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2014年9月17日水曜日

「オッサンのせいで」




秋の日はつるべ落としというが、どんどん日が短くなっている。 
10月になると午後5時にはほぼ暗い。

時間がほしい、そんな落ち着かない気分でいたら、イオンがはやおせち料理を受け付けているとか言い出した。
もうすぐ「ふぐ」はじまりますという絵葉書が来た。
先日「かき」がいよいよという折込チラシが入っていた。


なんだか落ち着かない。
東京駅発沼津行きの列車に乗ったら隣に「アサヒスパードライ」と「サントリーストロングゼロ」の缶入りと、黒いでっかいバッグを持った、四角い顔の56歳位のオッサンが発車間際に乗って来た。座るなり缶を開けて飲みだすわ、バッグからつまみの袋を出すわ、小さなタオルを出すわ、ガサゴソ落ち着かない。

あ〜ついてねえやと思っていたら新橋から知人が乗って来た。
で、降りましょ、降りましょ、一杯やりましょといって列車から降りた。
お互いに沼津行きと熱海行きはイヤダネーといいながら駅下のすし屋で一杯、二杯、会社の人間と中華を食べた後なのでおなかはいっぱいだった。

今日の地震はけっこう大きかったねえ、どこに居たのと地震の話、ヤンキースのマー君のヒジは大丈夫なのかと野球の話、サッカーの本田が二試合連続でゴールを入れたねとサッカーの話。シメサバを頼んでつまんだが味はイマイチ。

お相手は不動産販売関係の人、消費税値上げ後マンションが50%近く販売減だといった。大変お世話になった積水ハウスもダイワハウスも大幅減。
こんな状態で消費税を10%にするなんて何を考えているんだとなった(ハウジングがダメだと全部ダメという方程式がある)。

ほんの一杯が二合となっていた。
あのオッサンはいまごろ大船か藤沢あたりだなと思った。日がどんどん短くなってきたねという話題になった。銀座の消費者行動の話になった。

この話題となるともう一本追加となった。この一本を飲み終えるころ、あのオッサンはきっとグーグー寝ているはずだ。イカのゲソ焼きは少し旨かった。

2014年9月16日火曜日

「表と裏のないもの」



世の中というのは、表と裏、善と悪、ウソとマコトによって成立している。
人間は誰も表だけでなく、善だけでなく、ウソをつかない人は一人もいない。

1%の大企業だけが景気がいいといい、99%の中・小・零細、個人会社は不景気で怒りの声をあげる。
毎日の生活は増税、増税、値上げ、値上げでやっと政府が大ウソをついて来たことを知り家庭をあずかる主婦たちから、どないなってんのや、え、“責任者を呼んで来い”なんてボヤキ漫才の巨匠だった故「人生幸朗」さんの決めゼリフを思い出した。
主婦を敵に回す政権は必ず壊れていく。

九月十五日敬老の日、国民の四人に一人は65歳以上になった。
これはウソでなくホントの話だ。この日やっぱり君たちは表と裏、裏と表がないんだと再確認した(かつて拙著に書いたから)。君たちとはおでんの種のこと。

敬老の日、食卓には「ザ・おでん」が出た。大根・がんも・ハンペン・コンニャク・シラタキ・チクワブ・チクワ・サツマアゲ・ゆで玉子・お豆腐・牛すじ・ウインナー巻き・イカ巻き・ゴボウ巻き・つみれ・スジ・サトイモそしてバクダン・どれをひっくり返しても裏表がないんだ。これほど真っ正直な料理はない。
みなさんこれからおでんが美味しい季節だからよく見て下さい。

ヤキトリを買って来た。レバー、ボンジリ、カワ、タン、砂肝、ナンコツ。シロ、ハツ、シシトウ、ネギ(イカダ)ギンナン。オッこれも裏表がないではないか。
と、いう訳で敬老の日は真っ正直なごはんを食べたのです。

孫娘がコーヒー味のクッキーを焼いてくれました。
これも表ばかりで裏がありませんでした。小さな秋には、小さなシアワセがいちばんなのです。

さあ、10月30日(木)いま進めている大仕事のオープンだ。
大きな秋を目指してラストスパートをかけるのだ。いずれみなさんにご報告、その時は何卒よろしくお願い申し上げます。裏表なしに心からです。


2014年9月12日金曜日

「次はNHKか」






911日(木)朝日新聞夕刊。名物コラム「素・粒・子」。

私にいわせると(何度もいっている)ダメな朝日の象徴的コラムだ。
慰安婦問題訂正の記事、原発事故吉田所長の発言に誤りがあったスクープ記事、池上彰氏のコラムへのジャーナリズムとしての裏切り行為。

テレビでは社長が謝罪会見、近々辞任するであろうという当日にこんなノー天気な記事を書いていた。その記事を紹介する。

パブコメとはなんぞや。川内原発に18千件、秘密法には24千件。意見の山をものともせず進撃する国策。
☆もう勝負はついた。辺野古は「過去の問題」と官房長官。対決は本土対沖縄?
10ルクス攻防。明るければ深夜も踊ってよし。風営法からダンスをはずすクラブに光りあれ。レーザー光線全開で。(原文ママ)


バカヤロー一日も早く記者を辞めろといいた。
反省まるでなし、こんなの書いて年収ん千万。毎日社旗をなびかせて走る高級社用車利用、昼に出社して高級ホテルで女性と高級ワイン&ランチ、チョロチョロ書いて夜は銀座、赤坂、六本木、西麻布で豪遊だ。

ふざけんなマジメにやっている記者だっているんだ。
雨の日も、風の日も、大雪の日もちゃんと配達してくれる新聞配達のオジサンに詫びを入れろっていいたい。あーこんなこと何回も書いている自分がかえってバカじゃねえのかと思ってしまった。

社長以下役員全員、論説委員全員、社説、天声人語、そして素粒子を書く者たち辞任すべしだ。もしかして解説委員なんていう奴もいたかもしれない。
しっかり朝日のダメさ加減を解説して、君たちも辞めなさい。
立ち上がれ正義に燃える若き記者たちよ。

2014年9月11日木曜日

「ドスコイ・ドスコイ」


逸ノ城


健康なスポーツマンと、長生きとはあまり関係ないんだなという悲しい死亡記事を読んだ。 

1964年東京オリンピックの最終聖火ランナーであった坂井義則さんが10日未明69歳で亡くなった。私と同じ年である。
坂井さんは最終聖火ランナーに選ばれた位だからスポーツ選手の見本のような人であった。当時早大競走部一年生、短距離で五輪強化選手に選ばれた。
代表選手にはならなかったが、聖火ランナーの代表となった。

その頃、私といえば坂井さんをまぶしく見上げるような生活をしていた。
酒をバカスカ飲み、麻雀をジャンジャンしていた。
20歳になったらこんな生活とオサラバだと思いつつ、友達とそれポンだ、チーだ、それロンだ。なんてやりながら、オイ、あのオリンピックのポスターはいいなあ、グラフィックデザインだってヨォ、オレたちもやるかそのデザインてやつを、と語り合った。

不健康な毎日を送っている男たちにとって坂井義則さんは別世界の人間に思えた。
本来であれば健康なスポーツマンの方が私より先にあの世に走って行ってはいけないはずだ。健康オタクみたいに食事に気をつけ、日々歩き、日々走り、日々ジムで汗を流し、酒も飲まず規則正しい生活をし週末はスポーツを楽しむ。
なんて理想的なんだろうか、あの人は、あいつはと思っていた人たちが、次々と私より先にあの世に走り去って行く。
私はとても罪悪感を感じているのだ。

坂井さんなんかには100歳まで長生きしてほしかった。
長生きしたい人の見本として。こんな言葉を思い出した。
100歳を迎えた長寿老人にインタビュアーが、長生きのコツはなんですかと聞くと、何もしないで毎日好きな酒を飲んで、大好物の天ぷら食べてきたんだよ、ワッハハハと応えた。

私がいっとき通っていた辻堂駅前のゴールドジムで骨と皮になりながら、一日2時間以上、時速10キロ位のスピードでガッタンバッタン、グイグイ走っていた45歳位の女性がいた。
もうこれ以上は痩せられない体になっていたが、ジム中毒になっていた。

ある日、中華そば屋の若主人(この人もジム中毒だった)にあの骨と皮のヒトまだ走ってんのと聞いたら、あのヒト心臓発作で死にましたよと行った。
皇居の周りで列を作って走っている人たち、くれぐれも気をつけて下さい。
夜のスポーツはホドホドに。

ちなみにおすもうさんの平均寿命は56歳位なんだと。
結構長生きなんですね?14日日曜日は大好きな大相撲の初場所だ。
遠藤と逸ノ城の時代が来るぞ、みなさんの健康長寿ドスコイ、ドスコイ。

「ハトとタカ」






天地左右、四方八方、値上げ値上げで、あーよかった。
これでデフレ脱却だ、なんてノー天気な国は世界広しといえども日本国だけだ。
消費税アップでそこいら中便乗値上げ。

財務省は来年度更に消費税を2%アップして10%にするはずだ。
日本銀行なんて財務省の手のひらの上に乗っているコバエみたいな存在、いつでもチョロチョロすんなと叩き潰せるのだ。日本国最強の財務省を敵に回す政治家はいない。

財務省の子分には金融庁や国税庁がある。
ガタガタいう奴は、たんまり集めてある金銭まみれのスキャンダルをチラチラ出されて、一発でシュンとなってしまう。
経済は急降下しているのに、余りの甘利は台風のせいとか、豪雨のせいとかで逃げを打つ。GDPも誤魔化すが、誤魔化しきれないほど酷い事になっている。
貿易収支などはメッタメタの赤字続きだ。これがよその国なら暴動が起きている。

勤勉な日本人がギューギューの満員電車にのり、遅刻もせず約束も破らず世界一真面目に働いているのに、なんで世界一の借金国になってしまったんだ。

財務省の使い走りになっている、麻生太郎。
この政治家も元総理大臣だったのに座布団の位置を下げられてしまった。
お公家集団と言われた派閥が宏池会だ。
宮澤喜一、麻生太郎、谷垣禎一と総理、総裁経験者が貫目を下げた。
ハト派といわれる宏池会の人間ばかりだ。

あの人は大酒乱で英語でからむといわれた今は亡き宮澤先生、減らず口ばかりで口がへの字になったといわれる麻生先生、大好きな自転車で大怪我をして花札の赤タン、青タンみたいになった泣き虫の谷垣先生。
しっかりしてくれよ、たのんまっせなのだ。だが期待はできない。
何しろ宏池会の生みの親である、故池田勇人総理は、“貧乏人は麦を食え”と堂々といった人なのだから。

ハト派集団とタカ派集団を大増税で手を握らせたのだから、財務省は笑いが止まらない。霞ヶ関のお役人目当ての個人タクシー(チョーチンが多い)の運転手さんがこういった。最近財務省の方のタクシー利用がグンと増えましたよと。まさかまた冷えたビールを出したりはしてないと思うが(相変わらずタクシー券を誤魔化しているといっていた)。
それにしても夜の銀座、赤坂は空車ばかりですよとボヤいたのであった。
 
運転手さんは1000円ポッキリのお客の私に、ご乗車ありがとうございましたとご丁寧にあいさつをして走り去った。2050年頃、この国で年金を無事もらえる人は一人もいないかもしれない。ハトは必ずタカの餌食になってしまうだろう。

(文中敬称略)

2014年9月9日火曜日

「極ゼロ」






世の中食べるだけ食べて、飲むだけ飲んで、腹が出てきてやばいやばいとダイエット。
歩く、走る、サウナに入る、ジムで汗を流す、健康器具を買いまくる。
高いやせ薬を買って飲む。

先日炭水化物を止めてジョギングをして劇的にやせたセブンイレブンの店長に会った。
マイナス18キロ、信じられない程スリムになり、野性的になっていた。
余程強い意志がないと、ラーメン、焼きそば、おすしやかつ丼、うな丼、天丼、天津丼、マーボー丼から逃れられない。

ならば捕まる他ない。
刑務所は確実にダイエットが出来る所だと栄養士の先生はいう(私は入った事はありません)。野菜を増やし、油を控え、朝食を抜かず、間食をせず、夜食は慎む。毎日規則正しい食生活ができるのだ。

当然晩酌はない。お昼にビールを一杯も絶対ない。
チャーシューメン、ワンタンメン、サンマーメンやジャージャーメンもない。

ある日の昼食のメニュー。
7割と麦3割ののメシ。ホッケ半身焼き、フキの炒め物、長芋の短冊切り、具少々のみそ汁。それを試験的に食べた人は、何だこりゃ、エライ旨いやんけ、メシなんか全然臭くないじゃん。えっ、一日成人18002200キロカロリーだと。
それでは反省できんじゃないのと、たいがいの人はいうらしい。

現在では懲罪から矯正に比重を移し、出所後のギャップを防ぐという。
不届き者がいてシャバではダイエットができない。
で、小さな事件を起こしては、ダイエット入所をするという話は聞いた事がない。
が、これからは出てくるかもしれない。

知り合いの警察官の話では、この頃ホームレスの老人たちがコンビニやスーパーでガム一個とか、りんご一個とかを万引きしてわざと捕まるというのが増加中とか。
留置場に入れば、ホームレス狩りにいじめられることもなく、三食きちんと食べれるし、風呂にも入れるからだ。ダイエットを気にしている老人はいないとの事だった。

東京駅八重洲中央口交差点横に何人かのホームレスがいる。
昨夜午後十時四十分頃、ダンボールを広げ酒盛り中であった。
5人の内3人がプリン体ゼロ、糖質ゼロを売りにした発泡酒を飲んでいた。
「極ゼロ」だった。きっと長生きするために健康に気を使っているのだ。

2014年9月8日月曜日

「思い出とは」




そんなこと考えなくてもいいよ、というようなことをアタマのいい科学者は考える。それというのは、脳神経を人為的に操作して「嫌な思い出」を「いい思い出」に変えることがマウスの実験で成功したとか。
利根川進・理化学研究所脳科学総合研究所センター長らが英科学誌ネイチャー電子版で発表した。


人間にとって「嫌な思い出」も「いい思い出」も人生のはずだと思う。
例えばこの研究が進むと「いい思い出」も「嫌な思い出」に変えられてしまうのかもしれない。

「特定の脳神経細胞が働くようにした雄のマウスをつくった。
このマウスに軽い電気ショックを与え、青い光を当てるとその体験を覚えている細胞が働いてショックを思い出すようにした。さらにある場所に近づくと青い光が当たる様にすると、そこに近づかなくなった。次に、このマウスに、青い光を当てながら、雌マススとの交流との楽しい経験をさせた。すると、今度は青い光が当たる場所に近づくようになった。将来、うつ病の治療法開発に役立つ可能性がある」(原文ママ、9/5朝日夕刊)

何がなんだかさっぱりわからないのだが、人の思い出はその人、その人にとって、どこまでが「嫌な思い出」でどこまでが「いい思い出」かは分からない。

ほろ苦い思い出、淡い思い出、悔しかったがそれを励みにした思い出。
人の数だけ思い出のカタチは違う、うつ病の電気ショック治療法は、いかなる屈強な男もヤメテ、ヤメテ、ヤメテくれと泣き叫ぶほどひどく辛いという。
その治療を受けた「嫌な思い出」も、電気ショックで「いい思い出」に変えるのだろうか。何だかハリウッドのオカルト映画の様である。

人生とは思い出づくりの旅のこと。
科学者たちの実験がマウスからうつ病で苦しむ人にならないことを願う。
科学者にとって人間は実験台にすぎないのかもしれないからだ。

2014年9月6日土曜日

「ふくろうとみみずく」



その人の個展のタイトルは、「水と緑の静寂 ブルージュ」。
大変お世話になった恩人であり共に戦った戦友でもある。
現在は水彩画家である。オランダ、ベルギーを旅した風景を丹念に美しく、光と影を描いている。その個展の葉書が先日届いた。
銀座の大黒ギャラリー7階で9月30日(火)〜10月5日(日)まで。オランダ、ベルギーを絵で旅したい人はぜひご覧下さい。

「やすらぎの夢追い人」という題の第14回絵画展の葉書が届いた。
かつて働いていた職場の後輩だ。池袋東武百貨店61番地、美術画廊サロン。
94日(木)〜9月10日(水)まで。この男は“ふくろう”が大好きなのでそれをよく描く。動物好きなので白馬ペガサスや星座たちの絵、猫や犬をやさしい、心を込めてエアーブラシと油絵で描き上げる。

難病で体と手が動かせない私の大尊敬の巨匠から“ふくろう”を彫刻刀で掘りあげた作品の写真と、平清盛はきっとこんなではなかったのかとイメージをした清盛の絵が手紙と共に送られてきた。凄い執念に目頭が熱くなった。
手紙には彫刻はとても楽しかったと書かれてあった。

高校に通っていた頃の友人から「吉例 杵柄寄席」の葉書が届いた。
10月18日(土)2時〜深川江戸資料館小劇場、入場料は五百円とか。
この男は本当に見上げた男だ。
もとは日テレの社員、NTVの長寿ドキュメンタリーの敏腕プロデューサーだった。正義感の塊の様な男。高校一年ヨタっていた私を友として扱ってくれた。以来50年忘れずに誘ってくれる。

ヘアメイクの世界の人気者だった人が京都の丹後に居を移した。
この人は何しろやることがセンスに溢れている。
神田駿河台で、丹後で知り合った人々のタンゴ・ポートレート写真展をやった。後輩と見に行ったが実に良かった。その会場がまたサイコーであった。入り口にヘルムート・ニュートンの巨大写真集があった。重さ数キロ、その大きさは畳三分の一位、紙をめくると怪我をする。コレ、いくらと聞いたら非売品だった。

“芸術の秋”みんなそれぞれ人生の後半を生きている。

9月4日(木)茅ヶ崎市民会館、劇団四季による「キリスト最後の七日間」夜七時開演、チケットを2枚買っておいたが行けなくなったので愚妻と友人が行った。
帰って来て、行かなくてよかったんじゃない、なんかつまんないっていうか出来がワルイだと。芸術がわかってないんだから仕方なし。

みなさん値上げ、値上げで頭にきている時は、何かを描きましょう。彫りましょう。落語でも聞いて笑いましょう。

ところで「ふくろう」と「みみずく」の違いを知っていますか。
私は先日知りましたよ。


2014年9月4日木曜日

「座布団はコワイ」


座布団といったらみなさんは何を連想するでしょうか。
“笑点”でいい解答したらもらえるものとか、お客さんが来た時に出すとか、お父さんがテレビを見る時に折りたたんで枕代わりにする、とまあこういうのがフツーなのです。
が、これが極道者の社会では大変な意味を持つのです。

男と男の社会にとって座布団は自らの貫目を表すのです。
一般社会でも結婚式の席順とか、お通夜やお葬式、祝賀パーティーなどの慶弔事での序列を間違えたためにとんでもない事となったケースも多いはずです。
なんであいつよりオレの方が下なんだとなるのです。

座布団の位置は序列の事なのです。
自分の親分や兄貴分、兄弟分が本来なら上席なのに、座布団の位置が下だったとすると間違いなく恥をかかされたとなり、命をかけたやりとりとなるのです。

第二次安倍改造内閣と同時に自民党の党三役が替わった。
かつて総裁だった谷垣禎一氏が、座布団が下の幹事長となった。
政権与党の幹事長は大臣二つ以上といわれるが、男の世界なら笑い者となってしまうだろう。安目(やすめ)を売るという男の恥なのだ。

谷垣禎一氏の師は宮沢喜一氏であった。
かつて総理大臣経験者が座布団が下の大蔵大臣になったといわれ安目を売った。
安倍晋三総理が病気悪化でもしもの事があったら次は、などと思ったのかも知れない。
いずれにしても座布団の位置が軽くなったもんだ。

極道者の世界ならオリャーナメとんのか、恥かかせやがってとなって東映のヤクザ映画の様になるのです。石破茂前幹事長などは、座布団を取り上げられてもケツをまくれなかった。安目を売ったというより、売れないバーゲン品となってしまった。
今度の人事で恥をかかされた多くの人間はこれからどう男を売るのでしょう。
女を売るのでしょう。
政界は一寸先は闇といいます。


それにしても高市早苗氏を見ると新宿二丁目のオカマバーを見る気がします。
松島みどり氏などは名前はみどりなのに真っ赤づくし、まるで錦糸町当たりの安キャバレーのレンタル衣裳の様で見られたもんじゃない。
この女性が死刑執行の命令を下すのである。

「映画野郎と映画少女」




映画野郎はコーフンしていた。
昨日カナダで開かれていた「モントリオール映画祭」で、男がプロデューサーとして仕切った作品が「最優秀監督賞」を受賞したのだ。

男の名は「星野秀樹」。都立大学出身(現在の首都大学)の映画野郎だ。
作品名は「そこのみにて光輝く」。受賞した監督は「呉美保」さんだ。

午後のニュースで知ってすぐに電話を入れると、ルルルルル…あっこれは海外にいると思った。発信音ですぐわかった。
もしもし、星野ちゃん、ハイ星野です。
おめでとう、ヤッタネ、どうもありがとうございます、すごくコーフンしています。
今、みんなでパーティーをやっているんです。
いつ帰るの、明後日です。
それじゃ帰ったら御祝いをするよ。
そんな短い会話をして終わった。

主演の綾野剛も一緒だったはずだ。池脇千鶴もニュースに映っていた。
呉美保監督は37歳、大林宣彦監督の愛弟子だ。
その大林さんは黒澤明監督の弟子であった。映画野郎の魂は引き継がれて行く。
低予算の映画製作は並大抵の苦労ではない。
星野秀樹は間違いなくこれからの日本の映画界の代表選手になるだろう。
否、すでに何作も名作を手掛けて代表になっている。

この映画の原作者は北海道室蘭出身の「佐藤泰志」、芥川賞の候補に5回なるもその賞を得られなかった。41歳の若さで自ら命を絶った。今この作家が見直されている。
最近観た映画でNo.1は「そこのみにて光輝く」だ。きっと再上映されるだろう。
一人でも多くの人に観てもらいたい作品だ。

来年は私が今製作している作品で世界に挑む。
超低予算だが映画野郎たちが手弁当で集結してくれている。
吉永小百合は女性だが、ステキな映画野郎だった。
彼女がプロデュース&主演した作品が、審査員特別賞グランプリを受賞した。
震える声でスピーチするその姿は、69歳だが少女の様に可愛いかった。
いつまでも映画少女なのだ。

夢を追っている人は、男も女も美しい。