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2014年6月24日火曜日

「どんどん丼々」






うな重に、トンカツ、ビールにケーキ、ラーメンにギョーザ、ケンタッキーフライドチキンにジントニック、ウルトラビッグマック、お寿司に天ぷら。

野菜炒めにニラレバ炒め、ウーロンハイにハイボール、スパゲッティにピザ、コンビーフにツナ缶や牛肉大和煮缶、日本酒にワイン、テキーラにタコス、チーズにバター、シャンパンにマティーニ、焼き肉フルメニューに、天丼、牛丼、親子丼、その他丼々。

すき焼きに寄せ鍋、野菜サラダに野菜焼き、お好み焼きに焼きそば、お刺身におでん、ヤキトリに焼酎。

これを全部食べたい時に食べれるだけ食べても全然OKという先生がいる。
免疫学の権威で、順天堂大学医学部特任教授(医学博士)の奥村康氏だ。
「粗食が身体によい、腹八分目にしなさいなどといいますがとんでもない話です。健康管理をしっかりしている真面目な人ほど、不健康になっている可能性があります。コレステロール数値を心配する人も多いですが、気にする必要はありません。検査の数値をあまりにも気にしすぎるのは、かえって病気になりやすい」

なぁーんていう自説というか学説(?)を「逆張り健康法」というらしい。
著書も出している。この手の話は本屋の棚に数メートル位ある。

コレステロール値が低い人程うつ病になるというのは確からしい。
早い話、検査の数値は人それぞれに解釈すればいいのだ。
遺伝子も、体型も生活環境も、性格も一人ひとり違うのに、数値でひとくくりするのは参考になれど当てにはならない。
標準値をオーバーしていれば次々と薬を処方されるハメになる。
太った家系に生まれれば太るのが当然だから無理に走ったり、ジムなど行って痩せる事は危険な事なのだ。

人間は動物である事を忘れてはならない。それも何でも食べる地球上唯一の動物なのだ。好き嫌いを言わず、食べたい物を食べて寝る、酒の量も一人ひとり違うのだから、それぞれ適量を飲めばいい。禁酒などするとかえってストレスが溜まってイライラするだけだ。

日本人は肉より魚なんて言うのを信じ切っている。
青い魚を食べると頭が良くなるなんていう馬鹿な話を信じて、毎日、サバ、アジ、サヨリ、コハダ、イワシばかり食べたが頭が良くなったという話は聞いた事はない。

人間の寿命は実のところ生まれた時に分かるらしい。不慮の事故などに遭わない限り。
余方もない暴飲暴食をしない限り、過剰な塩分摂り過ぎの食生活をしない限り、生まれた時に決められた命の中で生きられるはずだ。
糖分を余り摂らないと頭の動きが悪くなるのでしっかり摂った方がいい。


と、まあ自分に都合よく解釈して、目の前に出て来た物を食べる事にする。
それが一番というのだろう。プリン体が痛風になるなんていう話はすっかり後退している、原因は遺伝子だったのだ。
日々食べていた物を検査の数値を気にして止めてかえって病気になった人が沢山いる。
また痩せるために慣れないランニングを始め、足腰をガタガタにしてしまった人も沢山いる。

百歳まで生きた殆どの人は何もしない、一杯酒を飲み、好きなものを好きなだけ食べて、よく眠ったそうだ。健康オタクほど病気になるというのが医学界の常識となって来ている。だがそれでは病院は儲からない、で、いろんな数値が提示されて行く。


私もそろそろ定期健診だ。
不思議な事に頭の中は異常なのに、あらゆる数値は殆ど正常値以下なのだ。
これを記しながらサッカーW杯を見ている。

現在六月二十四日、午前五時四十七分十二秒、ブラジルのネイマールが前半だけで2ゴールを入れた。腹が減ったのでカレースープをいただく事とする。
ニュースでサントリーの次期社長にローソンの新浪氏と出た。
創業家以外からの起用、オーナー会社ならではとはいえ、凄い事を次々と繰り出す会社だ。保守的経営をしているところは、グローバル化する時代から取り残されて行くだろう。

2014年6月20日金曜日

「土壇場力」




試験で100点を取るのは難しいが、サッカーで一点を取るのも難しい。
日本対ギリシャの戦いは、神話の国日本とギリシャ神話の国との戦いであった。
ヤマトタケルとかスサノオノミコトがいたら、アキレスとかヘラクレスがいたらいかなる戦いになっただろうか。

0対0の引き分け、相手は一人退場で、11人対10人、でも一点が果てしなく遠かった。
走力、突破力、飛力、決定力が世界レベルではない事がハッキリわかった。
狩猟民族と農耕民族の差が歴然とあった。
レフリーが一人退場となったチームから、中々次の退場を出さない事もわかった(何度も反則があった)。

日本的に言うならエクアドル人レフリーの武士の情けなのだろう。
日本コロンビアレコードという会社がある。そこには美空ひばりという大歌手がいた。
♪勝つと思うな 思えば負けよと“柔の道”を唄った。

次の対戦相手はコロンビアだ。
もう後がない、♪敗けると思うな思えば敗けよだ。人生の最後に成功を治めた人間が必ず持っていたものに「土壇場力」というのがある。何事も諦めてはいけない。
人間には火事場の馬鹿力というのも用意されている。

「戦争か平和」か、日本国憲法の行方が土壇場に差し掛かっている。
こちらの戦いからも目が離せない。相当に危うい状況なのだ。無関心は国を滅ぼす。

2014年6月19日木曜日

「熱いものは熱い」


イメージです 


その姿を見た時、中華料理店で“小籠包”や皮ものを食べる時は十分気をつけねばならないと思った。

その日、私は友人と中華料理店でランチをしていた。
私は五目麺をオーダーし、友人はワンタンと小籠包をオーダーした。

元々私は小籠包が大好きであったのだが“ホタテアレルギー”体質となり、もしかしてホタテが入っていたりすると全身がカユイカユイ状態になってしまう。
それ故残念ながら“焼売”も控えている。

友人と話が弾んだ。
サッカーは手を使ってはいけないスポーツだと思っていたが、実は一番“手”を使うスポーツである事を知った。つまり汚い手だ。
つかむ、ひっぱる、殴る、ひっかく、しがみつく、突き飛ばす、突き倒す。
ハイスピードで見ると様々な反則をお互いに繰り出す。

私はサッカーは詳しくなかったのでその友人から聞いた。
料理が運ばれて来て、私は型どおり五目麺を見つめ、まず何から手を付けるかを考え(ホタテは抜いてもらった)まずはレンゲでスープをすすった。
少し遅れて友人の小籠包が竹の入れ物に入って運ばれて来た。
丸い蓋を外すと湯気の中に小籠包が四ケ入っていた。
ワンタンがクラゲみたいにユラユラしていた。

アッチ、アッチ、アチチチ、アッツゥーと友人は口の中で小籠包をフギャ、フギャさせた。皮に包まれた中にアツアツの肉汁があり、用心深く二分割にしないでいきなり小籠包を攻撃したので相手が反撃したのだ。

やっぱり中国とは仲良くしないといけない、また用心深く付き合わないといけない事を知った。友人は、何だこれはやけに熱いじゃないかと、小籠包の法律では当たり前の事が、当たり前じゃだめみたに、フギャ、フギャつぶやいて水を一杯のんだ。

その店の小籠包はこじんまりしたサイズではなく焼売ほどの大きさであった。
仕方ない、ワンタンを攻めるかとレンゲにワンタンを乗せて口に運んだが、これがまた熱かったようで再びアッチ、アッチチとなった。聞けば猫舌との事であった(?)

中華料理の中で皮を使っているのは“春巻き”もあるがこれも十分気をつけねばならない。
当然私はその姿を観て大きく笑った。五目麺には伊達巻が、イカが、うずらが海老が、カニが乗っている。ベビーコーン、竹の子、キクラゲ、白菜、シイタケ楽しみいっぱい。
それを丁寧にずらして麺を箸に絡ませた。
友人は小籠包を箸で二分割にしていた。勿論、フーフーしていた。

2014年6月18日水曜日

「もう一つのドア」




法律の掟の中に“共同正犯”という罪がある。
例えば七人で本屋さんに入った。その内の一人が本を万引きした。
残りの六人はそれを知らなかったと言うが、防犯カメラには六人が万引きした人間の事を知っている様であったり、見方によっては万引きに気が付かなかった様でもある。

一人の人間は入り口付近でキョロキョロしていた。
一人の人間は首が痛かったのかグルグル回していた。
一人の人間は大きなトートバッグを持っていた。
一人はチューインガムを一枚噛んでまた一枚口に入れた。
一人はメガネのレンズをハンカチで拭いていた。
一人は本棚に手をかけメールを送っていた。

万引きしている一人は本屋さんたちの憎き大敵、常習犯であった。
持って来た大きな紙袋の中に布袋を入れていた。
パッコリ開けたその中に高価な本を選び次々と入れていった。
何個かある防犯カメラは鮮やかな手口を見つけられなかったが、一台がかろうじて一冊の本を入れたのをキャッチした。七人はゾロゾロと店を出た。

万引きした人間は当然お金は支払わない。
店を出た後モシモシちょっと待ってとなった。店員二人が紙袋の中の布袋を見せてもらうと、そこには十数冊の本が入っていた。実にあっさり万引きを認めた。
ありがとうなどと礼を言った。万引きした男は駆けつけた警官に連れて行かれた。
万引き人間は警官にも礼を言った。

後日、六人の人間も警察に捕まった。
が、六人は本当に何も知らないと言い続けた。実は本当に知らなかったのだ。
キョロキョロしていたのは彼女を待っていたから。
首をグルグル回していたのは前夜寝ちがえていた。
トートバッグを持っていたのはいつも持っていた通り。
チューインガムはいつも噛んでいるから。
メガネのレンズはくもっていたから拭いただけ。
本棚に手をかけてメールしていたのはその方が楽チンだったから。

実はこの七人はフェイスブックで知り合い、その日初めて会っただけ、分かりやすい本屋の前で会い、残りの人間が来ないので、まあ本でも立ち読みしましょうやと店内に入ってウロウロしていただけであった。

で、結果は主犯一人、他の六人は“共同正犯”となった。
その理由はそれぞれの行為や仕草が万引きを助けるサインであった、また囮であったと決められた。ウソッー、信じられねえ、ジョーダンじゃネエーと言い張り起訴された後、法律と長い間闘った。

主犯は勿論刑務所に。
前科十一犯、全て万引きであり、全て本屋さんであった。
無類の読書好きで刑務所が何より好き、いちばんゆっくり読書が出来るとうそぶく男であった。あんまり刑務所に入りたがるので、入る度にオメエーは本ばかり読んでいるからシャバに出ろと、出されてしまうのであった。
その度に頼みますから刑務所に置いて下さいと泣いて叫ぶのであった。

実はこの話は私の作り話。
先日有隣堂という本屋さんに入りウロウロ本を探しながらフト思いついたのです。
映画にしたら面白いかもと思ったのだが???マークが多いので考え直しです。

STAP細胞の小保方さんを主犯にするなら、共著に名を連ねた他の博士たちはみんな、共同正犯なんだよ、科学者も信用出来ない世の中は困ったもんだ。
STAP細胞はあります”を信じています。例え私一人でも。
難病と戦う人々の思いを込めて。

〈神が一つのドアを閉めたら、もう一つのドアが開きます〉立ち読みの本で知った言葉です。

2014年6月17日火曜日

「超絶の映像」





映画館のカタログの解説を記す。
「ヴァンデ・グローブ」四年に一度開催される世界唯一の単独無寄港世界一周ヨットレース。
南半球一周およそ26千マイル(約48,152km)の航程をおよそ100日間かけて帆走する。

フランスの大西洋岸のヴァンデ県レ・サーブル=ドロンヌ港を出発後、大西洋を南下、喜望峰を抜け、南大西洋を出て、南米大陸のポーン岬と南極大陸の間にあるドレーク海峡を抜け、再び大西洋に入り北上、レ・サーブル=ドロンヌに帰る。
強烈な風、強烈な荒波、無援助で長期間、緊急処置も及ばない航路を走る非常に危険なレース。

 2012-2013のレースに最年少で優勝した29歳のフランソワ・ガバール氏が打ち出した新記録は782時間16分。途中いかなる外部からの物理的援助は受けられない。
医学的アドバイスのみ通信で得る事が許されている。
レース中にスキッパー(舵を握る者の事)以外の人が乗船すると失格になる。


このレースを丸ごと映画にしたとんでもない映像を観た。
題名は「ターニング・タイド/希望の海」監督:クリストフ・オーファンスタン、撮影:ギョーム・シフマン。一日一回だけの上映。新宿シネマカリテ。
ミニシアター、座席数80(満席)外は土砂降りの雨。

ヨットに全く縁遠いのだが、会社の顧問をしてもらっている方が、有名なヨットマン。
その方の部屋のカレンダーに荒波と戦うヨットマンの写真がある。
遠くから見ると、どこかのどかに見えるヨットレース。実はこれが死闘なのだ。
自然という猛獣と戦うのだ。風速数十メートルの中でヨットに乗っていると思えばその過酷さが想像出来るはずだ。

緻密な作戦、戦略、技術、強靭な体力、強固な意志、強烈なプライド、勇気と冷静、自分自身を守るのはスポーツマンシップと絶対的哲学だ。海は一切容赦しない。
一瞬の油断が致命的となる。

今週からラッセル・クロウ主演の「ノア 約束の舟」が上映され始めたが、現代のノアの方舟みたいな宗教的メッセージを感じた。大洪水の中で約束の地を求めたノアの方舟。
人間と動物たち。この映画ではその動物に変わるアイディアが用意されている。
フェアプレー精神が現代人から消えて行く。
自分のプライドとは何かを考える事すら引き出しの中に閉まっている。

この映画を作った人々に大拍手!大喝采!を送りたい。
実際のレースと同じ様に設定をし、二ヶ月半をかけて撮影したとカタログに書いてあった。もちろん命懸けだ。フランスの映画野郎たちは本当に素敵だ。

ヨットをこよなく愛したという「石原裕次郎」がこんな歌を唄った。
♪海の男はいく 強者はいく〜と。海、男、風、荒波、強者、家族、友情。
この映画の結末は、現代人が忘却してしまった強者が、大切な事を教えてくれる。
近々全国順次公開。ぜひ観てほしい。感動的なラストだ。

ボブ・ディランの名作「天国の扉」がカバーリングされて流れる。
♪ノック、ノック、ヘブンズドア ノック、ノック、ヘブンズドアと。
泣けて来てしまった。早速顧問の方に観ましたよと電話をした。

2014年6月16日月曜日

「ドログバと包丁」




棚からぼた餅、みたいなワンチャンスにこりゃおいしいと左足で蹴ったら初ゴール。
日本中を熱狂させたのは本田圭佑選手だった。

が、輝いたのは前半の16分迄。
元日本代表監督トルシエがこうコメントした。
日本の敗因は“本田”と“香川”が動かず、機能していなかった。

高温多湿、熱帯林の中で戦うには日本人の体質は前半でヘトヘト、バテバテになってしまった。特に本田選手は殆ど思考停止、ただウロウロしているだけ、たまにボールを持っても直ぐに奪われてしまう。

ザッケローニはずっと“ホンダ、ホンダ、ナンダ、カンダ、ドーナンダ”と叫び続けていた。もっと動け!ボールを取りに行け!と。
試合後選手たちは前半ですっかり疲れちまったと口々に言った。

バカ言え、プロだろう、泣きを入れるなと思う。そう思っても、それを言ったら終わりの言葉なんだから“ドログバ”なんていう怪獣が入って来たら全員ブルってしまってオドオドになって二分間で二失点、で敗戦決定となった。

丸々徹夜して見た私もヘトヘトになってしまった。
ハッキリ言って四年前のワールドカップより弱いチーム、バラバラのチームである事が分かった。当然チームの輪、サッカーで最も大切なチームの規律を壊しているのは「本田圭佑」である事は間違いない。

自分の部屋で見ていた熱狂的日本ファンの愚妻が二階から降りてきて言った。
「野獣に勝てるわけないわよ、全然スピードが違うわよ」まだ試合時間が残っているのに、ジャガイモの皮を剥き始めた。

オー攻めた、チャンスだと言っている後ろで包丁を握りしめながら突っ立っていた。
ヤバイ、アブナイ、ドログバと包丁であった。技術以前の問題があると思った。
フィジカル、メンタル、つまりは体力と精神力、四年前にスターとなった選手たちはすっかりハングリーさを失っている。

CMに何本も出てフトコロはゴッツく重くなった。
その重さが動きを鈍くしてしまっているのだ。本田圭佑をザッケローニ監督は過信せず、早めに交代させてやる事だ。それと若手の大胆な起用だ。

それにしても人類は野獣であった事をドログバという魔王みたいな人間に感じた。
きっと、ノアの方舟の“ノア”はこんな男だったのだろう。

愚妻の包丁がギラリと光った。左手には人参を持っていた。
次の相手はギリシャ神話だ。
それにしてもTVのニュース映像で風呂に入り、チンポをブラブラ揺らせながらサッカーの応援していたオッサンたちの姿に、ガックリ来てしまった。

2014年6月13日金曜日

「オウンゴールはダメ」




「川田晴久」年配の方ならこの名を知っているはずだ。
スーパースターであった。
“川田晴久と東京キューバンボーイズ”というグループのリーダーであった。

あの美空ひばりが、お兄ちゃんと慕ったボードビリアンである。
大ヒット曲は、♪地球の上に朝が来た その裏側は夜だろうと…。
物理化学が①だった私にも分かる定理だ。

あの頃日本の裏側にあるブラジルには夢を抱いて移民する人々が多くいた。
日本人は路地でキャッチボールや缶蹴りやダルマ落としや馬跳びをしていた。
サッカーなどは誰もしてなかった。サッカーは貧困の中で生まれたといってもいいだろう。グローブも、バットも、スパイクもいらない。
体と足と丸い固まりさえあれば、貧困の中からスーパースターを生むことが出来た。
素足でボールを蹴ることを体得した少年たちが世界中に飛散した。

今日から♪東京の上に夜が来た その裏側のブラジルは朝だろうとなり、初戦ブラジルVSクロアチアがキックオフとなった。
不眠症の私にとっては非常に難しい時間割だ。
何しろいつも眠る時間に試合が始まるのだから。ずーっと起きていなければならない。
通常4時か5時に眠りにつく準備をし、3時間半か4時間半で目が覚める。

さぁ、どうする、録画で見たくてもその方法を知らない。
北原みのり氏というライターが朝日新聞のインタビューでこんな事を話していた。
テレビのバラエティ番組に出ていた安倍総理が、イチゴをフォークでわざわざ半分にして食べていた。この違和感て何だろうと考えたら、安倍さんは子どもなんだと思い至った。私の不眠症なんていずれ永眠すればいんだが、日本国を再び戦争に向かわせてはならない。

たった一人の独裁的子どもに誰も逆らう気力も、根性も、方法論も持ち合わせない。
リベラル派というのが存在するなら、今こそその名を高める機会だろう。
閣議の時に署名しなければクビにされるが、後世までその名を残すだろう。
また次のリーダーとなる道が大きく拓けるだろう。根性だよ、根性。
子ども的リーダーは、攻めている時は調子よく見えるが、ケツまくられて守りに回ると、急にオドオドしてしまうものなのだ。日本をオウンゴールで敗戦させないために。

京都にいるヘアメイクアーティストの友人が、鹿肉と猪肉と無農薬で育てたニンニクをごっそり送ってくれた。食べ方を詳しく書いてくれてあった。
それを食べた私の体は“ケモノ”と化している。イノシシの竜田揚げは絶品だった。
顔に似合わずその味は実に繊細なのだ。

2014年6月12日木曜日

「救世軍の女」




神もいない、職もない、金もない、家もない。
その男には、過去もない。

記憶を失っているからだ。
コンテナに住む貧しき人々。五十代の男と五十代の女
救世軍の制服を着た女は一片のパンとスープを行列の男たちに与える。
そこで出会う。何かが二人を引き合わせる。

七十代の女性、顔はシワ、シワ、シワ。まるで葉脈の様に入り乱れてある。
貧しき人々はこの老女の歌に聴き入れる。男と女も。

♪〜人の心とは小さなもの より処のない未知の地 そこでは人は壮大な夢を見る 愛と憎しみをからませて 喜びや哀しみを味わい尽くし 恋に燃えては 毒矢に射られる すべては小さな心で起こること 幸せも喜びも 浅はかな考えも 高邁な理想も 燃える感情も 凍てる感覚も すべては小さな 心で起こる 

君の目に何かがついているよそう言って男は女の顔に近づき目の脇に口づけをする。
不美人でやせ細った救世軍の女は、一度も恋の炎を燃やした事がなかったのだろう。
それまで固く構えていた無表情の女は、いつしか“初恋の人よ”と切なく言う。
また人生は後ろに向かっては進まないわよと。

アキ・カウリスマキ監督の名を世界に知らしめた、カンヌ国際映画祭パルムドール賞(最高賞)受賞作品。「過去のない男」小津安二郎を敬愛するというフィンランドの監督の作品には、ただ一語も無駄がなく、教訓があり、諧謔があり、哲学がある。

どん底で生きる人間にも恋が芽生える。過去を失った男は未来に向かって歩き始める。
救世軍の女と手を握り合って。現在この監督を再研究中である。

六月十二日午前二時二十二分三十七秒。外は、雨、雨、雨。
六月の雨は情緒がないので嫌な雨だ。