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2014年3月25日火曜日

「思い出の音楽を」


北野理沙さん(ホームページより) 


♪〜何から何まで真っ暗闇よ、すじの通らぬことばかり 右を向いても左を見ても ばかと阿呆の…

この続きは人それぞれに当て込むといい。
ばかと阿呆の殺し合いとか、ばかと阿呆の騙し合いとか、ばかと阿呆の傷つけ合いとか。私と同年代の方々ならこの歌をご存知のはずだ。

今は亡き鶴田浩二の大ヒット曲だ。
いつの世も人と人との“絡み合い”は変わらない。
人間がラクダの様に砂漠の中を歩いているかの様だ。
愛も、情も、夢も、浪漫もカラカラに乾いてしまって、右を向いても左を見ても心のオアシスが無い。

東京砂漠を歌ったのは前川清であった。
♪〜あなたがいれば ああ あなたがいれば 陽はまたのぼるこの東京砂漠〜と。

「あなたを大切に思う人は、すぐそばにいます」その電話の声はきっとあなたのいのちにつながっている。JR東日本いのちのホットライン0120-556-834(ココロヤサシイ)
三月は自殺対策強化月間です。
何故期限があるのか、三月二十一日、二十二日の二日間だけだった。

その夜私は両手にずっしり重い資料を持って国府津行きの列車に乗っていた。
打ち合わせの後、戸塚駅から乗るとドアの上に自殺対策強化月間の細い横長の車額ポスターがあり、その上にロール式のインフォメーションがあった。
そのインフォメーションに中央線が人身事故で運休中とあった。
三月十九日夜九時四十分頃であった。

このところ連日人身事故がある。
かつて山谷親平さんという名物パーソナリティがラジオで人生相談の番組をしていた。
そのはじまりは「絶望は愚か者の結論なり」であった。
その頃は未だ自殺は少なかったからだ。
山谷親平さんが生きていたら今の時代に何というイントロのフレーズを用意しただろうか。果たして愚か者の結論なんていえるだろうか。

「人」の「身」になって人と人が助け合い励まし合い、弱いもの同士が手と手を取り合えば、命が救えるのではないだろうか。
一人でも多くの命を守るために何かが出来るはずだ。
“チェ、また人身かよ、まったく迷惑なこった”こんなつぶやきが時代のアッチコッチから聞こえて来る。

明日は我が身かという言葉もある。
弱者に冷たくしていると必ず不幸の雨が降り注ぐという事を知るがよい。
今日は人の上、明日は自らの上と賢者は教えている。

心がカラカラに乾いた人にオアシスの様な歌手を紹介する。
その名を「北野理沙」さんという。
音楽大学でクラシックを習い、苦学してイタリアで声楽を学んだ努力の女性だ。
その美しい姿から発する声は、透明を極めている。ザラつきのない純度100%の歌声だ。
未だワンマンショーが二回目という新人だ。

二十三日(日)午後四時〜六時、渋谷道玄坂プライム6階でその二回目というワンマンショーに行った。知人の広告代理店社長に紹介されていた。
友人の写真家と後輩のデザイナーと共に。
人間でゴッタ返す東京砂漠の中でオアシスに出会った様な二時間だった。

こんな世の中と別れたい、逃げたい、もう嫌だ駄目だと思っている人に音楽を進めたい。自分がいちばん好きだった曲を聴いて下さい。
楽しかった日の出来事を思い出して下さい。音楽は一人ひとりの味方です。
図々しい位生きて生きて、生き抜いて下さい。
絶望の先にきっと希望のオアシスがあるはずです。
何から何まで真っ暗闇ではありません。

2014年3月24日月曜日

「三年稽古」


時事ドットコムより


人間は生きている限り勉強だ。

それを実行する横綱が出た。
大相撲の「日馬富士」が法政大学大学院政策創造研究科に合格した。
四月から都内のキャンパスに通い、経済学や企業論を学ぶという。
スポーツ、文化に関心があり勉強家の日馬富士は、角界に入門後、モンゴルの国立法科大学通信課程に挑戦。
 昨春には「日本とモンゴルの法律の違い」をテーマに卒論を提出して卒業。
警察官と弁護士の資格も得た。

人間として、相撲だけではなく、いろんな事を知っている大きな人間になりたいという。横綱といっても日馬富士は未だ二十八歳の若者だ。
食って寝て激しい稽古をしての繰り返しの中で勉強を続けるのは余程の覚悟がないと出来ない事だ。既に「体験授業」も受け、同期となる会社員、公務員、企業経営者たちとも対面済み。何年掛かっても修士課程を修了すると固く誓っている。

私がお世話になった大手広告代理店に凄腕の取締役営業局長がいた。
世界一のコーヒー会社を担当して仕事をバンバン増やし、大きな実績を上げた。
大概の人間は、この人と対決をするとコテンパンにやり込められてしまう。
この人の凄いのは、定年となった後だ。六十を過ぎてからなんと司法試験に挑戦し始めたのだ。座右の書は六法全書、そして遂にとなれば良かったのだが、確か六十七歳の時に一点足らずで合格できなかった。本人によるとその一点が大変の差らしい。

七十歳になると試験は受けられないのだとか。
で、現在は七十五・六となったのだが、三田の慶応大学に聴講生として通学している。
過日友人の陶芸展でお会いしたら、目を輝かせて勉強を語っていた。
私の知る限りこの人以上の代理店の営業担当はいない。
思った事をズバズバ言うので役員の上の上には行けなかった。


だが人生の結果はこの人の方が全然勝っている。
何しろ誰よりもイキイキしているのだから。きっと頭を使っているからだ。
味方も多かったが、敵を沢山作ったのも頭のためには良かったのだろう。
いいものはいいと即断即決、ダメなものはダメ、ダメ、ダメ、ダメとぺっちゃんこにしてしまっていた。人間は人から好かれようとすると大きな傷を負う。

「嫌われる勇気」なんていう本が一番売れているらしい。
今からでも遅くない、徹底的に嫌われるために勉強してみるべしだ(私はずっと嫌われ続けている)。あの人は本当にいい人だといわれて、本当にいい人だったのは実に少ない。

大相撲が大好きだ。
二十三日(日)千秋楽、大関「鶴竜」が優勝し、第七十一代横綱になるのを決定的にした。二十八年前モンゴルの大地に生まれたマンガラジャラブ・アナンダが「鶴竜力三郎」となりコツコツ稽古に励んだ結果であった。

稽古は“三年稽古”という。今している地道な努力が三年後に実を結ぶ事からきている。
今まで一度も笑った顔を見せた事のない鶴竜の笑い顔を初めて見た。

ドスコイ、ドスコイ。
大学生となる日馬富士は休場明けながら横綱同士の戦いで白鵬に勝ち123敗であった。
ドスコイ、ドスコイ。
横綱は嫌われる程強くなければならない。“江戸時代”から数えて七十一人目の横綱誕生は改めて地味な努力の大切さを教えてくれた。

ドスコイ、ドスコイだ。男は勝負の世界、相手に好かれる様になった時はお終いなのだ。ちなみに内閣総理大臣は明治時代から九十六人もいる。粗製乱造ともいえる。
ドスコイ、ドスコイ。

2014年3月20日木曜日

「47分18秒」




駅弁が嫌いという人は先ずいないだろう。
旅といえば駅弁となかば法律で決まっている。

駅弁は不思議な食べ物で、着いた駅それぞれの名物駅弁を食べてもお腹は許してくれる。そして次を求める。三個位食べても満腹にならない。
駅弁プラスかつサンドとか、ハンバーグサンドとか、ゆで玉子を追加したりしても大丈夫なのだ。

あ〜もう会社は嫌だ、仕事は嫌だ、家に居てもストレスがたまるばかりだ。
ヨーシ旅へ出よう、そうだ京都行こう的決意をした瞬間から、心と体はルンルン開放状態になり、お腹は駅弁を求めてグーグー状態になる。

この頃旅に出ていないせいか、駅弁と対面していない。
で、東京駅から帰宅するにあたり駅弁を買うべしと思い、駅弁ショップに入った。
大混雑であり、ヤル気というか買う気を失ってしまったのだが、人と人の隙間から牛たん弁当とか、イカ飯とか、牛肉すき焼き弁とか、深川めしとか、海鮮うに丼とかが目に入る。

オッと目に入ったのが福井県名産、福井県知事賞受賞と金色の帯が付いた「焼き鯖寿し」だ。さすが鯖街道がある福井の鯖は肉厚で脂身十分、コゲ具合も気合十分、ご飯の色合いもすこぶる旨そうなので一本買った。

ペットボトルのお茶と共に、いざ行かん心は旅気分で列車に乗った。
ところが手頃な空席が無く駅弁の立ち食いはマナー上許されない。
仕方ないきっと横浜か戸塚で空くからそれまでじっと我慢だと決めた。

ガタンゴー、ガタンゴー、座っている人間たちは崎陽軒のチャーハン弁当とか、牛肉どまん中とか、釜飯風なんかをシコシコ食べている。
ガタンゴー、ガタンゴーと進み大船駅で空席がいくつか出来た。

ヨシ!鯖ズジダーと急いで包装を剥がす、次は藤沢その次は下車する辻堂駅だ。
焦ってしまって包装を剥がすのに手間どってしまった。
出たぞぶっ太い一本の見事な鯖ズシガァーと喜んで切り分けた焼鯖を掴んだ。
予想以上にでかい、口に入れようとしたらご飯部分がボロっと落ちてしまった。
アリャーと下を向いたら鯖寿司が喉に引っかかってしまった。

ウオッ、グッルジィ、背中まで痛む。お茶だ、お茶だとペットボトルを開けた。
お茶はすっかりぬるくなっていたがそれを飲んでやっと鯖寿司は胃の中に向かって行った。列車も順調に目的地辻堂駅に向かっていたので、二つ目の鯖寿司を食べ始めたら藤沢駅に着いてしまった。チクショーと思い辻堂を通過させ次の茅ヶ崎に向かった。

旨い!この調子で食べ続ければ二本食べ終わるのはきっと平塚か大磯だ。
実は残り半分は家で食べたのです。駅弁は家で食べると実に物悲しい風情の食べ物になってしまうのです。

焼鯖寿司をじっくり味わいながら楽しむには、私の計算だと4718秒が必要です。
列車の中で食べれば絶品です(東京駅で売っています)。

2014年3月19日水曜日

「出船入船」




「親しき仲にも礼儀あり」という。
世の中でいちばん親しき仲はといえば、親と子といえるだろう。

先日とてもいいシーンに出会った。
私が親しくしている水天宮の歯医者さんは、ダメージジーンズに革ジャン、ネックレスにブレスレット、両手に指輪、両腕に数珠数本。どう見てもドクターには見えない。
パンクロックの歌手の様であり、暴走族の様でもある。

若くて腕がいいので人気がある。スタッフは美人揃い。
父君は高名な精神科の医師でもある。
先年渋谷の文化村で展覧会を行った時、ご夫婦で来て頂いた。

その日、私は水天宮のドクターの処に行った。
アレッ先生どうしたのその格好と聞いた。何故ならドクターは、身に付けていた金銀のジャラジャラや水晶玉のブレスレットや指輪などを身に付けておらず、チャコールグレーのスーツに白いワイシャツ、シックなネクタイをキチンと締めていた。

どうしたのと受付付近で追加質問すると、実は新しいクリニックを開設するにあたり両親に相談に行ったところ、例え親子でも大事な相談に来る時は「ちゃんとした格好でいらっしゃい」と叱られたと苦笑いした。

ほおー近頃いい話だねと私は言った。
礼儀が出来ない人間がなんと多くなった事かと常日頃思っていた。
親子の関係もすっかりお友達みたいになり、ケジメが無くなってきた。

何だかやけに新しい出来事に出会ったなと思っていたら、誠に品のいいご婦人が入って来た。七十歳位だろうか、ドクターが母親ですと紹介してくれた。
文化村で会っていたのだがその時はティールームに座っていたのでしっかり記憶をしておらず、大変失礼しましたとお詫びした。息子がお世話になっておりますとおっしゃった。

登録患者数1万人以上、スタッフを10人近く起用しているドクターもお母さんの前ではかわいい子どもであった。ワタシクリーニングして頂くわと言って診察室に向かった。
その後姿には気品と知性が溢れていた。

ドクターは、日頃僕は究極のブランド志向で、自分もブランドになりたいと言っている。母君の佇まいとの余りの違いに親子とは似て非なるものという言葉を思い出した。

ドクターは虎ノ門に建設中の高層タワービルの中に近々新しいクリニックをオープンする。私は一枚のポスターをデザインして御祝いにしたいと思っている。

水天宮近くトルナーレデンタルクリニック、龍信之助という名がドクターの本名だ。
先生は腕がいいんだからブランド名は後から付いて来るからねと常日頃言っている。
この世は「ネタミ」社会。有名税というのは高く付く。
私は場末の芸者で終わるのが理想だ。

四月二十六日、会社は赤坂の明るいオフィスに引っ越すのだが私は銀座の芸者、今までのオフィスの片隅に兄弟分と共に一人残る事にした。
若者たちにはどんどん有名ブランドになってほしいと願っている。
それには何より「気持ちいいあいさつ」が最大必要条件だ。

出船入船朝の一発という。
港を出て行く漁船は行って来るぞと大きな一発を鳴らす。
帰港して来た時は、帰って来たぞと一発を鳴らすのが決まりだ。
オハヨーとオツカレさんが大切なのだ。残念ながら我が家では行ってらっしゃいも、お帰りなさいも無い。すーっと出て、ピンポンと帰るのだが、アラッ鳴らしたのとか、アラ早いのねとかが多い。
テレビのホームドラマじゃないんだから、いい歳していちいち行ってらっしゃいも、お帰りなさいも言わなくたっていいじゃないが、愚妻の主義主張なのだ。

バカヤロー、親しき仲にも礼儀ありだと言った処で後姿しかない。
矢吹健の歌に「後姿は他人でも」というフレーズがあったが、夫婦は元々赤の他人だからな。みなさん良き三連休を。ご先祖様への礼儀も忘れずに、お彼岸ですから。

2014年3月18日火曜日

「母悲し」




「私は死ねない」が口癖だった、歌手安西マリアが六十歳でこの世を去った。
母は我が子のために命がけで懸命に生きていた。
それは、三十歳の長男が知的障害を抱えていたからだ。
また八十五歳の母親は認知症であった。

♪〜ギーラ、ギーラ太陽が〜、でお馴染みの「涙の太陽」が大ヒットしたが、それ以上のヒットには恵まれなかった。
皮肉にも安西マリアにそれ以上の太陽は降り注いでくれなかった。
生んでくれた母親と、自ら生んだ我が子の介護のために身を粉にしてその歌を歌い続けた。

六十歳になった時、オールヌードになったのもお金を稼ぐためだった。
こんな悲しい話を知った時、一本の映画を思い出した。

映画の題名は「ダンサー・イン・ザ・ダーク」第53回カンヌ国際映画祭グランプリのパルムドールを受賞した作品だ。平塚の映画館の片隅で、泣いて、泣いてしまった。
主人公セルマ(ビョーク)は昼は工場、夜は家で内職、一日中働き続けている。
遺伝子的疾患でいずれ視力を失ってしまう息子の手術代を稼ぐために。
セルマ自身も遺伝病で視力を失っていた。

ある日、親切だと思っていた隣人に必死に貯めたお金を奪われ、それを取り返す過程で殺人を犯してしまう。運命の歯車は音を立てて狂ってしまう。
囚人となったセルマは静かで謙虚な女性だった。

大好きな歌を頭の中で歌う時だけミュージカル映画の主演女優になれる。
高らかに歌い、華麗に舞う、歌うのは辛すぎる現実から離れるためのセルマの唯一のはけ口だった。明るく歌いながら心は泣いている。
空想の世界で楽しそうに歌うほど、心は泣き続けていた。

そしてクライマックス、セルマの歌は空想の世界を破り、現実に喉を震わす時がやってくる。現実の艱難辛苦が重すぎて、空想の中で処理する事ができなくなってしまったのだ。聞こえてくるのは、余りに美しく儚い。

この映画を観て泣かない人は、きっといないだろう。
安西マリアよ、母として懸命に生きた母を、知的障害を抱える身の我が子はきっと、きっとお母さんありがとうと言っているだろう。
認知症の母はきっと我が子よありがとうと言っているだろう。
夫とは離婚していたのでその苦労は計り知れないほど大きかったはずだ。

歌は華やかでも、歌手の一生はそれとは逆だ。涙の太陽に合掌。
来たる休日、ダンサー・イン・ザ・ダークを観て下さい。
レンタルされています。日頃の親不孝がきっと治ります。

2014年3月17日月曜日

「大人の仕事」


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極めて杜撰で未熟であった。
彼女(小保方さん)程度では無理だった。

「ミス通用せず」「過度な成果主義」「日本の科学研究に傷」心身共に疲れている様ですみませんとうなずいた。あってはならない事、論文の体をなしていない。
などなどあらん限りの批判の言葉を、小保方さんが所属している「理化学研究所」のセンター長やプロジェクトリーダーや小保方さんの上司に当たる先生方が、含み笑いやシラーとした顔。
ニタニタ顔や怒りを露わに語る四時間の記者会見は、さながら魔女狩りの如くであり、欠席裁判であった。

ノーベル賞受賞者の偉い先生が理事長なのだが、謝罪はしても“責任者として責任を感じている”と言った人は一人もいない。
全て一人の若い研究者がやった事、人類への朗報となるべく大発見の論文を読んでもない、見てもない結果だ。これから勉強せねばとか、時代のなせる業だとか。
名だたる先生の名が十人もその論文にあったのだ。
ある学界通の人などは、これは“氷山の一角”だというではないか。

月間文藝春秋四月号に「STAP細胞捏造疑惑に答える小保方さんがかけてきた涙の電話」という大見出しがある。インタビューに応えているのは、山梨大学教授若山照彦氏だ。 
176頁から183頁まで、その最後にこう書いてあった。
「認められるまで時間はかかるかもしれませんが、STAP細胞は間違いなく、再生医療の分野に新たな光を投げかける偉大な発見です。僕は、生物学の不可能に挑戦し、見事成功させた小保方さんを温かく見守っていきたいと思っています」

このインタビューを受けた後きっと若山照彦教授には四方八方から強いプレッシャーが掛かったのだろう。テレビに出て来る度に教授の顔は暗く重く、辛いものに変わっていった(文藝春秋は既に出来上がり済みだった)。

三月十五日朝日新聞朝刊一面に福岡伸一青山学院大学教授(生物学)は、長文の記事を寄せていた。「過失か作為か明確に」の見出しであった。
その最後に「今回の論文発表直後から世界中の研究者の集合知的なあら探しによって問題点があぶりだされた。最高権威だった科学誌の審査が機能せず、草の根的なレビューが機能したという点でも興味深い」。

私見だがやってはいけない事は、きっとみんながやっていたのを真似たのかもしれない。あまりの大発見に功を焦って舞い上がったのかもしれない。
天才たちがやる事は、私のような場末の凡才には全く分からないが。
小保方晴子さんという未だ三十一歳の研究者を大人たちが寄ってたかって糾弾するのは、見ていられないほど酷い会見だったのだ(オンナをイジメるやせ男という言葉があった)。

誰か一人位、小保方さんは発表の方法は大変な間違いを犯してしまった、それを見抜けなかった我々がSTAP細胞という夢の再生医療への可能性の追究には時間を頂きたい。
若い研究者の熱意と可能性に機会を与えて頂きたい。こんな大人の言葉を聞きたかった。

私の大切な恩人、知人、友人たちが再生医療への成功を心から待望んでいる。
安倍晋三総理も難病と闘っているのだから。
ここは一人の患者として、科学者として「やってない事をやってしまった事は大いに反省すべきだ、今は詳しくは分からないが、いずれ事実は判明するだろう。ただ研究の歩みは止めないでほしい。再生医療を待つ人類のために、若い研究者たちは、この事で決して萎縮しないで日々研究をしていただきたい。成功の裏には山ほど失敗があるのだから。私も期待しています」こんな一文を新聞の読者欄かなんかに寄せてくれたら思った。
いずれこんな一文に会えるやもしれない。

メゲルなリケジョ、しっかり研究してみんなの前でSTAP細胞を作る過程をキッチリ発表して汚名を返上して下さい。

私は小保方晴子さん(31)を信じています。
何故なら目がキラキラ輝き、澄み切っていた。真っ白い割烹着が亡き母を思い出してくれたからだ。大人の最大の仕事は、若者を愛情込めて育てる事だ。

親木から落ちた種から生まれた木を「味生」という。
椿の味生からきれいな花が生まれた。

2014年3月14日金曜日

「梅が消える市」


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「人生は恐ろしい冗談の連続である」この言葉を座右の銘にしているというのは、週刊プレイボーイの元編集長、島地勝彦氏(72)だ。

人生に必要なのは、エスプリとユーモアとセンスだと新聞のコラムのインタビューに応えていた。いい事も、悪い事も、何事も冗談と思っていれば有頂天にならず、ピンチや不運の時にも冷静でいられる。雑誌の編集長は並大抵の人間には務まらない。

「おすぎとピーコ」の「おすぎ」が最近見かけないなと思っていたら、実は佐村河内守になっていたのでは(?)とか。

十二日の参議院予算委員会に18年振りに質問に立ったアントニオ猪木が、「元気ですかー」と絶叫し、委員長から心臓に悪い方もいるのでお控え願いたいと注意されたとか。

大臣が企業に対して、ベースアップしないと後で何があるかワカッテンダローなどと脅すとか。マレーシア航空の大型旅客ジャンボ機が何処へ行ったのか消えてしまった。

東京「青梅市」から「梅」の字を取ったら、「青市」になってしまう。
梅の名所の美しい梅の木がアブラ虫によって「輪紋病」というのにやられてバッサリ全てを切られてしまうという。農作物に悪影響を及ぼすとか。
我が家の小さな庭にある二本の梅の木にここ数年さっぱり梅の実がならなくなったのは、「輪紋病」であったのかもしれない。アブラ虫め、フマキラーをたっぷりかけてやる。

日本人の半導体技術者が韓国の企業にバシャバシャ情報を流していたという。
武器三原則を見直して武器輸出をするべしとか。
ヤクザ者よりヤクザ者みたいになった清原和博が支離滅裂なのは血糖値が高いからだとか。川内原発の審査は終了させて早く再稼働をしろと脅しているとか。

「元気ですかー」なんて叫んでいられない事が冗談とも本気とも区別のつかない世の中は、恐ろしい方向へと突き進んでいる。
それにしても、おすぎの顔と佐村河内守の顔があまりに似ている。
こう思ったのは私だけだろうか(?)早速、ある雑誌のインタビューに応えていた。
“激白”とか言って。佐村河内守はベストセラーを狙っている。

屋久島に334ミリの雨が降ったとか。想像もつかない。
知人夫婦がいるのだが大丈夫だろうか。

今日はホワイトデーだ。今日位は悪い冗談のない、“純白の日”であってほしいものだ。
“激白”なんて世の中オチョクルのもたいがいにしろだ。

これは本当の冗談ではと思うのだが、何と木村拓哉があろうことか宮本武蔵になるというではないか。佐々木小次郎が沢村一樹とか。春一番のドラマが生まれたらしい(?)

宮本武蔵は決して風呂に入らず異臭を放っていたと伝えられている。
風呂に入っている時は丸腰で襲われたらヤバイからだ。兵法者はそれを心がけていた。
木村拓哉も異臭を放つほどの心がけでなければ宮本武蔵にはなれない。
間違ってもメンズエステなんかに行っていたら駄目なのだ。

2014年3月13日木曜日

「負けないで」




曲名紅白順番による。

銀座カンカン娘、東京ラプソディ。
虹色の湖、銀座のロマンス。
涙の季節、スワンの涙。
涙の乾くまで、小さなスナック。
京都の恋、エメラルドの伝説。
この広い野原いっぱい、若者たち。
なごり雪、風。わかれうた、22才の別れ。
恋に落ちて、I LOVE YOU
桃色吐息、リバーサイドホテル。
春よ、来い、遠く遠く。
小指の思い出、グッド・ナイト・ベイビー。
太陽がくれた季節、星のフラメンコ。
手紙、傷だらけのローラ。
恋の奴隷、港町ブルース。
みずいろの手紙、シクラメンのかほり。
北の宿から、東京砂漠〜おいしい秘密。
喝采、見上げてごらん夜の星を。 
Jupiter、ドリフメドレー。
カブトムシ、イージュー★ライダー。
ありがとう、やさしくなりたい。
六本木心中、TOKIO
なんてったってアイドル、男の子女の子。
どうにもとまらない、Born This Way〜東京五輪音頭〜Born This Way
ひだまりの詩、Someday
愛のさざなみ、アンパンマンのマーチ。
川の流れのように、帰ろかな。
笑って許して。

55曲、この曲名を見て何人歌っている歌手の名が浮かぶか。
全然浮かばない人のために。

歌手名紅白順番による。
高峰秀子、藤山一郎。
中村晃子、ザ・タイガース。
ピンキーとキラーズ、オックス。
西田佐知子、パープル・シャドウズ。
渚ゆう子、ザ・テンプターズ。
森山良子、ザ・ブロードサイド・フォー。
イルカ、はしだのりひことシューベルツ。
中島みゆき、風。
小林明子、尾崎豊。
高橋真梨子、井上陽水。
松任谷由実、槇原敬之。
伊東ゆかり、ザ・キング・トーンズ。
青い三角定規、西郷輝彦。
奥村チヨ、森進一。
あべ静江、布施明。
都はるみ、内山田洋とクール・ファイブ〜桑田佳祐。
ちあきなおみ、坂本九。
平原綾香、ザ・ドリフターズ。 
aiko、奥田民生。
いきものががり、斉藤和義。
アン・ルイス、沢田研二。
小泉今日子、郷ひろみ。
山本リンダ、レディ・ガガ〜三波春夫。
Le Couple、佐野元春。
島倉千代子、ドリーミング。
美空ひばり、北島三郎。
そして和田アキ子。

こりゃ一体なんのこっちゃと思うでしょうが、実はこの55曲、55名の歌手&グループをたった一人で唄った本人になりきり、歌いきったのがサザンオールスターズの桑田佳祐です。
第一回の次は第二回と決まっています。
そうです、桑田佳祐のひとり紅白歌合戦です。

昨年暮れ十一月三十日、十二月一日、三日、四日の四日間、パシフィコ横浜国立大ホールで開催されたのです。
そのDVDが発売されました。一枚7000円。
第一回から五年を経て第二回が行われたのです。一人で全曲三時間半。
食道癌を手術した人間の空前絶後のエンターテイメント・ショーなのです。

恩人、知人、友人が癌と闘っています。
みんなに一枚ずつ送って上げたいと思うのですが、送ってもらった物より、自分で買った物の方がちゃんと見るはずです。

私のかかりつけのお医者さんである大野クリニックの大野俊幸先生は、桑田佳祐の中学の同級生で野球部で一緒。当然行ったと聞きました、美しい奥様と共に。

第一回のDVDは勿論私は買いました。
第二回は現在思案中、何故なら未だ第一回の興奮が染みこんでいるからです。
何しろ奇跡的な事をやってしまう超天才による、超人間的暴裂絶唱熱唱豪華絢爛抜群振付全員満足大興奮物なのです。

病は気から、決して癌に負けないで下さい。
歌って笑う事は最高の治療法といいます。ZARDの歌は今回唄わなかったけど、
♪〜負けないで、まけないでを。第三回にはきっと唄ってもらいましょう。
大野先生にお願いして。

2014年3月12日水曜日

「三月十二日に思う」




昨日三月十一日午後二時四十六分、あなたは何をしていましたか。

〇歳の子は三歳となり、七歳の子は十歳になり、五十七歳の人が六十歳になり、六十七歳の人が七十歳になり、七十七歳の人が八十歳になり、九十七歳の人は百歳になっている筈です。

あの日恐竜と化した海は、今何事もなかった様に静かに青く光っています。
野獣と化した大地には何も無くなっています。

あの日から数ヶ月はやれ炊き出しだ、やれ水だ、米だ、パンだ、缶詰だ、衣服だ、ボランティアだ。ボランティアだと集った人々は激減した。
私も衣服類と、いくばくかのお金を送ったりしたのだが、それは自分自身への気休めに過ぎない偽善的行為だった。

何をしていいのか本当のところ分からない。
PTSDとか、鬱病により自殺する人が後を絶たないと聞くと胸が痛むのだが、何をしてあげていいのかが分からない。また何をすべきかさえ分からない。

鬱を体験した人は決して被災地に行ってはいけないと医師は言う。
何故ならその惨状を見たら決定的な鬱となってしまうからだと言う。

三月十一日を題材に写真を撮りまくった写真家、詳細にスケッチした画家、ドキュメンタリーフィルムにした映像作家、劇映画にした映画人、小説に、エッセイに、テレビドラマに、歌に、詩に、短歌に、それぞれの分野の人がそれぞれの形にしていた。
哲学者と宗教家は延々と語り合った。何もかもが答えの出ない事であった。

それは、それをする事により、自分自身を慰め癒やす事ではなかったのではないか、そうでもしないと自分の中の自分が破裂して分解されてしまうからではないかと思う。

私も三つ歳をとった。
被災地の人々は「忘れられる事がいちばんの恐怖だ」という。
私は何をすべきか、出来る事なら誰か何をしろ!と命令してほしい。
命令されたからと言って、ウルセイ!黙ってろなんて決して言わない。
心底人の痛みを知り、人を癒やすという事は人間には出来ないのかもしれない。

せっかく世紀の発見!といわれたSTAP細胞について、若い学者のアラ探しをしている。
あらゆる学会の常識で若い才能は徹底的に潰すらしい。
寄ってたかってイジメ抜きをしないと、学界中で村八分にされるからだ。
 こちらは何年経っても変わらぬ学閥権威主義だ(東大、京大が早稲田にしてやられる訳にはいかねんだと)。

3.11の時、とっかえひっかえ出て来て原発は安全安心ですと言ってた学者たちは、今何をしているのだろうか。生きていれば三つ歳を加えている筈だ。

私の敬愛する演出家が難病と戦っている。
いち日でも早く再生医療が始まる事を願っている。
もしかして他の遺伝子細胞を作っている人々が、STAP細胞を作っている人々を×××にしてやるなんてと、穿った事を思ったりしてしまう。

悪魔はモナリザの如く優しく微笑するという。

2014年3月11日火曜日

「米と刃」


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おじいちゃんを、おばあちゃんを。
父を、母を。
兄を、姉を、弟を、妹を。
息子を、娘を。愛する人を。
尊敬する恩師を、親友を、夫を、妻を、社長を、同僚を、後輩を。
大好きだった先生を。
漁師さんも、農家の人も、大工さんも、床屋さんも、お肉屋さんも、八百屋さんも、お豆腐屋さんも、ラーメン屋さんも、洋品店も。

何もかもの日常があっという間に消えてしまった。
大地震、大津波、原発破壊、放射能汚染。
天災であり、人災であり、文明災である。

一万数千人が死亡し、今なお二千五百人以上が行方不明だ。
十数万人が現在も帰る場所がない。

世界で唯一の被爆国である日本に、五十四基の原発があり、続々と再稼働を申請している。巨大災害は今後数兆円、数十兆円、数百兆円の巨大復興利権と化した。
本年度予算だけで三.三兆円、それに群がる邪悪な人間たち。
放射能は数十万年消える事はない。

その内に何度も何度も大地震、大津波、原発破壊、放射能汚染を繰り返し、日本は本当に沈没してるやもしれない。何しろ世界で最も危険な地震帯の上にある列島なのだから。
今から一分後かもしれない。今夜かもしれない。明日か明後日かもしれない。
その日は必ず来る。


やり場のない悲しみと怒りを、国全体も国民全体も共有していない。
既に風化が始まり、他人事の様に語り始めている。
自分たちとは関係ないや、仕方ないや、やっぱり原発が無いと24時間電気は使えないし、電気代は上がるし、景気は良くならないからと。

東日本大震災を風化させてはならないと、日本を代表するグラフィックデザイナー浅葉克己さんと、鉄のアーティスト小谷中清さんと創った四メートルの鉄骨のモニュメント「祈りの塔」は、様々な条件と規制で今も小谷中さんのアトリエの中にある。
何としてもどこかに置きたいと思っている。

無毛な論争を止めねばならない。責任のなすり合いを止めねばならない。
一年三六五日、日本全国のテレビからあの津波のシーンを見せ続ける位の事をしないと風化してしまうだろう。午後二時四十六分を東日本大震災の時間としなければ駄目なのだろう。

阪神淡路大震災を語る人は、その被害にあった人々以外少ない。
一度ある事は二度ある、二度ある事は何度でもあると伝えられて来ている。
そしてそれは歴史として証明されて来た。
許されざる者たちは、あろう事か他国へ原発を輸出しようとしている。
神をも恐れぬ行為といえる。天罰以上の事がその者たちを襲うだろう。

 否、悪い奴ほどよく眠るというから、許されざる者たちは大きなイビキをかいて枕を高くし熟睡しているかもしれない。
人は育てた様に育つというから、誤って選んだ人間が政治を行えば、誤った様に国も育って行くのは必然だろう。

この三年間どこのテレビ局が風化させまじとドキュメントを放送したのかをチェックしてきたが、一位は日本テレビ、日曜深夜のNNNドキュメント、次がNHKスペシャル、その次がTBSの報道特集、その次がテレビ朝日の報道ステーション。
残念ながらフジテレビとテレビ東京にはその姿勢は殆ど無かった。

NHKは原発反対の気骨ある人間を、この春の人事であっちこっちに飛ばすと聞いたから、今後激減するだろう。
会長籾井勝人の「籾」という字は、「米」を「刃」で切り落とすの意味にもとれる。
日本は古来「米の国」だから、国を切り落とすのがその役目なのかもしれない。