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2024年11月18日月曜日

ばかな話その(11)「下半身バカ」

 下半身のことは武士の情けと言って、そのコトは許された。そんな時代もあったとか(?) ある小説の中に、妻が自分以外の男ばかりに体をユルしてしまう。そんな妻に、君が悪いのではない。君の下半身が悪いのだ。人間の下半身は別人格なんだと言う。国語の授業で、「で・で・づ・づる・づれ・でよ」とか「け・け・く・くる・くれ・けよ」とかチンプンカンプンの下なんとか活用を習った気がする。「人間の壁」「ベルリンの壁」「10秒の壁」「バカの壁」ピンク・フロイドの「ザ・ウォール」というPVの映像はスバラシイ。人間の歴史は「壁」との闘いであった。今年生誕100年の作家「安部公房」の初期作品に「壁」というのがある。鎌倉の神奈川近代文学館で特別展が開催されている。12月8日まで。さしたる秩序も脈略もなく、思いつくままに物語の設定や文章が書き連ねられる。多くの作品に共通する、常軌を逸したとっぴな発想がある。「砂の女」「他人の顔」は自ら脚本を書き映画化され、社会現象を起こした。勅使河原宏監督とのコンビで創られた映画は、日本の映画界の金字塔といえる。カフカに影響を受けているのか、常に不条理が主題となる。最近の日本映画には、文学性がない作品が多い。作家の発想が、マンガ家の発想を超えていない。さて、「103万円の壁」をブチ破るを公約にして、七人の政党である国民民主党の代表玉木雄一郎が、今回の選挙で4倍増の28人の政党の代表となり、乱立する政党の中で、キャスティングボートを握った。敗れた自民の石破 茂は、すでに死に体である。そもそも20人弱の派閥のリーダーがつとまらない人間に、国の政治はできるはずがない。三白眼の異様な目つきは、ヒトに向う時、ヒトの目線から離れている時と、別人格になる。他人の顔を買うという安部公房の「他人の顔」の如く、ペルソナ(仮面)を使い分ける。玉木雄一郎の顔はいわゆる笑い顔であって、人から見るとすこぶる、あかるい、たのしい、いいヒトである。が、人間の下半身は別人格である。笑い顔は実はペルソナ(仮面)であった。いわゆる高学歴者の政治家、キャリア官僚、教授や博士たち学究の徒は、小・中・大学・大学院、研究所で勉強ばかりして、貴重な月日で下半身の鍛錬を怠っていた。これが時としてアンビリーバブルな不祥事を起こす。トイレでの盗撮、学生たちへのセクハラ、SM趣味、幼児趣味、コスプレ、赤ちゃんプレイや、動物との性行為。東大法学部卒とかの人種は、試験問題にしか取り組んでこなかった。それ故、夜の世界の引力の怖さを知らない。世阿弥は絶世の美男子で、足利将軍義満の寵愛を受けた。“あそびをせんとうまれけむ”にも通じる風姿花伝を残した。やがて佐渡島に島流しにされるが、雅(みやび)に生き抜いた。さて、玉木雄一郎だが、残念ながら雅(みやび)でない。妻と子に謝ったとか言っていたが、醜悪なその姿に103万円の壁(貧しき民の願い)が、あんたには超えてほしくないと言っている。NO2の榛葉幹事長の罪も深い。自分の趣味は、玉木雄一郎なんて、誤解を呼ぶ表現をしているが、玉木雄一郎の下半身の出来事を知らないはずはなかった。ずっと前から知っていたはずだ。ならばNO2はブザマな姿を見せないための手を打っておくべきだった。日本維新の会もメロメロ化し、プチブルになった共産党に反省の言葉なし。この先この国はどうなるのだろうか。アメリカではトランプが勝利、やりたい放題で世界中を混乱させるだろう。ヘトヘト、ヘロヘロ顔になった、石破 茂総理はすでに慢性疲労症候群の有り様だ。その先はまっ暗闇だ。日本の政治そのものが、まっ暗闇なのだがメシアは出てこない。夜帰宅すると、台所に愚妻がボー然と立っている。ついに台所のシンクの水が流れなくなったわ、今水のトラブルを呼んだのと言う。で、一人の男が来る。アレコレ話をしている。そこに息子が来た。息子は建築関係なので、水のトラブル専門の会社を知っている。愚妻が呼んだ人に、あ~ですから、こうですからと言ってお引き取りを願う。で、駄目だよあ~ゆうところはとんでもない見積りを出してくるんだからと叱る。でも流れないだもん、私は全く役に立たないのを知っている。で、息子が知り合いに電話をしてくれた。次の日の午後一時半、やって来ましたタンク付ワゴン車、社名は「水のパイプ病院」いいネーミングだ。で、出てきた社長兼院長は、アタマに消しゴムのついたエンピツのように細い。メガネに白いマスク、60歳位だろうか。いざ仕事となると、凄いのなんの、えっ、こんなことになってたのということを次々と発見。原因はここだと、台所とは全く違う場所、玄関脇の木の下だと発見した。そこには猫柳の木が成長して、下水の源の栓をかくしてしまっていた。社長兼院長は大きなハサミでバッサバッサと切り落とした。オオ~、そこには丸い大きな蓋があった。老朽化した家のアチコチが壊れはじめた。約3時間社長兼院長は水路を開放してくれて、7900円ですと言った。えっ、いいんですかと言えば、悪い業者さんもいるから気をつけて、と小さな声でアドバイスをくれた。一万円を出して、これで結構ですと言った。そうですかどうもありがとうございました。では、又不具合があったらと領収書と名刺をくれた。白いタンク車は去っていった。ありがとうございました。私の体も老朽化している。生きているのが不思議だと言った。お医者さんの言葉を思い出した。玉木雄一郎はいつ、どういう形で辞めるのだろうか。政権交代前夜であるが、役者がいない。私は今、田中角栄のドキュメンタリー映画を見ながら書いている。田中角栄は高学歴でないから、下半身の怖さをしっかり学んでいる。女性の心を知り尽くしている。キミねオカアチャンだけじゃダメだよ、べんきょうだよ、べんきょう。上手にベンキョウスンダヨ、月謝は高いがね、ワッハハハハ。左団扇をバタバタさせながら。田中角栄ならば、103万の壁は、財務省への電話一本で片付けただろうと思った。武士の情けを知った“性事家”でもあった。(文中敬称略)



 

2024年10月23日水曜日

ばかな話その(10)「つける薬のないバカ者」

400字のリングの上にいるのは、つける薬のないバカな“記者ゴロ”、元記者クズレ、自称政治アナリスト、自称経済アナリスト、自称選挙プランナー、自称各コンサルタントたちだ。この国は真当な人間、一言居士、正しい分析を発表する人間は、ほぼ退場させられる。又は消される、追放される。“スシロー”こと「田崎史郎」のハマグリ顔を見ない日はない。かつて時事通信の組合を、仕切っていたそうだが転向して、権力にアロンアルファでベッタリへばりついている。各局をハシゴする。朝、昼、晩と。恥を知らぬ人間ほど仕末の悪い者はない。日本の情報公開度は先進国で最低に近い。中国並みだ。フジテレビグループのボス「日枝 久」とマスコミ界のボス「渡邉恒雄」が存在する限り、マスコミは浄化されない。今マスコミに出れているのは、この二人のOKサインが出ているからだ。時の権力にヨイショしまくる輩だ。最低限度のプライドを捨てた。“マスゴミ”だ。このことは実に国にとって危険だ。大衆は洗脳されやすい。ネット社会は自由社会ではない。便利で役に立つが、すこぶるアブナイ監視下の中にいる。こんな私だって、ある日ホームを歩いていたら、ホイと背中を押されホームから落下して、ゴジャゴジャになる。私はそれを覚悟の上で、バカ話、ヨタ話を書く。ある地方の人が、今度の選挙は突然で、子どもたちがかわいそうですという。27日(日)は運動会が予定されていたが、中止ですといった。投票会場になるからだ。又、文化祭も中止にした学校もある。リング上にいるバカ者たちは、やれ自公過半数割れ、立憲民主増、国民新党増、維新減、公明減、れいわ増、選挙後は石破降ろしか、高市派と分裂か、自民、公明、国民新党が連立とか、アレコレ、かしましい。元朝日新聞のエース記者(?)といわれた。“鮫島 浩”は、福島原発の記事に、問題があり退社した。今ではユーチューバーになり、チャンネル登録よろしくと言って、“ダメダメTOP10”なるものを発表している。私からすれば、記者の誇りはどこへ捨てた。まるで競馬の予想屋みたいな早口のしゃべりは、お前こそダメダメなんだよと思う。スシローと一緒だよ。一人だけ冷静なのは今年の記者クラブ賞を受賞した。元共同通信の、後藤謙次だ。彼はこのリング場外にいる。私は何人かの記者が広告界や企業の広報宣伝などに入りつき合ったが、とにかく自分の金で酒を飲んだり、メシを食うことを知らない。記者時代のたかり体質が身にへばりついていた。タニシとかトコブシみたいだ。記者は取材に行くと、その内容により、広報担当からお車代ですとか渡される。あるいは今夜はここでとか誘われる。特に人事に関することは書かれたくないから、いい情報は高く売れる。業界ゴロ紙の記者などは、職員及びその一家一族のことを、調べてある。売り時が来れば売るし、その機会なければしまっておく。お金があれば、スシローこと田崎史郎を使って映画を作りたい。題名は「ハマグリの恥」彼を正義の男として、権力に立ち向かう役にしたい。不眠症が酷いので、3時間余の長編映画を選んで見ている。アカデミー賞11冠の「オッペンハイマー」は、そのセリフの多さに圧倒された。脚本がすばらしい。ギリシャ映画「エレニの旅」一ヶ月町ごと水びたしにして撮影した名作だ。「ブリキの太鼓」大人になることを拒否した少年の物語。「ノスタルジア」大好きなタルコフスキーの作品だ。「ベルリン・天使の詩」ヴィム・ヴェンダースの名を高めた。「ワンス・アポン・ア・タイム・イン・アメリカ」俺という人間はギャングでもゴミだと、ラストに生きたままゴミ収集車の中に入って終る。未だにその生死が分からない。アメリカ最大の組合全米トラック協会のボス、ホッファらしき男は、ある映画では肉をミンチにする機械にブッ込まれて、ウインナーソーセージとなる。ああそれでも眠れない夜はつづき朝を迎える。やっぱり映画は短編に限る。西田敏行さんが死んでしまった。私はジェームス・ブラウンをパロッた映画「ゲロッパ!」が好きだった。勿論他にも名作は多い。病気を山ほど抱えて映画、ドラマ、舞台に出演していた。ハッピーなゲロッパ的な人生だった。一度仕事をさせていただいた時、音楽録りのスタジオに下駄履きで来た。亡き親友と同じ福島訛りがよかった。家の近所の中華の店で隣りの席でタンメンを食べてた男が、ラー油をかけすぎて、思い切りむせかえって泣いていた。先日、東京駅八重洲中央口地下トイレで、35、6の背広の男が、一生けんめい歯を磨いていた。博品館というおもちゃ屋のエレベーターは4~5人乗り、中国人風3人の内の一人が携帯で、大きな声でわめいていた。エレベーター内3対1、この中で闘うにはどうするかを考えた。やっぱり狭い中、頭突きの三連発だな。否、コテンパンにやられるかもな、今の体力では。とにかくウルセイ奴等だ。人生は誰れが創ったか知らないが、結局はゲロッパなんだな。スシローのいない世を願う、イエ~イ、ゲロッパ、ゲロッパだ。ジェームス・ブラウン最高! 西田敏行さん最高です。みなさん必ず27日は投票へ。どこへ投じるかはあなたの自由。つい先日羽田空港のスタンドで、人を待ちながら、アイスティーと、ホットドッグを頼んだ。その時、黄色いジャンパーに、黒のリュックサックを背負った50歳位の小柄なメガネ男が、私に向って突然、坂本 九ちゃんを知ってるかと言い、半分残っているホットドッグを手にしながら、何とかかんとかのサンバを歌い出した。歌詞は思い出せないが、なんとなくリズムはおぼえている。坂本 九ちゃんはオスタカヤマでと、言いながら消えていった。かなりファンキーで、クレージーだった。う~む、ゲロッパ。この季節は個展の案内が多い。一つ、二つ、三つ、……。
(文中敬称略)



2024年9月14日土曜日

ばかな話その(9)バカ者たち記念

故あってずっと400字のリングを休筆しているが久々に書くのだ。Why何故かといえば、余りに馬鹿バカしい自民党の総裁選のバカ騒ぎを見てふとある映画の題名を思い出した。松竹映画、山田洋次監督「馬鹿が戦車でやって来る」確かこんな題名だ。主役はクレージーキャッツのリーダーだった「故ハナ肇」さんだった。現代社会では馬鹿は差別用語なのだろう。今回バカ馬が9頭出馬する。競輪の記念レースは9人出場する。かつて競輪場に行くと「赤競」、「黒競」というペラ紙の予想紙を売っていた。ダミ声の予想屋が小さな紙に今日は、先行の誰に、同じ県出身の誰がマーク(その後につくこと)する。その後は競輪学校時代の同期の誰れが3番手につく。もう一つのラインは関西勢の誰に誰れがつく。さらに九州勢がラインをつくる。一発まくり(後から一気に先行集団を大外から抜き去る)にかけるのは、ラインのない北海道の誰だ、そのまくりに乗っかるのが、やはりラインがつくれない四国の誰がつくはずだと予想する。競輪とは地元勢とか強力な先行に乗るラインと、遠征してきている地方勢との人間ドラマなのだ。十代の後半ほぼ毎日(水曜日は休み)どこかの競輪場で、揚げ立ての串カツ(ソースたっぷり)とか、鯨カツを食べながら小銭を賭けていた。今回の自民党総裁選は、とある地方の記念競輪みたいだ。“永田町総裁馬鹿記念”だ。今、誰れが誰れにとか、俺はあいつの逃げを使って、最後はマークを競り勝って取るとか、どうだ、こうだのライン作り、競輪用語ではこれらを“作戦”という。私が十代の頃は神奈川にスーパースター高原永伍がいたので、2着狙いの2番手、3番手などが位置取りの競り合いをした。群馬作戦、宮城作戦というラインは強力だった。さて、“永田町総裁馬鹿記念”はどんなレースが繰り広げられるか。本命は大嫌いな石破 茂だろう。権力を手放したくない政局オンチの麻生太郎は、口をヘの字に曲げて石破、高市に賭けるだろう。岸田文雄は政治オンチだが政局(権力争い)は大好きだ。今がいちばん楽しいのだろう。麻生・菅はもう時代遅れ、次のキングメーカーは、岸田文雄となる。私は競馬はやらなかったが、“アカネテンリュウ ”という。良血馬ではないが、黒毛が美しく最後方からドトウの如く追い込んで、勝つ姿が好きだったので、その馬だけを買っていた。もう一つ競馬に例えれば、“自民党刷新感断念記念”レースとなる。9頭立てである。ちなみに馬名にしてみると、(一)シンジローノータリン、(二)イシバサンパクガンブキミーノ、(三)タカイチチョーライトウイング、(四)コウノタロウウクチヤオジサン、(五)カミカワヨウコオバサンケシキ、(六)ハヤシモアルデーヨ、(七)カトウドックスマイル、(八)コバオークトベナイル、(九)モテギパワハラホマレ、みたいだ。あるニュース番組で、九頭勢揃いして、一人15秒とか、一人40秒以内とか、CMみたいな時間の中で自分の目指すことを言う。つくり笑いをしたり、苦笑したり、アンチョコを読んだりしていた。これは馬鹿みたいとみんな思っただろう。混乱を極める世界情勢、戦争、内戦、クーデター続発の世界の中で、この9頭たちは、戦後80年をむかえる、後退の国、島国ニッポンをリードできるのか。全盛期(ジャパン アズ NO1なんてホザいていた)日本は世界のトップ企業100社に30数社が上位に入っていた。が、今や36位ぐらいのトヨタ1社のみ。政治家が国家ビジョンを持たず、マッカーサーに統治されていたGHQ時代(約7年)のママ米国追従に行く道をゆだねていた。終戦時日本国の大株主は、「天皇家」であった。マッカーサーは、自らの野心大統領選をその資産で目指したが、得票数はわずか11票で大惨敗となった。日本はアベノミクス、竹中平蔵の米国的規制緩和推進で、ハッチャメチャになった。特に郵政民営化は大失敗。シンジローノータリンは、いきなり労働者を好き勝手に首にできる法案を、“決着”させると、カンペを読み上げた。売国奴竹中平蔵をきっと大臣かなんかで起用するだろう。もっとも勝てばの話だが、きっと失言失速、笑言失速を繰り返して、ボロンボロになるだろう。シンジローノータリンは、関東学院大、その調教師菅 義偉は、法政大学、学歴重視を破って成功したのは、田中角栄しかいない(最後は失敗したが)。勉強ばかりしていて、馬鹿になった(人間について、市井の民を知らない)の霞ヶ関の東大法学部連中は、それこそ馬鹿者扱い(内心は)だろう。麻生太郎は全ピカの血筋(といっても朝鮮人や中国、台湾人たちを炭鉱でコキ使ってボロ儲けした)皇族の親戚にもなった。今回のレースは、血筋と非血筋の闘いでもある。小泉家はヤクザ者の血筋だ。純一郎の父は刺青大臣といわれた。横須賀一家(現稲川会)出である。血の流れがその顔に出ている。眼が笑うことがない。つくり笑いの顔にそれが見てとれる。地方巡業の旅芸人のような立憲民主党の4人は、ちんまりとしたマスゴミの扱いだが、自民分裂、立憲分裂、政界再編成となる時、“どじょう”こと野田佳彦と、吉田晴美のコンビは、金魚たちに勝つかも知れない。永田町、霞ヶ関のリング上には、汚れた札束が投げ込まれ(経済界から)、党役員ポストや大臣のポストという不渡手形が乱発されている。コロナ禍以降、マスク、マスクで人間観察ができない。私の興味の対象の相手である、人間がつまらなくなってしまった。東京駅発特急小田原行のトイレをガンガン蹴飛ばしている中年会社員がいた。きっともうダメだ、もう出る。もう締まりが効かない。あ~、早く出ろ、かなり高そうな薄茶色の革靴はトイレ内の人間を攻め立てていた。ニッポン国のみなさん茶番劇はこれからだ。私は明け方の今、大尊敬していた故南州太郎師匠の全盛期の映像を見ている。“オジャマシマス”この一言でお客は万来の拍手と爆笑をする。ボンクラ政治家たちとは役者が違うのだ。久々“オジャマシマシタ”残暑お見舞い申し上げます。
(文中敬称略)



 

2024年4月20日土曜日

「ばかな話その(8)ばかなNHK」

まえまえ(前々)から疑問に思っていたことがある。私の目の前には、“ワンタンメン”がある。かねてよりカレーライスとライスカレーの違いはあるやなしやかと思っていた。ないに決まっているのだが、どっちでもいいやとかんたんにはいかない。はじめに誰が“ライスカレー”と言ったのだろうか。あるいは“カレーライス”と言ったのだろうか(?)同様に私の中では、ワンタンメンをメンワンタンと言った人間はいなかったのかと悩む。両者(ワンタンとメン)が入っている、中華的入れ物にはでき上がった、ワンタンメンがほぼ同格に入っている。あきらかにワンタンのほうが多ければ、すんなりワンタンメンを受け入れるのだが、メンはメンでその存在を主張する。ワンタンとメンの仲裁として、メンマとかナルトがいる。マアマア、ワンタンメンのほうが呼びやすいじゃん、メンワンタンじゃ、なんかすっきりしないよとレンゲがいう。私はライスカレーとカレーライス論争を自分一人で行なった時、ライスがあって、その上にカレーをのせるのだから、ライスカレーが正しいと決めた。しかしカレーを食べたい気持ちから発する声は、ライスカレーより、カレーライスのほうが断然食欲に応じる。しかしレストランで美しい女性が、カレーライスとおねがいします、というより、ライスカレーとおねがいします、のほうが上品さを感じる。これは、“カレーうどん”か、それとも“うどんカレー”かの論争に発展したりする。美しい女性が、カレーうどんを一つと頼むのと、すみません“おうどんにカレー”をおねがいします、なんていうと、俄然カレーうどんは「うどんカレー」として品格は格段に上がる。さて、私はこれからワンタンメンという、メンズファッション的食べ物を食す。メンワンタンなら、まずはメンをすするのだが、ワンタンメンはワンタンというフニャフニャした腰抜けのようなものを箸でとり、レンゲの中に入れる。ところがこの腰抜けは、つかみどころなく、箸から落ちたり、逃げたりする。レンゲの中に入れると、どことなくフテクサレたように見える。逃げ切れずに捕まった犯人のように。たっぷり肉入りの店もあれば、肉少々のつくりのところもある。ワンタンはヒジョーに熱い。フーフーをしないでいきなり口に入れると、口の中は大騒動となる。アヂ、アヂ、とあわせて飲み込むとノドから食道にかけて、熱いのなんの、背中まで痛くなる。目から涙が出ることがある。フニャ、フニャ、ヘラヘラした見た目と違ったワンタンの粗暴さに対して、メンはおとなしい。箸の動きに忠実に従う。私はワンタンメンより、メンワンタンの順番で進んで行くことにする。こんなどうでもいい事を考えながら、我が身のこれからを思う。九州、島根をハードスケジュールで回って来た。松江で出雲そばを頼んだら、なんとロボット(トレイのお化け)が運んで来た。人手不足なんだとか。羽田→九州大牟田→佐賀→羽田→辻堂、すぐ次の日、辻堂→横浜→羽田→島根松江→米子→羽田→辻堂。飛行機、山陰鉄道、バス、タクシーと、頼りにする人と行動を共にした。原因はNHKのコードに、私たちのつくった映像の中のオレンジが、少し明る過ぎるところがあるから直すようにとの事であった。デジタルの時代、これだけの事で、東京←→島根を泊り込みで往復する。NHKがOKを出さないと民放はOKを出せない。一度島根に持って行ってNGとなり、東京のスタジオで直して、すぐに島根へ。この映像は8分間の政見放送用のフィルム。告示日前日にすべり込みセーフとなった。私の頼りにしている人の冷静沈着に対し、私はこんなのいいがかりだ、バカヤローと思った。NHKのスタジオ内にはたくさんのモニター、たくさんの人、ヒマなんじゃないのと言った。他は人手不足なのにと思った。いかにも何かに忖度しているような嫌な気分だった。民放2社の担当者はすぐにOKをくれた。NHKのばかめと思った。その夜「正欲」という映画を見た。“性欲”とは違う。人にはそれぞれ違ったフェチ(フェティシズム)がいる。稲垣吾郎と磯村勇斗が共演している。かなりの話題作だった。特に磯村勇斗がいい。稲垣吾郎は芝居がうまい。また声がいい。歌より全然いい。私の友人に“太った女性フェチ”(おデブフェチというらしい)がいる。それは単なるグラマラスではなく、よく肥えた、働き者の農家の嫁みたいなのだという。名画でいえば、“ルノワール”の描く裸婦が近い。陽灼けした肌、顔から落ちる汗、その汗をぬぐう太い腕、太い首には手ぬぐい。白いシャツはびっしょり濡れて、肌に密着している。友人はこのことを語り出すと止まらない。きっと大好きだったお母さんの姿を求めているのだろうと思う。4月19日から浅葉克己先生がキャンバスに印刷するというデザイン界初の作品を発表する。神宮前3丁目の「+81 Gallery Tokyo419日(金)~531日(金)まで。その会場で新作映画の上映の機会をいただいた。6時30分からと7時30分からの2回。4月18日夜、浅葉克己先生、井上嗣也さん、稲垣純さんと会場に行って、ギャラリーの社長さんと打ち合わせをした。雨が落ちて来た。すぐ隣りにあったインドカリー店に入った。“ナン”がナンともいえずウマイ。今まで食べたナンの中でいちばんだと思った。つまりナンバーワンだ。先輩の浅葉克己先生をやさしく支える井上嗣也さんの姿が印象的だった。天才と天才の認め合う絆だ。浅葉克己先生をタクシーで送り、東京駅に向った。皇居の前を通りふと思った、桜の花を見なかったなあ、今年もやはり小作人の春だ。(文中敬称略) 









2024年4月6日土曜日

「ばかな話その(7)ばかな仕組み」

 人間と人間の引き起こす、うんざりする出来事に、もしかしてこれらは神様がヒマつぶしに、地球という芝居小屋の中で、田舎芝居をさせているのではと思う。国民の税金をたっぷり手にしながら、“何も憶えていない”“何も知らない”“何んの関係もない”と言い続ける。記憶力を失った者共に、一人一億円以上の税金を使わねばならない。こんなバカ者たちを何んで選ぶのか。悲しいかな人間は食べて行かねばならない。そのためには「“職”あるいは“食”“仕事”」が必要である。それを得るために仕事を出してくれる人に、平身低頭する。その仕事を出してくれる人は、その仕事を発注してくれた会社の人に平身低頭する。その会社の人は数ある同業の中から選んでくれた人や人々に平身低頭する。 その会社は政治家や、反社会勢力や、各界のフィクサーたちに平身低頭する。バカヤロー誰れのおかげだと思ってんだ、こんなはした金で済むと思ってんのか、ええ、オイ、分かってんのか、この仕事の流れが、と永田町で怒声が聞える。 私の古い知人(かつては仕事をいただいていた人)が、定年後ある地に老人ホームを建てた。親から譲り受けた土地に建てた。二階建てを計画したが、役所の人からこれからは老人ホームの時代、ここは駅前だから三階建てにしたほうがいいとアドバイスされた。医療付老人ホームは許認可事業である。知人はフィリピンで若い女性を好き勝手に選んで、死ぬまでたのしい性生活の満喫を夢見ていた。が、役所はそれを許さない。でも医療付建設ホームのほうは許すのだ。そうして総工費10億円のところに、13億5千万円が必要となった。3億5千万円は、役所の下っ端から上へ上へと金を使い、役所は市会議員の誰れそれにもといい、 市会議員は県会議員の誰れそれにもといい、県会議員は国会議員の誰れそれにもといい、国会議員は自分の所属する派閥の誰れそれにもといい、派閥のボスは、╳╳組と╳╳会の誰れそれにもという、そうこうしている内に、3億5千万円が消えてしまった。二階までは老人が入居したが、三階は空っぽであった。バカヤローやってられない、これは夢だ、夢なんだとフィリピン女性を想いながら思う。そうです、これは私の創作です。少しばかり本当なのは、一人の知人が定年後、かねてより殺意ばかり感じていた古女房と、別れたいばかりに、フィリピンで今も生活しているという事である。人の世の仕組みは、人は上へ、上へと登りたがる(出世したがる)人よりいい生活をしたがる。映画「仁義なき戦い」の中で、ヤクザ者の千葉真一(故人)が若い衆に向ってこう言う。オレたちヤクザ者はヨオ~、ウメエモン食って、マブイ女(いい女性)を抱いてヨオ~と。作家松本清張が好んで書いた小説は、巨悪、中悪、小悪、そして国家の闇、人間とは性と欲、金と権力。そして人が持っている“秘密”だ。 人間という生き物(動物)は、救いようのない生き物だから、創造主、あるいは神(いなけど)は、人間に寿命(必ず死ぬ)を与え、この世の生き地獄を生んだ。先日、 世界最長寿といわれていた人が117歳でこの世を去った。医学的には115歳が限界といわれていたからそれを二年超えた。(外国の人)黒澤 明(故人)の名作「七人の侍」の中で、三船敏郎が演じた“菊千代”は、仲間にこういわれて怒った。“菊千代、お前は本当は武士ではなく、百姓だろ”菊千代は怒る。“俺は百姓じゃねえ、百姓は大嫌いだ。 いつもペコペコ頭を下げているが、自分たちの食べる物は、ちゃんとどこかへ隠している”。この映画の肝はここにある。本当にこの世を生き抜いて行くのは誰か。自分の胸に手を当てて考えてみる。自分が始末の悪い人間であることが分かるのだ。もう人間はいいやと思いながら一本の映画を見た。「オオカミとライオン」現代のおとぎ話であるが、美しいカナダの風景の中で起きる、一人の若い女性と、親を失った、 犬科のオオカミの子と、ネコ科のライオンの子が生む成長のドラマに、心が洗われる。CGで合成しているのだが実によく出来ている。本来、犬科とネコ科は仲良しにはなれない。が、映画の中ではこれ以上ないほど仲良く成長して行く。人間社会では兄弟は他人の始まりというが、オオカミの子と、ライオンの子は人間たちの悪さから逃れ、大好きな、大好きなピアニストの女性を追う。この映画に本当の 悪人は出てこない、基本的にいい人ばかりなのだ。動物好きのおじいちゃんに育てられた女性は、神のようにやさしいのだ。自民党という動物園で起きている、ブザマな動物たち、権力というエサに群がる、バカな動物たちの生態を見たあと、「オオカミとライオン」を見て、あ~カナダに行きてえ~と思った。広大な空、広大な森、広大な湖、そして小さな家。小さなオオカミ、小さなライオン。かわいいのなんのでウルウルした。愛すべきバカな知人は、今もフィリピンにいて、若い女性と充実した性生活、ハーレム状態らしい。まてよ、夢か。老人ホームはどうなったか(?)それは創作のイメージが思い浮かばなかった。礼儀正しいのと、平身低頭とは大差がある。有名な“韓信の股くぐり”という教えもある。この世でいちばん、ジャマなのはつまらないプライドである。あなたもいざ行けフィリピンに。日本女性の何倍もやさしいのだと。(文中敬称略)









2024年3月22日金曜日

「ばかな話その(6)勉強ばか」

「ムチャクセイキョウ」(無着成恭)という 名物先生が、ラジオのレギュラー番組に出ていた。先生はすでに故人だ。 東北の地に“山びこ学校”をつくり、子どもたちに独特の教育をしていた。ラジオ番組の名は確か「もしもし電話相談室」だったと思うが、記憶は定かではない。無着先生は東京では“ミョウジョウガクエン(明星学園)” という制服なし、私服でOKの学校で教鞭をとっていた。ラジオ番組は夕方だった。小学生たちが電話で相談すると、無着先生や他の先生が質問に答える。生放送形式であった。もしもし、小学六年生の〇△です。ハイハイ、センセイナンデボクノオチンチンハ、オンナノコヲミルトカタクナルノデスカ。う~む、それはねキミが順調にお兄さんになっていってるからだよ。オニイサンニナルトカタクナルノデスカ(?)、センセイモナルンデスカ(?)う~む、先生もなるんだよ。カタクナルトイケナインデスカ(?)いけなくないんだよ、う~む、このことは中学生になると、先生が詳しく教えてくれるからね。こんなやりとりもあったりした。オトウサント、オカアサンハ、ナンデイッショニネルンデスカ(?)ワタシハ○△小学五年生ですと、女の子の質問。う~むそれはお父さんとお母さんが仲良しだからなんだよ、デモイツモケンカシテマス。そうなの、でも大人はケンカするほど仲がいいともいうんだよ。なんて質問に先生たちは悪戦苦闘する。今の時代にこういうライブ感のある番組はない、もしくはできない。昭和はラジオが全盛だった。令和の今はスマホ全盛で見えない相手と交信している。例えば今の状況を“もしもし”風にしたらこうなるだろう。ボクハ○△小学六年生です。ナンデセイジカハウソバカリツクンデスカ(?)う~む、それは政治屋だからなんだよ。セイジカト、セイジヤはドウチガウンデスカ(?)う~む、政治家は国の将来を考えたり、国民の生活を守り、よりよくするんだ。政治屋は自分の選挙のことばかり考え、裏金という悪いお金をつくっているんだよ。ソレデハセイジカトイウヒトタチハワルイヒトバカリナンデスカ(?)う~む、そうとばかりは言えないけど、そういうひとが多いんだよ。セイジカノヒトハトテモベンキョウガデキルンデスヨネ、デモドウシテケイサツニツカマルンデスカ(?)う~む、それはね勉強ばかりしていて、ばかになっちゃったんだよ。ナンデベンキョウバカリシテイルトバカニナルンデスカ(?)う~む、キミのお父さんは何んの仕事をしているの(?)ダイジンデス。えっ、大臣なの。ソーデス、トーダイヲデテイルノニ、ウソツキダト、トモダチカライワレテマス。う~む、そうなのかそれはこまったね、お父さんは今どこにいるの、ハイ、ケイムショノナカデス。こんなことだろうか。出来の悪いコントのような国会中継を見ていると、法律とは一体何んのためにあるのかと思わずにいられない。食うに困った老人が二度、三度とコンビニで、300円ほどの食べ物を盗んで刑務所に入れられる。かつて私の後輩だった人間が、植木市で盆栽を一つ盗んで刑務所に入っていると聞いた。かなり高額な盆栽だったらしいが、身柄の引き受け人がいなかったらしい。女房に捨てられ、我が子からも見捨てられたらしい。七十代になっての刑務所暮らしはキツイ。こんな話が悲しい「春分の日」である。スポーツ新聞はひたすら、大谷、大谷、大谷選手の記事が独占しつづける。日本のプロ野球は完全に大リーグの2軍化している。春の選抜野球チームに、珍らしい学校名の高校が初出場していた。その名は、「耐久高校」和歌山代表だ。何か今の世の中を代表しているではないか。値上げ、値上げ、値上げで“耐久レース”をしている我々を。第一回戦中央学院高校と対戦したが、1対7で敗けた。和歌山といえば先日、国会でヘラヘラ、ヘラヘラ、ウソばかりを言っていた参議院議員世耕弘成を思い出す。“全身嘘人間”だ。この手の人間は恥というのを知らないから始末が悪い。カンナクズみたいな政治屋に、国民は年間一億円近くを与えているのだ。故池波正太郎の名作「必殺仕掛人・藤枝梅安」に始末されるような悪党だ。不眠が酷くて、寝つけないので、故笹沢左保の名作、「木枯し紋次郎」を見ている。アッシにはかかわりのないことでござんす、長い楊枝を口から放す。宿場の飯屋で食べるメニューが、私の大好物と同じなのがいい。冷や飯にメザシの焼き物二匹、あとはとろろ山芋だ。それを一気に食べる。呑気に食べていてはスキが出て襲われる。早メシ、早グソ、武士のたしなみという。戦場ではそれがジョーシキ(常識)なのだ。すっかり時代劇のいい映画がない。制作費が高いので作れないのだ。又いい役者もいない。名優故勝新太郎の座頭市と、名優緒形 拳が共演した映画は見応えがあった。緒形 拳も目の見えない悪党の検校役。見えない者同士が、酒を飲み交わす。このシーンは圧巻だった。今の世は“欲望”しか見えない。その他には、絶望だ。座頭市がいうところの嫌な渡世なのだ。それでも私は希望を捨てない。始末の悪いことに、いいシナリオ(?)が次々と浮かぶのだ。♪~ 私バカよね おバカさんよね うしろ指 うしろ指 さされても……。なんて口ずさみながら。「存在の耐えられない軽さ」という名作があったが、私の場合は、「その存在のあまりの酷さ」といえるだろう。♪~ 人生が二度あれば、なんていう歌があったが、人生は一度しかない。もしもし小学校五年生の◯△ですが、と女の子。オトーサント、オカアサンガ、ナイフト、フォークヲモッテ、ケンカシテルンデスガ、ドーシタライイデスカ(?)う~む、それはきっとナイフでリンゴを切って、フォークで切ったリンゴを刺して、仲良く食べようとしてるんじゃないのかな、ケンカではなくて、きっと……無言。先生は言葉が見つからない。令和の今、昭和がブームらしい。昭和は戦争ブームだった。その戦争を始めたのは、赤門を出た東大法卒たちであった。(文中敬称略)







2024年3月11日月曜日

「ばかな話その(5)ばかなトンビ」

でっぷりと太った彼女が好きだったのか、それとも結婚してから食い太りしたのか、一組の夫婦が私の目の前の席で昼食を食べていた。310日日曜日の午後12時半頃である。見た目が実に仲睦まじい。松下政経塾斜め前に、“大新”という古い中華店がある。早い、安い、旨い、の三拍子が揃っていて地元では人気の店だ。 寒い日がつづき気分はどんよりしていた。土曜日平塚の達人が来てくれて、カチンコチンの全身、バンバンに張っている首、肩、腰。パンパンになっていた両足に、鍼を打ち込んでくれた。全身ハリネズミみたいになる。おかげでずい分楽になり、今年初めて近所の小学校に野球少年を見に行った。陽差しがホッカホッカして気持ちいい。試合は応援していたチームが、 藤沢のチーム相手に、ボコッボコにされて残念ながら敗けた。4年生と3年生のチームだ。真夏を過ぎ、秋になるとぐんと伸びている。その成長を見るのがいいのだ。グラウンドに行くと、マスクをした一人の女性が近づいて来た。そうか先日お世話になっている名医の、ところに行った時、スタッフの子どもさんが、私の息子がコーチをしているチームにいるんですよと言っていた。 その人だった。マスクをしているので顔は分からない、その人の子を見ていると、なかなかいいかんじであった。雲一つない青空の下で少年たちは元気だ。昼メシを愚妻と食べるかと思い電話をすると、パン食べたから一人で行けばと言った。アッそう、で、“大新”に行った。目の前の若い夫婦が和やかだ。女性は278歳だろうか、ギョーザとチャーハン、肉野菜炒めをスイスイ食べている。323歳の学校の先生みたいなタイプの男性は、ヒョロッと細い。この店で人気の大新ラーメンを食べている。ザーサイも二人で食べている。いいねこんな二人。きっと細いご主人は、でっぷり太った女性に、安らぎを得ているんだろう。結婚前はひょっとしたら、スリムだったのかも知れない。ソージ(掃除)、センタク(洗濯)など家の事はやさしいご主人がやってくれて、スリムだった女性は、ソファーに横になり、朝からお菓子を食べ、しっかり昼寝し、3時になったら、菓子パンをちぎっては食べる。ひょっとして、アメリカンドックにケチャップをたっぷりつけて食べる。コンビニの肉マンに、ブルドックソースをつけて二個位食べる。マスタードを少しつける。すごい早さでチャーハンを食べ終って、ちょっとチョーダイと、ご主人の大新ラーメンを、小さなスープ入れで食べる。私といえばエビチリソース煮をオーダーした。ノンアルコールビールも頼んだ。プチン、プチンした小エビは大好きなのだ。小さな幸せこそが、いちばん大きな幸せなんだと、目の前の若い夫婦を見ていた。前夜“フェア・プレー”というイギリス映画を見た。投資会社に勤める人間たちは、投資実績の結果で昇進が決まる。ある日、ガラスの割れる音や怒声が社内に響く。個室を与えられていた上司が、首を告げられてゴルフクラブを振り回し、個室の中で暴れているのだ。その上司がいなくなれば、誰れかが昇進する。社内恋愛をしていた男と女がいた。男は次はお前だと上司から思わせぶりにささやかれていた。社内恋愛の相手からも、そう言っていたと告げられていた。会社の昇進争いは激しい。男と女はさかりのついたオスとメスのように、情事を行ない、やがて一緒に暮らす。ところが会社のボスが選んだのは、 男の相手の女性だった。女性は広くて美しい個室を与えられた。男は部下となり、その他大勢の中にいる。日々実績がチェックされる。投資に失敗すると、自分に抱かれていた女から、叱責される。家での生活は、憎悪の日々となる。毎夜、パーティなどで飲んで帰ってくる女に復讐を誓う。能無しよばわりしやがって。ついに会社のボスから決定的なことを告げられた時、男の怒りは頂点に達する。フェア・プレーとは何か。時は春、会社人間たちにとって人事、人事に敏感な季節だ。会社には廊下トンビという、大ばかが必らずいる。アッチ、コッチに行って情報をつかみ、アッチ、コッチに行って、あること、ないことを言いふらす。鴨長明も菅原道真も、廊下トンビによって、悔しい思いをした。会社という所は、能力があれば昇進昇格するという生やさしい所ではない。幸い私は会社つとめの経験は少ない。人間の心理とはヒジョーにサディスティックであり、 エロティックである。男と女の恋愛感情も昇進を争うという事になると、知性も理性もあったもんじゃない、という事になってしまうのだ。骨格的にいうと上昇志向が強いのは、やせぎみのタイプとか、こじんまりしたタイプらしい。(エビデンスはない)肉感的である女性は、その魅力で自己満足、アタマの中はエロエロで、昇進などには興味がないらしい。ばかな廊下トンビは、ある事、ない事をつくって持って飛び回る。見つけたら、弓を放つべしだ。人の人生も、家庭も、目茶苦茶にする、ばか野郎だからだ。(文中敬称略)








2024年3月2日土曜日

「ばかな話その(4)バカなコント」

おバカな自民党による、おバカな自民党のための、おバカな政治。出る、出ない、出れば、出ろ、出ます。お粗末な自民党のソーリ(総理)と、カンブ(幹部)たちにこの国は統治されている。かつて「美樹克彦」という歌手が「♪~ かおるちゃん おそくなって ごめんね」と歌い、最後にバカヤローと叫んで終る。歌の題名は「花はおそかった」かなりヒットした。島国ニッポンは他国との国境がないので、政治に緊迫感がない。故に危機意識が国民全体にもない。政治判断の誤り一つで、ど、ど、どどっと難民が押し寄せる事もない。私が十代の頃ツイストの大ブームがあった。でもって私は大学生のバンドを呼んで、ツイストのパーティを行なった。大きなドラム缶に水を入れる。そこにコカコーラやジュースやカナダドライをぶち込む。パー券は判子屋さんに安い値段で刷ってもらった。それを仲間たちと売りまくる。倉庫みたいな会場費は激安で借りる。夜六時開場となると恐ろしい程の男女が集まって来る。ヘタクソな学生バンドが、テケテケとエレキギターを弾き出すと会場は異常な状態となり始める。人が人を呼びもうウハウハ、パー券が売れた。サービスするのはワンドリンクだけ。会場外まで人、人、人。若い男女が狂ったようにツイストのリズムにのって腰をひねりつづける。私は冷静に全体の動きを見ている。中に入れず酔ってケンカが始まると、行って“ヤメロ”と仲裁する。やがてヤクザ者たちが、オイ、セイガク(学生)誰れに断ってやってんだと乱入して来る。私は学生の遊びに大人がからむんじゃないよと制す。ガンガン響くツイストのリズムに誘われて、警察官がやって来る。私はこれは流行ですから止められません、そこら中でやってますと言えば、金を取ってやってんだろ、これは興行だ、許可を取ってんのかと怒鳴る。先程のヤクザ者たちもソーダ、ソーダ、俺たちを通さずに何やってんだと暴れ出す。私と私の仲間が集まり“ツイストパーティ”は最高潮に達して行く。ツイストパーティは十代の私と仲間たちの貴重な収入源であった。所をかえて何度か開催した。しかし世の中は甘くはない。やがて血と血を流すドラマが始まり、法律というキツイお仕置きが待っていた。昨日夕方4時半頃NHKで、出来の悪いコントのような政倫審という、ヤキトリじゃなくて、ヤリトリを見ながら、ホントウニ(本当に)この国はアカン、ヤカンがイカリフットウ(怒り沸騰)して、ドカンと脳内爆発。全身脱力していた。そこへ私の横にいた仕事仲間のボスが、突然大谷さんが結婚するんだってと言った。何それ、なんの話となった。NHKのコントはもう問題外となった。他の人たちもヤン坊、マー坊の天気予報みたいだ。(むかしの人は知っている)その話当たり、それとも外れみたいになった。私は知人と会う約束時間が来たので5時少し前に外に出た。小雨がチラチラ降って来た。この頃の天気予報は科学の進歩でよく当る。知人とはヤン坊、マー坊で有名な、東京駅八重洲口ヤンマーディーゼル本社の斜め前で待ち合わせていた。約束の時間より前に着いた。「絶望は、愚か者の結論なり」なんていうフレーズから始まった昭和の番組を思い出していた。パー券なんていうのは、昭和の話だよと笑っていたが、永田町は昭和の時間で止まっている。現職の国会議員にとって選挙ほど嫌なことはない。ソーリダイジン(総理大臣)が持っている恐怖の権力、解散権を行使させたくない。ソーリはアイアムアソーリ、こうなりゃヤケクソ解散だぞと、目の上のタンコブ麻生太郎に決別宣言的行動に打って出た。値上げ、値上げでついこの間まで一個360円位だったショートケーキが、えっ何、560円なのとビックリしながら五個買った。白い服を着たケーキ屋さんが原料が何もかも値上げで参っているんですよと言った。レジのところに“カスハラ防止”というシールが貼ってある。これはなあ~にと言うと、カスタマーハラスメント防止なのですと言った。そうかカスタマー(お客)が値上げに文句言ったら、お仕置きを受けるんだ。岐阜県のとある町の町長が、99件のセクハラ行為で猛攻撃を受けていた。アタマナデナデ、オシリにタッチ。胸の谷間チラチラ見ていてたとか。昭和の町長は悔しい、もう心が折れたと辞任をする。令和の時代は目のやり場もないんだなと思った。雨が少し強くなった。オッ待ち合わせをしていた恩人(男の人)が近づいて来た。二人でタクシーに乗った。大谷選手結婚だってね、なんで突然になんだろうと言った。私はきっとそうしなければならない事態が、ネット上に発生するからではと応えた。フィギュアスケートの羽生結弦選手みたいにならないことを願う。恩人がケーキ(景気)はどうなのと聞いて来たので、“値下げ、値下げ”ですよ、株価は最高ですが私たちの実態は最低なんですよと言った。パー券を刷って、ツイストパーティをやりたい位ですと言った。懐かしいなツイストパーティ、大学生の頃よく行ったなと笑った。この恩人は慶応大学出身、私が十代の頃よく頼んだ学生バンドは、慶応大学生のバンドがいちばん多かった。その夜、家に帰って夕刊を読んだり、ニュースを見たりしたあと、午前一時半頃、“リトル・リチャード”を聞き始めた。ビートルズやすべてのロックンローラーが影響を受けた。私はゲイですとカミングアウトした、伝説のアーチストだ。雨音がかなり強くなっていた。私はすっかり十代に返っていた。最低ではなく、最高の気分だ。明日もバカなコントが国会である。リトル・リチャードはすべての常識を破壊したロックの先駆者だ。放送禁止用語が飛びまくる。“のっぽのサリー”を聞いている。ピアノの達人でもある彼を超えるロックンローラーは絶対出ない。“ジェニ・ジェニ”を聞いていたら、脳内がスッキリして来た。今の世は上から下まで、ゼニゼニゼニだ。(文中敬称略)

◉二月二十五日日曜日夜、ついに新作の映画が出来上がった。みんなで拍手! 拍手! 丁度一年かかった。





 




2024年2月18日日曜日

「ばかな話、その(3)バナナ」

“マツコ・デラックス”ってだれがつけたのか知らないけど、見事に名は体を表しているよな。最近“はるな愛”がテレビに出ないよな。その“はるな愛”がさ、どうしても女になりきれなかったことがあると言っていたぜ、何だいそりゃ、一緒に夜を過ごした相手に、やっぱり男の体臭だなと言われた時、ショックだったと。見た目は整形できるけど、内なるものは整形できない。まして“心”は整形できない。マツコ・デラックスってさ。糖尿病になったり、痛風になったり、高血圧や心臓病、中性脂肪とか高コレステロールなんか大丈夫なのかな。今日さ会社の定期検診の結果が出たんだよ。これ見ろよ、かなりヤバイッてよ、俺まだ38歳だぜ、これからは、“マツコ・スラックス”になりなさいなんて女医のババア(お年寄りです)が言ってたよ。朝マックはダメ、コーヒーに砂糖なんて許されない。筋子、白子、明太子、“子”のつくものはダメ、“子作りの行為”も気をつけてだと。腹上死するからだと。身長168センチ体重86キロ、減量目標はとりあえず20キロ減だよと言って大笑いしていた。“目クソ鼻クソを笑う”というけどョオ、自民党の裏金のことを、自民党の人間だけで調べるなんて、笑ってしまうよな、そうだよ、ヨソの国だったら暴動だよ、ホント日本人は骨抜きになってしまった。株価はバブル期並みの高さなのに、マイナス成長だぜ、どうなってんのこれ、世界の企業ランキング50社の中に、日本の企業で入ってんのは、トヨタ一社だけだってョオ、ばかじゃないのこの国は、GDPはドイツに抜かれて第四位、近々インドに抜かれるんだってよ。バブル期は世界企業ランキングの10位以内に7社も入っていた。NTTが一位だったけど、今はむかしの光いまいずこ、蛍の光だよ。“マツコ・デドックス”だな、と大笑い。終電二本前の列車の中、私は腹ペコであった。三人は缶ビールや缶ハイボールを飲んでいる。こん度の人事酷いよな、あの茶坊主が本部長だっていうんだから、ウチの会社も終りだね。結局ゴマスリが勝つんだよ。カツサンドを食べていた。マイナス20キロ目標の男は、その他にもカレーパンの入った袋をヒザの上に置いている。ロシアはやっぱり恐いよな、プーチンは政敵の“ナワリヌイ”を殺してしまった。日本と違ってナマヌルクないんだよ、プーチンのロシアは。元幹事長の二階俊博が、本を爆買いして3500万円で3万冊を買ったとか、イチイチ、本の名を出さないで、貴重な古書を一冊3500万円で買ったんだ。それじゃその本の名はと聞かれたら、この歳になると本の名は忘れる。古代エジプト時代のエロ本だったのは憶えている。“男女問題の研究”のために買った。ワシは読んだら捨てる主義だ。なんて言ってみたらと思うな。“マツコ・ダンシャリスト”だな、そうそう、三人は盛り上がる。中国の話でビックリしたことがあるぜ、何だよ、かなり前に安藤サクラ主演の映画で「百円の恋」というのがあったろ、あったあった、いい映画だったな、その映画が中国でリメイクされて大ヒット、興行収入が3日間で、237億円だって。ええ~、何それ、2月16日の日経に載っているよ。日本では低予算で作られ、単館上映だった。家でゴロゴロしていて、食っちゃ寝、食っちゃ寝の生活をしていた主人公の女性は、体もブヨブヨ太っていた。時々近所のコンビニでバイトをしている。そこに一本百円のバナナを買いに一人の男が来る。(新井浩文)主人公はヒトメボレ(ひと目惚れ)。男はボクサー、近所のジムで練習しているのを知る。主人公はついた恋の火を消すことはできない。家族も見放していた。自堕落な生活から、イチネンホッキ(一念発起)。アタシはこの生活から抜け出すんだと、ブヨブヨの体で走り出す。安藤サクラは、この役作りのために、たっぷり太らせ、ガッツリ減量した。役者さん根性はスゴイことを知る。中国の映画界は日本の10倍だ。坂井真紀主演の「ノン子36歳(家事手伝い)」という映画もよかったよなあ。私は映画の話になって、急にこのウルセイバカたちがかわいくなった。女性は一人の男性によって急変できるのだ。残念なことに新井浩文という、いい役者が現在刑務所の中にいることだ。下半身にくっついている彼のバナナが、イケナイ事をしてしまった。高いバナナとなってしまった。もうすぐ出所して来るだろう。映画界は彼を迎え入れてやってほしい。実にいい役者だから。その夜、「イースタン・プロミス」と「ヒストリー・オブ・バイオレンス」を見た。朝シャワーを浴びて新聞に目を通して、「ゴーン・ガール」と「そして父になる」を見た。いずれも最高にいい作品で、何度か見ている。午後五時から打ち合わせがある。その打ち合わせに映画のいくつかのシーンを見てもらうために。で、ゆっくりしてから東京へ向った。銀座中央通りの、シャネルショップは外国人の行列で入場制限、コロナ禍がウソのようだ。女性がいかに恐いかを知りたい人は、デヴィッド・フィンチャー監督の「ゴーン・ガール」がおススメだ。夫婦とはまい日、殺意と殺意で向き合っている、赤の他人なのだ。(文中敬称略)









2024年2月10日土曜日

「ばかな話、その(2)トヨタ」

久々の400字のリングだ。何度か書いてきたが私の書いた原稿用紙コクヨの20×20字詰めの紙を、FAXという近代的道具にてテキスト化してくれる大切な方に送る。この作業が愚妻の担当なのだ。私と同じですこぶるメカオンチなのだ。我が家のFAXは古いもので、まい日機嫌が違う。それ故大切な方にご迷惑とお手数をかけてしまう。その大切な方に諸事情が発生して、リング上での動きがレフリーストップとなっている。一月一日能登大地震、二日ジャンボ機炎上、辰年は大乱で年が明けた。能登の人々は今も起つ事がままならない。今日どうしてもと400字を書いた。大切な方がテキスト化していただけたら発信できる。二月七日朝刊に「トヨタの純利益初の4兆円」と大きな見出しがあった。バカヤローフザケンナと思った。系列とかいって下請けをイジメにイジメて利益を出す。(乾いたタオルも絞るという)時価総額は50兆円とか。資本提携をした小型車メーカー、ダイハツとか、スズキもトヨタ方式で徹底的にシゴかれて、不正の乱発となった。バカヤローなのは、そのトヨタの金持ちたちが、いち早く能登大地震への援助支援体制をとって何かしたかだ。答えはNO! 未だに何も聞かない。私の耳が遠いのかも知れない。40兆円も利益を出すトヨタや、かつて38兆円近い利益を出していたソフトバンクなどは、ゼーキン(税金という)を払わない。大谷選手が少年たちに6万個のグローブを贈ったが、私の応援する少年野球チームに、トヨタやソフトバンクから、バット一本、ボール一個も届いていない。大阪の西成地区や、東京の山谷地区で働いている貧しき者(私も同じ)に、ショーチュウ(焼酎という)一本も届いていない。国家予算の3分の1の利益を出しているのは、独占禁止法違反だ。元アサヒ(朝日ともいう)の記者が、ちょいと一緒になった時、岸田文雄に麻生太郎と縁を切れ、どこより早く派閥を解散して、安倍派も解散させろと命じたのは、“グズの岸田”と言っていた。元派閥のボス古賀 誠だったと。大酒飲みの岸田文雄はこの命令をグイグイ飲み込んだ。今や一強だ。古賀 誠と麻生太郎は、福岡県のボスとボス。で、自民党の派閥は、麻生派だけを残して、解散ブームとなっている。バカヤローなのは政治家の裏金は、不明、不明、不明、行方不明だ。私がある年、ある会社から少しばかりの裏金を預かっていたら、丁度税務調査が入り、朝から夕方まで(昼に弁当でもと言ったらケッコウですと食べに行った)ネチネチ、ジワジワ、調べられ、次の日もやられ、週に一度、二度会計士と呼び出され調べられた。これは脱税です! 犯罪ですよと大声を出した。クソ忙しい中、仕事のトラブルが続出している中、徹底的にイジメられた。仕方ねえ、頼みたくないが国税OBの知人に事情を相談したら、なんだい統括官、すっかり態度が変って、ほんの少しの税金で一件落着となった。その時の統括官のオッサンと、立ち食いそば屋(小諸そば)で隣り同士となった。オッサンはチクワ天そばを食べていた。わざと横に行った。ズルズル割り箸ですすっていた。バカヤロー日経平均株価が三万七千円近くとなった。株を持った金持ちが、どんどん金持ちになって行く。実質給料はずっとマイナス、大企業は値上げで儲けベースアップの大盤振る舞い。我々弱小(極小)会社は給料なんて上げられるはずがない。三月から無担保融資の借金の返済が始まる。広告界は人工知能AIによってシケタ業界となって行く。やってられないから払えない。大企業のトヨタやソフトバンクからとってと言うことにしている。あとは両手を上げて“万歳三唱だ”。新作の映画が二月二十五日完成する。寺尾学ぶ監督、梅根秀平さん撮影、浅葉克己先生、北野里沙さん、仲野 温さん、後藤仁美さん出演。映画界始まって以来のことをやった。ファンドで資金を出してくれた多くの人々に感謝。そして親愛なる二人の兄弟分に大感謝だ。トヨタやソフトバンクより世の中に貢献している。バカヤローなる将棋界にため息だ。藤井聡太に勝てる奴はいないのか。まったく情けない。大好きだった将棋番組を見なくなった。九州の福岡からなんと65分で羽田に着いた。(日)、(月)、(火)と早朝から広いところをアチコチ撮影して回って、足腰はヒメエ(悲鳴ともいう)を上げていたので、羽田からタクシーで帰った。高速道路が雪の影響で交通止め、でもって辻堂の家まで約2時間かかった。昼に弁当を食べただけだったので、途中セブンイレブンで、助六弁当(おいなりさん二個に太巻き四個)を買って食べた。十二時少し前に家に到着。バタンキューと眠りたいが、しっかり不眠症で、タランティーノの名作「パルプ・フィクション」(約二時間三十分)を見た。やはり抜群によくできている。いい歳をして自分は、なんてバカな人間なのだろうかと思った。仕事をやればやるほど思いが入り過ぎるクセがあり、結局入るものより、出るもののほうが多くなる。バカにつけるクスリはない。松本人志は下半身もずっと芸達者だったのだろうか(?)、かつて下半身は、武士の情といわれたのだが(?)。暴露系ユーチューバーの、ガーシーに求刑四年、すっかり泣きが入っている。ヤクザ者の世界では、警察根性(決して自白しない)がある人間が最も評価される。照ノ富士の優勝はうれしかった。ボロボロの体でも、根性が横綱だ。何かと告げ口や、泣きを入れる男は、こぢんまりした生き方しかできない。根性あるバカになれといいたい。この国は本当に大丈夫だろうか。記憶がないを、連発する記憶力のない政治家に何ができるんだ。恥を知れバカヤロー。こういう政治家は、「指定管理政獣」に指定しべしだ。この世とは、パルプ(紙)の上の、フィクション(作り物)。(文中敬称略)