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2011年5月23日月曜日

湘南から喜怒哀楽 「仙台の少年と少女」



5月8日、曇り時々霧雨。午後四時から八時まで。



所は日比谷野外音楽堂だ。「南こうせつ」のコンサートにゲストとして宮城県仙台市立八軒中学校の50人近い少年・少女合唱隊が来て歌うので観て欲しいと代理店の社長の友人から言われた。とにかく凄くいいからと、監督の中野裕之さんと待ち合わせをしてSTAFFのシールをもらい中に入った。(中野さんはガイガーカウンターを持っていた)




座席7000円、立ち見で5000円であった。



超満員、すでにギッシリであった。こうせつの「神田川」、ゲストのイルカの「なごり雪」、杉田二郎や伊勢正三などが次々と若かりし頃全共闘世代のフォークを歌う。観客のほぼ8割は団塊の世代、手にキリンビール、氷結、なかにはマッコリ缶などを飲んでどんどん出来上がって行く。6時に帝国ホテルのロビーで打合せがあるのでSTAFFの人に仙台の少年少女達はいつ頃出るのと聞くと5時から6時の間くらいですと言われた。薄皮のスリッポンを履いて来たので雨で足が濡れてきた。会場は手拍子の連続だ。自粛ムードがもう嫌になったのだろう。




そして5時42分壇上に50人位の少年少女、この合唱団は全国コンクールで何回か入賞しているという。「あすという日」という歌をNHKで歌っているのを見た友人が直ぐにコンタクトを取り南こうせつさんの事務所と話をして仙台から呼んだという。いつもながら素早い動きだ。




あの被災地の瓦礫の中で海に向かい、山に向かい、天に向かい、大地に向かって歌っている姿を目に浮かばせた。どんよりした雲が割れんばかりのスタンディングオベーション、涙、涙、喚声、ビールと氷結のぐいぐい飲み。汚れなき透明な声、欲なき歌声、明日へ届けと願う声、それはこんな詞であった。



そして次に圧巻がもう一曲待っていた。



亡き阿久悠がまるで今日を見越して書いた詞の様な「愛よ急げ」。南こうせつさんに渡してあったらしい。直ぐに作曲しこの日少年少女合唱団とコラボレーションしたのだ。




《はるか彼方(かなた) 地平の果てに 愛に目覚めた人がいて かたちある愛 かたちない愛 ともに誰かに運びたくて》
《丸い地球を 丸く走って 丸い心が いま届けられる》※歌詞の一部のみ




歌い終わるともう全ての人の思いが大歓声となり一直線に被災地に向かう。



私は「がんばれ」という言葉が嫌いである。死にそうな人達に、死にたい位辛い人達にがんばろうは傷つけるだけだ。まして「がんばれニッポン」なんてW杯じゃないんだし、誰か物書きたちにで「がんばれ」に変わる言葉は書けないのかと思っていたら、さすが阿久悠だ。「愛よ急げ」と書いた。






「がんばれ」とか「がんばろう」はあまりに安直で誠意も意志も愛もなく受身であるが「愛よ急げ」のなんと行動的な事か。言葉より実行せよだ。百の能書き、評論、偽善よりズンズン前へ行っていると思うのだ。

2011年5月16日月曜日

湘南から喜怒哀楽 「ニクイ肉」


おーおヤバイ俺も食べたぜ、私も食べたわ、いやーだ、いやーだ、トイレ近いの、お腹ゴロゴロすんの、あの店のユッケ思い切り安いから何か変と思っていたのよ。

食べたのかよ、食べたわよ、何言ってるのアンタと一緒じゃない、そうだったないつだっけ?二ヶ月前よ、じゃあ大丈夫だよ、大丈夫。本当?当たっていたら今頃死んでるよ。



などと話しているのは一組の若者カップル。

場所はココスというファミレスです。友人のドキュメンタリー作家が被災地を回って来たというのでその話を聞きに昼会っていたのです。全く言葉に出来ない衝撃を受けていました。


私は生肉はほとんど食べませんが、家族の中では時々食べる事があります。

もっともその店は「トザワ」といって湘南で一番上手いお店です。値段はリーズナブル。

特にカルビスープは全国一いや韓国にもトザワ以上はありません。しっかり辛くてしかもほんのり甘い絶妙の味。

何か秘伝の隠し味を使っているのでしょう、他では絶対味わう事が出来ません。赤い色のスープを飲む程に味わい深くなり汗と一緒にあまりの上手さに涙が出ます。

半分くらい飲んだ頃に茶碗一杯のご飯を投入すると同時にキムチも投入する。これでカルビクッパとなるのです。



カラウマ、カラアマウマウマの世界に至高の喜びを感じる。ただし翌朝のトイレでお尻の穴がヒリヒリする。

このヒリヒリが実に先日の忘実感を思い出す。


すいません、すいません。

もう死にそうな感じで土下座する焼肉店グループの若い社長、クッパじゃないヤッパ100円で生肉はないでしょう。

正価でも280円、こんな事が許されていた方が不思議でならない。

この国では肉の世界は闇の世界、とてつもなく恐ろしい世界なのです。


国家権力も簡単には口出しできません。野放し状態なのです。

私の知り合いのタクシーの運転手さんは8年間肉問屋に勤めていたそうです。サイコロステーキとかコロコロステーキ、合い挽きと書いてあるハンバーグなどは気をつけて下さい。合い挽きとは何でもありですからかなりの確率で赤犬を入れてますだと。


どうりでこの前買って帰ったコロコロステーキを食べた夜、遠吠えみたいな大きなイビキをかいて寝ていた様だ。うぉーーーーーん。うぉーーんと。

湘南から喜怒哀楽 「いつかショートケーキ」



ママ痛いよ、ママ痛いよ、ママ痛いよ。

と泣き声を出すのは厳しいリハビリ中の映画監督大島渚さんである。


ママとは女優小山明子。二人の凄まじい介護の現場をカメラは追った。

勿論天下の大島渚の悲しい姿をさらすのは種々意見はあろう。

既に収入のない監督は取材費を手にするか。又、介護鬱となって苦しんだ小山明子の凄絶な生き様を見せ全国の講演に結びつけるか。そのいずれも当たっているし、又全然当たっていないかもしれない。

私と同じ地に住む大島渚は画家片岡球子さんと共に誇りであった。


ヌーベルバーグの旗手であり、篠田正浩、吉田喜重と共に松竹三羽ガラスであった。

大島渚は監督と主に極めて優れたプロデューサーであった。多分私が知るところキャスティング映画の話題作りの天才であった。炎加世子、佐々木功。桑野みゆき、ビートたけし、坂本龍一、愛のコリーダの藤竜也、松田英子。どの作品にもあっと驚くキャスティングであった。


私は特に青春残酷物語で桑野みゆきが木場でシュミーズごと飛び込む、それを引き上げる川津裕介のシーンが大好きであった。桑野みゆきの白いシュミーズの色っぽい事、薄く見えるたわわな胸、小さな乳首、そして抱き合う二人。女性はやはりシュミーズだ。


その桑野みゆきがあっという間に中村屋のまんじゅうの倅と結婚して芸能界を去った。

あまりに見事であった。今どうしているのだろう。まさか70歳を過ぎて白く短いシュミーズでもないだろうと思うが、引退したら又出て来たりする芸能界で見事としかいい様がない。


大島渚さんは朝、辻堂駅のホームでいつも週刊マンガか週刊プレイボーイを持っていた。

茅ヶ崎駅前に私がよく行く「鳥仁」という坂本九ちゃんの一族がやっている焼鳥屋がある。大島渚さんもそこのファンであって車椅子で監督を囲む会に来る(最近は?)既に79歳、その「生」に対する夫婦の執念は凄いの一語だ。


ママ痛い、ママ痛いよーといってもママは許さない。

リハビリは苦しい、痛い事を乗り越えないといけないの、パパ頑張ってと声を掛ける。


ある時めでたい舞台で大島渚をゲンコツで殴った野坂昭如も同じ様な境遇にいるらしい。

大好きなショートケーキは食べれる日が来るのだろうか。ママからはもらえない。


糖尿病から来る動脈硬化が原因であったという。一度目は脳出血、二度目は脳梗塞であった。

2011年5月10日火曜日

湘南から喜怒哀楽 「反省の色」


おい清水土下座しろいと言われ中腰だった東京電力社長清水正孝は土下座した。

連れの部下達も当然だ。


この頃七三カツラの狐目男西山氏、保安院の男の顔を見かけなくなった。

この人は凄い神経の持ち主で日々明るく元気になって来た。常識的には日々痩せ衰え、目の下に隈を作りこのままだと危ないのではとなる筈なのだがすっかり超越しているのである。

不気味に陽に灼けた顔はゴルフ灼けか、日焼けサロンか、あるいは飲み過ぎて肝臓が悪いのか。



勝俣会長、清水社長、西山氏とその顔にはハッキリと俺たちだって被害者だ、津波さえ来なければ今まで通り鼻薬をたっぷり効かせたマスコミ、政治家、組合、地元の有力者みんなどうにでもなったのだ。


あの政治家め、あれほどたかりやがって。

いい酒、いい女、たっぷりとしたお小遣いをやっていたのに生意気な事を言いやがって。

あのマスコミ野郎、あの店の女の子とのトラブル全部払って解決してやったのに。

あの学者、ロリコン趣味、あの学者SM趣味、みんなみんな好き勝手やらしてやって来たのに。

あの政治家、韓国のキーセンに何人も女をつくりやがって、あの組合のボス変態野郎のくせしやがって、あの新聞社の論説委員や解説委員たち、現役もOBもどっぷり金をつぎ込んでやったのに本当に100円も自分の金を使わない。ゲスなケチ野郎達なんて気持ちが顔に描いてある。


誰のお陰で日々明るい電気が点いていると思ってんだ。

何で俺たちがココで土下座しなきゃいけないんだ。

チクショウ、グヤジイ、いつかきっとあいつらに復讐してやる。

反省なんてするものか、俺たちは何も悪い事はしていないんだ。


ただ想定外の地震と1000年に一度の大津波が来たからなんだ。

むしろ俺たちだって被害者なんだ。

な、そうだろキミ。とかいってルノワールの絵の様な豊満な若くて美しい女性の胸を吸っている。

もうキミしかいない、頼むから捨てないでくれよ、お金は幾らでも出すからね。

近々俺も俺より上の連中やうるさいOB達に対しケツまくってやろうと思っているんだ。


俺に土下座ばかりさせやがって。あいつら秘密をみんなバラして土下座させてやるんだ。

おお久し振りに固くなった、今日はやるぞ。


もしかしてこんなヤケクソになっているのやもしれません。反省の色無しですから。

湘南から喜怒哀楽 「スケベエとH」


実は私もずっと思っていた事なのです。


女子フィギュアスケートを見ていた時、小学二年生の女の子がいいました。

ねえグランパ(孫達からこういわれています)、女の人達はなんでみんな足を広げて上げてパンツをわざわざ見せて回るの?グランパの答え、うーんそれはねスケベエなおじさん達にちゃんと写真撮影してもらうためなんだよ。本当?ん、分かんないけど。グランパはウソつき?ウソつきじゃないよ。グランパはスケベエなの?全然スケベエじゃないよ。じゃあHなの?ん、ちょっとHかな。本当?なんて会話を交わしました。


私の知り合いの会社の元社長78歳。

女子フィギュアと写真撮影が何よりの趣味なのです。勿論動画も撮影します。

特にあの片足上げポーズが大好きな様です。


世界大会は殆ど行く様です。ハッキリ言ってほぼ変態といってもいい位ハマっています。

飲む時みんなに撮影の成果を見せるそうです。みんなは又、股の写真かと深いため息をつくそうです。

聞けば溺愛した大学生の娘さんを不慮の事故で亡くされたそうです。大学三年生、フィギュアスケートの選手だったのです。

それを聞いてとても複雑な気持ちとなりました。


フィギュアスケートは趣味と変態とスケベエの境界線が難しいのです。

そんな時、愚妻が買い物から帰って来ました。孫が駆け寄りアブちゃん(何故かババが進化してこう呼んでいます)グランパはHなんだって、アブちゃんなんかHな事された?と聞きました。何を言ってるのと答えました。


次の日、女子アマチュアレスリングを見ていると小学三年生の男の子が言いました。

ねえ、グランパなんであの人達後に回ってくっつくの?犬が盛りついたみたいで凄いヤラシイんだけど、バックばかり攻めているじゃん、ねえどうしてグランパ?うんアマレスはよくわかんないけどバックを取るとポイントになるんじゃないの?この間男同士がやっていたけど変な感じだよ。そうだよな、でも本人達はいい感じかもな?ねえどうして、どうしてなの?パンツとランニングシャツが一緒になったのを何で着ているの?分かんないよ古代ローマからのルールじゃないの、古代ローマって?なんてブイブイ追い込まれました。


どうかわざわざ足を上げ広げパンツを見せるのを止めてください。

男が男の後に回ってグイグイ攻めるのを止めてください。上手く説明の付かない事はとてもグランパは困るのです。

ちなみに私はキムヨナの大ファンです。

2011年4月26日火曜日

湘南から喜怒哀楽 「出っ歯のイカレポンチ」


ラーメンにワカメを入れるか入れないかで激論となった。

天下を二分する程の事であった。
ワカメバカメと言って食べた私、塩味が出過ぎてラーメンのつゆの味がいけない方向に行く。
のりが一枚どんぶりのはしに付いているのだから海の味は十分、それにわかめを入れる必要なしと言った。

ところが横から一人の女性が異議ありだと。
何だいあんたはと言いたかったが結構いい感じ何でも東京の雑誌社のラーメン担当とか。
日本中のラーメンを食べ歩いているというではないか。八重歯が可愛くて少し出っ歯、でも真っ白い。

私は真っ白い派に弱いのでかなりたじろいだ。

しかしラーメン王国、荻窪で丸福、春木屋、丸信、漢珍亭を食べて育った私、ラーメンにはかなり、相当、驚く程うるさいのだ。

「男の週末」なんて本は知らない。
ラーメン食べ歩きなんてやっているとデブデブになってしまうよと言ったらゼーンゼンだって。
年の頃は30〜35歳位である。で、ワカメは何でラーメンに入ってもいいのかを言い始めた。

この店は海の側であってラーメンの存在そのものが風景の一部だ、なんて訳の分からない事を言う。
ラーメンという一つの湾スープ、あるいはおつゆとう海その中にざわめく潮騒、これが都会のお店だったら私は許さないかもしれないが今現在この海風を浴びているこの店にとってのこのワカメのヌルヌルした青黒い光が存在する事に対し、ひとつの絶対必要存在論としてトングでワカメを掴んで投入する事が許されるのです。


何だい一体あんたは、イカレポンチでないかい、と思ったのだ。
ラーメン屋の名は「康家」というトラック野郎達や若いサーファーに人気で休日はいつもかなりの人が並んでいる。
こんな阿呆なやりとりに店のスタッフも他の客もビックリしまくる。
ラーメンはご当地の風景の一部というのが持論の様で味というのは絶対化してはいけないもんだと。

ハマグリが入っていようとサザエが入っていようと言い訳っていうとゼーンゼンOK、いいんじゃない。
ラーメンの上にイカの丸焼きはと聞くとゼーンゼンOK、美味しそうだって。
まあ何だか分からないけどかなり手強い出っ歯であった。

多分頭は相当イカレポンチで間違いないと思う。
ネェーンここワンカットシュートして(写真に撮っての意味)なんて言って若い女性のカメラマンに指示した。
ラーメン食べていた私と私の連れは口をあんぐりしたのです。
店の主人にワカメ抜きにしてオーダーした私のラーメンは一人の女性の参入で行き場を失っていたのです。

ぐいぐい食べてスープを飲み干した後、ネェーンこの辺放射能来るのかしらんとか言って白いマスクをしてそんじゃと出て行った。オー、俺も負けるなイカレポンチにはと言った。ワカメを入れてと言ったのは何故であったか。
ついでに半ライスも。

2011年4月25日月曜日

湘南から喜怒哀楽 「玉子大好き」


子供の頃東京都杉並区天沼三丁目に住んでいた。
2階建ての家に叔父夫婦と下宿人の人が住んでいた。三畳の離れには職人さんが居た。
我が家が全盛期の頃はこの離れにお手伝いさんが住み込んでいたそうだ。

私は全盛期を知らない。ただ庭は80坪位あってかなり広かった。
そこにヤギ2頭、ニワトリ4羽、蜂の入ったたくさんの箱、季節になると叔父夫婦が花畑に連れて行く。
遠心機で分離させそして蜂蜜となる。それをナメナメして育った。
 犬が一頭、猫一匹、瓢箪池は空き地だった。鳩が40〜50羽早朝の運動の為飛ばす。

家族七人(父は既にあの世に逝っていた)+下宿人一人+職人+叔父夫婦二人、合計十一人の思いがあった。
それはニワトリの生む玉子である。当時玉子は貴重であった。例えば朝ニワトリ小屋の前で生むのをじっと待つ。ニワトリはほぼ規則正しく座りこんで玉子を一個ずつ生む。おっ、生んだ!それを手にするとブヨブヨしている。

台所に行き椅子に座りじっと固くなるのを待つ、その間鰹節をカンナで削る。残りご飯を茶碗におしゃもじで入れる。
玉子が固くなったら一個はゆで玉子、一個はかけご飯、一個は目玉焼きにそして一個は母親の為にとっておく。一ヶ月に一度はこの特権があった。末っ子だったから。
ゆで玉子は玉子の半分のちょっと下まで煮立ちお湯が下がったらOK
目玉焼きは小さなフライパンでとろ火にしてお皿で蓋をする、黄身が固い方が好きだ。
冷たいご飯に玉子を割って落とし、鰹節をまぶしぐいぐい掻き混ぜる。ご飯粒が全て黄色になるまで玉子と鰹節の香りがいい。その上にコウナゴをまぶすと出来上がり。

ゆで玉子をコツンと割る、冷たい水に浸けて置いた方が剥きやすい。ゆで玉子は出だしの割り方で良くむけるか割れ割れになって取り返しのつかない事になる、身を滅ぼす(この時はガックリする)私は今でもゆで玉子がうまくむけない日は、あーあ今日はあんまりいい事ないかもと思ってしまう。

それほど重大な儀式なのである。卓袱台に座り玉子かけご飯のおかずが目玉焼きとゆで玉子となる。
未だにこれ以上の贅沢な食事を私は知らない。この世の終わりの食事はこれと同じと決めている。
玉子一個で兄弟喧嘩をしていた時代の方が明るく楽しかった気がする。ヤギのお乳を搾って作ったチーズの美味しさといったら未だ忘れない。食パンに蜂蜜をタップリつけたパン程素晴らしい味はない。
何回か蜂に刺されても許しちゃったものだ。

私もそろそろシンプルライフに戻らなければならない。
冷めたご飯と玉子一個、鰹節があればいいのだ。素焼きの茶碗、竹の箸がいい。
後は一畳の寝るスペースさえあればよしだ。味噌汁の具がいる時はどこかの畑に行って放射能がたっぷり汚染された野菜をいただいて来るとする。えっしょうゆとみそはどうするって、それはお隣から時々施していただくのだ。
デザートのスイカは畑からかっぱらって来ればいい(ただしドロボーと言われて追いかけられる)


追記、玉子かけご飯は炊きたて熱々のご飯では駄目、玉子がご飯の熱で固まってしまうから。
玉子かけご飯が売りのおしゃれなお店に入ったら熱々ご飯で作っていた。当然失格である。

2011年4月18日月曜日

湘南から喜怒哀楽 「エアーホステス」

羽田ー福岡間、スカイマーク往復27,600円(※早割使用時)、JAL約80,000円。
この大差は一体何だ。

同じ距離、ほぼ同じ飛行機なのに。
実は事情があって行きはスカイマーク(満席)帰りはJALに変更して帰ってきた。
スカイマークのチケットをキャンセルしJALに変えた。スカイマークに初めて乗った。
あんまり安いので危ないのではと今まで避けて来たのだ。

しかし全く快適であった。JALは70%位お客が乗っていた。何でこんなに飛行機代が違うのかずっと考えていた。
そして離陸して40分位でそうか分かったとなった。キャビンアテンダントの数がJALの方が多い。

又スカイマークのアテンドはシンプルな服装だがJALのアテンドは制服にスカーフ、それに化粧がやたら濃いグロスをした唇、気持ち悪い作り笑い、とにかく全員作り笑いだ。この作り笑いはどこかで経験したなと思い出した。
そうだ安手のバーのホステスだ。最もアメリカではエアーホステスと言うのだから納得した。

後はスカイマークは飲み物は出なかったがJALでは飲み物サービスが一回あった。
日本茶を紙コップで一杯飲んだ。つまりは紙コップのお茶代が差額だったのだ。
なんでみんな馬鹿高いJALとかANAに乗るのだろう。犯罪的だと思った。

連れの会社の者もなんやこの差は(奈良出身)えらい損した気いやと怒った。
ただベタベタ化粧、ベタベタ唇で気持ち悪いたくさんのホステス達、JALはやっぱり駄目だな。
まだまだ反省が足りないという事になった。
JALとANAしか飛んでないから仕方ない路線がたくさん、ある利権でしかない。

これから外国資本のエアラインが参入して来たら手ひどい仕打ちを受けるだろう。
人はそうは言っても万が一の時はやっぱりJAL、ANAだよと言う。
※写真はイメージです 

飛行機で万が一の時は何処だって同じ、運次第だよ大体あんなでっかいのが空中を飛んでいる事自体信用できないんだから飛行機は乗ったらお任せだ。でもあんなベタベタ化粧のホステスと一緒だけはゴメンこうむりたい。
まさかお化粧代までお客さん負担じゃないだろうなと思いたくもなってしまった。

会社再建を作り笑いでするとしたら大間違いだ。
過ぎたるは及ばざるが如しという、再建はすっぴんから心がこもっていればそれが本当のサービスだ。
偽りの笑顔はただ厚塗りの仮面だ。

2011年4月15日金曜日

湘南から喜怒哀楽 「天神のしんきろう」



九州福岡に行って来た。
東京で大変お世話になった方が昇進され、九州の営業統括本部長となったのでご挨拶に行った。アポイントをとるとわざわざいいよと言われるので名刺だけでも置きに行った。

案の定本社から会長、社長が会議に来られており受付嬢に名刺を渡したら会議中ですがしばらくお待ち下さいと私の書いたメモを持って行ってくれた。
そして受付嬢が応接室でお待ち下さい、ちょっと顔を出すと言っておりますからと言った。しばらくしていや〜どうもわざわざありがとう、でも生憎本社から偉い人が来て今会議中なんだ、地震による影響大でその前後策を練っているんですよと言った。

私は顔を見れれば十分、九州全域を統括するというのできっといないと思い名刺だけを置いて帰るつもりだったんですと言った。東京では業務引継で多忙を極めている様だったのでこうして来ました、ありがとう男と男、固い握手をした。

ゴメン、本当ゴメン来ると言ってくれればとも言ってくれた。以心伝心わずか2分間の出会いであった。出来れば天神の夜を一緒にと思っていた。

会社の若い者と代理店の二人も一緒だったので一度ホテルに入り夜7時名物屋台に行く事にした。体調は著しく不調であったが天神の屋台と言えばココだと教わった。

「しんきろう」という店に入った。U字型の屋台で12人程座れる。真ん前が大丸だ、銀座のブランド通りに屋台がある様な不思議な文化だ。あちこち120軒くらい出ているという屋台と言えば川側だがそこには観光客目当てでいい値段を取るらしい。屋台は生ものを出してはいけないらしい。必ず火を通すのが法の決まりという。最後のシメはラーメンが最高だから他の物を食べ過ぎない様にと教わった。

ビールをコップ3杯、焼酎ロック1杯、体調不良のせいか酒が旨くない。
おでんの大根主人オススメのギョーザ巻き。焼き物で切り身の焼鯖、明太子焼(絶妙)、牛肉焼、小振りな果実トマト(絶品)を食べる。

そしていよいよラーメン、35歳位の主人の動きは一切無駄なし見事な動きだ。そして実に清潔。白いスープにネギ沢山、チャーシュウを食べてる中頃には紅ショウガを投入(コレがコツ)もうとろける様な博多ラーメンの味だ。濃厚にして繊細かつホロ甘い誘惑の味。
一風堂あたりは足許にも及ばない。

福岡に来たら大丸百貨店前の「しんきろう」必ず立ち寄って下さい。
四人で呑んで食べて18000円でした。
連れの代理店の一人がとにかく食欲の塊でに2人前は食べましたので。

2011年4月14日木曜日

湘南から喜怒哀楽 「チンの終わり」

私の会社の側に「さんさく」という和風小料理屋があった。
先日久々に魚でも食べようかと思って立ち寄ったらなんと更地になっていた。

そこの親父は料理の鉄人、道場六三郎の同門で兄弟子だった。
一度テレビの取材番組でここ、おれの兄弟子の店だなんて訪ねていた。
入って左に7〜8人吸われるカウンター、中に4人掛けのテーブルが4つほどあった。
京都のおばんざい風に、カウンターの上に魚の煮付けや焼魚、肉じゃがやなすの煮たのなんかが色々置いてある。即ちこれらはクッキング(料理された)物ではなくクックド(料理済み)された物であった。

刺身などはともかく料理済みを「チン」した物なんてへたり込んで食えないよと主人に言った。
主人はムッとして70歳位の顔を上げて私を睨んだ。

日本料理屋で「チン」するかと連れの会社の人間に言った。
おつまみにおからが出た。なんかすっかり意気消沈であった。
細身の親父に小さなつくりの奥さんであったが結局一度の引越を経て新築したがやはり10年程で終わった。


赤坂に道場六三郎の店があるが一時期の噂は聞かない。
やはり料理は作りたてが基本だと思う。西京漬けや鰆の焼いたもの、キンキ煮の付け、鰯の煮付け、鯖の塩焼きなんて「チン」されたらガックリきちゃうでしょう。

「さんさく」の親父どうしているかな、更地を見る度思い出す日々なのです。

「寿し利」という店があります。時々顔を出しますがお客さんがいる事がごくまれで、寿司はあまり旨くありません。奥さんが気の病で長く入院をしていてヘェヘェヘェと笑う親父一人です。心配だから顔を出す、そんな感じです。まあ奥さんへのお見舞です。

全国客のいないお寿司屋さんコンテストではきっと三位以内は入ります。
ヘェヘェヘェと笑っていますが心の中では泣いているんです。

「舟よし」というおでん屋があります。かつてはマガジンハウスの人間で朝まで一杯でした。
しかし今は出版不況で朝まで誰もいない事が殆どです。「カラスミ」作りに命をかけて42年、手に血圧計を付けて頑張っています。

この間夜中の2時頃チョイと寄ったら、なんと7時半から呑んでいるうら若き女性がいました。
なんと7時間半も呑んでいたのです。俺が先に死ぬか、親父が先か賭けました。
まあどっちが先に逝っても世の中には影響ないという事で終わりにしました。
その店の前のホテルに泊まって湯上がりのビールを飲んだのですがすっかり湯冷めしてしまいしゃっくりが未だに止まりません。

みんないっぱいいっぱい生きて居るんです。