ページ

2010年4月8日木曜日

人間市場 相方市


この頃のテレビを観るとどうしたら人間は阿呆と馬鹿になれるのかの実験を受けている様な気がする。実験体になったつもりでバラエティ番組だけを選んで次々と見ていく。
その間にCMが入る。CMも又ほとんどがバラエティの延長の様なので区切りがつかない。

過日外国人家族と食事をしたら何で日本のCMには同じ人が出るのだと聞かれた。
一人の男がカメラに化粧品に住宅に車に飲料に通信に出るのか。外国人には考えられないという。有名人を使うのがこの国の習性なのだよと言ったらやはりその外国人家族には理解不能の様であった。何のCMだかこの国のCMは全然判らないと言った。私も判らない。

バラエティ番組を考えている人たちの頭の中も又理解不能だ。あるいは特殊な才能の持ち主たちなのだろう。何しろ考えられない事を考え実行するのだから凄い。
出川哲朗なんか心から尊敬している(老舗の海苔屋の息子なんだ)。

みんなで騒げば馬鹿じゃない。みんなで答えれば阿呆じゃない。
とにかくみんなみんなが出て来るのだ。
芸能界にも派閥があるらしくその人が出ると必ずその取り巻きが出る。ある種の救済、相互補助なのだろう。ビートたけし、島田紳助、和田アキ子などが大派閥なのだろうか。
特に島田紳助という人間には少々驚かされる。その頭の回転の速さ、切り返しの上手さ、流れるような口調は第一級に思われる。言葉の豊富さも並ではない。事業も大成功しているという。むべなるかなだ。

ビートきよしさんは過日、我が家のペットが供養されているお寺で箱の上に乗って人とペットの関係について30分程話をしてくれた。その前は確か佐良直美さんだった。

何故かその日の事を鮮明に思い出すのは卒塔婆一本一万円、申し込むとガラガラ回す抽選券を一枚貰える。元来くじ引きで当たった事は殆ど無い。
お線香あげて花とペットフードを取り替え、ビートきよしさんの話を聞いて帰りがけに引換券を渡しグルグルと回すと赤い玉がコトンと落ちた。あっ一等賞ですよと言うではないか。えっ一等賞と言うとオメデトウゴザイマスとオジサンがVネックのセーターをくれた。コレが一等賞と聞くとそうですと言う、他に缶ジュースを一缶。まあいいかと思った。
横山ノックとアウト、西川きよしと横山やすしコロンビアトップとライトそれぞれ相方は不幸福だった気がする。大好きな坂田利夫と前田五郎とは別れてしまった。

傘の上で玉や独楽をごろごろ転がす楽しいコンビの姿が見えない。
相方が亡くなってからすっかり見えなくなってしまった。名コンビだったのに、お正月の風物であったのに。人間利巧を演じるより馬鹿を演じる方が余程難しいと言う。立川流の落語の真打ちになるには古典落語を四百位話せないと駄目だと言う。

昔流しというギターを持った歌手が酒場に現れ人間ジュークボックスの様に頼めば何でも歌ってくれた。一流の流しになるには四百曲位を憶えていないと駄目だと聞いた事がある。漫才も落語も浪曲も手品も色物もコントもみんな血の出る様な努力と創意工夫から生まれて来たのだ。昇っていく者、消えゆく者、破滅する者、人生は正に舞台の上の如しだ。


先日チャンバラトリオのリーダーが亡くなってしまった。少したるんでしまった自分をあのハリセンで思い切りバチンと叩いてもらいたかった。仕方ないから愚妻の小さな扇子でパチンと叩いている。夫婦もコンビと同じ相方とずっと幸福のまま行くとは限らない。一度駄目なら二度、それでも駄目なら三度、もう飽きたと言うまで一緒になればいいのだ。子供にさえ迷惑を掛けなければだが。

それにしても親のわがままの犯罪があまりに多すぎる、残酷だ。

2010年4月7日水曜日

人間市場 紙くず市

このところ三人の友人を失った。
一人は病で失った、本当に男らしくいつも少年の様ないい奴だった。
一人は友人として認めることが出来ず失った。もう一人はこれ以上仕事上で付き合うとお互いに心身に支障をきたすと判断したからだ。

人生の四コーナーを回った時に共に戦った戦友を失うのは辛いがそれも又人生だろう。人の心の中がギザギザになり始めて長い。いよいよその傷口は深く広くなってしまっている。夢を持って入ったある大会社の若い社員が会社に行くのが毎朝辛いという。

言汗のごとし」というが一度口から出た言葉は二度と自分の口の中には戻らない。言葉程恐いものはないとつくづく考える。今頃になって何だと思うが自分が放ったひと言、人が放ったひと言がその言葉を受けた者に積年の憎悪となって心の中に染み込まれるまで刺青の様に消す事が出来なく刺し込まれているのだ。

今からでも謝る事が許されるなら日本中を回ってでもお詫びしたいと思う。
若気の至りと言えばそれまでだが「天上天下唯我独尊」だなんてうそぶいて生きていた自分を恥じるばかりだ。それ故この残り人生の前に受けた言葉の許されざる者は許す事はできないのだ。

今は別離した戦友の幸せを祈るしかない。又、私自身もその責務を背負って生きて行かねばならない。プロの仕事をするという事は正に「強者どもが夢の跡」となる。何百枚の企画の案もあらゆる案もただゴミ箱に入る紙くずと化すのだから。
売れない案はただの代物がプロの企画の世界なのだ。

何年もかけて描いた日展への出品作が「ハイ次!」のひと言でただの絵の具の壁となり、何年もかけ千枚も二千枚もかけて書いた力作の小説も編集者の「ボツ」のひと言で紙くずとなる。陶芸然り、塗然り、織物然り、努力の結果が作品の評価となり得ない。それ故私は世に潜む無名の作家たちを求めて歩く。
その中に本物の作家がいるのだ。高名な審査員に付け届けもしない、編集者や画商に接待もしない、身も心も売らない、新聞社や専門誌の批評家、評論家に接待もしない。自分の先生の作品づくりの手伝いをしない(代書き)それ故可愛くない奴だという事になる。
力があればある程潰す必要があるのだ。

フランス等では芸術とは「ゲイ術」とも言われる。ゲイは身を助けるのである。
駄文の本を書き、絵本をつくり、短編の自主映画をつくる。友人から誰々に幾ら払えばチョーチン記事を書いてくれますよとか、あの新聞社の文化部の誰を「ゲイ」に連れて行けば直ぐチョーチン記事を書きますよとか。ちょっと広告出せばいい書評を書きますよとか色々言って来る。

評論家を招いてパーティをすればどうですか、みんなやっていますからと言ってくる。小田原提灯じゃあるまいしそんな事できるかと思う。見る人が観て一人でもいいと行ってくれたらそれでいい。一人でもいい本だったですよと言ってくれたらそれでいいのだ。商業製作でなく自主製作なのだから。
「ボロは着てても心は錦」みたいな作品を作って行きたいと思う。近々新作、新本の試写会と発表会を行う予定である。

「敵を恨む事なかれ、自分もきっと敵に似ているから」誰だか忘れたがある哲人が言っていた様な気がする。

2010年4月6日火曜日

人間市場 撮り者市

人間は何かを残そうと決意し、行動すると大変な足跡となる。

三十年来の友人を紹介する。
本名は小林直道、我々の仲間内ではピート小林という。
長い間アメリカに居てバーテンダーのアルバイトをしている時に付けられたあだ名と言う。
その時の経験を生かし、サントリーと友人ジョージ伊藤と共に二千種類に及ぶオリジナルカクテルブックをつくった。
レシピとシェイクは全てピートであった。名著中の名著として世界の賞を貰った。又、高名なコピーライターとしてマッキャンエリクソン、博報堂や電通に入社。ジャガーやマッキントッシュ、サントリーの洋酒の広告では朝日広告賞のグランプリを獲った。

180㎝を超える体、口ひげ、ソフト帽それにパイプをくゆらせながらヒョッコリ現れる。ある時はピート小林の英会話術という本を出したとか。春夏の甲子園には必ず高校野球の写真を撮り続けている。

過日は日本中の畑を歩き回り「案山子」の本を出し、TBSのクマグスという番組にV6と共に出てキラキラと案山子について語っていた。

又、日本中の桜の写真を何年もかけて撮影している事は知っていたが、四月四日の日刊スポーツ二十一面一ページに「ピート小林と歩くこころの日本人遺産」今日から連載とあった。撮り者の第一人者としてこれからが楽しみである。


アメリカの文化の中で青春を過ごした男が今、高校野球や畑の中の案山子や日本の桜、古き良き香りが残る木造校舎の四季の中の春を追う旅の枕は時刻表でありボロボロである。
彼も又移り変わる季節の様に様々な人生の四苦八苦を味わった。その上で行き着いた先の目的地がこの滅びゆく日本、去りゆく日本の風景であったのだろう。

先日倒木した鎌倉八幡宮の大銀杏の木に小さな木の芽が出たというニュースを見た。自然の生命力は、なんと逞しいのだろう。あと千年生きれば又あの立派な大銀杏に会えるかもしれない。住む場所を失ったリスたちも又帰って来るだろう。
ピート小林には何とか千年生き続け大銀杏の木の成長を記録して欲しいと思う。

与謝野馨、平沼赴夫、園田博之、藤井孝男等々もう老木となり散り際を作らねばならない男達が新党を立ち上げると言う。新党というより老党である。
政治家の中には煮ても焼いても食えない人間が多い。「老兵は消えゆくのみ」といったのはマッカーサーだが若手に道を空けない老木は朽ち果てるしかない。

かつて、「国や敗れて山河あり」と言ったが今や国滅びて山河消ゆとなって来ている。
童話が生まれる様な景色が消えてゆくのは切なく悲しいものだ。
スペインの養殖で育った大トロだらけのブヨブヨのマグロに105円の値段をつけ解体ショーを見せながら寿司を売る店をお寿司屋とは言えない。
そこに行列を作っている人々を見ると又言葉を失ってしまう。

先日東京湾でアサリ漁をしている老人の話を聞いた。
海も畑も同じ、せっせと水を耕さないと水の中が死んでしまい貝達が死滅していくのだという、しかしそれを継いでいく若者たちがいなくなっている。
何でもいい一人が何かを残す事をしてみよう。一本の木を植える事も、一つの球根を埋める事でも、一枚の写真を残す事でも被写体は何でもいいと思う。


花見に行けなかった人はピート小林の写真集を是非。
「花は根に、鳥は古巣へ帰るとも人は若きに帰ることなし」と記してあった。

2010年4月5日月曜日

人間市場 思案市


大長考と言えば将棋や囲碁の世界。

かつては現在の様に持ち時間制でなく打ち手が決まるまでずっと、考える。
一日に一手しか打たない日もあった。対局の相手は庭で体操をしたり、自室に戻り一休みしたりして頭を休めたり、次はどんな手を打って来るかを考える。
何しろ相手が打たない限り自分の手は打てない。体力と気力の勝負となる。高度な駆け引きもあった。

ある二十代の若者と同様な経験をした。
一つの仕事を決める事についてとにかく決断しないのである。
うーん、うーと腕を組み大長考する。一日、二日、三日、四日、五日、六日、七日と考えてはこんな事もありますよねとか、こんな事を思いついたんですがとか、凄い良い考えがついに思いついたんですと言う。

周りはいよいよ先に進めるのかと期待を込めて考えを聞くとやはりう〜ん駄目かなとなる。思うに勉強が出来過ぎ、育ちが良過ぎ、人が優し過ぎ、一人で部屋にこもり過ぎ、一人で遊び過ぎなのだろう。ある人にそんな話しをするとそれこそが草食系の典型なんだよという。
人を傷つけたくない、自己主張を押しつけたくない、友人や妻や彼女を巻き込みたくない、出世欲はない、でも自分のやりたい事は頑固なまでにやり遂げたい。
大きな喜びよりちょっとした喜びを楽しみたい。ゲームで相手に勝ったとかボーリングで最後のピンがフラフラしながら倒れてストライクになったとか、昼休み神社でおみくじを買ったら大吉だったとか、自分で作ったパスタが思いの外旨かったとか、メダカが沢山子供を生んだとか等であるらしい。

何より人を傷つけるのを嫌うのだ。逆にたった一言で深く傷ついてしまうのだ。柔軟性がなく、展開力がなく、大胆に捨てる勇気がない。僕はこれがいいと決めるともうそこから思考回路がテコでも動かない。そして又、一日、二日、三日、四日と日が経って行く。その事による膨大な時間とコストの無駄に気が付かない。絶えず相手に責任を転嫁する。ちゃんと考えてくれていますかと言われた相手はぞぉーっとしてエーとなり、何だ何だとなって答えのない宿題に苦悩する。世に言う人のいい人程、世の中のためにはならない、という事であろうか。

あの田中角栄は決断と実行といい、出来る男は走りながら考えると言った。田中角栄論はともかく決断と実行力、他人依存性を持つ若者が増えている事は確かである。
パソコンやゲーム、携帯のせいもあると思う。自分の文章力、発進力、思考力が無いのだ。

だから元気な若い女性から見ると全然物足りない、頼りにならない、結婚したくないとなっている。思うに、初めのデートでホテルに行き、お互いにベットの上までは行った、その後うーん、うーんと腕を組んで行動しない(その先の出来事を考えている)。
女性は何してんのよ風邪引くじゃない、いい加減にしてよ。私帰りますサイテーなんて事になる。その後も何故帰ってしまったかうーんと考え続ける。ハックション!となりやっと事態に気が付き慌てて電話をする、しかし着信拒否となる。ちょっと例えは悪いがこんな二十代が多くなっている。成功もしたくないが失敗したくはない。

間違っても坂本龍馬の様に天下国家の為に国中を走り回る人間は出ない。土方歳三の様なロマンチストは出ない。それ故この日本国の明日は終わっても電気の付かない映画館であり続け、次のシーンが始まらない。人に思い切り嫌われる覚悟があると言う事は自分の行動に責任を持つという事である。

過日ある若い右翼の部屋に行った。立派な筆文字で「必死三昧」と壁に書いてあった。思想はまるで違うがその二十代の若者がいつ死んでもいいと思っています、という言葉に説得力があった。久々にリリシズムを感じた。今、二十代で国の為に必死を覚悟している者がどれ程いるだろうか。

婚活が流行るとか、携帯メールで相手を探すとか、いかに男が女性にモテなくなった証明である。

2010年4月2日金曜日

人間市場 春風市


この季節になると一日に何枚か葉書がポストに入って来る。
定年退職、会社転職、昇進や地方への移動人生の縮図が小さな葉書の中にある。思い出深い人や、たった一度であった人、又すっかり忘れてしまっていた人々からだ。

一枚の葉書を読み終えると様々なシーンが甦るものだ。
入園式、入学式、入社式の季節でもある春は希望の花が咲く季節であるが散る花の季節でもある。園長先生、校長先生、社長たちは成長を語り勇気を語り、誇りや夢や責任や自覚や期待を語る。

誰もが一度は通って来た道である。その先には一人一人にそれぞれの人生が待っている。結婚式の案内状も来るのもこの季節だ。幸福は歩いて来ない、だから歩いて行くんだよとの歌もある。一歩一歩幸福に向かって欲しいと願う。

長い間のご愛顧ありがとうございました、この度店を閉店する事になりました等の葉書も来る。あの頃は若く楽しく元気だったなあと主人や奥さんの顔が目に浮かぶ。
思えば自分も閉店に近い事に気が付く。個展の案内状も多い。何でも長引く不況で画廊が空いていて凄い安い値段で個展が開けるらしい。水彩、油彩、織物、陶芸と次々に来る。みんな頑張ってるなと顔が浮かぶ。

今年は小さな庭にある梅の木に花があまりつかなかった。庭師の人は来年は一杯咲きますから、枝をかなり切りました。生き続けさせるために間引きが必要なのだと言う。その変わり牡丹が今年は立派に咲きますよと言う。確かに隅っこにある一本の牡丹が一日一日伸びて来ている。

明日人生が終わるとしても私はリンゴの木を植えるとか言った偉い人がいた。
中々そんな偉い心境にはなれない未熟者だ。
江戸時代の教訓歌に「井戸掘りて今一尺で出る水を掘らずに出ずという人ぞ憂き」というのがある。もう一尺何故掘らなかったのか後一尺掘る努力をしたら水に出会えたものを、そんな思いをする事が多くなってしまった。残念な結果には必ず努力の不足がある。
一つの物を生むために幾つもの大切な物を失ってしまう事は辛いものだ。

既に飛び始めた桜の花を見ると還らざる日々を思う。
失敗が成功の母というなら、成功は失敗の父であるかもしれない。自分の中の自分がもう一尺掘り続ける自分であるために人生の新入生になろうと思う。但し、新しいランドセルや、新しい学生服や、新しいスーツを着れる年ではない。
直ぐに人生の卒業式が待っている。しかし努力をしようと思う。一尺を掘る努力を。

会社員からアニメ作家になる人、子供達のサッカーのコーチになる人、スポーツのインストラクターになる人、農業家になる人、カマボコ屋になる人、作家になる人、画家になる人、陶芸家になる人、政治家を目指す人、みんなみんな一尺を掘る努力を。一度しかない人生、一生に一匹しか出会えない幻の魚を釣る為に旅にでるという人もいる。カナブンが網にしがみついている様な生き方はつまらないと思う。いずれはがされて外に向かって放り出されてしまうのだ。

テレビでは新入社員達が明日への熱い思いを語っている、頑張れよのエールを送る。人生は苦しいが色んな人と出会えて楽しいもんだよ。

こんな雑文を書き終えて夕刊を取りにポストへ行くと敬愛する佐藤隆介先生から一冊の本が送られて来ていた。「池波正太郎直伝 男の心得」という本です。

いざと言う時男はいかに振る舞うべきかが書いてあります。新潮文庫の新刊です。
読んで学びます。

2010年4月1日木曜日

人間市場 一番市


何でも一番が命みたいに思っている変わった人がいる。

高速道路がオープンというと数日前から並んで一番を。閉店セールがあるというと二日三晩並んで一番を。近所で火事が起きた全てを捨てても駆けつけ一番へ(本人が火をつけた場合も多い)。地震があり決して浜辺に近づかないで下さいと言っているのに一番に浜辺か防波堤に。台風で大雨なのにわざわざ歩き回る。

交通渋滞でニッチもサッチもいかないというニュースを見るとわざわざ車を出しその渋滞に向かう。次の日、あの日あの時あそこにいたんだよ、大変だったよと自画自賛する。周りはただの変わった人、物好きな人、野次馬の人、仲良くしたくない人となる。
ずぶ濡れになった自分を自分で写真を撮って悦に入る。

こういう一番シンドロームの人が勉強や仕事で一番になったというケースはまず一人もいない。ただ目立ちたい、ただ話の中心にいたいだけ。このうすら寒いのに花見に繰り出している人たちも同じ、花を愛でるという風流よりもあんな寒い風のある日に一番早くあの場所にいたという事実の方が重大ニュースなのだ。可哀相に子供はガタガタ震え、妻たちは鼻水をすすり、風でシートはめくり上がり、押さえていた四隅の足とか置物は飛んでしまう。
それでもマスコミが近づき凄いですね、こんな時にこんな所に一番早く来るなんてと取材されると、とりの唐揚げかなんか食べながら一番なんです、毎年一番なんですと誇らしげに語る。

悲しいとか切ないとか情けないとかを通過して気の毒としか言い様がない。これは 確かな病気なのだから。
正月に寺社で一番を目指して走る若者。裁判で一番最初の傍聴券を求めて並ぶオジサン(おおむねマスコミから金で雇われているのだが)。

この間吉祥寺にあった百貨店が閉店した、そこの人間が古い友人であった。閉店オープンという相矛盾したイベント。扇の向こうに血走った目の人、人、人。
よく見るとたいがいバーゲンセールの常連だったという。大学出て四十年近く頭を下げて来た百貨店マンにとってその人たちは憎しみの対象でしかない。

いざオープン、どっと人が入り込む悔しいから足をそっと出したら数人将棋倒しに倒れたらしい。ザマーミロと思い笑いが止まらなかったと言う。うっすら鼻血を出した人はいつもなら何時間も苦情を言うのにこの日は一切無し。ただひたすら一番を目指していた自分が自分でケッ躓いてしまったと思ったからだ。バカ丁寧に頭を下げるまで無感情な店員たちとの対比が何とも可笑しかった。

こういう種族は「野犬科」の人に多いと学者さんが言っていた。ご主人が撃った獲物を一番に捕って返って来てご主人に頭を撫でられご褒美をもらいお前は一番エライ奴だといわれる、もう嬉しくて仕方がない。
曲芸的自己顕示野次馬症(?)という一種の病らしい。放火を重ねるのはその典型らしい、自分で火をつけ自分で報告し自分が一番早くその現場にいる、それと同じらしい。地震大好き、津波大好き、大事故大好き、大事件大好き、大洪水大好き、お隣の喧嘩、ご近所のモメ事大好きなのです。
警察のプロファイルには一番にマークされています。自分では全く心外なのでしょうが当局にとっては何か事件があると一番にその名が出て来るのです。

ある中学の校長が校長室で30歳も年下の夫子供がいる女性を好き勝手していてその手で卒業証書を渡すかも等という全て持って打ち首者がいました。実は生徒も先生もPTAもみんな知っていたとか。誰が一番に密告するか順を競っていたのです。この学校を一番で卒業した生徒は生涯傷つく事でしょう。知っていないから知らない素振りのご主人はこれからどうやって生きて行くのでしょう。この世で一番程危うい存在はありません、何しろ重病人ですから。気をつけて下さい。

誰も来ないと言っていた茨城空港に一番乗りして自慢顔の人が居ました。
撮り鉄なんて集まっている人の顔を見ると我が家の側にあったチサンホテルのプールサイドでヌード撮影会に群がっていた人々の異様な顔と同じです。娘を連れて行った私はその時スケベジジイどけと言ったら主催者の三人がスミマセン気をつけます、何しろ今だけ少しご勘弁をと謝りました。気持ち悪い中年オジサンばかり四、五十人いましたチサンホテルは当然潰れました。

ちなみにその日一番先にいいポジションを得た人は二日前からホテル近辺の車の中に泊まり込んでいたのです。この世で一番に気をつけるのは一番危ない人です。

2010年3月31日水曜日

人間市場 桜市


桜の樹の下には屍体が埋まっていると書いたのは梶井基次郎。吉野の山桜の下を通ると人の気が狂うと書いたのは坂口安吾。桜は軍国主義の花の象徴、日本国の精神の象徴であり続けた。山桜に風情を感じるが人々が花見弁当を持ち、酒を飲んで騒ぎ、歌って踊って喧嘩三昧、席の取り合いシートや畳の広げ具合でモメにモメる。

オレは昨日から来てるんだ、アタシなんて三日前からよなんてわめき合う。
とにかくウルサイ、キタナイ、巨大なゴミの山また山。私は花見の集団が大嫌い、美意識がない野次馬の群れだからだ。車券や馬券や舟券を買う群れにも似ている。

一方はにぎやかだが一方はネズミ色の群れ、予想新聞と赤鉛筆を持った灰色の群れ。
ある夜応援するボクサーの防衛戦があって後楽園ホールに行った。
一階週辺に薄暗い人、人、人。テレビの画面にはナイター競馬の中継。ボサボサの髪、金髪、イガグリ頭、握りしめる新聞と赤鉛筆、座っている者、壁にもたれている者、焼酎のウーロン割とかワンカップを飲みつつウロウロと回るもの、四、五人で何やらヒソヒソ話をする者、様々な職業の者、あらゆる年代の者たち煙草の臭い。
この場所には美意識のかけらも、人間としての誇りもプライドも生きている存在も夢も希望もない。絶望というゴールに向かってひたすら進んでいる、一歩一歩。

満開の桜の下で狂乱する数十万、数百万の人々にも決して希望がある訳ではない。今日一日何もかも忘れ酔って大騒ぎしたいのだろう。ヘドにまみれる若い娘。口から泡を出して倒れている若者。人前で平気で立ち小便をするという不届きなオッサン。みだらな格好で歌を唄うオバサン。大人不信の始まりの様な眼差しでそれらを見ている子供たち。注意をする警官と争う会社員たち。仕事中は元気を出さないがこういう時にはその存在を際立たせる宴会部長。十五人位が車座になって軍歌を放歌する元日本軍人たち。

私はどうしても桜が好きになれない。しかし山の中にひっそり咲く桜は好きだ。一本一本ポツンポツンと決して太くなく大きくもない。樹々の群れの中に静かにそっと咲く一輪の花の様なのがいい。

横浜から列車に乗るとどこの桜を折って来たのか二、三本の桜の木を持った集団がいた。余程ウルセイと声を掛けようと思ったが、ジジババにはもうウンザリしているので連れが言う様にあれも又人の姿ですよの言葉にそうだなと思った。せっかく横浜のグランドホテルでアカデミックな会話を楽しんだ時間が消えて行った。

水戸偕楽園、岡山後楽園、金沢兼六園、京都、奈良、熊野古道、出雲に厳島、行くとこ行くとこ中国人の群れ又、群れ。
梶井基次郎が言った桜の樹の下に屍体があると言ったのは戦争で死んだ無数の人の命、又、無数に殺した他国人の命の事かもしれない。坂口安吾がこの桜の下を通ると人は狂うと言ったのは桜の花ひとひらひとひらにやはり戦争で死んだ無数の命、愛した人の命の数かもしれない。軍歌にはやはり桜なのだ。血の色、血の臭いがする。暫くは我慢の季節だ。絶対に怒っちゃ駄目とも言われているし。なるべく人の群れに近づかない様にと心に決めている。桜を観るなら山の中で二人でしっぽりがいい、黙して語らず一献また一献。そしてスコッチのロックスだ(実は桜にスコッチはよく似合う)。
仕上げはいつものジントニックを一杯、口の中を洗う。

朝もやの中冷気で窓ガラスが曇っている。山のざわめき、川のせせらぎ、鳥の鳴き声、風の音、窓を開けると遠くの山に薄桃色のしっかり主張した一本の山桜それを観る、これが私流の花見。振り返ると未だ半分寝ている半身の美しい裸体、寒いと、一言これが理想の映像美。いつか映画にしたいと思っているのです。

昼は魚観荘へ行く。広い竹林の中に平屋の屋敷、周りには美しい鯉たちが堂々と泳いでいる。京都、奈良にもない佇まいだ。川魚と鯉料理、全ては離れ造りでいいですよ(でも教えたからもう行かない)
鯉は百年生きると言いますから、百年の恋をする方々はぜひ魚観荘へ。但し、ウルサイジジババは断られますのであしからず。
恋よ鯉です。

2010年3月30日火曜日

人間市場 根性なし市


実力会長がいて、社長がいて、専務がいて、常務がいる。そこに執行役員が数人いて会議は始まる。担当役員から次々と問題が提起される。

その内容が全員賛成という事はあり得ない、まして執行役員の中に頭角を現し始め実力会長のおぼえめでたい。その人間が報告するといいじゃないかそれは進める等となる。
一言も言葉を発する事のない執行役員程、外に出ると多言多弁となる。
根性無しの典型に多い。ましてテレビや新聞社かなんかの女性記者にインタビューを受けたりするとついリップサービスがエスカレートする。一杯酒が入ったりするともう止まる事はない。

あれはオレがやった、あれはオレが提案した、あれはオレが考えた、とオレオレ詐欺が始まるのだ。会社の役員会は軍の作戦会議と同じ機密を外に出した者は即断罪である。これが組織のルール、掟なのだ。

気の弱い執行役員は実力会長の前では借りて来た猫より大人しい。黙して語らずだ。古来より直訴した者は打ち首と決められている。まして軍の機密を漏らしたり、体制内批判をしたら首と胴が離れる事を覚悟しないと組織の規律は守れない。
又、その事を外からあーだ、こーだと批判する者はその組織から離れる覚悟がいる。言いたい事があれば決然と自論を公の場で話すべきなのだ。これをしないで体制を批判する者を卑怯者、武士の風下にも置けない者という。

私は大の会議嫌い、役員会等設立時以外は殆ど無し。一年に一度もない方が多い。他の役員は一ヶ月に一度三社合同でちゃんとしてくれているらしい。
役員会やりました、あっそう、今度久し振りに三社で一泊で親睦旅行をします。オッイイじゃない、飲み過ぎてメチャクチャにすんなよという程度。

十五年前ある事を機会に全てこの方式だ。ただ、会社への体制批判、仲間の中傷、会社への裏切り行為、企業秘密の漏洩、公私混同、金銭のルーズな使い方等を報告されたら即断で終わり。そうでないと緊張感のある組織は出来ない。
生方幸夫なる民主党の副幹事長が解任されそうになった。マスコミはネタ切れだったので即飛びついた。地方回りの悪代官役者の様な顔の割にはメソメソ自分の選挙区で泣きを入れていた。ある老人に批判ばかりしてないでちゃんと面と向かって喋れなんて怒鳴られてハイスミマセンと頭を下げていた。

新撰組の土方歳三だったら局中法渡に従って斬首だろう。敵を利とする行為は許されないのだ。
そう言えば小沢一郎は土方歳三が好きなんだと言っていた様な気がする。小沢一郎も六十七才、先は見えている自らの死に場所を探しているのだろう。

この国は戦後の占領政策ですっかり魂を抜かれてしまった。言わない、やらない、責任を取らない、但し少しでも手柄になりそうだと思うと横取りにかかるその習性は夜中に現れるイタチとかテンの様であり鵺(ヌエ)の様でもある。
ジャーナリズムが消えて無くなり、ジャーナリストがサラリーマン化し、ブルジョワ、プチブルジョワ化し全くのふぬけとなってしまった。主義主張しないジャーナリズムはタダの新聞紙屋さんだ。若い才能が鋭く書いた原稿が上に潰されボツとなりくず箱に投げ入れられているのだろう。
いつかこんな人材たちが世の中を正しい方向に導いて欲しいと願う。会長だ社長が何だって言ったってただの人間だ。差し違える覚悟があれば言は通る。その後立派に腹を切ればいいんだ。
働いて帰って来て女房にギャーギャーいわせんじゃない。悪妻は家の外に放出した方がいい。よく食べ、よく喋り、よく求め、よく買い、よく遊び、よく歌う、公害ではなく家害だ。自害させるべしだ。
妻をめとらば才たけて、みめ美わしく情ある」だ。

大の男が一緒に散歩しよう、一緒に図書館に行こう、一緒にゴルフの練習しよう、一緒にスーパー行こう(今日は僕が作るよなんて)一緒にテレビ見よう、一緒に寝よう(?)何でも一緒にしよう。毎日が日曜日になった人たちに多い行動形態だそうです。一緒にいないと不安なんです。もしかして捨てられたらどうしようと思っているのです。

私の知り合いの人が夜家に帰るとテーブルの上に一通の手紙と離婚届。娘さんが結婚を済ませた、私の役目は終わりました、これからは自分の好きな人生を歩みますのでと書いてあったとか。その奥さんは数カ国語を話せる女性、六十六歳(?)にして今は世界中を旅しているとか。すでに五十数カ国、時々絵葉書が来るそうです。ご主人は七十歳となってもある新聞社の顧問になり今も現役です。なんて素敵な人生じゃないですか。離れて仲良きかなです。

休日の夕方に海辺を散歩していると老年夫婦が益々多くなっている。手を繋いでいたり、肩に手を回していたり腕を組んだり、犬を散歩させたりそれぞれ一緒にいます。私は絶対一緒は大嫌い。よく観察すると奥さんよりご主人の方が離れないでくれと願っている様に見えるのです。しみじみトボトボしているのです。
このご主人たちにもう月曜日は来ないのです。明日も又、日曜日そして次の日も。

2010年3月29日月曜日

人間市場 パラサイト市


春は青雲の志の季節、青春とオサラバの季節、天下国家を目指す青嵐の季節である。朝十時も過ぎた頃、年は二五を過ぎた者、三十を過ぎた者、あろう事か四十になった者がお母さん腹減ったなんて起きて来る。

「五体満足」体には何の異常もない。ないのはヤル気だけ。そもそも義務教育という位だから中学校まで一応親としての義務、それを果たせば十分である。
二流、三流大学を出て家に居候して親にたかって共生虫になって生きて行く。
日々顔付が悪くなり貧しい顔相になる。中にはメシが旨いのマズイだの一丁前の事を言う。家を出て一人暮らしをするのが当たり前なのだ。阿呆な親はそんな阿呆で不出来な息子や娘の自慢話をしてヒンシュクを買ってしまう。

息子が娘が外国旅行に行ってさ、このシャツ買って来てくれたんだなんて言う。息子がオーストラリアでサーフィンして来たとかいう。間違いなくそんな子の母親は殺意を持っている。母親は亭主だけでも十分ストレスで殺してやりたいと思っているのに、ゴロゴロしていたらたまったもんじゃない。
ゴハン、オソージ、オコズカイ、モテナイ、ハタラカナイ、幼い頃可愛かった顔には無精髭、目ヤニ、鼻毛、体臭、日々オジサン、オバサン化して行く。サムイだ、アツイだ、風が強いだ、頭イタイだ、腹がイタイだと言ってはサボッテゴロゴロ、チョット会社に勤めると辛抱が出来ず直ぐ辞める。

そして二十代が三十代へ四十代へ、アッという間に年を重ねる。こういう若者達は生存そのものが社会の迷惑なのだ。隣近所からはあの家の子ブラブラしているから気をつけた方がいいわよなんて噂される。
そしてやがて大事件の発生となったりする。毎日家に居てゴミ出しもよくやっているイイ子だったんですよなんて言われる。イワシが死んだ様に輝かない目、体から気力が出ていない、何処かオドオドして人の目をじっと見れない。

実は私の親族にもいるんです。法事か何かで私の姿を見るとジッと下を向いて顔を上げません。何かを言われるのが判っているから、上は四十代、下は三十代後半。完全な共生虫(パラサイト)です。今の日本を悪くしているのは共生虫たち、どこかへ連れて行って深い穴を掘らしたり、石を組ませたり、埋め立てさせたり、極寒の地でペンギンの数を数えさせたりさせないといけません。こんな連中にも税金はかかっているんです。働かざる者食うべからずです。家庭内ホームレスを一掃しましょう。レーニンは「食べようと思ったら働け」と言い換えたらしい。

二流、三流とはいえ高い月謝(行かない方がよかったかも)大学を出たのだから足し算と引き算位は出来る筈なのだから働けと言いたい。
北海道から出て来て学習院に入り就職活動中のとてもいい感じの女の子。
でも百社近くに応募し、三十社位面接し、未だに一社も決まっていない。既に後輩達が就職活動開始(という事は中古品扱い)。故里のお母さんに泣きながら電話、やっぱりダメだったのと大粒の涙を流していました。私の自論では親は中学まで出したら後は本人任せ、本人のしたい事をやればいい、二十歳過ぎたら絶対家の中には置かない。

この世で自分の子供程出来が悪い、どうしようもないと思っていれば大丈夫。そう思うと意外とイイ子だったりする。この意外性が育てて来た甲斐があったというものだ。ゴロゴロしている共生虫に殺虫剤をかけましょう、アースジェットかフマキラーを。
何か大志を持っているヤル気のある子にはみんなで協力しましょう。いつかきっと恩返しをしてくれるし天下国家の為に働いてくれる筈だから。天才は忘れた頃にやって来る。待ちましょう、根気よく。

ちなみに私は昔から面接の時履歴書はほとんど見ません。ただず〜っと目を見るんです。
気配を感じるんです。
学歴家柄一切関係無し、その結果素晴らしい人材に出会い続けて来ました。
質問は、㈠お酒好き、㈠女性好き(男性好きとは聞きません)、㈠最近読んだ本は、㈠最近観た映画は、㈠好きな音楽は位でしょうか。
㈠髪の手入れの悪い人、爪が汚い人、歯の汚い人は駄目。使える奴は見た瞬間で判ります。いい目をしているんです。ただ、女性に対しては面食い過ぎとの批判もある事を知っています。

遥か昔中国では、科挙という日本でいうところの国家公務員上級試験の様なのがあった。国中から若者が集まり数週間続けて試験を受けた。その科挙の試験を受けた試験場の門が青かったという。青春という言葉はそこから生まれたとも言う。日本からも留学生が科挙に挑んだ。春は志の季節若さは羨ましい。帰らざる日々を痛感している。何しろ私は勉強が大嫌いでした。

2010年3月26日金曜日

人間市場 人事市


古賀誠、伊吹文明、二階俊博、川崎二郎、大島理森、麻生太郎、安倍晋三、福田康夫、小池百合子、町村信孝、野田毅、加藤紘一、山本一太、河野太郎、塩崎恭久、世耕弘成、谷垣禎一、谷川秀善、河村建夫、青木幹雄。(敬称略)
とりあえず思いつくまま二十名を記す。
自由民主党の主要メンバーだ。どうでしょうかこの人たちで再起は可能でしょうか(?)

私は石原伸晃氏を中心に一気に若返りをしないと再生不能だと思う。
三年は衆議院は選挙しない。一度握った権力はまず手放さない、民主党にズタズタにされて行く。朝日、毎日、読売、日経、産経その系列のテレビ局は躍起になって民主倒しをするが現実は民公に向かっているのが実体だ。

社民党はいずれ名ばかりとなる。国民新党は亀井静香氏一代の政党。跡目の下地幹郎氏(かなり実力がある)は無所属か新党へ、他に人材はいない。
辻元清美氏、この女性東京駅の構内タクシーの中ですこぶる不人気。国会議事堂まで渋滞があったりしてワンメーターでも上がるともの凄い勢いで怒るらしい。何でメーターが上がるの、ともの凄い剣幕。何でメーター上がったのドアホウとなるとの事。
人間には居て欲しい人と、潔く去って欲しい人と、頭角を現して欲しい人がいる。
「一将功なりて万骨枯る」という言葉もある。

春は人事の季節、飛ばされる人、窓際に引越する人、逆に普段のゴマスリが成功して上に昇る人、綱にひっついたカナブンの様に中々しぶとく手を離さない人、泣く人、笑う人、怒る人、グチる人、夜の一杯飲み屋はこの季節は売り上げが上がる(少しだけだが)、交際費がないためクラブ活動までは進まない。

この頃スタンドバーが大流行している。人事の話も立ち話になった。
会社は古典芸能ではないので思い切った若手を抜擢しない会社は伸びない。古い担当が又担当になりましたなんていって喜ぶ相手はまずいない。裏であの人なんとかなんないの、若くてイキイキした人にしてよなんて言われているのだ。
私の年になると昔からの知り合いは社長にとか役員にならない限り、蛍の光である。
さよなら会とか、励ます会とか、お疲れ会とかの案内がどんどん来る。

ある一人の男が居た。仲間数人で赤坂のクラブで飲んだ、付いた女の子は確か四人、ママ一人店の名はウイステリア。奥のコーナーで大盛り上がり、かなり熱気で暑くなった。その時、その男があーあムレる、アツイ、もう我慢できないと言っていきなり頭の毛をバリバリ剥がし出したではないか。出て来たのはツルツルの頭。
キャー、ギャー、止めてー、何すんの、何すんだどうしたと大パニック本人は、取れた頭をバッグの中に。

数年付き合っていて全て判らなかった。よく出来てるなとみんな感心しまくり、女の子たちは泣きまくり、私は飲みまくり。上州手延べうどんに関係していました。
今でも手延べうどんを見ると思い出す、その男から一枚の葉書。退職をしたとか、社民党関係の仕事をしていたらしい。家に電話すると奥さんが出る。もう働かないなんて言ってるんです。今はスポーツジムへ行っているという、と言うことは頭にカツラはなし、スッキリしてんだろうなと奥さんに言うと大笑いだった。まだ若いんだから働く様にと伝えてもらった。

自民も民主も国民も社民も公明もみんな頭をそっくり変えないと再生は出来ない。一度スッキリする事だ。
ある統計によると人事の季節で圧倒的に出世したり生き残ったりするのはゴマスリ上手だという。大化の改新以来この傾向は変わらないという。
仕事が出来過ぎ、才能があり過ぎると菅原道真公の様になってしまうのだ。ドイトとか東急ハンズとか無印良品でゴマスリの道具がこの季節特別の多く売れるという統計はない。

友よ生きている内は頭を使って働けよ、逃げたら負け、心に隙を作ると病にやられる。