ページ

2010年2月15日月曜日

人間市場 マリア市

大竹しのぶさんがクリスチャンであって、洗礼名がマリアって事は意外と知られていませんね。
お父さんの大竹章雄さんは有名なキリスト教徒吉川一水の娘、江すてると結婚した。
「江すてる」とは聖書のエステル記から、王に見初められた娘が王妃となって民に奉仕する物語。吉川一水は非戦、清貧を貫いた人とか。
貧しきものこそ心豊かと常々言っていたそうである。
鳥は必要な分しか食べないのに人間は際限なく食べる。
貯金を貯め込む人は神でなく「財神」に仕えている悲しい者とも言っていたとか。

聖堂でひざまずくマリア大竹しのぶさんのイメージをして下さい。
きっと朝起きてから夜寝るまで躁状態の男うるさい明石家さんまにも寛容だったのでしょう(?)。
二人の生活は想像を超えてきっと静かで穏やかであったのでしょう。食卓には聖書が有り、食事の時はちゃんと十字をきって音を立てずにシンプルなスープをすすりパンを浸すのです。さんまが出っ歯を閉じてダンマリになっている姿、賛美歌の調べがCDプレイヤーから流れる中にいる姿想像して下さい。(出来ないですね)


モーアカン、コンナクラシ、キークルッテマウワ、ワイカラシヤベリトッタラタダノデッパヤナイケなんて言い出したのかもしれません。いい子、いい子静かにしなさいなんてなだめたかもしれません。主は全てを許すのです。

勝目梓という作家がいます。セックスと暴力、バイオレンス官能小説の名手です。
この人の生き様が好きです。十七歳で高校を退学になりその後長崎の炭鉱で六年ほど働きそこで組合活動をする。何度も死ぬ危険を感じて生きた。組合の新聞を一人で作り出した。
その中に自作の小説を載せたりした。
その後肺結核となり二年ほど入院、そんな中で本と出会った、貸本屋から本を借りてひたすら読書をしたらしい。退院後地元紙や小説誌に投稿を始め入選する。
結婚したが妻子を残し女性と駆け落ちトラックの運転手をしながら小説を書き続けた。

四十歳の時に同人誌で中上健次と出会う。中上の純文学の凄さにこいつにはかなわないと純文学を捨てる。六七年に芥川賞候補、六九年には直木賞候補となる。
「獣たちの熱い眠り」などがベストセラーとなり七十七歳の今もセックスと暴力を書き続けている。最近色々な事が許せるようになりました。
他人や自分の嫌な所も、世界の気にくわない所も、全てそのままでよろしいと。
全てを受け入れる気持ちになったのは死への準備なのかもしれません。
そういえば愛も、許し、受け入れるものですね。「そのままのお前が好きだ」と言えるのが本当の愛だと僕は思うんです。ただ「今」を生きればいい。


いいですね男っぽくて。中上健次は被差別部落出身だから小説を書く必然があった。しかし勝目にはなかったという。しかし私はやはり四十歳から本格的に小説を書く必要があったのではと思うのです。全てを許す人間、行き着く先はそこかもしれません。

私はつくづく自分が嫌で嫌で仕方ありません。しかも無神教です。人はきっと私の全てを許してはくれないでしょう。でも私は人を許す事は出来るのです。

久しぶりに会った人に随分丸くなり優しい顔になりましたねと言われた。
もう一人には相変わらず憎たらしい事を言いますね、ちっとも変わってないですねと言われた。私自身は後者であると思っている。

私の後輩に上智大を出たクリスチャンの男がいる、親孝行であったが時として変態的でもある。ある時お前は何でそんなに神をも恐れぬ行為をするのだと聞いたらこう応えた。
いいんですよ、キリスト教は悔い改めば全て許してもらえるんですと。
それ以来返す言葉がないのです。

2010年2月12日金曜日

人間市場 新作市





今年のカンヌ映画祭出品に向けて新作を制作している。

過日奥多摩のロケを終えた。三日間極寒の中でみんな頑張ってくれた。都内ではハウススタジオと東京湾からの強風が刺す程寒い品川の埠頭で。夜中主人公が雨の中路上で死ぬシーンを、2リットルのペットボトルの容器に穴を空け、倒れている役者さんに容赦無くかける。死体の役が本当に死体の様にカチコチに凍ってしまった。撮影終了後直ぐに車で大江戸温泉へ。


今回のテーマは「言葉」。人間が言葉を生んでしまってから、言葉は人を傷つけ人を欺むき、人を嘲けてきた。自省の念を込めて作っている。

ある集落に掟がある、ここでは言葉を使う事は許されない。感情は四つの面のみで表す。怒っている時は鬼の面、悲しい時は能面、嬉しい時はおかめの面、楽しい時はひょっとこの面なのだ。

主人公は画家を目指す。四人の裸婦を描き一人一人に四つの面を被せている。一心不乱に絵を描いていると一人の裸体が男の裸婦に変わる。驚く主人公、何かの錯覚だろうと目を凝る。男は大声で笑う、何とその声は犬の声だ、犬の化身なのだ。

主人公はその昔子犬を殺めた過去があった。その集落では犬は守り神であったのだ。犬の化身は執念深く主人公の前に現れる。主人公には幼い頃から好き合っていた美しい娘がいる。集落のみんなで餅つきをした日、神社の境内で冬の花火をする。線香花火が儚く光りポトリと落ちる。二人の行く先を暗示する様に、獅子舞が恐ろしい顔で踊る。お面を付けた人々が笛を吹く。掟を犯し集落を出た主人公に待っていた運命は、付きまとう犬の化身、四人の裸婦を描く絵は、無言劇は続きそしてラストを迎える。

詩的文学の世界を作りたかった。それと尊敬する民俗学者故宮本常一先生へのオマージュだ。高度2000メートル近い長野県小海線佐久広瀬駅から始まり、奥多摩、東京へとロケーションを行った。カンヌ国際映画祭では四年前日本で初めて短編映画賞を貰った。夢よもう一度スタッフもキャストも低予算の中いい作品を作ろうと心を一つにして頑張った。
村の人も20人位が協力してくれた。村を納める十四代の総代は山の中に入ってはマキになる木を持ってきてずっと焚き火をしてくれた。これから編集、音楽録り、タイトル入れ、効果音入れそして最終編集、仏語と英語でタイトルも入れる。企画意図やシノプシスを訳す、映画好きが手弁当で集まる、最高に楽しい日々だ。自主映画は一切の無駄は許されない。


監督は中野裕之さんの秘蔵っ子である、平間絹乃さん。撮影は私の長いパートナー猪俣克己さん、音楽は天才伊藤求さん、全体を動かすプロデューサーは私の弟子第一号奥野和明君だ。衣裳は初参加の石川香代子さん。手応え十分、乞うご期待を!

2010年2月11日木曜日

人間市場 アデランス市


私の友人二人が今話題のコマーシャルを作った。


アデランスの広告だ。ぐっさんと東幹久そして新庄だ。なんと新庄は頭を剃った。不思議なリズム、不思議なステップ何ともインパクト溢れるものだ。広告へのアクセスは今までの十倍以上になっているという。久々に広告らしいキャンペーンだ。プロ中のプロの仕事と言える。


かつらはフェイク即ちダマシ、どんなに研究しても完全なるモノが未だ生まれない。女性が一番嫌いなのは薄毛という。頭が薄くなると電車に乗った時席が空いても座らない。上から見られるのが嫌だからだ。「薄毛の人は何故グリーン車に乗るか」なんて本を出した人がいるらしい。横から見られても上からは見られない。デパートに行くとエスカレーターは使わず階段を上り下りする人が多いという。アデランスに入る人は丁度初めて風俗店に入る様に、あるいわ初めて彼女とラブホテルに入る時の様に入ったり来たりしてキョロキョロ辺りを見渡してからスッと入るのだ。


ある時期茅ヶ崎海岸の側の四階建てのマンションの一室で絵を描くために二年半借りていた(学生用)。3階であった。隣がラブホテルであった。私の部屋の入り口から駐車場がよく見えた。絵を描くのに疲れると一階にあるブルーノートという喫茶店で珈琲を飲む。その名の通りニューヨークのブルーノートからその店の名を付けていた(今は不動産屋になってしまった)。当然モダンジャズがLPレコードから流れる。素敵な夫婦であった、アートブレイキー、セロニアスモンク、MJa、ソニーロリンズ、スタンゲッツ、私の好きな曲が流れる。かつてニューヨークのブルーノートに行った時、メインテーブルになんと和服を着た六人のオバサンが座っていた。パック旅行のコースに入っていたとか。


サックスを演奏する真ん前でギャーギャーだべっている、連れの女性がヒドイ、ハズカシイ、カナシイ、出ましょと言ったが入って直ぐには出たくなく数曲聴いた。Tシャツを買いに二階に上ったら、オバサンに向かってサックスを吹いていた黒人が一人椅子に座って一服喫っていた。マリファナの臭いが凄い。日本人である事を恥じた。


茅ヶ崎のブルーノートでひと休みして部屋の入り口の所に暫くいて下を見ていたら次々と車が入って来る。若い男女(このホテルはサーファーに人気)、薄毛の中年オジサンとオバサン、主婦風と若い男、薄毛教師風と女生徒風、少し薄毛の中年男と疲れたOL風等が車から降りては入って行く。何となく薄毛が多いのはホルモンの分泌のせいだろうか、薄毛の人は精力抜群という。土曜と日曜日そこに自転車で通っていた。


ある日、一組のカップル(完全に不倫風)が来た。上からコラッ駄目だぞいけない事をしたらと声を掛けた。二人はキョロキョロしてやがて上を向いて私の存在に気がついた。その後どうなったかはここでは書けないただ凄い事になったのです。想像力を高めて下さい。ヒントはそのホテルの売りはサーフボードが置ける事、シャワーが使える事、屋上にジャグジーの露天風呂がある事。


一階のブルーノートのランチのスパゲッティミートソースが美味しかった事。


茅ヶ崎の花火大会の時はホテルは超満室、屋上の目の前に打ち上げられる。サザンオールスターズのコンサートの時も超満室だった。何でも屋上の露天風呂は混浴の様になったとか。若いの、薄毛だの、不倫だの、先生と生徒だの、ホテトル嬢やの、ホモってるのと一緒に。入っては出て、出ては入って玉屋〜、鍵屋となったのです。


ホテルのマスターとブルーノートで話した事があるのです。忘れ物のランキングの上位にかつらと付け毛が入るとの事。形様々、色様々、熱中して忘れてしまうそうです。かつらはかなりの確率で取りに来ると言ってました高い代物ですから。


これからきっとアデランスが増える事でしょう。アデランスは誰でしょう。凄い事の主人公は誰だったのでしょうか、彼と彼女は頭を抱えていました。


2010年2月10日水曜日

人間市場 明方市


相変わらず下手な文章を書いたり落語を聞いたり古い映画を観ていたら朝四時半近くなっていた。新聞を取りに外に出る。内閣支持率が各紙出るだろう、それを読んで一眠りするかと思った。

朝日、読売、日刊スポーツをざっと読む、テレビは付けっ放しにしていた。皇室アルバムをやっていた。あのウンザリする程の小沢報道はすっかり静かになっていた。朝青龍の記事はなくインド洋で給油活動を八年していた日本の軍隊(自衛隊ともいう)が静かに役目を終えて帰国していた。

あれ程インド洋の給油を止めたら大変だ、日米関係は大事件だなんて言っていたのにまるで感心なしの内に終わっていた。

沖縄の基地問題の方が今や大問題と大騒ぎだ。相変わらずのワンパターン大マスコミ報道だ。日本と米国はとっくに話の骨格は出来ている。政権交代した瞬間から話は進んでいるのだ。アレコレ観測気球を上げる一応の芝居だ。米国も怒っているぞなんて芝居をする。問題は辺野古の埋め立ての為に山をゴッソリ買い占めている恐い筋の人への問題、残土、セメント、テトラポット、コンク リート、ダンプ等、砂利一個でもこの人たちのOKがないと次の話が進まない。
小泉、安倍、福田、麻生、オイシイ思いをしようと思っていた者共をどう黙らすかだ。小沢の問題もその延長にある。米国も勿論そのオイシイ料理を食べるためにナイフとフォークを持っている。米国は別にどこだっていいのだ。日本というジュウジュのステーキさえあれば血の滴るレアで食べようと思ったのが少々ウエルダンになっただけなのだから。

日本は今、山口組という巨大マフィア化した組織に支配されているのだ。表層だけしか書かないマスコミもその支配下だ。小泉はバリバリの稲川会、バリバリの韓国マフィア系、それと山口組、住吉会等の戦いなのだ。日本を俯瞰的に支配しているのが米国(CIA)なのだ。親中になった者は消される。田中(角)、竹下、金丸、そして小沢だ。ただ田中の頃と違って中国は今や世界チャンピオンだ。だから米国もプレッシャーがかけにくい(米国債を一番買っているから)。

内閣支持率もこんなもんだろうと思いつつ新聞を読んでいて、何て旅行の広告と本の広告が多いのだろうと思い新聞ごとにメモをしてみた。
朝日だけ見てみると、一面(本)二面(本)三面(本)四面(本)五面(日本酒+通販)六面(学校)7面(旅行)八面(通販)九面(旅行)十面(本)十一面(本)十二面(本)十三面(本)十四面(本)十五面(本)十六面(通販)十七面(旅行+通販)十八面(学校)十九面(?)二十面(入れ歯+旅行)二十二面(TV局)二十三面(TV局)二十四面(人材募集)二十五面(人材募集)二十六面(週刊誌)二十七面(週刊誌)二十八面(旅行)二十九面(旅行++頭痛薬)三十面(保険)三十一面(学校)三十二面(旅行)三十三面(不動産)三十四面(旅行)三十五面(金融+本)三十六面(ネスカフェ)三十七面(学校+ピアノ買取+旅行)三十八面(週刊誌)三十九面(学校+人材募集+リサイタル+学校)四十面(資格案内)以上であった。

つまり一流の企業の広告はネスカフェ社のみという事であった。売れない本の広告ばかり安売りの旅行ばかり、生徒が集まらない学校ばかりであった。朝日の他の新聞も同様の惨状であった。新聞を読まない若者が増えている。政治的には小沢を守り切った鳩山が小沢に大きな貸しを作った。が然力を持った小沢は力を残しつつ、五月前後に退くだろう。柳に風の鳩山は意外と強いといえる。

渡部、前原、野田、玄葉、枝野等は又々、政治家として判断が甘かった。政治家は阿呆と馬鹿を演じないと天下は取れない。じっと我慢を決め込んだ徳川家康を学ばないといけない役不足だ。


夜が明けてスズメがチュンチュン鳴き出した。TBS時事放談が始まる。東大教授、御厨貴が司会だ。政治学者がこんないつも同じ登場人物の番組の司会をやったら安いタレント学者だ。渡部恒三は小沢が残ってしょんぼりし、日本語の上手な(?)ジェラルドカーティスがトンチンカンな話をしている。本当の事を知っていながら本当の事をはなせない、こんな番組を見ている、聞いている事を止めにして冷えたビールを飲んでひと眠りするか。

ハイチに向かって第一陣150人の自衛隊が救援に向かった。PKO活動だ。この法案を作ったのは小沢一郎であった小選挙区制もしかり。攻めるに強い男も守りには弱いもの。遠くから見ると大きく見えるものも近づけば大した事がない場合が多い。
梅の木にぽつんと白い花が咲いた。スズメの鳴き声は朝聞くのが一番だ。
ビールはやっぱりキリンビールだ。

2010年2月9日火曜日

人間市場 芸術は爆発市

二月一日午前9時20分上野の森の中にある東京都美術館に行った。

目的は東京藝大の卒業展を観る為だ。
歳は凄く離れているが私がその才能の将来に夢を持つ建築科の女学生が主席で卒業するというので作品を観たかったのだ。又、絵画、彫刻、書道も観たかった。
若々しい才能と出会うことは凄い刺激になる。可能性という缶詰は特上のキャビアより旨い。今はその名を伏すが彼女の作品は圧倒的に素晴らしかった。
建築には全く疎い私にもその才能の花の行方が見えた。間違いなく日本の建築界の、あるいは世界のスターとなるだろうと確信する。

将来美しい天才的女性建築家がキラキラと登場したら注目して欲しい。私は不器用で工作は大の苦手であった。息子が幼稚園の時お父さんと工作で何でもいいから一緒に作るという参観日があった。他のお父さん達は上手に恐竜や電車や船を作る。私は飛行機を作ろうと思ったが中々上手くいかなく四苦八苦して飛行機らしき物を作ったが極めて不細工であった。ちなみにこの飛行機は愚妻が今でも残してくれてある記念すべき作品である。

ノコギリ、ヤスリ、ボンド、セメダイン、カナヅチ、クギ、キリと工具の道具は個性的だ。つくづく人間は創意と工夫に満ちている。

真っ黒い雷雲が空を覆い、バリバリバリと大木に稲妻が落ちてバァ〜と発火した。ほぼ類人猿の人間の祖先はウアァ〜、キァ〜、スゲェ〜と飛び散りファイアーと叫んだかもしれない。火を知った祖先はそれ以来色んな工夫をして火を起こす事に挑戦した。そして何だい簡単じゃねぇか、木と木を思い切りコスッてフーフーと空気を入れればいいじゃんかとなったのだ。全ては偶然の産物であったのだろう。

穴が空いていればそこに身を隠していた祖先はやがて建築に目覚めて行く。それは一度点けた種火を何とかして守りたいと思ったのではないかと私は推測する。大事な火を守る為に囲いが必要となった。祖先の頭の中にクリエティビティあふれた建築の概念が猛烈に芽生えた。共通の目的を達成するためにはアーとかウーと言っている場合ではなく、オイとかアレとかソレとかの言葉が生まれやがてハヤクシロとかモタモタスンナとかサボッテンジャネエとかに発展したのだろう。

話を藝大の若者たちに戻すと、絵画、彫刻、書道共みんなシンミリ、マッタリ、ヒッソリ、アタリマエ的であった。「破」がなく「爆発」がなく「狂気」がなく野心や野望が見えない。ルールばかりを追っている。デジャヴ、みんなどこかで何かで観たような作品ばかりでガックリした。お前ら親のスネかじって人がやった様な事するんじゃないと思った。過日、横浜の藝大で映像科の作品を観た時も同じであった。スペースの無駄使いが多かった。岡本太郎先生の言葉を思い出せ。「藝術は爆発だ」なのだ。

主席卒業の彼女の作品はその発想力、構築力、建築に対するロマンに満ちていた。今すぐにでも採用出来る作品であり、一メートル以上もあるその模型は見事であり、隅々まで重層的かつ精緻であった。米粒みたいな人間が空間の中にイキイキと配置されていた。私は常々コンテストは頭から一番か後から一番、つまり一番しか意味なしと思っている。

作品に関して私は一切お世辞は言わない。最高にいいか、最低に好きかである。個性が無い物を作品とは言えない。人生も又、工作の様な物であるかも知れない。苦しみ、喜び、出会い、別れ、希望、絶望、欲望、挫折、成功、失敗様々な部品をノコギリやナイフで切り、ノリやセメダインでくっつけ、クギをカナヅチで殴りキリでキリキリと穴を空けるのだ。失敗しない者に成功は決してない。

この文章を書きながらマイケルジャクソンのTHIS IS ITDVDを観ている。毎度も観ている、スリラー、ビートイット、ビリージーンのシーンになると手を休める。泣ける、マイケルジャクソンという一人の天才の囲りを世界中から選抜された超一流の才能(タレント)達が踊り、歌い、演奏する。死ぬほどリハーサルを重ね、そしてマイケルは死んだ。

マイケルジャクソンのコンサートも又、才能を積み重ねる一つの建築物であった。生きている内にもう一度自分自身をボロボロにしてやる、そう思った。そしてもう一度立ち上がるそれが駄目ならそこまでだと決意した。一流は沢山いるが超一流は数少ない。天才は神からの授かり者だ。私は歴史に残る最低の一番を目指すのだ。
神からは何にも授かっていない過酷な運命以外は。

2010年2月8日月曜日

人間市場 酷技市


モンゴル人、ブルガリア人、ロシア人、韓国人、エストニア人。

この人たちが日本に来て裸になってフンドシつけてチョンマゲ結って殴られ、蹴られ、水をかけられ竹刀で突かれて早朝から稽古、稽古。国技は酷技なのだ。食べて飲んで食べて飲んで体を増量する。

無理偏にゲンコツの世界である。国にいるお父さんお母さん、弟や妹の為に我慢を重ねて一人前のお相撲さんを目指す。現在幕内力士の417人が外国人。
この人たちには立派な祖国がある、この人たちに君が代は国歌ではない、相撲は国技ではない。単純に強くなって家族の為に稼ぐ手段なのだ。


朝青龍引退、貴乃花理事へ、安治川裏切り宣言。
五大一門は利権の集団、掟の国、閉鎖社会、互助興行集団なのだ。
朝青龍が問題を起こすと嬉しそうにテレビに出る龍虎。その昔北の富士とつるんで場所中でも毎晩銀座で飲み歩いていた軟派男。朝青龍のお陰でテレビに出られてウキウキしている。何かにつけて国技、国技を連発する元NHKのアナウンサー杉山邦博。マンガ屋の分際で一丁前の事を言うウットウシイやくみつる。それに化け物顔の内舘牧子。この四人がテレビに出まくる、ウンザリする四人だ。

中でも杉山邦博は誰のお陰でタダで毎場所相撲が見れていると思っているのだ。大相撲に八百長は絶対ないなんてシラーっと、知ってるくせして言っている。お互い助け合わなければみんなぶっ壊れてしまう。暗黙の八百長社会なのだ。

モンゴルの大草原で育ったチンギスハーンの血を引いた若者(29歳)に国技だ、品格だ、人格だなんて判る訳がない。本当に国技というなら全員日本人でやればいいのだ。幕内の半分位は外人なんだ。夜になるとみんな仲良い者同士が集まり俺はここが痛いの、俺は彼女にフラれたの、俺の親方は凄いピンハネだ、俺の国の家族が大変なのと情報交換するのだ。サラリーマンが会社が終わったら飲んで、ダベって、上司の悪口を言い合う。酔っ払いに絡まれれば喧嘩の一つもやって当たり前なのだ。ストレスたまってんだから。


横綱は江戸時代から数えて69人しかいない。
相互助け合いのため自発的八百長は当たり前の世界。一日だって長く稼ぎたいのだから、その中で強い者が横綱、大関、三役となる。昨年の新弟子はわずか81人、その内のほとんどは逃げ出してしまう。今後も強くなりそうなのはモンゴル人ばかりだ。

私は提案する、相撲はA組B組に分ける。Aは国技を連発する日本人だけの世界、Bは外国人だけの世界、AとBの上位成績者をその中の代表横綱同士で白黒をつけ勝った者がSMOUのチャンピオンを名乗ればいいのだ。杉山邦博はB組を見る時は必ず入場料を払う事。大好きだった朝青龍が引退したので頭に来て心が少し乱れている。暴れん坊ならその昔喧嘩玉こと横綱玉錦がいた。しかし年を経て乱暴は治まり引退して二所ノ関一門を作った名横綱だ。

朝青龍が飲んだ店は芸能人、筋者、スポーツ人、カタカナ職業の溜まり場で勿論相撲取りも毎晩の様に集まる。何度も言うが彼等は外人なのだ。相撲が自分たちの国技だなんて思っているのはジェシーこと高見山以外いない。

もう一人の悪役小沢一郎のニュースがすっかり消し飛んだ。悪運の強い男だ。コチラの得意技は罪押しつけ、ダム投げ、道路返し、利権出し、裏金呼び戻しだ。あ〜あもう相撲は見たくない。ただ白鵬の涙は泣けた。きっと同じモンゴルの血を見たのだろう、素晴らしい涙であった。これから一人横綱の大変な重圧が待っているのを知っている。貴乃花は京都の占い師の言いなり女房の言いなり。

日本の国技大相撲はどんな道を辿るのか占ってもらうといい。いや当たる筈がないか。理事になって直ぐご報告に行った様で嬉しそうに節分の豆まきをしていた。理事は内、理事は内と。一人位関取を作ってからにしろと言いたい。ちなみに親方のおかみさんでダントツで人気のないのが、花田景子こと貴乃花の女房なのだ。

国家の品格を書いた藤原正彦先生、この国に今どんな品格があるのでしょうか?教えて下さい。

2010年2月7日日曜日

人間市場 ヤキトリ市

駅から80メートルの辺りにヤキトリ屋さんがある。


正確ではないが、その位である。


北風の場合問題なし。西風問題なし、東風問題なし、問題は南風の時である。


南風が秒速2メートルを超すと、問題の度合いは倍加する。ヤキトリ屋さんから漂うただならぬ香り、匂い。英語的表現で言うならナイスな風が体の動きを止める。左にタクシー乗り場、中央の方向にヤキトリ屋さんである(鳥一という)。心と体が右に左に綱引きを始める。帰ろうかな、帰るのよそうかなである。


このような場合、ほぼ7、8割はタクシー乗り場に向かう。意志を強く持て、自分に負けるな、まだ6時だ、飲むには早すぎる・・・・と腹を据え深呼吸して我が家へ帰る。


本日も7割の確率論に従ってタクシーに向かう。


だがしかし、風速が3メートルから4メートルになると、もういけない。駅の階段を降りてタクシー乗り場まではほぼ20メートル。その間に頭の中は清酒黄桜のグイ呑みの如く、蛇の目にグルグル回る。1歩前進である。ハツ、レバー、タン塩、シロ、カワ、カシラという恍惚が頭を支配する。次いで重なるようにモロキュー、そしてとどめにモツ煮込みが脳内に確固たる座を占める。


主治医の顔が頭に浮かぶ。尿酸値のデータが頭の中をよぎる。足がフランスパンの様に腫れ上がった痛風の写真が、頭の中でカシャッとシャッターを切る。


何、5.8だろ、7.0からが危ないと言われただけじゃないか。まだ1.2ある。待て、後1.2しかないぞ。最近はどうも気のせいか、足の指がヒリヒリする。いや、気のせい気のせい、と自分を励ましながら、気がつくとヤキトリ屋さんの前に立っている自分がいる。


もうもうとした煙、バタバタと人を煽るようにタレを浴び年季の入った団扇が叩かれる。このリズムはお祭りの様に人の心を煽る。


一度は通り過ぎたのに。じゃ、何処に行くんだ。それもそうだな。一杯に三本ならいいんじゃないの?ま、二杯に六本でも。煮込みはやめとこ、トマトサラダとかグリーンサラダとか野菜をいっぱい食べよう、と思った時はもうカウンターに座っている自分がいる。


俺は駄目な奴だ、どうして意志が弱いんだ、なんて自省心はすっかりありません。


すいません、キリンビール。それと、いいですか?レバー一本、タン塩一本、ハツ一本、つくね一本、カシラ塩で一本、シロ一本、それから冷や奴。すいません、ビールお代わりしてくれる。


人間は何て弱いんだ、ヤキトリはなんてうまいんだ、ビールはなんておいしいんだ。


蛙が大きく口を開けた器に竹串は増えていく。南風はもうすっかり止んでいる。やがて我が身に吹く風は通風か。てやんで、通風が恐くてビールが飲めるか?そうだろと、親父に言う。






2010年2月6日土曜日

人間市場 8勝7敗市

腹は八分目がよろしい。運は使い尽くさない方がいい。人生は終わってみたら8勝7敗でいいなと思っている。一つ位は勝ち越したい。全勝の人生はあり得ない。全敗の人生もないはずである。人生に7つ位は良い事がある。


朝早く起きて、駅に向かい歩き出したら500円玉を拾った。
駅に着いて階段を上っていたらお年寄りがいた。手を引いて階段を上がったら、駅のホームで缶コーヒーをくれた。電車に乗ってみたら一つだけ席が空いていてゆっくり新聞が読めた。
目的の駅に着いて階段を下りていたら、下から上がって来た何十年ぶりかの友人と会った。
オオオーハゲたな随分、今度一杯やろやと別れ銀座のみゆき通りを歩いていると目の前に小さな財布が落ちていた、女性用だ。中を見る訳にはいかない。少し歩いて交番に届ける。住所や連絡先を聞かれ、少々面倒だった。ある年の暮れに大事なセカンドバックを落とした時交番に届けてもらった事があり大助かりした。今日の目的地まで向かう。通りすがりにお稲荷さんがある。朝拾った500円玉をお賽銭箱に入れ、二礼二拍手一礼をする、そして又歩き出す。

何か今日は良いことあるかもしれないと心が晴れる。


随分と気忙しい人生を送ってきた気がする。やっと逃げるが勝ちとか、いい加減が判ってきた気がする。分相応が大切だと感じている。友人がもうケンカで負けない、何故ならしないから。うまい表現ではないかと今は思う。二杯目のコーヒーを飲んでいると、電話が入った。さっき拾った財布の持ち主だった。これから御礼に行きたいと言う。来るに及ばずですよと丁寧に断る。若い女性の声であった。どんな人かとふと考えたが、男は粋でなきゃとコーヒーを飲む。まあ長い人生こんな、こんなの積み重ね。


電話が何本か入る、あっそう(嫌な話)、えっ本当(いい話)、何それ(こんがらがった話)、それは無いだろ(道をはずした話)、そうか、よかった、よかった(孫が野球でヒットを打った話)。

かけて、かかって来て一日平均2、30本位電話で話す。最近はそれでも少なくなった。携帯を使っている人は大変だなと思う。一日をご破算で願いましたら、良い事8、嫌な事、もめ事、相談事、辛い事、申し訳ない事、つまんない事、バカバカしい事7。まあ、8対7ならいい一日だ。待てよ、まだこれから夜がある。朝までの時間がある。家に帰らねばならぬ。好事魔多し、油断大敵。慎重に夜のクラブ活動に向かう。外は久々の雪だ。


2010年2月5日金曜日

人間市場 アラカン市

日本の映画界に一人の大スターがいた。

その名を嵐寛寿郎という。言わずと知れた鞍馬天狗である。角兵衛獅子をいたぶり、オメエタチモットハタラケなんていう恐い親方、上田吉次郎の天敵である。
角兵衛獅子と言えば美空ひばりか松島トモ子が定番であった。

何で寛寿郎通称アラカンの話を突然するか。
それは女性との別れ方である。
私の所に相談に来た男はすこぶるケチンボであった。
分かれる女性に金なんか払いたくない、俺も浮気したがあっちも不倫したんだ、だからセイムセイムおあいこだよと気炎を上げる。何が訴えてやるだよふざけやがって、こっちが訴えてやりてえよ、そうでしょ先輩ときたもんだ。この男実は判っているだけで五度結婚し、五度離婚した。結婚と離婚のプロフェッショナル。とにかく好きな女性ができるとマメな事この上なし。枝豆、エンドウ豆、天豆よりマメマメしい。

今まで慰謝料は一銭も払った事はない、何故なら相手の女性の方からお願いだから別れて一銭もいらないから、私の方がお金を払うから別れてという方向に持って行くのだ。
正に女性の敵なのだが、得てしてこういう男が世の中ではモテるのだ。

初めて女性に会う、過去の結婚の失敗話をする、今孤独なんだ、淋しいんだ、一人で飲む酒は切ない、一人で食べる食事は旨くない、一人で聴くシューベルトは悲しいなんて言い寄る。更に君みたいな女性が僕の子供を産んでくれたらそれは神話だなんて駄目を押す。マメマメしくメールを入れ続ける。そして・・・ウエディング、籍も入れる、子供が出来る、その頃には他の女性に言い寄っているのだ。その男は得意の手を使い出す。

とにかく嫉妬深くなる。何してた、何処へ行ってた、誰と会ってたと言い続ける。それこそ連日連夜ウンザリする程に。そしてお願いだから別れての言葉を引き出す。男は何度もそれを拒否する、女性の懇願の度合いは極限に達する。当然女性の顔とか兄弟とか友人が出てくる。男は愛しているんだなんてシャーシャーと言い続ける。こんな男の風上にも置けない男が、僕の体験談を本にして出したいんですけどと言って来た。

バチン、ピンタ一発!嫌だよ、いくら知人の紹介でも嫌、最低だよあんたは。で、話はアラカンこと寛寿郎へ、この人はエライ人。何人も愛人を作ったがバンバン天狗になって稼いでそのお金を手切れ金にして払った。愛人が出来る、鞍馬天狗になるお金が入る、愛人に渡すそれを繰り返す。最後には家も屋敷も全て手切れ金で一文無し状態。
ある日マネージャーが言った。先生もうスッテンテンですと言うと、アラカンはこう言ったという、エエガナエエガナ、又、天狗になればと、しかしこの頃すでに後期高齢者とても天狗にはなれなかったのです。

この話を男にしてやったら諦めて帰りました。
日本映画史上鞍馬天狗と明治天皇を演じさせたらアラカンの上はいないのです。男の中の男に脱帽!

2010年2月4日木曜日

人間市場 夏ミカン市

電車に乗った時隣りに夏みかんを二個食べる人が座ると果たしてどうなるか想像できますか?

教えます。
ひと口する度に、規則正しくブルブルっとするんです。
その日私は東海道線のグリーン車に奮発して乗り込みました。午前9時35分、東京行き上り、二階建ての二階へ。

車内はほぼ満席、入って左側の後から三番目窓側に座りました。新聞を二紙読むつもり、大船で見えるはずの大船観音に車内から願いでもするか、ブラックコーヒーを飲みながらなどと思っていると列車は藤沢へ、ドヤドヤとお客さんが乗ってくる。

私の隣りに黒いオーバーコートを着た55〜60歳位の男の人が座った。
髪の毛が寝て起きてそのままの状態。私の領域縄張りまでオーバーコートが入って来る。ノーネクタイ、白のワイシャツの胸のポケットにネクタイは入っていた。オーバーコートの中にはチャコールグレーのスーツ(かなり良い素材)、座席の前のテーブルを起こす。

黒い革の鞄から新聞紙に包んだ物を出す。大きな夏みかんだ。それからがもう酸っぱいのなんのビックンビックンブルンブルン体を震わし出した。
よく見ると目ヤニなんか付いている、耳の中にかなりうぶ毛が生えている。こういう人はきっと学者か教授かなんかだろうなと気を回す。


気がつくと大船観音はもう通り過ぎていた。親指をブスッと差し込んで、見かけより荒々しくむいた夏みかんは一つ一つ口に入っていて、身に付いている白い毛の様な繊維は一切取らない。時々激しく体が浮き上がる、きっと酷く酸っぱいのだろう。

先生は(こう呼ぶ事にした)好きでもない夏みかんを奥さんかなんかに必ず食べなさいと命令されているのではないだろうか、あるいは極端な健康オタクではないだろうか。なんとなく肌がガサガサしているからビタミン不足かもしれない。どう見ても大好きな様には思えない。オッと又激しくピクピクしている。

今日はついてない。新聞読む気にもなれない、活字に集中出来ない。もうすぐ横浜ではないか食べるピッチがかなり上がって来た、ピクピクブルブルッの動きも早くなってきた。
そうだ次の横浜で車両を変わろうか、でも何か逃げる様で嫌だしな、新橋まで後30分我慢するか。先生は何処まで行くんだろうか聞いてみようか。私は食べ物の好き嫌いはなし、その中で唯一苦手なのが夏みかんなのです。人が食べているのを見ても体中が酸っぱくなってしまうのです。子供の頃は砂糖を一杯かけて食べました。

先生は二個目の解体に取りかかっています。ブチュッと私の方へ汁が飛んできました。先生は目にそれが入り涙を流しています、泣きながら食べているのです。私の新聞に汁のシミが付きました。

先生はくの字に足を組んでいます。靴下が足首の方へずり下がっています。その靴下にラルフローレンの正しいマークがありました。先生はやっぱりかなり名のある先生なのではと確信をしました。何故、空いた左手で読んでいる本が(本は組んだ足の上に乗せて上手にめくる)「アダムスミスの国富論」英文原書でした。

先生!夏みかんの汁が本に飛んでいますよ!
アレッ先生左手で鼻をほじり出しました。途方もなく器用な人だと関心しました。こういう人はきっと世間では不器用に生きてんだろうなと思った。

何とも酸っぱい朝でした。