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2010年7月27日火曜日

人間市場 受賞市

過日下半期の芥川賞と直木賞が発表された。

芥川賞は赤染晶子さん(35)新潮社「乙女の密告」、直木賞は中島京子さん(46)文芸春秋社「小さいおうち」だ。


毎回築地の料亭、新喜楽で選考される。
確か一階が芥川賞、二階が直木賞の筈。選考委員は芥川賞五人、直木賞は八人(昔十人)だと思う。選考委員一人の予算は五万円位と聞いた。
候補になった人は携帯(昔は電話)での知らせをひたすら待つ。

もしもし、日本文学振興会ですがと言って来たら受賞で万歳。もしもし○×出版ですがと言って来たらアウト、ガックリらしい。

だがこの頃は芥川、直木賞といっても売れる訳ではない。
どっさり本屋に平積みされている。そもそも芥川賞、直木賞は景気対策であった。
文藝春秋の創立者、菊池寛が二・八(にっぱち)対策として何か話題づくりをと考えて創設したものだ。芥川賞は純文学から、直木賞は娯楽小説からと決めた。

オイ、どっかに若手のいい奴はいないのかと号令をかけ、編集者があちこちの文藝雑誌に書かせその中から選んだのだ。それ故受賞作の約七割近くは文芸春秋からと決まっている。
文學界とか群像とかが芥川賞のメインである。

直木賞は直木三十五(さんじゅうご)は歳と共に数字が変わって来た直木二十九とか直木三十一とか超ユニークな作家である。
こちらは世の中に出ている本の中から選ぶ中・長篇作品である。
もちろん文藝春秋社が仕切る。まあ一種の談合によって決まっていくらしい。

かつては芥川賞作家といえば大変な権威であった。太宰治がどうしても欲しいからお願いしますと手紙を大先生に書き送った。しかし取れずであった。
井伏先生は悪い人だなんて恩人にもブータレたものだ。芥川賞作家になればヒモみたいな生活から脱出できたのだ。

本当の意味での新人作家は「限りなく透明に近いブルー」の村上龍までだろうか。ちなみに同じ村上でも村上春樹は両賞とも受賞していない。今は受賞するものでなく出版社が受賞させたい賞になってしまった。

かつては敏腕編集者がいて人材を発見、発掘し、叱咤激励し、又は脅し、スカシ、おだてて書かせた。若手作家が編集者のところに原稿を持って行くとその原稿は朱で染まった。本人が書いた作品は跡形もなくなっていたという。悔し悲しく涙を流す。

しかし受賞し大先生となり銀座のクラブで飲み始めると、すっかり悔し涙は忘れてしまい夜な夜な銀座の女を食べまくる。

日本中にコツコツ書いている作家がいて芥川・直木賞作家よりはるかに良い作品を物にしているが、この頃の出版不況で編集者も金詰まりで身動き出来ない。タクシー券もお偉い人以外は使えない状態だ。勿論銀座のクラブ活動もままならない。新人発掘も手頃な情報を元にして候補作を決めて行く。

今回受賞した人は関係はないと思う(読んでないので)
出版社は全国で約四千社近くあるというが黒字の出版社は十社から二十社と云われている。今はネット社会、映画も本も見た人、読んだ人がつまんないとか下手くそなんて書き込まれるとまるで客は入らず本は売れない。

死んでもベストセラーなんていう作家は池波正太郎とか夏目漱石だ。むしろ芥川・直木賞を受賞していない人の方が多い。私が一番上手いと思う山本周五郎なんて直木賞受賞をそんなもんいらないと断った位だ。

出版不況脱出は編集者にしこたま金を渡し、好きなだけ遊ばせないと行けない。
銀座でバンバン飲ませ情報を集めさせ地方出張もケチケチしないでドンドン行かせる。そして良い人材を発掘させるしかない。そして面白い本、いい本を出す。それが売れる事で更にいい人材を発掘できるこのスパイラルしかない。上げ底作家の本なんて最初の一行から二十行読めば判る。こりゃアカンばかりである。

ちなみに現在判っているだけで日本中に三百もの文学賞がある。判っていないのを入れると千位あるという説もある。


2010年7月26日月曜日

人間市場 鱧市


「鱧(ハモ)」 ウナギ目・ハモ科に分類される魚の一種。

沿岸部に生息する大型用食魚である。
全長1メートル、最大で2.2メートルに達する大物もあるという。鱧という魚はよく噛み付く事から「食(は)む」が変化したらしい。一見ウナギの親方の様で蛇の様でもある。

鱧は京都の夏料理の代表である。
鱧の湯引き、鱧鍋、鱧の照焼き、鱧の茶碗蒸し、鱧のお吸い物、鱧入りおこわご飯と鱧づくしを年に一・二回食べる。
鱧もそうだが虎魚、メゴチ、真ゴチ、海豚、鮟鱇等見た目は悪い魚ほど味は繊細にして奥深くギラギラ脂ぎっていない。

達観というか自省しているのである。
自分達は見たところ酷い面構えです。しかし決して悪物ではありません、一度食してみてくださいきっとその味にご満足いただけると思います。

私なども見た目は与太者そのものいい歳をしてジーパンにアロハシャツなどを着てヒンシュクを買っている。私にとって黒いスーツにアロハは制服と同じである。
「人間見た目が全て」というような本がベストセラーとなったが本当にそうだろうか。


ある友人が凄い美人と結婚した。
誰もが認めるその美しい女性は不感症であった。
新婚旅行で初めての夜、旅館でいよいよとなった。友人は胸をときめかせた。お見合い結婚であった。その時一生懸命頑張る友人を見るでもなく壁に掛かった絵は誰それの絵とか掛け軸の文字についてブツブツ講釈を言い続ける。友人はすっかりシラケてしまい以来不信に陥ってしまったらしい。その後どうなったかは想像にお任せする。

ある時こんな事が話題となった。
何故外人の連れている女性に美人はいないのか、どちらかというと鱧とか虎魚とか真ゴチとか平目系が多い。そうだよな、まず美男美女は見たことないよなと全員言った。
一度日本人女性と結婚した外人に聞いてみようという事になった。

で、ある夫婦とランチ、ワインを飲みながら一気に本音に迫った。何でやねん、何でだったの、どうしてと聞いた。と外人さんは長い間愛し合うにはSEXの相性が一番大切だんねん、上と下は違いますねん。

上とは顔及び見た目の事、上がナンボ良くても電気消せば見えやせんやんけ、大切なんは下や、ここや(下は性格を含む、こことはハートでんねん)ココがスカスカパカパカではいけませんねん、絶対長く続きまへんのや。
日本人の人、外見を重んじるけどわてら外人は中身が大切でんねん。
スカパーとは絶対ウエディングせんのや、と明快に応えてくれました。骨董の世界で名器いうやろ、アレと同じや、名器でんねん私の嫁ハンはと言いました。

変な関西弁であったが説得力十分であった。
その名器の女性というか嫁ハンは薄っぺらい平目顔であったが黙々とパエリアを食べていた。


成田離婚というのがあるが、あれは新婚旅行でどっちかに問題があったか、両方に問題があったかである。童貞と処女等が結婚しようとしていたら是非反対して下さい。何事も試運転が大切です。リコールされますから。


 





ちなみに神田明神下に左々舎という鱧料理の上手い所があります。
友人の食通加藤雄一氏の一押しのいい店です。

2010年7月23日金曜日

人間市場 パソコン中毒市


記録によれば坂本龍馬は二十八歳で土佐を脱藩して三十三歳で暗殺されるまでの五年間でなんと地球一周分、41,000㎞を歩いたとある。

見たいと思った処には直ぐに行き、会いたい人がいれば直ぐに会いに行く、学びたいものがあれば直ぐに行って学んだ。一瞬たりとも静止していなかった。正に実学の徒であった。

この頃はどうであろう、一日中パソコンと睨めっこし、インターネットで2ちゃんねるやアングラ情報を漁り、異常な映像を追いかける自分自体が変わっていっている事に気付かない、人相風体まで変わってしまう。
異常が気配となって体からにじみ出てしまう。

万巻の書を読んでもそれはただ知識を頭に入れただけでかえって体の動きを悪くする(頭でっかちという)。評論にたけても実学を踏んでないので何の役にも立たない。

頭で学んだ者と体で学んだ者、足で学んだ者との違いである。
頭で学んだ者は実戦になるとたった一個の石ころが当たっただけで逃げてしまう。
鼻血の一滴も出れば気を失う。気宇壮大なホラがつけない。大構想力が出ない。
知識の固まりである事が大いに邪魔となる。
知識があるが故に応用力、臨機応変、豹変が出来ない。学識が結果を決めてしまうからだ。

この手の評論人は自らを反省する事は決してなく、言い訳が支配する。
何故なら自分は正しい知識を持っているからと思いこんでいるからだ。机上の理論ほど始末の悪いものはない。気が付けば評論人の側から人が離れて行く、一人又一人と。

世に偏屈で部屋に閉じこもり自説を曲げず生きている評論人は多い。空気も読めず、場面も読めず、実学が見えない。不行動人間が多い。

この頃高学歴で破廉恥な犯罪を犯す者が多いがその人間達は皆パソコンインターネットマニアである。実生活で人間にモテないからパソコン上で女性やロリータやホモ達と情報で交わるのである。つくづくパソコンは恐いと思う。異常になっている自分に気付いた時は手遅れである。(秋葉原事件)

パソコン中毒はアルコール中毒、シャブ中毒と同じ病気である。
知らなくてもいい事を知りたがり情報を追いまくり、グーグル等で追跡に成功すると大いに達成感を感じ悦に入る。自分だけが知っているという快感だ。

昔はこういう人間を変態と云った。
今や世の中変態だらけだ、話している最中、食事中、一杯飲んでいる時も、電車の中、旅の最中も片時もアイフォンとかアイパッドを離さない。携帯も勿論離さない。
ネット情報の奴隷になってしまっているのだ。何とかならないのだろうかと思うが文明が滅びるまで進化していくのだろう。使わないアンタの方が余程異常だと言われてしまうが。パソコン中毒者は皆帝国興信所の社員みたいになり探偵と化して人のプライバシーを探り出す。

「誰も守ってくれない」という映画は異常ネット情報社会、パソコン中毒者から身を守れない恐さを描いていた。

実学をしていない人間には体温のぬくもりがない、愛情がないのである。
気が付くと家族から冷たい人、無関心の人、自分本位の人と言われる。重大事が起きた時何故だと聞くと、だってパソコンばかりいじっていたじゃないと言われ呆然とする。

パソコンと離れ外に出よ、歩け歩けだ。
画面で見ないで実物を見ろ、画面で見た風景の中に身を置いて見よと言いたい。

坂本龍馬はわずか五年間でこの国の歴史を変える力となった、パソコンも携帯がなくても。確かにパソコンは今や必要な社会であるのと思うのだが。

但し中毒者になってはいけない。いつかきっと身を滅ぼす事になる。
知らなくていいものは知らなくていいのだ。変態になってはいけない。
鏡に自分を映して見ると人相が変わっている、そう思ったらしばしパソコン探偵団を止める事だ。

その内にパソコン中毒専門病院が出来るかもしれない。
いや、きっと出来ると思う。悲しく切ない病だ。

2010年7月22日木曜日

人間市場 重病市

一度ある事は二度ある。二度ある事は何度もある。
三つ子の魂百まで、生まれついての性分は直る事はない。盗み、万引き、嘘つき、酒好き、女好きは先ず直らない。安全地帯という歩く危険地帯の様な男、玉置浩二をテレビで見ているとつくづく可哀相な重病人だと思う。


私は何かを書いたり考えたり企てたりする時は一日中テレビを付けっ放しにしている。
見るというより聞いている。この頃中・高年の鬱でなく「躁」病が多くなっているという。

五十歳位でハイな状態になってしまう。誇大妄想になったりする。とんでもない投資をしたり、バカ高い買い物をしたり、信じられない行動を起こす。

私は五十歳を過ぎて六度結婚と離婚を繰り返した人を知っている。
とにかく好みの女性を見たら必ずアプローチをするのだ。相手は若い女性だったり、未亡人だったり、離婚をした女性だったり、自分より随分と年上だったり様々である。傷つき弱った女性を見ると無性に優しくしてあげたくなるらしい。
で、一緒になると幸福そうな顔になる、そうなるともう嫌になってしまうのだ。

不幸でないと幸福じゃないというややこしい人なのだ。
他にも五十歳を過ぎて躁状態になり性悪女につぎ込んで家庭崩壊とか、フィリピンの孤島にいる人もいる。奥さんは茫然自失である、信じられない、考えられないを連発する。信じる者は救われるなんて協会に通い始めたと聞く。

歩くモーテルといわれた男がいた。見た目は菅原洋一であり体は麻原彰晃の様である。
この男が実にモテルから歩くモーテル、優しい声で相手に忍び寄る。
アマゾンの蛇の様に静かにそっと。すこぶる声がいい、声優であり性優でもある。一度病気で入院した、見舞いに行くと一人の素敵な女性が付きっきり(奥さんも時々来る)その他にも次々と女性が見舞いに来る。女優、タレント、ヘアメーク、バーのママ。スタイリスト、役者の卵など多種多彩である。実にモテルのである。

様々な才能を持っている男であるが、様々な薬を持っている。自分で病気だから、だって女性に声を掛けてあげないって失礼だからと言う。薬の副作用なのか体がどんどん膨らんできている。朝・昼・晩違う女性と交わる事が可能な才能と体力があるのだ。

大きな体に大きな花束を持ち、50ccのバイクで池袋に向かう。何処へ行くのと聞くと池袋に馴染みのソープランドの女性がいて、今日はその子の誕生日だから御祝いにと応えた。へぇーと感心したものだ。

女性は嫌だ嫌いだと思ってもとにかくマメマメしい男に結局弱いと言った。逆に別れる時はマメマメしさを通り越してトコトンしつこくするのだと言う。もういい加減にしてよ、会社に電話なんてして来ないでよ、嫌!もう別れてと言わせる為に、相手から別れてと言わせれば一切お金がかかんないからねとも言った。

今度女性との「お金のかからない別れ方」っていう本出さない?絶対売れますよと言った。

君は犯罪者だよと言ったら、何で?だって男と女はそんなもんですよと言った。
いつかブスッと刺されるぞと言ったら、大丈夫絶対そんなヘマはしませんから。

今六十歳、やはり素敵な二十代の女性と私の会社近所の長寿庵で名代鴨せいろをすすっていたと聞いた。カサノバの様な男である。

そう言えば私の先輩が怪我をして入院していると聞いた。何でも銀座のママの部屋にいたらモンモンを入れた恐いダンナが予定を変更して帰って来たらしい。自慢のアルマーニのスーツを手に部屋伝いに逃げて飛び降りて骨を折ったらしい。

命懸けなのである。この人は酒は一滴も飲まないが銀座の上玉を漁っている。
ただ当分は足腰もアソコも立たない。ザマーミロなのである。



2010年7月21日水曜日

人間市場 一人二役市


私が通勤する駅は東海道線辻堂駅である。

快速は止まらないのでその時は茅ヶ崎駅である。
辻堂駅は海側の南口、山側の北口、西口がある。

南口、駅を降りて左右に小さな商店街があるだけだ、店は極めて少ない。
前に海方向を見て右側の商店街に花屋さん、お客さんが入っているのを見た事がない洋品店、何故か恐いおじさん店主が店の前に立っている。

おじさんが立っていると余計お客さんが入って来ないよと一度言ったらぶ然とした。
その隣に小さな本屋さんと文房具屋さん、その隣にカウンター10人掛け位のお寿司屋さんと二列対面型カウンターだけのやはり10人掛けのラーメン屋さんがある。
このお寿司屋さんとラーメン屋さんは実は兄弟でやっている。
隣同士が裏で行き来出来るのだ。


ある日はお寿司屋さんがラーメン屋店主に、又ある日はラーメン店主がお寿司を握っている。又ある日は一人で両方をやる。
昼はラーメンを作っている人が夜は板前になる。
丁度歌舞伎の早変わりの様に黒いはっぴを着たり脱いだり、白い料理人服に着たり脱いだり変化する。
おやじ赤身と白身と光りものとオーダーに応えながら隣に行きおじさんラーメンとタンメンとサンマーメンなんてオーダーに応える
極めてテキパキと行ったり来たりする。タンメンが旨いので二・三度行った。

お寿司屋の方はある日入ってマグロの赤身を頼んだら鮭のルイベの様な冷凍状態みたいになって出て来た。
何だこれ、まだ解凍出来てないじゃないか、まるでルイベだと怒ったらそんじゃ金はいらないと怒って喧嘩になった。大人気ないので帰ってその日以来行ってない。

ある日ラーメン店に入るとその板前がタンメンを作っていたので知ったのだ。
体がでっかく怒りっぽい。寿司よりタンメンの方が旨いじゃないかと言うと眉間にシワを寄せてブツブツ言ってた。
でも何だか一日中に一人二役出来るなんて楽しそうだなと思った。
一度洋品店のオヤジさんと隣同士になった。なんで店の小さな入り口の前に恐い顔をして立ってんのと聞くと、判んねえ、初めの内はレジの処に座っていたのだがあんまり客が入って来ないのでこれでも店の前に出て愛想笑いでもすれば一人位お客さんが来るんじゃないかと思って気が付くと外に立っていたんだよ。

隣の寿司屋は北口にある和田葬儀社と親戚らしいんだ。
だからお通夜の時の寿司も一手に引き受けているからいつだって繁盛だ。最近は老人がどんどん亡くなるからね。
そして更に老人社会だから。最も最近は予算がどんどん削られているらしい。

それじゃお通夜の席にラーメンとかタンメンなんて時代になるかもねと言うと、まさかそんなと言った。夏物のスリッパ売ってると聞くと有りますよと言った。
その後、店に入って夏物のスリッパを五足買った。店内は暗く、ジジ・ババが着る独特の洋品ばっかりであった。

一人二役といえば、男と女を愛せるバイセクシャルの男がいる。
結婚して二人の娘さんがいる。歳は五十二歳、どこにでもいる平凡な男だが十代の頃から非凡な才能を発揮して来た、仕事でも変な世界でも。
今はある会社の社長(男)が愛人であり、他にも二、三人付き合っている男がいる。又、人妻と未亡人と若い娘とも遊んでいるという。

よく体が持つねと聞いたら全然持ちません、薬頼りですよと言った。
バイアグラかなんかと聞くと、まあそんなもんですが、まあいいじゃないですか病気ですからと悲しい顔になった。


その「男・女」が先日死んだ。HIVであった。別にお焼香に行くほどの関係ではないのでお通夜にも行かなかった。最も今頃の流行の直葬であり家族だけの秘かな通夜、告別式であったという。お寿司もラーメンもタンメンも無用であった。
その土地では名のあるサーファーであった。


2010年7月20日火曜日

人間市場 天才三人市

人を現す言葉に次の様なのがある。
井戸を見つけた人、井戸を掘った人、井戸の水を飲む人。
又、籠に乗る人、作る人、そのまた草履を作る人とか。

先日演出家にして小説家のつかこうへいさんが亡くなった。
在日韓国人であるが故の苦労もその血に対する熱い想いもあったのであろう。その名前は「いつかこうへい」にとの願いから付けたという。人を見つけ育てる天才であった。

広末涼子、風間杜夫、筧利夫、黒木メイサ、平田満、阿部寛たちを始め、沢山の才能がつかこうへいと出会い大きく育っていった。


恐ろしい人であった。
一度仕事を頼みに行った時、とてもこの人には頼めないと想った。
煙草をバカバカ吸いながらバカバカ怒鳴りまくる、コテンパンに言う、しかし稽古が終わった後の優しい事この上ない。熱情と同士愛、劇団員は同胞なのだろう。
一緒に戦う戦友でもあるのだ。天才としか言えない。

恐しい演出家に蜷川幸雄さんがいる。この人は今いる役者に全く新しい生命を与える。
自らも映画俳優であったが俺は役者としては大根さと言った。もの凄い読書家であり、勉強家であり続けている。灰皿をブン投げる事で有名であった。

確かにその稽古は猛烈であった。
私が仕事を頼む為にそっと見に行った時、平幹二郎と栗原小巻で「マクベス」をやっていた。

ある日東急文化村の一階コーヒーショップで打合せをした時、今日はさ、岡本健一の奴電線で縛ってめちゃくちゃ痛めたの、あいつ今日で痛め始めて十日目だけど凄い良くなって来たんだ。いい感じになって来たと嬉しそうな顔をしていた。

何かイタズラおじさんが宝物を見つけた様であった。
今度は唐沢寿明で「シェークスピア」をやる。徹底的にやるからお楽しみにと言ってお帰りになった。天才としか言い様がない。仕事は快く引き受けてくれました。
当時私の中学の先輩が東急文化村の社長田中珍彦大プロデューサーであったからだろう。勿論同席してくれた。

日本の伝統歌舞伎に斬新な解釈を加え中村勘三郎と古田新太や笹野高史、又、市川橋之助などに大胆不敵な様式の中で「コクーン歌舞伎」という新しいジャンルを生んだ演出家が串田和美さんだ。私は大ファンであり、殆ど観に行く。

一度どうしても会いたくて知人の衆議院議員の秘書の方にセッティングをお願いした。串田和美さんと成蹊大学で一緒だと聞いたからだ。超一流の人間に会うと例え一瞬でも強烈な電磁波を受けオーラが私の体の中に侵入してくるからだ。場所は吉祥寺の日本料理屋さん。事前に調べておいた。和食ランチであった。


憧れの串田和美さんはフツーの自転車に乗って現れた。とても気さくな人で緊張していた私はいっぺんに心が解放された。この人があの「コクーン歌舞伎」の人かと逆に気さくさの中に凄味を感じた。自身も役者として出演する。
童顔の天才はさりげなく途方もない夢をさらっと語っていた。

一人の天才は人を見つけ育てる、一人の天才は才能をぶっ壊し新しい才能に育てる、一人の天才は伝統とかルールを全く新しい価値にし、役者の中にあるもうひとりの役者を引っ張り出して育てる。形は違うが三人共劇という戦場で共に戦う役者さんや照明や美術、音声、大道具、小道具、衣裳さん達を戦友として命の様に大切にする。そのために怒りまくる。怒りの後に結果という美味しい果実をみんなで食べる事が出来るからだ。


この頃の社会は人の恩や、人に世話になった事や、人の苦労をトンビが油揚げを取る様にしてしまう者が多い。失敗は人のせい、成功は自分の物という救いがたき者共だ。
今、自分があるのは誰のお陰か、私は日々お世話になった方々やご迷惑をかけた方々の事を考える。歳を取ったせいだろうか。

一人でも多くの才能を発掘し、若者を育てたいものだ。そのためには怒り続けないといけない。三人の天才に学んだもの、それは完璧を求めて自分に怒れ怒れだ。

2010年7月16日金曜日

人間市場 朝ダチ市


外国人は日本に来て必ず驚く事がある。
日本の飛行機は何で正確に離発着するのか、何で電車は正確に行ったり来たりするのか、何でバスは正確に、何でなんで日本人はそんなにイライラ、せかせか、一分一秒を争うのかと。

「ゆうパック」が一日二日遅配になるともう大騒ぎだ。
中高年のイラチ(関西でいうせっかち)が、もしもしいつになったら着くんだ、えー、ハッキリしろなんて電話をかけまくる。玄関に行っては戻り、行っては戻り窓を開けてはイライラする。そして又、もしもしどうなんてんだ、今日着くって言ったじゃねえか、オイどうなってんだよーなんて終いには涙声になってしまったりする。

今こういう待てない症候群の中・高年が増加しているという。
待てない時の心理は余裕がなく、切迫感にせき立てられている。余裕の価値が判らない拙速感や喪失感、抑圧感を知らずに感じやすい環境下にいる。将来への不安、お母ちゃんの恐い顔、子供達のしらけた視線、薄くなった髪の毛と財布。好きな事も出来ない、何もかも思い通りに行かない、イライラする怒りのやり場は宅配便へと向かう。

昔ならおそば屋さんやラーメン屋さんの出前だ、出た出たって言うけど来ないじゃないか、えっ、どうしたんだラーメンとギョーザと半チャーハンは、俺は腹減ってんだよ、なんて水をガブ飲みしながら部屋の中をウロウロしている。チクショウ二度とあの店に頼まねえぞなんて柱に頭を打ち付けたりして余計腹を減らす。

中・高年のイラチには更年期障害の可能性があるという記事を読んだ。
40代後半位から男性ホルモンが下降し、それにより性機能や体力の低下が始まり、ストレスによって抵抗力も落ちてくる。仕事や日常生活で待ったが出来なくなる。50代となると様々な体調不全が現れる、特に性欲の衰えは重大だ。で「朝ダチの有無」が問われる。

ペニスの血管は12ミリと体内の中で最も細く詰まるリスクが高い。ペニスの朝ダチが無くなってくると心臓や脳の血管障害へと進む可能性がある。朝ダチは健康全般のバロメーターにもなるのです。人を車に例えると、性ホルモンはエンジンオイルに相当するという。
朝ダチがなくなりイライラが激しくなったらかなり要注意です。
赤信号を待ちながら足踏みをする、エレベーターのボタンをガチャガチャ押す、電車の遅延があると直ぐ駅員を怒る、動く歩道の上でも歩いてしまう、居酒屋の呼び出しボタンを何度も押すなど、等々。

思い当たる事はありませんか、私は全部有りですね。だがしかし人に言わせると年々穏やかに、優しくなりましたねと言われている。昔の様にイライラしなくなった、待つ事が嫌でなくなった、そうか朝ダチが少なくなったせいかもしれない。最もこの歳で朝ダチしていたら恥ずかしい事か、ならば昼ダチ、夕立ちはどうであろうか。やっぱりイケナイ事かもしれない。 

あちらを立てればこちらが立たずとかく中高年は行きにくい。
年金を貰う歳になって立ちっぱなしなんて言ったら年金を取り消されるかもしれない。
そっと静かにさせねばならない。それにはすこぶる美人とか色香はんなりのいい女しかいない。
勿論熟女もいいかもしれない。

2010年7月15日木曜日

人間市場 雨市

世界中の至る所が亜熱帯になってしまった。日本も集中的にスコールの様な豪雨が降っている。かつては五月雨を集めて早し最上川なんて芭蕉さんが一句詠んでいた様に雨は風情であり、天からの恵みであった。 


雨はブルースであり、演歌であり、小説的であり、映画的であり、俳句的であり、ロマンチックな世界であった。恋人同士の相合い傘、春雨じゃ濡れて行こうの粋、路地の片隅で店が看板になった女を迎えに傘を持って立つヒモ、その姿に哀切があった。 


軒先に逃げ込み濡れた長い髪をハンカチーフで拭く美しい女性に日本画を見る様でもあった。銀座の柳をしめらす雨、バラの花を売る傘さす老女に人生の縮図を見たりした。


みなさんどれくらい雨を知っていますか?調べてみると私自身数える程しか知りませんでした。

霧雨 - 霧のように細かい雨。雨粒の大きさが0.5mm未満の雨(気象庁の定義)。

小糠雨(糠雨) - 糠のように非常に細かい雨粒が、音を立てずに静かに降るさま。

細雨 - あまり強くない雨がしとしとと降り続くさま。

小雨 - 弱い雨。あまり粒の大きくない雨が、それほど長くない時間降って止む雨。

微雨 - 急に降り出すが、あまり強くなくすぐに止み、濡れてもすぐ乾く程度の雨。

時雨 - (しぐれ)あまり強くないが降ったり止んだりする雨。

俄雨 - (にわかあめ)降りだしてすぐに止む雨。降ったり止んだり、強さの変化が激しい雨。夏に降る俄雨は夕立、狐の嫁入り、天照雨などと呼ばれる。肘かさ雨、驟雨(しゅうう)と同義。

地雨 - あまり強くない雨が広範囲に一様に降るさま。

村雨 - 降りだしてすぐに止む雨。群雨、業雨などとも書く。

村時雨 - (むらしぐれ)ひとしきり強く降っては通り過ぎて行く雨。

片時雨 - ひとところに降る村時雨。地雨性の村時雨。

横時雨 - 横殴りに降る村時雨。

涙雨 - 涙のようにほんの少しだけ降る雨。

通り雨 - 雨雲がすぐ通り過ぎてしまい、降りだしてすぐに止む雨。

風雨 - 風を伴った雨。

春雨 - (はるさめ)春に降る、あまり強くなくしとしとと降る雨。「花散らしの雨」とも呼ばれる。

菜種梅雨 - 3月から4月ごろにみられる、しとしとと降り続く雨。菜の花が咲くころの雨。

五月雨 - (さみだれ)かつては梅雨の事を指した。現在は5月に降るまとまった雨を指すこともある

走り梅雨 - 梅雨入り前の、雨続きの天候。

梅雨 - (ばいう、つゆ)5月~7月にかけて、しとしとと長く降り続く雨。

暴れ梅雨 - 梅雨の終盤に降る、まとまった激しい雨。「荒梅雨」とも言う。

送り梅雨 - 梅雨の終わりに降る、雷を伴うような雨。

帰り梅雨 - 梅雨明けと思っていたところに再びやってくる長雨

緑雨 - 新緑のころに降る雨。翠雨の一種。

麦雨 - 麦の熟する頃に降る雨。翠雨の一種。

夕立 - 夏によく見られる突然の雷雨。午後、特に夕方前後に降ることが多い。白雨(はくう)ともいう。

狐の嫁入り - 夕立の、特に日が照っているのに降る雨をさす。天照雨(さばえ)などともいう。

秋雨 - (あきさめ)秋に降る、しとしとと降る雨。

秋時雨 - 秋の終わりに降る時雨。

秋入梅 - 秋雨。秋雨の入り。

液雨 - 冬の初めの時雨。立冬から小雪のころの時雨。

寒九の雨 - 寒に入って(小寒を寒の入りという)9日目の雨。豊年の兆しとされる。

寒の雨 - (かんのあめ)寒の内(大寒から節分まで)に降る雨。

山茶花梅雨 - 11月から12月ごろにみられる、しとしとと降り続く雨。山茶花が咲くころの雨。

氷雨 - 冬に降る冷たい雨。雹や霰のことを指すこともある。

淫雨 - 梅雨のようにしとしとと長く降り続き、なかなか止まない雨。

私雨 - (わたくしあめ)限られた、ある土地だけに降る雨。転じて個人の利得の意もある。

外待雨 - (ほまちあめ)局地的な、限られた人だけを潤す雨。

翠雨 - (すいう)青葉に降りかかる雨。

甘雨 - (かんう)草木を潤す雨。翠雨の一種。

瑞雨 - (ずいう)穀物の成長を助ける雨。翠雨の一種。

慈雨 - 恵みの雨。少雨や干ばつのときに大地を潤す待望の雨。



一つ一つ実に奥深い意味があるんですね。
昨今降る雨は狂雨、殺雨、怒雨です。天が地球に対し、いい加減にしろ、しまいには殺すぞどこまで環境破壊をするんだと殺気を持ってドバーと降りまくるのです。
アチコチで観測史上初を記録しているのです。つまりは天罰です。

私が生まれた岡山ではこんな状態を「ぼっこうきょうてい」もの凄く恐いと言います。政局だ、政変だ、指立てて一番だ、アジェンダだなんて呑気に言っている場合じゃない。国会議員全員土嚢作りを手伝え、人柱になれ、民力結集の手本を示せと言いたい。破防治水、安心安全は政治の基本。毎年同じ事を繰り返している。

愉快人という始末が悪い人種がいる。天地異変や災害風景大好きという人種だ。世の中が騒ぐと愉快で愉快でたまらない。どしゃぶりの雨の中をわざわざ歩き走り、びしょ濡れになり興奮する。実は多いんです、こういう人。放火犯も同じ人種です。こういう人がいたらいっそ濁流の中に飛び込ませてください。

愚妻が乾パンとか缶詰とかローソク、電池とロープを買ってきたりしています。
何を考えているのか判らないでもないが時々ゴソゴソ不可解な行動をする。ロープはローソクはもしかしてなんてSM的発想をしてしまう。誠にもって不謹慎な人間です。どしゃ降りの雨にめちゃくちゃやられて頭に来たのかもしれません。地球に優しくなりましょう。

2010年7月14日水曜日

人間市場 那須高原市


過日、栃木県那須に遠足に行った。久々の那須である。
昨年制作した短編映画「スパゲッティナポリタン」が那須国際短編映画祭のファイナリストに選ばれ、授賞式がある為みんなで行く事にした。

東京駅から新幹線で一時間二十分位で着く。十一時から十二時までが授賞式であるため東京駅に朝八時十五分集合、八時三十六分に出発、赤坂のママさん、元ママさんと私とデスクの上原女史で行った。

映画の内容が青森弁と南部弁のやりとりでオカマとニューハーフ、青森出身の宮本大誠さんと南部出身の吹越満さんの絶妙なやりとりだ。
私たちには何を喋っているか判らない。赤坂のママさんは岩手県二戸出身で言葉が判る。この映画が大好きで恵比寿の東京都写真美術館ホールで一ヶ月上映した時八回も観に来た。故里に帰った気がする、故里で起きたいろんな嫌な出来事が忘れられると言う。

那須へ行くかと聞いたら前の日の夜中までお客さんを相手にして疲れているのに絶対行くと言って付いて来た。元ママは朝まで店をやっていた頃、店を閉店した後元ママの店にみんなで集結して夜明けまで飲み明かした。ママ達のママであった。
当然二人共着物がとても似合う赤坂でも一、二を争う美人ママであった。あの頃から二十四年、お互いに歳を取ったもんだ。見る影は少ししかないがそれなりだ。
列車の中で二人は女子学生の様にキャッキャッと大喜びであった。缶ビールをグイグイ飲んでいた。

那須塩原に着いてそこからタクシーで約三十分、御用邸があるだけあって駅からの道路が整備されている。生憎の小雨模様、左右前後緑また緑の世界。大、中、小の別荘がある。それでもこの不況のせいで随分別荘が売りに出されたり無人になったという。

目的地、南ヶ丘牧場に着く、お洒落なヒュッテ風の処が会場だ。



始まるまでオープン喫茶に私の処の社長鈴木智暢君と監督の兼重淳さんが来ていた。
若い映画人達がいっぱい来ている、町長さんも来ている、主催のスタッフ達がキビキビと動いている。ママさんたち牛乳うまーいと子供の様、水が冷たく旨い、それ故珈琲も紅茶も旨い!水は全ての基本だ。
いい土、いい水、いい牧草が有名な那須和牛を生む事が出来る。いい牛から美味しいハム、ソーセージ、チーズ、ジャム、アイスクリームが生まれる。昼はジンギスカンで決定した。



受賞式では残念ながらグランプリは貰えなかった。若い監督の作品が受賞した。オオーという声が発表とともに上がった。嬉しそうに受賞のスピーチをした若い才能が自信をつけ更にいい作品を作ってくれたら何よりである。
賞金三十万円をはにかみながら受け取っていた。一週間近い会期、アチコチの会場で出品作が上映され盛況であったらしい。

「那須七湯」のポスターが貼ってあった。那須温泉、鹿の湯、大丸温泉、北温泉、弁天温泉、高雄温泉、八幡温泉、三斗温泉、それと那須五峰のポスターも。
朝日岳、茶臼岳、鬼面山、南日山、黒尾谷岳、東京からわずか一時間二十分で素晴らしい大自然に会える、美味しい水が飲める、都会ですっかり汚れちまった心と体を今度ゆっくり洗いに来ようと思った。


毎日仕事ばかりしている人々よ、たまには自分を癒してあげようではないか。
時間は工夫すれば必ずできるものだ。お金は少しずつ貯めれば小さな旅くらいは出来る筈だ。今度とかいつかとか先送りが一番いけない。行動することだ。忙しいからは一番いけない理由だ。超一流でもの凄い忙しい人ほどしっかり旅人になっている。どこでもいい、半日でも一日でも一歩外に出ることだと思う。


外でのバイキングは大盛り上がり、牛肉と羊肉、新鮮野菜山盛りてんこ盛りであった。そろそろ岩手さ帰るべかなんて訛っていた。底抜けに楽しそうであった。
夜の赤坂では絶対に見せない顔だ。遠足はいい歳になってもいいもんだ。
お前そろそろ堅気になれって言ったらうっすら涙を流した。

2010年7月13日火曜日

人間市場 セックスレス市

世界中でいま赤ちゃんをつくる事を防止するゴム製品が売れ続けているという。
サッカーのW杯のせいらしい。興奮が新たな興奮を呼び起こすからだ。オリンピックの時等も同じ現象が起きるらしい。

特にW杯はオリンピックと違い後進国や貧しい国が参加し主役となれる、それ故W杯ベビーが爆発的に出来る。先進国はそれを防止する製品でベビー誕生を防ぐ。そこでゴム製品が売れに売れるらしい。

NHKの朝イチという番組で有働由美子がいきなり四十代のセックスレスが今深刻ですなんてやったもんだからもう朝からてんやわんやとなったらしい。こんな蒸し暑い中、そんな事してられっかなんて四十代の男・女、いやそんな中でもやっぱり愛は大切よなんて言う男・女。

とある家庭の朝、出社前といっても奥さんだけご主人は失業中、納豆なんか掻き混ぜながら、薄くなった毛髪、温水洋一の様になった頭で久々にこれからやっかなんて言う。出船入船朝の一発っていうぜ。

ゲッ冗談じゃないわ気持ち悪い、何よその納豆混ぜてる手付き、手にネバネバ付いているわよ。やめて見ないで今日は忙しいんだから。
結婚前はこんな酷い姿になるなんて夢にも思わなかったわ。今日はハローワークに行く日でしょ、いつまでも大きな会社に居たんだなんて気持ちを捨てて何処でもいいからお願いしますって言ってよ。

ヤメテヤメテ何近づいて来てんのよ。朝イチからNHKは何考えてんのかしら。マズイ、もう出掛けなくちゃ。今日は遅くなるから起きてないでよ、第3のビール飲み過ぎじゃないの下っ腹が出て、本当のビールは私が飲むから絶対飲まないでよ。
それから洗濯物干しておいてよ下着は自分で洗って自分で乾かすからいいの、余計な心配しないで。絶対触れないでよ。

エッ僕達ずーっとセックスレス。
コレでも夫婦かだって、全然夫婦じゃないわよ部屋代が勿体ないから渋々一緒に住んでいるだけ。早期退職金未だ残ってるし。一流の大学出たって二社もリストラされるなんてあなたはプライドが有り過ぎて自分の本当の所が全然見えてないのよ。

私たち失敗失敗大失敗よ。この間高校の同級生と街でバッタリ会ったけどまるで変わっていたわ。ジーンズに白い麻のシャツ、陽灼けた肌、黒のジャケット、携帯教えてと言うから教えたわよ、チョットチョット、ゴハンがボロボロ落ちてるわよ。だらしないんだから、ほらテレビでも言ってるじゃない、抱かれたくなる男が少なくなった、セックスなんて面倒臭いだけだって。あら、あなた泣いてんの?納豆食べながら四十男がゴハンボロボロ涙ポロポロなんてもうお終いにしましょ。なんて光景が想像される今日この頃です。

四十男にとって生きにくい世の中になっているのです。リストラに怯え上司の誘いを断れず、酒の席では若い社員の前でコケにされ、酒のつま味にされる。
給料は上がらず出世はままならず、頭の毛が日毎薄くなり朝が恐い、エスカレーターの下りが恐い、電車の中座っているのが恐い、女性に頭の薄さを見下ろされている気がする。
チキショーなけなしの金で買った育毛剤なんて全然効かない。個人差有りなんて米粒みたいに書いて詐欺だよ全く。

女房の奴はどんどんスーパーブランド化して行く、何が自分で働いたお金は自分のお金よだ。あなたの子供なんて絶対作りたくない、それにはセックスを絶対しないなんて言いやがる。よし今日はパチスロで絶対勝って風俗行って遊んでやる。若くていい娘を指名して発散だ!

酒の席で朝イチの特集の話が出たので即興で作ったでたらめなドラマです。
こんな夫婦がない事を心より祈っています。四十代は男盛り、女盛り、肉弾相撃ち合ってガンガン行って下さい。やればやる程男も女も磨きが掛かって魅力的になるんです。

疲れているからなんて言っていては駄目でござんすよ。やるだけやったら肩たたき合い、ハイお疲れさん明日又ね、創意工夫、良いアイデア、お互いに考えておこうね、となって下さい。四十代私にとっては遠い昔の話です。

コラッごはんがボロボロ落ちている、新聞読みながら食べない事。
朝イチはまず熱いシャワーを浴びていい香りのオーデコロンでもそっとつける事、耳の裏、首筋、脇の下。ここが一番大切ですよ。
アラッ今朝は何だかあなたいい香りなんて言ってもらえるかも。