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2025年3月29日土曜日

400字のリング 「老人と山/ガールズバンドの山」

的(まと)にかける、という言葉がある。その逆に的(まと)にかけられているという言葉もある。これはある目的を持ってジャマ者を消す、あるいは誰れかの命令によって、消されようとしている状態をいう。分かりやすくいうと暗殺であり、謀殺であり、突然その姿が見えなくなったりする。そして忘れられた頃、山の中で白骨で見つかったり、海の底で見つかったりする。恐い世界といえばヤクザ者の世界だとひとビトは連想するだろうが、「ゴルゴ13」(ゴルゴ・サーティーン)のような事が、日々世界中、そして日本でも起きている。世界の政治史は、暗殺の歴史でもある。国内の自殺者の中には、死人に口なしと、的にかけられて自殺に見せかけられたのも多いはずだと、推測されている。アメリカのトランプ大統領の狂ったような言動を見たり、読んだり、その顔の表情、体から出ている空気感を見ると、的にかけられていることを知った人間特有の脅えが見てとれる。前の大統領の時のような、オチャメでファンキーな姿がない。どことなく疲れている。自分の仕期はあと3年数ヶ月と限られている。不動産王になる前は、失敗が続いた。資金を援助してくれたのは、ロシアの財閥だ。(後にプーチンがいる)でもってトランプはロシアに頭が上がらない。専門的な口出しはされたくないから、訳の分からない、政治のトーシロ(素人)ばかりを側近にした。バカでアホだから裏切らないと。世界最強といわれるロシアンマフィア、麻薬戦争を繰り返す、コロンビアをはじめとする南米マフィア、メキシコマフィア、イタリアのマフィアや欧州各国のマフィア、中国のマフィア、アジアのギャングや中東の諜報機関、早い話世界中から的にかけられている。つまるところ、的にかけてこないのは、日本国だけだと思っているはずだ。トランプ大統領にも家族がいる。かわいい孫もいる。とてもファンキーな気分にはならない。顔にそれが出ている。又、相当焦っている。何故ならいつまでも待ったけの時間がない。大ヒットした映画「仁義なき戦い」の中で、主人公の男が先輩の男にこう言う。「◯╳ちゃん気ぃつけなや、的にかけられる者より、的にかけている方が強いんよ」と。貿易とは戦争である。カナダのトルドー前首相、そして現在の首相は、根性者だ。トランプ何するもんだと脅しに屈しない。さて、我が日本国といえば、チンケな(小さなこと)話ばかりだ。政治家としての度量、器量、才量がない、そして決定的なのは美学が不足している。ネチネチ、ベトベトとした話し方で、すぐに謝る。この人間には根性がない。脅されるまま従属して行く。ディール(取引き)とはトランプのポーカーゲームと同じで、相手の手の内、心の中を読み取るゲームだ。降りるか、降りないか。どう降ろさせるか。それを顔に出したら負ける。“ポーカーフェイス”とはこの事をいう。自分の手はワンペアだが、平然と金をつぎ込んで、相手がこりゃきっと凄い手だ、と思わせて降ろさせる。終ってみれば相手の方がみんないい手であったする。トランプ大統領は、その名の通り、トランプゲームをやるカジノ経営に大失敗した過去がある。トランプという名の持つ宿命と運命的なものを感じる。本当は気のやさしいオジサンなのかも知れない。孫たちにとって大好きなグランパなのだろう。随所にそんな気分が伝わってくるのだ。深夜、「寿ガールズバンド」(AI?)という若い女性のロックバンドのPVを見た。実に面白い。政治ネタばかり。石破茂とか、財務省とか、与党、野党をオチョクッテ小気味いいロックバンドだ。♪~ 史上最悪の総理の座 しっかり守り抜いてくれ! がんばれ 石破さん! 総選挙でバイバイするまで がんばれ 石破さん! もっと国民を怒らせて! がんばれ 石破さん! このまま7月まで突っ走れ!……。♪~ 財務省解体! 止まらないこの声 「財政赤字」って どの口が言う? 税収、過去最高、バランスシートは黒字 増税の痛みにもう我慢ができない……。こんなロックを初めて知った後、映画「ぼくが生きてる、ふたつの世界」を朝まで見た。久々に泣けた。すばらしい映画だった。詳しくは後日に。セブンイレブンの“塩豆大福”を二つも食ってしまった。久々に甘栗も食べてしまった。ガキの頃、大きな鉄鍋の中でかき混ぜながら焼き上げる天津甘栗が大好きだった。(文中敬称略)
 
※寿ガールズバンドの曲
「おい!与党!  “悪政やめろ!”」「おい! 減税せよ!」「おい! 国会! Wake UP!」「石破首相の楽しい日本...?  ”石破さんへのお願い••••!」「財務省解体! 止まらないこの声!」等々。



 
 
 


 

2025年3月23日日曜日

400字のリング 「老人と山/闇の山」

春は雨、風と共にやって来る。そして桜前線のニュースが流れ、さあ~花見で一杯だと世の中が騒々しくなると、きっと満開の桜を散らす花嵐が吹き荒れる。この古の頃から変わらぬ、自然の営みを「花に嵐のたとえもあるさ、さよならだけが人生だ」と、誰かが言った。ちなみに俺は花見で一杯は大嫌い。飲んでバカ騒ぎをするのを見ていられない。“ウルセイ! 静かにしろ!”なんて不粋なことを言ってしまいそうだからだ。「桜折る馬鹿、梅切らぬ馬鹿」というが、俺は桜より、ひっそりと咲く梅の花がいい。木曜日深夜から朝にかけて、「夜の外側」という映画をブルーレイで見た。いつもお世話ばかりかけている人に、アマゾンで購入してもらった。340分一話二話で約5時間半の大長篇である。映画友だちの後輩から(彼は映画館で観ている)ベストワンですと教えてもらっていた。年を取るとおシッコが近いので、映画館だと途中トイレに行って戻ってくると、ストーリーが分からなくなる。「尿意ドン」と急いで行っても、分からなくなる。その点家で見るDVDだと、リモコンで一時停止ができる。安心して見ていられる。「夜の外側」はイタリアであった。ある政党党首を誘拐して、惨殺した。実話に基づいている。5時間半を一気に見せる。モノ凄い映画だった。我が国も、どの国でも、政治の世界は人の心という闇の世界。神がニンゲン(人間)という生き物を粘土から創った時から、変わる事がない。人の心の闇の支配者は神の代理人ローマ教皇である。この代理人の手の上で、世界は動く。で、土曜日この代理人、ローマ教皇を選ぶ(ローマ教皇を選ぶことをコンクラーベ[cum clavi]という。ラテン語で「鍵がかかった」という意味)過程を描いた「教皇選挙」を、息子と共に湘南モールの中のシネコンのレイトショーで観た。この作品は約2時間、9時40分から予告篇、10時~12時迄、システィーナ礼拝堂に集まった世界各国の信者代表108人(108は偶然が人間の煩悩の数)が、死去した教皇の後を誰れにするかを選ぶ。一回、二回、三回、一日一回ずつ投票される。映画はこの礼拝堂という中でのことのみしか描かない。誰れにするか、それは総理大臣を密室で決めてきた、我が国と同じだ。それぞれの“利”は誰か、陰謀が渦巻く。コンクラーベとはまるで根比べである。決められた票を得た人が教皇が選ばれた時、白い煙が出る。そうでない時は黒い煙だ。黒白をつけるのがコンクラーベなのだ。この作品は今年度アカデミーの脚色賞を受賞した。週末お世話になった大先輩のお墓参りに娘さんと行った。目黒であった。その翌日、経堂に行って、池袋にあった、丸物百貨店がPARCOになって以来の後輩を見舞った。PARCOの広告文化はこの後輩がずっと支えつづけた。天才、奇才、狂人、如何なる才人もこの後輩を愛しつづけている。もう明日はないかも知れない後輩は、動かない手を少し動かし左手を出した。俺はその手を両手で握った。大きくて、ぶ厚い手であった。巨匠井上嗣也さんが俺に声をかけてくれた。後輩とPARCOで一緒に仕事をしていた。後輩の後輩の女性も一緒だった。目黒→経堂→「夜の外側」→「教皇選挙」生と死と、仏と禅。人の心の支配者たちの黒い闇の中を見た。週末であった。この世でいちばん恐いもの、“それは人の心”実に全くその通りである。人生は根比べ(コンクラーベ)でもある。(文中敬称略)






 
 
 

2025年3月17日月曜日

400字のリング 「老人と山/インディーズの山」

土曜日終日寒々とした一日。花粉症が酷く、クシャミ鼻づまり、目元がクチュクチュしてかゆい、集中力が切れ切れになってしまった。原稿用紙に向うと、鼻からポタポタ、で書くのを止めた。映画「市子」を見る。一度見たのだが、よく分からないところがあったので再び見た。戸籍がなくても、「就籍」というのがあることを知った。主演の杉咲 花がすばらしい演技だった。高校生の時男子学生とディープキスをする。女子高生の秘密は、深い闇を背負っている。その夜インド映画「ザ・ホワイトタイガー」を見た。大金持ちを目指す若者はいう、これからはインドと中国の時代だ、茶色と黄色の時代だと。目的を達成させるためには、インド人は手段を選ばない。雨の中コンビニにスポーツ紙を買いに行った。テレビも新聞も、一杯飲んでいる酒場の人々、仕事の合い間に会話をしている人も、メジャー、メジャー、メジャーの山盛り、大谷、OhTANI、オオタニサンの山盛りジョーシキ離れした大谷翔平選手はいきなりホームランを打った。二階に陣取っていた愚妻が、スゴイ、スゴイを連発しながら降りてきた。当分というより一年中、メジャー、メジャー、オオタニサンが山盛りとなる。暗い話、嫌な事件、この頃やたらに人を刺す事件が多い。韓国映画みたいに、ブスッ、ブスッ、ブスッと刺し殺す。SNS社会の生む事件は、正に事実は小説より奇なりを超えている。米不足、値上げラッシュ、実質賃金は値下げ、あ~あやんなっちゃった、あ~あ新入社員の初任給と、20年以上会社で働いているオレの手取り給料と同じかよと、ホッピーを飲み、ウーロンハイ、緑茶割りなどを飲みながら、アンハッピーな時代を肴に飲む。大谷は凄すぎだよな、で勘定となる。三人で5740円、オレいくら、割って割って3人で割ってと、ジョッキに残った緑茶割りを飲み干す。歌いに行くか、行かない行かない、行かないの、カアチャンが恐いから。台所で包丁を持っている姿を見るとゾッとするんだよ。エッ、何、何、石破 茂が新人議員に10万円の商品券だと、バカかアホか、お土産代だと、前からやっていただと、政治資金規正法に違反しないだと、すみません、緑茶割りおかわり。なんだよ割り勘の計算したのに。いいよオレ様がおごるから。やってらんねえよ、オバサン、じゃねえ、おネエさん、エシャレットください。うんざり、アホか、やってらんねえの山盛りとなる。新聞買ったついでに書店に行って、“キネマ旬報”を買う。2024年度の映画ベストテンの発表が載っている。(一)「夜明けのすべて」(二)「ナミビアの砂漠」(三)「悪は存在しない」(四)「Cloudクラウド」(四)ぼくのお日さま(同数)(六)「ぼくが生きてる、ふたつの世界」(七)「ルックバック」(八)「青春ジャック 止められるか、俺たちを2」(九)「ラストマイル」(十)「あんのこと」。日本映画部門で大手映画会社が配給したのは、2本のみであった。日本の映画界を支えているのは、映画根性のあるインディーズ系の山だ。中国、韓国は3兆円以上の映画業界、インドは世界一の映画大国。日本は2000億位だ。文化芸術に予算を出さない国は、「終」「完」「FIN」「END」となる。映画館で観た、ボブ・ディランの「名もなき者」はよかった。今の世に欠けているのは、メッセージを込めた歌だ。“増税の歌”“年金の歌”“お米の歌”“戦争すんなよ”、そして“商品券の歌”だ。シイクル、シイクル、シイクル、クルシイ民の声を歌うミュージシャンを時代は待っている。オバサン、じゃネエ、おねえさん、エシャレットまだ、何! もう食べただと。ハッピーじゃないからホッピー二杯も。(文中敬称略)

※就籍:出生届けを怠ったときや戸籍の記載もれによる無籍者が、届け出をして戸籍に記載されること。保護者(届出義務者)が出生届を出さなかった無籍者は、保護者から提出された出生届だけで就籍できる。就籍する者は、保護者がいる場合はその戸籍に入籍し、保護者がない場合は自由に氏・新戸籍をつくることができる。
※エシャレット:らっきょうを軟白栽培(食用の白い部分を多くする栽培法)して、若採りしたもの。柔らかさと辛味が特徴で、生で食べることができる。




 





2025年3月8日土曜日

400字のリング 「老人と山/くしゃみの山」

今では暴力団といわれる存在の“男”たちは、かつては“侠客”と呼ばれた。その間には“博徒”とか、“渡世人”と言われた。その名も高き大侠客といわれたのが、山口組三代目「田岡一雄」という人だった。その人がこんな侠客になりたいと、思っていたのが、歌舞伎の演目でも有名な、「幡随院長兵衛」という江戸期の侠客だったと、何かで知った。本来、道を極め、弱きを助け、強きを挫く。それが極道であり、侠客であった。幡随院長兵衛の稼業は、今日でいうところのリクルート、人入れ稼業だったらしい。ビズリーチとか、パソナとか、○╳とか△╳とか、テレビCMには人材募集の会社が次から次へと増えている。庶民の味方であった幡随院長兵衛は、旗本奴(ハタモトヤッコ)といわれてた。今でいうところの代々金持ちのボンクラたちのリーダー(水野成之)の家に言葉巧みに招かれる。幡随院長兵衛は死を覚悟している。水野成之は邸宅の中の風呂にまず入れて、スッキリしたら、一杯飲もう、てなかんじだ。つまり裸にしてしまえば、反撃できない。で予定通り風呂に入った幡随院長兵衛を、槍で刺し殺す。つまり汚い手を使ったのだ。一人に対しボンクラ息子たちは多勢だ。終りには水野成之がすまなかった許せよ、幡随院長兵衛、お前は侠の中の侠、見事であった、みたいなセリフを語る。これを現在の我が国に置きかえると、国会議員選挙は、人材募集、いわば就職活動、志も何もないが、代々議員だった人間のボンクラ息子たちが、議員バッジをつける。俺にはこの男、この女性は天下国家のためになると応援している議員もいる。意志が強く、言動がブレない根性者だ。世界は今トランプという、幡随院長兵衛を殺した、水野成之と重なる。一人物の言動に右往左往している。ディール、ディール政治は取り引きだ。そのためには、どんな汚い手を使ってもいいんだとばかり、狂犬のように吠えては脅かす。この狂犬もイギリスとか、フランスを相手にすると、歴史の違い、国の格の違いがあるので、クシュンと大人しくなる。トランプは不動産業、カジノ稼業、司会業でのし上がった。ディールとは、ヤクザ者の世界でいえば、掛け合いだ。度胸と根性がないと、脅しハッタリに敗ける。親分の器量を知るには、NO2の若頭がどれほどの者か知る必要がある。食を得るためには様々な会社にプレゼンするには、NO2を知る必要がある。トップは誰れに目をかけているか、ボンクラな副社長とか専務以外にいる場合が多い。国会議員であるならば、いちばん信頼しているのは、どの秘書か、秘書は生命線である。トランプは何かに脅えている。自分の命の先に悲劇が見えて焦っている。何よりこりゃヤバイ、こいつは使えないと、舌打ちしているのが、副大統領に選んだバカ者だ。こいつはオレの命取りになると思っているはずだ。山口組三代目が伝説の親分、侠客になったのは、NO2の若頭がきっちり動ける人間だった。人を見るには、人の脇を見ろという。どんな人間が脇を固めているかだ。石破 茂の両脇は、左に肥満体でベルトも締められない男。右にはまるで存在感のない男だ。(あえて名は伏す。少々つながりがあるので)花粉症が酷く一人のサラリーマン(会社員)に悪いことをした。この頃ノドが荒れていて、唐辛子とか、こしょうやタバスコを使うと、荒れたノドにへばりついて大きなくしゃみがでる。花粉症で鼻がどんづまりのところに、“きつねうどん”をすすっていた。トーゼン(当然)唐辛子をパラパラかけた。北風が強い昨日の昼、うどんをすすり込むのも最後半になった。残り少ない汁をすすった。うどんが少し残っていた。と、その時クシャミが出そうになった。ヤバイと口をふさいだ。残り汁と残りのうどん切れが口の中で止まっている。が、しかし、ふぁぁぁ~くしょんと大発声をしてしまった。一つのテーブルのその後の席で、そばを食べていた、二人連れのサラリーマン(会社員)に、うどんの欠片が飛びついてしまった。で、どうなったかは、ご想像を。きつねのような話となった。くしゃみの山は当分つづく。(文中敬称略) 










2025年3月1日土曜日

400字のリング 「老人と山/悪党の山」

「悪党」故新藤兼人監督の映画だ。足利尊氏の第一の側近に“高 師直(コウノモロナオ)”という男がいた。室町幕府ができた頃、武士という呼び名はなく、悪党といわれていた。高 師直は好色な男で、部下の妻に横恋慕する。ある夜その女性が入浴しているところを、デバ亀のようにノゾキ見をする。女性の夫は地位が高く、正義感が強い。塩谷判官(エンヤハンガン)というから法を守る仕事をしていた。自分の妻がしつこくつきまとわれていると知った塩谷判官は激怒して、権勢第一の悪党をこのバカスケベヤローとこらしめる。が、しかしいつの世も善人は悪人のチカラにイジメ抜かれる。塩谷判官は地方に飛ばされる。だが権勢はつづかない。やがて首が胴体とオサラバする。ずっと昔の映画なので記憶は定かでない。悪党を「小沢栄太郎」塩谷判官を「木村 功」その妻は「岸田今日子」だった。映画は実によくできた作品で、さすが新藤兼人監督であった。で、悪党だが永田町に行くと群れをなしている。悪臭を放ちながら。高等教育を受けた人間たちは、悪党になるために学問をススメていたのだろうか。辻堂↔︎東京↔︎京都↔︎奈良↔︎木津川に行って来た。ある産業を復活させるための工場見学だ。俺たちは三人、大手不動産会社の偉い方と女性一人、群馬から社長さんたち二人であった。みんな善い人ばかりであった。帰りの新幹線の中で、朝刊を読んだ。英・仏・米・露・中国という悪党大国、それに振り回されるのが核を持たない国々だ。(といっても核は大反対)気色悪い“石破 茂”、暗闇の牛のような“森山 裕”、格下げになってもしがみつく恥を知らない“麻生太郎”、深酒つづきの“岸田文雄”、嫌われ度No1の“茂木敏充”たち。不倫しておいてヘラヘラ笑っている“玉木雄一郎”、裏切り寝返り渡り鳥の“前原誠司”、永田町の泥水にたっぷり浸って、悪党だらけ、極めつけはNHKをブッ壊すのオッサン“立花孝志”だ。だが映画の主役を張れるような顔はいない。やはり小沢栄太郎は名優だ。少子化が加速して、一年間で和歌山一県分(約90万人)が減少した。胸がハチ切れるような恋をしない。愛に溺れない。まして結婚なんてという若者が増えつづけている。悪党を退治する人間はSEXをしないと生まれない。(イエス・キリストは例外)このままではこの国は確実に滅びる。野性を取り戻し、理性を生み落とせ。しかし今の世は、みんな“高 師直”のように、スマホでノゾキ見している。新幹線の中の乗客は不気味なほど無言であった。外国人はこの無言が信じられないらしい。あと、ごはん“おかわり”とか、ごはん“半分”とか、ほんの“ちょっと”とか日本語の繊細な表現が分からない。悪党たちは、おこぼれおかわりとか、おこぼれ半分とか、おこぼれほんのちょっとでもと利権を漁りまくっているのだ。俺もすっかり悪党顔になって生きている。ちっちゃな頃から 悪ガキで 15で不良と呼ばれたよ……チェッカーズのこの歌が気に入っていた。もう一曲ある。北海道の伝説の悪党(ヤクザ者・荏原哲夫)の歌、ヤクザ者なら知らない者はいない。曲の名は「484のブルース」♪~ 義理や人情に あこがれた 十九 はたちが 花だった……「484」とは札幌刑務所の旧住所である。悪い事をするとここに入れてもらえる。永田町の権力者たちは、実のところ有能な官僚の手のひらの上で踊っている悪党の山なのだ。
(文中敬称略)



 
 


2025年2月20日木曜日

400字のリング 「老人と山/生と山」

俺は高尚な文学は読んだことはない。大学で哲学を学んだという友人がこんな話をしてくれた。“太陽がまぶしかったから”ということで人を殺してしまった「異邦人」という話だ。(映画は見ている)書いた作家は、アルベール・カミュという。40代でノーベル文学賞を受賞して、40代で交通事故で死んだ。劇的な人生の作家だ。ギリシャ神話をモチーフにした「シーシュポスの神話」というエッセイも書いている。俺はむずかしい話は苦手だから、ざっと教えてと言って頼んだ。人間はそもそも不条理であって、なんで生まれて自分自身になっているのか分かんない。人間は生まれてから一日一日死に近づいて行く。長じて大人になり働くようになると、日々刑務所の囚人のように同じことを繰り返している。朝起きる。顔を洗う。歯などを磨く。服を着て牛乳飲んだり、ジュースやコーヒーなどを飲み朝食をとる。アジの開きに、海苔や納豆、お新香に味ソ汁系もある。犬や猫のエサのようなシリアル系もある。で、衣服を着て外に出て、歩いたり、バスに乗ったり、自転車などで駅に行く。そこから列車や地下鉄に乗る。ギューギューの満員電車に乗り、口臭異臭、体臭に耐えて苦痛と共に目的地で降りる。そしていつもの会社に行くと、いつもの人々がいる。そしていつもの仕事をする。昼12時になると、今日は何にすっか、焼き魚定食か豚ショーガ焼き定食、中華へ行ってマーボ豆腐定食かなんかを食べる。半ラーメン、半チャーハン定食もいい。食後安いコーヒーを飲む。で、又会社に戻り、同じ仕事をつづける。下手に話でもすると、パワハラだ、セクハラと言われるので口にチャックをする。今日もつまんなくて長いなと思いつつ夕方になる。少し元気が出てくる。オッ、五時半か、ソロソロ帰るべとなる。で、いつもの奴といつもの店に行き、チューハイとかハイボール、日本酒などを飲む。で、ヤキトリやおでん、鍋などで腹を満たす。かなり気持ちよくなって来た。ヨシ、いつもの店でカラオケだ。いきなり長渕剛の“とんぼ”かなんか歌ったりして、ヒンシュクを買う。バーロ、課長がなんだ、部長がなんだとボルテージが上がる。ワイワイ、ギャーギャー、男と女が飲んで歌って、騒いでもう帰らなきゃと外に出る。何組かはラブホテルへ行ってしまう。一人終電に向ってヨタ走りする。したたか酔っ払い、時々つんのめって倒れることもある。チクショウ、バカ女房のところへ帰るかと、ゴッタ返しの駅の中に消える。通勤電車はアウシュビッツの囚人列車と同じだ。な、なんだ、俺はまい日、まい日同じじゃねえか、一体何のために俺は生きてんだ。女房、子どものためか、ウィッとしゃくりをしながら、満員列車に突入して行く。20代から60代もしくは70代、入社から定年まで、ほぼずっと同じことを繰り返す。カミュという偉い人はそれが不条理であり、自分で選ぶことのできないのが、人生なんだ。だから死ぬまでは生きなさい、死だけは間違いなくやって来ると教えて“わかるかな、わかんねえだろうな”と、故松鶴家千とせ師匠的になる。“オレがむかし夕やけだった頃、弟はこやけだった。イェイェ~、父さんは胸やけで、母さんはしもやけだった。わかるかな、わかんねえだろうな”この師匠はこれ一曲で大金持ちになり、中金持ちになり、小金持ちになり、無金持ちになって旅立った。イエ~イ、ズビダバ、人間のいいところは“必死”といって、必ず死ねる。これほどの極楽はない。カミュが書いたギリシャ神話の「シーシュポスの神話」という本に“死”はないのだ。永遠に大きな岩を持って頂上に登っては、元に戻らされ、又大きな岩を持って頂上に登っては、元に戻らされ、又大きな岩を持って登って行かねばならない。「死よ、よく来てくれた」といった哲人もいる。地獄には死がない。わかるかな、わかんねえだろうな、人生は不条理なのだ。シュビダバ、イェ~イ。故石原慎太郎が書いた映画「乾いた花」のファーストシーンは、人を殺し刑務所を出たヤクザが駅に降り、人の波をあとに、こんなに人がいやがる。この中の一人位殺したからって、どうってことはないだろう、なんてつぶやく。わかるかな、わかんねえだろうな、イェ~イ。(文中敬称略) 









                    

2025年2月14日金曜日

400字のリング 「老人と山/無言の山」

バンザイ、バンザイみんなバンザイ。旧日本陸軍が戦争でバンザイを叫びながら玉砕した話ではない。二月十三日の夜八時頃の東海道線内の話だ。この日、強風の影響でダイヤが乱れに乱れていた。朝、辻堂から東京へ向った時は、今日はやけに風が強いな位であった。鞄を持たずオーバーコートのポケットに入れられる物を入れていた。この日は手帳や資料が必要なかった。“世界は人間なしで始まった。世界は人間なしで終るだろう”ある学者がそう書いていた。が、俺が乗った列車内は、ギュー、ギュー詰めの、人、人、人。東京駅に行くとホームは会社帰りの人であふれんばかりであった。グリーン車もフツー車も人の列車詰めであった。さして急ぐこともないのだが、愚妻の好きな駅弁を買っていたので、それを持ってウロウロできない。仕方ネエな乗るかと人の列につながった。「全員死刑」という映画があったが、「全員無言」である。アウシュビッツの収容所みたいだ。列車が来た。ウォォォ~ン満員でないかい。ドアが開くと降りる者はいない。もう乗れないんじゃないと、心をざわめかせていると、人が入って行く、入って行く。後からズイズイ押されて俺も入って行く。駅弁を頭の上に上げながら。でもってギューギューの中へ。ふとある映画を思い出した。周防正行監督のヒット作「それでもボクはやってない」実話を基にした映画だ。一人の若者が列車の中で、この人痴漢ですと訴えられ、警察に連行された。若者は一貫して僕はやってませんと調書を取らせない。こうなると日本国の警察は意地でも外に出さない。結局、若者は拘置所に一年近く入れられた。裁判官は事件現場を映画のセットのように再現させることにした。勿論監視カメラも同じように取りつける。乗客も監視カメラに写っていたように、老若男女を配置した。結果、訴えた女性のようにはどうしてもならない。事件は女性の訴えた通りではなかった。そして無罪放免となった若者は怒ることすら忘れたようになっていた。(ずい分昔の映画なので正確ではない)確か“加瀬 亮”が演じていた。女性には男と違い、たわわな乳房があり、ハチ切れんばかりのヒップがある。超満員の列車内でこれらに触れないようにするには、バンザイ、バンザイしっかないすよ、と列車慣れした後輩に聞いたことがある。冗談じゃないっすよ、オバサンにチンポまさぐられたことがある。でも男は訴えることはできないっすからね。とにかくバンザイ、バンザイしかないっすよ満員電車の中では。俺は耐えに耐えたが、大船駅でなんとか降りた。パニック障害みたいになっていて、金魚みたいにパクパク息を吸った。みんなまい日こうして働いているんだ。それなのにこの国では大企業だけが儲って、物は値上げ値上げ。中小・零細はバンザイ、バンザイなのだ。今は亡き「人生幸朗師匠」じゃないが、「責任者出てこい!」だ。アメリカ通に聞いた話ではトランプは日本国の責任者“石破 茂”と記者会見が終った後、顔を見ずにプイッとすぐ去った。すでに石破 茂の名前を忘れていたとか。ちなみに東京周辺でいちばん痴漢が多い列車は、埼京線と武蔵野線らしい。諸兄気をつけるべし。
(文中敬称略) 


 
 
 





2025年2月6日木曜日

400字のリング 「老人と山/恥の山」

香港映画の名作に「男たちの挽歌」というのがあった。ジョン・ウー監督だ。その映画のキャッチフレーズは、“恥じて生きるより熱く死ね!”だった。そのフレーズをずっと自分に言い聞かせている。だが悲しいかな人間は生きている以上日々老いて行く。別に若さがうらやましいということではないが、デパートのショーウィンドウに写る我が身を見ると、現実が見える。街を歩いている俺をスイスイと人が追い越して行く。それがフェンディやディオール、シャネル、ルイ・ヴィトンなどのウィンドウに写り込む。春節で銀座の街は中国人、中国人、中国人の群れだ。超高級のブランドショップは中国人の行列だ。俺がニーハオ、ニーハオと声をかけると、行列はキョトンとした。資生堂パーラーで人と会いランチをした後、側にあるロレックスやエルメスの時計を売る店のウィンドウを見た。そこには一個一千万円以上する時計がディスプレイされている。中国人たちはいともたやすく超高級時計を買うと聞いた。ティファニーの超高級時計は、一億~四億もするのがあった。それも買って帰る。俺はそんな腕時計をしている奴の腕を、片っ端から日本刀で斬り落としているシーンをイメージした。日本国は衰退の一途で、インバウンドがなければ、デパートは勿論、ブランドショップでもクローズ、つまり終りとなる。高級レストランも、あらゆる高級店はギブアップとなる。日本という国は、恥じて生きているのだ。熱く死ぬなどという根性はない。俺は長生きしすぎたな、死に時を見誤ったなと思った。トボトボと思った。シミジミ思った。こうなりゃ、あのヤローにケジメをつけてと思っている。韓国映画の中にいいフレーズがあった。“復讐は最高の健康法”だと。やられたらやり返す。裏切った奴は許さない。それが心身を鍛える。俺は動かずに一発で仕止める術と技を自己流で習得している。愛する友、愛する者を守るために。そして映画的ラストシーンを生むのだ。「男たちの挽歌」で、チョウ・ユンファは、スーパースターになった。恥をかかされたケジメをつける。さて、石破 茂は、トランプ大統領と、どこまで闘えるか。菅 義偉が総理大臣の時、初めてアメリカの大統領に会いに行った。その時、用意されていたランチは確か白い皿に一つのハンバーガーであった(かわいそうに)。中国の習 近平にはこれ以上ない、オ・モ・テ・ナ・シであった。勝 海舟曰く外交とは、気合いと“術”である。(文中敬称略) 
 










2025年2月1日土曜日

400字のリング 「老人と山/骨の山」

土曜日の早朝、俺は紙パックの菊正宗の角をハサミで切り落としいつものグラスに注いだ。つま味は前夜の残り物、“タイの粗煮”だ。しっかり“粗”で金を取る店は“かぶと煮”という。物はいいようである。かつて東京都杉並区天沼三丁目に住んでいた頃、俺は六人兄姉の末っ子のガキだった。魚藤という魚屋さんがあった。母親から魚のアラを買ってくるようにいわれてバケツを持ってよく行った。魚屋さんのオヤジは体が大きく筋肉がモリモリしていた。魚をテキパキ包丁で切っては刺身にしたり、煮物用に内臓を取り出しては、大きなまな板から次々と落としていた。タイの頭はアラと言っていちばん安かった。俺はそれをバケツに入れてもらって帰った。母親は煮物にしたり、アラ汁にしたり、塩焼きにした。俺は今でもタイの“アラ”は大好きだ。愚妻はよく買ってくる。早朝どんぶりにネギとアラを入れた“アラ汁”をつま味に映画を見た。1960年代日活の映画であった。アラを食べるにはとことんアラ探しをする。大きな目玉が俺を見ている。かなり大きめのアラであったので身がかなりある。箸で丹念にアラ探しをする。大きめの身が取れるとやったなとよろこぶ。タイの骨は恐竜の“ハクセイ”のように太くて鋭い。気をつけないとノドに突き刺さり死に至ることもある。骨についた身を根気よく取る。目ん玉を食べてしまう奴もいるが俺は食べない。日活の映画は刑事ものだから犯人を探す。俺はそれを見ながらタイの身を探す。まだある、まだある、オッこんなにある、目ん玉の側には大きな身がある。旨い! 菊正宗も旨い! “鬼ころし”より少し高いだけあって格調がある。どんぶりの中はタイの骨ばかりになるのだが、まだあるのではと箸を動かす。母親はすっかり食べて残った骨を茶碗に入れて、お茶をかけて完全に食べ尽くしていた。1960年代にまさか“コロナ”があったとは、殺人犯を追っている刑事が地取り捜査の時に“コロナが流行してますから”という言葉を使った。意外であった。監督牛原陽一、脚本は古川卓巳であった。1960年代俺は映画ばかり見ていた。二谷英明とか、若き郷 鍈治とか、名優織田政雄とか、小高雄二とか今は亡き役者が次々と出てくる。タイの身も出てくる。突き刺し、ほじくる。こんな時間が俺には至福の時間である。今の世はアラばかり、バカヤロー令和の時代に米一揆かと思う。悪党たちが米を買い占めて値を上げているのだ。アラを探して突き刺してやらねばならない。どんぶりの中はいつしか骨の山となっている。故城 卓矢が歌った「骨まで愛して」を口ずさんでいた。 フジサンケイグループのボス、日枝久は往生際が悪い。早くこの世とオサラバしないと、フジテレビは骨の山になるだろう。フジのアラはまだまだある。不治の病なのだ。(文中敬称略) 



 






2025年1月24日金曜日

400字のリング 「老人と山/中島らも」

快人、怪人、文人、才人、歌人、広告人、酔人、廃人、そして死人へ。生きていれば73歳程だと思う。俺は「中島らも(1952-2004)」の大ファンであった。兵庫県尼崎市、名門灘中を八位で入学した。地元では神童といわれていたという。本名は「中島裕之」(なかじまゆうし)天才と狂人は紙一重というが、この人ほど人に愛された天才は少ない。高校時代に酒の味を知り、大学生、社会人となりやがて酒の肴は睡眠薬、又、覚醒剤の元となるぜんそくの薬(エフェドリン)をシロップで飲んだ。他にマリファナもやった。警察に捕まったこともある。灘高出身者の殆んどは、東大か京大であるが、“中島らも”は成績がガタ落ち、大阪芸大へと進んだ。無類のギター好きであり、世界各国の弦楽楽器を家中に置いて、ほんのスキ間で生活をしていた。話術にも優れていた。愛妻家であり、ロックンローラーでもあった。文才には特に恵まれ、直木賞の候補にも二度なった。人気作家になり、人気エッセイストになり、人気人生相談者にもなった。仕事は山盛りとなった。朝起きたらすぐにウイスキー、そして次の朝まで、飲んでは書き、飲んでは書きをつづけた。医者から希有な内臓といわれた程酒に強かった。俺の知る限り多種多彩数多くの人に愛され、リスペクトされたのは、故原田芳雄さんと、故中島らもの二人だろう。各界の人々が二人を愛した。故中上健次、松田優作、内田裕也、崔洋一、安岡力也、飲んだら大暴れする武闘派も二人の存在で事を納めた。かつて四谷に「ホワイト」というBarが地下にあった。俺は一度行ったが、業界人の溜り場でここで飲んだら、きっと大きな事件を生むと思いご遠慮した。マスコミ関係、出版関係、広告人や芸術家、文人墨客、芸能人たちが集まっていた。新宿二丁目ゴールデン街に「前田(まえだ)」という有名なBar、「アイララ」というBar、故赤塚不二夫や当時のタモリが珍芸を行なっていた。「どん底」というBarも同様で、ラリパッパ(酔っ払い)が常連であった。俺は今「中島らも」という山を見上げている。ラリパッパ界のスーパースターだ。酒癖が悪いことはない。分別をわきまえていた。残念なことに怪我をして死人となった。当時階段から落ちたと聞いた。俺は今「中島らも」の落語を見ている。最近破天荒な人間が出てこない。みんなこじんまりしている。命がけで酒を飲む人間もいない。胃が突き刺ささるように痛い。ヨシヨシと、“ブスコパン”を酒で飲んでやると、すっかり治まる。だが「中島らも」という山は、とんでもない山なのだ。(文中敬称略)