずだ。河野太郎の父親である河野洋平は党を出た。同じ事があるかも知れない。老政治家の先生はそう語った。いずれにしても日本はアメリカ次第だ。CIAがらみの映画を見過ぎたせいか、イロイロと考えるところがあった。選挙で敗れた人はネバーギブアップで、次のためにすぐに行動して行こう。大乱が必ずある。衆議院議員初当選の林芳正(宏池会)が外務大臣になった。親中派の代表で、安倍晋三の天敵だ。それはひとまず置いといて、10万円位でガタガタ言わずに、弱者から順番にさっさと支給せよと言いたい。税金を取るのは早い! そうだろバカヤローと叫んで、大きな石を海に投げた。ヤバイ! 全然遠くに投げられない。肩がカタカタしているのだ。チクショウと言ってもう一個投げた。灰色の冨士山は黒々とした姿になっていた。この国の未来を見ているような気がした。必死に生きている人間のために、出でよ世の中を明るくする、ヒマワリのような人物。
(文中敬称略)
2021年11月6日土曜日
つれづれ雑草「重たい日」
友、遠方より来たる。と言う言葉があるが、友、映画に現わるを見た。石井裕也監督といえば、「舟を編む」とか「映画 夜空はいつでも最高密度の青色だ」などでベストワンを生んだすばらしい才能だ。まだ30代というから注目をつづけている。その監督の作品に、「生きちゃった」というのがあることを知り、本日明け方まで見た。うすめのコーヒーと、バウムクーヘンの小袋入りを用意した。朝からシンドイ話の電話で、いささか重たい日であった。で、私の場合は映画を見るのが何よりの癒しとなる。「生きちゃった」という映画のタイトルからどんな内容かと思ったが、実に不思議な気分で、今どきの若い夫婦の一面を見た。おそらくはじめてというシーンが、物語のスタートにある。30歳の主人公の男(仲野太賀)が、その日体調が悪く会社を早退する。家に帰ると娘を幼稚園に行かせている妻が、(大島優子)見知らぬ男と激しくSEXをしている。夫である男はそれを見て、ただボー然として見る。フツーなら夫は逆上して、殴ったり、蹴ったり、包丁で斬ったり、刺したりする。ところがこの映画では何もしない、何も言わない。むしろ大島優子演じる妻の方が、攻撃的でありつづける。私はあなたから愛情を感じなかったので苦しかったのよと、開き直る。このシーンに石井裕也監督の斬新さを見た。無感情の感情表現だ。結婚前の夫にはかつて好意を持っていた女性がいた。開き直った女性ほど恐い者はない。娘は私が育ってるからと言い今はお金がないから、このままこの家に住むと言う。夫婦はとりあえず何ごともなかったように生活をつづける。怒声のない時間、見る側にボールを投げつけられたのは、あなたならどうするみたいなクセ球だ。妻はスーパーで働いているのだが、そこの店主と話すシーンがある。おだやかな丸い顔。こんもりとした体つき、オッヨヨと思ってそのシーンを止めた。どこかで見た顔、見た姿ではないか。で、プレイバック、プレイバック。やっぱりそうだっと、しばらく会っていない友人の名を口にした。映画のラストのクレジットを見るとやはりそうであった。制作に協力もしていた。次の日電話をすると、えっ、見てくれたの、うれしいと言った。見たよ、見た見た、さすが石井裕也監督作品だけあって、妻が不倫している生々しい姿を見て、何の感情も現わさないという、はじめての体感をしたよと言った。そうでしょ、凄いヒトですよ、シナリオは三日三晩で書いた作品なんだとか。いやいや思わぬところで友人に会えた。いい映画なのでぜひ見てほしい。何故「生きちゃった」というタイトルをつけたのかが不明のままだから、もう一度見る。清き一票を投じた選挙が終った。戦いに敗れた者、勝利を手にした者、いつもながら天国と地獄のような、生々しい姿が議員会館にある。白い蘭の花を持つ列があり当選を祝う。ダンボール箱をトラックに入れ込む敗戦の列がある。戦いつづける者に敗者はいないという賢人の言葉がある。何より大切なのは“志”だ。それを貫くために、何をすべきかをしっかりと見直さなければならない。戦いをやめた者、それを敗者という。さあ“志”あればすぐに行動開始だ。これからは“熱量の時代”、何をやっているか“真実の時代”となって行くだろう。長引くコロナ禍でシンドク、キビシイと入る電話に、オレだってとは言えない。決して泣きは入れないとずっと生きて来た。人間界とは、“六道”の一つである苦界だと感じる。コロナ禍はマスクばかりだから、笑い声がない。笑顔もない。仕方ないので尊愛する坂田利夫師匠が出演している“嘘八百”という映画の第二弾を見た。偽物作りのメンバーの一人が師匠だ。二束三文の骨董品を、嘘八百で、ん百万、ん千万円で売るグループ「なんでも鑑定団」という人気番組のパロディだ。坂田利夫さんはヴェルサーチみたいな派手派手の姿で出て来て、何でもペロペロとなめまくる。コロナ前なら抱腹絶倒なのだが、私自身笑いを忘れていて、ただ無言で手を叩いただけだった。銀座中央通りにあった、テイラーメイドの超名店「英国屋」が三丁目に移転していた。昇進御祝にネクタイ一本をと思って行ったらなかった。四丁目の「鹿乃子」2階で、きしめんでもと思って行ったら、2階はやっていなかった。コロナ禍はこれからどうなるのか、誰も明確にしてはくれない。今夜はなんとしても笑いたいと思っている。余りに気が重いからだ。佐賀の超人「江頭2:50」のビデオを選んでいるのだ。日本で唯一、全裸で街中走り回れる(?)。“違法人”なのだ。無理にでも笑っちゃったとなりたいのだ。それにしても大島優子の演技はすばらしかった。
(文中敬称略)
(文中敬称略)
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