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2016年5月25日水曜日

「怖ろしい改正刑事訴訟法成立」




男の世界で、あいつは根性者だと言われれば、これ以上ないホメ言葉だ。
その逆の根性なしと言われれば男の世界では一生使い走りで終わる。

昨日改正刑事訴訟法が国会で成立して司法取引が日本でも導入されることになった(2年後から)。つまり警察にとっ捕まって取り調べを受け仲間を売ることで我が身の罪を減らしてもらうのだ。

男の世界では警察や検察のキツイ、キツイ、キツイ取り調べに対し、仲間を売るようなことを一切歌わない(しゃべらない)、拷問に近いような事にも耐えぬいて自分が罪をショウ(背負うこと)。そこで使われる言葉があいつは根性者だと言うことになる。
これからは密告(チクリ)社会となる。
自分が助かるために嘘を言って他人に罪をショワせることが多くなるのだろう。

司法取引は警察や検察にとって、取り調べが楽になると同時に冤罪が増える。
親分が子分を売ったり、子分が親分を売ることが多発する。
一般社会の中でも会社の不正や偽装を自分にいいようにベシャリ(しゃべり)、罪なき人を事件に巻き込む。
大企業もたった一人の司法取引でおしまいになったりする。

司法取引の本場アメリカではそれ相応に身を守ってくれるが日本ではそうはいかない。
アメリカのマフィアを売った男に「ジョー・バラキ」という組織の大幹部がいた。
映画では確かチャールズ・ブロンソンが演じた。
国家権力がその身を守った(?)マフィアとは国家に近い存在だったのだ。
これから警察の犬になるネタ元とは違う人間が増える。

改正刑事訴訟法は実はとても怖ろしいのだ。
疑わしきは罰せずでなく、疑わしきはパクられる(捕まる)ことにもなる。
スパイ容疑とか、テロリストの疑いとかで。歌うのはカラオケ位にしておいてほしいのだが、根性なしはあることないことを歌ってしまうだろう。

オイ、いい加減に歌えや、そうすりゃ安く(刑を軽く)してやっからよ、面倒かけんじゃねえよ、オイ、コラッと怒鳴られて、私の身は大丈夫ですよね、家族も大丈夫ですよね、私がしゃべったことは秘密にしてくれますよね。
マカシトケ、シンパイすんな、安心して全部歌え。
ハイ、指示したのは課長です。実行命令は部長です、常務です、専務です、副社長です、実は全部社長と会長です。
と、こんな映画みたいな事が続々と起きる。

アメリカでは、エンロンという大企業がガタガタと音を立て崩壊した(有名なエンロン事件)。だが、他にも日常茶飯事のように起きている。
刑事訴訟法改正の裏にアメリカの圧力があるのはいうまでもない。
日本の企業はかくして乗っ取られていくこととなる。
警察ほど秘密がダダモレの組織はない。
これをリークという、マスコミとの取引きだ。
親、兄弟、仲間を売った人間に明日はないのだが。

2016年5月24日火曜日

「本物とは」


先日、羽毛ふとんの偽装疑惑が朝日新聞の夕刊一面トップ記事となった。
私が四十年以上お世話になっている東洋羽毛工業(株)さんの羽毛ふとんが最高品質の羽毛を使った、最良の羽毛布団であることが図らずも証明できた。

銀座一丁目キラリトギンザ3Foluha(オルハ)ショップで販売している羽毛ふとんも、誠実仕立の最高品質の羽毛ふとんだ。
そもそも如何なる方法をもってしても本物の羽毛ふとんは、一枚二万円や三万円で売ることはできない。四万、五万、七万、八万でも難しい。
安い物が高い物と同じである訳がない。
それ故安物買いの銭失いという言葉がある。

高度に、丹念に、入念に、とことん誠実に作るには、原毛輸入→洗浄→精毛→縫製などを一貫体制で作らねばならない。
私の知る限りこれを行っているのは、東洋羽毛さんしかいないと思う(他にあったらゴメンなさい、教えてください)。
私はいつか「羽毛ふとんを自慢する時代」が来ると言ってきたがついに来たと思っている。
安物の羽毛ふとんは、毎日ヤニやゴミやダニのフンやアレルギーを起こす物質に包まれて寝ているのと同じだ。当然、鼻からも口からもそれらは大量に入ってくる。

高級車に乗り、高級な服を着て高級な時計やバッグを持ち、高級な化粧をしていても、安物の寝具で生活しているとしたら、それは高級とはいえない。
日本は高温多湿だから寝具には十分気を配らないと不健康な日々となる。
アレルギーのある人は、まず寝具を疑えといいたい。

テレビの通販から羽毛ふとんが消えた。新聞広告も見なくなった。
スーパーの寝具売り場から安い羽毛ふとんが消えた。
日本を代表する企業が様々な偽装行為で窮地に立たされている。
これからも次々と出てくるだろう。
株価第一、株主第一の経営は消費者に目を向けない。
外国資本やハゲタカファンドに食い尽くされないために偽装をして来たが、結局それが企業を駄目にしてしまった。

やはりコツコツといいモノ作りをして来たところが最高品質のブランドとして生き残って行く。
ちなみに私はある人から三十年程前にダンヒルのウールのセーターをプレゼントしてもらった。そのセーターは今でも頂いた時と全く変わらない。
最も私自身高級品を買う事は、贈り物以外は全くない(羽毛ふとんは頂いた最高品質のものである)。

NHKで連続ドラマとして評価を得た、横山秀夫サスペンス「64(ロクヨン)」が映画化されている。佐藤浩市をはじめ当代の人気スターを勢揃いさせているが、観た人の話だと、NHKに完全に負けている。
映画の主役佐藤浩市が、NHKの主役ピエール瀧と勝負になっていないとか。
映画がテレビを偽装して大敗した?

私はテレビを超えるはずがないと思っていたので観には行かない。
佐藤浩市の芝居が苦手なのだ。父三國連太郎は名優であったが、息子は違う。
何が違うかといえば、バカとエロとグロが演じられないからだ。
本物の役者はふとんの中が勝負なのだ。(文中敬称略)

2016年5月23日月曜日

「美しい十代のその後」



人生は乳幼児期、保育園や幼稚園、そして小学校、中学校の義務教育へと進む。
十代、二十代、三十代と十年毎に世代は表される。
「美しい十代」という三田明のヒット曲があるが、美しい二十代とか美しい三十代というのはない。


♪〜白い野ばらを 捧げる僕に 君の瞳があかるく笑う…(美しい十代より)。
こんなヤクザな老人となった私にも十代はあった。
小学校で初恋を知り、中学、高校2年で中退するまで胸をときめかす恋心を持った。

♪〜星はなんでも知っている 夕べあの娘が泣いたのも…平尾昌晃が唄った「星はなんでも知っている」を夜空に向かって唄ったのを憶えている。
♪〜悲しい恋の なきがらは そっと流そう 泣かないで かわいあの娘よ さようなら たそがれ迫る 湖の…松島アキラの唄った「湖愁」をみんなで唄った。
この頃は私も美しい十代の一員であった。

♪〜夜がまた来る 思い出つれて おれを泣かせに 足音もなく なにをいまさら つらくはないが 旅の灯りが 遠く遠くうるむよ…(小林旭のさすらい)。
この曲を唄った頃はすでに酒を飲み始めていた。
その頃、悲しき十六歳とか悲しき雨音、悲しき街角とか悲しき少年兵など、やたらと「悲しき」という題名の曲が流行った。

昨日孫たちの体育祭の応援に行った(愚妻は船橋の孫の運動会へ)。
一生懸命走り、友だちと協力し合い、一生懸命踊る姿を見て、美しい十代の未来に幸あれと思った。
ラストのメインイベント学年別選抜800mリレーは四人が一周200mを走る。
2の孫(男の子)は第二走者であった。
第一走者のリードを守り第三走者へ、アンカーもリードを守り切り、ヤッタァ―!一位であった。

ラストの直線に向かうコーナーで私は見ていたのだが、そこに歯を食いしばり必死に走る孫の姿を見て泣けるほど感動した、と同時に遠い昔の自分を思い出していた。
勉強はビリケツでも走るのだけはいつも一番であった。
私にも必死に走った時代があったのだ。
1の孫(女の子)は全員リレーをなんと二度も走った。欠員が出たかららしいのだが、100mを全力で二度走ってヘトヘトになっていた。

その夜一枚のファックスが家に入った。
そこには高校一年の時のクラスメイトがお金を賭けないマージャン大会をやったと報告が書いてあった。10人近い人間が集まり二卓を囲んだ。
その後二次会に行ったらしい。
とても熱心な永久幹事役がいる。飛び切り善人なのだ。

ボケ防止の健康マージャンが流行っているらしい。
美しい十代だった少年少女に今や黒い髪はない。

その仲間と一緒だった十代の時、恋をした女性はやがて今で言う筋萎縮性側索硬化症(ALS)という難病で亡くなった(五十代で発病し、六十代になった時に)。
字も書けず最後の電話は言葉がよく聞き取れなかった。
お医者さんの娘だったのに。美しい十代であった。
もう一度かえりたいな、あの頃にと思った。謝りたい人間が山ほどいる。

2016年5月20日金曜日

「みんな赤ちゃんだった」




千葉駅から列車で30分位のところにその介護付有料老人ホームはある。
長いお付き合いをしてもらっている人からその老人ホームの仕事を頼まれていたので、先日ロケハンに行った。カメラマンとアートディレクターの友人と広告代理店の人と共に。

有料介護付老人ホームは大きくて60床位だというが、そこは100床近くあった。
オギャーと元気な産声を上げて生まれた赤ちゃんは今、七十代、八十代、九十代となり、ただ陽の当たる窓際でじっと外を見ている。
表情はない、介護付なので入居者それぞれ病を抱えている。
心臓病、認知症、さまざまな難病、人工透析、人工肛門、重度の糖尿病、各種病気の後遺症、躁鬱病。

みなさんそこが終の棲家となる。施設は明るく、広い。
老いては子に従えというが、正にその通りである。
オムツを替えてもらう、お風呂に入れてもらう、ご飯を食べさせてもらう、赤ちゃんに帰るのだ。スタッフは3540人、みんな明るくキビキビしている。

人生の最期、塗り絵、切り絵などをしているのを見ると、やはり人生とはを考えさせられる。みなさん子どもの頃、少年少女時代元気に運動会で走り、玉入れ、綱引き、フォークダンスを踊り、リレー競走などをしたのだろう。
老人介護を自宅でしている人たちは本当に大変なことだと思う。

私は今、この仕事に力を傾けている。少しでも老人のためになりたいと思う。
老人による犯罪が増えている。痛ましい老人たちの無理心中も増えている
生まれてから老人になるまでは長いが、老人でいるのも長い。

私も現在老人大国の住民の一人だ。介護士さんを見ていると頭が下がる。
もっと、もっと、もっと給料を上げてあげる必要がある。
人と人が助け合う社会にしなければならない。

2016年5月19日木曜日

「微妙に違うんだよなで、まい日徹夜」




映画ファンが選ぶ日本映画のベストワンといえば、黒澤でも、小津でも、木下でも、今村でもない、深作である。
映画の名は「仁義なき戦い」シリーズ全5作、キネマ旬報誌がファン投票で選んでいる。

深作とは故深作欣二監督、深夜作業組をもじって深夜組と呼ばれていた。
撮影は勿論、映画作りの全てが徹夜になるからだ。
第一作を生んだ時、深作欣二は四十二歳であった。
B級作品ばかり作っていた深作にプロデューサー日下部五郎は目をつけた。
水戸出身の深作は反骨、反権力、反戦の監督でもあった。

仁義なき戦いシリーズの第一作は広島への原爆投下キノコ雲から始まり、ラストシーンは全て原爆ドームであった。
深作は戦いが始まる時、はじめに差し出されるのは名もなき若者たちの命だというメッセージを仁義なき戦いの中に込めた。深作が取り組んだこの映画に絵コンテはない。
笠原和夫の絶品の脚本と深作の頭の中のコンテがせめぎ合う。
大道具、小道具、照明、衣裳選び、カメラアングル、殺し方、殺され方、全て「微妙に違うんだよな」のひと言のつぶやきで徹夜となる

昨夜NHK BSプレミアム「試写室アナザーストーリーズ」九時〜十時をオンタイムで見た。映画好きならこれ以上ないものであった。
中でも、すでに役作りをしていた千葉真一が北大路欣也に役を替えてほしいといわれた。北大路は東映の御大といわれた市川右太衛門の息子、自分は東映という会社の中で弱い立場、同じ目を二度北大路から受けたことを初めて語った。

深作は当時テレビの人気シリーズ「キイハンター」で、ナイスガイのイメージで売っていた千葉真一をシリーズの中で最凶の男として作り変えてしまった。
もう一つの話、大部屋俳優の一人だった川谷拓三を千葉演じる最凶の男にリンチされ殺されるチンピラ役に起用する。

川谷拓三は最終作の第五作にも出演した時、ポスターに初めて名が出た、同じ大部屋俳優だった妻にもういつ死んでもいい、ポスターにオレの名があると言って泣いたという。
川谷拓三はその後ドラマの主役を演じる程になるが、五十四歳で肺癌に襲われ死んでしまう。

このドキュメンタリー番組の中に、本篇と違う映画バカたちの一代記があった。
みんな三度のメシより映画づくりが好きなのであった。
微妙に違うんだよな、あの監督ほどしつこいのはおらんかった。
あの監督ほど一秒とか二秒しか写らない役者を大切にしたのはおらんかった。
あの監督ほど人たらしはおらんかったなと、当時二十代、三十代だった映画バカたちは古希を越え、あるいは喜寿を迎えながら、深作欣二の思い出を語っていた。

「仁義なき戦い」は人間の中にある様々な欲望と権力への打算、裏切り、寝返り、狂暴と狂気、孤独と恐怖を描いた。今の世の中の全てに「仁義なき戦い」シリーズの登場人物がいる。深作欣二にとって、主役は登場していた大スターから端役の役者全てであった。この番組はいずれ再放送されるはずだ。(文中敬称略)