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2011年1月17日月曜日

湘南の嵐便り 「再生のヒント」


気の使い過ぎだから病気になったりするんですよと云われる事がある。
気を使う、気を使わない。この問題は渦巻く鳴門海峡の様に険しい。

人間と人間の関係は「人の間」という位気使いで成り立っている。
使い過ぎれば先方に負担をかけるし気を使わなければ人の道が分からない奴だという事になる。


私は気を使うことによって自らの心にケジメがつき、気を使わなければ寝付きが悪い。
だったら自らのケジメをつけて少しでも寝付きのいい方を選ぶ事にしている。
気が利かない奴だといわれるよりは、よく気を回してくれる人といわれている方が楽な性格なのである。何かをしたら何かがきっと返って来る、こんな邪悪な気持ちは必ず相手にも分かってしまう。実は世の中は永遠なる義と理の間で成り立っている。


まだまだ子供だと思っていた親戚の子から、もしもしオジサン○×です春から大学一年生です、お年玉ありがとうございました。なんて男っぽい声を聞くと嬉しいものだ。そ
うか大学生か楽しみだなと思いを馳せる事ができる。

少し心を病んでいる友人の娘さんにちょっとしたネックレスとピアスを送ってあげたらとてもご丁寧な手紙を貰った。すごく嬉しいですと書いてあった。お世辞でも嬉しいものだ。
難病で何年も家から出れない人に下手な絵を送ったら震える字で元気が出ましたと書いて来てくれた。


私の事を気を使い過ぎという人もいれば、よく気を使ってくれる人だという人もいる。私はこれからこの国を再生して行くには先ず家族愛、そして隣人愛、そして地域愛、そして故里愛つまりは遠い昔の良き村社会の在り方を見本にするしかないと思っている。




かつて白樺派の武者小路実篤達が作った「新しき村」の様な理想の追求である。

鹿児島に「柳谷」という小さな300人程の集落が一人のリーダーの熱意によって笑顔の絶えない集落として再生した。「やねだん」というその集落は「奇跡の村」として今世界でも注目されている。
勿論日本各地の首長達がリーダーの主宰する創世塾という処に学習に来ている。胃癌を手術した時残りの人生を何に使うか悩んだ末にリーダーはこの集落の再生にかけた。このドキュメントをある日曜の深夜観た時私は泣いた。

※やねだんHPより


そうか、これが本当の気使いなんだと確信したからだ。
人間は人間によって再生できる。ケチな権力争いなんかは無い。
人に会ったら挨拶をする、困った人がいたら助け合う、荒地や雑木林はみんなで畑にする。

みんなで作った迎賓館※やねだんHPより


やねだんブランド焼酎※HPより



この「みんなで」というのが基本テーマだ。かつての日本人はみんなで問題を背負いみんなで考え、みんなで解決していった。自分だけが、自分の家だけがよければいい、隣なんて誰が居るのか分からないのだから関係ない。なるべく関わりたくない回覧板さえ回せばいい。
笑い声の聞こえない関係はこうして増殖化してしまったのだ。

※やねだんHPより

気使いの使い方を学び直そうではないかニッポン人。
時間は掛かるがこれしかないと私は思っている。年を取ったせいであろうか。
近々鹿児島の柳谷に行こうと思っている、一学生として。

先日、元資産家で有名だった二人の中年姉妹がマンションで亡くなっていた。
一人はなんと栄養失調でありお腹は空っぽ、所持金は90円であったというではないか。






やねだんホームページ

やねだんの概要記事

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